1. りびぃの「もの技ラジオ」
  2. 第3回ものづくり系ポッドキャ..
2025-04-21 41:37

第3回ものづくり系ポッドキャストの日「駆動」

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サマリー

第3回ものづくり系ポッドキャストでは、駆動の幅広い意味やキャリアにおける転換点について話されています。リスナーは、駆動に関連するアクチュエーターや個人の成長に関する洞察を得ます。このエピソードでは、実験系の研究生活から得た経験が機械設計への道を開いたことが紹介されます。また、炎上プロジェクトでの経験がリスクを恐れないマインドの重要性を教えてくれる内容になっています。さらに、このエピソードでは、キャリアの選択やベンチャーでの経験を通じて、人生を駆動させることの重要性が語られます。特に、電気制御設計への転職やYouTubeを通じた自己表現の試みが強調されます。また、リスクの管理とキャリア成長の重要性についても話されています。製造業に関する知識の楽しさや自己成長の過程についても触れられています。

ポッドキャストの日の始まり
はい、こんにちは、りびぃです。今回ももの技ラジオをやっていきたいと思います。
このラジオは、生産設備の現役設計者である私、りびぃが、
ものづくりや技術に関するトピックについて皆さんにお届けする番組となっております。
今回のトピックですが、第3回 ものづくり系ポッドキャストの日でございます。
皆さん、お待ちかねのものづくり系ポッドキャストの日の企画がやってきましたよ。
この企画はですね、インフルエンサーの支部長さんという方が企画しているものでございまして、
ポッドキャスターの中でものづくり系の発信をされている方というのを募集して、
皆さんで共通のトピックについてザックバラで語っていこうよという、
そういう楽しい企画になっております。
今回の共通トピックなんですが、駆動でございます。
駆動というのは、駆動系の駆動ですね。
アクチュエーターの駆動とか、そういう駆動でもありますし、
あとはそこからちょっとひねりを加えて、物理的な駆動だけじゃなくて、
例えば自分の人生の中での駆動というか、何かの転換点みたいな、
そういう幅広い意味でですね、駆動というのについて語ってみましょうということで、
お題をいただきました。
キャリアの転換点
自分は駆動をどういう切り口で語っていこうかなって考えてたんですけど、
結構物理的な駆動とか、その辺はいろんなメディアで記事として書いたりとか、
発信してたりっていうのはあるので、そこからちょっと今回は変えて、
自分のキャリアの中での駆動というか、転換点みたいなところについて語っていきたいと思います。
自分はですね、もともと大手企業に勤めてたんですけど、
そこから2回転職をしたりとかね、
あとはいつも最近言ってますけれども、メカ設計ずっとやってたけれども、
電気製業に転向したってね、キャリアは結構パラパラ変えてたりしてるんですよね。
つい最近ね、4月の頭になって入社式を迎えた新入社員の方々、
いっぱいいらっしゃると思うんですけど、
最近の新入社員というか若い世代の方っていうのは、
その企業でもずっと働くみたいな考えの人は少ないと。
頭の片隅に常に好きあれば転職するみたいなね、
そういう考えを持たれてる方が多いってニュースで見ますけれども、
自分も結構転職の回数としてはある程度はある人なので、
自分のキャリアについてね、語ることで皆さんに参考になる部分もあるかなと思いますので、
機械設計への道
ぜひ最後までお聞きいただけたら嬉しいです。
それでは早速。
はい、ということで語っていきたいんですが、
まず自分の駆動について語る前に、
もともと自分どういう人間だったかっていうところについて語っていきたいと思います。
自分は一言で言うと、とにかく流されるままの人生みたいなのを歩んでたんですよ。
もともとね、
小中は地元のところ通って、
高校は私立の日大参考ってところを通って、
大学は慶応理学大学に通ってたんですよ。
なんですけれども、
高校受験とか大学受験とか、
また大学院の受験もありましたし、
あとは就活するとき、
キャリアが変わるっていう場面でですね、
自分はずっと推薦だったんですよ。
ずっと推薦。
推薦と言ってもですね、一応試験があって、
面接の試験とか、
筆記試験がある程度あったりとかね、
しましたけれども、
とはいっても、
一般枠でキャリアに挑戦しているっていう方に比べると、
ちょっとシールド的な、
ショートカットしてるみたいな、
そういう感じだったんですよ。
もともと自分、
勉強は周りに比べれば得意な方だったんで、
中学、高校って結構成績上位はキープはしていたんですけれども、
特に高校受験のときはね、
自分東京都の西の方に住んでたんですけれども、
八王子とか多摩とかあっちの方ですよね。
高校受験ではですね、
もともと国立高校っていうね、
その辺では割と有名なんですけど、
偏差値68ぐらいある国立高校があって、
そこに行きたかったんですけど、
受験で失敗して落ちちゃったんですよね。
なんで、
その滑り止めの高校っていうことで、
自在参考を受けまして、
そこの推薦枠で、
とりあえず高校生になったんですよ。
で、高校でも成績上位はキープはしていたんですけれども、
その勉強が好きでやってたとか、
そういうよりも、
なんかとりあえず成績をキープしとけば、
周りに嫌々言われない、
親とかね、
言われないみたいな、
そういう低いモチベーションでやってたせいで、
成績を取るための勉強みたいな感じになっちゃったんですよね。
どうせ試験範囲この辺からこの辺で、
先生の性格からすると、
多分この辺が出るからこの辺をやっとくかっていうのをですね、
試験2、3日前になってやっと勉強し始めるみたいな、
なんなら一夜漬けの時も結構あるみたいな。
そういう感じで、
とりあえず成績をキープしとけばいいみたいな。
なので、
100点満点を目指すというよりも、
ギリギリ5を狙えるラインっていうのを常にやってるみたいな、
そんな感じだったんで、
あんま身についた感じでもなかったんですよね。
そんなこんなで、
高校受験の時期になって、
自分は成績上位になってたんで、
指定考推薦の枠がお勧めされて、
先生からですね。
どこがいいかなってなった時に、
その時一番上位の大学だったのが、
慶応自力大学だったので、
慶応自力大学に行って何をしたいとか、
そういうのあんまなくてですね、
とりあえず慶応に行っておけば、
どっかしらそれなりの会社には就職できるかもしれないし、
親もね、
割といい顔するんじゃないかみたいな、
そんな感じでですね、
何の深い考えもなくですね、
慶応に行くことにしました。
親が親がって言ってもですね、
別に親はそんなうるさく言うあれじゃなかったんですよ。
自分がこれやりたいということに関して、
そんなに反対するような親じゃなかったんですけど、
自分自身がね、
とにかく周りから何か言われるのが嫌みたいな、
特に親からね、
ああしなさい、こうしなさいって言われるのが嫌っていうのがあって、
こうしとけば親とか親戚も納得でしょうみたいなね、
そういうのを勝手に自分の中で思い込みながら、
そういうキャリアを歩んでましたかね。
大学になって、
いろいろね、
単位を取って研究もやってとかっていろいろやる中で、
就活の時期が来るわけですけれども、
何がしたいかとなった時に、
中学の時からですね、
航空整備士になりたかったんですよね。
何回かJALとか整備場のところ見学しに行きましたけれども、
やっぱりすごい楽しそうだなとか、
ああいうダイナミックな機械をいろいろ触っているっていうのは、
なんか楽しそうだなっていうふうには思ったんですよね。
その時からね、
人相手の仕事というよりも、
物相手の仕事のほうが自分は好きなのかもしれないっていう感じはあったんですけれども、
それをやりたいなとは思ってたんですよ。
今、JALはどうかわかんないんですけど、
当時自分が就職するときのJALは、
理系学生の中でも、
常にトップ10、トップ20ぐらいには入るぐらいの、
超人気企業だったわけなんですよ。
もちろんいろんな職種がありますけど、
自分が希望していたのは総合職だったんで、
一番人気ですよね。
いざ専攻の時期になって、
書類出したりとかやってたわけなんですが、
落ちちゃったわけなんですよね。
全然通らない。
それは人気ですし、
その人気の人の中には、
自分よりはるかに優秀な方なんてザラにいますからね。
大学時代、自分のサークル活動を頑張って、
全国優勝しましたみたいな、
そういうレベルの人たちがゴロゴロいるわけですよ。
自分、面接で語れるものがあんまないなみたいな。
一応水泳はやってましたけれども、
そんな華やかな成績なんてないですし、
水泳部の中で、
自主的に何か行動してたかというと、
その中でも割と流されるままみたいな、
とりあえず棘の立たないようにしとけばみたいな、
そういうモチベーションだったので、
語れるものってなくて落ちちゃったんですよね。
その時に一つ目の駆動の転換点だったっていうところが、
自分が行きたかったところに行けなかったってなった時に、
代わりのもんなんも考えてなかったんですよ、その時。
どうしようってなって、
いろいろ合同説明会とか行くには行くんですけど、
モチベーションが湧かないというか、
とりあえず自分はいいところに就職をして、
職種はとりあえずこだわりはなく何でもいいから、
それなりに給料をもらえれば何でもできるんだろうなって、
何でもいいからとにかく泣いてくださいみたいな、
そういうノリだったんですよ。
ただ何個かグループ面接とか説明会とか参加する中で、
周りにみんなモチベーション高いわけですよ。
こんなんじゃ無理だな、
多分どこも拾ってくれないなっていうところに、
そこで初めて気づくわけですよね。
これはどうしようかなって、
ちゃんと自分のことを見つめ直さなきゃなって思った時に、
その時に思ってたのが、
いろいろその時期になると、
就活の学生に向けてみたいな感じで、
いろんな番組で特集がされていたりとか、
有名経営者の方が若者に向けてのメッセージとかって、
見出すわけですけれども、
多くの人がその時言ってたのは、
若い時っていうのはリスクが取れるんだよと、
チャンスだよって言うんですよ。
自分はその時リスクが取れるっていうこと、
あんまり信じられてなかったんですけど、
要するに失敗をしても、
いくらでも巻き返しが効くんだよみたいな、
皆さん言うわけですよね。
この34の年になって、
それがようやく分かってくるわけですよ。
当時はよく分かんないんだけど、
失敗したらだって終わりじゃねえかよみたいな、
レールから外れたらどうするんだよみたいな、
思ってたんですよ。
だけどとりあえずこれを信じてみようみたいな、
だってこのままじゃ多分就職できないしみたいな、
思ってたんで、
その時に思ってたのが、
自分は今この瞬間何でもできる人です。
研究もめっちゃ得意だし、
本当は得意じゃないんですけど、
設計もできるし、
開発とかも新しいアイディア出すとか得意だし、
何なら現場とかでも結構活躍はできると、
生産技術もできるし、
製造とかそっち系もできるし、
品質保証もできると、
何でもできると。
何でもできる自分は今何がしたい?
っていうふうに思ったんですよ。
今までは自分は周りがどうのこうのとか、
こうしとけばとりあえず大丈夫みたいな、
そういうあんまり積極的ではないような考えで、
これこれっていう格好を決めてたんですけど、
その時にこれだったら自分、
やりたいというか、
やっていきたいなと思えるものって何なんだろう?
って思った時に、
その時に出てきたのが機械設計だったわけなんですよね。
何で機械設計やりたいのかって思った時に、
そんな深い理由はなかったんですけど、
単位を取るために皆さん研究室に入って、
いろいろ自身の研究をやるわけですけど、
研究って大きく分けると、
実験をベースにやるものと、
あとは解析とかそっちをベースにやるものと、
大きく二つに分かれはするんですけれども、
研究生活の楽しさ
自分は実験系だったんですよ。
その実験系ではですね、
こういうデータを取ります。
そのデータを取るためにはこういう装置を、
こういう条件でデータを取っていきます。
そのためにはデータを取るための装置を作りますとか、
その辺からやっていくわけなんですが、
研究自体はね、
ぶっちゃけ面白くなかったんですよ。
自分自身がセンスがなかったっていうのが一番の原因なんですけど、
なんでそう考えてそうしたの?みたいなところがですね、
教授から言われて自分何にも答えられなくてですね、
毎回毎回激詰めされるっていうね、
それぐらいすごい研究に対しては苦手意識というかあるんですけど、
ただその研究生活の中で、
その実験装置を作っている時っていうのが一番楽しかったわけなんですよね。
ある程度その教授からこんな感じの装置でどう?みたいな感じで、
ポンチ絵は渡されてたわけなんですけど、
そのポンチ絵をベースにですね、
こういうふうに部品を分割して、
これとこれとこれをここでねじ止めしてこうすれば、
一応装置はできるっていうところをですね、
初めてやったわけですよね。
学校の中ではCADは使い放題だったので、
一応ね、製図の授業は受けてはいたんで、
今から思うとなんじゃこりゃみたいな図面ではありましたけれども、
こういう感じで物を作っていこうみたいなね。
確かに部品点数で言うと4,5点ぐらいの本当にちょっとした台座か何かを設計したんですけど、
台座を設計して、
いざね、その既存の装置がある程度あって、
そこにはめ込むというかそういう部品だったんですけど、
ちゃんと自分がこうすればうまくいくっていう、
頭の中のその考えっていうのが、
ちゃんとその通りになったっていうところがですね、
感動的だったんですよね。
本当にその台座をしこってはめただけなんですけど、
あ、うまくいった本当だみたいな、
そういう感動があったんですよね。
で、振り返ってみるとやっぱそこが楽しかったなと思って、
機械設計をやりたいっていうふうに思ったんですよね。
で、その時がね、
自分でちゃんと人生選んでるなみたいなのが、
そういうところのきっかけの一つではありましたかね。
炎上プロジェクトの挑戦
で、2つ目の駆動についてがですね、
炎上プロジェクトに飛び込んだときでしたかね。
で、自分は大手企業に勤めてキャリアをスタートさせたわけなんですけれども、
自分は設計をできるつもりで入社したわけではあるんですが、
実際何もできないので、
その三面図って何ですかみたいなのが、
そんなところからいろいろ教えてもらったりとかしてましたかね。
で、いろいろね、そうやってベテランの設計者の方に可愛がってもらったり、
ボコボコにされたりみたいな、
試しにお前図面描いてみろって言われて描いたけれども、
毎回真っ赤っ赤になって、
結局全部OKでるのにR20ぐらいまでいったとかってありましたけれども、
そういう日々が続いてたわけですよ。
で、FAの部署にいたんですけれども、
FAの部署での欠点っていうのがあって、
何かっていうと仕事がなかったんですよ、とにかく。
新規案件がもうほぼなくて、
ただ社員さんはね、自分を含めて12、3人はいたかな。
いたんですけれども、もうみんなね、仕事がなかったんですよ。
もうほとんど誰も仕事をしてない。
ちょろちょろ本当に小さい規模のがあったんですけれども、
そんなんじゃね、大手社員の人件費が全く賄えない。
毎年赤字を垂れ流しまくってるみたいなね、
そんな部署だったわけですよ。
で、やっぱりそういうのが続いてて、
自分と年近い先輩、年近いって言っても5高上ぐらいだったんですけど、
いたんですけど、やっぱりね、
そんな赤で垂れ流してる部署にこんな人いらんやろっていうので、
移動ということで全然違う部署に飛んでったりとかね、
どんどん人がいなくなるわけですよ。
で、自分は結構最後まで残ってたというか、
とりあえず誰か面倒見ないといけないでしょみたいな感じだったんですけど、
でも自分もね、仕事全然なくて、
何してたかっていうと、既存の設備の図面っていうのはいっぱいあるので、
その図面を引っ張ってきて、
で、すでにもう設計進んでるんですけれども、
なんでこの機器をここで選定してるのかとか、
なんでこうなのかとか、
あとは改めてその選定された部品の計算書っていうのを自分なりに作って、
本当に能力的に正しいのかとか、強度的に大丈夫なのか、
トルクが足りてるとかね、
そういうのを確認していくっていうのをひたすらずっとやってたんですけれども、
仕事してるというよりは給料をもらって大学を通ってますみたいな、
そういう感覚だったんですよ。
設計の知識っていうのは徐々に身についてはいくんですけれども、
実もやっていないわけなので、
ちゃんとしたものづくりの流れとか、
あとはゼロペースでどう考えて構想を組み立てていくかっていうところがね、
もう全然身につかなかったわけなんですよ。
だってもう正解を見ながら自分でやってるわけなんで、
正解がない真っ白な図面の状態で何か考えてくださいってできなかったんですよね。
仕事もないしどうするみたいになった時に、
お前全然仕事してないよなみたいな話になって、
どうするみたいな話になって、
でも自分じゃもうどうしようもできないので、
うーんって感じだったんですけど、
そしたら隣の隣の部署ぐらいかな、
同じフロアだったんですけど、
結構フロアの反対側の方にいる部署があったんですが、
そこが結構大きなプロジェクトですね、
多分総額で言うと数百億円ぐらいだったと思うんですけど、
それぐらいの規模の機会を収めるというか、
やっている中で、
もうとにかく今炎上が相次いでいてやばいと、
もう誰でもいいからもう何とかしてくれみたいな感じでですね、
あの声がかかったんですよね。
で、明らかにもうやばいのはもう噂されてて、
よくね大手企業とかだと定時退社日ってあって、
必ず水曜日はもう5時には帰りなさいと、
遅くても5時半には帰りなさいと。
で、5時半以降に人事の人が見回りに来て、
本当にちゃんと帰っているかどうかをチェックして、
帰っていない部署があったらそれを報告するみたいな、
そういう感じだったんですよ。
だからもう本当に帰らないと、
もう町村部にバレるっていうのがあったんですけど、
もうねそれどころじゃなくて、
そこの部署はもう定時退社日なんて関係ないけど、
水曜日でも11時までもう残ってでもやらないと、
本当にやばいみたいな。
それをねもう毎日毎日繰り返してるみたいな。
で、管理職の人もねゴールデンウィークとかそういうところも、
毎日出社しに来ないとやばいみたいな、
それぐらいのところで。
で、本当に誰か人出が欲しいとかって、
もうずっと言ってるんですけど、
もうみんなあそこだけは行きたくないって言って逃げて、
全然人が集まらないみたいな、
そんな部署だったんですよ。
で、一応リビにも話してきたけどどうするみたいな感じで、
課長とか部長に言われて、
でもお前これ手挙げなかったら仕事がないけど、
でも明らかにやばいけどどうするみたいな、
なった時に自分は手挙げたんですよ。
じゃあやりますって言って。
その時にもね、
なんだかんだやっぱ大変だったんですけど、
自らやりたいという気持ちと、
あとはやばいところだよっていうところに、
自ら身を投じたっていうところはですね、
割と経験がなかったんですけど、
その時に初めて自分の中での性格がガラッと変わったなっていう風に思いました。
この2つの経験からですね、
自分はやりたいことをちゃんと考えて、
それを選択するようにしようっていうのと、
あとは自分が思ってる以上に、
リスクはないよっていう物事ってね、
そういうもんだよっていうところがですね、
割と分かりましたがね、
失敗したらどうしようって言って、
実際失敗しましたけれども、
なんだかんだ大変揉まれてる中で、
どうしようどうしようとかってやってると、
結構周り助けてくれたりとかね、
ベテラン説教者の方めっちゃ多かったんですけど、
自分はやりたくないけど、
なんか若いやつが苦労してるから、
ちょっと助けてやるかみたいな人はめっちゃ多かったので、
それで助けてくれる人もいっぱいいたんで、
自分はなんとかなって、
自分がリスクと思っているものはリスクじゃないんだなっていうのは感じましたかね。
転職への決意
もちろんね、周りのおかげっていうのはすごいあるので、
その時はありがとうございました。
毎回言ってましたけれども、
そこで自分の中でのしがらみみたいなのは、
かなり通れてきたなっていうふうには思いましたね。
その時が28とか9とかだったかなっていうところでした。
そこから29になって転職をするわけなんですが、
なんで転職したかっていうと、
その炎上してた案件が一区切りつきそうだと、
とりあえずお客さんへの引渡しができそうだっていうところが見えてきてたんですよ。
その案件が終わった時に自分の仕事は何だろうっていうので、
いろいろ課長とかにヒアリングをしてたんですよ。
自分の部署の仕事も全くやってないわけなので、
最近どういう案件があるんですかとかって聞いてたんですけど、
やっぱり仕事がないわけですよ。
全然仕事がない。
結局戻ってきたら戻ってきたで、
またお前の仕事探さないとなみたいな感じだったんで、
これだとまた元へ行った状態に逆戻りだなって思うし、
その時に自分も5年目とかだったんですけど、
入社してる時から仕事が与えられてバリバリ仕事をこなしている、
同期だけじゃなくて後輩もいっぱいいたわけですよね。
そういう中でまた大学生活みたいなことやってても、
自分スキルが伸びていかないなっていうか、
その時もっといろんな設計ができるようになりたいなっていう思いもあったんで、
ただ部職入ってきてもそういう状態だよなとかと思ってて、
そこでこのままではこの会社にいてもなっていうのを思い切って、
最初は移動で考えてたんですよ。
そんな転職なんて言うと多分親とかにも何か言われそうだなとか、
あとは結婚してましたけれども、
嫁とかにも言われそうだなっていうふうに思ってたんで、
移動で考えてたんですけれども、
一応その会社内で移動の仕組み自体はあったんですよ。
仕組み自体はあったんですけれども、
そんな全く違うような部署への移動みたいな実績がないし、
多分通らないっていうふうに言われたんですよ。
なんやさやってめっちゃ思うんですけれども、
本当に建前だけの仕組みじゃねえかみたいな、
すごいイラッとしたんですけれども、
そういう状態だったんで、
これじゃもう無理だなって思って、
転職することにしました。
転職したのはベンチャー事業でしたかね。
なんでベンチャーに行ったかっていうとこなんですが、
大手の設計職の人って、
設計を自分でするのが仕事じゃなくて、
人に設計をさせるのが仕事なんですよ。
だからこの設計をやっといてくださいって言って、
ちゃんとできたかどうかをチェックして、
ここを直してほしいとかっていうところを、
キャリアの選択と挑戦
またフィードバックしてみたいな感じで、
その外注さんとやり取りしたりとか、
あとは決められた納期に間に合うのかとか、
手術の仕事より間に合うかどうかみたいな。
間に合わなそうだったら、
ちょっと人手が足りなそうですよって上に相談したりとか、
ちょっと残量で残ってくれませんかってお願いしたりとかっていうね、
調整役というかマネジメントみたいなのが主流で、
あんま設計やってる感はなかったんですよね。
自分はもっと技術をね、
手を動かしながら身につけていきたいなって、
たぶん参考書とか図面を眺めてるだけでは身につかないだろうなって思ったんで、
なるべく自分で手を動かしながら、
いろいろ設計ができるようなところがいいっていうので、
ベンチャーに行くことにしました。
その時はね、
さすがに親父とか周りには言われましたね。
ちゃんとここの会社に就職できたのにいいの?みたいな。
そんなレール外しちゃっていいの?みたいな感じで言われて、
それでもやりたいですって言って、
振り切った形で行きましたけれども、
その時は言葉ではやりますって言ってたものの、
実際割と自分自身もビビってたところがありましたね。
うちの嫁は割とすんなりOKというかいいよって言ってくれたんですけど、
うちの両親も正直不安だったよって言ってたし、
あとは嫁の親戚とかもですね、
もともと結婚式とか招待した時に、
学歴とかどういう会社に勤めてるかって、
当然気にするとは思うんですけど、
そこばっか見られてて、
そういう感じの親戚さんだったんで、
多分言われてるんだろうなと思いながらっていう感じでしたけど、
一応もうやるんだっていうので、
押し切った形で転職はしましたかね。
その時は自分のキャリアを駆動させたと言いつつ、
すごいビビってたところではありました。
いざベンチャーに転職したわけなんですが、
やっぱり大手企業とベンチャーで全く環境が違うなっていうところですね。
すごい揉まれてたんですよね。
転職と精神的苦悩
いろいろ語りたいところはあるんですが、
ちょっと長くなっちゃうので結論だけ言っちゃうと、
そのベンチャーで自分うまくいかなかったんですよ。
うまくやれなかったというか落ちこぼれちゃったというか、
最終的には精神的にもうダメになっちゃって、
適応障害って診断されて、
休職からまた転職っていう形にはなるんですが、
そのベンチャーでの経験、
自分の中でメリット、デメリットっていろいろあるんですが、
メリットで言うと、ベンチャーってとにかく人手がいないんで、
結局自分が意思決定というか、
自分で進んで周りに物事を提案したりとか、
これで行きますとか、これで行かせてくださいとか、
これで失敗したらこうですみたいな、
そういうムーブをしないとうまくやっていけないなっていうところ。
いろいろ周りにお伺い立てながらみたいなのが大手あるあるだと思うんですけど、
お伺い立てって言ったら全く物事進めないので、
自分でちゃんと決めるというか、
自分で責任を持ってやるっていうところが大事だなっていうところは、
今でも活かされているところではありますね。
ただデメリットは、
ちょっと自分は体が持たなかったというところだったんですけど、
そこからまた転職をするわけなんですが、
そこが人生で一番苦しかった時期ではありましたね。
自分で大口叩いてベンチャーに行って、
そこで成功しますみたいな言ってたこともありましたけれども、
結局うまくいかなかったし、
キャリア捨てて本当に大丈夫って言われて、
大丈夫って言ったんだけれども全然大丈夫じゃないみたいな。
また転職先見つかりますけれども、
転職するたびに年収も下がっていっているわけですよね。
とにかくキャリアを転げ落ちまくっているっていうね。
その時には周りにめっちゃホラーみたいな感じで言われましたね。
めっちゃ言われた。
自己表現と新たな挑戦
直接は言われないけれども、間接的に聞いたりとかして、
本当は言い返したいこともあるけれども、
言い返せる何かもないし、
自分の中で確実にこれならいけるみたいなものもないしみたいな。
そういう状態で誰にも説明がつかないし、
親にも説明がつかないしみたいな。
その時には子どももいたので、
そんなので子育てできるの?
そんな年収で本当に大丈夫なの?みたいな。
めっちゃ思われていました。
この時が本当に苦しかったわけですけど、
その時はなんで俺の人生こんなクソみたいな感じなんだよ。
なんで俺の人生こんな最悪なんだよって、
すごいそこまで落ち込んでたわけですけれども、
今思うとそれも含めて自分の人生を駆動させるっていうのは、
多分こういうことなんだろうなっていうのは改めて思いましたね。
なんでなんでみたいなところじゃなくて、
そこからじゃあどうするっていうところを決めるのも
結局は自分だっていうところですよね。
そこが改めて思いましたかね。
じゃあどうするっていうところで、
自分は転職はしたんですけれども、
家族を養っていくのもちょっと難しいみたいなところで、
そこで3つ目の駆動っていうのが、
YouTubeを始めたことでしたかね。
それまで自分、一応物読みを進めというブログで
いろいろやってましたけれども、
顔出しとかしなかったんですよ。
それは元にいた会社が副業禁止だっていうのがあったんで、
顔がバレないようにでも情報発信はしようっていうので
やっていたんですけれども、
ただこのままじゃどんどんころで落ちていくだけだってなったときに、
何か自分の強みを持ってないとなみたいな、
技術も技術で大事なんですけど、
それ以外のところにも視野を広げて、
何か自分で武器を持ってないといけないなとなったときに、
結局は人に認知されないと始まらないわけですよね。
そのときに今まで通り会社の仕事をコツコツこなすのがいいのか、
それとも顔出しまでバーンとしてしまって、
その代わりにもしかしたら批判とかもたくさんあるだろうけれども、
周りからちょっとこの人見たことあるみたいな、
そういうふうにして何とか仕事に一部つなげていけたらって、
どっちを取るかって当時はめっちゃ悩んでたんですけど、
最終的には皆さんご存知の方もいると思いますけど、
がっつり顔出しでYouTubeを始めましたし、
もうTwitterのアイコンとかもイラストのやつも全部なくして、
自分の顔にしました。
最初は勇気いりましたよ。
ただ自分なんて皆さんご存知の通り顔面偏差って高くないし、
YouTubeで顔出しをして何回かに一回は顔がキモいだろう、
コメントが来るわけですよ。
でもやるんだって決めて最初はやってて、
でもやりながら、確かに顔出しをするっていうことは、
人が気分を返さないような、
外見を少なくともしてないといけないなっていうのに気づき始めて、
その時にめっちゃニキビできてたりとか、
眉毛全然整えてないとか、髪ボサボサとかそんなんでしたけど、
ちゃんと清潔感っていうのは大事だなって、
確かにそうだなって思ったんで、
そういうふうにやったりとか、
あとはカメラにガーって顔を近づけすぎると、
そういうのを求めていらっしゃらない方の方が圧倒的に多数だとは思うので、
どの辺の距離感で撮影するかとかすごい意識しながら、
改善を繰り返しながら当時はやってましたからね。
でもおかげさまでYouTubeも10月間まで何とか続けることができて、
今後もやっていきたいと思ってますけど、
そういう駆動っていうのはありましたかね。
最後なんですけれども、
ちょうど去年、今までずっと歩んでたキャリアっていうのをガラッと変えて、
電気制御設計に変更しました。
これがここ最近の自分の中での大きな駆動の部分でしたかね。
もともと電気制御設計も興味あるなって思ってたんですよ。
メカ設計としていろいろものづくりをしつつ、
結局現場に行って電気繋いだりとか制御の方といろいろありますけれども、
ぶっちゃけ彼ら何してるか全然わかんないみたいな、
わかんないけど大変そうにしてる時もあるし、
大変そうにしてるんだけども電気制御の知識がないから今何してるのかもわかんないし、
下手に声かけて邪魔したら悪いし、みたいな感じがもやもやしてるのがあったんですよ。
最初に電気制御設計もできるならやりたいなって思ってたのが、
29とか20代の頃だったんですけど、どうしてもキャリアが5年とかいくと、
お前はメカ設計なんだからメカとしてちゃんと仕事をこなしてほしいっていう、
そういう系になっちゃうわけですよね。
なのでなかなか今から電気制御もやりたいんですって手を挙げたとして、
それだったら他にも人いるし、何でお前がわざわざやるのって、
どうしてもなっちゃうのでできなかったんですけど、
できなかったって言っても、そう自分が思い込んでただけかもしれないですけど、
実際に上司と交渉したりとかっていうのを今までやってこなかったんで、
周りにもメカからいきなり電気制御をやりましたっていう人なんて一人もいなかったんで、
そういうもんなんだろうなって思い込んでたんですよ。
なんですけど、自分もやってみたいなって思う気持ちがだんだん大きくなってって、
去年今の勤め先の社長に直でお願いしますってことで言って、
転校するようになりましたかね。
もう34だったんで、キャリアで言うともう10年目になるのかな。
なんでその10年目にして全く自分の知らないところに飛び込んで、
お前大丈夫かみたいなね、言われましたよ。
知り合いの方とかにもですね、自分こういうのやりたいと思ってるんだって言ったら、
それはやめといた方がいいって、多分うまくいかないよとか、
そんなことやるよりも絶対レビィさんはこっちの方がいいよってね、
すごい言われました、ぶっちゃけ。
言われたんですけど、でもやりたいって思ってたし、
最悪もう失敗したらメカ設計に戻させてくれて、
もう一回直談判しようかなって当時思ってました。
で、共に電気制御を始めて半年ぐらいしか経ってないですけれども、
いろいろ事件はあったんですけれども、今なんとかやれてるっていう感じですね。
長々と喋ったんですけど、やっぱ自分で人生を駆動させてるというか、
コントロールしてるなみたいな、自分で決めてるっていう感覚はですね、
やっぱその給料が多いとか少ないとかっていうよりも自分は大事かなって思います。
こんな感じのキャリアがあって、今の自分がいるわけですけれども、
改めて振り返ってみるとですね、もうちょうど10年前ですよね。
就活するかしないかぐらいの自分と10年後の今の自分比べるとですね、
もう全然人格が変わってるなっていうレベルでですね、全然違いますよね。
自分はね、前から人っていうのはそんな大きくは変わらないもんだっていう風に思うタイプだったんですけど、
ただ自分の人生を振り返ると、10年前の自分と比べるとね、
もう全然違う人だなって思うようになりましたからね。
やっぱこう自分で人生を駆動させてるんだ、コントロールしてるんだっていう自覚が持てるっていうのはね、
すごい充実してるなっていうふうには思いますね。
最後にですね、この10年を振り返って、自分の中でのリスク、駆動させるっていうことは、
リスク管理の重要性
それに伴ってリスクもあるわけですけど、そのリスクについてどう考えるかっていうところについて持論を述べていきたいと思います。
このリスクなんですけれども、自分のキャリアを振り返ると、
もう元々はリスクと思ってたものがやってみたら全然そんなことないよってね。
これね、もういろんなところでもね、いろんな成功者の方が同じようなこと言ってると思うんですけど、
自分自身もですね、この10年振り返ると本当にそういう部分はあるなっていうふうには思います。
ただリスクの中には本当はリスクじゃないリスクもあるけれども、ガチのリスクっていうのもあるんですよ。
このガチのリスクと、いや全然リスクと思ってたら本当に足の付く水場だったみたいな、
そういうリスクを見極められることっていうのはとても大事かなっていうふうには思います。
やっぱちょっと背伸びしたことっていうのを繰り返すのが自分の中ではいいかなと思って、
いきなりね、なんかよくわかんないけど身を投じてしまえって言って、それで成功できれば美学になりますけれども、
成功できなくて失敗で終わる例っていうのもめっちゃあるので、
自分は割とね、そこのリスクコントロールはちゃんとやりたいなっていうタイプなので、
本当はここに行きたいけれども、もしこういうことがあったらってなった時にはやっぱりちょっとずつ階段を登るっていうね、
焦らずに登るっていうのが大事なのかなと思います。
ここまで階段が登れたからこっちに行けるっていう、その順番って必ずあるんですよ。
その順番を無視していきなりピョンっていったら、失敗するときは本当に失敗するんで、
ここのリスクの見極めっていうのは大事かなって思います。
ただ、今の自分よりちょっと背伸びしたことをやっていこうっていうのをやっていかないと、
そのガチのリスクとそんなリスクじゃないリスクっていうのの見極めが見過ぎやすくなって、
結局何もできずにその場で現状維持に留まるか、
大きなリスクのところに飛び込みすぎて大きな失敗しちゃって、再起不能になっちゃうとかね、
そっちまで行っちゃうかっていう、本当に極端に走っちゃうので、
なのでやっぱりちょっと背伸びしたことを日々続けるっていうのはすごい大事かなと思います。
ただそれはさておきですね、そういう打算的なキャリアの歩み方云々の前に、
自分が結構知識を身につけること自体が好きではあったりするんですよ。
製造業への情熱
現場にパーって出かけて、多分ここはメカ的にこういう構造にしてるんだろうな、
やっぱここに調整ネジあったわとか、ということは多分正常ではこうしてるんだろうなとか、
多分これが動いてからこう動いて、ここからこういうデータが拾って、
こうなって、多分ここのネットワーク繋いでとかって、
最終的に結構分かるようになってきて、それ自体が結構楽しいなって思うんですよね。
なので、この自分のここまでの人生10年振り返って、
本当にやりたいことだけを効率的にやっていけば、
今10年かかったことっていうのは多分5、6年で達成できたのかもしれないですけれども、
ただ時間がかかってしまったし、最短ルートではなかったですけれども、
結局今自分がいたい場所には入れてるなっていうのは思うので、割と充実しています。
というので、これからもこの製造業に何らかの形で携わっていきながら、
世の中のためとか、あとは皆さんのためにいろいろと行動できたらいいなというふうには思います。
ということで、かなりの長丁場になりましたが、ここまで聞いていただいてありがとうございます。
私は普段はモノづくりのススメというブログやYouTubeと運営していますので、
もしよろしければそちらもチェックしてみてください。
それから私の書籍が現在発売中でございます。
これで差がつくソリッドワークスモデリング実践テクニックと題しまして、
こちらAmazonとか、あとは電子書籍とかでも購入可能なので、
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ということで、今回は私の人生の駆動についてお届けいたしました。
また次回お会いいたしましょう。
リビーでした。バイバイ。
41:37

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