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2020-08-28 18:06

#08 Facebook本社で働くエンジニアのストーリー


リクルートに入社後、タウンワークといったアプリの開発をiOSエンジニアとして従事する。
その後Gunosyに転職し、現DMMでCTOを務める松本氏たちとサービスのグロースを支える。
グローバルに活躍の場を移し、ベルリンやニューヨークのスタートアップでキャリアを重ね、
現在はFacebook本社にてエンジニアとして活躍している。
誰もが憧れるFacebookで働く川邉さん。そのキャリアについて深く取材させていただきました。

川邉さんTwitter: https://twitter.com/ykawanabe
番組の感想/リクエスト: https://pitpa.jp

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日本でできるエンジニアの人が、そのままここに来て、
じゃあ活躍できるかって言ったら、そうではなくて、
でも逆に言うと、僕がものすごいできるエンジニアかって言うと、そうではないと思うんですよ。
僕は多分、アメリカの文化にうまく適応できたから、
普通のエンジニアとして、Facebookの中で普通に働くことができている。
多分、すごいエンジニアの人でも、国際人として世界のスタンダードでこういう風に働いているんだみたいなのをわかれば、すぐに活躍できると思います。
そう話すのは、今回のストーリーの主人公、川鍋さんです。
彼は今、アメリカのFacebookでエンジニアとして活躍しています。
こんにちは、森麻里乃です。ベンチャーキャピタルKVPでアシスタントを担当しています。
ロールモデルは、エンジニアのキャリアストーリーを紹介し、
エンジニアとしてのキャリアプラン形成に役立つ情報を伝えるポッドキャストです。
今回は、日本、ベルリン、アメリカと国際人として働くエンジニアのストーリーを紹介します。
彼はいかにして今のキャリアにたどり着き、どのような環境で働いているのでしょうか。
川鍋雄介です。今、ベイエリアでソフトエンジニアをしています。
現在はFacebookでデベロッパーインフラストラクチャを作っているチームにいます。
今はカリフォルニアに住んでいます。
大学では物理学をやっていて、大学の時に初めて交換留学でアメリカに行って、
アメリカはすごいなって思ったのがきっかけで、大学院でアメリカの大学院に行きました。
その後に日本に帰ってきて、自宅開発みたいなのをやっていたんですけど、
それがあまりうまくいかずに就職しようってことになって、
リクルートに入ったのが初めてのソフトエンジニアとしてのフルタイムの仕事です。
理科大だったんですけど、理科大の交換留学プログラムを使って、
1年間カリフォルニアに行けるというプログラムを見つけたんですね。
あんまり大学時代が楽しくなかったので、
これはちょっとなんか面白いことしたいなと思って、
何か探してた時に1年間留学を見つけて応募することにしました。
カリフォルニアのサンタクルーズという場所に留学に行ったんですね。
サンタクルーズってサーファーの街で、天気もすごい良いし、
そもそも人々がすごいオープンで、すごい良い雰囲気だったんですよね。
ここに住もうって思って、ここに住んでアメリカ人になりたい。
ってなぜか思ったんですよね。
そのバス出て外見たら、めっちゃ空が広かったから、
これ良いなって感動したのが本当に今でも残ってます。
今でもその年の記憶が本当に鮮明ですね。
それぐらい衝撃残ってます。
大学時代に留学したサンタクルーズに一目惚れ。
ここで20代のうちにアメリカ人になるという目標を掲げたそうです。
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ちょうど10年ぐらい前だったので、ソーシャルメディアが出てきたとか、
スタートアップが本当にこれからだみたいな時だったんですよね。
それを聞いて、あ、そういうソフトエンジニアっていう職業があって、
世界中いろんな人が集まってて、すげーって思って。
アメリカのソフトエンジニアに行くっていうのはこういう感じなんだなっていうのに
少し触れたのがそれが初めてだったんですよね。
アメリカへの憧れから、大学卒業後はアメリカの大学院に入学して帰国、
リクルートへの入社が決まります。
DNAとかサイバーとか楽天とかすっげー受けたんですけど、
なんと全て落ちたんですね。
拾ってくれたのがリクルートだったんですよ。
リクルートテクノロジーズに入り、そこで1年半ぐらいモバイルアプリエンジニアとして仕事をして、
その頃もずっとアメリカに行きたいとかアメリカ人になりたいっていう気持ちは変わってなかったんで、
ずっと勉強したりとか、どうやったらソフトエンジニアとして成長できるんだろうとかってことをずっと考えてて、
たまたまLangu8が主催するLightning Talkに初めて行ったんですよ。
Lightning Talkに初めて行って発表して、
こういうすごいソフトエンジニアが日本にもいるんだと思って、
そこでコミュニティとのつながりがちょっとずつ生まれてきたんですね。
その参加していたイベントをきっかけにGNOSHIへ転職します。
GNOSHIではちょうどIPをする直前で、
iOSエンジニアが3人とかいて、
その中でみんな自由にやってて、
発信活動とかもすごいやってるし、
いろんな新しい技術を試すみたいなこともしてるし、
そういうできるエンジニアに囲まれながら、
自分もこうやってこういうことをできなきゃいけないんだなとか思いながら、
いろんなことをやらせてもらいました。
GNOSHIにあの時いた人って本当にすごい人が多かったんですよね。
今DMMの推定をやっている松本さんとか、
フィーランスでいろんな会社をサポートしている人もいるし、
Googleに行った人もいるし。
日本で順調にキャリアを重ねる川鍋さん。
しかし、アメリカで働きたいという思いは日に日に強くなっていきました。
ただその時、日本市場で日本の会社ってことがすごい不満で、
海外展開をしているような会社とか、
アメリカに戻りたいっていう気持ちとかがすごい強くて、
ちょうどリクルーターの人に声をかけてもらって、
OKパンダに行くことになったんですね。
OKパンダは日本で英語のアプリを提供しているニューヨークの会社だったんですね。
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僕のビザの関係上、アメリカにすぐ行くことはできなかったので、
コーファウンダーの一人がいるベルリンに行こうということになりました。
こうしてアメリカ移住の第一歩を踏み出します。
一番最初にOKパンダで働き始めた時に、
実はベルリンに行く前にちょっと東京で働いていて、
チーム全員が東京に来て、ニューヨークにも行って、ヨーロッパにも行って、
彼らが全員東京に来て一つの家に住んで、
その時が本当に大変で、
働く時間が長いともそうなんですけど、
コミュニケーションがものすごい密。
一つの家にみんなで住み込みながら働くみたいな感じだったので、
衝突することもあるし、
覚えているのは他にIOSエンジニアが2人いたんですけど、
彼らと議論する時に自分の意見が全く言えないことに気づいたんですよ。
それはまず英語でちゃんと物事を伝えられないというのもあるし、
もう一つは日本人じゃない人に自分の意見を伝える時の
正しいストラクチャーみたいなのを知らなかったんですよね。
それで相手も混乱してたし、俺も混乱してたし、
違うと思ったら違うって言わなきゃいけないし、
自分が欲しかったらそれを欲しいって言わなきゃいけない。
黙っているのは何も思っていないのと一緒っていうのが
一番の大きな違いかもしれないですね。
ベルリンで3人でチームを作り始めて、
コワーキングスペース一緒に探したりとか、
みんなでコワーキングスペースでハイアリングをしたりとかしてチームを作っていって、
うよ曲折あり、最終的にはアメリカのビザを取得して
僕はアメリカに戻れることになりました。
いよいよ長年思い描いていたアメリカで働くという目標を叶えます。
さらにこのタイミングで彼は3度目の転職も決断します。
僕はサンフランシスコで仕事探しを始めたんですね。
その時に出会ったのがニーマラブスって会社でした。
そこも22ぐらいのスタートアップでグルテンのディテクターを作っている会社。
レストランとかに行って食べ物の中にグルテンが入っているかどうかっていうのを調べる。
それはグルテンアラジーとかシリアックディジーズっていう
グルテンに対するセンシティビティが高い人たち向けのデバイスを作っている会社でした。
僕はそこのアプリ、iOSアプリを作るので入って、
その後Androidアプリも作って、
20人いたんですけどソフトウェアエンジニアとかは4,5人で
いわゆる米エリアのスタートアップ、ハードウェアスタートアップみたいなことが経験できて
それはすごい面白かったですね。
実はこれらの企業で働く傍ら、
Facebookの面接は数回チャレンジしていたのでした。
インタビュープロセス3段階あって、
その人事のフォンスクリーニングがあって、
その後テクニカルフォンスクリーニング、
電話面接があって、最後にオンサイトインタビューがあります。
それは実際に現地に行ってやる面接のことで、
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4時間くらい新しいインタビュアーが入ってきて、
入れ替わり立ち替わり話を聞いていくみたいな、そんなスタイルですね。
フォンスクリーニングした時にあまりに現実離れすぎて、
俺本当にこれ、Facebookとインタビューしてるのかなって思いましたね。
初めてインタビューした時、2回電話面接してるんですよ。
普通の人は1回らしいんですけど、
はっきりパスできなかったからもう1回やることになって、
2回目は東京にいる時にフォンスクリーニング受けて、
その時とかはインタビューの問題もよくわかんないし、
英語言ってることもよくわかんなかったし、
夢みたいな感じがなんかボヤーってしてました。
ベルリンの時はリクルーターからリーチアウトがあって、
フォンスクリーニングやって、
オンサイトインタビューって、
直接会って面接をするところまで行ったんですよ。
その時は落ちちゃったんですよね。
なんで落ちたのかなって今振り返ってみたら、
問題を解くとか、
あとソフトウェアアーキテクチャについて話をするとかは十分にできたんですよ。
その時できなかったのは、
やっぱりコミュニケーションをうまく取るっていうところだったんですよね。
どういうことかっていうと、会話をリードするってことができなかったんですよね。
しかし川鍋さんは、ベルリンとアメリカの2位まで成長を遂げます。
そして最終的に見事、フェイスブックへの入社を勝ち取ります。
2位まで働いてて、チームを作ったりとか採用したりとか、
僕日本人一人だったんで、
日本人としてっていうよりも国際人として働くっていう中で、
どうやって人に影響を与えていくんだろうみたいなのをちょっとずつ学んで、
メンタリングとかしてもらったりしながら、
そういうのを学んだ結果、
フェイスブックの面接に行った時も普通に
うまく話を進められることができたんじゃないかなって思います。
こうしてフェイスブックでの生活が始まります。
最初見た時の印象は、キャンパスが本当に遊園地みたいだなと思いました。
テレビとかネットとかで見るように、
すべてがカラフルで、オフィスはもちろんオープンスペースだし、
そういうコラボレーションがすごいできるような感じになってて、
カフェテリアもご飯がおいしくて開けた感じで、
いろんな人たちがインタラクションしながらご飯食べてて、
絵に描いたような理想的なワークスペースだなって感じですね。
僕入って最初はビデオ関係のチームにいたんですよ。
本当にわけわかんなくて、
大きいテクカンパニーってやっぱり社内のシステムがあって、
社内知識がないと一つの仕事をするのも大変だったりする。
コミュニケーションの仕方もスタートアップの時とは全然違くて、
立ち上がるまですごい時間かかりましたね。半年くらいしてからかな。
その後、クリエイタースティリオっていうアプリを作るチームに移って、
最初2人アプリのエンジニアがいて、僕ともう1人。
Androidの人と僕といて、そのうちの最初のメンバーですね。
クリエイター向けのアプリを作るっていうのをやってました。
働き方でいうと、BPとかディレクターとか上からただこういう機能を作るって降りてくるんじゃなくて、
割とボトムアップな会社なんですよね。
コミュニケーションの仕方もやっぱりソーシャルネットワークの会社なので、
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グループが有機的に必要であれば繋がるし、
必要なければコミュニケーション取らないしみたいな感じで、
新しい機能を作るってなった時に、
エンジニアが今あるメトリックスとか見て、
こういう機能が必要だなってことは、
こういうデザインとカスタマーへのメッセージがいるって言ったら、
プロダクトマネージャーとかデザイナーとか呼んで、
自分のエンジニアリングマネージャーを巻き込んで、
他のチームのサポートが必要だったら他のチームにコミュニケーションを取って、
そのコミュニケーションを取る時も社内Facebookみたいなのを使ってるので、
話してみたいんだけど15分くらい時間取れないとか言って、
そこからコミュニケーションが始まって、
だんだんオフィシャルなものになっていって、
最終的にプロダクトをシップするみたいな感じですね。
いかにもFacebookみたいな感じですよね。
日本でできるエンジニアの人がそのままここに来て、
じゃあ活躍できるかって言ったらそうではなくて、
でも逆に言うと、僕がものすごいできるエンジニアかって言うと、
そうではないと思うんですよ。
普通のエンジニアとしてFacebookの中で普通に働くことができている。
多分すごいエンジニアの人でも国際人として世界のスタンダードで
こういうふうに働いているんだみたいなのを分かればすぐに活躍できると思います。
コンペティティブな会社にいるからすごい仕事へのエキスペクテーションが高いっていうのもあるし、
日本人として日本人の中で働くのってたくさんのコンテクストを共有しているから、
すごい気が楽なんですよね。
アメリカで働いているっていうのは別にアメリカ人の中に入って働くんじゃなくて、
いろんな人の中に入って国際的な環境の中で自分の価値を出しながら働かなきゃいけないから、
そういう意味でもコンペティティブだから好かれるなって思うときはある。
日本に3ヶ月に1回ぐらい心が弱ったときに帰りたいなって思うことあるんだけど、
でもやっぱり国際的な環境で働いていた方が社会へのインパクトも大きいから、
僕はそっちの方を選びたいなって思うね。
これからも興味のあることにチャレンジし続けたいと言います。
フェイスブックで働くっていうのも、実は昔日記に書いたことがあって、
フェイスブックがGoogleで働くって書いたことがあるんですよ。
なんでそれを書いたかっていうと、ソーシャルネットワークっていう昔の
フェイスブック誕生の話の映画を見て、
やべえ、これかっけえじゃん、俺これやりたいわって思ったの。
なんか全部自分が面白そうだなって思ったことをただやっていっただけって感じですね。
川鍋さんが考えるご自身の付加価値について、担当直入に聞いてみました。
それめっちゃ難しい。付加価値出せてるのかな。
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クリエイターストーリーをやってた時に思ったのは、
チームカルチャーを作ってくれたっていうフィードバックが多かったですね。
リリースに向けてみんなで一緒にやっていくとか、
その一緒にやっていく中でも楽しく働くとか、
そういう仕事を楽しくするみたいなのは得意だというフィードバックがよく受けます。
川鍋さんがフェイスブックで成し遂げたいこととは、
アメリカの成功したテクノロジーの会社ってどういうふうに動いてるんだろうっていうのを知りたかったっていうのがあるんですよね。
多分要素の一つとして大事なのは、
そのカルチャーを作るとか、
あとソフトエンジニアリングをどうやってやってるかっていうのの他にも、
人々がどうやって働いてるか、
そういうイメージャー的な視点って僕はすごい人生の助けになると思ってて、
そういう意味で言うと、ソフトエンジニアじゃないロールをやってみたいっていうのはあります。
これまでのキャリアを振り返って今思うことは?
アメリカの大学院に行くと、
OPTって言って数年間こっちで働ける権利みたいなのをもらえるんですよね。
アメリカの大学院に卒業した後にそのまま滞在し続けなきゃいけないんですけど、
僕はそれを知らずに日本に帰ったんですよ。
日本に帰って、じゃあ日本でソフトエンジニアとして経験を積んでから帰ってくればいいやと思ったんですけど、
実はそれですごいハードルが高くて、
というのも就労ビザが、就労ビザってすごい競争が激しいんですよね。
その時に僕は日本からキャリアを積み立てるということをスタートしたけど、
そうじゃなくてアメリカの大学院に来て、そのまま卒業してそこでキャリアをスタートしていれば、
もうちょっと自分がやりたかったことには早く届けたんじゃないかなって思うことがあって、
スタートポイントを間違えるとどこにもたどり着かないっていうことがあると思います。
大学生の時、20代のうちにアメリカ人になりたいと思い、
結果として今、アメリカに住む川鍋さん。
その目標は叶ったのでしょうか?
永住権を取るっていう意味ではアメリカ人に近づいているんだと思いますね。
最近はアメリカ人になるっていうことももちろんあるんですけど、
その先にもうちょっと国際的な人として働きたいなっていう思いが強いです。
日本にいたら、思った通りのことが思ったように起きるじゃないですか。
あんまりそういうことはないですよね。楽しいですよね、なんかね。
かつてより広く将来を見据える川鍋さん。これからのさらなる活躍に注目です。
この番組は、ポッドキャストプロダクションピトパーのオリジナルコンテンツです。
番組の感想、リクエストは概要欄のリンクよりお待ちしています。
それでは、また次回お会いしましょう。
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