1. Run the World, by DogsorCaravan
  2. RUN+TRAIL編集部の鈴木さんと..
2025-12-20 1:12:18

RUN+TRAIL編集部の鈴木さんと新田さんと振り返る2025年、「優勝しても表紙になれるとは限らない」RUN+TRAILのポリシーに迫る【ポッドキャスト Run the World 164】

spotify apple_podcasts youtube

日本のトレイルランニング界を牽引する専門誌『RUN+TRAIL』の鈴木充編集長と、デザイナーの新田彰太さんをゲストに迎え、高尾山の森の中で2025年を振り返るエピソードを収録しました。

2012年創刊で多くの雑誌がデジタル媒体に移行する中で、なぜ彼らは「紙」にこだわり続けるのか? モータースポーツ誌の制作現場での「深夜の趣味」から始まったという雑誌の知られざる創刊秘話や、選手の後ろ姿を追う独特の編集哲学に迫ります。

後半は「2025年のトレイルランニング界振り返り」として、お互いのトピックについて徹底討論しました。 「43歳での快挙、菊嶋啓選手が最新号の表紙を飾るまで」、「Kaga Spa by UTMBが国内シーンにもたらした衝撃 」、「UTMBモンブランのプロ化と、日本のレース配信の未来」を語っています。


■ RUN+TRAIL Vol.74 (2025年11月28日発売)特集「突破力」https://shop.san-ei-corp.co.jp/shop/g/g0182882512/

■ 別冊 TRAILHEAD Vol.7 (2025年12月18日発売)特集「軽量登山最前線 ロングトレイル」https://shop.san-ei-corp.co.jp/shop/g/g505314/

公式通販サイト: https://runplustrail.jp/

本エピソードは、トレイルランニング系ポッドキャストによる初のアドベントカレンダー企画「TrailCast Advent 2025」に参加しています。12月1日から25日まで、毎日日替わりで25の番組がエピソードを公開するリレー企画です。IBUKI STATIONが主催し、リスナーにとってはトレラン漬けの「最高の25日間」となるイベント。他に参加している番組もぜひチェックしてみてください。

▼TrailCast Advent 2025 イベントページ https://listen.style/event/44


【目次】

オープニング:高尾山の自然の中から

雑誌制作の原点:モータースポーツ誌からトレイルランへ

「電子書籍」という趣味から始まったRUN+TRAIL

編集のこだわり:「カメラマンの視点」ではなく「選手の視点」を

優勝者が表紙になるとは限らない理由

「Webサイトすらない」紙媒体への集中

別冊『TRAILHEAD』が提案する「軽量登山」と「歩く旅」

2025年の振り返り①:菊嶋啓選手が表紙を飾った意味

2025年の振り返り②:Kaga Spa Trail by UTMBの衝撃

2025年の振り返り③:UTMBのプロ化とメディアの役割

日本におけるレース配信の現在地と未来

2026年以降への抱負:もう一度100マイルを走る

#トレイルランニング #RUNPLUSTRAIL #DogsorCaravan #ポッドキャスト #TrailCastAdvent

サマリー

ポッドキャスト「RUN the World」では、鈴木光さんと新田翔太さんがトレイルランニング専門誌「RUNプラストレイル」を振り返ります。二人はマラソンからトレイルランニングへの移行や編集方針、特に注目のイベントへの参加について語り、自信のある写真の掲載がもたらすエネルギーの重要性を強調します。RUN+TRAIL編集部の鈴木さんと新田さんは、2025年に向けた雑誌のポリシーを振り返り、優勝者が必ずしも表紙を飾るわけではないことを説明します。特に、彼らが収集したストーリーと視点が雑誌にどのように反映されるのか、過去10年間の変化についても触れています。鈴木さんと新田さんは、トレイルランニングの魅力を広めるための施策や、トレイルヘッドという雑誌の特徴について語ります。彼らはトレイルランニングと軽量登山を結びつけ、より多くの人々に興味を持ってもらおうとしています。鈴木さんと新田さんは、2025年の展望について表紙や選手のキャリアなどの話題を通じて「優勝しても表紙になれるとは限らない」というポリシーに迫ります。特に福島さんの大会での活躍やチームの地元コミュニティとの関わりについても言及し、トレイルランニングの新たな方向性を考察します。ポッドキャストでは、2025年のデイジーのイベントに向けた期待や今後の大会の規模拡大について議論しています。特に、UTMBモンブラン大会の意義やメディアの役割について考えられ、情報発信の変化が取り上げられています。さらに、鈴木さんと新田さんは、2025年に向けたトレイルランニングの未来や大会のライブ配信について議論し、トレイルランニングにおける選手の追いかけ方や100マイル走の計画についても触れています。

トレイルランニングの始まり
DogsorCaravanのポッドキャスト、RUN the World 2025年の締めくくるということで、スペシャルエピソードということをお送りしたいと思います。
高尾さんに来ておりまして、久しぶりに、この山の中で収録って初めての経験なんですけれども、
皆さんご存知、トレイルランニングの専門誌、RUNプラストレイル、そしてペスタスという地図系のトレイルヘッド、ウルトラハイクとかの特集で、いつも皆さんご覧になっているかと思いますけど、
そちらの編集されている鈴木光さん、そしてデザイナーの新田翔太さん、お越しいただきました。
いつも私もいろいろお世話にもなっていて、新田さん一人クザーとしております。直接お目にかかるのは久しぶりで。
まず第一声ということで、一言ずつご挨拶いただけたらと思うんですけど、いかがでしょう。
そうですね、RUNプラストレイルとトレイルヘッドの編集長をやっています鈴木です。
気づいたらずっとやってるなという感じで、そんな感じでやらせていただいています。
鈴木さんお願いします。
RUNプラストレイルとトレイルヘッドのデザインを担当しています。新田翔太と申します。
僕も気づいたら長いこと一緒に。
お二人コンビというか、一緒に仕事されるようになってどれくらい経つんですか。
2008年ぐらいかな、車のレース雑誌をずっと僕がやってて、そのレース雑誌で取材したものをデザインしてもらうみたいな役割分担で会社にいた感じなんですけど。
当時はモータースポーツ週刊誌を出してたんで、毎晩毎晩泊り込みで制作をやってたんですけど、ふとした時に運動不足だなと。
そうっすね。
そんな話は後でいいのか。
いいです。それでモータースポーツのレースがやってるサーキットで、ママチャリ耐久レースっていうのが当時めちゃめちゃ盛り上がってて、
8時間耐久でママチャリでみんなで走っても1000人ぐらい出たりとかする、そういうイベントがあるのを知って、
それにはちょっと出ようかって言って、会社のみんなで集まって出始めたんですよね。
そっから運動が始まった感じですよね。
そっからママチャリレースを、ママチャリをとにかく漕ぎ続けるっていうことで、運動不足を解消しようって。
運動不足。
結構レース会場が各地にあって、東北のナトリとかでそういうレースをやってて、
遠征したりとかしてたんですけど、2011年東北大震災で、そういうイベントが次々となくなってしまって、
どうしようかと、もうちょっと運動足りないなっていうことで、いろいろ探してたらマラソンを見つけて。
マラソン、ランニングのほうにそこからっていうキーワードが出てくるんです。
ランニングをね、しばらく我々はマラソンとか出始めて、走るのは嫌いじゃなかったけど、でもなんか2人でただ走るよりもなんか山のほうが気持ちよさそうでしかっこいいぞみたいな。
電子書籍の展開と成功
まあいろいろ探してたら、なんだこりゃって山を走るイベントがあって、でもそれでね。
僕は当時雑誌見て、初めてトレランのシーンを雑誌で、たぶんなんかエナジージェル系の広告の写真だったと思うんですけど、走りながら撮ってるシーンがめちゃめちゃかっこよく見えて、これだ!って思って。
その頃本当、お仕事では依然としてその車のレースの雑誌を制作されてたわけなんですね。
そこからこう、自分自身の健康のためというか、もうちょっと運動不足を解消した方がいいんじゃないかというところから、ランニング、そしてトレーランニングかっこよさそうっていう、そういう目線、なるほど。
東炭沢のレースを見捨てて、よしこれにも参加してみようと決意して、大会開催まで行ったものの、みんななんかギラギラしてて、すごい怖いイメージが。
単学、耐久レースの強いイメージの炭沢のレース。それにみんながアップしてる姿を見て圧倒されて。
その会場帰った途端になんか睨まれてるような感じがして。
確かにそういう中で、なんていうか、僕の偏見かもしれませんけれども、雑誌の制作、編集されてるってなったら、やっぱりなんていうか、おしゃれな人たちっていうイメージというか、ちょっと業界人みたいな感じで、
ガチでランニングやって、特に山の山岳マラソンとかやってるような人たちからすると、かなりナンパな人たちみたいな感じの見られ方もあっただろうし、
皆さんから見ると、ちょっと自分の周り付き合ってる業界の人たちからすると、なんか変わった人たちだなみたいな、お互いのギャップがあったんじゃないかと思うんですけど。
それも何となく受け入れられたということ?
最初でも怖くて、会会の会会挨拶。でもそのときは知らなかったんですけど、宮原さんがね。
宮原さんね。
本当になんか軍隊みたいだなって。笑ったとかなんか。
うわーこれどういうところに参加してしまったんだろうと思って。
でもいざ大会が始まって、最初は崖とか崖とかして、ちょっと怖さもあったんですけど、だんだんだんだんなんか気持ちよくなってきて、なんだこれはって言って。
でね、そっからなんか、ちょっとハマりはしなかったんですけど、また次のプレールラン大会に出てみようって。徐々に徐々にハマっていって。
そうですね。
僕は最初のその大会で、プレールランの大会で、マナソンでずっと勝てなかった当時の編集長がいたんですけど。
すきさんとは別の前の、別のそのときの編集長。
そういう経験でなんかすごいドハマりしたというか、好きになりましたね。
当時、少しずつなんかね、パシャパシャとカメラ持ってって、景色を撮り始めてたんですよね。
自分が参加した、そういう大会とかで撮ったら、
雑誌作ってるから、なんかそういうのがあったのかな。今ほど携帯とかデジカメもね、まだそんなのあったけど。
まあなんかこういうのを紹介するといいのかなって、単純にね。そっからね、
僕は最初にブログを始めて。
自身の個人的な?
それはマナソン走り出したことから始めてて、ママチャリのこともちょっと入ってました。
で、そのブログで、トルランのことをやり出したら、なんか意外になんか、みたいな。
そのブログを見たら、ママチャリのことのこともあるんですよね。
だから、僕がやったら、そんなことは見てないんですよ。
ママチャリのこと?
ママチャリのことやってたんですよ。
で、そのブログでトレランのことをやりだしたら、なんか意外にみんな読んでくれたりしてて
その延長でなんかこう、うちら雑誌作ってるんで
なんか電子書籍でやればお金もかからず、うちらの手間だけで作れるんじゃないかって
電子書籍を趣味で作り出したんです。
まずはそういう仕事とは違う趣味として始めたというところなんですか。
ちょうど電子書籍も始まったばかりぐらいのときにやって
ちょうどいいんじゃないかなと思ってね。
お金もかからないし、どんだけページ数作っても
多少ユーズを引くみたいな。
とはいえモータースポーツの雑誌が中心にやってたんで
やっぱり電子書籍が趣味としてなんで
モータースポーツ雑誌を作って終わった後は夜中?
そうですね。
作ってました。
2人で話して、こんなのやってみよう
こういう企画やってみようとか写真見ようとか
そういう話し合ってたって。
なんか青春っぽいですね。
仕事終わった後ちょっと面白いことやろうよなんて。
しかもだから、ちゃんとした大会じゃないとカメラマン呼びたいっていうので
車のレースを撮ってる人を来てもらって
我々からミッドを出して、わずかですけど
そういう感じの本当の趣味の延長からね。
それ時期でいうと何年ぐらいですか?
2011ですね。
2010ぐらいがちょうどブログをやってたぐらいの時期かな。
雑誌が2012かな。
4冊電子書籍作って、4冊目を始めて
じゃあ1冊1000円で売ってみようっていうので売ってみたら
すごい売れて
それ印刷したものとして。
いや、印刷じゃなくて電子書籍のものを売ったんですよ。
会社にだからこんだけ売れたんで
雑誌もいいんじゃないですかって言ったら
じゃあやってみるかと。
したと。
そうしたと。
トレイルランニングの魅力と影響
ちょっとアウトドア系のカメラマンさんにもお願いしてみようって
お願いしたのが宮上くんっていう人で
今ピークくんの編集長やってる。
なんか、なんだっけ、どこだっけ
どっかのラーメン屋で
宮上くんと僕と鈴木でいろいろ話して
どんどん作る感覚が
そんなカメラマンの宮上くんがまさかのピークくんの編集長になる
そこから作ることが始まりましたね。
すごいですね。
だからちょっと
読んでると
今になってみれば
今やもう
印刷してる雑誌としては
唯一のトリラジの専門誌
日本における専門誌ということになったので
本当に本流中の本流みたいなイメージが
ありますけど
そういう意味で言うと
例えば山形さんの
そういう山のホールの専門誌から
アップロードされたりとか
ランニングのほうから
三浦さんとか僕で会ったりとかする中で
ちょっとこう
職のなんていうか
ご存在ではありますよね。
そうですね。
本当に
やっていきたいと
僕が決めたのは
北炭沢だったかな
下りで
おっさんが
ちょっと髪の薄いおっさんが
バックに縛りながら
降りてくる写真が一枚
アイドレーションがね
振り乱れながら走ってくる
当時の編集長は
そんな写真は小さく使ってしまえと
言ってたんですけど
北炭沢さんの写真だぞ
俺通りには
これだろうと思って
これドカンと行かないと
意味ないだろうと思って
ドカンと
気持ちよかったですよね
その
ご自身たちで
どういうものにしたい
どういう
プリントアンプラストレイル
作りたいと思われたっていうのは
あるんですかね
例えば
プリントアンプラストレイル
あるんですかね
その頃あったかどうかわからないですけど
今お話ししたような
登山のほうからこういう山の
文化のちょっと違うバージョン
みたいな感じで紹介するっていう
考え方だったり
陸上とか走る人たちのための
もう一つの選択肢として
提案したりとかっていうのは
割と編集者の
これまでの経験とかが
そういうところに来てきたりすると
思うんですけど
創刊当初はやっぱり東日本大震災直後で
世の中がこう
結構自粛自粛のムードが
強くて
なんか
自粛自粛のムードが
強くて
自粛自粛のムードが
強くて
自粛自粛のムードが
強くて
自粛自粛のムードが
強くて
自粛自粛のムードが
強くて
そうじゃないんじゃないか
っていうのがあって
トレランってそれを壊せる
自粛ムードとか壊せる
エネルギー持ってるんじゃないか
っていうのでそういう力強い写真
みたいなのをね
開催して
トレランニング大会
で走ってる人は
ものすごい力強い人もいれば
気持ちよく走ってる人もいるし
いい顔してるな
こういう
そういった写真を届けられれば
元気が与えられるんじゃないかな
そういう
思いも一つはありました
始めた当初は我々も
結構バリバリ走って
今はそんなあれじゃないんですけど
結構レースに出ながら
自分の選手として走って
写真撮ってレポートするみたいな
スタイルでやってたんですけど
結構大事にしてたのは
コース上にいるカメラマンさんの
視点じゃない選手の視点の
写真を撮ろうみたいな
いわゆる
カメラマンさんは向かってくる
顔が見える写真を
撮るわけじゃないですか
我々はじゃなくて
選手の目線って
鈴木さんと新田さんの視点
向かってくる方じゃなくて
みんな後ろ姿というか
その視点の写真を結構大事にして
選手が見た写真を
景色を届けようみたいなことは
結構こだわってましたけど
その
撮れるなんて
順位の層でもなんか
面白さが変わってくる
周りにいるですね
県政庁のほうは早かったんで
その層の取材を
僕は遅かったので
後半のほうの人たちと
喋りながら楽しくいくみたいな
写真撮ったりとかして
そういうところを
紙面に反映させていくみたいな
一回だけ面白いエピソードをして
一ついいですか
8月ね
上田瑠衣くんが7時間1分でしたっけ
走った時
あの時7時間経った時に
しんねえさんは
第一関門に到着したんですよ
第一関門到着して
上田瑠衣くんが7時間で
フィニッシュしたみたいな報告を受けて
まじか
まだ20キロぐらいのところですね
26キロぐらいのところ
あまりにも運動不足っていうのもあったし
徹夜徹夜だったんで
普通に
全然おかしいのよ
そういうぐらいの
困難なコース
特に序盤のね
いきなりハーブですからね
暗い山の中で笑っちゃって
もう5分しかやってないから
こっちはこれからだ
周りにも何人かいて
笑っちゃって
そんな話をしながら
言ってました
そうすると
この雑誌にも
お二人の視点
それぞれの
目線から見たものが
織り込まれることによって
いろんな
こう
なんか
いろんな
難しさというかね
いろんな面から
同じイベントでも捉えられるっていう
そこはだから
意識して
誰かが企画して考えたと
そういうふうにデザインしたというよりも
お二人が
そこに仕事をする中で
自然とそういう視点が
こういうふうに
雑誌のランプラーストーリーブログに
反映されていったという
雑誌の編集プロセス
ことなんですよね
連邦性を
立てたわけじゃないし
見てきたものを
持ち帰って
雑誌って
台割り
ページの順番作ると思うんですけど
うちもだいたいは作るけど
もう
入校前まで
ガラガラこう
台割りの意味はなしてないっていう
昔の雑誌の作り方って
その台割りをまず決めて
この大会は
4ページで
4ページって決まってたら
4ページ分の取材を
しに行くのが
編集者として当たり前だったんですけど
現場行ったら
めちゃめちゃ面白くて
4ページなんか絶対無理だってことあるじゃないですか
それをだから
僕が編集長で
そういう話を新年さんにしたら
そっちでかくした方がいいんじゃない
みたいな
結構
その都度その都度
自由に作ってるというか
それって普通のことは
他の例えば
会社のね
3Aの方にもいろんな雑誌
もっと大きい取材チームがいる
編集チームがいる雑誌とか
多分あるんだろうと思うんですけど
そういうとこだとなかなか
そこまではできない
やっぱりしっかり台割りを
固定しないと
いろいろお金のかかり方とか
いろいろあると思うので
上手く進まないと思うんですけど
じゃあ
2人で作って
ちょっとメッセージ送ったら
じゃあ変えておくみたいな
それの柔軟さが
作ってて
ボリューム感とか
少ないとか
あったときはちょっと縮めたりとか
あそこはストーリー性が
あったよねって
っていうときにはちょっと
増やした方がいいんじゃないって
デザイナーが言うのはおかしいんですけど
そうやって
やってますよ
物言うデザイナーって
意外に少なくて
普通はだから編集がね
昔で言うと偉いじゃないですけど
編集が決めたことは
その通りに
デザイナーを挙げるのが
後にするのが仕事はみたいな
ここの場合は
編集長の
あれは一番軸が
その
肉付けができればいいのかなって
感じで
作ってはいますね
じゃあこう
編集とデザインみたいな
役割はあるにしても
お互いの信頼感だったりとか
いうこともあって
編集長の
役割はあるんですけど
編集長の
役割はあったりとかいうこともあって
思うことは
ぶつけ合いながら作る
アンパンストーリーが
トレランの未来
生まれてきて
批判はあるかもしれないけど
大会に優勝したからって
その人が
表紙になるっていうことが
うちはあんまり
そういうことないですね
大会に飛び込んで
取材した中で
ストーリー感じた
ところの人
を出すとか
そういうのが
多いような感じがします
そういう
視点があったことと
二人の
パーソナリティが
あってこそ
出版特に紙のメディアが
全体的に
減ってきている中で
この小さいスポーツの中で
今日まで13年になりますか
2012年から
そうですね
雑誌は13年です
すごいことだし
背景にある
秘密というか
伺っただけでも
普通に会社で
会議を経て生まれてきたという
雑誌とは違う成り立ちを持っている
ということなんですよね
そこはやっぱり秘密があるのかなと
思いました
雑誌の会社なんで
そういうのが
どのくらいに
価値があるのか
そういうのが
どのくらいに
価値があるのか
それぞれちょっと
おそらく
キツい目では
見られる
何やってるんだって
でも最近ようやく
いい感じは
見られる
たら全部それをこなしながら他の編集部ってやってるんですけど 我々はもう一人が足りないんでもう無理です
youtube やまいって消えやってたんですけど社内の人実だと思う そこを追いかけずにウェブサイトすらないんですよあればでしょうね
紹介海外の人とかにランプラストレールの雑誌の紹介をする時にウェブページがあんまりない 販売ページを一緒に貼るけど
なかなか紹介しづらいっていうのは海外の人とかで紹介しづらいっていうのは
やりたいですけど体力的に そうですね
持たないというか なんかこう
そういうね例えば他の雑誌で言ったらなんか自分たちの雑誌で言ったらニュースを みたいなこうサイト作ってますけど
そういうのはねもちろん やれなくもないんですけどまあ岩津さんもやられてたり
もう一個トレーナーの.jpさんがあったりとかするんで そこはもうお任せして我々はもう
ウォールドメディアの紙でやっていくしかないなみたいな諦めが逆に良かったのかなと今思ってたりするんですよ
そうそう集中することですね
そこでやっぱ分散していったら結局ウェブとかYouTube頑張ったら雑誌が
雑誌必要なくなっていく方向にどんどん行くような気がするんですけど
まあやっぱり紙のメディアの良さっていうのはやっぱり
何でもそうですけどレコードも ビニールバイナルレコードは歌えたと思われつつもなんかここへ来てちょっと注目されたり
見てあったりとか写真もねデジタルカメラって言ってたけどなんかフィルム かなり高いけど元々はちょっとカメラね
そういうアナログなフィルムのカメラとかが注目されたりとかあります
やっぱりどこかそういう続けていくことでまたチャンスというかいろんな価値は残っていくということだと思うんですけれど
けどこの間どうですかねやっぱり最初の成り立ちから始まってこの10年間
2人を中心に雑誌を作るっていうところは変わってない色々ねあの途中で協力されたり
抜けられたりとかってことはあったのかと思うんですけど基本的なところは変わってないのかなと思うんですけど
なんかこう10年作る間に少し紙面のこともそうですけど作り方の発想とか変わってきたことって何かあったりしますか
そうですねありますね
ちょっとこのブラックな部分を埋めて何か
それは嘘なんですけど
でも我々がバリバリこう
我々の雑誌を創刊した頃ってやっぱりUTMFができて100マイルのブームがみたいなのがカーッときてて
我々もそれに乗ってUTMVも行きましたし
なんかやっぱその参加者として一緒に盛り上がりながら雑誌も作ってたみたいなところがあって
まあ今はそれが落ち着いて普通の雑誌屋さんになって雑誌を作っている感じになっちゃったんですけど
でもまあもちろんその自分がやってた部分の経験っていうのはものすごい生かしながら
じゃあ今はこういう情報とかが欲しいのかなっていうのを考えながら作っている感じですけど
自分がやっぱりねあんまりレースとかにほぼ出なくなったっていうところがやっぱり不安な部分ではありますよね
まあ現場にはいくにしても
現場行ってるんですよ
間近行ってると思います
あとは
やっぱニーズもね変わってきたというか
昔のようなその小っちゃいコミュニティ
トレランって本当に小っちゃいコミュニティだったと思うんですけど
そこがやっぱり今こう一般
もうちょっとね一般化しちゃって
そういうところにじゃあどういう情報を届けるのかっていうのが
もっと例えばギアなんかアパレルとか新しいシューズのトレンドとか
やっぱりそういうかなり植物的というか
いろんなスポーツのスピジットというよりは
なんかもっと植物的なギアの紹介が求められるとか
そういうようなこととかもあったりするんですか
昔の感覚ちょっといいか悪いかは別に
昔の感覚は知り合い仲間に
仲間のために雑誌を作ってるのを顔の見える人たちってことですね
読んでくれてその反響が予想できるような感じがありますよね多分
今はなんかその顔の見えないって言ったらおかしいですけど
より自分が想像できないような人たちっていうんですかね
そういう人たちに届けないといけないみたいなところで
情報を集めてる感じはありますね
探り中です
それは例えばもう少し若い人たちだとか
女性にもっと向けて
そういう目を広げないといけないと思ってらっしゃるとか
ちょっとその辺はもしかしたら秘密的に話題もあるのかと思うんですけど
ちょうどタイミング的に来年からちょっとそういう方向に
年型というか
いわゆる本当にがっつり山に行かない層にも
トレランの楽しさとか魅力を伝えたいなと思って
ちょっと来年そういう都市部でできるトレランの遊びみたいなのも
提案したいなと思ってて
最近ブラベルとかね
そういう話題とかも出てきて
いろんなブランドさんでも
オネソイシューズとかも出てきてるし
一つそういう
まだ一般的なランナーの皆さんにとっては
話題になる機会少ないかもしれないけど
そういう
いろいろトライすると
ああこうなっちゃったかっていう人もいるかもしれない
いろいろトライ中なので勘弁してほしい
まだまだいろんなね
トライトライ
一個でもヒントになったのは神戸トレイルですね
これはやっぱ2年連続取材で
神戸トレイルってやっぱ
かなり町に近いところで
いわゆるトレランの関係者
トレイルランニングの魅力を広める
レース関係者と関係ない人たちが
ぜひぜひする
ような場所でやってるんで
認知度の広め方とか
全くトレラン知らない人たちが
トレラン見た時の反応とかを
見れたんですよ
その時に思ったのが
トレイルランナーって今どっちかっていうと
人気のない山奥行ってレースやって
終わって帰ってくるみたいなのが
トレランをもっと広めるためには
トレイルランナーが山から降りてきて
トレランってこんなに面白いんだよみたいな
魅力を伝えなきゃいけないなって
そういう発想がちょっと出てきて
その時にやっぱ神戸トレイルとか
広島ワンアントレイルとか
街型の
あるレースを大事にしたり
それに繋がるなんか
ちょっと手前の何かを
我々がなんか提案できたらいいな
みたいなことを思い出して
ちょっと来年それをトライしてみようかなと
思ってるんですよ
そうですね
むしろなんかランプラストレイルが発信する
イベントとかなんか
レースみたいなのとか
それはちょっとまた違う話だろうかね
たまたまね
その一方で
トレイルヘッドという雑誌
別冊として
こちらは僕は正直そんなに
まだ不勉強で
いつぐらいからそれが出てきたのか
あまり把握できていなかったんですけど
こちらは今おっしゃってたような
文脈で
少しそういう
読者層
広い読者層を意識されて
たっていうことの
特徴とか
ある意味で
その
トレイルヘッドは
実は僕はもうずっと前から
登山の雑誌を作りたいなっていうのは
言っててですね
そうなんです
でもなかなか
そんな時間もなく
人手もなくて
見送ってきたんですけど
コロナになってしまった時に
なんかその
トレイルランプだけだと
でもなんかもうちょっと幅広く
自分たちも
提案できるものは欲しいなっていうので
じゃあ一回登山の雑誌を
作ってみようかみたいな
単に登山の雑誌っていっぱいあるんで
そこを追いかけるんじゃなくて
なんか自分たちらしさを出すために
っていうので軽量登山っていうのを
専門にした雑誌ってないんで
それをじゃあ
やってみようっていうのでやり始めたんです
軽量登山
軽量登山最前線
特装最前線
トレイルヘッドだけじゃ
わかんないから
ロゴとして引っ付けてしまえ
軽量登山最前線
僕の頭の中に昔
特装最前線
そこから来てるんですか
それはちょっと面白い
自体にして
っていう感じで
ロゴを作って
そこからスタートして
僕たちも割とトレーナーレース
出なくなって
どっちかって言ったらファストパッキングって
トレーナーやった後にやって楽しんで
そこからまた
ファストパッキングからもうちょっと楽な
ハイキングとかロングトレイルとか
ちょうどやりだしてて
なんか
自分たちのやってることに
ランプラストレイルを作った時と同じような
ひも付けて
作り始めたところがあるというか
そこはご自身たちの
スタイルというか
やってるアクティビティやることの
変化してきたことの
反映でもあるわけですね
面白いですね
ロゴの上に
ULハイキング
トレイルランニング
ロングトレイル
いろいろ書いてはいるんですけど
今はロングトレイルと
ギア
その中に
トレイルランニングも書いてある
ストーリー
の中で
その人たちが使った
道具とか
うまく紹介していければいいかなと
そうですね
道具って結構
みんな興味あると思うんで
人の道具をそのまま
割れてもしょうがないですけど
その中から
きれいに
その人の道具を配置して
いろいろ見えるような形にして
そこからつまんでいって
自分の道具を
作ってもらえればいいのかな
という感じで紹介してます
なるほど
なかなか
ちょっと私も
2つの私
それぞれに
2人のかなり個人的な
興味の
移り変わりが反映されてる
っていうのが
ちょっと
具体的に初めて
伺ったので
羨ましいっていう
言い方は変ですけど
読む側にとっても
そういう背景があると
親しみが
持てるというふうに思いました
なんかギアって
昔もトレーラーニングで
UTMF
始まる前に走る人たちに
声かけて
情報を広げたり
面倒くさい
申し訳なかった
ダンプキャスターで
道具を広げて
そういう地面づくりがしてて
そういうところにすぐに
方角があったわけだ
そこにトレイルヘッドの中に
放り込んで
見せていくような
一応ランプラストレールの流れは
あって
軽量登山の雑誌の展開
ランプラストレールを
読んでいた人が
同じくらいの世代ですけど
そこから
もう少し
視野を広げたときに
トレイルヘッド
ちょうど
同じような
感覚と同じような
人にある
ビッグが眺んでいると
トレイルヘッドをやり始めてから
その後いろんな遊びに
変化していってる人たちもいると思うので
そこにトレイルヘッドがあると
より
広げて
見てくれるのかなと思って
昔より境界線がなくなりつつあって
ロングトレイルっていう
今ハイキングのために
ロングトレイル作ってるようなイメージなんですけど
そこでトレランレースもやるよ
みたいなところも増えてきたりして
だからなんか
ハイカーとトレランの
境目がだいぶなくなってきてるような
気もするというか
道具もね
ほぼ変わらないですし
じゃあ
時代が追いついてきてると
追いついてきてると
大木さんとしんぜいさんの
作りやすい環境には
なった気がしますね
ちなみに
ロングトレイルってたぶん
2013年ぐらいでしたっけ
日系トレンディーかなんかが
予想したと思う
予想してなんかね
国内ロングトレイルが流行るみたいに
あった時は我々も一切興味がなかった
その時はまだ
目が開かれてなかった
全然
あの時は100マイルにまだ夢中だった
なんかね
2021とか22ぐらいになって
トレイル作り出した時に
そういえば昔ロングトレイルっていう時
流行りかけたよねみたいな
で今どうなってんだ
っていうところをいろいろ調べ出したら
なんか逆に
東海自然報道とか
道の串岡で撮られるとか
盛り上がってるじゃないかみたいな
今こそやってみようみたいな
2025年の振り返り
お自身たちにとってもまだ
だから
ランパーストレイル始めた頃には
まだ予想もしていなかった
展開だった
そこも意外ですよね
確かに言葉としては
既にあったし
例えばアイカウスデポとかね
既にああいうお店があって
発信されていた記憶がありますね
トレイランニング始まった頃が
決めたばっかりの2010年とか
そういうことはありましたよね
軽量登山と歌ってるんですけど
ただ単に軽量にすれば
いいわけではないっていうのを
しっかりと伝えるために
伝えるために
とても大事ですよね
質問だけじゃないということですね
そうですね
とりあえず行きたいんですけど
できない
コーヒー入れてもいいですか
そういうわけで
ご紹介すると
ランパーストレイルは
先週ですか
11月の28日に
発売されまして
今週の
12月の18日は
トレイルヘッドも
第7号
発売されましたので
ぜひぜひ
お聞きの皆さんも
お手に取っていただければと思います
それで
お二人のお話を伺ってきて
ここから先に
2025年
振り返り
いろんな話題があるので
印象に残ったことをご紹介いただければ
と思うんですけど
この企画の背景を
ご紹介しておきますと
実はこの
ロッドキャストアドベントカレンダー
2025という
企画の一つで
エピソードを
お送りしております
これはリッスンという
フリーランナーの皆さんに
お馴染みの
1位のロケーションのサービスがある
やっていらっしゃる
いぶきのサービスを問いかけている
近藤純也さんが
もう一つ最近力を入れていらっしゃるのが
ポッドキャストということで
リッスンというサービスがあるんですけれども
そこで企画されている
トレイルキャストという
ページがあって
そのポッドキャストの
12月1日から
クリスマスの日まで
毎日一つずつ
そこに参加する
エピソードを公開していくということで
このドクターキャラバン
ラウンドザワールドのエピソードが
明日公開予定ということで
今日撮っているという
撮手出しです
お二人はそういうポッドキャストとか
聞いたりとかあるいはもしかして
自分で喋ったりとかということもされたりするんですか
もしかして
聞くのはあっても
好きで
あともいろいろ
芸人の人も
聞いたりしてます
自分自身は興味はあるんですけど
でも昔
2004年ぐらいに
デジオっていう
コミュニティの中で
だいぶ20年ぐらい前
田中さつきさんという人だったかな
そういう人がやってた
コミュニティの中で
喋っている
音源アップしているみたいな
そういうのが流行っている
ときがあって
盛り上がったとき
ちょっとそれに参加したことはありますね
でも恥ずかしくて
アップしてはすぐ消したりとか
して
じゃあ今度は
ランプラストエイルあるいはトレイルヘッドの
ポッドキャストの
もう
制作者として
しんだいさんの
いいかもしれないですね
そうね
見てくれないし
いろんな取材の過程で
ネットワークなんかありそうだから
いろんな話題を
ネタにはこと書かない
っていう言い方もちょっと下品かもしれませんけど
いいかもしれないですよね
もしやるとしたら
一体一回キャスト
アシスタントとして
なんか
そんなことで
いろんなトレイルランニング界の
なだたるエピソードが
25日間続いているという中で
近藤さんが私にも
誘ってくださったので
井上一番に
日を予約させていただいて
そして前日に収録しているということなんですけど
それはいいとして
2025年の
トレイルランニング界の
振り返りということで
ちょっとなんか
2025年への展望
印象に残ったこととかを
ここで
お互いに紹介し合いながら
そういう話のためにできたらいいなという
考えにいるんですけれども
いかがでしょう
お二方から
今年印象に残ったことは
というとやっぱり
ランプラストレイルの最新号の表紙になった
菊島さんが一番
自分の中では
実は
ランプラストレイル始めたときの
小関の
最初の表紙が
菊島さんだったっていうのがあって
その当時から菊島さんは知ってて
ずっと見てきた人で
一回怪我とかいろいろ苦しんでる時も
あったりしたんですけど
今年すごい結果
43歳なのにっていうところ
結果を残されて
今まで
破説で買ったら
菊島さんもちろん表紙ですよみたいな
暗黙
互いにそういう感覚でやってたんですけど
今年を延ばすと
もう表紙が
ないかもしれないなんて思いながら
菊島さんの
思いとか
我々が知っている13、14年とか
っていうのを含めて
まとめたいなっていうので
ああいう号を作らせてもらったんですけど
最新号がね
菊島さんの
大特集というか
破説名での活躍が
すごく
僕が始めた頃
20代の頃だと思うんですけれども
2000年
だから90
とかその辺りとかですよね
毎年もう本当に
上位の上位だけどもまだ
優勝には手が届かない
いろんな大会
とかもあったけどなかなかその
早い活躍はするんだけど
頂点にはなかなか
立たない立てないちょっと分からないけど
そういうところが
彼の
キャラクターに重なる
必ずしも
目立つところに
どんどん立つという
わけではないんだけれども
独特の存在感も
しかもそれがもう
20年近くになろうとしている
っていうことでそのキャリアがね
あそこまで
一途に説明ができずに
毎年毎年
何年ぶりでしたっけ
10何年ぶりかの
位だったんですよね
調べて書いたことあったんですけど
そこは今回の
バストレールの読みどころだと
思うので
個人的にもめちゃめちゃ嬉しかったですし
なんかやっぱり
でも
バストレールの
読みどころだと
思うので
やっぱり
僕も
デザイナーなんでそんな
調べたことはあんまりないんですけど
やっぱり嬉しかったですね
最初の頃から
出てもらって
後ろからずっと
取材してて後ろからずっと
行ってたんで
福島さんが
あの位置に来たっていうのは嬉しかったです
今回も
表紙にしたのは
富士登山競走3位
っていうのもあるので
総合的に見て
福島さんだなって
説明とか
そういうところの写真を使っても良かったんですけど
ちょっと時間ないけど
やっぱり
福島さんを連れて
ちゃんと
走りの写真撮った方がいいんじゃないかと
いうことで
ちゃんと撮影に行かれたわけです
シューティングに
富士山の
その表紙を
撮りに行くぞって言って
富士山登った日が
5号目車で登って待機してて
朝5時くらいから日の出
めがけて行こうって
表紙の重要性
7号目くらいで撮影しようとしてたんです
もう朝からガスガス
これはちょっと
無理だっていう判断で
でも無理だけど
とりあえず上行ったら
雲が抜けるかもしれないみたいな
3人で
カメラマンの三井さんと福島さんと
3人で上がってて
全然雲も晴れなくて
これはちょっとダメだなって
3人が3人と思ってたんですけど
日の出のタイミングの
10分くらいだけ
なぜか雲がサッと引いて
朝日が福島さんを照らしたっていう
奇跡のような
1枚撮れた
そこが
解釈すれば
お二人の
福島さんと三井さんの
思いが通じたということで
本当に10分後にはまた雲が来ちゃって
ガセガセになっちゃったんですけど
この本当の朝日の瞬間だけ
それが紙面でも
採用されているということで
よくちょいちょい
そういうことはあるよね
粘ってるとなんか
一瞬ガリガリと
雑誌もそうですよね
あきらめずに
紙媒体にこだわってやってきて
なるほど
信じて
チャンスを持てば
報われると
そうか
そういう
個人的な思いも
福島さんの
福島さんは
ハゼスネ優勝という
突破はしてないんですけど
突破してなくても
突破力ある人ってやっぱり
突破力持った人っていると思うんですけど
なんか福島さんはもう持ってるんではないかな
みたいな
そういう思いも込めて
ああいう突破力という言葉も
使わせてもらったんですけど
私も今回は
あまり取材
先ほどもお話して
少なかったですけど
辞でレザルトだけを
追ってるだけの1年間
でもないんですけど
それ時間が多かったですけど
けどやっぱり福島さんの名前は
他にも確かFTRとか
あるんですよね
ですよねとかあったから
活躍が際立った
1年だったかなと
しかも怪我とかでね
ちょっとしばらく名前聞かない期間もあったから
なおさら
一緒に残りましたよね
オールドファンというか
我々の時代にとっては
若い頃から大活躍してた福島さんが
今もまた
こうやって
話題に昇るっていうのが
すごい素晴らしいというか
一緒に残りましたよね
なんか光が出たとて
いい形じゃないとどうなんだろうと思ってたけど
写真も送られてきて
写真もね
神殿さんとしてはそこも
写真家さんがやってくれた
さすがだなって
これはロゴの上に毛を
重なるように
なるほどね
しんでさんはそういう意味では
ご提案いただける話題としては
どうでしょう
親の怪我が始まって
2025
すぐ見てないんですけどもすいません
ただ
紙面を作るときに
写真とかいろいろ見てて
個人的に
思ったのは
加賀スパトレイル
もちろん
いろんな問題が
あったと思うんですけど
YUTMB
やる意味って
相当大きいんじゃないかなと
見た瞬間に
思ってですね
YUTMB
っていうものを
やっぱり頂点として
見て
やっぱりそこを
みんな走ってほしいし
そこを頂点として見て
ここが
踏み台っていうか
ステップとして
一つを作ってくれた
っていうのはとても大きかったんじゃないのかな
って単純に
そう思いましたね
これはとんでもなく
大きいことなんじゃないかなと
個人的には
思いました
2025年
これなんじゃないかな
大したことは
言えないんですけど
やっぱり私も
現地の
中場運営というか
プロモーションというか
対外発信ということで
私も少し中に少し
足を踏み入れてお手伝いさせていただいたこともあって
地域との結びつき
いろんな苦労というか
ちょっと
やや
なんていうか
準備不足というか
潔み足と言われたようなことも
ないわけじゃなかった
ということは現実として
あったとは私も感じましたけれども
ただ
これを実現することが
いかに大変なことだったかということだと
大きな意味を持つかということで
全く私も信頼さんと同じ
ふうに感じます
特にやっぱりUTMB
は今やもうなんていうか
社モニで開催されている一つの大会
というだけではなくて
トレーラーニングの在り方とか
例えば環境への配慮とか
もそうですし
あるいはこの競技のレベルとか
運営のクオリティとかいうもの
世界水準
最先端のトレーラーニングの
あるべき姿を示しているような存在
でもあると思うので
そういう大会が日本にあって
それが
加賀の山中温泉の
ローカルな
コミュニティと結びついて
開催することができたというのは
すごく大きな意味がある
と感じましたよね
そのローカルなコミュニティのほうは
まだあまり皆さんの目に触れていないんじゃないかなと思って
僕もそこまであまり詳しく知っているわけではないんですけれども
例えば今回も
先週に
千枚の
UTMBの大会に行ってきたんですけど
そこにも
加賀の地元から
10人くらいかな
いらっしゃって
だから
山中温泉にお住まいで
そこで生活して
大会の
実行委員会のメンバー
いらっしゃっている方たちが
パワースポーツの
滝川さんとかと一緒に来て
どんな大会なのか
というようなことを
自分の目で見るということも
されていて
そこに
単に
滝川さんが持ち込んで好きなようにやっているという
面はないこともないのかなと
思いますけど
それだけではない
地元のイベントとして育てていく
という
地元の熱意というか
そこの意欲というのを
感じて
これから
育っていってほしい
そういう面でも
期待したいなというふうに
思いましたよね
鈴木さんは加賀は
加賀でしたね
現地で見ましたけど
やっぱ良かったですね
地元の人がめちゃめちゃ喜んでいる
感じがして
そういう視点で
レースを見ていたんですけど
レースの展開というよりも
本当に
スタート会
直後に通る
ストレートの脇で構えている
商店の方と
お話しさせてもらったり
して本当に
歓迎されて
レースができて
山中温泉という
レースがあったにも関わらず
世界戦になったら
注目も上がるんだ
喜んでくれるんだ
というのを見て
こういうのが必要なんだ
と思って
頑張ってほしいなと
他人事じゃなく
自分も協力できることがあれば
滝川さんにも
協力したいなと思いましたし
足りないところは
みんなで補って
確かに
だけど
健康のこととか
2026年の大会準備
気温のこととか
なかなか予想外のところもあるので
そこへ参加された方にとっては
厳しい経験された方も
あったと思うので
違いにそんなもんですよ
と言ってしまうのは
心が痛むところが正直あるんですけれども
ただやっぱり
そういう
これから個人的には
期待していきたいし
いい大会になっていくんじゃないかと
思っているし
もし可能なら100マイルとか
もう少し
イベントの規模が大きくなってくれたらいい
と私も思いますけれどもね
本当に逆風の中で
自信もあったりして
よく本当に
やってくれたなというところがありますよね
テッカーさんからは
いつだったっけ
先月に
我々はもう来年の
やるんだろう
2026年やるんだろうと思っているんですけど
無事契約金も払えたので
決まりました
という連絡をもらったので
なかなかやっぱり大変なことなんだと言って
当然来年もできるでしょうというものじゃないんだな
というのは改めて
テッカーさんから連絡を
いただいて感じましたけれども
それ以外にも
さっきもちょっとちらちらお話ししましたけど
あともう
他にも国内に
BIUTVの大会
これからできるやもしれん
あるいは国際的なレースシリーズにつながる大会が
またできるかもしれないという
ような話もあるので
その辺りはちょっと期待したいなと
思いますね来年もね
UTMBモンブランの重要性
じゃあ私からは
どうしようかな
いろいろある
分散してしまいそう
なんですけれども
じゃあこれですかね
やっぱり
UTMBモンブランと
そのメディアでの
としてのから見た
モンブランということでしょうかね
UTMBモンブランはご存知
社務委員で毎年8月の終わりに
ある大会なんですけれども
いろんな面で
すごく
いろんな
節目になるなと思ったんですよね
レースのことで言えば
トム・エバンス・ルース・クロフトって
それぞれ
100マイルのレースで優勝されたんですけれども
やっぱ彼らは
交通のコーチから
トレーニングの
コーチングを受けていて
特にトム・エバンスとかが
インタビューの後に語った
家族3人
奥さんと子供
ちっちゃいお子さんと社務委員に
もう2ヶ月ぐらい
居て住んで
それだけじゃなくて
栄養士さんも
あとフィジオセラピストも
いて
5人とかで
まさに自転車の
フランスのチームみたいな感覚で
みんなで一緒にチームで住んで
このレースのために
集中していたんだっていう
話があって
そこまでの
やっぱり情熱を傾けられる
イベントなんだという
トム・エバンスさんがやってのけた
レースのパフォーマンスもさることながら
そこまでやっぱり
いろんなお金とかも含めて
大変だったと思いますけれども
傾けることができて
その結果が
モンブラン優勝だったというのは
衝撃的というか
いい意味で
日本のアスリートも
かなり衝撃を受けたと思うんですよね
刺激を受けたと思うんですよね
そこまでできないよとは思う反面
やっぱりそういうふうに
そこまでやる価値のあるスポーツなんだ
ということを確認できた
っていうことは
すごい良いことだったのかなと
いろんな面があるんですけど
もう一つ感じたことは
メディアとして自分がどう関わるか
体験として
感じたことがあったんですけれども
実はこのモンブランは
2021年に行ったのが最後で
UTMBモンブランの取材は
だからもう
22、3、4年
行ってない
スーサンたちはいかがですか
コロナ前から行ってないですね
それは
お金ないとかそういうこともあるんですけれど
モンブランの側も
やっぱりこの大きなイベントとして
成長するにつれて
小さなメディアが行っても
なかなか
以前のようには取材するの難しい
例えば細かいことで言うと
フィニッシュラインのシュートのところで
一番最後にカメラ構えて
入るじゃないですか
そこはメディアしか入れない
っていう話なんですけれども
やっぱりもう今は公式のメディア
とかかなり厳選されていて
あのスペースに入れる
例えば僕とかが行っても
もう入れないと思うんですよね
そういうお金デポジットで
デビューとか渡されるんですけど
そういうことも難しくなってる
この間のチェンマイとかもそうでしたし
やっぱり
イベントの規模が
大きくなるにつれて
そういう写真みたいな素材とかっていうのは
公式でいろいろ
撮影してそういうものの供給を受けて
そういうものを使って
レポートしていくとか記事とか
そういうアウトプットを
作っていくっていう風な時代に来てるのかな
という感じがなんとなく
してきているんですよね
前みたいにマウントフジとかも
そうなんですけれども
現地に行ってフィニッシュライン
選手がトップで来たのを
誰か見てそれを写真で撮って
その場で紹介してっていう
ようなこととか全部大会のオフィシャルで
いろいろソーシャルメディアのチームとかいて
やるようになってきていて
なかなかそこで付加価値つけるのは難しい
ということになってくると
メディアとしてどういう
視点で
そういう大きなイベントを紹介して
いったらいいのかなっていうのは
考え直さないといけないのかなっていうのは
感じるんですよね
ライブ配信の可能性
ある選手の
ストーリー
菊島さんじゃないですけれども
こういうストーリーを持った人が
今こんなことをしているとか
あるいは家族とあるいはチームのメンバーと
英語でこんな言葉を交わしたとか
いうようなことだったりとか
あるいはライバル同士の
いろんなコミュニケーションだとか
かなりマニアックというか
そういうところに目を
向けるというか
そういうアンテナを張ってないと
わざわざ言って
シャモリンまで行きましたと
言って
何かレポートしますとかということの意味は
見出しにくくなっているのかなという
そんな気がしてきました
日本にいるほうはね
現地の情報が入ってきたりしますよね
そうなんですよね
私も正直言うと今年はライブ配信ずっと見てます
現地にいてもね
あそこまで見えないから
それを見て
そのインタビュー
そこで流れているインタビューを
元にして記事を書いたりとかですね
そういうのは本当に現実
そのほうが
いいものが作れるというか
いうような気がしてきたりも
するんですよね
前東京マラソンの
作った時のガチガチで
まだ入れないとか
そういうことですよね
そうなんですよね
イベントが
日本の小さなイベントだったら
みんな顔見知りで
フィニッシュラインも
メディアも入るし
友達も入るしみたいな感じでできるけれども
なかなかそういうことが成長するにつれて
そういうことが難しくなってきている
という気がしましたね
もう一つだけ
UTBに関連して言うなら
ライブ配信に関連して言うなら
ライブ配信はすごく
鍵になってきていると思うんですけど
日本でなかなかやるのが難しくなってきて
難しいというか
僕も
2018年
19年と
21年から
UTBのライブ配信の日本語版というのが
当時まだあって
そこのお手伝いとかしたこともあって
こういうものが日本でも
やっぱり必要じゃないか
日本のイベントでも必要じゃないかなということを
ずっと感じていて
自分なりにいろんなこともしてたんですけれども
なかなか
やっぱり本格的な配信にやろうと
すごいお金かかるなというのは
自分でも
色々調べてみて思って
あんまり
片手間でやってもクオリティの高いものできない
余計そういうものに
お金出そうという人が出ない
現れないと
思ったんですね
先週インストレイルジャーニーがあって
そこでは
もしご覧になってなかったら
気になっている方もご覧になってなかったら
見ていただけるアーカイブ
見ていただけると分かるんですけど結構いろんな画像が流れていて
それは
近藤さん
いぶきの近藤さん
このリッスンの
発想で
ちょっと違う
仕組みで考え方で配信されたんですよね
それは
ライブで実際にいわゆる
真中継ということだけじゃなくて
電波が届かないところで
スマホのカメラで撮ってきたものを
電波のあるところ
スターリンクみたいなのを立てて
送って
受け取って
非同期というんですかね
1時間後とか
その映像を紹介しながら
喋る
みたいなスタイルだったり
だから
ライブが当然という視点からすると
ちょっと質が落ちるという言い方が変です
結局失礼かもしれないけど
ちょっと妥協みたいなもののように
思えますけれども
やっぱりけど実際に見てみると
そういうものでもすごい迫力もあるし
楽しめるなということが
事実だなと思ったんですよね
近藤さんと話していたときも
僕もやっぱり目を開かれるというか
僕の感覚からすると
何百万もかけないと
ライブ配信はちゃんとしたものでは
1回の配信できないと思ってたんですけど
近藤さんとかに言わせれば
参加している人が
1人当たりライブ配信に
どれぐらいのそういう価値を見出せて
お金払えるかっていう風に考えたら
まあなんだかんだ言っても
1つの大会で10万とか20万ぐらい
じゃないですか
それを集めてみても
その範囲でできることはないかな
って考えてみたんですよ
っておっしゃっててですね
やっぱりなかなか
ビジネスというか
アントレプロな的な発想が
やっぱり
すごいなというか
目を開かれた思いがしました
だからもし
近藤さんはライブ配信に
トレイルランニングの未来
意欲を持たれているようなので
海外のライブ配信とか見ても
そういうスタイルって
あまりまだないと思うんですけれども
日本的な
形で
映像という形で
大会のことをもっとしていただくような機会というのは
もしかしたら増えてくる
これから増えてくるかもしれないなという風に
感じたというのが
私からの
話題でした
1人話が多かったですけどね
ライブ配信はね
なかなか
僕はなくてもいいかな
という派なんですけど
なんとなく
全部見えちゃうと
つまんなくなっちゃう
気がしてて
逆ギャグに
想像できる部分が残ってた方がいいな
例えばですけど
破雪年といったら
破雪年を全部追いかけて
トップアナサーを追いかけるのは
面白いのかもしれないですけど
あの選手は今
走ったことある選手なので
そこはちょっと
放送事故的な感じでは
本当誰も外そうでしょうけどね
動画ってやっぱり
加熱しすぎるんですよね
そこは
やっぱり
やっぱり
やっぱり
やっぱり
やっぱり
やっぱり
やっぱり
やっぱり
動画ってやっぱり加熱しすぎるじゃないですか
カメラマンも含めて
追いかけすぎるというか
TJRとかもね
テレビ番組もそうだ
いい面悪い面あると思うんで
選手
あんまり追いかけすぎるのも
どうかなと思ったり
するんですよね
確かにね
そこは
ありますよね
僕はそこも考えることありますね
何ていうか
大会の会場とか
例えばエールステーションとかで
知ってる人だったりとか
やっぱり
取材しながらも声かけて応援したくなっちゃう
みたいなことがあるし
実際にそうしてしまうことも
正直今まではあったんですけれども
やっぱりけど本当はもっと
姿を消すつもりで
見守られるべきなんじゃないかな
っていうようなこととかは
一旦意識しますね
他の人たちが
スペインのメディアとか
他の国の
外国の人たちになるんですけれども
かなり加熱してるなというふうに感じる
中国とかもですね
そういうふうに感じることはあるので
どこかでそこは
議論がある
間違いない
これからあるんだなという気はしますね
でもいろんな人に見てもらいたいという
思いで
そういうね
そうですよね
バランスがね
求められる
そういう問題なんでしょうね
ということで
いろんな話題になりましたけど
100マイル走の計画
ちょっと山の中で冷えてきましたし
時間の方もね
僕としては他にもね
中国のトレードランニングの事情の話題とか
やっぱり暑いとか
そういうこともね
いろいろあるんですけれども
また
鈴木さん 新田さんに次はいただいて
機会を改めていろんな話
して
させていただければと思います
締めくくりに当たって
来年に向けての
お二人方の
抱負的なことを
雑誌のことでもいいし
個人的なことでも
いろいろあるんですけど
今我々とか
新田さんと
あとは当時
我々の世代で100マイル走ってた人たちと
今ひそかな計画を立ててるのが
やっぱり来年
ちょっと難しいんですけど
何年か2、3年後とか
にもう一回
みんなで100マイル
MVも含めて走りに行きたいねみたいな
話をしててですね
一歩まで歩いてきて
でもまあ
諦めたわけじゃないですかね
自信たちで
もう一度走る
アスリートと
ランナーとしてもう一度
やってみようと
当時一緒に走ってたけど
今走ってない人とかも
いるんでそういう人たちも声をかけて
そういう輪で
もう一回
みんなで盛り上がろうよみたいな会を
作りたいなみたいな
そういう人多いような気が
個人的な経験からしても
あの頃10年前だったら100マイル走ってたけど
今はもう絶対無理とか
もうやってないとか
けどなんかその話題があると
なんかいろいろ見てしまう
プラストレイルも
勝手に読んでしまうっていう人
いると思うので
岩瀬さんもその回どうですか
僕もって言いたいところですけど
ちょっと考えさせてください
僕もね
皆さんね
真田さんも今の当時
2013年
完走されていて
鈴木さんも100マイラーで
僕も100マイラーじゃないんです
100マイラーはリタイアしてるんです
そうなんですか
初100マイラー
これから目指していただいて
私は去年
25キロとかで
神戸トレイルの15キロで
死にそうは大げさですけど
そこはフォースが険しいですね
再現時間ギリギリで
っていう話もあったので
まあそれはいいんですけど
ということで
自分が走ることについてまた来年
テーマを作っていこうということですね
そうですね
私も
年配やりたいと思ってますので
また来年
楽しみに
その辺の楽しみにしていただければと思います
はい
ありがとうございました
ドクターキャルバーのポッドキャスト番組
Run the World
2025年の振り返りを
トランプラストレイル
トレイルヘッドの編集部から
鈴木うするさん
新田翔太さんに
お話を伺いました
ありがとうございました
01:12:18

コメント

スクロール