はじめに:ファシリテーター自己紹介とセミナーの趣旨説明
みなさん、こんばんは。
だいぶカッチリの感じから始まりましたが、 ごめんなさい、若干崩していこうかなと思います。
ご紹介いただきました、美想空間、鯛島と申します。 よろしくお願いいたします。
全く僕のことを知らない方もいらっしゃるかなと思いますので、 1分ぐらいで自己紹介させていただきたいと思います。
大阪と宮崎の拠点で日域居住を行ってまして、
30年前にサーフィンで遊びに来まして、宮崎が大好きになり、 渡航日数がどんどん増えまして、
ちょうど10年前に100日を超え出したので、 こっちに住むことということで家を買って住みながら、
大阪と日域でリノベーションの事業を やっているような感じのものでございます。
リノベーションというもので、僕は会社を割とスケールアップしながら、 古い建物を使っていいよねっていう手法ってすごくいいなと思ってまして、
宮崎は古い建物っていうのもたくさんありますし、 特にこの商店街のエリア、
先ほど先生と一緒に歩かせていただいたんですが、 再生立て替えが難しいなと思う地域っていう商店街に面しているところとか、
リノベーションでここのビルもそうですけど、 再生することっていうのができるんじゃないのかなっていうのを思い、
リノベーションで全国で活躍されている方に来ていただいて、 皆さんにリノベーションってこういうことだよっていうのをお伝えできたらなという思いで、
今活動をしているような感じでございます。
今日はですね、僕と広く先生の、すごく失礼かもですが、 同じ領域で活動しているにもかかわらず、
こんだけ肩書きが違うんだという先生に来ていただいていますので、 先生よろしくお願いいたします。
先生はですね、近畿大学で教鞭を取られているので、 大学でいわゆるアカデミックな建築っていうものも、
ご理解されていますし、教鞭に立たれています。 僕は全くそこの部分はわからないんですけれども、
ただ先生、スピークっていう会社もオペレートされていまして、 領域を分かっていらっしゃる方っていうのは全国的に見ても相当少ないし、
リアなんじゃないのかなというふうに思っています。
なので今日は多分その民間の目線と、それから先生の目線というところと、 あとは行政といろいろ一緒にやっていらっしゃるので、
そこの3つの目線でいろんなものを紐解けたらなと思っていますので、 よろしくお願いいたします。
はい、ということでもう受け取っていいですかね。
講演:建築はリレーである ~記憶と建築~
このままセミナーのほうに50分ぐらい話をさせていただいて、
先生の講演を行った後、そこの紐解きであったり、 あと質問等をお伺いしながら話を進めていけたらなというふうに思っています。
大テーマとしては古い建物を使う理由って何なのみたいなところを、 今日は紐解けれたらなというふうに思いますので、
先生のほうにマイクをお渡ししてよろしくお願いいたします。
はい、ご紹介ありがとうございます。私もちょっとだけ自己紹介すると、 僕も実は二地域居住者で、スピークという会社は東京でやっています。
大学は近畿大学で大阪で、毎週大阪と東京行ったり来たりしながらということで活動していて、
大阪でたいじまさんと実は知り合って、とある行政の仕事で一緒したんですけどね。
イカった僕を止めたたいじまっていう、そこから仲良くなる、そんな感じで今日に至っておりますが、
今日はですね、このリレーとしての建築っていう本を昨年出させてもらったんですけれども、
この内容からリノベーションで街の再生を考えるときにヒントになる部分を抜粋してお話ししていこうと思っています。
短く言うとリノベーションで街の再生を考えようということです。
今日お話しする内容、こんな感じの4本立てでいきたいと思っています。
まず最初の建築はリレーだっていうところから話して、その後ちょっと具体的な事例を見てもらって、
3番と4番はちょっと皆さんと一緒に考えてもらうっていうか、考え方の話をします。
最初は建築はリレーだということなんですが、多分皆さんにもあるだろうなっていうエピソードから話したいんですけれども、
建築と記憶っていうタイトルにしています。
これ僕らが関わったリノベーション事例なんですけど、
左がビフォーです、回収する前で、右が回収後なんです。
リノベーションしたら古くなっちゃったみたいなちょっと変わった事例なんですけれども、
これ実は1980年代に古くなったビル、このビルはもともと大正時代のビルだったの。
古くなってきて雨漏りがしたりとか汚れてきたんで、金属パネルで覆って左側の姿になっていたんです。
それが老朽化とか耐震の問題があってリノベーションして再生したいってなってやったやつです。
ちょっと後で詳しく聞きます。
でも最後こういうふうに古い昔の姿が出てきたら、
古くからこの町で働いていたかなり高齢な方々がこれを見て、
昔ここに食堂あったよねとか思い出話を始めて、
その会社の役員さんだと思うんだけどが若い社員さんたちに説明しているというのを見たりしました。
これまた別の事例ですけれども、風呂なしのアパートをシェアハウスにリノベーションしたんですね。
そうするとですね、これ住民さんを募集するわけです。
シェアハウスに住みたい人いませんかって。
その告知を出したらですね、住むつもりじゃない人から連絡が来て、若い頃に住んでいました。
かつての住民さんが立派な写真家さんになられていて、
昔若い頃に船に乗って写真撮りに行くのであんまりここに帰ってくる時間がなかった。
そしたらここのオーナーさんがいい人で家賃をまけてくれたという思い出話がなぜか僕に届いてですね、
それでオーナーさんにこんな人覚えてますかって言ったらすごい覚えてて、
御年90歳のおばあちゃんと息子さんでもう一回再会して立派な写真家になった人の展覧会に行くなんていうのもありました。
これはまた別の古い昭和な感じの家があったんですけど、
昔オーナーさんここに住んでて、もう住まなくなってたんですね。
人に貸してたんだけれどもその借りてた方も出られてだいぶ傷んでて借りてがつかなそうだなというので僕らがリノベーションを手伝いました。
向かって右側がリノベゴなんですけどね。
これ見てオーナーさん懐かしいって言ってたんですよ。
実は天井がなくなってたりとか少し間取りが変わったりとかして新しく変わっているはずなのにオーナーさんは懐かしいというわけね。
この辺のエピソードが僕には今まで仕事してきた中で印象的なこととしてあって、建築って人の記憶にすごく関わっていて建築があるから思い出せることとか建築がきっかけでしゃべりたくなることが出てくるとか
そういうものがあるなっていうのを仕事を通して理解していきました。
こんな体験をしながら面白がって仕事はしてきたんですけどもあるときですね、ある大学の先生から宮部さん建物を残す仕事をいっぱいやってるけど何の意味があるのってボソッと言われたんですよ。
残して使っていくみたいなことにどんな意味を見出してそれやってるんですかっていう質問をされたときに答えられなかったんですよね。
普通にリノベーションをやってた。面白いなと思ってやってたから。
でも深い問いだなと思って一生懸命答えようとして考えた結果、この本ができたんですけど、それをパッと答えられなかったので分解したんです、問題を。
1個は残した建築がもたらす事業企画や運営への作用があるだろうと。建物をこういうふうに残したらこういう事業がしたい人が来るんじゃないかみたいな。
事例紹介①:東京・兜町 第五平和ビル(現 K5)
そういうことをやってた経験上あるんでそこを考えて説明できたら答えになるかなって思ったのと、もう1個はそういう意味を発生させるデザインがあると。
僕は建築の衣装設計が専門なので、デザインがあって初めてそれが受け取る側に意味をなすというふうに2つに分解して考えました。
今日は下の方のデザインの話はあまり時間が取れないので割愛しながら、上の方の話に重きを置いて語っていきたいと思います。
最初にいろいろネタ振りするんですけど、話変わって建築はリレーだったはずという話を皆さんに事例紹介の前にしておきたいと思います。
かつては建築を作るのには時間がすごくかかって何台にも渡って作るのは普通でした。
例えばヨーロッパで教会を作ると言ったら百何十年とかかかってるんで、200年とかね。
人の一生より長いわけですよ、作ってる時間のほうが。
ってことは人から人に仕事をつないで作る、リレーしていかないと建築できないっていうのが当たり前だったわけです。
それから建築を壊すっていうのもめちゃくちゃ大変だったわけですよ。
重機がないわけですから、戦争とか天変地異で壊れることがあっても建物を壊そうっていうのも想像なかったことだけ。
そうするとリレーするってかなり普通なことだったはずなんですよね。
今なんか我々のいる時代の人にとってはあんまりそういう感覚ないと思うんですけど、
ここで今日テーマに言葉で出てきたリノベーションって昔はめちゃくちゃ普通なことだったわけです。
技術が発達してくると建築を壊して別のものを建てるっていう選択肢が出てきたわけです。
産業革命があって重機が発明されて、そうすると壊すのも簡単だよね、作るスピードも上がるよねみたいな話になってきて、
その時出てきたのが再開発っていう考え方です。
19世紀にオスマンのパリの大改造っていうのがあったんだけど、それを再開発の最初って言ってる人もいるし、
16世紀のルネッサンスっていうのはちょっと専門的になっちゃうんだけど、
これ何かっていうと前の時代にバロック建築の時代があって、これが飽きられたっていうかね。
ルネッサンスの人たちはそのバロックみたいのはもうやめて、昔のもっと古典に習って作り変えちゃおうぜって言ってやってた時代があったんで、
こっちを再開発の始まりって言ってる人もいるんですけど、
要するに遡っていくと再開発っていう概念すら人間にはなかったっていうことなんですね。
この再開発っていうのができた時にどうなったかっていうと、これパリの話ですけど、
反対する概念で保存っていう考え方が出てきたんです。
保存しようっていう考え方も人間は昔持ってなかっただけ。
持つ必要がなかったから、普通に使い続ければよかったから。
だけど壊すかどうしようかって選択肢が与えられた時に、壊さないの方が保存になるでしょ。
っていう風になって、だから保存っていう概念も実はそんなに昔からあったものじゃないっていうことです。
だからこれ19世紀以降どんどん技術が発達してくると、建築でリレーするっていうのは普通じゃなくなってきたんだよなっていうことだったんですね。
で、今ここにいる皆さんにとって、年齢的にはいろんな幅の人がいますけど、
僕今50代ですけど、50代くらいの人にとって建築って家でもいいですけど、
一世代が使ったらそれで終わりみたいなのが常識になっちゃってますけど、
これって人間の長い歴史で考えたら相当異常で変なことだよっていうことがここで言いたいことです。
かなり普通じゃない状態を我々は多分生まれてから見てきてるし生きてきてる。
長い歴史の中で見たってことですね。
というような考えで、ここから事例を見ていってほしいんですけれども、
今日ご紹介する事例は、東京の日本橋株都町という場所での事例です。
範囲としてはそんなに広くなくて、歩いて5分以内ぐらいで全部回れるようなエリアで、
いくつもリノベーションをして町の再生につなげてきているという場所になります。
ちょっとだけ株都町の話をしておくと、江戸ですね。江戸時代は徳川の水群がいた場所です。
川があって水の町だったんです。
それが明治大正というあたりになってくると、金融の町として発展してきます。
渋沢栄一の、これ今写真ここ出てるのは渋沢栄一の家です。
渋沢栄一の家の隣に日本で最初の銀行が作られました。そんな町です。
銀行を作ったのも渋沢栄一です。渋沢栄一が今の株都町という印象を付けていったわけですね。
昭和の時代になると、経済発展とともに金融街として名を馳せていったんだけども、
実は僕も関わるまで全く知らなかったんですけど、株都町って90年代から相当落ち目になっていたんです。
どうしてかというと、株式の証券取引場で栄えた町なんだけど、
その証券の取引がオンライン化しちゃったんで、人が来る必要がなくなったんです、町に。
そしたら町にいっぱいあったご飯屋さんも客が来ないから後継ぐ人も出なくなって潰れていくし、
あと何よりも、証券取引のために来る人が減っているので、オンラインでいいのでということで、
ここに事務所を構える理由もだんだんなくなってきて、証券会社も減ってきた。
みたいなことで空きビルは増えるし、空き店舗は増えるし、というのが90年代からずっと広がっていっていました。
90年代、1999年終わりぐらいからそれが始まっていて、21世紀始まったぐらいからだいぶ下降戦という、そんな町です。
ここで町をなんとかしなきゃと思ったのは、証券取引場を持っている平和不動産という一つの企業でした。
大谷さんですね。
その大谷さん企業が町を見回したときにだいぶ廃れちゃったから、考えたのが再開発でした。
この青くでっかく塗っているエリアにちっちゃいビルがいっぱいあったんだけれども、そこを全部買い上げて、
さらちに戻して、ここに一本通路をつくのかな。
それで大きいビルを建てる、これが計画されたビルです。
この再開発計画が進んでいきました。
ただ、このときに、こっちの再開発の担当じゃない若い職員、スタッフがこの会社にいて、その人たちはちょっとハテナがあった。
どうしてかというと、廃れている町でこういうビルの開発をしたら、もっと廃れちゃう。
どうしてかというと、これをやっている間にずっと狩り囲いで囲われた工事現場になるし、工事が始まる前は立ちの木とかでどんどん空きビルが増えていくわけですよ。
ということは、人気のない暗い場所がすごい長い期間続くから、どんどん町がさらに元気なくなっているという若い子たちは気づいていたわけ。
その人たちは会社に一個提案をして、うちの持っている小さい空きビルとかでリノベーションして何かやったらいいんじゃないかとなったんですよ。
その若いスタッフたちが僕らに相談をくれて、何個かリノベーションのお手伝いをするということになっていきました。
結果的にはここが第1号で、ここが第2号で、ここが第3号で、僕ら3件やって、その他にも僕らに声をかけた彼ら自身でオフィスをプチリノベして、金融ベンチャーの人に借りて使ってもらいやすいような室内に変えたりとかそういうことをやっていきました。
結果的には再開発もうまくいったんですけど、どうしていったかというと、ここに書いてあるんですけどリノベーションって早いんですよ。
工事期間も短い。
だから割と結果がすぐ出やすいんで、それがいくつもリノベができていたことで新しいテナントさんとかが増え始まっていろんな話題ができたんですね、街に。
結果新築の再開発が終わったときには街にキープレイヤーが何人もいる状態になったんですよ。
有名なパティシエの人もいたし、なんかイケてるホテル若手事業者が世界に名を轟かすようなホテルにしてくれてたりとか、そういうのがあったんで、再開発ビルにテナント打ちするとき、
あそこの街だったら行ってもいいよって面白いレストランの人とかカフェの人が言ってくれて、再開発のビルの方にも入ってくれてるんですよ。
っていう感じでやってました。
だからこれでね、全部僕が考えてやってる話じゃなくて、その会社の人と僕はリノベをやりながら、再開発の話も聞きながら考えたことなんですけど、
時間のかかる再開発っていうのは活気のある街に向いているってことです。
さっき言ったように、再開発中は街は活気を失うから。
街が元気じゃないと、出来上がった後に商業が持続できないケースが多いんですよ。
よく地方都市の再開発で駅前再開発して、なんか下に商業入って上にターマン乗ってるみたいのある?宮崎。
まあいいや。
そういうのが多いんだけど、あれほぼ失敗してますよね。
最初だけうまくいってる感じだけど、上のマンションは売れたけど、下の商業がいつの間にかテナントいなくなって、最後は100円ショップになって、
それでもどうにもならなくなると役所の出張所みたいなのが出てくるでしょ。窓口業務みたいなのが。
あれ、僕が大学の授業でも言うと学生みんなうなずいてる。自分の街にもそれがある。
だいたいみんな末期症状の役所の窓口が入ってるのを思い出してるから、かなりの確率で再開発ってそうなっちゃってるんだけど、
それって元気がないところでやっちゃったからですよね。
要するに元気がない人に手術したら死んじゃうのと一緒ですよね。
リノベーションはスピーディーでコンパクトです。
ただこれは古いままじゃないので活用しますよね。
そうすると街の歴史的文化的成熟に貢献することができますね。
こういう感じでいいことあります。
でもネガティブな面もあって、だいたい事業規模が小さくて経済効果も小さいです。
なので大企業とか役所の人とかもちょっと成果を説明しづらいから取り組みづらいなっていう側面がどうしてもあります。
なので僕は思ってるのはリノベーションをやっていった先に初めて大きい企業とか役所とかがドーンとやるような再開発がやれるんだって思えばいいんじゃないかなと。
組み合わせで考えた方がいいんじゃないかなと思ってます。
僕は全部リノベで古いのでいけばいいっていう感じでもないんですよ。
街がちゃんと循環して生き延びていく方がいいと思っていて、それにはやっぱりリノベーションの力っていうのが必要で。
リノベーションは僕の中では漢方薬みたいなイメージ。
再開発は外科手術みたいなイメージです。
だから日常の健康をリノベで保とうよっていうことですね。
ちょっとだいぶうんちくが長くなったので事例に行きますけれども。
最初に株都庁でやった事例を紹介します。
第5平和ビルっていう事例なんですが、さっき見せたやつ。
これがビフォーの状態で何の特徴もないって言ったら失礼だけどそんな感じのビルです。
耐震開始をしなきゃってなってテナント募集を止めたんだけど、耐震開始をしたところでテナントを呼べる気がしなかったんですね。
ビルオーナーの会社が。
塩漬けになってました。
街に元気がないから。
僕らは実はこれ最初はこの奥の方に見切れてますけどあるもっときれいなビルのことの相談で呼ばれました。
会社で東京ある不動産という不動産サイトもやっていて、そっちのビルを何かやったらお客さん入れられないかって相談だったんですけど、
まあまあきれいだったんですよ。
きれいなやつ見てもあんまり燃えなくて、
じゃあ値段下げて募集したらお客来るんじゃないですかって全然つれない返事をして、
もっと変なのとか困ったのあったら相談してくださいって帰ろうとしたら、
めっちゃ困ってるんで見てくださいって言ってこれに行くって、
なんか普通のビル来たなと思ったんだけど、
なんかその担当者が言うにはめっちゃ古いらしいんですよと。
このマンションとビルの境目をぴょっと見たら、
古い西洋建築の装飾がくっついてるのが見えたんですよ。
だからこれはなんか古いビルに銀色っぽいやつがかぶされてるなっていうのが分かって、
その場で僕はこれは剥いたらすごい面白いことやるテナントが来ますよ絶対って言ったんですよ。
で、そうですかみたいになって、
それから1ヶ月もしないうちぐらいにこの前言ってたやつお願いしますって来てくれた。
会社を若いスタッフがどう説得したのか今でも謎なんですけど、
説得してこれを剥くっていうリノベーションのプロジェクトが僕らに依頼されたわけ。
結果最後こうなって、
昔のファサードだいぶ壊されちゃってたんだけど、
こんな感じに出来上がってます。
最後はK5っていうホテルが入っています。
検索していただくとめっちゃオシャレなホテルです。
海外からの旅行者いっぱい来てるし、
海外のメディアにいっぱい取り上げられるホテルです。
それはホテル運営者が素晴らしいんだけど、
あとは飲食店なんかが入ってます。
こうなるよっていうのを僕は最初に言いたかったの。
東京アルフ堂さんっていうのをやってると、
古い面白い建物に大体面白いこと言う人とか面白いことやる人が来るんだよね。
これ絶対面白くないそうだから、
いい手なんて来ると思うよっていう、そこからでした。
このビルは最初取り組み始めた時は正体不明の建物で、
蓄年が1923年で関東大震災の時っていうのだけ分かってました。
大学の時の友人で歴史の研究してる人がいたんで、
ちょっと来てって言って、
飯をおごりがてらこれに連れてって、
見てなんか分かんないって聞いたら、
ある本紹介されて見たんですよ、建築学会の出してた分厚い本。
そこにこういう明治とか大正の建築のリストがあるから、
それにもしかしたら載ってるかもよって。
そしたら載ってたんです、日本有線ビル、
大正13年、設計者不明、事業主不明、建てた時のね。
それしか分からなくて工事を結局進めていった。
そしたらエレベーターシャフトの一番上に機械室ってあるんですね。
そこに胸札っていって、
昔城頭って建物の構造が全部立ち上がった時に、
城頭式の時に胸札って貼るんですよ、大工さんたちが。
ここで言うとRCなんで大工じゃないと思うけど、
貼ってあって、それを工事の人が見つけてくれて、
真っ黒になってましたけど、読んだら事業主第一銀行って書いてあって、
渋沢市の銀行のビルって今残ってないけど、
この兜町の地に、実は一個まだあったんじゃん、これじゃんって。
設計した人が西村義時って書いてあって、
実は斜め向かいに文化財の建物が2軒建てて、
同じ設計者だったんですよ。
これいよいよ本物だなと。
いうのが分かって、歴史的にも重要なんだねってことを、
工事しながら確かめながら作っていくっていうことになりました。
あとはリノベーションを進めていくにあたって、
全部囲われちゃってるんで古いところが。
開けてびっくりみたいになるわけですよ。
それはこれやる前の経験でいつもだいたいそうなるんで。
みんなが予想してないことが起こるよと。
そのときどうするかで、
時の経過を素直に表すように判断をしましょうっていうことと、
過去のものと新しいものは統合するように考えましょうと。
新しいものだけ目立つとか、古いものだけ目立つんじゃなくて、
ちゃんと統合させようっていうことと、
あと過去の問題点は現代の技術で解決しようって。
この3つを事業主と設計者と施工者、
僕らちなみにデザイン監修者になったんですよ。
三菱辞書設計さんっていう立派な設計事務所は、
実は僕らより前に耐震補強の設計をされてたので、
その方たちが設計者としていて、
僕らデザイン監修という立場で関わるようにして、
この約束をしました。
約束をすると、最初のうち壊れてましたみたいな、
事例紹介②:兜町 松吉うなぎ屋(現 ワインバー・ビアバー・カフェ)
こういうのがガタガタガタってぶち抜かれてるんですよ。
パネルで覆ったときに入り口を作りたいというか、
前の入り口と違ってたんだね。
だからコンクリートを無理やりはつり取って穴開いてた。
こういうのも過去の経緯を表そうって約束してるよねっていうことで、
無理にこの右と同じような仕上げに頑張って修復するんじゃなくて、
構造機能的に大丈夫なようにだけして、
あとは綺麗に慣らしておくと。
ただデザインとしては入り口はここに左右対称の模様があるわけだから、
ここで左右対称に作ろうとかね。
そういうふうに建築のデザインのルールを読み取って作ることで、
無理な修復、お金がかかることをしなくても、
人間が頭の中で修復するよねっていうことを最初に理解してもらいました。
こういうのが出てきて。
こういうふうにやっていくと、だんだんみんな要領を得てきて自動生成するんですよ、個体が。
これは何かというと、ボルトがいっぱい刺さってるんですけど、
パネルを止めてたボルトが刺さって抜けないわけです。
で、普通は多分抜きましょうってなるんだけど、
抜いたらこの壁自体は左官仕上げなんです。
左官職人さんが塗って作った壁で、取ったら直すの超大変。
数聞いたら1500本だけ。
大変だと1500箇所撤去して補修。
じゃあもう、髭の長さを揃えて切って錆止めして終わりましょうっていう判断も、
さっきの約束でこうやるよねみたいなのがあったんで、
それでみんなそれでいいねっていう感じでこうやって、
過去の経緯だよねこれも、ということでやっていきます。
これは途中の写真ですね。
開けるとコンクリートって書いてあったのにレンガでできてるじゃんみたいな。
こんなんとかもどんどんどんどん出てきます。
これが歴史的に重要な建物だってことを示してくれた胸札です。
これは工事始まった頃に、実はね、昔の資料あんまなくて、
抜いたらいいよって言ったものの、本当にちゃんと装飾残っているかとか自信があんまなかった。
最初に出そうなとこ言って、ここ撮ってみてって出て喜んで撮った写真です。
他にもね、やっていくと石のレリーフが埋め込まれてたりとか、
どんどん出てくるんで、その場で設計は変更してここは見せるようにしましょうとか。
そうやって建物の経てきた経緯とか、
昔の人が頑張って作ったところを楽しむような感じで工事を進めていきました。
これが工事後にカフェができた後の写真です。
実は僕たちはインテリアの設計してないです。
大新北京の方針決めて外観を整えて、中をどういう間仕切りで引き渡すかまでしかやってないんです。
その時に床に古いフローリングが出てきたんですよ。
これは置いておいたら、テナントさん使うんじゃないかなって言って置いておいてみましょうと。
ちょっとカタカタ言ってるけど。
置いておいたら、これは外国のデザイナーさんが設計したんだけど、ちゃんと使ってくれてました。
しかもこのカタカタいう木タイルの模様に触発されて、オリジナルタイルまで作ってインテリアを完成させていました。
外国の人たちが。
これ本のタイトルになってますけど、これまさに建築のリレーで、前の人が何かおもろいことやってると、
次の人がそれを読み取って、言葉じゃなくても読み取って、リアクションとって何かやっていくって繋がっていってるっていう、そういうものになってます。
これが完成して仮囲いが取れた時、実はめっちゃ大変だったんですよ。
担当の若手スタッフが上司に呼び出されて怒られたんですよ。
あれ、終わってねえだろあれって。工事終わってねえだろあれって。
要するに常識的に考えたら、前より古い感じになって出てきちゃったから、し、途中みたいな壊れてねえみたいなのがいっぱいあるんで、スタッフが呼び出されて怒られて、どうしたのって聞いたら、
ちょっと何か言ってんですよ、上側とか言って。じゃあ僕も一緒に行って説明しましょうかって言ったら、その人が頑張って自分で説明するって言って、
その後おもしろいことになってなんとも決まったんで、今ではもうその人に逆らえないっていうそういうカルチャーができてますよ。
当時文句を言ったであろう年上の人たちも、今はその課長になられた当時の若い人の言うことを聞くっていう風になってます。
その時に年配層はどういうリアクションだったかというと、終わってねえじゃねえか以外はこれだったんですよ。
このビル残ってたんだみたいなリアクションが結構多くて、
要するにその人たちの中ではもう自分が若手だった頃のビルはなくなったって思ってた。
食堂があったとかいろんな記憶が呼び覚まされて楽しそうに会話してるんですよ。
それ見て僕は建築は記憶のよすがだなっていう風に思いました、このプロジェクトを通じてですね。
これが1個目のやつです。
これがうまくいったんで、もう1個いってみましょうということで、やったのがうなぎ屋さんだった建物です。
松吉っていう兜町ではみんなが知っているうなぎ屋さんでした。
なんで知っているかというと、金融関係の人って結構厳格義をしていて、
うなぎのぼりにかけてプロジェクトの重要な節目とかにうなぎを食べに行くっていう、そういうのがあったらしいんです。
ただここも後取りがいないのか、2018年で閉店しちゃったんですね。
この木造家屋を平和不動産さんが買い取って何とかしたいと。
これ立面図ですけど、建物は2棟つなげられていた状態です。
上から見ると三角屋根がこっちで、四角いビルがこっちなんですね。
入口のドアを見ると取っ手がうなぎになっていて、わかりますこれ、うなぎ。
僕こういうのは見逃さないんですよ。
これはめっちゃおもろいわ、ネタを見つけたなと思って。
こっちは面白がってやる方で、真面目に考えなきゃいけないのはこっちで、
実は2棟の建物が無理やりつながっているので地震で危ないんですよ。
揺れ方違うものがつながっているので。
なので一旦構造的には切り離して、ここで切り離して、
ここをエキスパンションジョイントといって電車のつなぎ目みたいな感じで、
地震で揺れてもちょっと融通する動きが、雨も入ってこないという収まりを考えて、
使い勝手としてはつなげられるけど、一応2棟にちゃんと構造的に分かれるという、
そういう耐震的な工事をしました。
事例紹介③:兜町 第七平和ビル(元 富士銀行)
これを工事を終えた後、ここにはワインバーが入って、
こっちの三角屋の方はビアバーが入って、こっちがカフェ兼ワインバーで、
こっちはカフェ、ここの奥から入って上がワインバーという感じで3テナント。
実はこれのお題は3つテナントが入れるようにするというのもお題で、プレイヤーを増やしたいんですよね。
ということで小割りにしてテナントさんが入ってくるというような形にしています。
この時も事業主の平和不動産担当の人には結構戦略があって、
テナントさんを募集するじゃないですか、会いに行ってお願いしていることがあって、
昼の3時か4時くらいから店を開けてくれって、これをやってくれる人に来てほしいというのをやっていました。
これは彼らがロンドンとかニューヨークの金融街を視察に行ったら、
昼からやっているよと飲んでいるところがあって、商談の後なのか前なのかみんな仲良さそうに喋っているよと。
こういうカルチャーが我々日本の金融街にないよねというので、
それを作りたいということで早めにお店を開けてお酒を出してくれる店を募集するということで、
ちゃんと街のコンセプトも考えて動かれていました。
ちなみにさっきのうなぎの取手のついた引き戸はそのまま置いておいたんですよ。
そしたらここはノルウェーかな、北欧のビールをやっているところが入ったんですよ。
デザイナーも北欧の人だったんだけど、見逃さなかったんだね。
これはそのままドアを取り替えずに置いて使ってくれています。
中はめっちゃブルーの床とかサイケデリックなデザインが入ったんだけど、入り口はうなぎの取手です。
こっちは何かというと、うなぎ屋さんの歴史が書かれた銘板があって、
これは不動産会社が自分で作って貼っているんですよ。
こうやって、その辺でうなぎ屋がつぶれてもみんな何もしないじゃん。
だけどうなぎの取手のついたドアを置いておいて、
ビルオーナーというか建物オーナーがうなぎ屋だったよという銘板を作れば、
それに応えるテナントが入るんだよね。
そういう面白い町の歴史とか原活儀の伝統とか、そういうのも紡がれていくということになってきました。
3つ目が兜町第7平和ビルで、さっきのところから歩いて2分ぐらいのところにあった元富士銀行のビルです。
ここ銀行が統合して水穂銀行になったときに空き店舗になっちゃったんですよ。
上も富士銀行のオフィスだったんだけど、それも統合でつかなくなったんで、
上は賃貸オフィスビルで、1,2階は空きテナントという形のビルになっていました。
もともと1棟で銀行だったから、ビルの顔は銀行店舗で良かったんだけど、
賃貸オフィスビルになってみて分かったのは、入り口がめちゃめちゃ小さいということです。
ビルがでかいのに、もともと銀行のスタッフしか出入りしないから、裏口ぐらいのつもりで作った。
これがでっかい貸しビルのエントランスになっている。
僕らにあった相談は、この頃になると平和不動産の人もだいぶ頭が吹っ切れているというか、
びっくりしたんだけど、広場を作ってくれって言われて、広場って家賃取れないですよね、みたいな。
戦略はあるんだろうなと。
僕ら的には理解したのは、隣に再開発のビルがあるんですよ、さっき紹介した。
これも再開発ビル5の裏の上です。
こっちの足元にベンチとか置いたら、結構座る人がいて、街に滞留する人が増えて、にぎわっている感じが出てきたんです。
それをつなげたいという意図だったんですよ、聞いたら。
だったので、僕らもこのビルの足元周りにオープンスペースを作って、人が滞留したらいいよね、というふうにやりました。
これは1階のスペースを削って屋外化するので、1階の家賃が目減りしますね、普通に考えたら。
だから不動産事業者からすると、めっちゃやりたくなさそうなことなんだけど、これはやりました。
どうしてかというと、これをやることで、1階のテナントスペースのイメージが上がるので、
家賃をそんなに減らさなくてもいいだろうということと、もう1つ仕掛けがあって、それはちょっと後で言います。
ちゃんと不動産的に損しない作戦も考えつつ、大盤振る舞いをしているかのようにやっています。
このビルも普通のビルだったんだけど、いざ行って観察してみると、写真にあるみたいなきれいな手すりがあるんですよ。
何に見えますかね、お花の模様というか植物模様というか、そんな感じですよね。
これはうちのスタッフで豆中が設計図書を全ページちゃんと丁寧に読み込むやつがいて、その中で見つけたんだけど、
兜町では植物モチーフは成長の願いを込めて、いろんなビルで採用されてきたってチラッと書いてあるのを見つけたんだよ、うちのスタッフが。
そう言われて、もう一回兜町の町に行って古いビルとか見ると、最初に紹介したビルも植物のレリーフがついているんですよ。
パイナップルみたいな、よくわかんないな、花の模様とかついているの。
他にも残っているビルを見ると、ことごとく植物模様が出てくるんですよ。本当だということで、これもそういう思いなんだねって。
これ綺麗だし、そういう式たりにのっとってやっていた兜町の伝統なんだから、ということで、これは捨てないでとっておいてねってことにしました。
リノベイで手すりいらなくなっちゃうんだけど。
これは現地で見ながら考えているんですけど、1階の床に穴を開けることにしたんですよ。
実は地下に金庫があって、金庫ってめっちゃ堅牢で入り口もすごい狭いんで、貸せないんですね、普通の状態だと。
だけど、ここの45センチの厚さもあるコンクリートスラムに穴を開けたら、1階とセットで貸せる床が増えるわけですよ。
それによって、このビルの1階の不動産で貸せる部分が減っている分を補って余りある家賃増が見込める。
そういうことで、こっちの広場にするという部分が成り立っていっています。
ちなみにこの赤くした部分がリノベでいじった部分です。
これが出来上がった後で、もともとあったガラスのカーテンウォールは残っているんだけど、
ガラスだけ外したりとか、途中でちょん切ったりして、出入りしやすいようにしながら人の居場所を作っていっています。
こんな感じですね。
オフィスのエントランスが小さかったと言いましたが、広場みたいなのを作るんだったら、
その小さいエントランスを広場に向かって開かれたように作り直したら、
お店のテナントさんからしたら自分の店前広場だけど、ビルの人からしたらエントランスアプローチになるじゃないですか。
一石二鳥ですよねと。
これによってビルはかなり立派なアプローチ空間のあるオフィスビルに変わるよねということで、
2階より上は一切触っていないんだけれども、多分家賃上がるよという作り方にしました。
実際にこれが出来上がってリーシング担当の人たちが見に来たら、
次に入れ替わるとき家賃上げますと言っていたので、効果はあったと思います。
共用部の充実で上がるということですね。
ここが元々銀行のATMだったところなんですけど、
こんな感じの開かれた場所になって、
パン買ってここで食べる人がいたりとかいう感じになっています。
ここからちょっと小ネタですけど、
さっきの手すりどこ行っちゃったかというと、
こういう風にカーテンウォールにはめて、
ここに模様として映るように使っていたりとかしています。
建物を残す意味:記憶の拠り所、物語、街の個性
他にも、ここでは街の続きでデザイン全部考えようぜというテーマを自分たちに課してやっていて、
ここに木が張られているんですけど、
この木は近くの工事現場のコンクリートに変な模様がついているのを見つけて、
あの模様を作った型枠があるはずだと思って、その型枠を取っておいてくれと。
同じ事業主のビルだったので。
したら担当の人すごいんだよね。
絶対宮井さんそう言うと思ったから、もう取ってありますと言って。
このビルに型枠を着とったとかね。
あとこれは銀行の床に張られていた石そのままなんだけど、
これはノンスリップ加工で溝が入っているんだけど、
他はつるつるで危ないんで外にしたら。
それは全部剥がすんだけど、剥がすと割れるんですよ。
その割れた石の破片を現場所長が取っておいてくれていて、
何回もやると頭がおかしくなってきて捨てない人たちが増えてくるんだよ。
これどうしましょうと言われたので、みんなで花模様を作ろうよと言って、
こういう風に花の模様で床を作っています。
しまいには住居表示のこういうのとか捨てそうじゃないですか。
いらなかったら。
このビルは元々銀行のお店と事務所で住所を2つ持っていたんだけど、
今は1つのテナントビルなんで住所1個で良くなっちゃった。
これいらなくなった方の住所なんですよ。
現場の人たちがこれも捨てなかったら何かやってくれるかと思って置いてあって、
どうしますって聞いて、
じゃあ照明ボックスをつるしてあるんですけど広場の片隅にその中に貼っちゃおうと言って隠しました。
ちなみにこのケースの蓋は手すりなんですよ。
こうやっていっぱいその辺にあったもので使って作っています。
ちなみに江戸時代には植木市が建っていたという歴史もあるので、
植栽は鉢植えで自動乾水はしているんですけど表現してあったりとか、
日本橋川っていうのの街だったんだけど、
みんなそういうのも忘れちゃってるんで、
ちょっと水面に見えるように銅板が張られてたりとか、
そんな感じで街から拾ってきたもので建築を考えるっていうふうにやってます。
ここに今書いてますね。
建築っていう言葉で街の文脈を読んで続きを書くっていうことをやってます。
意味を生み出す視点:心と物の重なり、建築のリレー
こんなふうにやってるとやっぱり建築ちゃんとリレーされてくれて、
事業主はとある建築雑誌にこれが紹介されたときに一言書いてくださいって言われてこんな書いてて、
ハードに対する愛着をテナントと共に共有しながらリノベーションを進めていますって書かれてて、
その事業主が連れてきたテナントさんが自分の店につけた名前がバンクで銀行に戻ったんでね、名前はね。
ちゃんとそこにあるものとかそこが携わっているストーリーを紐解いて分かるようにデザインしていくと、
それに応えるテナントが来てちゃんとやってくれるっていう。
バンクにしようぜなんてこっちは誰も言ってないんですよ。
でもなってて面白いなって僕も思いながら見てます。
古い建物を生かすことで兜町の文脈の続きとして新しい展開を作っているっていうのがここでのやり方です。
兜町に新しい何かを持ってくるんじゃなくて、持ってきてるんだけど考え方は持ってくるっていう考え方じゃなくて、
兜町の続きを考えるっていう考え方でやってます。
宮崎だったら宮崎の続きを考えるとか、宮崎の何々町の続きを考えるみたいなそういう考え方です。
こうやることで過去からのバトンを次につなぐリレーで町の個性を守って育てるっていうことができています。
建築を残す意味としてちょっとまとめに入っていきますけどね。
最初にポッと言われた質問に答えなきゃなみたいで、残して場所の記憶を伝えてってどんな意味あるのっていうことなんですけど、
3つ僕の中では答えがあって、建築は記憶の様子だよっていうことです。
事故の存在を確かめる拠り所になっていると思います。
人間って年齢を重ねていくとほぼ記憶でその人の内面はできているじゃないですか。
その大事な記憶を支える役割が建築にあるってことです。
だから古くて何でもない建築も意外と重要な役割かもしれない。
ちなみに僕のおじいちゃんはおじいさんがよかれと思って家を建て替えたら、2,3ヶ月後に亡くなっておばあちゃんもすぐ亡くなったんだよね。
古い農家の上にカイコがいたような家だったんだけど、
たぶんおじいちゃんの中ではあれがおじいちゃんの中のいろんな部分を占めていて、
それが亡くなったことで弱っちゃったのかななんて。
おじいさんには悪いけど、そんなのも僕の個人的な経験ではあります。
あとは世代を超えて語ることができる物語っていうのができますね。
これはカブト町のさっきの話ですけど、
ちなみにさっきの埋めた看板はテナントに新しくなりたいって来る人を案内するときに、
リーシングの人たちもネタとして使ってくれてます。
昔銀行店舗で住所が2個あってね、みたいなのとか。
そうやって話すきっかけっていうのができていってます。
それから待ち残せを守り育てるっていう、これかなり重要で、
要は都市間競争から抜け出せます。
実はカブト町っていうのは東京駅からも歩けなくもないんだけれども、
あの辺で言ったら相当裏切れたエリアになっちゃってたんですよ。
東京の駅前の丸の内とか日本橋っていうところが一等地で、
そこは花々しくいろんな世界のテナントが集まってなってるんだけど、
カブト町もそれを狙いに行っても絶対勝てないんですよ、立地的に。
なのでカブト町は、俺らは金融街だよと。
だから金融ベンチャーの人が来てもらうし、金融街の人たちが昼から飲むものを考えるし、
ということで自分たちの個性っていうのを守っていくということで、
街の競争から抜け出すっていう、そういうことにつながってました。
今のが建物を残して使う意味です。
この3つがね、僕の中では。
皆さんの中にも他にもあったら教えてほしいなと思うんですけど、
ひとまず僕の経験ではこうなっている。
ではですね、こういうふうに意味を生み出すにはどういうものの捉え方をしたらいいのかっていうのを最後に話して終わりたいんですよ。
要は古い建物を使っていても、全部新しくして、真新しい姿に変えたら、
今僕が言ったみたいなことは絶対起こらないです。
新築そっくりさん的な感じにしちゃうと、そういうふうにならない。
じゃあどういうものの見立てかっていうのを、これまでとこれからの間の想像ということでお話したいんですけれども、
ここに心とこととものって書いてるんですけど、
これね、みなかたくまぐすっていう年金という金類を研究してて、
かつ仏教とかめちゃくちゃ研究してたっていう和歌山の偉人がいて、その人が描いてた絵なんですよ。
学生と一緒に旅行に行ったときに、みなかたくまぐす記念館に台風で僕一人だけで閉じ込められちゃって、
学生は車で来て、僕飛行機で行ったら先に着いちゃって、学生台風で来れなくて、2時間半ぐらいかな、閉じ込められたの。
やることないじゃん。展示の隅から隅まで見たときにこれを見つけて、なんかいいこと書いてあるというのがこれなんですが、
心とものの重なったところにことがあるんですよ。
よくさ、こととものって2個並べて、ものからことへとかいろいろやってるじゃないですか。
でもあれの説明を聞くたびに僕なんか違和感があったわね。本当に?みたいな。
だけどみなかたくまぐすさんの見て、なるほどと思いました。
心って要するに人のことですよね。人とものが重なり合って初めてことが起こる。
全てのことがこうやって起こるという、みなかたくまぐすは言ってました。
これを建築や都市に当てはめてみると、ものっていう部分を、心の部分が企画者だったり制作者だったり運営者だったり利用者だったりするわけですよ。
一番わかりやすいので言うと、あるものや建物があって、それを見る利用者がなんかここ居心地よさそうだなと思うから座るっていうことが起きたりするわけじゃないですか。
簡単なやつです。そういうことです。
もうちょっと事業の話とかにしていくと、企画が生まれたり、そのものを着想にしたデザインが生まれたり、あるいは営みですよね、事業が生まれたりということになっていくわけです。
この関係性で成り立っているんだっていうことで、ものを見ていくのがすごく大事だと思っています。
実はこの関係性でちゃんと作られていくと、既存の元々あった建築や都市がある心ある人の心に触れたことで企画やデザインや営みが生まれて、そこでリノベーションが行われると変化しますよね、こっちのものもね。
ここもそうだと思うけど。
この変化したやつが今度は既存の状態になりますよね。
それを見た、ここで仕事したいかな、みたいな人が来てくれるのは2週目に入っているわけよ、みたいなことで常に人がいて、ものがあって、間にことがある。
このものに起こす変化は前を前提とした続きでやっていたら、ちゃんとその流れで乗っていけるようなカルチャーの人が集まってきて、ということでアイデンティティーも確立されてくるという、そんなような考え方です。
建築のリレーって循環していくということです。
そうすると自己同一性、アイデンティティーを保ちながら文脈的につながっていくので、
よそとは違う、ここだけだよね、この街はよそと違うよね、というのになっていくということです。
ということで建築のリレーというのは、物である建築や都市とことである人々の営みを連続する文脈として継承していくための手段ですよということになります。
これまでとこれからという言葉で捉えてほしいんだけれども、
僕らって新しい何か考えなきゃいけないとなると、これからのことばっかり考えるんだよね。
何かをやりたくない理由を考えるときにこれまでのことばっかり考えるんだけど、
これまでのことを何かをやるきっかけにするというふうに考えたらいいんじゃないかなと思うんですよ。
前と同じことしかやりたくない人はやらない系の人だけど、前がこうだったからこうやったらもっと面白くなるとか、
これネタになるとかというのがこれからのクリエイティブなんじゃないかなと思うんですが、
そのときに大事なのは過去の人の続きを作るというぐらいの考え方がいいんじゃないかなと思っています。
今より良くしようと思ったら、これまで人がやったことの上に積んだら、一人で最初から積むより良くなりやすいじゃないですか、みたいな考え方です。
過去の人のやり方を見て、その続きとして改善や添加を考えると、自分だけでやるとか自分たちだけでやるよりもいいものになりやすいし、
次の人もその続きが考えやすいということになります。
これどうだろう、ここにクリエイティブ系の仕事をしていて発想に悩むことが、そういう仕事の人結構あると思うんだけど、
学生にも僕言うんですよ、設計の課題で何も出なくなる。
それって己の中にあるかもしれない新しいことを探しに行っているモードなんですよ。
いや、ないよ、お前の中に何かって思うわけ、僕の中にもないし。
それは周りにあるものに対して反応する自分がいてことが起こるわけだから、
美中隆一の教えでいうと。
だから内面的に探しに行ったら多分苦しいよね。
これまでの続きを考える:デザインと企画のヒント
だから過去の人の続きで考えるみたいに気楽に考えてリアクション取っていったらいいんじゃないのっていう、そういう考え方です。
それともう一個は慣れの果てから逆算するっていうのが大事で、建築家として必ず古くなるじゃないですか。
にもかかわらず作るときって新しくできることに価値を置いて考えがちだけど、
それって一瞬の価値でしかないから、そんなことはどうでもいいので古くなったときのことまで考えて作ったらいいと思っています。
そうすると古くなることに向けたデザインっていうふうな着想になるはずだし、企画もそうなるはず。
古くなった状態が未来の誰かにとって好ましかったら、次の企画やデザインの取っ掛かりになるから、
それって継承されていくってことじゃないですか。
残したいなって思ってもらえたりとか、使いたいなって思ってもらえたりっていうことになるんで、
新しく何かが生まれる瞬間に全てをかけるんじゃなくて、古くなってヨレヨレになったときどう見えるのかなみたいなのを考えてみるのも発想の一つかなと思っています。
これ最後になるんですけど、建築のリレーというのを繰り返せるよと、循環していくよという話をさっきしましたけど、
それを繰り返していった先どうなるかというと、私たち自分たちが生きる時間の前とか後にまで感覚を拡張して楽しむことができる建築家都市が待っているわけです。
さっきの兜町でいうと、渋沢栄一がここで何かしたんだよねとか言いながら飯食えるみたいなのとか、
うなぎ屋がここにあったんだよねって言いながら北欧のビール飲んでるとか、ここ銀行だったらしいよって言いながらパン買ってるとかみたいな話ですよ、簡単な話で言うと。
でもそういうことってちょっと価値を忘れられがちだけど、意外と面白いらしくて、不動産の営業の人たちもあそこでそういう話をして、
死なそうなスーツ着て真面目そうな人もしたら結構楽しいみたい。
だからやっぱり価値あるんだなって。それはお金勘なんじゃなくて、街を面白がっていく人を増やすっていう方の価値としても結構あるのかななんて思っています。
ということで、ちょっと時間が20時6分ですね。ちょっと過ぎちゃったかな。
大島さんに一旦お戻しします。ありがとうございました。
先生ありがとうございました。
入ってますよね。
冒頭先生のお題のところに、建物を残す理由は何っていう問いかけに対して、即答できなかったみたいなくだりがあったと思うんですけど、
僕、心の中で即答だったんですよね。ただ、聞いてすごく恥ずかしくなったんですけど。
それはあれでしょ。答えがあるから。事業費的に助かる。
質疑応答①:事業合理性と建物を残す意味
僕の中の古い建物を使う理由っていうのは、もともと建っているものなので建築コストかかんないし、
リノベーション費用でいけるので事業を乗っけやすいし、もう儲かるからじゃないんですか。以上ですっていう感覚があったんですが、
ものすごく聞いてて、最終的にだんだん恥ずかしくなってきたっていうのが、僕の今日この話を聞かせてもらった答えになっちゃったんです。
それね、実は新築するよりも安いお金で事業始められますよっていうのも、もちろんちゃんと理由になると思うんですよ。合理的な理由だよね。
でもそれだけだと、例えば東京で一等地だと、家賃結構取れるんで新築にした方がいいじゃないですかみたいな開発圧力みたいなのがあったときに、
残したいと思っている人たちは対抗するすべがないんですよ。
だから割とその両方正しくて、でも日本のほとんどの場所は建て替えない方が事業的合理性が高い場合が結構高いと思っています。
その上で今の3つも考えてほしいなという感じですね。
建物を継承するとか使うってなったときに、もちろん衣装のこととか、こうやった方が面白いよねとか、いわゆるハードだけじゃなくてソフトの部分を考えたりももちろんするんですけど、
ただ全くそれをちゃんと言語化して、なんとなくいいからとか古いの僕好きやしみたいな、たぶんそんな言語でしかできなかったのをむちゃくちゃ分かりやすく、ああなるほどって僕はすごく腹落ちしたなと。
宮崎の街を見渡したときに先生さっきおっしゃってた再開発でビルで1階にみたいなやつはたぶん僕が知る限りまだないんですよ。
ただ今後そうなっていく可能性もあるし、今日さっき歩いた文化ストリートの、あれ僕らも古くてなんか面白くてワクワクするとこだよねみたいな感覚はあるんですけど、
先生の開講一番の見どころが、ここにコンクリート製の台があるんだよねみたいな文化ストリートをボーンと最初に見たら、
斜めに看板で鬼塚なんとかっていう魚屋さんがたぶんあったところが一番最初に目につくところがあって、あれの台を見てあったんですよね。
僕はあれ言われるまで気づかなかったですね。
よく魚市場とか古い魚市場とかにああいうのがある。
おっしゃってましたね。
たぶんああいうのも見方を変えてどんどん繋いでいくと、文化ストリートとか、入った他の場所とかもええものになるんじゃないのかなっていうふうに思いながら聞いていました。
たぶん見え方が全く違うんだろうなと思うので、この宮崎のことについてでも、今日のリレーのことに関してでも、
宮崎市、繁華街のほうも正直古いビルとかが増えてきているという中で、
そういうこともあって、宮崎市市役所の方とかが動かれて、今回されたんじゃないかなと思っているんですが、先生の今の話の中で言える物語、ストーリーというのが非常に大事だというふうに感じ取れました。
その中でありましたけれども、言語化というところが非常に難しいと思っていまして、物語を語るにあたってはやはり言語化するというのが非常に大事かと思うんですが、
地域性というところを物語、言語化するにあたってどういうところを気をつければいいのか、あとはどういうふうにしていけば地域の方々に根付いていくのかというところでお話を聞かせていただければと思いますが、お願いいたします。
はい、結構僕は視覚情報にリアクションするんですよ。
多分ね、話でされることの記憶があまり良くないのか、なんか忘れちゃうのが多いんだけど、
ポイントとしては、見てこうやって指さしてこれあれだったんですよ、みたいなのを見つけるって感じですかね。
要するに物として存在しているものを指さして説明できるようなストーリーは割と建物を使った文脈をつなげていくというときに使えて、
何もないところでここに偉い人が昔いて何百年前にこういうことを成しましたって言われて何も見るものがないと、それってなかなかリアクション取りづらいなっていうのもあるし、空間としても落とし込めないし、
多分さっきの物があって心があってことが起こるの、やっぱり物の方がどうしてもないじゃないですか。
やっぱり実は僕物結構大事だなと思っているので、それをどんなもんでもいいから見つけてみるっていうのが結構あるかなと思いますね。
結構味のある看板とかいっぱいついているじゃないですか、飲み屋街とか行っても。
ああいうのも本当は今はおしゃれなカフェなのに、上に昔のなんとか食堂とかなんとか電気とかついてるとかっていうリノベ結構あるじゃないですか。
ああいうのだって結構あれですよね、若い子たちを惹きつけてますよね。
これ電気屋だったカフェみたいな、あんまり難しいテーマじゃなくてもそういうのでもいいんじゃないかなっていうふうに思ってます。
僕も全く一緒で、もうちょっと今の話を深掘りさせてもらうと、言語化するってやっぱり難しいことだと思うんですよ。
これ今日話を聞いて、僕それこそちゃんと本を読んで、理解したつもりであったが、今日たぶんこの一つの衝立だけめちゃくちゃ深掘りしてくださったじゃないですか。
本には他の事例もたくさん載ってます。で、ああってなって、これ言語化されてたと思うんですよ。
で、僕本読んで分かる部分があったんで、今日聞いて分かったみたいな、この言語化ってもうちょっとたぶんもう一段階見えたものを見えたままにするのもう一個奥があるんじゃないのかなと思ったんですけど、
なんかそこにヒントあるんじゃないのかなと。なんかないですかね。
だからそれを見たときに前のことが想像できるように残すんですよ。
これは結構デザインの技が必要なんですけど、
今日はデザインの話をほぼ割愛で言ってるけど、うなぎのとってはやっぱり扉として機能して、うなぎの形が出てる形で残さない限りは、うなぎの彫刻になっちゃうんで。
どっかから持ってきたうなぎの彫刻になっちゃうじゃないですか。
でもドアとしてくっついとったら、この建物全体がうなぎのなんかだったってなるでしょ。
なんかちょっと自分で勝手に深掘れるかなみたいな残し方を心がけてるんです。
シンプルにこれが何っていうのを言うっていうよりも、これは元々何だったのかとか深掘りしていくようなイメージですかね。
なるほど。
それを誰かに、店の人とか住んでる人とかに一回教えるっていうか会話すると始まってるんですよ。
僕らが関わらなくなった後もそれを誰かが話してくれてて、久しぶりに言ったら嬉しそうに言われて、
それ知ってます、みたいな。それめっちゃ嬉しいんですよ。
なるほどですね。何となくでも多分原稿化するヒントはそんな感じで見えたのかなと。
ちょっと遡って深掘りですね。ありがとうございます。
他何かお題、テーマ、気になること、聞きたいこと等あれば、あと一つぐらいはいけるかなとは思います。
じゃあ、字越えでいきましょうか。
先ほど冒頭最初の方で、素っ気ないビルに無下にして、次のかっこいいビルに着手されたというお話があったと思うんですけど、
もし宮崎さん、今日何か来られてますし、街づくりにおいてすごい重要な公共建築があった場合に、
でもちょっと面白くないと、建物意匠的に、でもすごいやってほしいと行政が言っている場合、
宮崎さんならどういうふうにされますかと、どういうふうに考えていただけますか。
愛すべきポイントが見出しにくい建物って正直あって、
さっきの最後に見せた銀行道はぶっちゃけそうだったんですよ。
普通に四角いガラスがはまっているだけのビルだったんで、
でもやっぱり、あれ以外のネタでいうと、コンクリートがめちゃめちゃ厚いとか、図面を見てわかるんですけど、
この厚みを表現したいとか、いろいろそういう変なことは考えました。
だから実はあれ、言ってもらったらわかるんですけど、
1階から地下に降りていくときに、誰も見て気づかないかもしれないんだけど、
45センチのコンクリートが切られた断面そのまま見えているんですよ。
これってコンクリートってだいたい20センチとかそんなもんだよねみたいなのを知っている人からすると、
何これっていうものすごい極厚コンクリートで、鉄筋もちょっとチロッと見えたりする、残し方しててとか。
ちょっとそういうふうに変だなって思える場所を作っちゃうっていうのがあるかもしれない。
なんでもないものの、嘘はいけないけど、なんでもないビルもここからこう見たらこう見えたよねみたいなとか。
あとはその建物が何に使われていたかとか、そういうのは情報をなるべくインプットするようにして、
その痕跡に見える部分を一生懸命探したりしてますね。
床の汚れ方がビューって線になっておったら、ここ一通っとったなとかね。
そういうのもあります。
そうです、もう名探偵コナンみたいな。
ありがとうございます。
ちょっと今の話でいうと、僕は多分どうしても建築使って残していく事業を作るみたいなスタートラインがそこに立つと思うので、
その文脈の部分っていうのは多分相当少ないんだろうなと思ったので、僕も引き続き今後は探すをやってみようかなと思いました。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
他何か質問とあればですが、なければ。
質疑応答②:地域性の言語化と根付かせ方
どうぞどうぞ。
どうも今日はありがとうございます。
まちづくりというかリノベーションみたいなお話、大変参考になりました。
私、53年ぶりに郷土に戻ってきましてね。
そのまでは関東、東京とか転勤でそっちの方が多かったんですけども、その中でやっぱり東京っていうのはやっぱり人がいるし、お金もあるし、
都会だから古い建物なんかを見たときに、何か落ち着く居心地のいい空間をリノベーションしようという働き気持ちがあると。
だから東京駅にしてもね、あれ本当は取り壊すとかあって、行政も動いたり、それで建築の携わる人たちが、また市民もそうだけど、都民の人もそうだけどが一貫になって、ああいう保存になったと。
それで機能しているといったところですよね。
そこで宮崎って言って帰ってくると、これ私の見方が違うのかもしれないけど、古い建物をリノベーションして、その空間に人たちが集まるんだろうかという気持ちがあります。
私の古い街をよく知らないかもしれない。知らないから、人が減るそういったところでね。
ここでいらっしゃることは、僕はリノベーションはそうなんだけど、建築もそうなんです。
僕も建築学んで、建築の話もあったんだけど、要は宮崎を対象にすると、確かに文化ストリートも歩いたけど、そこを開発して何になるのっていうのはね、見方が違うかもしれないけど。
というように僕は観光という宮崎、すごく憧れていたんですよ。観光。一つの空間。
岩切章太郎という人がいて、岩切章太郎という観光の父なんですけど、日本有名なね。ところが宮崎の市民の方は、僕いろんなことをリサーチするんだけど、知らないんですよ。知らない。
そこで何を言いたいかというと、僕は宮崎のリフォームじゃなくて、空間をもっと大切にしたいなという気持ちがあるので、その自然のものを少しいじってね。
人を懲らせるような、心ですよね。落ち着くもの、ことが始まるみたいな。そこが実践的にやったのが、堀切峠ってご存知かもしれないけど、海老の高原とか堀切峠とかあるんですよ。少しいじっただけで。野生の馬とか。
そういうものがね、今はだんだん少なくなって、今はスポーツとかでリノベーションして人が来るようになるけど、それはそれでいいと思うんですよ。
ただ、その中で、こう言っちゃなんだけど、新しいものだけができてる。マウンカイのやつも外壁工場やるみたいだけど、とか子どもセンターとかね、たくさん施設ができてる。
それがいいのかどうかっていうのは、市民の問題だし、市役所の問題だし、市長の問題だと僕は思ってるんですね。
宮崎としてはもう、具体的に言うと行き目台っていうところが、僕がいたときはもうすごく住宅が建っていて、すごくこれが発展するんだなと思って、53年ぶりに戻ってきたら、もう小学校、中学校が統合されてるみたいなね。
そういう空間でいいのか、古いやつも素晴らしいけど、そういう自然的なことをもっと真剣に考えないといけないなと。
で、その中で大変このリノベーションという題材からちょっと逸れますけども、宮崎がエネルギーの街にしたいという、副知事がエネルギーの街にしたいという話が一つあって、であればそれをって再エネじゃないかみたいなね。
要するに田野とか京都あたりに、田舎あたりにソウルアパートに引いて風力やるよみたいな話を、俺はやるんだみたいな副知事が言ってましたけどね。
そういう、だからなかなか宮崎っていうのはこういう建築的なことはなかなか人も足の間にいないし、お金もないからね、難しいなと。
もう一つ僕答えを結構持ってます。
そうですか。長くなって申し訳ない。
多分その、いいですかね。おっしゃりたいっていうのはなんとなく理解はできました。
今日のテーマは建築のリノベーションを建物をどう引き継いでいって活用するのかみたいなところかなと。
実は53年ぶりに戻ってこられたっていうところで、ここの建物は2024年に空き家を活用して、いわゆるスモールビジネスを作ってっていうセミナーを2024年の2月ぐらいに僕が宮崎市でさせていただいて、
すごいその時100人ぐらいの方に来ていただいて、その中に来られてたオーナーさんが実はここの建物の持ち主さんで、2階3階4階屋上っていうのがずっと空いているっていうビルだったっていう話で、
そのビルを活用して、僕たちがここの建物3階4階をまず借りさせてもらって、今ここのシェアオフィスっていうのを作って、ここにクリエイターがどんどん集まってくるようになり、
先生がさっきやっていたような、ああいったものがこのエリアで作れたらいいよねっていう未来をイメージしながらやりだしたのがちょうど1年半ぐらい前ですかね。
実際、今ここは建物がもう出来上がって、古いリノベーションの、本当に今日のテーマの建築をリレーしていくっていうことを考えて、先生みたいな深い話はないですが、見ていただいたらリノベーションした建物だろうっていうのはイメージできるかなと。
今日、こんだけ50人弱ぐらいの方が集まっていますっていう拠点が一つできたので、なんとなく僕は東京だから、僕は大阪でも授業をやってるんですが、むしろ宮崎のほうが僕は面白いと思って、今一番時間を割いてるのが僕は宮崎にいてます。
なので、首都圏だからできるんじゃないのかっていうのは僕は思っていなくて、むしろ宮崎は宮崎の戦い方があって、宮崎のほうが僕は面白いなと思っているので、それはぜひ一緒に何かできたら面白いんじゃないのかなと思います。
今日はテーマが建築のリレーということなので、僕は古い建物が好きですし、先生みたいな言語化はできてないですが、何か魅力があるし、だから使っていこう、安く使えるし、ビジネスにもできるしっていうようなイメージがあったので、先生の話を聞いて今日はいろいろ言語化ができたかなというふうに思ってます。
このプロジェクト以外にも、いろんなプロジェクトを立ち上げながら、建築を使いながら、空きビル、空き家だったり郊外のものだったりっていうのを、このボリュームという場所からたくさん発信していっております。
で、今日先生の事例がずらっと書いてある、この本ですね。先生出ますかね。皆さん、今日はもちろん呼んでこられて、予習はされてきたかなと思いますが、これ本当に一部で、事例がエリアを分けて5個、6個、それから最後にちらっと出ました。
終わりを考えて新築をするっていう事例が、僕はめちゃくちゃ面白かったです。新築をやられてる建築の方、多分今日いらっしゃると思うんです。
めちゃくちゃ面白かったので、ぜひこのQRから覗いてもらったら、ぺろっと買えるような感じになってますよね。
ぜひ見ていただけたらというところと、後はこの空き家を使って合理的に活用しましょうという本を私、春に出ますので、ぜひ今先行予約をしておりますので、これはぺろっと取っていただけるとありがたいなというふうに思っております。
ここが一番大事だね。
すいません。ありがとうございます。
あと、今日のセミナーのアンケートの方、ご協力いただけたら嬉しいなと思ってます。
全国でいろんな方、僕は人が大好きなので、リノベーションの第一人者の方がたくさんつながってます。
いろんな話をしてもらいたいな、皆さんに聞いてもらいたいな、宮崎に持ってきたいなと思っていることがたくさんあるので、ぜひご意見とか、今日の先ほどのお話とか書いていただけると、いろいろ今後につながるかなと思いますので、
ぜひただのアンケートと思わずに、宮崎の未来をつくるアンケートやと思って書いていただけるかなというふうに思っております。
というところで、一旦時間になりました。8時半になりましたので、本日は終わりたいと思います。
もう一度先生に大きな拍手でよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。ありがとうございました。
本日は以上で終わりたいと思います。
厚生労働省ありがとうございました。