1. Run the World, by DogsorCaravan
  2. #032 山屋光司さん、礒村真介..
2021-02-24 1:23:11

#032 山屋光司さん、礒村真介さん - 2012年UTMFを振り返る・最強のランニングチーム「DMJ」とは

ゲストは山屋光司 Yamaya Kojiさん、礒村真介 Isomura Shinsukeさん。

今年もウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)が4月23-25日に予定されています。日本を代表する国際的な100マイルトレイルランニングレースとして知られるこの大会ですが、その第一回大会(2012年)で山屋光司さんは6位、礒村真介さんは9位となりました。国内外の大会での活躍ですでに知られていたトップ選手たちとともに、いわば「市民トレイルランナー」として表彰台に立った二人は注目を集めました。

今回のエピソードでは、コロナ禍で大会の中止や延期が続く日本のトレイルランニング界のビッグイベントとして期待が高まっているUTMFを前に、山屋さんと礒村さんにあの2012年UTMFを振り返っていただきました。さらにお二人がメンバーとなっている、知る人ぞ知るランニングチーム「DMJ」についてもお話を聞いています。

聞き手はDogsorCaravanのご意見番であるナミネムさん、智也さん、そして中の人である岩佐です。

  スタート

  オープニング

  最近の最近の山屋さんは仕事で多忙

  礒村さんは地元・葉山のトレイルを開拓

  「DMJ」とはどんな集まり?

  ナミネムさんはハセツネ対策の講習会でDMJと出会う

  それぞれ個性的なDMJのメンバー

  DMJのグループトレランでは脚が攣ると羨ましがられる

  山屋さん6位、礒村さん9位となった2012年UTMFの思い出

  直前にDMJの仲間で「モンフジ合宿」

  山屋さんは直前のハセツネ30Kの結果で、UTMFへの手応えを感じていた

  仲間と一緒に高みを目指すのが楽しかった、という山屋さん

  2013年UTMFでは山屋さんは8位で再び表彰台に

  UTMFで結果を出したことで、レース中に周りの目を意識するようになってしまった

  憧れや目標だった選手たちと一緒に走っていることが嬉しかった

  礒村さん「山屋さんは世界のトップに近づく具体的なイメージを持って走っていた」

  UTMFに向けたトレーニングやリカバリーは自己流で試行錯誤していた

  礒村さんは当時からマフェトン理論をトレーニングやレース中のペース管理に実践していた

  礒村さん「順位はともかく熱くなれる結果を残したかった」

  二人ともUTMFで結果を残したことで人生が変わった

  礒村さん「マフェトンを実践する智也さんが2019年信越語学100マイルで8位になった時は感激した」

  今年のUTMFにエントリーしている智也さんは山屋さん、礒村さんが目標

  自分の仕事面のキャリアについて考え始めていた時期にUTMFでの活躍が重なったという山屋さん

  今年のUTMF、山屋さんは仲間や同僚のサポートを、礒村さんは奥様を応援してRBRGをサポートする予定

  Rocky Mountain Slamに挑戦する礒村さん、今年は見送るがHardrockだけは出たい

  智也さんも満を持して今年のUTMFに挑む

  エンディング

(2021年2月21日収録)


00:00
ドクサキャラバン プレゼンツ ラン・ザ・ワールド
いわゆる市民ランナーとして何か
住民は山井さんはもしかして意識ある程度
意識されてたかもしれないけど
住民はさておき自分たちが盛り上がれるというか
熱くなれるような結果を出したいというか思って
(自分たちの) 気持ちが楽しんでいるというか
こんなに取れらんてやってる人同士すごく幸せで
そこには年齢 世代とかジェンダーも全く関係なく
同じ時間を共有して楽しんでるとか
あと何よりも気持ち良さっていうのがすごくあるじゃないですか
こういう経験って人生の中で今まで本当になかったなと思って
こういう楽しいアクティビティを
もっと多くの人に知ってもらったりとか
もっと多くの人に共感してもらえるような
仕事をしてたらすごく楽しいんだろうな
独裁キャラバンプレゼンツランドワールド
独裁キャラバンの岩崎由紀です
この番組ではプレーラーニングに関連する話題を
様々お伝えしてまいります
だいぶ配信慣れたつもりだったんですが
適応があらわれて申し訳ございません
ただご配信させていただきます
今日はゲストに山谷浩二さん
磯村慎介さんをお迎えして
UTMFの話題ですとか
あとまたDMJの2人が所属してらっしゃるランニングチーム
その秘密について色々お伺いできるんじゃないかと
楽しみにしております
この番組は今YouTubeライブで配信しておりますけれども
Podcastの番組としてもご聞きいただけますので
ぜひ聞いていただければと思います
Podcastで聞いていただいている方は
YouTubeでこんな感じドキドキライブの配信もしておりますので
ぜひチャンネル登録などしていただけたらと思います
お二人は今私トレーラーニングのことで色々
仕事というかこういう形でさせていただいている中で
本当に色んなことを教えていただいたりとか
接点を持って色々いつもお世話になっているお二人なんですけれども
今日はアスリートとしてのお二人のことなんか
ちょっと聞ければと思っております
山谷さん 磯村さん ここにおそらく
それぞれのランナーとしてのキャリアをお持ちなんですけれども
2人揃ったところでということでやっぱり思い出すのは
2012年の第1回Ultra Trail Mount Fujiですよね
そこで行われまして
ジュリアン・ショリエ選手が男子優勝したんですけれども
そういった波いる選手に並んで
山谷さん 山谷浩二さんが第6位と
そして磯村さんが9位ということで
揃って表彰台に立ったということで
素晴らしい そのことの意義とか
03:02
このことは後々また
波乃さん 富山さんからも色々お話あると思いますけれども
そういったことがあったんですよね
本当にそのことってやっぱり
日本のトレイルランニングの歴史に残る出来事だったと思うんですよね
そのお二人揃ってあるランニングチームに所属してらっしゃったと
それがその名もDMJというのが
知る人ぞ知るランニングチームだったんですけれども
山谷さん 磯村さん それぞれその後
市民ランナーというかですね
普通のサラリーマンが
なんでこんな素晴らしい成績を残せたのか
ということが注目される中で
DMJの存在とかお二人がどんな風に
ランナーとして実力をつけ
また仕事や家庭と両立してこられたのか
みたいなこともすごく注目されていたということが
あったということなんですよね
というわけでそんなお話を伺おうと思ってるんですけど
ちょっと前置き長くなりました
山谷さん よろしくお願いいたします
お願いします
最近はいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか
そうですね もうレースとか
主にレースとかには出る機会はほとんどなくなりまして
今は主には仕事ですね
仕事のほうを頑張っております
仕事もね 後でお話出るかもしれませんけれども
元のお仕事の延長線上にありながらも
スポーツにより近いところに
そういうキャリアをチェンジされていかれた
ということもあったということで
そういう意味ではすごく充実した感じということなんですかね
また違う面で情熱を燃やしてらっしゃるということなんですかね
ランナーとしてもぜひ野望があるんじゃないかと思うので
聞いてみたいなと思うんですけれども
よろしくお願いします
磯村さん よろしくお願いします
磯村さんは最近いかがでございますか
やっぱり今はこういう状況なので
なかなか外出するっていうんですかね
仕事で 例えば
僕は今 神奈川県の早山町というところに住んでるんですけど
東京に行ったりとか
遠出したりという機会がすごく少なくなってしまったので
これ幸いおばかに早山と磯の三浦半島というところなんですけど
三浦アルプス
ちょっとしたジャングルチックなトレイルがある山というか
アルプスっていっても最高標高は
200数十メートルしかないところなんですけど
そこを一番最初は岩田さんに紹介してもらって
06:00
ルートを通ったって僕すごい覚えてるんですけど
そこを自分なりに行ったことのない
いろんな細い枝道とかそういうところを今
掘りまくっては遊んでいる状況でございます
ちょうど雑草が生えてくる前なので
まだ過労死で通れる細い道とかがあるので
そういうところを楽しく遊んでいます
そうですね私も山谷さんも一緒だったと思いますけど
早山の方面の今の秋から冬が一番気持ちよく走れるシーズンですよね
たぶんということでございます
そうですよね思い出して
ちょうど7年前の今頃だったと思います
チーム100マイルのいよいよという時に合わせて
ちょっと下見というかそういうコースのいろいろ研究ということだったかと思います
そうなんですねそれを初めて知った
はいというわけでなんですよね
南山さんと友田さんよろしくお願いいたします
ちょっと僕から
DMJってそもそも何?っていうところで
たぶん皆さんがご活躍されていたときからです
要は2012年UTMFからもはや8年9年ですかね
そういった歳月が流れる中で
DMJというのは何?っていう人って結構いるかなと思ったんですよね
今回僕もツイッターでDMJって知ってる人いるのかなみたいなことを
いろいろ言ったんですけどリアクションしてくれる人は
元パークの石井さんとかああいう往年の人しかいなくてですね
じゃあDMJってそもそも何なの?っていうのをまずちょっと軽くご説明いただくと助かるんですけども
そもそもどういうアレでできたものなのかっていう
結構難しいですよね
東竹バインのどのコースですか?
そんなにあるんですか
まずちょっと軽めで
でもあれですよね
年一回の忘年会もしくは新年会で楽しく飲んでる
体を動かすことが好きな
おじさんお兄さんおばさんお姉さんの集まりですよね
大枠としてはそういう感じで
そもそもDMJってなんでできたんですか?できたきっかけってあるんですか?
練習会とかレースとかで顔なじみになってそれがつながっていって
距離感とか話してる時の温度感みたいなところで
09:03
こいつ面白そうだなってみんなあるじゃないですか
そういったところで一緒に過ごす時間が増えていった仲間っていう認識ですね
その当時って多分つながるっていう感覚今ほどまだない時代で
その時代もないですよね
10年11年くらいの話ですよね
OSJとかですか?レースとか?
破設ね
ちょっと思い出したんですけど
やっぱり関東周辺に住んでいるトレイルランナーは
ランスが少なかったから
大体毎年体育の日前後に行われる破設ねカップ
それと立ち上がったばかりのOSJのトレイルランニングシリーズのレース
結構目指すというか
もしトレイルランニングにのめり込んでいるような人は
大体みんなそこに集まるというか
お見知りになっていくし
思考もそれぞれ分かれないで
みんな破設に出ようとか
UTMFもそうだったと思うんですけど
そういうのでつながっていったっていう風に思うんですけど
僕はちょっと後から入れてもらったんですよ
そうなんですね
EMJのメンバーを何故かナンバリングされてて
1号2号3号4号
そうそうそれもちょっと聞きたかったんですよね
そうそうそうそう
山谷さんは4号ですね
4号
4号ぐらいまでは多分同じタイミングだったんですよね
じゃあちょっと言っちゃいますけど
最初作ったの三保さんですよね
そうです
三保さんから多分2号って山岡さんですか
作ったタイミングは三保さん山岡さんと
話しすぎるのかな本当に
大丈夫です
僕が聞いてるのはあれですよ
OSJのオクジのレースが始まる
オクジオクジはいはい
その前に思想に行ったの
僕は行けてないの
そこに参加できてないの
なるほど
そこです
そこでその当時トモさんもいたんですよね
トモさん5号ですよね
トモさん5号
5号
はい
山瀬4号
伊藤さん6号ですよね
そうでそのOSJの練習会で山の中で
ドMドMって叫びながら走ってたんですよその時
はいはいはい
ドMジャパン一緒
だからDMJってドMジャパンってことですよね
ちょっと若干出るのが遅かったですけど
ドMジャパンっていう
12:00
でその時の年功序列みたいな感じで
サンポさんが年上で
バンピー南郭だよね
サンポさんはやっぱりそういうとこ気にしますもんね
違いましたっけ
違ってた
みんなの流れの中で
スーパーが集まったらやっぱりサンポさん
そう
そうですよね
サンポ兄貴が
みんなやんちょだったんで他が
それをまとめてくれるっていう
尖っててちょっと
お尖りになっててこう
ここはその
藤さんと住んでる家が近かったり
いろんな集まりで
そうなんですね
こう
トレールランニング友達みたいな感じだったんで
そこの流れで入れていただいたんですけど
その時に聞いたのは
OSJ
はい
アルファベット3文字の略
はいはいはい
そういう感じで
その時に行ったメンバーも
チームというか
ランニングチームみたいなのができたらいいねっていうので
じゃあDMJだと
そういうことですか
OSJみたいな感じでつけたみたいな
ドラえもんジャパンかっこ悪いよねって話ですよ
だからどうしようかなっていうので
OSJっていうのがあるからDMJだと
どっちが先か
ドMが先か
OSJチックな3文字が先かは僕も分からないんですけど
なるほどなるほど
まあまあでもそういう塩梅で
2011年くらいってことですかね
ドMのMが
マゾヒストのMを連想させるんで
それもかけてるんですけど
笑うのMをかけてる
日本語で表記をすると
確かカタカナのド
漢字の笑う
ひらがなのム
ジャパン
そういうあれもあったんですね
なんか僕はDMJ知ったのは
2011年とかなのかな
僕知ったのはブログなんですよね
トモさんのブログ
僕の限界ってブログをやってたんですよね
なんで見たかっていうと
僕もおくくじ出たいなと思ってて
情報サーチして
当時ってほらSNSないからブログしかないんですよね
情報源が
走ってる人を探していたらトモさんのブログに当たって
多分そのブログイソさんも出てたんですよね
多分イソさんと初めて走ったかなんか
そういうブログで
DMJがどうのこうのって言ってて初めて認識したっていうのが
最初で
次にあったのは
僕直接
イソさんとかヤマエさんに会ったのって
破節音のサブテン講習なんですよね
ああそうだ
15:00
そうですね
あれ2011かな
2011だか
かな
DMJの方々が破節音のサブテンの講習をするって
もうその時点でDMJっていうのは
破節音でサブテンする集団って僕の認識はあったんですよ
その中では
もうちょっと早いかもしれないですよね
全然もっと早いですね
2010年とか
もっとですよね
僕その時もこの人たちは一般の中でもちょっと違う人たちだな
って認識あったんですよ
11年の頃は
だから
ヤマエさんは忘れてるかもしれないですけど
僕は最初宣言までヤマエさんに案内してもらって
その後イソさんに案内してもらったのかな
なんかそんな覚えがあるんですよね
僕は2012年に
2011年僕マーシャルで
サブテンとかできなかったんですけど
2012年に
サブテンした時にイソさんに褒められたっていうのは覚えてます
イソさんは覚えてないかもしれないけど
全然覚えてないです
そんなイラストも
そうそう
やったねみたいな
一緒に走った人が
破節音ってほらなんかこう
タイムがものすごくきつい
やりがいというか
映画で出てきて
そのゴールで
会話だったり
その瞬間のために出てるようなところが僕とはあったんですけど
そのこのハイライトの何というか
いろんな感情が出てくるし
みんなすごいキラキラしていい顔してるし
そこで一緒に走った人が
手応えがある表情で
反省会とかしてるのがすごい
楽しいし嬉しいですよね
そうですよね
すごいいいところです
逆に今のイソさんの職業じゃないですけど
そのコーチみたいなのも
それにつながってるかもしれないですよね
そういうのに
そうそうだから僕が
DMJ知ったのは割と
トモさんもその時講師だったのかな
それ自体は
DMJは直接主催とかではなくて
当時あったインターネットの
メディアのトレラン王国
そうです
そのDMJの多分山谷さんが
コネクションがあって
その山谷さん経由で
そういうイベントを
参加する機会をいただいた
そうですよね
今ちょっと過去のブログ見てたんですけど
2010年の4月のハセツネ30Kで
すでにチームDMJで出てるんですね
野岡さんとなべさん
その前の年2009年
18:00
9年とかですよね多分ね
そうですねそれくらいですね
当時ってハセツネしか
変な話価値観って
ハセツネしかなかったじゃないですか
そうですね
あれなんですよね
石川博さんとか株ライさんとか
あの世代が完全にトレラン
という言葉が出るぐらいのタイミングで
出てきたイノベーターと言われる
人たちから
自分たちぐらいは多分その背中を見て
かっこいい世界面白い世界があるなと思って
アーリーアダプター
アーリーアダプターっぽいところですよね
その時にそういう一般の市民ランナーで
山走るチームってそんなになかったので
なかったですね
そういう一般の何も知識ない人たちで
自衛隊の人とか箱根ランナーみたいな人たちに
どれだけ食い
そうそうそうそう
食っていけるかみたいな
そういう目の目出したものが
DMJってそうでしたよね
ワークスを食ってやるみたいな
あれがすごかったですよね
ビンビン
一緒に走りに行く友達みたいな
DMJの中でもやっぱりあるんですね
アミネムさん
友役の人が
当時これはいいって言うのかな
スポーツバンって
そんな感じだったと思うんですけど
やっぱりそういうチーム
サークルみたいなもんですかね
みんなで分かる感じ
あれですよね
その時のDMJの中で
何かの思い出があるんですかね
もしかして
一緒に走っていって
それがどういうことか
そういう思い出があるんですかね
その時のDMJの中で
一緒に走っていって
そういう思い出があったんですかね
それを見た時に
大学の運動を
僕の世代
40前後の世代とするんですけど
それをやりたくて
UTMFを思想したいのか
合宿をしたかったのか
今となっては覚えてないんですけど
そういうのを
それいいですね
その話は後で
きっとUTMFの革新部に
掘り下げる感じになると思いますけど
そうなんですよね
友谷さん
DMJってどんな
僕は割と
僕のイメージは
早いお兄さんグループっていう
イメージがあったんですね
まさにですよ
僕はですね
それこそUTMFの第1回を見てから
21:00
スタートした人間なので
僕が入った頃には
結構いろんなチームっていうのが
いくつかでき始めて
スポルチバも
早いチームだしっていう中で
DMJは名前は聞くけど
全く存在がちょっとよくわからないけど
切れた人たちがいるっていうような
ちょっとおっかないようなイメージだったんですよね
おっかないイメージ
おっかないイメージだった
とにかく早いし
スポルチバ結構
大会に行っても
みんな集団でいるような
印象があったんですけど
DMJっていう特定できない感じ
特に始めたての人間が外から見て
ただ名前は聞くっていうところで
各々牙を研いでる感じ
そうですね
憧れはありましたよね
そうね
スポルチバってやっぱり
いっぱい人がいるイメージがあって
DMJって
STSじゃないけど
ちょっと選ばれし者みたいな
僕はイメージがちょっとあったんだよね
当時
遠巻きに指を加えて
ずっと羨ましい人に見ている
僕がいるみたいな
そんなイメージでしたね
僕は
DMJは陸上経験者っていうのは
いないんですか
山岡さんかな
山岡さんそうなんですね
山岡さんはやってましたね
でも他の方々は
全く
なべさんも全然やってない
なべさんはサッカー
石川ひろき系ですね
なべさんはすごいですよね
同じ苗字だったってのもあったんですけど
お話も結構柔らかい感じの方で
僕すごい好きで
でも破節ゴリゴリに早いじゃないですか
そうだね
すっげーなこの人と思って
3号の渡辺さんだけは
DMJを結成した当初から
破節名で
かなり上位にいたはず
そうですよね
8時間くらいですよね
渡辺さんだけはたぶん
結成した当初から
早かったって言うと
ちょっと語弊がありますけど
なべさんはどうだった
DMJは基本的にサブ10集団という認識はあったんですけど
その中でもやっぱり
サブ9
サブ7に近い人たちって
ちょっとやばい異常じゃないですか
その当時は
その人に近い
DMJでもちょっとトッピーな人みたいな
僕はイメージがあって
なべさんは
山岡さんも破節名っていうよりは
山岡さんはすごい早いですけど
もっとショートレンジの
イメージがあって
そういう住み分けがすごい
24:00
ありましたよね
ともさんはとにかくタフネスみたいな
そうそう
DMJっていろんな
個性が
それぞれ特色があって面白いチームだなっていうのは
すごい思ってましたね
当時から
その当時ってカテゴリーっていなかったですよね
大会の
ないけど
強み弱みみたいなみんな
ありましたよね
そうそう
そういう
陸上経験ない中の
集団がこれだけ
名を馳せるようになってったっていうのは
何か
練習メニューを共有したりとか
そういう
動きっていうのがあったんですか
うん
練習メニュー共有っていうのは
なかったですけども
あれですね
一緒に走りに行くのが本当に楽しみで
月1とか
3ヶ月に1回ぐらいで
みんなできつい
練習っていうよりかは
きついジャーニーっていうか
そういうのがすごく楽しみで
そこに
置いていかれないように頑張ろうっていう
ああ
あれですか
いわゆるG100とかでよく見られる
仕掛け合いみたいなのあるんですか
そういう感じですね
仕掛け合いしてましたっけ
仕掛けじゃないんだけど
なんかこうみんなが
こうなんだろうな
でも
巡行レベルじゃない
巡行速度じゃないじゃないですか
なんかなんていうのかな
なんか足つった
つった人から
なんかこう
負けじゃないけど
だからそれ仕掛け合ってますよ
足つってるわけですもんね
僕が覚えてるのは
足をつったら
もう楽しいって言われて
そこまで追い込めたんだ
良かったねみたいな
Fuzeの何人もいらっしゃる人に
言ってもらえて
わーって思って
新たな
仕座が開けたというか
それなんか俺
G100の時に伊曽さんに言ってもらいましたよ
なんかあのすげえ鎌倉の激坂で
あれなんか
足つりかけてたら
足つるのはいいんだよ
みたいなこと言われた気がします
そういう感じなんですね
だからその
トレイル
UTMFっていう大会が
新しく出てきたりとか
こう
いろんな盛り上がってくるような
多いにもそういう瞬間で
始めることができて
多分そこでみんなで
目一杯山の中で体を動かすのが
すごい楽しかった
もちろん泣くではないんですけど
でもめちゃくちゃ面白くて
多分そういう
とこなんじゃないですかね
お互いでもアスリートというか
例えばメーカーさんがスポンサーが
ついているような
27:00
立場でもないから
そういう意味でも遊びに
より近いというか
なるほど
仲の良さといい
あとストイックさといい
僕らもSTSが始まった頃には
いつかDMJとセッションしたいね
みたいな話が
よく稲葉さんも含めて
言ってましたよね
言ってましたね
DMJ呼んでとか
まさかDMJの山田さんを
引き入れるとは思わなかったですけど
本当ですね
僕らに
そうそう
それくらい憧れ
稲葉さんも多分そうだと思いますよ
すごい意識というか
憧れのチームでしたね
スポーツ場から見てても
スタイルがある
ちなみに
DMJが
1号2号ってあるみたいに
STSもそれ見習って
実はオッパイ1号
オッパイ2号
これは要らないんじゃないですか
2号までだけでしょ
2号までしかないんですけど
オッパイ1号は誰なのちなみに
大瀬さんですね
そうだよね
大瀬さん
大事事
大瀬さん
2号は今カナダにいる
大瀬さん
それでフィニッシュ
あとは覚えてない
でもそうですよね
そろそろ
だからちょっと
今日ね
ゲストに来ていただいたのは
どちらかというと
DMJという話と
ハイライトじゃないですけど
やっぱり
2012、2013
UTMF
今後ね
今年も開催されると思っていますけども
そこで
お二人
エポックメイキングというか
やっぱり
こういった流れで
作られたDMJが
なんとポディオムに立つという
開催を
したと
ここがもう
僕もそうですけども
当時もう大盛り上がりでしたからね
もうなんだこれはみたいな
そこですよね
やっぱり言わずに
そこからじゃあちょっと
本編がいよいよ
そうですね
まあ2012年の
ウルトラトレイルマウントフジ
大会の大会ですよね
本当に
待ちに待った
大会だったんですけれども
今ちょっとねリザルトの
見てるんですけど
男子の方を見てるんですけれども
ジュリアン
ショリエ選手、アダム・キャンベル選手
山本健一選手
この3人がトップ3
そして続くのも
持続翔さん、横山伸広さん
奥野宮さん、西条さん
30:00
などなどですよね
すでに柱根とか
そういうね
名を成した
そしてまたなんかある種
プロと言っていいかどうか
わかんないけど
そういうメディアとかでも
トップのアスリート
っていう風にも誰もが認める存在で
あった人たちが
上位に入ってくるのと
肩を並べる形でね
お二人が入ってきて
そこらの仲間内では
羽生恒司、金信越、小枠とかね
強い選手っていうのを
知ってたけれども
やっぱり
こちら側の
我々の
側で
速いっていう選手が
100マイルっていう
日本ではまだほとんど
なかったわけじゃないけど
国際的な舞台が
世界のトップ選手が
入ってきてやるっていう
このベントの中で
トップに立ったと
トップ10の中に揃って
肩を並べたということはやっぱり
すごかったっていうか
株主さんとかもすごく感激していらっしゃって
そのことも色々何度も話聞いたことも
覚えてますし
ナミネムさんや富山さんとそういう話も
あったんですけれども
どうでしょうちょっとその時の話をね
また何度も
聞かれたりとかされてると思うんですけれども
この
その時のトップ10入りっていうのはある程度
想定お二人
山矢さん伊藤さんは
想定の範囲内だった
感じですか
あるいは全く意外
というか
どんな風に
当時思われたかなって
思うんですけれども
意外ではなかったやっぱり
日々頑張ってたので
それで合宿とかもやったんですけど
意外だったんですよ僕は
えー
二人で全然意外は分かりましたけど
僕はその前の年に
2011年に
実は
海外で初めて100マイルレースを
走っていて
その夏には
UTMB
朝さんも言ってたと思うし
山矢さんと僕は最終的に
一緒にゴールするんですけど
そういうのもあって
ちょっと言い方はあれですけど
世界
海外のランナー
めちゃくちゃ速いなと
日本人のトップ選手でも
おそらくケチョンケチョンにやられるだろうな
っていうのもすごい
分かってたので
自分は
すごくうまく走って
めちゃくちゃうまく行って
20番以内ぐらいかなと
うーん
確かそういう風に思ってましたね
あのー
レースって
33:04
なんだろう
小隊選手だけじゃなくて有力選手って結構
若い絶景をもらって走ってたりするじゃないですか
うんうん
で、多分山矢さんは
神楽さんとかに
早いランナーっていう認識をされて
もらっていたので
多分もう
前の年の
新越語学とか
ある程度結果を出されてたから
山矢さんの
ナンバーカードの今手元に数字あります
15です
え?
これは
山矢さんはやっぱりトップで狙える資格が
多分あったので
伊曽村さんは
408位でございます
あー
確かにこれはすごいですね
だって
自分でも
まさかそんな
最終的に順位で
そうだ
面白いですよ
408番って
飛び抜けてでかいナンバーなんですよね
この早い番号で
あと
山本さんは
飴本さん
いや野間ダッシュさんだけですよ
どっちもDMJ
飴本さんその時12位だったんですよね
2人で
飴本さんとしばらく一緒に走る時間があって
その時はちょっと
調子が良くて
少し順位を上げれるような展開だったんですけど
なんかその
パスさせてもらう
相手の方の絶景が結構
赤い
もしかして
飴本さんと僕は結構
調子が良いのかな
その時走ってました
いわゆる送電線の下
結構じゃあ後半というか天使に向かう
直前
その後
大きく後悔することになるんですけど
確かに最初の
後半ですよね
後半ですよね
時計回り
手なしいった年ですからね
中盤から後半にかけて
いやでも
2011の年のコースって
歴代UTMFの中で
一番きついと思うんですけど
どうですか
やっぱきつかったですか
いやーきつい
もちろんきつかったですけど
やっぱなんかその初めての
開催
第1回目で100マイルっていう
まだその当時
OSGの
音丈ぐらいしか多分なかった
なかなかと思ってて
そのなんかそっちの北市の方が
なんか黙ってたから
いわゆる
ゾーンに入ってる時間が結構
確かに震災もあって
1年伸びましたもんね
1年伸びて
万を持してみんな
大きかった
2011年に当初
36:00
予定された時は
まだ
2010年の末に
急にこういうレースがある
日本で
UTMBの
から着想を得た
同じような名前の
100マイルレースを初めてやります
田村井さんがやりますって言って
わーってなって
それでこう
もう数ヶ月後なんだけど始まるぞみたいな
感じ
でまあちょっと東日本大震災の
日交で
直前に延期になってしまって
みんなこうある程度
その100マイルって距離のレースに対して
準備する時間
の方はないかもしれないけど
準備する時間もあって
だからその
出走したランナーの顔ぶれが
ものすごい豪華だったっていうのは
多分その1年延期があったから
調整がついたっていうところも
確かに
でその
同じくらいのタイミングで
激走モンブラン
そうそうそうそう
日本人選手が大活躍した年の
2009年のUTMBの
模様がおそらく
2010年に
放映されてたので
その流れもあってなんかこうすごい
盛り上がってましたよね
盛り上がってましたよね
僕だってその口
話が忘れちゃいましたけど
いやいやあのそうそう
だからそうなんですよ
高揚感ありましたよね
その第一回目
もう第一回目ってだってもう味わえないじゃないですか
もう当たり前ですけど
この作ってく感じ
っていうのは
今もうUTMBFが
年を重ねていろんな変化を
してますけど
でもあの
けなしを超えるコースっていうのは
だって
あれ以来ないですから
ノンストップで行く
行きましたもんね
試行してたので
ある程度
そこは分かっていたというか
あー
そうですよね
だからその僕は
なんだろう
門富士合宿がすごい気になってて
DMJの
山井さんなんか覚えてます?
覚えてます
あのー
そうなんですよ
門富士合宿っていうブログを
友さんのブログかな
なんかで見たんですよね
2012のために
合宿したと
それがさっきイソさんが言ってた
あれですよね
男だらけの
それねー
昨日ちょうどいい写真見つかったんですよ
みんなでねー裸でねー
男着じゃんけん
それなんかね
カレー作ってませんでした?
そうです
そうです
39:00
まさにそういうことをやりたかったんですね
僕は逆に
あれですよ
マレナーで
ブログを見る側として見てたんですよ
面白そうなことしてるなーっていう
ので
すごい見てましたね
カレーにプロテインを入れる
そうですよ
それを
僕が真似したかった
やってました
やってた
その後皿洗いを
多分
トンデルズさんの番組が
企画にあると思うんですけど
じゃんけんで勝った人が
男着を見せて
全てやってやるみたいな
それで
じゃんけんで勝った人が
皿洗いをするみたいな
聞いてる人意味分かんないですね
いや分かりますけど
なぜか上半身裸で
それは全部
イソさんが提案するんですか
そう、イソさんがプレゼンターなんですよ
大体
アゴがね
付き合ってもらってた
合宿やろうってたのも多分イソさんですよね
いやでもね
僕これすげーな
この人たちと思ってましたけどね
やっぱり
結果見て思ったのかな
多分合宿して
結果出してから合宿見たのか
分かんないですけど
こういう人たちこういうことやるんだなと
要は
やっぱここまでやらないと結果出ないんだなって思いました
僕は
いいのか
ものすごい大変
というか
誰でも分かると思うんですけど
すごい自分にとっては
フィジカル的にかなり
人の方まで追いやられるような
気持ちもしてたので
こうUTMB
っていうレースを走らせてもらって
それでやっぱすごく大変っていうのも
分かってたので
それぐらいやらないと
とてもじゃないけどゴールできないだろう
っていうのはやっぱ
思ってましたね
みんなこれぐらいやってるんだと思ってました
普通じゃないことをやるんだから
普通じゃないことをやらないとダメだよね
みたいな
合言葉がありましたよね
そうですね
アマチュアがプロと一緒に走るんだったら
プロ以上に頑張らないと
練習の量だけは負けないみたいな
そうそうそうそう
なんかそんな
合言葉があったような
なるほど
なるほどあれ
俺違う視点で見てたんですよ多分
伊藤さんのその考えと
いつも多分違ってたのは
記憶してる
山谷さんも
走る前からある程度
手応えがあったっていうことですか
その
UTMFに向けては
その当時
今ブログ見返してたら
破雪で30K
1ヶ月前に開催されてて
そこでの走りが
42:00
すごく良かったんですよ
自分的に
100マイルに対しての30Kだから
全然違うカテゴリーなんですけども
ただそこで
自分が想定してた以上に
走れたのがあって
それでちょっと
MFに向けて
良いイメージを持ってたんですよね
じゃあその
MF前に積み上げてきた
リザルトが
自信にさせたというよりも
割と近い結果
ちょうど1ヶ月前ぐらいだから
一番追い込んでた時で
その状態で破雪で30Kで
全然早くはないんですけど
総合で
17位とかだったんですよ
ただ体は結構
疲弊してる状況です
年代で多分
5位ぐらいには入ったり
だからバックとバックみたいなもんですよね
イメージとしては
その中で
割と押せたっていうのは確かに
エンディランスとしては
かなり手応えがありそうですよね
ちなみにダイナマティックに
そうなんですよ
第一回のUTMFは何回目の100マイルだったんですか?
3回目かな
結構経験値あったんですよ
そうなんですね
1回目だからその伊曽さん
違うか
伊曽さんたちと一緒に走ったUTMBで
あと
温武
温武も出てたんですね
そうかそうか
ただ新越語学が好きで
そこはもうなんか
毎年走ってたっていうのもあったんで
エンディランスへの
正確的に向いてるんじゃないかな
っていうのがあった
さっき言ってた伊曽さんの合宿の話とかもそうなんですけど
自分は
みんなでバチバチにやるっていうか
みんなでしのぎ削って
自分たちを高めに持っていこうっていう
そのなんか
なんだろうな
コミュニティの楽しさがすごく好きで
調整というよりは楽しさっていうか
炎上感
楽しさ
その中で足つったらとか
なんかこう
ハンガーノックにあったらとか
面白いエピソードがたくさん
どっちかっていうと
エンターテイメントとして結構捉えてたっていうところが
確かに山矢さんそういう類ありますよね
なんかこう面白いことを求めてる感は
そうそう
メーターになる
特にEMJのメンバー
誰かが
山矢さん結構笑い情報だから
笑われてるっていうような
ありましたね
山矢さんも
体を動かしてるとちょっとしたことが何でも面白くなるじゃないですか
確かに確かに
ちょっとした失敗とか
間違えただけでも面白いっていう
自分の中では
エンゲージメントが高い状況が
ずっとこう
45:00
トランスじゃないですけど
ネタ持ってるメンバーばっかりだったんで
なんか動物園を見に行くような感じ
面白さがある
MFのゴールシーンの写真とかを見返してても
2人がハイタッチしてる写真っていうのは結構
ハイライトというか
すごい印象深いですよね
いいなっていうのがすごい伝わるし
あれはね
伊曽さんが後ろから来てるっていうのを仲間から聞いてて
それがすごく励みになったんですよね
だから自分も頑張れたっていうのがあって
だからそれでゴールで伊曽さんが
トップ10に入ってきたとき本当に嬉しくって
今でもあれは覚えてますね
山矢さん2013年も表彰台入ってますね
あれはフジヨシダで見てたんですよ
最後のやつかな
じゃあ餅月さんとかいたとき
あの時確か11位とかギリギリでしたよね
あれはドラマ買いましたね
山矢さんとやじんさんと
なんで俺以上に知ってるんですかいつも
野本さんですね
誰か一人だけ表彰に入れないみたいな
たしかそういう
野本さんとねずっと前
山賢野本さん自分で
山中校以降はずっと一緒だったんですよ
山賢が先行して向こうに見えるみたいな状況で
それがずっと続いて
山賢がその先で足のトラブルかなんかで
リタイアして
その後に
山賢さんが
リタイアして
そこから
原さんがすごいってのはその時は分かってたんで
野本さんと二人で
日本人頑張らなきゃいけないよねって話して
やってて
最後の最後で
本当にフジヨシダのエイドステーションで
今でも覚えてるのが
餅月さんが
餅月さんはそのレース出てたんですけど
多分コンディションが合わなくて
途中でリタイアしてて
エイドステーションで
山賢さんここでやんなきゃ
男じゃないよみたいなことを言われて
そっから気持ちが一気に上がって
で振り切って
そうですね、8位でフィニッシュですもんね
多分最後のセクション
一番早かったんじゃなかった?
そうですよね
あの時ね
ゾーン入ってましたよ
あれは本当に餅月さんのおかげというか
すごかったですよね
あの時は
ただ最後ゴールシーンで
アントン・リューニュヨンでしたっけ
うん
見えて
ここ抜きたいと思ったんですけども
ちょうど家族と一緒に
手を繋ぐシーンが前に出て
これはダメだと思って
48:00
いわゆるちょっと
最近若干炎上したゴールの
作法的なやつをやったわけですね
確かに
ちょうど今見たら
8位でしたが
そうですよね
でもすごいっすね
この2013年って
だって原さん以外
外人ですもんね
そうなんですよ
本当そうですよね
だって
2013、14って
レベルがもうボコッと上がって
そうですね
まあまあみんなMFに出るみたいな
それも多分1回目のインパクトがやっぱり
世界中に知れ渡ったんじゃないかな
そうそう、1回目のね
インパクトがあって
山矢さんのパフォーマンス的には
どっちの方が良かったですか
第1回、第2回でいうと
それで言うとですね
第4回が一番調子良かった
第4回
3回か
4回っていつですか
2009年
途中でヘッドライトがね
落ちちゃってそれでやめたんだけど
2015じゃないですか
2015か
そこがね多分一番
人生マックス
体が良い状態で
入れってたんですよね
あれはカメラとかしてましたもんね
2014
僕にモトスコで会ったの知ってます?
覚えてます?
モトスコ?
2014
14?
14やめました
なぜかモトスコにいて
あれって言って
そっから僕
すげー頑張ったんです
なんかその年くらいから
ちょいちょい山矢さんが
苛とか若干ドロップしちゃったりとか
ドロップ癖ついてさ
ドロップ癖がつき始めて
あれちょっと僕の
過程を捉え始めたなみたいな
あれなんですよドロップ癖っていうか
UTMFで結果出したことによって
他人の目を
気にするようになっちゃって
ちょっとでもコンディションが落ちると
これレース続けても
意味がないなって
ちょっと悪循環に
入ってた時期でしたね
何のために走ってんだろうって
自問自答してた
確かになんか
伊佐さんそういうのをチームとして見て
なんか思いとかあったんですか
そういう
2013年か
山矢さんが最終的に
8位だった時僕は
さっきの話で言うと
僕が一番調子良かったのはその年なんですけど
ただちょっと
ほんのちょっとやりすぎて
腰を抱えたまま走っちゃって
早い段階で多分
DNFしてるんですけど
その後
山矢さんとか
他のDMJのメンバーの
51:00
応援に
自分の悔しい気持ち
みたいなのも勝手に
みんなメンバーに背負ってもらって
自分を応援することで
それをやり過ごすというか
そういうのもあって
多分藤義屋のちょっと手前とか
声かけに行ったり
そうですね
大体
これは半分オフレコ話ですけど
あの
最終セクション
山矢さんがすごかった
普通の一般の車は
入ってきないところを
僕当時
雑誌の取材も兼ねて
メディアパスで
入らせてもらって
取材をしつつ
山矢さんにも
近くで見るというか
個人的には応援みたいな
ちょっとモチベーションを
やっとこう
表彰台圏外だったのが
いきなり表彰台の
8位とか9位とかそういうところで
来たからすごいびっくり
したしやっぱすごい嬉しかったし
いやーあれかっこよかったですもん
だって本当に
いやーすごかった
あとねNHKがちょうど
取材入ってたんですよね
それが
初めプレッシャーだったんですよ
プレッシャーだったんですけど
後々それが
それも効果的に
効いてきたっていう
そうそうそうそう
確かに
いやーすごかったっすね
すごい人だなっていう
のが覚えてますね
あの時
でもねやっぱ走ってて思ったの
1回目もそうだったんですけど
陸上経験ないとか
もうどうでもいいんですけど
自分が
走られてる選手と一緒に走れる
ってそこの喜びがずっとあったんですよね
なんか
そうですね周りだって
トップランナーしかいないですもんね
ほぼほぼ
リザルト見てても
ハセツネとかね七つあるレースで
結果出してあとグローバルでも活躍してる選手とかと
一緒に走れてる
っていうのは本当に嬉しくて
この時ちなみに小原くん
15位なんですよね
小原くんはその後くらいからね
すごいですね
1回からずっと出てき続けていて
いわば山谷さん
伊豆村さんの
それを見て学んでたっていうところもね
そういう人も出てきてるってことなんですね
きっとね
いわばこう後進にも
こうね
いろいろ刺激を与えてると
あれですけど山谷さんは
やっぱりその当時に
すごい覚えてるのは
雪の日で結果を出した後
さっき言ってた山谷さんが
少しこう
ネガティブというか迷い込んでた時期って話してましたけど
僕は覚えてるのは
UTMBとかのライブを見てて
山谷さんは
そこのトップ10に入る
54:00
ことを
想定したり
どうやったら入れるかだったり
なんか入るイメージを持って
山を走って
取れないんですけど
僕はもうそこは絶対無理だって思ってて
でもその時UTMBで
トップ10になろうみたいな考えは全くなかったんですけど
山谷さんがそれをリアルで
本気に狙ってたっていうのを
すごい印象に残ってて
まあ直接的じゃないにせよ
なんかそういう
思いの集積みたいなのが
元を正せば
田村儀さんとか岩澤さんとかにあるんですけど
それが積み重なって
またこう
例えば小原くんだったり
そうですね
そういう流れを
持ってくれたっていうのは
今もしかしたらあるのかもしれないなって
思いましたね
ファッター4の小原くんも
DMJの専属カメラマン
みたいな感じで
そうなんでしたっけ
そうです
そうでしたっけ
当時は
当時は
そうですか
なるほど
UTMFの時に
後半は
サポートしてもらってるんですよね
彼ともう一人
7号の中川健くんに
確か
バンビとコバもやってたってことですか
コバ
そうなんですね
そこにやっぱり自然とジョインしてくれて
いいとこ言うから頑張って
前のだれだれさんが
調子悪そうだって言われて
絶対抜かせるよとか
そういう
性格がスケベというか
ケチくさいんで
そう言われると柱ざるを得なくなっちゃう
多分そういう性格もよく分かってて
そうなんですね
そうなんですね
のがあったかな
うん
でもそっか
あれですよね
でもトップ10入るっていうのは
やっぱこう
今こう
ちょっとコバさんと
スケベ、コバさんと
やっぱりコバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
57:00
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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1:00:00
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
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1:03:00
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
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1:06:00
スケベ、コバさんと
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1:09:00
スケベ、コバさんと
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スケベ、コバさんと
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1:12:00
スケベ、コバさんと
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彼の確かに、私たちの本線はもう少し変わっているのではないかと考えた。
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