DogsorCaravanのポッドキャスト、RUN the World 2025年の締めくくるということで、スペシャルエピソードということをお送りしたいと思います。
高尾さんに来ておりまして、久しぶりに、この山の中で収録って初めての経験なんですけれども、
皆さんご存知、トレイルランニングの専門誌、RUNプラストレイル、そしてペスタスという地図系のトレイルヘッド、ウルトラハイクとかの特集で、いつも皆さんご覧になっているかと思いますけど、
そちらの編集されている鈴木光さん、そしてデザイナーの新田翔太さん、お越しいただきました。
いつも私もいろいろお世話にもなっていて、新田さん一人クザーとしております。直接お目にかかるのは久しぶりで。
まず第一声ということで、一言ずつご挨拶いただけたらと思うんですけど、いかがでしょう。
そうですね、RUNプラストレイルとトレイルヘッドの編集長をやっています鈴木です。
気づいたらずっとやってるなという感じで、そんな感じでやらせていただいています。
鈴木さんお願いします。
RUNプラストレイルとトレイルヘッドのデザインを担当しています。新田翔太と申します。
僕も気づいたら長いこと一緒に。
お二人コンビというか、一緒に仕事されるようになってどれくらい経つんですか。
2008年ぐらいかな、車のレース雑誌をずっと僕がやってて、そのレース雑誌で取材したものをデザインしてもらうみたいな役割分担で会社にいた感じなんですけど。
当時はモータースポーツ週刊誌を出してたんで、毎晩毎晩泊り込みで制作をやってたんですけど、ふとした時に運動不足だなと。
そうっすね。
そんな話は後でいいのか。
いいです。それでモータースポーツのレースがやってるサーキットで、ママチャリ耐久レースっていうのが当時めちゃめちゃ盛り上がってて、
8時間耐久でママチャリでみんなで走っても1000人ぐらい出たりとかする、そういうイベントがあるのを知って、
それにはちょっと出ようかって言って、会社のみんなで集まって出始めたんですよね。
そっから運動が始まった感じですよね。
そっからママチャリレースを、ママチャリをとにかく漕ぎ続けるっていうことで、運動不足を解消しようって。
運動不足。
結構レース会場が各地にあって、東北のナトリとかでそういうレースをやってて、
遠征したりとかしてたんですけど、2011年東北大震災で、そういうイベントが次々となくなってしまって、
どうしようかと、もうちょっと運動足りないなっていうことで、いろいろ探してたらマラソンを見つけて。
マラソン、ランニングのほうにそこからっていうキーワードが出てくるんです。
ランニングをね、しばらく我々はマラソンとか出始めて、走るのは嫌いじゃなかったけど、でもなんか2人でただ走るよりもなんか山のほうが気持ちよさそうでしかっこいいぞみたいな。
まあいろいろ探してたら、なんだこりゃって山を走るイベントがあって、でもそれでね。
僕は当時雑誌見て、初めてトレランのシーンを雑誌で、たぶんなんかエナジージェル系の広告の写真だったと思うんですけど、走りながら撮ってるシーンがめちゃめちゃかっこよく見えて、これだ!って思って。
その頃本当、お仕事では依然としてその車のレースの雑誌を制作されてたわけなんですね。
そこからこう、自分自身の健康のためというか、もうちょっと運動不足を解消した方がいいんじゃないかというところから、ランニング、そしてトレーランニングかっこよさそうっていう、そういう目線、なるほど。
東炭沢のレースを見捨てて、よしこれにも参加してみようと決意して、大会開催まで行ったものの、みんななんかギラギラしてて、すごい怖いイメージが。
単学、耐久レースの強いイメージの炭沢のレース。それにみんながアップしてる姿を見て圧倒されて。
その会場帰った途端になんか睨まれてるような感じがして。
確かにそういう中で、なんていうか、僕の偏見かもしれませんけれども、雑誌の制作、編集されてるってなったら、やっぱりなんていうか、おしゃれな人たちっていうイメージというか、ちょっと業界人みたいな感じで、
ガチでランニングやって、特に山の山岳マラソンとかやってるような人たちからすると、かなりナンパな人たちみたいな感じの見られ方もあっただろうし、
皆さんから見ると、ちょっと自分の周り付き合ってる業界の人たちからすると、なんか変わった人たちだなみたいな、お互いのギャップがあったんじゃないかと思うんですけど。
それも何となく受け入れられたということ?
最初でも怖くて、会会の会会挨拶。でもそのときは知らなかったんですけど、宮原さんがね。
宮原さんね。
本当になんか軍隊みたいだなって。笑ったとかなんか。
うわーこれどういうところに参加してしまったんだろうと思って。
でもいざ大会が始まって、最初は崖とか崖とかして、ちょっと怖さもあったんですけど、だんだんだんだんなんか気持ちよくなってきて、なんだこれはって言って。
でね、そっからなんか、ちょっとハマりはしなかったんですけど、また次のプレールラン大会に出てみようって。徐々に徐々にハマっていって。
そうですね。
僕は最初のその大会で、プレールランの大会で、マナソンでずっと勝てなかった当時の編集長がいたんですけど。
すきさんとは別の前の、別のそのときの編集長。
そういう経験でなんかすごいドハマりしたというか、好きになりましたね。
当時、少しずつなんかね、パシャパシャとカメラ持ってって、景色を撮り始めてたんですよね。
自分が参加した、そういう大会とかで撮ったら、
雑誌作ってるから、なんかそういうのがあったのかな。今ほど携帯とかデジカメもね、まだそんなのあったけど。
まあなんかこういうのを紹介するといいのかなって、単純にね。そっからね、
僕は最初にブログを始めて。
自身の個人的な?
それはマナソン走り出したことから始めてて、ママチャリのこともちょっと入ってました。
で、そのブログで、トルランのことをやり出したら、なんか意外になんか、みたいな。
そのブログを見たら、ママチャリのことのこともあるんですよね。
だから、僕がやったら、そんなことは見てないんですよ。
ママチャリのこと?
ママチャリのことやってたんですよ。
で、そのブログでトレランのことをやりだしたら、なんか意外にみんな読んでくれたりしてて
その延長でなんかこう、うちら雑誌作ってるんで
なんか電子書籍でやればお金もかからず、うちらの手間だけで作れるんじゃないかって
電子書籍を趣味で作り出したんです。
まずはそういう仕事とは違う趣味として始めたというところなんですか。
ちょうど電子書籍も始まったばかりぐらいのときにやって
ちょうどいいんじゃないかなと思ってね。
お金もかからないし、どんだけページ数作っても
多少ユーズを引くみたいな。
とはいえモータースポーツの雑誌が中心にやってたんで
やっぱり電子書籍が趣味としてなんで
モータースポーツ雑誌を作って終わった後は夜中?
そうですね。
作ってました。
2人で話して、こんなのやってみよう
こういう企画やってみようとか写真見ようとか
そういう話し合ってたって。
なんか青春っぽいですね。
仕事終わった後ちょっと面白いことやろうよなんて。
しかもだから、ちゃんとした大会じゃないとカメラマン呼びたいっていうので
車のレースを撮ってる人を来てもらって
我々からミッドを出して、わずかですけど
そういう感じの本当の趣味の延長からね。
それ時期でいうと何年ぐらいですか?
2011ですね。
2010ぐらいがちょうどブログをやってたぐらいの時期かな。
雑誌が2012かな。
4冊電子書籍作って、4冊目を始めて
じゃあ1冊1000円で売ってみようっていうので売ってみたら
すごい売れて
それ印刷したものとして。
いや、印刷じゃなくて電子書籍のものを売ったんですよ。
会社にだからこんだけ売れたんで
雑誌もいいんじゃないですかって言ったら
じゃあやってみるかと。
したと。
そうしたと。
生まれてきて
批判はあるかもしれないけど
大会に優勝したからって
その人が
表紙になるっていうことが
うちはあんまり
そういうことないですね
大会に飛び込んで
取材した中で
ストーリー感じた
ところの人
を出すとか
そういうのが
多いような感じがします
そういう
視点があったことと
二人の
パーソナリティが
あってこそ
出版特に紙のメディアが
全体的に
減ってきている中で
この小さいスポーツの中で
今日まで13年になりますか
2012年から
そうですね
雑誌は13年です
すごいことだし
背景にある
秘密というか
伺っただけでも
普通に会社で
会議を経て生まれてきたという
雑誌とは違う成り立ちを持っている
ということなんですよね
そこはやっぱり秘密があるのかなと
思いました
雑誌の会社なんで
そういうのが
どのくらいに
価値があるのか
そういうのが
どのくらいに
価値があるのか
それぞれちょっと
おそらく
キツい目では
見られる
何やってるんだって
でも最近ようやく
いい感じは
見られる
たら全部それをこなしながら他の編集部ってやってるんですけど 我々はもう一人が足りないんでもう無理です
youtube やまいって消えやってたんですけど社内の人実だと思う そこを追いかけずにウェブサイトすらないんですよあればでしょうね
紹介海外の人とかにランプラストレールの雑誌の紹介をする時にウェブページがあんまりない 販売ページを一緒に貼るけど
なかなか紹介しづらいっていうのは海外の人とかで紹介しづらいっていうのは
やりたいですけど体力的に そうですね
持たないというか なんかこう
そういうね例えば他の雑誌で言ったらなんか自分たちの雑誌で言ったらニュースを みたいなこうサイト作ってますけど
そういうのはねもちろん やれなくもないんですけどまあ岩津さんもやられてたり
もう一個トレーナーの.jpさんがあったりとかするんで そこはもうお任せして我々はもう
ウォールドメディアの紙でやっていくしかないなみたいな諦めが逆に良かったのかなと今思ってたりするんですよ
そうそう集中することですね
そこでやっぱ分散していったら結局ウェブとかYouTube頑張ったら雑誌が
雑誌必要なくなっていく方向にどんどん行くような気がするんですけど
まあやっぱり紙のメディアの良さっていうのはやっぱり
何でもそうですけどレコードも ビニールバイナルレコードは歌えたと思われつつもなんかここへ来てちょっと注目されたり
見てあったりとか写真もねデジタルカメラって言ってたけどなんかフィルム かなり高いけど元々はちょっとカメラね
そういうアナログなフィルムのカメラとかが注目されたりとかあります
やっぱりどこかそういう続けていくことでまたチャンスというかいろんな価値は残っていくということだと思うんですけれど
けどこの間どうですかねやっぱり最初の成り立ちから始まってこの10年間
2人を中心に雑誌を作るっていうところは変わってない色々ねあの途中で協力されたり
抜けられたりとかってことはあったのかと思うんですけど基本的なところは変わってないのかなと思うんですけど
なんかこう10年作る間に少し紙面のこともそうですけど作り方の発想とか変わってきたことって何かあったりしますか
そうですねありますね
ちょっとこのブラックな部分を埋めて何か
それは嘘なんですけど
でも我々がバリバリこう
我々の雑誌を創刊した頃ってやっぱりUTMFができて100マイルのブームがみたいなのがカーッときてて
我々もそれに乗ってUTMVも行きましたし
なんかやっぱその参加者として一緒に盛り上がりながら雑誌も作ってたみたいなところがあって
まあ今はそれが落ち着いて普通の雑誌屋さんになって雑誌を作っている感じになっちゃったんですけど
でもまあもちろんその自分がやってた部分の経験っていうのはものすごい生かしながら
じゃあ今はこういう情報とかが欲しいのかなっていうのを考えながら作っている感じですけど
自分がやっぱりねあんまりレースとかにほぼ出なくなったっていうところがやっぱり不安な部分ではありますよね
まあ現場にはいくにしても
現場行ってるんですよ
間近行ってると思います
あとは
やっぱニーズもね変わってきたというか
昔のようなその小っちゃいコミュニティ
トレランって本当に小っちゃいコミュニティだったと思うんですけど
そこがやっぱり今こう一般
もうちょっとね一般化しちゃって
そういうところにじゃあどういう情報を届けるのかっていうのが
もっと例えばギアなんかアパレルとか新しいシューズのトレンドとか
やっぱりそういうかなり植物的というか
いろんなスポーツのスピジットというよりは
なんかもっと植物的なギアの紹介が求められるとか
そういうようなこととかもあったりするんですか
昔の感覚ちょっといいか悪いかは別に
昔の感覚は知り合い仲間に
仲間のために雑誌を作ってるのを顔の見える人たちってことですね
読んでくれてその反響が予想できるような感じがありますよね多分
今はなんかその顔の見えないって言ったらおかしいですけど
より自分が想像できないような人たちっていうんですかね
そういう人たちに届けないといけないみたいなところで
情報を集めてる感じはありますね
探り中です
それは例えばもう少し若い人たちだとか
女性にもっと向けて
そういう目を広げないといけないと思ってらっしゃるとか
ちょっとその辺はもしかしたら秘密的に話題もあるのかと思うんですけど
ちょうどタイミング的に来年からちょっとそういう方向に
年型というか
いわゆる本当にがっつり山に行かない層にも
トレランの楽しさとか魅力を伝えたいなと思って
ちょっと来年そういう都市部でできるトレランの遊びみたいなのも
提案したいなと思ってて
最近ブラベルとかね
そういう話題とかも出てきて
いろんなブランドさんでも
オネソイシューズとかも出てきてるし
一つそういう
まだ一般的なランナーの皆さんにとっては
話題になる機会少ないかもしれないけど
そういう
いろいろトライすると
ああこうなっちゃったかっていう人もいるかもしれない
いろいろトライ中なので勘弁してほしい
まだまだいろんなね
トライトライ
一個でもヒントになったのは神戸トレイルですね
これはやっぱ2年連続取材で
神戸トレイルってやっぱ
かなり町に近いところで
いわゆるトレランの関係者