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かおり
はい。
いいですか?
よしやす
はい。
ノートの話って、かおりさんともおまけのコーナーが多かったのかな。何回かしてきたと思うんですけど、
えっと、授業中にノート取るじゃないですか。
うん。
で、私って字書くのが嫌いなタイプで。
かおり
あ、字書くのが嫌いなタイプでしたか。
そうなんです。
よしやす
それは。
ノートっていうのを一生懸命きれいに取って、それで勉強するっていうのはあんまりしてこなかったのね。
もちろんメモみたいなものとか、記録として取らなきゃいけないものはもちろん書いたりはするんだけど、
版書をそのまま写すっていうのもほとんど小学校、中学校してこなかったし。
で、一方で日本だと他の国は知らないけど、先生が黒板に何か書いて説明して、それを聞きながらノートを取って、
それで復習して勉強するっていうタイプが多かったり、あとは参考書や資料からノートに自分でまとめていくっていうタイプが多いと思うんですけど、
あんまりね、字書かないっていうタイプだったんで、よくないなと思ってるんですけど。
カオリさんは結構きれいにノートを取る方だって聞きましたけど、こだわりは何かありますか?
むっちゃこだわってましたよ。
それって、中学生ぐらいになるといろいろこだわりがあると思うんですけど、小学校何年生ぐらいからそのこだわりノートになったの?
かおり
いや、小学校の時は記憶ないね。こだわってたのはかくずりやっぱ中学高校であって、
よしやす
小学校の頃は、ほってはいたと思うけど、記憶ないね。どうだろう。
ちなみに、超こだわりノートの書き方ってどんな感じなんですか?
かおり
まず教科ごとに色が違います。
よしやす
ノートの自体の色ね?
かおり
違う。その教科ごとに色ペンを使うんだけど、大項目、中項目、小項目、見出しのところっていうのかな?それに色ペンを使うんだけど、例えば生物は緑だったのよ。
緑の大項目はちょっと深い色。中項目とか小項目になるに従ってちょっとずつ明るい色に変わっていくっていうのかな?
よしやす
中学生ぐらいからノートはボールペンだったの?色ペン?
かおり
本文自体はシャープペンだった気はする。項目のところだけ色ペンを使って。
よしやす
なるほど。だんだん見えてきたぞ。
かおり
そう。で、例えば本文が普通に黒で書いたとしても、ラインとか入れたい時があるじゃない?
よしやす
あります。
かおり
そうすると一番淡い緑系のラインになる。だから生物は緑系統なわけよね。それに対して、ちょっと他の色あんまり覚えてないけど、例えば世界史は青系統だったりとか、教科ごとに3本4本ぐらいの色が割り当てられてるわけ。
よしやす
ベース色とそのバリエーションがあるわけね。
かおり
で、そういうペンを持ち歩いてるというか、学校に置きっぱなしだったかちょっとそこら辺記憶にはないけど。
よしやす
教科かける3とか教科かける4ぐらいのペンの本数があるわけだ。
かおり
そう。で、例えばどうしてもメインの色ってせいぜい三原色だったり中間色だったりとかあんまりないわけじゃない?
よしやす
はい。そうです。
かおり
そうすると、例えば一番大項目の濃い色は同じだけど、その下のバリエーションがちょっと赤系統、ちょっと青系統とかね。
それですべてが同じ色はないっていうの?組み合わせはないみたいな形でちょっとバリエーション持たせたりするんだけど、そうやっていろんな色を描いたりとか。
比較的私の学校は、先生が版書をきれいに書いてくれるところだったと思うんだ。
他を知らないからわかんないけど。
よしやす
先生が多かったのね。
かおり
そうそう。大体の先生がノートを取ることを前提にした版書を書いてたような気がするんだ。
だからそれをざーっと当然書いて、その上で、あれは大学かな?
自分であれ?よくわかんないとかって思ったりするものは、そのページの一番左側に星印とかをつけておいてね。
とりあえずノートは書いて先に進めるけど、授業が終わったあと質問に行くとか。
あとは、予断?版書とかノートに書くようなものじゃないけど、先生が話をしてくれた予断的なものも。
結構予断って覚えてるじゃない?授業の内容はともかくね。
なので、それはすごく意識的に、綺麗には書かないけどメモでババババって書いて、
記憶をたどるきっかけになるように、そういうのを書いてたし、
速記ってあるの知ってる?
よしやす
速記は知ってますよ。
かおり
新聞記者とか、今みたいに録音機械がそんなに発達をしていないときに、
いろいろ取材に行ったときに、相手の話してる言葉をより早く書き留めるために、
独自の略文字っていうの?こういうのがありますっていうのがあって、
それを多分雑誌とかの広告にあったのかね。
よしやす
ひらがな全部ではないけど、一部分がそこにサンプルとして出てるわけ。
かおり
で、結局は使いこなせなかったんだけど、やっぱり話し言葉を書き、
結局すべての言葉を記録しようとしたのね。
だからそういう速記をちょっと意識的に学ぶというか、
お金かけて学んでるわけじゃないんだけど、そういうところから、
そうそう、自分なりに分かる五十音表みたいに作ってみたりとかね、
やってみようとしたことはある。
よしやす
だから本当に断書であり、先生の話した言葉をすべて記録しようとしてた。
ちなみに、
かおり
っていうぐらい結構頑張ってた、ノートは。
よしやす
それで、なんていうの、自分の身になった感じがしますか?
かおり
ノートを取る力はついたよ、何か。
授業内容として。
それは何か私に。
よしやす
別に喧嘩を売ってるわけではないです。
かおり
なんか、とても赤い喧嘩を変わらされてるような気がしなくもないんだけど、
でも、どうなんだろうね、ノートを取ること自体が嫌いではなかったし、
それは今でも続いてるから、メモを取るのは好きだし。
よしやす
それは素晴らしいと思います。
かおり
それが身になったかどうかはわからないんだけど、
ただ、最近って、例えば勉強するときとかのコツであったりね、
記憶するためのコツとか、身につくためのノート記録、ノート法、ノート術があると、
時々記事とかを読んだりするけど、結構当てはまるなっていう気はしていて。
よしやす
素晴らしい。
かおり
全てがではないけど、それは自分なりに独自でやってたものが、
よしやす
なんだかんだ言って当たり外れではないのとは思うんだけど、結構当たってんじゃんっていうのはある。
今回ね、ネタ本があって、鈴木ひろあきさんっていう方が書いた、「私たちはどう学んでいるのか?」っていう本を一冊読んで。
かおり
読んだんだ。
よしやす
読みました。
かおり
メモは取らないけど読むんだ。
そこはいいじゃないですか。
別にダメとは言ってない。ちょっと確認ね。
よしやす
そう。でね、学校ではノートを取るっていうのをやって、先生のことを聞くっていうのをやれば、ある程度知識が身につくという前提って言われるんですけど、
そういった感じの教育方法をしてるわけじゃないですか。
もちろんね、実験をするとか、実習をするとかね、あとは体育であれば実際に体を動かすってやりますけど、
そもそも知識がつくとは何ぞやっていう話が、ぼんやりしたままやってるんじゃないかと。
で、このネタ本によるとですね、知識とは何ぞやっていうのが一応定義をしてあって、
かおり
知識という話は、平たく言うと知識を伝えるというのは基本的にはできないというふうなスタンスなんですよ。
メモリにあるやつを相手に渡すっていう意味ね。
よしやす
そう。で、知識はまず受け渡しができるっていうのからして違うんじゃないか。
なぜならばという話がありますけど、少なくとも頭の中にある程度ね、記憶として入っているというのが前提として、
その他に一般性があること、つまり一問一答の組み合わせだけ覚えているのではなくて、
一つの事柄が応用がきくというか、他のところにも使えるっていうのがあって、
ただ単に丸暗記とか言われている日本の人は東京、中国は北京みたいな話をしているのは知識ではないと。
かおり
ほうほう。単なる情報であると。
よしやす
そう、情報で。もう一つ、有用、うまくそれが生きていくことにって言ったらいいんだな。
次の知識を覚えることもそうなんですけど、使えるっていうのが一般性として大事。
かおり
聞くだけだったら単なる受験知識だよ、意味がないよ。
よしやす
単なる知識ではなくて、組み合わせの記憶と。
もう一つが関係性、独立したものでは役に立たないので、他の知識と一緒になることで有用な知識として使えるんじゃないかということで、
まさにクイズに答えられるわけではなくて、何かしらの役に立つというのが大事というふうに定義している。
かおり
それ知識であると。
よしやす
そう、で、三つ目が、役に立つの三つ目が場面応答性、必要とされる場面において発動、起動されなければならないというのが場面応答性というふうにあっていて、
例えば重力加速度は9.8メートル毎秒毎秒だっていう知識というか情報があるとするじゃないですか。
これは普段の日常生活は役に立たないけど、どこかから何かが落ちてくるって話をするときとか、
あとは物理的にものを考えなきゃいけないときに役に立つよね。
これが必要なときに引っ張り出されなきゃいけない。
で、もう一つは関係性。
この重力加速度っていうのは、加速度とか速度とか、あとは物理的な運動とかと関連性があるから使い物になるわけじゃないですか。
で、もう一つが一般性、最初に言った一般性で、これはいろんな場面で使えるというのが大事で、
ただ単に何とかは何とかなる、何とかは何とかなるっていうだけでは知識ではないと。
つまり、学びというところで知識を身につけるのであれば、この有用であることっていうのはとっても大事で、
よしやす
一般性と関係性と場面応答性っていうのが組み合わさって知識だよという話をしてるわけですよ。
で、それはすごく納得するところがあって、何とかって知ってる何とかだよねっていうだけではなくて、
実際に新しいことを考えるとき、また日常生活で知識というものがあったからこそ効果があるってことは有用だってことなんで、
そこにつながらないといけないっていう話で、じゃあ学校の勉強は全く有用ではないかっていうとそんなことはなくて、
授業っていうのは近視眼的にはね、とっても短いスパンでは次のテストでいい点を取るっていうところに有用なわけですよ。
だから有用っていう、役に立つっていうのは次のテストで得点が取れるっていう点では有用なんだけど、
その次のテストで得点が取れる有用性は本来であれば人が生きていく間に知っていて活用できると良いっていう知識だったり、
またはいろんな人が学問を深める中でそれを発展させるために有用だったり、そういうところに役立つっていうことがあるべきだというふうに考えていて、
で、授業中ノートを取るっていうのはテストのためには有効かもしれないけど、この日常生活や次の新しい研究や開発や、または人生を考えるっていうのも含めてね、
っていうところにどれだけ有用な情報になるんだろうなっていう話は、本来はノートを取る話と有用だって話は別なんだけど、
学ぶっていうところをどう考えるかっていうので、ノートって大事かなって思っていたりします。
ということで、本編ではこの学ぶ、知識を得るっていう話をもう少しお話ししていきたいなと思っています。
かおり
ノートからは離れると。
よしやす
離れます。
かおり
ノートを出発点として、では知識とは何かという話に行くわけですね。
よしやす
知識とか学ぶとかは何かっていう話をしていきます。
かおり
はい、じゃあ戻ってくるのかな。
よしやす
はい、よろしくお願いします。
ということで、大きい風呂敷を広げてみたものの、
タイム風呂敷的なね。
そんなにすごいことが話せるわけでもなく、
ノートを取るって結局多くの場合、文章や文字をたくさん書くってことじゃないですか。
もちろん図を書くこととかね、グラフを書くこともあるかもしれないけど、
そもそも今の教育現場では、言葉で説明してそれを理解するっていうのをやれば、
何かしら知識が伝わるという風に言われていますと。
で、なんだけど、本当に言葉だけで知識は伝わるんだろうかっていう話がありまして、
で、言葉だけで伝わる俗に言うね、なんていうの、
何とかは何とかである、何とかは何とかである、だとすれば何とかは何とかだ、みたいな三段論法的なものもある程度はあるんだけれども、
一方で言葉を理解するには、その背景となる情報を知らないといけない。
つまり、すごいたくさんベースになるものがないと、ただ単に言葉があってもそれは上滑りしてしまうっていうのがあるんじゃないか。
で、本を読んでも、なんだか何言ってるかよくわかんないよっていうのがあるじゃないですか。
文字は書いてあるし、字は読めるし、漢字も読めるけど、そもそもこれは何のことを言っていて、何が言いたいんだこいつはっていう本とかね、また文章とかありますよね。
かおり
はい。
よしやす
で、いう中で、ただ単に言葉がたくさん並んでいるものを記憶として取り込むだけでは知識にならなくて、その前にその背景となるね、さっきのことで言うと関係性。
今聞いている言葉は自分が知っているものとどう関係しているのか、または自分が知っているここを使ってこういうふうに解釈をしなきゃいけないとかっていうのを混ぜて取り込んでいくっていうのができなければいけないし、
裏を返すと、ただ単にね、言葉がたくさん並んでいる、文章がたくさん並んでいるだけのものを聞いたり、または書いたり、それが言えるだけっていうのでは、それは知識ではないんじゃないか。
うん。
で、じゃあどうすんだよって話になってくるんですけど、やっぱり知識というのは有用で使えるというのが大事なんで、何かしら外的要因があったときにそれを人間が認知して確認して分かった上で、
自分の頭の中の覚えていることや活用できる仕組みみたいな話とかをいろいろ駆使して世の中の問題を解決していくっていうのが知識を活用するっていうことだと思うんですけど、
テレビでチャンネルを変えるにはリモコンのチャンネルプラスボタンとかマイナスボタンを押すとチャンネルが切り替わるんだよっていう話や、チャンネルの番号1から12まであるやつを押すとチャンネルが切り替わるんだよねっていう話は、実際に自分の中でテレビ、リモコン、チャンネルっていうのが何を表しているかっていうのを知っているからこそグッとくるわけじゃないですか。
グッとくるっていう言い方をすると、そんなグッとなんか来ねえよって思いますけど、自分の中の知識としてテレビのチャンネルっていうのがあって、体験の中からテレビ放送っていうのをね、一緒に複数の番組が時間軸を流れていて、切り替えるとそれぞれのチャンネルに流れているやつがテレビに表示されるっていうのを知っているからこそ、
知識としてチャンネルを切り替えるっていうのが有用なわけですよね。
そこまではいい?
で、例えばテレビ放送に慣れていないというか、テレビ放送を知らない人がチャンネルの話されてもよくわかんない。
例えば今時の子供はテレビとか画面っていうのは自分の好きなものをリストから選ぶと再生が始まって一時停止ができて巻き戻しができる、巻き戻しって言わないでね、早戻しができるっていうものであって、チャンネルの切り替えっていう概念自体はいろんな経験や体験がないと入ってこないわけですよ。
つまり、テレビ放送を見てなくて、YouTubeとかね、Netflixばっかり見ている子供が、例えば小学校、高学年になってテレビを見ているときに、ちょっとチャンネルテレ朝にしてよって言われるときに、どうすんのっていうリストに戻るってしたりとか、テレ朝って検索したくなるわけですよね。
ほう、ほう。
かおり
リアルタイムに裏で同じ時間軸でやってるっていうのが知識として必要ってことがテレビってことだね。YouTubeとかだったら基本録画だから、どのタイミングであっても好きなところで始めたり止まったりできるけど、テレビはそうではない。
よしやす
とかっていうのを知っていて使えるようになるわけじゃないですか、正しく。そういった視点で、それはお勉強することと違うでしょうって話はあるんだけれども、私たちは知識を得るときに今まで知っていることと組み合わせて理解するっていうのをしなければいけないし、それができないときにはとってもとっても基本なところからを考えないといけない。
学校のお勉強ってみんなが前の学期まで、または先週のところまでそこそこわかってるっていうつもりで、新しい情報が黒板と先生の口から発せられるわけですよね。義務教育って結局そういう流れじゃないですか。
知識というのは関係性を持って体に入ってきて、必要なときに取り出せるっていうふうなことがないと知識として入ってこないと。なので、学校のお勉強っていうのはみんながついていけてるときには、たぶんすごく優しいところから基礎的な概念を学ぶところ、それを活用して一般化するところ。
で、それに上乗せして新しい情報と関連性をつけて、まさに知識として定着させることっていうのを目指しているはずなんだけど、それで一回つまずくと次のところにうまくいけないっていうことが起きるわけですよね。
で、ノートを取るっていうのは、うまくいっている人たちにとってはとてもいいシステムなんじゃないかと思うんですけど、一方で途中で転んでしまった人、またつっかかって途中が抜けている人にとっては、ただ単に言葉を書き写して覚えて、次のテストで関連性のあるワードを引っ張り出せば、もしかしたら正解ができるかもしれないっていうことで使われているものであって、
知識を身につけるっていうところの法常的なものでしかないんじゃないかっていう感じがちょっとしてるんですよね。
そう、なので、人が知識を獲得するっていうときに、今、小中学校でやっている番書と説明っていう授業では足りないところ、またはつまずいてしまった人がうまくいかないところがあるんじゃないかっていう話で、
最近はね、いろいろこう調べ物学習とか、あとは対話や議論みたいな学習方法が広がっているっていうふうに聞きますけど、
それっていうのは、調べ物学習っていうのは、自分でわからなくなったことをわかるようにする。
さっきの話でいくと、関係性を確認しながら予習ができると多分伸びると思うんだけど、ただ単にGoogle検索みたいなものをして出てきたワードをメモっただけだと調べ物学習じゃないんじゃないかと思ったり、
あとは対話による、または議論による学習っていう話も、物事の関連性を自分の視点じゃない人の視点を学んで、そことそこにそういう関係があるんだっていうのを考えないと知識は増えない気がするんだよね。
一時期ディベートをしましょうっていう授業があって、ディベートってね、自分の主張が正しいことを、ブレインストーミングがあるんですけど。
かおり
知らないけどね、やったことないからさ。
かおり
先人たちが少なくともここまではやった方がいいよっていうのを体系だって学べる良いきっかけではあるよね。
よしやす
そう思ってます。
で、無理やりやらせてる感じがあるっていう話の中に、やっぱね、人間つまんないことばっかりやっててもやる気がなくなっちゃうんで、できればさっき言った知識と知識がつながって新しい視界が開けるような体験ができると、より良いんではないかと思ってるし、
外的にやらされるのではなくて内的につなぎ合わせる、またはそれをさっき言った必要な時に引っ張り出すっていうのをテスト以外でトレーニングするっていうのができるとより良いんじゃないかと思うんだよね。
かおり
昔ね、実家で、すごい昔じゃないね、つい最近の話ね。
いいよ。
実家で家を建て替えたのね。
よしやす
はい。
かおり
で、その時にまず土地の計測からやるわけじゃない?
よしやす
ああ、あの、実家だってみたいなとこで土地持ってると、せっかくだからここでもう一回確認しましょうねってなるし、図面描くのに広さ必要だからしっかり測量しましょうねってなってします。
かおり
そう、あと場合によってはさ、道から何メートルどうたらこうたらとか。
ありますあります。
かおり
日照圏の問題でどうたらとか、高さとかの問題もあるから。
よしやす
で、しかもその実家が、いわゆる正しいというかきれいな正方形、長方形の土地ではなくて、何角形なんだろうね、なんかよくわからないけど結構いろいろ。
かおり
あれね、区画整理をされたところの土地じゃなくて、昔からある曲がった道路に面していたり。
しかもそのカーブの角にあったのよ。
よしやす
だからそもそも角だし。
かおり
何角形で切られてるかわかんないわけね。
いろいろな要因が多分あったんだろうけど。
わかるわかる。
よしやす
その時に図面とか、図面見るの好きだったから見せてもらったんだけど、三角形だったのね、面積の求め方が。
そうね、だから四角い土地でも対角線引いてあったりするんだよね。
かおり
そう、全部対角線が引いてあって、そこに水線が引いてあって、そこに面積まで書いてあったかどうかは記憶にないんだけど、それを見た時に、あ、そうか三角形は全ての図形の基礎だな、基本なんだなと思った記憶があって。
それを別にその時には自分が略に立ってるわけじゃないんだけど、すごくなんかね、使ってる感が出た。三角形の面積、別に知らなくてもと思ったけど、全てのものを三角形にすることによって正しい面積が求められるのか。
よしやす
そうそうそうそう。で、さっきね水線をって言いましたけど、図面の中ではだいたいこう距離が書いてあるんで、三辺の長さがわかっていれば、水線引かなくても面積が求まるじゃないですか。
かおり
サインコサインタンジェントとかを使えばね。
よしやす
あ、てかヘロンの公式っていうのがあるんですよね。
かおり
知らないよヘロンさんなんて、ヘロヘロになってるわよもう。
よしやす
ヘロンの公式ってあれだよね。
かおり
知らない、なにそれ。
よしやす
ヘロンの公式はサインコサインタンジェント使わないんですよ。
かおり
知らないよ、そんなの習ったことないよ。
よしやす
えーっとね、ヘロンの公式でそんな難しくなかったと思うんだよね。
かおり
え、いや聞いたことないけど。
よしやす
ホント?ヘロンの公式で検索するとそんな難しくない式やってたけど、全部のやつをなんか足してなんとかするんですよ。
かおり
三辺の長さがわかっている面積を求める公式。
そうです。
へー、知らないよそんなの。
よしやす
三辺の長さがABCであると三角形の面積は。
かおり
でもルート使ってんじゃん。
よしやす
ルートは使ってるけどサインコサイン使わないじゃないですか。
かおり
ルートもサインコサインも同じようなもんじゃない。
よしやす
ずいぶん違いますよね。
かおり
よくわかんない記号ってかって同じだよ。
まあいいや、でもいいのいいの。
それでとりあえず推薦聞いたら面積求められるんだっていうのが、
えーっと、これ小学校だっけ三角形の面積って。
よしやす
三角形の面積は小学校の真ん中ぐらいかな。
かおり
それが、実用的に使われているものを目の当たりにして、
すごく知識が、私がやったわけじゃないけど知識が生きた瞬間だったねと。
よしやす
そう、なので生活に実用なところもそうなんですけど、
そうではないタイムリーにさっき言った現場に即応したものを引っ張り出して、
そこに有用的に使う、別にあれでもいいんですよ。
クイズっちゃクイズでもいいんですけど、
そういったものを繰り返すことで自分の中で使い物になる、
まさに記憶だったものが知識として関連づくっていうふうにできるんじゃないか。
よしやす
さっきね、一般化、関連性と、あとはタイムリーに引っ張り出せるというのが
揃っていて初めて知識なんだよねっていう話で、
丸暗記してもそれが他のものと関連してタイムリーに出てくれば
知識の一部として使えるっていう話なんだけど、
今言ったことをうまく繰り返す、またはそこを検証していくっていうふうにしないとうまくいかないんじゃないかと思っていたりして、
自分で別に自慢するわけじゃないんですけど、
私はノートを小学校中学校のときにほとんど取らないで授業を受けてきたんですよ。
小学校3年生のときに先生に親が呼び出されまして、
久保田くんはノートを一冊しかランドセルに入れてきませんと。
親御さんがちゃんと教科ごとにノートを買ってあげてくださいと。
かおり
こいつんちは貧乏だからノートがないと思われたってこと?
よしやす
うちの親もさ、初めての子供だから、そういうもんかと。
かおり
ノートは小学年につき一冊と。
よしやす
っていうのもありまして、とはいえ、
多分先生のしゃべることをちゃんと聞こうと思うとノートが取れなかったんじゃないかと思うんですよ、不器用で。
一生懸命ノートを取る。
だからそのとき私ノートを取っていたら、ノートはきれいになったかもしれないけど、
先生のことが多分あんまり聞けなかったんじゃないかと思うね。
っていうのがあって、結局どういうふうに授業を受けているかというと、
先生の話を聞いて、気になったことを教科書にだいたい沿ってるじゃないですか、小中学校の授業って。
そこに追加で書き込んでいくっていう感じ。
かおり
なるほど、書いてないわけではないわけね。
教科書に書いてあることはもうだから書かなかったってイメージかな。
よしやす
なので、もしかしたらね、分かんないよ、自分の記憶でも分かんないんだけど、
そのときになるべく分かって、さっき言った関係性とかを教科書と先生の言うことを聞いてみながら、
これってこういうことだよなとか、こんなことが面白いなみたいなものをメモっていたんじゃないかと思うんだよね。
かおり
あとは、ある意味気づいたんじゃない?先生が言ってることを別に書いたんじゃん、教科書に。
よしやす
教科書ってさ、すごいたくさんの人が関わって、みんなに配ってもいいぐらい濃縮した情報が入ってるんで、
ただ単にね、一人の人が。
かおり
だけど、結局ノートとして取らされてるわけじゃない?同じことをね。
だけど、そこで久保田少年は気づいたわけですよ。
あれ?これここに書いたんじゃんと。別にノート取らなくていいんじゃね?と気づいたから書かなくなったという、
高尚な結果、高尚な考察の結果、ノートを取らなくなった可能性もあるわけだよね。
よしやす
うーん、まあそうじゃないと思うけどね。
かおり
いやいや、そこはそういうことにしとこうよ。久保田少年の名誉のためにもさ。
よしやす
いや、ただ単に不器用だったんだと思いますよね。
かおり
自分不器用ですからね。
よしやす
自分不器用っすからね。
かおり
それはそれででも、教科書にそうやって自分で書き込んだわけでしょ?
私はもう教科書も綺麗にね、取ってあったからね。
綺麗な教科書を残しておくという、何に残したかよくね、よくわからないけど。
よしやす
本に書き込みしないとか、そういう話もある一方で、私はなんとなく教科書についてはそういう感じで、
逆に定期試験の前はノートがないわけですよ、私は。
だから教科書をもう一回読み返すっていうのと、そのメモを見ながらこういうことだったんだなっていうのをやるしかなくて。
かおり
いいんじゃない?
よく、載ってる歴史書の人物はみんなサングラスかけてさ、変なヒギがついてたやつだよね。
よしやす
そう、剥げてると髪の毛生やされたりするんだよね。
かおり
なんか変な帽子かぶったりとかね。
よしやす
そういうのは落書きって言って。
かおり
歴史、戦国時代から後になるとみんな片目になったりとかね。
よしやす
そうでもないと思いますけどね。
かおり
あれ、そう?そうなんだ、まあね。
よしやす
え、かおりさんは綺麗な教科書だったんじゃないの?
かおり
えっと、そうね。
よしやす
肖像画に落書きはしてたの?
かおり
そういう人はいっぱいいたし、だから自分の教科書には落書きしないけどさ、誰か教科書に落書きしてる人がいたらちょっとなんかそこに色濡らしてもらうとか。
よしやす
パラパラ漫画は書いたことね。
かおり
やったやったやった。
よしやす
で、話を戻すとですね。
かおり
どこまで?パラパラ漫画?
よしやす
ノートを取るっていうのは、さっきね、かおりさんが言った通り、手で書いて記憶に定着するっていうのの役には立つと思うんですけど。
なんとなく、私が思うに、もう少し関係性とかね、場面応答性みたいなものを意識しながら、ちっちゃい単位で復習をしていくっていうのが大事なのかなと思っていて。
で、関係性の話でポイントなのは、さっき一番最初に出てきた、先生ってこぼれ話じゃないけど、脇道に沿ってなんか話すよねってのあったじゃないですか。
かおり
うんね、なんか猫の理科のお時間では全くそういうのないけどね。
よしやす
まあいいや。
なんていうの?
わかんなくなってる。
先生の、たまにある、ほら、先生の詩的なことの自慢話が授業の最初にあるみたいな話は関係性はないけど、授業で例えば歴史のことを話してて。
そういえばさっていうときには、だいたい関係性があることを話すわけじゃないですか。こぼれ話としてね。
かおり
このときの武将はどうだった?
よしやす
っていうのがあって、そういったものを覚えてるよねって言ったのはそういうこともあるんじゃないかと思うんですよ。
つまり、自分の知識が体系化されていると、その中にエピソードとして入ってくるっていう情報は覚えやすい。
想起しやすいっていうのとかがあって、まさに。
かおり
あ、想起だ。そうだね、ジャッキーじゃないんだよね、想起なんだよね。
よしやす
想起ですね、それはね。
なので、あともう一個、そこで生徒さんたち、学生さんたちは、先生が場面応答性を持って新しい話題というか、その場のこぼれ話を持ってきたっていうのがやっぱりあると思っていて、
今ここで生徒にこれを話したら受けるだろうっていうので引っ張り出してきたわけね。
それは、知識として入っているからこそできることで、今のGoogle検索とかではなかなか出てこないことじゃないかと思ってるんですよ。
で、ちょっとだけ話が飛ぶんですけど、最近AIでいろんなものがわかるって話をしてるじゃないですか。
例えば調べ物、まとめてくれるとかね、要約してくれるとかってあるんだけど、あれは今までAIがない世界で自分の中で知識を何とかしなきゃって思ってた人たちが、
AIを使ったら、あ、なんだ、この頭の中の処理任せてもいいじゃんってなってるのがAIなんじゃないかと私は思っていて、
ある意味、たまに間違ったこともするんで、やる気がすごくある若手の社員っていうイメージがあるんですよ、AIって。
何が言ったかというと、正しくこんなことをこんなふうに調べて、こんなふうにまとめてくれって言って、命令を出せば、いろんな調べ物とかしてやってくれる。
で、今まではそんなコンピューターできると思ってなくて、検索結果しか出てこなかったけど、まとめをしてくれたりするんだけど、
たまにミスってるから、先輩としてはチェックしないといけないわけ。
で、チェックして、あ、こういうふうに言えば正しくやってくれるんだっていうこととかを先輩もちょっと学びつつ、AIと付き合うというか、やる気のある新人と付き合うわけじゃないですか。
ってことは、全員がミニリーダーにならなきゃいけないっていう時代になってくるんですよ、AIが発達するってことは。
かおり
結局最後に人のチェックが必要、それもね、だいぶ変わってはくるだろうけど、最終的には人のチェックって言われてるところよね、そこが。
よしやす
とか、最近はね、ファクトチェックをしろってAIに命令して、どことこの資料何々書いてありますっていうのが出てくるっていうところまで調べてくれたりするんですけど、
とはいえ、本当かっていうのをもう一回調べなきゃいけないっていうことはあったりするわけですよ。
自分でね、ゼロからたくさん調べてまとめるよりもずっと楽かもしれないけど、っていうのがあったときに、
さっきから話に出ている、AIを活用する自分たちに知識がないときに、AIを便利に使えるもんなんだろうかっていうのを考えたときに、
今、さっき出てきた、小さい頃にこんなの覚えたってどうせ役に立たないよとか、こんなの大人になって使わないよっていう話、今はGoogleがあるから検索すれば知りたいこと出てくるって話があるんだけれども、
それは知識ではなくて、ただ単に、なんていうの、道具が使えるようになっただけで、やっぱり自分の頭の中に、
よしやす
そうなんですよね。で、もう一個ね、今回読んだ、私たちはどう学んでいるのかっていう中では、
自分の中熟、上達みたいなところの話もしていて、何かを行動するときにそれがうまくいくっていうものを学習曲線とかね、
そういうふうにできないことができるようになるっていうのは、ただ単にね、ペーパーテストに答えられるだけじゃなくて、
ものが組み立てられるとか、何かの操作ができるとかっていうのがあるじゃないですか。
そういうものも含めて、頭の中のどんな機能をどういうふうに組み合わせて、それをどう効率化していくかみたいなところもお話があって、
体験、問題を解くとか、課題を解決するっていう体験は、いくつかのものは自分の中ですぐに使い物にあるツールか道具として身について、
その道具を発想として、または手を動かす、体を動かすっていうところにつなげていけるっていうのがあるんじゃないか。
前も話したことがあると思いますけど、階段を降りるときに、皆さんはどの筋肉をどの順番にどうやってっていうふうに考えながら階段を降りるわけではなくて、
ただ単に階段を降りる。もしかしたら1段、2段、3段っていうふうにその場で目で見て体を動かすけれども、
どのくらいの高さだろうなというのは意識にしてないで、無意識の中で行動してるんじゃないかと思うんですよね。
下手に順番に右足、左足っていうふうに考えるとうまく動かなくなっちゃったりするっていうぐらい、
かおり
そうね。キュッとなって困るね。
よしやす
動かし方がツール化しているというか、無意識の中で使えるツールとして使えて、
私ぐらいの歳になると、そのツールの通りに体がついてこないんで、修正しなければいけないっていう年代になってきまして、
何万回かに1回、思ったより足が上がってなくて突っかけるとかがあるわけですよ。
筋力が弱ってくると。そんなのも含めて、外の世界とどう付き合っていくかっていうときに、
頭の中、または体を連携させたツールを身につけていくっていうのが知識とか学習とかっていう話で、
小さい頃はそれを発達って言ったりするんですけど、そういったものを、
ノートってすごく大事で、私はね、すごいコンプレックスがあって、
字を書いたり、版書を取るっていうのにできたらいいなっていうところもあるわけ。憧れもあるわけよ。
なんだけど、うまくそこをバランスよくやっていくっていうのが大事かななんて思っています。
というふうに、ちょっと無理矢理結論じみてきましたけど、ぜひ皆さんも知識を得る。
または自分が学んで、知識が有効に使えるっていうのはどういうことかっていうのを考えつつ、
物事を見るっていうのができるといいんじゃないかと思っています。
はい。ということで、今日はこんな感じです。来週、メールの紹介になります。
はーい。
はい。ということで、今日はこの辺にしたいと思います。
はい。
そんないりかの時間では皆様からのメッセージを募集しております。
メールの宛先は、rica at mark 0438.jp、rika at mark 0438.jpです。
私たちはそんないプロジェクトというグループで番組の配信を行っておりまして、
この番組のほかにそんなことないっしょ!やそんない雑貨店という番組があります。
また、そんない.com、sonnai.comというウェブサイトで、
過去の番組も聞けるようになっておりますので、遊びに来てみてください。
あとですね、メールを送っていただく代わりに、
そんない.comのそんないりかの時間の番組が一覧になっているところの右側にあるフォームでメールを送っていただくこともできます。
各エピソードにコメント欄もあるんですけれども、
コメントについては個別の対応しないというつもりでいるので、ぜひメールのフォームの方で送ってください。
はい。
あとですね、この番組はaudiobook.jpというところの聞き放題サービスで配信をしております。
そちらは有料サービスになるんですけれども、そちらで聞いていただくと番組のおまけがついていたりするのと、
そちらで聞いていただくと、私たちのところに再生時間に応じた報酬がやってくるというのもありますので、
もしこの番組に何かしらというときには、audiobookで聞いていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
かおり
よろしくお願いします。
よしやす
ということでゴールデンウィークも終わり、祝祭日のない6月がやってきます。
仕事も頑張らなきゃいけないなと思いますが、連休明けで今ちょっとだけリハビリ状態ですが頑張ります。
かおりさんは調子はどうですか。
かおり
なんていうのかな。早寝遅起の習慣がつきましたね。
早寝遅起。すごいたくさん、それいいことじゃないですか。体調的に。
悪くはない。そうね。だから人間としては悪くないよ。
うん。
よしやす
ただね、いろいろ支障が起きてきてしまう。
そうですか。じゃあ早く日常生活に戻れるようにと思っております。
かおり
ありがとうございます。戻ってはいるというか、戻らざるを得ないから戻ってはいるけどね。
よしやす
ということで、そんなエリカの時間第614回、お送りいたしましたのはヨシアスと、
かおり
かおりでした。
よしやす
それでは皆さん次回の配信でまたお会いしましょう。さようなら。
かおり
ごきげんよう。