作品名:文章と言葉と
著者:芥川龍之介
図書カード:https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3755.html
青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/index.html
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文章と言葉と
芥川龍之介 文章
僕に、文章に凝りすぎる、そう凝るな、という友達がある。
僕は別段、必要以上に文章に凝った覚えはない。
文章は何よりもはっきり書きたい。
頭の中にあるものを、はっきり文章に表したい。
僕はただ、それだけを心がけている。
それだけでも、ペンを持って見ると、
めったにスラスラ言ったことはない。
必ず、ごたごたした文章を書いている。
僕の文章上の苦心というのは、
もし、苦心と言いうるとすれば、
そこをはっきりさせるだけである。
他人の文章に対する注文も、
僕自身に対するのと同じことである。
はっきりしない文章には、どうしても感心することはできない。
少なくとも、好きになることはできない。
少なくとも、好きになることはできない。
つまり僕は、
文章上のアポロ主義を包ずるものである。
僕は誰に、なんと言われても、
法解析のようにはっきりした、
曖昧を許さぬ文章を書きたい。
言葉
50年前の日本人は、
神という言葉を聞いたとき、
大抵、神を見づらに結い、
首の周りにマガタマをかけた男女の姿を感じたものである。
しかし、今日の日本人は、
少なくとも今日の青年は、
大抵、長々とあごひげを伸ばした西洋人を感じているらしい。
言葉は同じ神である。
言葉は同じ神である。
03:01
が、心に浮かぶ姿は、
このくらい既に変遷している。
名を満たし、
花に明けゆく神の顔。
葛城さん。
僕はいつか、
小宮さんとこういう芭蕉の句を論じ合った。
四季孤児の考えるところによれば、
この句は、
懐虐を浪したものである。
僕もその説に依存はない。
しかし、小宮さんはどうしても、
荘厳な句だと主張していた。
画力は五百年。
書力は八百年に尽きるそうである。
文章の力の尽きるのは、
何百年くらいかかるものであろう。
何百年くらいかかるものであろう。
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