1. エンジニアトーク「ROLE MODEL」
  2. #04 海外で起業して気づいた日..
2020-07-31 23:58

#04 海外で起業して気づいた日本人エンジニアの価値


新卒でIBMに入社後、LINEに転職。その後VCから出資を受け共同創業者兼CTOとして起業、東南アジアへ移住。
自身のグローバルな開発経験や0→1開発経験をもっと日本のエンジニアに還元したいという想いで、2018年にGAOGAOを創業。
海外企業をエンジニアリングの部分で支援する中で、「日本人エンジニア」としての価値を感じたという手嶋さん、そう思った経緯、
また日本人エンジニアとどういったことを世界でやっていきたいのかお伺いしました。

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日本人は、価値は高いところがあると思っていて、品質に関する考え方とか、
日本ってそもそも品質が高いカルチャー、世界になって作られていて、
そういったクオリティを高く作り上げるということと、
あとは、自分で考えてものづくりを進めるというところは、
いわゆる東南アジアの諸国よりも優れている能力があると思っています。
そう話すのは、今回のストーリーの主人公、手島さんです。
彼は今、シンガポールを拠点にする会社を経営しています。
こんにちは、森マリノです。ベンチャーキャピタルKVPでアシスタントを担当しています。
ロールモデルは、エンジニアのキャリアストーリーを紹介し、キャリアプラン形成に役立つ情報を伝えるポッドキャストです。
今回は、日本でエンジニアとして働いた後、ガオガオという会社を立ち上げ、
現在シンガポールで暮らす手島さんのストーリーを紹介します。
手島と申します。よろしくお願いします。
今、私は2社目の起業をしてまして、その会社がガオガオという会社でやっています。
もともと2年前にバンコクで、ちょっと前の会社の都合があって、
私は東南アジアに4年前ぐらいから移住していて、
タイで特に日本からグローバルを志したいエンジニアをターゲットに
コミュニティを作ることで、そこからビジネスに発展させるという発想で今に至ります。
それで今、どういう事業をやっているかというと、世界中でものづくりの連鎖を起こすというビジョンで、
メンバーだいたい副業を含めて35名ぐらいで2つの事業をやっています。
1つはスタートアップスタジオという事業で、企業家の方とか、
あとは新規事業部、会社の中の新規事業部の方とか、
そういった方たちに対して企画からコンサルっぽく入って、
0.1の開発を支援するというところ。そこが1つの大きな事業ですね。
もう1つは研修事業をやっていまして、
これからプログラミングを学んでキャリアチェンジをしたいといった方たちに、
いわゆるプログラミングスクールをやっていて、うちがちょっと特殊なのは、
海外に泊まり込みでメンターさんと一緒に共同生活をしながら、
勉強をしていくようなコースを提供したりしています。
シンガポールでスタートアップスタジオとエンジニアの2本の軸に活動する田島さん。
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そもそも彼はいかにして海外に渡ることになったのでしょうか。
なんで海外っていうのを話すと結構遡るんですけど、
今結果的に僕は今年からシンガポールで活動してまして、
もともと海外で気持ちを持ち始めた時期っていうのはもう10年前ぐらいなんですね。
大学院時代、とあるウェブアプリのコンテストで入賞。
その景品が賞金とシリコンバレー1週間の旅というものでした。
そこでの旅で大きな衝撃を受けたといいます。
西海岸に訪問した時に、今で言う側はみたいな感じですけど、
Googleの本社を訪問したりとか、エヴァノートの本社を訪問したりとか、
Twitterとかインキュベーション施設とかですね、そういうところも見させてもらって、
その時僕はかなりのカルチャーショックを受けたっていう経験をしています。
というのは日本のエンジニアの文化とか認知のされ方っていうのが、
当時10年以上前って結構イメージが、やっぱりSIのイメージが強くてですね。
SEとか結構ITドカタって呼ばれるようなイメージの世界がほとんどだったんで、
世界からアメリカの西海岸のみんなが知るようなサービスですね。
TwitterもYouTubeもDropboxもああいうところから出てくるんですけど、
そういうのをリアルに見てですね、何かパワーを感じたんですよね。
今でもその時の光景が鮮明に思い浮かぶそうです。
目を輝かせながら彼は語ります。
世界中で使われているプロダクトの開発を楽しそうに取り組んでいる。
出元準備とかあるとか、忙しいのは間違いないんですけど、
すごくポジティブに自分のやっていることを誇りを持ってチャレンジしているし、
その会社がそういう人たちを前向きに仕事をできるような環境を作っているという状況、
のびのび働ける環境とか、そこは全然違うなという感じが受けました。
この時、自分も海外で働いてみたいと思ったそうです。
ですが、既に日本でIBMからの内定をもらっていました。
結局僕は既に内定を大手からもらっていた状態だったので、
そのまま日本で就職したわけなんですけど、
その頃からずっと海外でチャレンジしたいという気持ちをずっと持っていたという感じです。
チェーンソー2でIBMの研究所に入ってですね、ソフトウェア開発をしている研究所なんですけど、
今でいうと、WatsonというAIのブランドがあるんですけど、
そこの組織の一部でエキスト解析とか検索とかをするソフトウェアを5年ぐらい開発していました。
チームとしては結構グローバルで、アメリカにUXの人がいたりとか、
アイルランドでテストをQAチームが行ったりとか、
割とそこら辺はグローバルに仕事ができていたとは思っていますね。
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5年ほど働いたある日、手島さんは思い立ちます。
自分は本当にこのままでいいのか?と。
ちょっとあまりにもホワイトすぎたっていうのが実はあってですね。
定時が遅い。まず遅い。
17時までに行けばいい。
6時ぐらいには帰るっていう、すごく健全なんです。
研究所っていうのもあって、割と穏やかにみんな仕事できる環境で、
文句なしの快適な環境なんですけど、
なんかどこかで僕は、このまま10年、20年、
何不自由なく仕事することはできるんだけど、
それでいいんだっけなってちょっと思い始めて悩んでた時期がありました。
こうして、伸びてきているサービスに関わりたいという理由から、
LINEへの転職を決意。
2年ほど開発に携わります。
しかし、海外で働きたいという思いは日に日に強くなる一方でした。
今から言うと4、5年前ですね。
やっぱり海外とか、何かチャレンジ、大きなチャレンジをしたいという気持ちが、
その時も強かったんですよ。
当時海外の企業に直接アプライとかしたりとかして、
色々キャリアを模索しようとしてた時に、
とあるVCの仕事をされている方が起業するタイミングで、
一緒に共同創業者と、兼CTOとしてやりましょうという話を受けた。
その時、色々選択肢としてはあったんですけど、
企業と海外で働くっていうのを天秤にかけた時に、
なんとなく海外の専攻もオーストラリアの会社とかに応募してたんですよ。
それは結構最終面接まで進んだんです。
てことは、もしかすると5年後とかに、
そういう形で応募しても通るかもしれないなっていう気持ちがちょっとあって、
誘われた企業で、多分当時僕30ぐらいだったんですけど、
30でしなければ、5年後以降に起業するっていう経験は絶対できないだろうなっていう感覚があって、
海外の前に起業するかぐらいの気持ちでした。
海外に行く前にまずは起業。
そう思った矢先、思わぬ出会いがあります。
起業してみたら、ファウンダーのもう一人の方もすごくグローバル思考が強くてですね、
当時エアビとか伸びてきていた時期で、
東南アジアのビラに特化したウェブサイトを作りましょうっていうような、
じゃあ営業都合で海外に行っちゃいますかぐらいの形で、
海外ありきで海外行ったというよりは、起業するっていうステップを一回踏んで、
いろいろ試行錯誤をやっていた結果、
ひょんなところから海外に行くきっかけがあり、
即決して海外に行ってしまったっていう感じですね。
起業するついでに海外にも行っちゃえ、という何とも大胆な決断をします。
結果として長年抱いていた海外で働くという思いを叶えます。
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完全にノリですね。
東南アジアがファウンダーが好きだったっていうのもあって、
選択肢としてはシンガポールかベトナムかバンコクぐらいだったんです。
ベトナムでいうとホーチミンとかですね。
あとタイのバンコクだったらどこがいいっていう話で、
まずシンガポール高そうっていう。
スタートアップだし、ランニングコストあんまかけたくないし、
シンガポールはやめとこう。
ベトナムとバンコクどっちがいいかねって考えると、
バンコクの方が楽しそうだねぐらいの気持ちで。
ほんとその理由で4年前ぐらいに移住しました。
こうして満を持してバンコクに渡ることになります。
いざ海外に渡ってみてどう感じたのでしょうか。
行ってみると、なんとなく行く前ってすごくハードル高いような感覚があるんですけど、
行ってみるとなんてことなくて、
別にそんなに考えていくようなものでもないなっていうのが思い返すと感じることです。
遠行くだけは高いタイプでした。
スコア的にはまあまあ高いと言われる部類なんですけど、
それはリーディングとか問題で出てくるリスニングとかはまあまあできたんですけど、
やっぱり実践のスピーキングは未だに苦労しているレベルです。
もう全然できないレベルでしたね、当時から。
そんなもんで行けます。
特に東南アジアはみんな英語が別に第一言語ではなかったりするんで、
そんなに不利な感じは思わないですね。
まず最初にどんな事業を手掛けたのでしょうか。
いろいろやりましたね。宿泊関係のサービスとか。
タイでも結構インスタグラムが流行っているので、
インフルエンサーマーケティングみたいな、そういった領域でやったりしていたんですね。
ただまあちょっとまあいろいろ端緒っていうと、
まあ事業としてはなかなかうまくいかずですね。
会社としては当時行ったんですね。
こうして最初の事業はうまくいかず、会社は苦労ず。
再度解散し、手島さん自身も職を失ってしまいます。
ここで彼が取った決断とは。
もうちょっと30代がチャレンジしたいなという気持ちはあったんで、
やっぱりもう一回何回やってみようという気持ちで始めたのがガオガオっていう感じですね。
諦めることなく再びチャレンジすることを決意します。
で、その時に意識したのは本当に自分のやりたいことは何だろうっていうのを結構意識して。
で、その前の会社の場合は結構マーケットが伸びてきているから、
トレンドに沿ってこういうプロダクトを作ろうっていう発想で結構やっていた点があったと思っていて、
まあそれでもちろんうまくいくケースはあると思うんですけど、
僕としては自分自身が本当に作りたいものっていうのを率直にサービス化した方がいいんじゃないかなっていうのをその後考えて、
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今やっているのはその自分自身みたいに海外にチャレンジしたいとか、
起業したいとかそういったエンジニアを支援するような環境を作っていきたいっていう気持ちで今もやっている。
失敗はやっぱ重要だなっていうのを改めて感じて、
なんか昔大学の時とか就活で失敗談を語るみたいなトレンドっていうか点形質問あるじゃないですか。
あれって何なんだろうっていう感じだったんですよ、当時。
でも今の自分になって失敗するぐらい本気でやった経験ってすごい価値が学びが多いなっていうのを思っていて、
僕がもしかしたらそういう就活面接で失敗談とか聞くかもしれないって今更ながら思っています。
自らの失敗からその経験を伝えていこうと、エンジニアの育成の事業を始めます。
日本人の万国にいるエンジニアコミュニティっていうのがありまして、
でもああいう方たちを巻き込んで、
例えばメディアを立ち上げたり、シェアハウスを立ち上げたりして、
日本から受け入れられる環境を作っていきましょうっていうのが始まりでした。
まず10人ぐらい入れる賃貸を始めたところがうちの会社の始まり。
思ったより人が詰まってですね。
そこから半年後とかは若手のエンジニアとか10名ぐらい、合計すると10名ぐらいがそこのハウスに住んでですね、
活発にコミュニティがどんどん広がっていったという感覚がありますね。
当時は僕が住んで教えたりしてました。
そういうプログラミングを本気で目指したいという人たちは確実に集まっていて、
海外に泊まり込みに来て勉強したいという人はモチベーションが結構高いんですよね。
中途半端にやりたくないとか、環境を丸ごとあえて変えたいとか、
メンターと住み込みで土日もがっつりやるとか、そういう人たちが多いんで。
密度の濃い意識の高さみたいなのを感じますね。
そういう意味では良いコミュニティができてきているかなとは思っています。
こうしたエンジニアコミュニティの事業とは別に、シンガポールで新たな事業を展開していきます。
今まで話したのは結構プログラミング教育の事業だと思うんですけど、
実はそっちはどっちかというとサブであってですね、
メインの事業はスタジオ事業って言って、
お客さんと並走しながら開発を作るっていうのを売りにした
プロフェッショナル舞台っていうようなイメージでいてくれればいいかなと思っています。
その中に3つぐらい部署があって、
1つがスタートアップスタジオっていうもの。
いわゆる創業機の起業家と一緒に開発をしていく舞台。
実はこのモデルは一部株式を報酬でいただいて、
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キャッシュは今はいりませんといったようなモデルで進めてたりするケースが何社かあります。
そこはVCとかアクセラレーターに携帯が近いようなイメージですね。
もう1個の部署はDXスタジオですね。
今トレンドのデジタルトランスフォーメーションのDXを推進する舞台で、
結構東南アジアとか日系企業とか特にそうなんですけど、
まだまだデジタル化すべきところができてないとか、
そういった会社が多いんで、
特に東南アジアメインでDXを推進するような舞台としてスタジオって呼んでる部署が1個あると。
もう1個はクリエイティブスタジオっていう部署で、
いわゆるウェブサイトとかコーポレート、CIとか、
デザイナーが入るようなウェブサイト制作部署があったりします。
その3つがメインで動いていて、
グローバルでお客様の数と15、6社ぐらいが同時に並行して動いていて、
メンバーでいうと副業を含めて35名ぐらい稼働しているような事業になります。
やっぱりプロジェクトとか進めていくと、
どうしても分かってなきゃだと成り立たないっていう状況が結構起きるじゃないですか。
で、シニアを1本ずりとかして取りたい取りたい言ってたんですけど、難しいんです。
スキルのある人っていろんな選択肢のある中で、
なんでうちに来るんだろうっていうのを考えると、
まだまだちっちゃな会社ですし、すごい難しいなっていうので、
どっかのタイミングで若手にもあえて振り切ったんですよね。
若手をとにかく集めて、マインドセットが結構いい若手。
もうゴリゴリやりますっていうようなタイプですね。
そういう人たちが、もちろんシニアは数名いるんで、
そういう人たちシニアのサポートの下、若手をどんどん活躍させていくと、
会社のコミュニティとしての価値が大概的に見えてきて、
意外なところでシニアの方とかが僕も参加したいっていう感じで、
あとから自然に入ってくれたっていう事例があってですね。
僕たちとしてはそういう20代で、
若手で海外とか企業とかに何かチャレンジしたいんです、
っていう人たちを中心的に集めていきたいっていう感じです。
若手中心のメンバーでどんどん成長を見せています。
ガオガオはどのようなお客さんと仕事をしているのでしょうか。
韓国現地のお客様もいますし、
今だとアメリカのお客様も結構いて、
結構といって2、3社ですね。
シアトルの方とか、あとはサンフランシスコとか、
リモートで内側プロジェクトを受けていたりとか、
あとシンガポールでもお客様おりますし、
あとは日本がやっぱり大きなボリュームでお客様がいるっていう感じなんで、
世界いろいろなところにお客様はいます。
国籍に関してもバラバラで、
東南アジアで日系企業のお客様になると日本人がほとんどなんですけど、
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中にはローカルの企業家も支援しているプロジェクトがあって、
そういったところだとタイ人のファウンダーだったり、
オーストラリア系の韓国系のオーストラリア人のファウンダーだったりとか、
いろいろグローバルなプロジェクトもあったりしますね。
今後、ガオガオはどこへ向かっていくのでしょうか。
僕もはっきり今ここ、
例えばエグジットゴールみたいなのは考えているわけではなくて、
漠然とレベルなんですね。
今はまだやっぱりあと3年から5年はしっかりこの事業をやろうと思っているんで、
その手前のまだ2年目、3年目が始まったタイミングっていうくらいの気持ちです。
今後は僕が今、今年からシンガポールに来てまして、
シンガポールでのラジオ事業の拡大っていうのを目指してますし、
あとは中心的な若手メンバーが徐々に自分自身でそういうプロジェクトを取って、
そこでまた彼の下でエンジニアコミュニティを作って、
ここでまた一つの島を作っていくみたいなのを
ここ数年でやっていくっていうのをイメージしています。
現在、ガオガオで働くメンバーは全員が日本人だと言います。
手島さんが考える日本人エンジニアの付加価値とは?
例えば中国とかインドとかベトナムとかと比べると、
日本人って単価は比較すると高いんですよね。
けどやっぱり僕は日本人は価値は高いところがあると思っていて、
品質に関する考え方とか、
日本ってそもそも品質が高いカルチャー、世界になって作られていて、
もともとの品質感覚が高いんです。
クオリティを高く作り上げるってことと、
あとは自分で考えてものづくりを進めるっていうところは、
いわゆる東南アジアの諸国よりも優れている能力があると思っています。
最近アメリカに訪問したときに、半年前くらいなんですけど、
現地の人にヒアリングして、
やっぱり今アメリカは単価があまりにも高いんですよ。
特にサンフランシスコとかだと、
ジュニアレベルでも年収1500万円くらい出さないと雇えないような状況なんです。
現地で雇うならない。
そこはあまりにも高騰しているんで、
彼らとしては結構海外にリモートで発注するっていうのが、
割と現実的に動き始めているんですね。
そこで彼らに聞いても、
日本人の現地で活躍しているエンジニアってすごい少ないんですけど、
みんなすごくできるって言っているのと、
現地で活躍されている日本人の方も、
日本で働いてたエンジニアたちは、
アメリカでも通用するはずだっていうふうに言ってるんです。
日本人は能力的にはアメリカと対等にやれるはずの能力を持っているにも関わらず、
単価でいうとアメリカよりは低いっていう状況ではあるんで、
逆に言うと、実はチャンスだと思っているっていうことですね。
能力は高くて、中国とかよりは高いんですけど、
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それ以上のハイパフォーマンスであるっていう価値を提供できれば、
結構活躍できる道はあるのかなって常々思っています。
現在急成長中のガオガオ。
まだまだエンジニアを募集しているそうです。
うちは一部の中心人物数名以外は業務委託の契約をしているんですね。
基本はプロジェクトに入った稼働分の請求に対して
押し払いしているような状況で、
プロジェクトに入る前に基本的には希望年収を叶えるように動くんで、
今までからすごく下がるなんてことはほとんどないというか、
それがないように調整した上でプロジェクトを開設しているような状況です。
なるべく待ちするように進めているので、
こんなに年収は変わりませんというか、
上げるように交渉することもできますという感じです。
面白い設計としては、
希望があればお客さんの創業期で、
CEOの方とすごく相性が合えば、
本人に株式をその会社の株式を持ってもらって、
ハイブリッドのような形である程度生活最低限の給料を渡して、
あとは株で大きなリターンを狙いましょうみたいな、
そういった設計も可能なんで、
いろいろ柔軟に応じますという感じです。
絶賛エンジニア募集中なので、
これから僕らがようやく去年シンガポールで本社投資して、
コロナも徐々に明けつつあるので、
本格的に動き始めたいと思っているタイミングなんで、
多分あんまり海外で活躍したいと思っている人がこれだっていう、
日本から海外って考えた時に会社の候補ってあんまりない気がして、
そういう人たちに向けて何かいいきっかけをつくれる存在には
なりたいと思っているので、
ぜひ興味があれば一緒にやっていきましょうという感じでよろしくお願いします。
気になった方は概要欄のガオガオのウェブサイトをチェックしてみてくださいね。
最後に手島さんの今後のプランを聞いてみました。
今のやっぱり会社を成功させるっていうのが一つの野望で、
その後は正直あんまり考えてないっていうところですね。
自分の経験を日本の人たちに還元したいっていう気持ちは結構強いので、
当面僕は海外とかそういうところでいろんな開拓をしていって、
最終的にそれを日本に還元できる場にいれればいいのかなっていうような感じです。
これからの手島さんのさらなる活躍に注目しましょう。
この番組はポッドキャストプロダクションピトパのオリジナルコンテンツです。
番組の感想・リクエストは概要欄のリンクよりお待ちしております。
それではまた次回お会いしましょう。
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