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【後編】株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん
2026-05-21 28:40

【後編】株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん

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ゲストは、株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん
961年福岡市清川生まれ。株式会社スペースRデザインと吉原住宅有限会社の社長を兼任。生まれ育った福岡のまちを愛し、これまでの20年間で44棟の老朽物件の経営再生を事業として手掛ける。
並行して主宰する「九州DIYリノベWEEK」では、23のまちのソーシャルイノベーターによる270棟の休眠不動産再生活動をフォロー。
意外にも、前職は製薬会社の研究開発員である。まだ「リノベーション」という言葉さえ知られていなかった福岡で、ビル再生を始め、ブランディングによる「ビンテージビル」というまったく新しい概念を広めた。

感想

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00:00
はい、こんばんも。リノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
本日は福岡の方から、町づくりと古いビルの再生と、いろんな話が聞けたらなというふうに思っております。
というところで、タイトルコールいきたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、建築土木学生向け就活総合サービス、コンキュリの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪と宮崎でリノベとなっています。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
お願いいたします。
今日はね、ゲストが九州なんで、すごい東雲感が…
完全に…
九州の人ですね。
宮崎の方が滞在時間は長いですし、
シンガポールに行くのも、宮崎からどうやって行くのかなをずっと最近調べる。
インチョン系とかね。
大阪をちょっと忘れてたりもしたが。
寂しいですね。
今日はお好み焼きが食べれるということなので、
ぜひお好み焼きで行きましょう。
この番組は全国のリノベーションと巻きづくりで活躍する多性なクリエイターや事業家をゲストには招きし、トークセッションでお送りする30分です。
では早速、ご紹介したいと思います。
株式会社スペースアールデザイン、代表取締役、社主、吉原勝美さんです。
こんばんは。
こんばんは。
よろしくお願いいたします。
そうだそうだ。
社主ね。
なんとなく意味はわかるんですけど、あんまり確かに見たことないなと思って。
名乗ってることね。
社主。
社主ですよね。
社主。多分僕も社主ですよね。きっと。
ただですね、法人を通じてまして、それもあって一言で社主って言った方が早いかなみたいな。
それはどういうことですか。社主、オーナーさんってことですよね。
そうですね。会社がいくつもある、それもまた全体をまとめてる役割ってこともあるし。
なるほど。なんか横文字にしがちですけど、社主っていうのはね。
なるほどですね。なんとなく気にはなってたんですけど。
社長はそれぞれ似てるパターンと、自分が権利してるパターンとか色々ですかね。
自分は肩書き的には正確には代表取締役なんです。
営業会社の方には社長になってくれてる社長がいまして。
ビル経営会社は自分が代表だけの会社もあったりとか。
なるほど。
それぞれの会社によって携帯が入ってて。
その辺の深掘りをする前にご紹介をさせていただきます。
03:05
1961年、福岡市清川生まれ。
株式会社スペースアールデザインと吉原住宅有限会社の社長を兼任。
生まれ育った福岡の町を愛し、これまでの20年間で
44棟の老朽物件の経営再生を事業として手掛けました。
並行して主催する九州DIYイノベビークでは、
23の町のソーシャルイノベーターによる270棟の
旧民不動産再生活動をフォロー。
意外にも前職は製薬会社の研究開発員である。
そこですよ。
まだリノベーションという言葉さえ知られていなかった福岡で
ビル再生をはじめ、ブランディングによるヴィンテージビルという
全く新しい概念を広めた生活です。
始まる前にもちょっとお話をさせてもらってたんですけど
結局古いビルを再生した結果
エリアが良くなったみたいな
町づくりをするっていう概念で
町づくりがしたいっていう何となくそういう概念と
多分今この古いビルを経営再生を
事業として手掛けるっていうことなので
結果論的に町が良くなっていったよねみたいな
多分そんな感じのイメージを持って
そこまで話が掘り下げれたらなっていう風に思ってるんですけど
ただ一歩目は研究員っていう
これどう言われるんですか
地元は福岡で
大きい会社の薬の部門に入りまして
ってことは普通に大学出て理系で研究職みたいな
ってことは全く建築とか不動産とか関係ないですよね
人体実験ばっかりやってる
学生の時は中学高校は普通の学生ですか
そうですね。でもやっぱり理系目線があったんで
生物学科なんですよ
山海が好きで
子供の頃から山やら海やらしてたんで
九州のクマがいるかどうかっていう
まだいるかもしれないっていう時期だったんですよ
九州大学にクマを調査している学科があって
高校の頃自転車に乗って先生のところに会いに行って
クマどうやったら調査できるんですかみたいな
ここに入りなさいみたいな
受験して生物学科に
今のところ全く建築の経営の字も出てこないですし
06:03
それはあるんですか
大学行って製薬会社行って
研究会社は何をやってたんですか
働いてる時は製薬会社で
製薬会社でもう本当人体実験ですね
製薬の治す薬が
病気が治せるかどうかっていうですね
がないわけなんで
これだったら理論的に治せるかもしれないので
まだ薬じゃない状態を人に使ってもらって
調査するみたいな
うまくいけば
申請して本当に薬になる
どっからそのヴィンテージビルが出てくるんですか
これもう仕方ない話なんですけど
実家が結構古くから福岡市内で
RCの賃貸住宅の仕事を始めた親なんです
ベースはそしたら
実家がビル経営をされていた
きっかけの一つですよね
子供の頃からずっと
いろいろ手伝わされるんですよ
修理とか換気の木とか
本当にちっちゃい頃から
こんな仕事絶対やりたくないと思って
一番駆け離れた仕事にようやくついて
順調にいってたところが
親がちょっと病気になりまして
戻ってきてくれと
親子子としてしょうがないからですね
そんなことにしまして
あんなに嫌で
全然そっちの方向行ってなかったのに
全く知らない業界に
入ったってことになってしまいました
ってことは元々所有されている物件も
結構古いのが多くて
みたいな感じですかね
福岡でも始まりぐらいの賃貸
親は始めてたんで
なるほど
ほったら全く建築とか賃貸とか
もちろん町づくりなんて概念もない状態で
とりあえず実家に戻ったのが一番最初
そこからどんな感じで
いろんなものに違和感を持たれたとか
もしかしたらあったかなと思うんですけど
これがまたわかりやすいところが
老朽物件なんですよ
戻ったときには
30年40年ぐらいの物件が
複数あったんですね
それがほんとお化け屋敷みたいになってて
RCなのに
ちょっとスラム化してるような物件もあり
いきなり経営なんです
親ってそんなもんですよね
子供には多分継がせたいですよ皆さん
09:03
それまでは中身のこと全然話さないんです
ついで見たらゼリシさんから
この会社6年後に潰れますか
なんとなく見えますよね賃貸業やってると
うまくやらないとダメですよみたいな
確かにめちゃくちゃおんぼろだったからですね
ほんと親が一生懸命やってきたのを
子供の頃から一緒に手伝ってたんで
何歳の時に戻ってきてほしいって言われて
40歳ですね
40歳の時ですか
だから製薬会社としてもすごく大事な時期
一番経験して
ポジション的にもそうですよね経験値も含めて
同期とか先輩たちにね
それはやめてくれって感じでしたよね
せっかく一緒に仲間として
これからって感じでしたんで
それなりにその決断をしたってことは
覚悟を持ってですよね
そうですね
言語悪いかもですけど
ボロボロの経営状態も
文字通りボロボロの状態で戻って
どんな感じで何かに違和感を持ってとか
どういう風に進んでいくんですか
ボロボロではあるけど
子供の頃からずっと手伝ってた
僕も
愛着あるんですか
いろいろね
趣味とかしてた物件だったんですけど
子供がちょうど生まれた頃でもあったし
収入ないじゃないですか
もうそろそろ収益分岐下るぐらい
利益なくなるぐらいの感じになっていってたんで
グラフ書いてみたら
急降下ですよ
毎年毎年
今自分ここにいるんだっていう
確かに1000引いてたら6年後にゼロになる
焦りましたね
とにかく食っていかなきゃいけない
このボロボロ物件たち
ってことはそれを活用して
人に住んでもらって家賃収入もらわないといけないよね
っていうのが前提ですよね
ちゃんと事業をしないといけないみたいな
そんな感じで
多分それの延長が古いビルのみたいな感じに
いきなりはならんと思うんですけど
結局食っていくために
開発の人間なんで世界中の情報を調べるんですね
そしたらどうもリノベーションらしきものが
世の中にあるっていうのが分かってきて
それ何年ぐらいですか
2000年です
ちょうどなるほど
まだ言葉は使われてなかったですね
その辺ですよね
多分福岡には入ってはないですよね
特に賃貸分野ではそんなものはない
12:01
なるほど
永然ですよね
修善永然の世界ですよね
アート&クラフトさんが動かれてはいたけど
多分所有物件ですよね
になってたと思うんで
今調べてみると
僕以前にオーナー自身がリノベーションした人って
いないみたいな感じなんですよね
アジアマンとして賃貸分野を
賃貸
そうですね
物件買ってリノベーションして
それを再販するとか
モデルハウスにしてっていう
どっちかっていうと
販売の方でぐっと進んでいって
賃貸は多分賃貸リノベーションみたいな
なんとなくそういう風潮になったんで
2012年くらいのイメージですね
リノベーション協議会さんとかができて
自信と認知されたっていう時期になる以前に
僕が全く何も知らないからこそなんでしょうけど
海外の情報とか見てたら
賃貸をさらに解体して
もう一回作り直せばいいんだっていう
感覚になったんです
思うままにそれをやろうとしたんですけど
そういう事業者さんを探したんですね
会社さん、建築士さん、工藤さん、会社さん
あらゆるところに相談したんですけど
そんなことやめときなさいって言われたくない
1年以上かかりました
やってくれる人を見つけるのに
福岡でですね
結局見つかったのが
大川家具の家具屋さんが
今すごい会社さんに成長されてるんですけど
その会社さんのことはじめのあたりで
チャレンジでやらせてくださいみたいな感じで
ようやく見つかって
3部屋作ったんです
私の所有物件で
空いてる空室をリノベーションして
家具を入れてみたいな感じで
それが福岡では2003年なんですけど
産農マンションっていうところで
産室やった
それが福岡の最初のリノベーション陣体である
っていうのは確認されてました
全国調査は行われてないんですけど
僕はそれ以前の
さっき言ったように
個人オーナーが自分でリノベーションした事例って
まだ見つけられてなくて
もしかして僕は何も知らないからこそ
リノベーションという世界を陣体で始めちゃったのかな
それも食っていくための
それはスキームとしたら
15:00
オーナーがお金を出して
工事業者さんと付託して作って
陣体募集を出すみたいな感じ
元々のベースよりもバリアップして
もちろんその投資分の回収は計算に入れた状態で
やってみた結果
陣体はすぐ着いた感じなんですか
まずその家賃設定って誰も分からないんですよ
これ開発やってるんで
相場がないですよね
そこで僕の中でもいろんな利回り計算やってみて
これでいけるって思ったのが
上乗せ家賃
以前の家賃に対して
新たに募集する家賃の差額ですね
差額を多分リノベーションした部屋は
25年後は持つだろうなということで
×25をした額が工事費用になれば
元々の所有でこの会社は生きてたんで
入居者さえつけば
プラス家賃で25年で回収する
これは安全な投資なんだって
自分の中で理論ができたんですよ
だから前部屋はその当時は2万円アップした
2万円アップした家賃っていうのは
大体新築家賃なんですよ周りの
あとは初っ端から新築に勝負を挑んでたってことになって
シンプルにいくと
元々5万円で貸したところを7万円にする
2万円上がる年間24万円×25年が工事費用
っていう方程式というか
それをなんとなくこれぐらいかな
を2003年ぐらいにやっていたと
家賃設定して今度リーシング
仲介会社さんに相談するんですけど
誰も受けてくれなくて
そんなことできるわけないでしょ
建物ボロボロなんですよ
部屋開けたら
モダンデザインの部屋があるんです
びっくりするような部屋がある
そのギャップが僕は面白いと思ったんですけど
それは業界は理解してくれなかったですね
それで自分で宅建業取って募集することにしました
なるほど
不動産さんが相手してくれなかったから
オーナー自ら宅建業を卸して
そこが一番最初の今の会社の始まり
スペシャルデザインのスタート地点
ってことは元々家業として継がれた会社と
別としてこれはやっていっているみたいな
元々は親がやってた会社で宅建業取ってやってたんですけど
分社会みたいな
18:00
早急に仕事を進めないといけなかったから
それも最初の入居者さん決まるの
1年ぐらいかかった気がしますね
世間にリノベーションっていう文化ないんですから
僕がやるべきことは文化づくりなんだ
ってその時にはっきり分かって
リノベーションというデザインを売るんではなくて
人体を化すんじゃなくて
リノベーションという文化を作ろう
福岡の日を
文化さえ広げれば僕の経験で
それはグランドを持った価値を持った商品として
市場が勝手に受け止めるんで
高い家賃で入居者さんが入るんだっていう
これは信念があったですね
2003年で今ちょっと考えてたんですけど
僕さっき話した元々全く建築部屋じゃないところから
たまたま友達がやりだした洗い屋さんハウスクリーニングなんで
賃貸の入れ替えの時にめちゃくちゃ洗いに行ってたわけですよ
ハウスクリーニングをして
それが2003年なんですよ
たぶん2003年の賃貸のイメージってすごい湧くんですよ
3点ユニットの学生のところは
だいたい十数平米の中に3点ユニットがあってみたいな
クロストっていう
デザインも減ってくるものがいいとにかく安く作って
同じ作って入っとけよみたいな
たぶんそんな時代ですよね
現状回復ですか
現状回復そうです
永前工事そうです
その時にやったけど
市場的には1年くらい入るにはかかった
そっからどんなイメージで
そっからですね
ターニングポイントみたいなのがあったのかなと思うんですけど
宅券業取りました
それで市場が分かるようになりました
でも宅券業取ったからって入居者さん集まるわけじゃなくて
フライヤー作ってカフェとか
おしゃれな部屋さんとかにずっと置いてまわって
友達たちに連絡して
そして言われたのが
ようやくできたんですねっていう人が現れて
なるほど
求めてたけど
これ市場できるんだと思って
最初の入居者さんは知り合いが入ってくれたんですけど
それから市場が成り立つ可能性があるって思い出して
空き部屋はいくらでもあるんですよ
おんぼろぐらい
一度退去されたら二度と入居はない
場合ばっかりだったんで
実験物件としても位置づけてるんですけど
自社物件は未だに
それ以来ずっとですね
実験をし続けていこうということで
その外注したリノベーションは
スケルトンにしてのリノベーションを書いたんですね
21:01
これりまわり計算してみるとすごく低いんですよ
外注ですしスケルトンですし
徐々にもっと部屋数いっぱいやっていかなきゃいけないんで
資金が大変ですよね
考えていかなきゃいけないっていうのを大前提に来だして
じゃあコストダウンをどうしていくかっていうのが
一つのポイントになってきて
そのあたりで
もともとプロの方が相手にしてくれてなかったんで
外注の算出が終わったら
すぐ身近な人たちにデザインを依頼し始めてですね
取材に来た雑誌社の編集長さんとか
家具屋さんの店長さんとか
アーティストの方とかですね
アマチュアだけど賃貸の部屋デザインしてみたい人が
すごくいっぱいいるのに気づいて
アマチュアにバンバン頼み出したんです
それと施工会社さんの若手が
うちに入りたいっていうことを言ってくれて
入ってくれたのがまたすごく大きくて
これで原価がわかったんです
だからそれ以来ずっと
コンストラクションマネジメントですね
監督さんだけ持って外注するというスタイルで
やってるんですけれども
作れるようになりました
デザインは高額お金をそんなに払わなくても
身近にものすごい
才能持った人たちに入ることに気づいて
それ以来ですね
一部屋ずつ違う人たちに
三のマンションの部屋を作ってもらっていったんで
今存在している三のマンション45室あるんですけど
36室が全く違うデザイン
2003年2004年2005年
その時にすごく流行ったデザインを取り入れたんで
リノベーションミュージアム状態になって
部屋ができたら市民見学会とか
有料でやったりしてたんですけど
たくさん人が来て見に来てくれる
その中から申し込みする人が起こるっていう
これが言ってる文化ですね
リノベーション文化を僕は当時から
広めていったのが
結果的には今
2012年ぐらいかな
リクルートさんが
全国のリノベーション認知度調査っていうのをやったんですけど
東京大阪に比べても
ダントツに福岡のリノベーション認知度って
60%ぐらいあったんですよ
高いですね
それって究極に文化をつくるつもりで
やったら発信して見学会やったり
24:03
イベントやったり
リノベーションっていう言語も使って
使い始めました
最初は言葉が通じないんで
再生デザイナーズチーム会
それ言うとたまたまですけど
2003年じゃないですか
2012年
うちは2003年から会社はやってるんですけど
リノベーションっていう言葉を
使ったのが2012年
それまではデザインリフォームとかね
オシャレリフォームみたいな
そういう言語を使ってて
2012年に
割とそういうの見に行ってたんですけど
大阪で2012年
まだリノベーションっていう言葉は
僕らも使えてなくて
ちょっとこそばゆいというか
会社の名分に初めて打ち出したのが
2012年なんですよ
福岡は2008年に認知度が確立してました
競技会放送は2009年なんで
そうですね
ってことはだいぶと早いですよね
福岡のマーケットなんですけど
創業したい人みんな福岡に集まってますけど
理由があって
特にリノベーションみたいな
ライフスタイルの文化については
雑誌、テレビ、新聞が
とにかく情報を欲しがる街なんですね
たくさん競合があるんで
いいメディアがいっぱいあるんで
いいものっていうか
新しい文化として発信すれば
たくさんの取材が来て
例えばシティ城福岡さんが
一冊うちの特集してくれるとか
それでも一気に福岡の認知度が上がった
っていうのはその理由があって
メディアと福岡の街の希望が
すごい一体化してるから
福岡は面白いって言われてますけど
その辺のところがあるんですね
なんかどっかのタイミングで
文化を作るっていうところで
今多分街を作るみたいな文化とか
先ほど始まる前におっしゃってた
それを継続していく仕組みみたいな
今はこうしたら向き合っているのは
その次の文化を作るところを
やりにいっているような感じですかね
僕には先生がいませんので
シティ城から
置き去りにされた人間が見つけ出して
一旦開発
薬手帳で開発するつもりで
やってきました
あれですね
多分過去の話で
過去というか今にも至れなかったですが
その文化を次
未来として街を作るみたいなところの話を
27:04
次回ちょっと聞き取りですね
過去すぎる話で終わっちゃいましたね
2003年ぐらいは
2010年まではこれたんで
次回そこ行きましょう
はい
番組へのリクエスト質問感想など
皆様からのメールもお待ちしております
アーカイブはYouTube
スタンドFM
ポッドキャストでは
日数にて配信しております
これまでのゲストの方々の
アーカイブも残っているので
ぜひぜひご視聴ください
あれですね
次回で九州DIYジルベビークとか
これがその街作りの
文化みたいなところに続いていく
多分街作りって
やりたい
僕の認識でいくと
街作りに関係のない仕事って
何かあんのかなって
僕は考えてしまうので
多分結果マッチが良くなっているのか
マッチをデザインするのか
そこら辺の話を
うしらさんの考え
めちゃくちゃ聞きたいなと思っているので
きっかけの九州DIYリノベのところを
聞きたいっていうのと
僕も冒頭話した宮崎に
絶対九州人なんで
一緒にできたらなと思っているので
その辺の話を掘り下げられたらなと思う
色々資料を持ってきていただいて
本とか聞きたいことがたくさんあるので
次回その辺の話を掘り下げられたらなと思います
というところで
本日は終われたらなと思います
ありがとうございました
28:40

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