1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
  2. リノベの時間2022.11.24:株式..
2025-01-18 28:37

リノベの時間2022.11.24:株式会社オープン・エー代表取締役/馬場正尊

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ゲストはOpenA馬場正尊さん。 

アメリカを訪れた際に、クリエイターがつくるタフなまちに憧れたという馬場さん。 「いたずらでゲリラ的」要素と「ちゃんとした経済的」要素が合わさることで、まちはどんどん楽しくなる、と説きます。 東京R不動産やOpenAの始まりから、まさかのプライベートまで「リノベーション」された?!仰天エピソードまで、今回もふかーくトーク!

 是非ご視聴下さい!

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はい、今晩もリノベの時間をやっていきたいと思います。
今日はもう僕の興味がワクワクが止まらないので、早速やっていきたいなというふうに思います。
それではタイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓差し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションと街づくりをやっています。美想空間の鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いや、今日全然噛まへんと言ったなと思ったら、そこ噛みますか?
フンとした顔してたんですけど。
今日は三浦さん、僕ですね、リノベーションの事業に取り組んでから、多分一番今日を楽しみにしていたんじゃないのかなと。
ゆっくり話しできる機会が非常に嬉しいなというふうに思っているので、やっていきましょう。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
それでは早速、本日のゲストをご紹介いたします。
株式会社オープンA代表取締役、ババマ・サタカさんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こんなテンションなのね。いいっすね、ラジオ。
ちょっと乱攻撃するような近場ですけど、冒頭はそんな感じから入ってました。
それでは早速、ゲストのご紹介をしたいと思います。
お願いします。
1968年、佐賀県生まれ。1994年、早稲田大学大学院建築学科終了。
博報道、早稲田大学博士課程、雑誌A編集長を得て2003年オープンAを設立。
建築設計、都市計画、執筆などを行い、同時期に東京アール不動産を始める。
2008年より東北芸術工科大学純教授。2016年より同大学教授。
2015年より公共空間のマッチング事業、公共アール不動産の立ち上げ。
2017年より沼津市都市公園内の宿泊施設、インザパークを運営。
2016年アンダーコンストラクション。2019年旧名古屋の小学校施設活用事業など。
著書に民間主導、行政支援の公民連携の教科書、テンポラリーアーキテクチャ、仮設建築と社会実験など。
どこから行きましょうか。
長いね。
どれから聞くところはいっぱいあるんですけど、佐賀県生まれやったんですね。
そうなんですよ。
九州出身なんですね。
はい、九州でずっとちっちゃい。これから。
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九州は、早稲田までほんだら九州ってことですか。
高校まで九州ですね。
佐賀だけじゃなくて福岡も含めて九州を父親の転勤のところで点々として育ってます。九州男児。
この建築、リノベーの業界の人の生い立ちを聞いてると、意外と建築に、大学に目指す前にルーツがあったりするんですよね。
わばさんの建築ルーツってどこなんですか。
実は僕は最初、橋とか都市全体に興味があって、土木学。
早稲田は土木?
最初は土木で入って、土木に入ったら行動計算とかめちゃくちゃ難しいですよ。
うわ、死ぬ。これもう卒業できんわと思ったら隣で絵描いて楽しそうにやってる人たちが建築だ。
そっちだと思って、点火試験という試験を受けて、学内の。それで建築に変わってっていう。どんどん柔らかい方に行く感じ。
もともと学生の時は、もっとでっかいやつとか、そっちやったんですか。
最初のインスピレーションは。
橋に、橋ってブリッジですよね。橋梁ですよね。橋梁に興味を持ったきっかけはどこだったんですか。
北九州に和歌東橋っていう橋があったり、長崎に西海橋っていうのがあって、もう美しいフォルムとかに憧れてあったんだけど。
橋に興味を持った。
全然違う世界行っちゃってるな、俺。
それは、例えばお父さんが建築とか、そんなんって関係あるんですか。
全く関係ないですね。
実家は今井の商店街のタバコとか雑誌を売ってる、ババ書店と呼ばれるところが実家で。
その後リノベーションとかやり始める、もしかすると潜在的なきっかけになってんのは、今井の商店街のタバコ本屋は江戸時代にできてる建物なんですよ。
木造3階建て1部4階。
それ実家ですか。そこで生まれ育ってるんですか。
小っちゃい頃にタバコとか、ジャンプとかサンデーとかマガジンとかを売ってましたね。
ババさんが売ってたんですか。
あのほら見せ番させられるからね。
近所の商店街のおじちゃんおばちゃんとかに声かけられる、マボーって声かけられながら。
そういうの。
リノベーションのルーツはもしかしたら建物にあるかもしれないですね。
ただでも全く関係なくドボックで和世代入りで建築を出て。
僕その今日そのこれプロフィールのところを見るまで箱報道にいたかったって知らんかったんですよ。
そうですか。
どんな経緯でそっちに。どんな流れなんですか。この大学。
相当いろいろあったのを超高速で話すと。
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全然聞きたいですよ。
大学全然フラフラとしたそんなに大して優秀でもない学生だったんですよね。
大学3年生の春休み2ヶ月トルコヨーロッパの旅行を当時の付き合ってた彼女と行こうと思ったら
悪魔のフレーズをある日彼女に言われてできちゃかったかもしれない。
でお前出発の3日前だって言ったらやっぱりできてますみたいな。
今から辞めるって言って旅行費も何もかかえてこないぞ。行くかどうせ産むならって言って行ったっていうのが。
そっから2ヶ月日本に戻ってきた時にはもう完全にお腹の中で大きくなってますみたいな。
それでもう親に激怒られて感動されてそっから俺の人生はフラフラ変なとこに行くんだけど。
それでもうそっから大学4年生から建築の設備事務所でずっとアルバイトして
そっからコンペとかの賞金稼ぎとかをして食いつなぎみたいな。
大学生の時にもうお父さんだったんですか。
お父さんですね21歳で。
一緒です。
マジで。
学生できちゃって結婚。
そういう人はリノベーションに興味持ちやすいんじゃないか。
かもしれないですねその法則はあるかもですね。
それでその後お金貯めて大学院に行くはずだったから数年間お金貯めて大学院に戻って。
大学卒業して一旦白宝堂に。
入る前に書いてないけど建築の設備事務所に勤めてる時期があるんですよ。
でも大学院に行ってもあまりにも貧乏で米が。
そんなにですか。
バブルの末期にそんな生活をしててちょっと給料がいいとこに行かざるを得ないと思って。
それでただこんなふらふらした人生だったりちょっとどうせ踏み外したら全然違うとこ行ってみようと思って白宝堂に行ってみた。
その時は建築をちゃんとやって王道の方に行くみたいなイメージを持ってたけど。
もうどうせ外すならで白宝堂で企画ですよねどっちかと言ったら。
博覧会とかモーターショーとか。
逆にそれがなんかいい感じの方に行ったってことですか。
ですよねですよね。
思いっきりどんどんメディアっていうかサブカルチャーの方にどんどんどんどん触れていって。
そっちの方に行っていわゆるハードな建築からより柔らかい世界の方に行って。
それあと雑誌とか行ってるじゃないですか。
同人誌とかを作ってるのは確かなんですよ大学の時から。
それがAっていう名前の同人誌なんですけど。
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博覧会に行くと広告代理店なのでメディアが持てないわけですよ。
メディアがクライアントですもんね。
メディアを持ってる人が羨ましくて仕方がなくて。
テレビ局とかラジオとか雑誌とかっていうのが羨ましくて。
どんなに小さくてもいいから自分のメディアを持って見るっていうことの重要性を感じて。
逆に白宝堂に行かなかったらその切実さに気がついてないかもしれない。
好きだけど。
大学院の時に作ってた仲間たちとAっていうやつをちゃんとしたメディアにしようと思って。
その時は白宝堂の社員だったりしたから出版社の社長にプレゼンに行ったりとかして。
本当にいろんな偶然が重なって雑誌Aっていうのを仲間たちと作ることになったんですよね。
その時の雑誌Aの内容ってどんな情報発信やったんですか。
建築や都市をサブカルチャーとつなぐっていう考え方で。
建築と都市をサブカルチャー。
なぜかというと建築とか都市計画とかっていうとものすごくツーンとしたハイアートの世界で。
僕はどちらかというとそれをサブカルチャーの世界に引きずり込みたかったんですよ。
でも日本は新建築とかそういうエスタブリックされたメディアしかない。
ただ海外に行くとウォールペーパーとかっていう建築デザインとサブカルチャーが融合したようなメディアがあって。
そういうものを日本で作りたいって思ってプレゼンしたら面白いじゃないって言って始まったんですよね。
それが雑誌Aですよね。
1998年。
98年。
98年何してたかな。
それを経てからのオープン絵設立。
そうなんです。
これってある不動産とあの辺立ち上がりとかとはどんな感じの関係性、時系列っていうとどうなんですか。
時系列っていうと。
だから僕は最初は雑誌のAを編集してて。
それをやってたらしばらくするとカーサブルータスとかが出てくるんですよ。
なるほど。
それより前ってことですか。
カーサブルータスのことが前なんですよ。
そういうサブカルと都市をつなぐようなものをやってたらカーサブルータスまさに王道のジンカースとかが始めちゃって。
ガバン売れなくなって。
逆に挑戦者としての俺の役割終わったなみたいな感覚。
もうこの感じでメジャーになっちゃったなみたいな感じでやってた時にリノベーションという考え方に出会う。
そこはどこからどうなったんですか。
もう一回メディアの世界に行ったけどもう一回自分で実際デザインして設計をしたいなって30歳途中で思い始めて。
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雑誌をやっててメディアの方に行って開拓じゃない他のが出てきたからじゃあ次何しようで建築やりたいになったんですね。
戻ろうと思ったんですね。
普通に戻っても全然面白くもないんじゃないですか。そこまで踏み外してるから。
だからだったらって思ってその時に2003年問題っていうのがちょうど世の中で言われていて。
マルビルとか六本木ヒルズとかどんどん2003年に一気にできるんですよ。
そうすると街中の空き物件ボロ物件がめちゃくちゃ余るっていうのが2003年問題で。
この社会現象面白いなと思ってた時に外資系に勤めてる友達からババダのデザインとかやってたよねみたいなやるって言ってたよねみたいな。
ボロビルとか興味あるとかってなんでって言ったらボロビルを安くまとめて買ったりしてたけどそれをデザインの力とかで再生してもう一回販売したりしたいみたいな。
要は日本の企業はやってなかったけど外資が案外そのポテンシャル先に気がついて。
ある種いわゆる経済原理の軽率な相談。
軽い相談だったんだけど。
スタートはそこですね。
案外面白い社会現象の一部だなと思ってメディアとかやってたからそこに何か突破口があるかもしれないっていう何らかの考え働いてやってみようっていうのが。
白く塗った一発目のそこに行き着くってことですか。
そんな経緯があったんですね。
すごい小さくてもいいからマスターピースを作りたいと思って当時ねお金もなかったけど人生で初めて200万円施策金融庫から出勤して。
それでも安い捨てられた倉庫をとりあえず白く塗ってQIS整備してっていうリノベーションという言葉がないくらいの頃にマスターピース自分の事務所住んでもいいなと思ってたんだけど。
それを作ったときはスタートですね。
これ聞いていいかわからないですけどその流れと学生のときのそれはそのままそういうイメージの感じですかね。
そうですね僕の場合は白く塗った頃にちょっと遊びすぎまして嫁子供に出て行かれてそれで申し訳すいませんって言っても許してもらえなかったんだけど子供がちょっと大きくなった時に都心の私立に通いたいとか。
あれじゃあうち都心に住んでるからいいよって元家族は郊外に住んでたからそれで元家族と同棲が始まってまたなんかねそうしたら久しぶりにまた懐かしいフレーズを元奥に言われて。
はい元奥。
元奥に。
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確かに元奥ですね。
元奥なんだけど元奥にまた懐かしいフレーズできちゃったかもしれないけどえーみたいな。
それで。
マジですか。
またそれをきっかけに。
すごいですね。
再婚することになって。
えー。
ナコードが息子。
すごい。
中期にの息子がナコード。
その時にアールプロジェクトっていうリノベーションのプロジェクトを一緒に始めたイデーっていう会社の黒崎さんっていう社長が結婚式でパパ君は建物もリノベーションしたけど家族もリノベーションしたとかして感動のスピーチをなんかしてくれたんだけど。
なるほどちょっと戻します。
全然デザインの話にならないけど。
家族のリノベーションの話です。
僕ガブさんのセミナーいろいろなところで講演とか聞かせてもらってて塗り出したアールプロジェクトさんができた頃の話はよく聞いてますけどそこまでの話は初めて。
ちょっと恥ずかしいからね。
でもそれをラジオでやっていいのかって話なんだけど。
でもなんかこう既にあるものをなんとかうまく使い倒すみたいな。
なんかもう根底に何かがあるのかもしれない。
たぶん今みたいなリノベーションっていう日本でいう今のリノベーションみたいな概念もなかったでしょうしそんな未来がこうなるみたいなイメージもなかったと思うんですけどその時のババさんはリノベーションこの俺やっていこうと思ってるこれってどうなっていくんやろうみたいな見たていしてあったんですか。
僕は雑誌を作ってたからどちらかというとジャーナリスティックな目線が強いと思うんですよ。
しかも面白い現象に興味を持つタイプでリノベーションを始めようとした時にどこから始めていいかって考えた時に日本にまだモデルがなくてアメリカに取材に行ったんですよね。
そこでロサンゼルスとかニューヨークのダンボーエリアとかチェルシーエリアとかロサンゼルスのチャンキンロードって言って捨て去られた商店街とか廃墟がたくさんあるようなビルをアーティストとかクリエイターがそれをスクワッタリングって言ってジャックしてリノベーションしてかっこよく住んでたりギャラリー作ってたりするのを見て。
行政主導じゃなくてクリエイターたちのゲリラ戦みたいな戦い方で街を変えてるんだけどそっちの方が圧倒的にかっこいいしタフだったんですよね。
なので計画的に物事が進んでいるんじゃなくて街の中に入り込んでいて変えていくっていうののダイナミズム。だから小さなクリエイターの集団でも街をエリアを変えられているんだっていうのを目の当たりにしてこれやってみたいと思って戻ってきた。
モデルはアメリカでそれがあってそれを白く塗った一頭目のところからやりだしたっていうような感じだった。アーティストたちっていうキーワードはそこからやりだしてやっていくみたいな感じなんですね。
アートっていうのが社会とか現状打破をするときにすごく有効な手段だしアーティストとかがすごい有効なプレイヤーだったと思います。
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例えばすごく影響を受けたのはアンディ・ウォホールが60年代にソウホーとかロシアだったらチェルシローだけどそこでファクトリーっていう倉庫を全部銀色に塗って自分のアトリエにしてたんですよね。そこからエリアの世のようなパーティーとかしてたわけだけどそこで集まってたクリエイターたちが面白い奴らがエリアを変えていってもっと言うとアートマーケットのシーンすら変えていってるんですけど。
そういうカウンターカルチャーみたいなものが昔から好きで、いわゆるエスタブリッシュされた建築の世界ではない、それを逆に真逆からいったゲリラ戦みたいなところに興味があって、破壊的じゃないですかウォホールのポップカルチャーなんて。
ああいうのを建築の文脈、都市の文脈でやってみたかったっていうのが実はリノベーションのモチベーションかな。
同時に広告会社とかにいたりしたから、そういう動きが経済性と結託したときにダイナミズムを生むっていう感覚があって。
ちょっと待ってください。結託何と何が繋がったら。
そういえばゲリラ的なアートマインドの強い都市にいたずらをするような感覚と、ちゃんとした経済性がパチンってぶつかったところに面白いことが起こるんじゃないかって思ってたんですよね。
仮説ですか?それとも結構革新的にそれにやっていったろうっていうイメージだったかで言うと。
どうなんだろうな。歴史を見るとやっぱりこうやんちゃなサブカルチャーに何らかの新しい経済的な活動が追随していったときに社会に面白い現象が起こっていることが多いのは、肌で分かってたのか分析してたのかも今やわからないけれども、そこに興味があったんですよ僕は。
それでそれを展開していくような感じになっていくんですよね。
それで古いビルを再生するってボロボロだったところにデザインが入った瞬間に最初にやったいくつかの案件なんかはボロボロだったところで壊す予定の建物を壊す分のお金でリノベーションして作ってみると、
隣の新築のマンションよりも壺単価が高くかかるんですね。すごい逆転の発想だし。それがデザインとか発想とかが経済価値を変えてしまってるっていうのが面白くて、それをやってて。
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それ何年の、ババさんが何歳ぐらいのときですか。
オープンエアを作ったときなので2003年ですよね。2003年問題って言われたちょうどまさにその頃にそれを始めて。
僕2003年設立なんですよ。
一緒だ。
確かに2003年とは一緒ですよ。
共通点が。
ちょうどでもリノベーション的な空気が社会の底の方でフツフツとっていうぐらいの時期だったんじゃないの。
僕は新屋として独立したんで職人なんですよね。
そうか。
美装空間の美装って美装業の美装になって、当時は新屋さんをやってたんですよ。今こんなんなるイメージもありがたいですけど。
全然違うところから同じようなことやってるんですけど面白いですよねそれが。
芸術デザインっていう話から、僕新屋さんから同じところに立つから。
面白いですよね。
面白いですね。色々とすごいですね。
寛容性というか包含する何かがあるんじゃないのかな。
大きな社会本体だからですよ。
なるほどなるほど。
2003年のその頃から、R不動産にメディアとして行くところってそこと経済性っていうのは同時ぐらいに転がっていくんですか。
トップへ作ってそんなのを始めたのと、東京R不動産を始めたのは同じ年なんですよ。
なぜかというと、そういうことをしようとすると、街中の面白い空き物件を発見しなきゃいけない。
空き物件、日本橋の裏通りとかにこんな面白い空き物件発見だとかって言って、いわゆるブログで上げてたんですよ。
そうすると結構反応してくれる人が多くて。
見たいとか。
で、一回空き物件ツアーをするって言ったら、めっちゃ人集まって、しかも結構なレベルのクリエイターの人がすごい集まって。
面白いよとかって言って、借りれるようにしてくれって言われたんですよね。
ちょっと俺でも不動産わかんないしみたいな感じだったんだけど、
こんだけクリエイターの人たちが反応してくれるとするならば、ここはめっちゃポテンシャルがあるし、やるかと思って。
だから僕の空き物件ブログが東京R不動産のスタートなんですよ。
ビジネスを設計したわけではなくて、結果的にビジネスになったってことですか?
もう好奇心ですよ。
それはジャーナリスティック。空き家から都市を見るみたいな感覚だったんですよね。
こんな空き家があったり、こんな不思議なものが残ってる。
でもそっから通して今の都市の状況が見えたり語れたりするっていうのが結構面白くて。
それこそ雑誌をやってた時のジャーナリスティックな感覚で空き家を見てたらめっちゃ面白くて。
その好奇心がなんとか経済性に接続しないかなって思って、
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そこで東京の変な空き物件を集めた中海サイト、東京R不動産っていうのに繋がっていくんですよね。
それ2003年の話ですか?
2003年。
何年だっけ、大方20年?
もうすぐ20年。
そう、20周年ですね。
来年20周年です。
こんなことして20年も経っちゃった。
さっきからわわさんが言うとあるジャーナリズムっていうのってなんとなくそういうことかなってわかるんですけど、
活字にするとどんな感じなんですかね。空き家をジャーナリズム的に見るってどんな感じですか。
きらたく言うと観察です。
空き家を観察して、なぜこの空き物件に僕は燃えているんだろう。
なぜこの空き物件は空き物件として残っているんだろう。
妄想ですか?考えるんですか?どっちですか?
まず観察ですよね。
観る、舎実。
観察的に見て、それでその空き物件が、かっこいい空き物件たり得たまま立っている背景を考えたり調べたりしたりするっていうのが面白い。
だとするとそれを解きほぐしてその物語をポジティブ変換した瞬間に、例えばデザインの力とか説明する力で。
そうした瞬間にただのボロ物件がめちゃくちゃストーリーのある空き物件に変わっていく。
ちょっとこれ答え出ちゃった。
なんで?
僕ね、ずっと一個探求してるのがあって、いろいろ原作さんに皆さんに聞いてるんですけど、この物件めっちゃいいなっていうボロボロなのに、なんかいい感じってあるじゃないですか。
リノベ独特のこの佇まいいよねとか、この木やれてていい感じみたいな。
あれがなんでええんやろうっていうのが数字にできなかったんですけど、今なんか半分くらい答え出ちゃってたと思うんですけど。
馬場さんが言うそれってなんですかね、みんなが見てこの街並みなんかええよなとか、古いリノベ向きみたいな、あれってなんでよく見えるんですかね。
なんかね、ずっと立ち続けている建物っていうのは当たり前なんだけど、時間を吸収してるわけじゃないですか。
で、そこにはそこを使ってた人の思い出や記憶とか、その周辺環境に影響されていることとか、様々な事象を吸い込んでいるわけですね、建物が。
で、今そこにあると。それをちゃんと粒差に見て、だからこそあり得る魅力なんかを見つけた瞬間に、それをポジティブなストーリー、ポジティブな物語やポジティブなデザインに変えていけると思うんですよ。
その変換がリノベーションデザインだと思うんだよね。
だから本当に観察とかがベースですよね。ジャーナリストシティックっていったのはそこだったかな。
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なるほど。だからもともと思考がリノベーションに傾倒してるっていうところなんですかね。
そうかもしれませんね。
もう終わりの音楽が流れてきた感じなんですよ。
そうですね。
で、いくと、これどこまで行きましたかね。
でもリノベーションは入りません。
まだ20年前とかにしかなってない感じになってるのに。
そうですね。リノベーションに入ったのがかなり前だったんで。
そうだね。来週はちょっと未来、今未来のところを聞かせていただけたらなと思います。
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リノめの時間、ツイッターからもお気軽にコメント、DMなどお待ちしております。
はい。
アーカイブ、毎週月曜日6時にYouTubeとスタンドFMにて配信してますので、ぜひそちらもご視聴ください。
よろしくお願いします。
来週、引き続きババさんにお話いただくんですけど、
今&ババさんが見る未来のリノベーションみたいなところを来週は聞けたらなというふうに思ってますので。
わかりました。
リノめまで行けたんでよかったです。
そうですね。
今日めちゃくちゃ順調なものでした。
はい。
すいません。
はい。
また来週も。
はい。すいません。
はい。ありがとうございます。
ありがとうございます。
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