1. 美想空間鯛島の『リノベの時間』
  2. 【前編】株式会社スペースR..
 【前編】株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん
2026-05-07 28:40

【前編】株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん

spotify youtube

ゲストは、株式会社スペースRデザイン  代表取締役・社主 吉原 勝己さん
961年福岡市清川生まれ。株式会社スペースRデザインと吉原住宅有限会社の社長を兼任。生まれ育った福岡のまちを愛し、これまでの20年間で44棟の老朽物件の経営再生を事業として手掛ける。
並行して主宰する「九州DIYリノベWEEK」では、23のまちのソーシャルイノベーターによる270棟の休眠不動産再生活動をフォロー。
意外にも、前職は製薬会社の研究開発員である。まだ「リノベーション」という言葉さえ知られていなかった福岡で、ビル再生を始め、ブランディングによる「ビンテージビル」というまったく新しい概念を広めた。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本エピソードでは、株式会社スペースRデザインの代表取締役・社主である吉原勝己氏をゲストに迎え、福岡での古いビルの再生と町づくりの取り組みについて語られました。吉原氏は元々製薬会社の研究開発員でしたが、実家のビル経営を手伝うことになり、福岡で「リノベーション」という言葉が知られる前から、古い物件の経営再生を手掛けてきました。当初は「お化け屋敷のよう」だった物件を、海外の情報を参考にしながら、賃貸物件として再生させる試みを始めました。専門家が見向きもしない中、自ら宅建業を取得し、デザインや施工のコストダウンを図るために、身近な才能ある人々や若手施工会社と協力して、ユニークなデザインの部屋を次々と生み出しました。この活動は「リノベーションミュージアム」と称され、見学会などを通じて福岡におけるリノベーション文化の醸成に大きく貢献しました。その結果、福岡のリノベーション認知度は全国でもトップクラスとなり、吉原氏の先駆的な取り組みが町づくりへと繋がっていった経緯が語られました。

ゲスト紹介と「社主」という肩書きについて
はい、こんばんも。リノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
本日は、福岡の方から、町づくりと古いビルの再生と、いろんな話が聞けたらなというふうに思っております。
というところで、タイトルコール行きたいと思います。
リノベの時間!
この番組は、建築土木学生向け就活総合サービス、コンキュリの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪と宮崎でリノベになっています。美想空間鯛島です。
こんばんは、アシスタントの三浦です。
お願いしまーす。
今日はね、ゲストが九州なんで、なんかすごい、トーン感が。
完全に、
九州の人ですね。
宮崎の方が滞在時間は長いですし、
シンガポールに行くのも、宮崎からどうやって行くのかなをずっと最近調べる。
インチョン系とかね。
大阪をちょっと忘れてたりもしますが。
寂しいですね。
今日はお米焼きが食べれるという事なんで、
ぜひお米焼きで行きましょう。
この番組は全国のリノベーションと街づくりで活躍する多性なクリエイターや事業家をゲストには招きし、トークセッションでお送りする30分です。
では早速、
ゲストの方、ご紹介したいと思います。
株式会社スペースアールデザイン、代表取締役、社主、吉原勝美さんです。
こんばんは。
よろしくお願いいたします。
社主ね。
なんとなく意味は分かるんですけど、あんまり確かに見たことないなと思って。
名乗ってることね。
社主。
社主ですよね。
社主、多分僕も社主ですよね、きっと。
ただですね、法人を通勤してまして、それもあって一言で社主って言った方が早いかなみたいな。
それはどういうことですか。社主、オーナーさんってことですよね。
そうですね。会社がいくつもある、それもまた全体をまとめてる役割ってこともあるし。
なるほど。なんか横文字にしがちですけど、社主っていうのはね。
なるほどですね。
なんとなく気にはなってたんですけど。
社長はそれぞれ似てるパターンと、自分が権利してるパターンとか色々ですかね。
自分は肩書き的には正確には代表取締役なんですよ。
営業会社の方には社長になってくれてる社長がいまして。
ビル系会社は自分が代表だけの会社もあったりとか。
なるほど。
それぞれの会社によって形態が。
その辺の深掘りをする前にご紹介をさせていただきます。
1961年、福岡市清川生まれ。
株式会社スペースRデザインと吉原住宅有限会社の社長を兼任。
生まれ育った福岡の町を愛し、これまでの20年間で
44棟の老朽物件の経営再生を事業として手掛けた。
並行して主催する九州DIYイノベビークでは、
吉原氏の経歴:製薬研究員から実家のビル経営へ
23の町のソーシャルイノベーターによる
270棟の旧民不動産再生活動をフォロー。
意外にも前職は製薬会社の研究開発員である。
そこですよ。
まだリノベーションという言葉さえ知られていなかった福岡で
ビル再生をはじめ、ブランディングによるビンテージビルという
全く新しい概念を広めた生活です。
始まる前にもちょっとお話をさせてもらってたんですけど
結局古いビルを再生した結果
エリアが良くなったみたいな
町づくりをするっていう概念で
町づくりがしたいっていう何となくそういう概念と
多分今この古いビルを経営再生を
事業として手掛けるっていうことなので
結果論的に町が良くなっていったよねみたいな
多分そんな感じのイメージを持って
そこまで話が掘り下げれたらなっていう風に思ってるんですけど
ただ一歩目は研究員っていう
これどう言われるんですか
地元は福岡で
大きい会社の薬の部門に入りまして
ってことは普通に大学出て理系で研究職みたいな
ってことは全く建築とか不動産とか関係ないですよね
人体実験ばっかりやってる
学生の時は中学高校は普通の学生ですか
そうですね。でもやっぱり理系目線があったんで
生物学科なんですよ
山海が好きで
子供の頃から山やら海やらしてたんで
九州のクマがいるかどうかっていう
まだいるかもしれないっていう時期だったんですよ
九州大学にクマを調査している学科があって
高校の頃自転車にそのまま乗って先生のところに会いに行って
クマどうやったら調査できるんですかみたいな
ここに入りなさいみたいな
受験して生物学科に
今のところ全く建築の経営の字も出てこないですし
それはあるんですか
大学行って製薬会社行って
研究会社は何をやってたんですか
働いているときは製薬会社で
製薬会社でもう本当人体実験ですね
製薬の治す薬が
病気が治せるかどうかっていうですね
がないわけなんで
これだったら理論的に治せるかもしれないので
薬をまだ薬じゃない状態を人に伝わってもらって
調査するみたいな
うまくいけば
本当に薬になる
どこからそのヴィンテージビルが出てくるんですか
これもう仕方ない話なんですけど
実家が結構古くから福岡市内で
RCの賃貸住宅の仕事を始めた親なんです
ベースはそしたら実家がビル経営をされていた
はきっかけの一つですよね
子供の頃からずっといろいろ手伝わされるんですよ
修理とか掃除とか
本当にちっちゃい頃から
こんな仕事絶対やりたくないと思って
一番駆け離れた仕事にようやくついて
順調にいってたところが
親がちょっと病気になりまして
戻ってきてくれと
でも親子校としてしょうがないからですね
そういうことにしまして
あんなに嫌で
全然そっちの方向行ってなかったのに
全く知らない業界に入ったってことになってしまいました
ってことは元々所有されている物件も
結構古いのが多くてみたいな感じですかね
福岡でも本当始まりぐらいの賃貸を親が始めてたんで
なるほど
全く建築とか賃貸とか
もちろん町づくりなんていう概念もない状態で
とりあえず実家に戻ったのが一番最初
そこからどんな感じで
いろんなものに違和感を持たれたとかもしかしたらあったかなと思うんですけど
老朽物件の経営再生とリノベーションへの挑戦
これがまたわかりやすいところが
老朽物件なんですよ
戻った時には地区30年40年みたいな物件が2つあったんですね
それがほんとお化け屋敷みたいになってて
RCなんで
ちょっとスラム化してるような物件もあり
いきなり経営なんです
親ってそんなもんですよね
子供には多分継がせたいですよ皆さん
それまでは中身のこと全然話さない
継いでみたらゼリスさんから
この会社6年後に潰れますから
納得力見えますよね賃貸業やってると
うまくやらないとダメですよ
確かにめちゃくちゃオンボロだったからですね
ただ本当に親が一生懸命やってきたのを
子供の頃から一緒に手伝ってたんで
何歳の時に戻ってきてほしいって言われて
40歳ですね
40歳の時ですか
生育会社としてもすごく大事な時期
そうですよね一番経験して
ポジション的にもそうですよね経験値も含めて
同期とか先輩たちにね
それはやめてくれって感じでしたよね
せっかく一緒に仲間として
これからって感じでしたんで
それなりに多分その決断をしたってことは
覚悟を持ってですよね
言語悪いかもですけど
ボロボロの経営状態も
文字通りボロボロの状態で戻って
どんな感じで何かに違和感を持ってとか
どういう風に進んでいくんですか
ボロボロではあるけど子供の頃からずっと
手伝ってたというか
愛着あるんですか
修理とかしてた物件だったんですけど
子供がちょうど生まれた頃でもあったし
収入ないじゃないですか
もうそろそろ収益分岐下るぐらい
利益なくなるぐらいの感じになっていってたんで
グラフ書いてみたら
急降下ですよ毎年毎年
今自分ここにいるんだっていう
確かに1000引いていったら6年後にゼロになるんですね
焦りましたね
とにかく食っていかなきゃいけない
このボロボロ物件たち
それを活用して人に住んでもらって
家賃収入もらわないといけないよねっていうのが前提ですよね
ちゃんと事業をしないといけないみたいな
そんな感じで
それの延長が古いビルのみたいな感じに
いきなりはならんと思うんですけど
結局食っていくために
開発の人間なんで世界中の情報を調べるんですね
そしたらどうもリノベーションらしきものが
世の中にあるっていうのが分かってきて
それ何年ぐらいですか
2000年です
ちょうどなるほど
まだ言葉は使われてなかったですね
その辺ですよね
多分福岡には入ってはないですよね
特に賃貸分野ではそんなものはない
なるほど
永然ですよね
終前永然の世界ですよね
アート&クラフトさんが動かれてはいたけど
多分所有物件ですよね
になってたと思うんで
今調べてみると
僕以前にオーナー自身がリノベーションした人って
いないみたいな感じなんですよね
オーナーとして賃貸分野を
賃貸
そうですね
物件買ってリノベーションして
それを再販するとか
モデルハウスにしてっていう
どっちかっていうと
販売の方でぐーっと進んでいって
賃貸は多分賃貸リノベーションみたいな
福岡での賃貸リノベーションの先駆け
なんとなくそういう風潮になったんで
2012年くらいないイメージですね
リノベーション協議会さんとかができて
自信と認知されたっていう時期になる以前に
僕が全く何も知らないからこそなんでしょうけど
その海外の情報とか見てたら
どうも賃貸をさらに解体して
もう一回作り直せばいいんだっていう
感覚になったんです
思うままにそれをやろうとしたんですけど
事業者さんを探したんですね
自財者さん、建築士さん、都道産会社さん
あらゆるところに相談したんですけど
そんなことやめときなさいって
うまくいかないっていう
1年以上かかりました
やってくれる人を見つけるのに
福岡でですね
結局見つかったのが大川家具の
家具屋さんが
今すごい会社さんに成長されてるんですけど
その会社さんのことはじめのあたりで
チャレンジでやらせてくださいみたいな感じで
ようやく見つかって
3部屋作ったんですね
うちの所有物件で
空いてる空室をリノベーションして
家具入れてみたいな感じで
それが福岡では2003年なんですけど
産農マンションっていうところで
産室やった
それが福岡の最初のリノベーション陣体である
っていうのは確認されてました
全国調査は行われてないんですけど
僕はそれ以前の
さっき言ったように
個人オーナーが自分でリノベーションした事例って
まだ見つけられてなくて
もしかして僕は何も知らないからこそ
リノベーションという世界を陣体で始めちゃったのかな
それも食っていくための
それはスキームとしたら
オーナーがお金を出して
工事業者さんと支度して作って
陣体募集を出すみたいな感じ
元々のベースよりもバリアップして
もちろんその投資分の回収は計算に入れた状態で
やってみた結果
陣体はすぐついた感じなんですか
まずその家賃設定って誰も分からないんですよ
なるほど
これ開発やってるんで
相場がないですよね
そこで僕の中でもいろんな利回り計算やってみて
これでいけるって思ったのが
上乗せ家賃
以前の家賃に対して
新たに募集する家賃の差額ですね
リノベーションした部屋は25年後は持つだろうなということで
×25をした額が工事費用になれば
元々の所有でこの会社は生きてたんで
入居者さえつけば
プラス家賃で25年で回収する
これは安全な投資なんだっていう自分の議論ができたんですよ
だから前部屋はだいたい
その当時は2万円アップした
2万円アップした家賃っていうのは
だいたい新築家賃なんですよ周りの
初っ端から新築に勝負を挑んでたってことになって
なるほどシンプルにいくと
元々5万円で貸したところを7万円にする
2万円上がる年間24万円×25年が工事費用っていう
法定式というか
それをなんとなくこれぐらいかな
を2003年ぐらいにやっていたと
価値に設定して今度リーシング
中海会社さんに相談するんですけど
誰も受けてくれなくて
そんなことできるわけないでしょ
建物ボロボロなんですよ
部屋開けたら
もうモダンデザインの部屋がある
びっくりするような部屋がある
そのギャップが僕は面白いと思ったんですけど
それは業界は理解してくれなかったですね
それで自分で宅券業とって募集することにしました
なるほど
不動産さんが相手してくれなかったから
オーナー自ら宅券業を下ろして
そこが一番最初の今の会社の始まり
スペシャルデザインのスタート地点
ってことはもともと家業として
継がれた会社と別として
これはやっていっているみたいな
もともとは親がやってた会社で
宅券業とってやってたんですけど
分社会みたいな
早急に仕事を進めないといけなかったから
それも最初の入居者さん決まるの
1年ぐらいかかった気がしますね
世間にリノベーションっていう文化ないんですから
僕がやるべきことは文化づくりなんだ
その時にはっきり分かって
リノベーションというデザインを売るんではなくて
自体を課すんじゃなくて
リノベーションという文化を作ろう
福岡の広場
文化さえ広げれば
僕の経験で
それはグランドを持った価値を持った商品として
リノベーション文化の醸成と福岡の認知度
市場が勝手に受け止めるんで
高い家賃で入居者さんが入るんだっていう
これは執念があったですね
2003年って今ちょっと考えてたんですけど
僕さっき話した元々全く建築部だじゃないところから
たまたま友達がやりだした洗い屋さん
ハウスクリーニングなんで
賃貸の入れ替える時に
めちゃくちゃ洗いに行ってたわけですよ
ハウスクリーニングをして
それが2003年なんですよ
なのでたぶん2003年の賃貸のイメージって
すごい沸くんですよ
3点ユニットの学生のところは
だいたい十数平米の中に3点ユニットがあって
クロストっていう
デザインも減ってくるものはいい
とにかく安く作って
同じ作って入っとくよみたいな
そんな時代ですよね
現状回復ですよね
現状回復そうです
永然工事そうです
その時にやったけど
市場的には1年くらい入るにはかかった
そこからどんなイメージで
そこからですね
ターニングポイントみたいなのが
あったのかなと思うんですけど
宅建業取りました
それで市場が分かるようになりました
でも宅建業取ったからって
入居者さん集まるわけじゃない
フライヤー作ってカフェとか
おしゃれな部屋さんとかにずっと置いて回って
友達たちに連絡して
そして言われたのが
ようやくできたんですねっていう人が現れて
なるほど
求めてたけど
これ市場できるんだと思って
最初の入居者さんは知り合いが入ってくれたんですけど
それから市場が成り立つ可能性があると思い出して
空き部屋はいくらでもあるんですよ
オンボロぐらい
一度退去されたら二度と入居はない
ばっかりだったんで
これ実験物件としても位置付けてるんですけど
自社物件
未だに
それ以来ずっとですね
実験をし続けていこうということで
その外注したリノベーションは
スケルトンにしてのリノベーションを買ったんですね
これリマーリ計算してみるとすごく低いんですよ
外注して欲しいスケルトンですし
徐々にもっと部屋数いっぱいやっていかなきゃいけないんで
資金大変ですよね
考えていかなきゃいけないっていうのを大前提に来だして
コストダウンをどうしていくかっていうのが一つのポイントになってきて
そのあたりで
もともとプロの方が相手にしてくれてなかったんで
外注の算出が終わったら
すぐ身近な人たちにデザインを依頼し始めてですね
取材に来た雑誌社の編集長さんとか
家具屋さんの店長さんとか
アーティストの方とかですね
アマチュアだけど賃貸の部屋デザインしてみたい人が
部屋にすごくいっぱいいるのに気付いて
アマチュアにバンバン頼み出したんです
それと施工会社さんの若手が
うちに入りたいっていうことを言ってくれて
入ってくれたのがまたすごく大きくて
これで原価がわかったんです
だからそれ以来もずっと
コンストラクションマネジメントですね
監督さんをだけ持って
外注するというスタイルでやってるんですけれども
作れるようになりました
デザインは高額お金をそんなに払わなくても
身近にものすごい
それが持った人たちに依頼ることに気付いて
それ以来ですね
一部屋ずつ違う人たちに
三のマンションの部屋を作ってもらっていったんで
今存在している三のマンション45室あるんですけど
36室が全く違うデザイン
2003年、2004年、2005年
その時にすごく流行ったデザインを取り入れたんで
リノベーションミュージアム状態があって
部屋ができたら市民見学会とか
有料でやったりしてたんですけど
たくさん人が来て見に来てくれる
その中から申し込みする人が起こるっていう
これが言ってる文化ですね
リノベーション文化を僕は当時から広めていったのが
結果的には今
2012年ぐらいかな
リクルートさんが
全国のリノベーション認知度調査っていうのをやったんですけど
東京、大阪に比べても
ダントツに福岡のリノベーション認知度って
60%ぐらいあったんですよ
高いですね
それって結局
文化を作るつもりで
やったら発信して
見学会やったり
イベントやったり
リノベーションっていう言語も使って
使い始めた
最初は
言葉が通じないんで
再生デザイナー土地みたい
たまたまですけど
2003年じゃないですか
2012年
うちは2003年から会社はやってるんですけど
リノベーションっていう言葉を使ったのが
2012年になりました
それまでは
デザインリフォームとかね
おしゃれリフォームみたいな
そういう言語を使ってて
2012年に
割と
そういうの見に行ってたんですけど
大阪で2012年
まだリノベーションっていう言葉は
僕らも使えてなくて
町づくりへの展望と次回への期待
ちょっとこそばゆいというか
会社の
名分に初めて打ち出したのが
2012年なんですよ
福岡は2008年に認知度が
確立してました
競技会法則は2009年なんで
そうですね
ってことはだいぶと早い
福岡のマーケットなんですけど
創業したい人
みんな福岡に集まってますけど
理由があって
特にリノベーションみたいな
ライフスタイルの文化については
雑誌、テレビ、新聞が
とにかく情報を欲しがる町なんですね
たくさん情報があるんで
いいメディアがいっぱいあるんです
新しい文化として
発信すれば
たくさんの取材が来て
例えばシティ城福岡さんが
もう一冊うちの
特集してくれるとか
それでも一気に
福岡の認知度が上がったっていうのは
その理由があって
メディアと
福岡の街の希望がすごい一体化してるから
福岡は面白いって言われてますけど
その辺のところがあるんですね
どっかのタイミングで
文化を作るっていうところで
今多分
街を作るみたいな文化とか
先ほど始まる前におっしゃってた
それを継続していく仕組みみたいな
今はこうしたら向き合ってるのは
その次の文化を作るところを
やりにいっているような感じですかね
僕には先生がいませんので
最初から
置き去りにされた人間が
見つけ出していった
開発
薬手帳で開発するつもりで
やってきました
あれですね
多分
過去の話で
過去というか今にも至れなかったですが
その文化を
未来として
街を作るみたいなところの
話を
次回ちょっと聞き取りですね
過去過ぎる話で終わっちゃいました
2003年ぐらいは
2012年まではこれたんで
次回にそこに行きましょう
A番組へのリクエスト
質問・感想など
皆様からのメールもお待ちしております
アーカイブは
YouTube、スタンドFM、ポッドキャストでは
日数にて配信しております
これまでのゲストの方々のアーカイブも
残っているのでぜひぜひご視聴ください
あれですね
次回で
九州DIYリロベウィークとか
これが街作りの
文化みたいなところに
続いていく
多分街作りって
やりたい
だが
僕の認識でいくと
街作りに関係のない仕事って
なんかあるのかなって
僕は考えてしまうので
多分
結果マッチが良くなっているのか
マッチをデザインするのか
そこら辺の
話をシャラさんの考え
めちゃくちゃ聞きたいなと思っているので
きっかけは九州DIYリロベウィークのところを
聞きたいっていうのと
僕もね
冒頭話してた宮崎に
実は九州人なんで
一緒にできたらなと思っているので
その辺の話を
掘り下げれたらなと思う
色々資料を持ってきていただいて
本とか
聞きたいことが沢山あるので
次回ね
その辺の話を掘り下げればいいなと思います
というところで
本日は終わりたいと思います
ありがとうございました
28:40

コメント

スクロール