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  2. 自分の時間感覚を大事にする
2025-12-23 28:47

自分の時間感覚を大事にする

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サマリー

このエピソードでは、時間感覚の重要性とマイペースでの仕事の仕方について考察しています。特に、集団のペースに合わせることなく、自分自身のペースを大切にすることが強調されています。また、継続がたとえ3日坊主であっても、その過程がプロジェクトの一部であり、中長期的な視点で捉えることが大切だと言われています。このエピソードは、自分の時間感覚を大切にすることの重要性に焦点を当てています。他人と比較するのではなく、自分のペースで物事を進めることの意義が強調されています。さらに、自分のペースを大切にすることが議論され、思考や行動の効率化が必ずしも幸福へ繋がるわけではないことが強調されています。一般的なランキングや流行を追うことが本当に意味のある活動なのか、自らのリズムを尊重することの大切さが語られています。

時間感覚の理解
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、時間感覚ということで、これも大事ですよね。大事なことしか話していない気がしますけど、全く雑談で全く何これみたいなのはないはず。
当たり前ですけど、自分がそう思っても聞いている方が微妙だったというのはもちろんあると思いますから、少なくとも自分はそうじゃないようにしていこうと。
消費せずに消化ですよね。きっちり何でもいいのでヒントになるものがあればいいかなと思います。
時間感覚というのは、今回はマイペースみたいな言葉があると思います。マイペースというと、どこで何かが間違ったのか分かりませんが、なぜかゆっくりみたいなイメージがありますが、マイペース自体は自分のペースなので、早かろうが遅かろうがその人に適したものをやればいいという感じです。
もっと言えば、集団におけるペースが1で分かりづらいか、10みたいな。もっと言えばリズムで言えば、毎日やるみたいな感じのリズムがあるときに、それに従わない、それより早いというリズム。
メトロノームは良いですよね。60とか。早いですよね。心拍数、ちょっと分からないですけど、それより早いとか、1時間に1回やりますとかだと、その人はちょっとマイペースすぎるとは言わないけど、何か合わせてくれないよね。
または、遅い。それだったら毎日じゃなくて週に1回とか、もっとゆっくりやるとゆっくりになりますよね。ということで、その集団のスペースに合わせずにゆっくり自分のペースでやることを、特にマイペースと差しやすい気がします。
別にそういう意味ではないと思いますけど、そういうことで使う人が多いんじゃないかなと。多分ね。ということのマイペースの本質じゃないですけど、先回の続きじゃないですけど、というところでいくと、マイペースってことは使わなくてもいいんですけど、自分の感覚っていう、特に時間の感覚を大事にされた方がいいんじゃないか。
僕も大事にしていますし、それを満たされることに嫌だって思う人は多分リズムがあるんだと思います。
これはですね、先回言ってないかもしれませんがリズムがあるので、そういうリズムにおいて自分のペースをしっかり掴む。もしくは自分がいい感じで動けるようにする。
これコンフォートゾーンとの違いですけど、自分が気持ちよくやれるっていうことはいいしパフォーマンスも出るので、余裕とかその次のステップが踏めるような気がします。
その状態でそのリズムでいいんだっていうようなのではなく、そのリズムを作ったり守ったりすることで、ルーティーンとか儀式みたいなものもありますが、それで自分を作る。
自分のペースはどうなんだってことをしっかり作ることが重要かなと思います。というような話を今回していきたいと思いますので、時間感覚、興味ある方は続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願い致します。
時間の捉え方
はい、四国理ラジオ大橋です。今回は時間感覚、自分のペースを大事にしようということで、
今回はクラシタさん、ブログを拝見しているんですが、ここで面白い記事があがっていました。
タイトルが道具と感覚と感覚と、感覚は感じる方の感覚と間がある方の感覚であるので、感覚と言っても分かりづらいかもしれませんが、
感覚という言葉はどちらでもいいんだけど、時間感覚と言ったら両方指すような感じがします。
つまり、今30分経ったよねみたいなのが感覚でもいいし、月に1回とか週に1回みたいな時間と時間の間で、活動との活動の間みたいなのを指しますが、一旦そこはあまり気にせず。
そこで面白いなという話がありまして、これもURLを載せておきますので、よかったら見てみてください。
ここに書いてあって、これ間こびきになってしまうんですけど、あるブログから書いていた話があって、
ノートとかでもいいんですけど、ブログでもいいですよね。YouTubeでもいいし、ポッドキャストでもいいし、新しいランニングでもいいし、何でもいいです。絵を描くでも。
何でもいいんですけど、勉強でもね。始めるじゃないですか。でもそれって、例えば3日ぐらいやったら、3日坊主と言われますが、辞めちゃったりすると。
僕も経験あります。3日じゃなくてもね。1日とか1回で開けるとかありますよね。
それを見て、諦めたりとかできなかったみたいな感じがあるじゃないですか。思うのは全然自由ですよ。
なんだけど、ちょっと待てよ。それって、できなかったとか諦めたんじゃなくて、もうちょっと中長期的に見てしまえば、ちょっとした、例えば演奏における感想ですよね。
休みとか、もしくはサビの間のちょっとした演奏みたいな。文章で言えば、全部詰まっている文章っていうのもいいんだけど、無駄がないやつね。
だけどそれって、ちょっと休みが欲しくない?みたいな。ちょっとだらっとしてほしいよね。
映画の予告編とかって、見た方が多いかもしれませんが、何が起きるんだ?みたいな。ちょっと見てみたいよ、それじゃないですか。
だけど、実際に映画を見ると、そんなことはなくて、もっと物語ゆっくりじゃないですか。1時間、2時間ぐらい。3時間のもあれかもしれませんが。
漫画とか小説とかもそうで、そんなに起きちゃったらつまんないですよね。なぜかいきなり、求めているものが手に入るとかってつまんないですよね。
いろいろやり取りして苦労して、何かやるから面白くないですか。もしくは、それを簡単に得られたっていう体で戸惑うっていうのもあるかもしれませんが、
そこら辺を置いといて、少なくとも感覚というかペースという意味では、そんなに早くないわけですよ。きっと。実際はね。
だから、だからでいいですか。例えば3日坊主で終わったら、次やるじゃないですか。
また変な話、1年後にもう一回同じことやってたらどうします?イラストを描こうとか。
最近ちょっとまたスケッチしたくなってきたんで、2年越しでまたちょっとやるかなみたいな。
それはですね、観察するために見ているという感じのためであって、スケッチしたいわけじゃないです。観察するためにスケッチするっていうのが重要。
僕は見るの好きなんで、見るために描くみたいですね。見えないところが出てくるわけですね。描くとね。
そういうふうにですね、1年越し2年越しでもう一回再開したら、実はそれは2年というプロジェクトの中の1年とか1年半とかは休憩であって。
3ヶ月1ヶ月わかりませんが、ちょっと僕もわかんないですけど、半年くらいやってたのかな?よくわかんないけど。
その後休んだから、また始めたら結局そこで統合していただくと、ガッチャンコというか合体…マージですね。
統合すると結局それは2年のやつでちょっと休んでただけじゃないか。だいぶ休んでたことになるんだけど、それは別に気にしなくていいんじゃない?
だって休むのって人によって違うじゃないですか。ちょっと例えが微妙かもしれないけど、調子悪くてちょっと休むとかって、
どれくらい休めばいいかってわかんないじゃないですか。だから不安になりません。
人間ってそんな簡単に機械みたいに3日休んだら治るってことは多分なくて、3日でも多分調子は悪いんだけど動いてたり、もしくは3日かからず治ったりとか、そんなもんじゃないですか。
だからもっと生物といいますか、一人一人全然違うんじゃないかっていう前提で時間間隔というのを捉えてみたら、
実は中長期的になるんですが、捉えれば全然違ってくるんじゃないか。
少なくとも今の話を踏まえると、イラスト描いて3日で終わったから3日坊主で終わった、できなかったじゃなくて、
2年越しでやってるからちょっと休みになったんだよねみたいな感じで、また気が乗ってきたからやるよって。
自分のペースを大切に
それに対して、ここが重要なんですけど、3日坊主でしかできないなじゃなくて、3日坊主になるし続かないなじゃなくて、今やってたら続いてるんですよっていう。
だから断続的ってことですね。切れても続けているし続けたってことが大事だと思ってまして、
これものすごく、すくいと言うとおかしいんですけど、いいなと思いました。
を時間の間隔で捉えるわけですよ。自分のペースとして捉えてみてください。
わかります?だから毎日ポッドキャストをやってる人が偉いとかはなく、たまたま僕は平日喋ってるだけですよね。
週に1回でもいいし、月に1回でもいいから、年に1回でもいいでしょう。
だからそれって別にいいんですよ。比較する必要がない。
というか比較してたら結局意味がないと言いますか、自分の時間間隔じゃないですよね。
だからよくないですか、スポーツ。スポーツ見ない人はちょっとわかんないかもしれないですけど、
自分のペースを作れない、主導権を握れないというのがあって、
それはある種のリズムや息遣いであるかなと思います。
サッカーの話になっちゃいますけど、自陣と言われている、要は自分がボールを持って、
自分の味方たちでパスを回すことって何の意味があるのって思うかもしれないですけど、
時間稼ぎとかはあることもあるんでしょうけど、ほとんどそういうのはないと思ってまして、
自分たちはパスを回せますよね。で、いつだって攻撃できるよっていうことの、
まあ、牽制なわけですよね。
当然それでパスを回して攻撃しなかったら、攻撃できなかったら、
相手は攻撃してこないから、守ってばっかりいたら取れるよってなるから、
それはあまり意味ないんですけど、いつでも攻撃できるという状況で実際に攻撃するというのが重要かなと思います。
なので、そういう自陣、サッカーで言えば自分の陣地でボールを回すということは、
精神的な安定じゃないけど、いつでもやるよねっていうことを確認する意味になるし、
それを本番というか試合の中でやるということがものすごく安定になるわけですよね。
それはスポーツの話ですけど、似たようなことがあるんじゃないかなという話ですね。
自分がペースを持っているから、人が三日坊主ではね、そのこと言う人いないと思うんですけど、
分かんないしね。言わなきゃね。
で、やってて、続いて続かなくても、やって、やらなくても、
しばらく休んでまたやったら別にやればいいじゃないですか。
そのことに対してグチグチグチグチ言う人がもしかしたらいるかもしれませんが、
それはちょっと関係を見直してもいいというか、微妙ですよね。
少なくとも僕の周りで、そんな続けたことが続けてないことに対してどうこう言う人はいないですね。
続かないんですねとかっていうのは。
自分の時間感覚の重要性
自分から言うならいいですけど、逆じゃないけどね。
自分から言うのは別にいいと思うんですけど、言われても逆にね、続かないんでどうしますかっていう話にならないというか、しょうがないよねぐらい。
で、それって仮に無理にやってたらつらくないですか。
リスナーのあなたがポッドキャストやってる方もいると思いますけど、
なんかやってるわけじゃないですか。
縫い物したりね、文章書いたりね、写真撮ったり、何でもいいんですよね。
鼻の手入れしてとか、何でもいいんですよね。
料理作るとか、いわゆる何かちょっと作ってみるっていう方向でいいんですけど、
散歩でもいいですよね。
で、それって誰かに言われて頑張ってやらなきゃいけないっていうものなんですかね。
そうやってやらないとできませんっていう人ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんけど、
なんかそうじゃなくて、そんな無理しなくていいんじゃないですかみたいな。
もちろん無理しなくていいやって言って、自分に甘くすると動けなくなるみたいな方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないんで、
それはそれであるとしても、なんていうんだろうな。
じゃあ毎日ってダメだからもっとやらなきゃいけないとかって、なんかしんどくないですか。
で、なんでそんなに散歩を一日一回少ないよっていう風に言われたからですか。
それともそういう人が行ってきたからですか。それともそういう情報があるんですか。
もっとやってる人がいるみたいなのをどこから持ってきたんですかね。
もっと散歩一日一回もしてない人もいますよね。
そうそう。だから、なんていうんだろうな。
緩くしろって意味じゃないんですけど、自分のペースっていうのをもっと考えてもいいよねって話になりますよね。
少なくとも人のペースに合わせなくていいんじゃないですかっていう。
でも自分の中でもっとやらなきゃいけないなと思ったら別にやればいいわけなんですけど、
それはあくまでもGハーツ的なものであり、自分でやろうと思った気持ちや心があるじゃないですか。
それがないのにやると消耗して、セリフとしてはですね。
そういう状況になったときになんで自分はこんなことやってるんだろうなってなると思います。
それを別に体験したい人っていないと思うんですよね。
なんか虚しいというか、なんでやってるんだろうねってなりますから。
なんでやってるんだろうねって思いながらも楽しくやれてる人だったらいいですよ。
でもなんでやってるんだろうねって言って楽しくなくてもう嫌だなと思ったらやめちゃっていいんじゃないかなって思ったりします。
無理しないことの意義
というわけでですね、新しい物事を続けるときでもいいですし、やりました、またやってみたいなと思ったらやればいいんじゃないですかっていう。
投げ捨て、切り捨て、適当に言ってるわけじゃないですよ。やればいいんじゃないですか。
やってみたらいいよねっていうことですよ。
あんまり難しく考えずにやってみたら続けていったり続くこともありますし、やっぱり無理だったよねってやったらまた休んでまたやればいいじゃないですかっていうところで。
人生は短いってことで生き急ぐのもありですけど、人生は長いと一旦振り直して
そんな簡単に自分のペースって掴めなかったりするし、いろいろやってこんな感じなんじゃないかなみたいなペースを見つけて自分で見出すことはやらなきゃいけないですよね。
こんな感じかな、あんな感じかなとかね、毎日一回やった方がいいのか、週に一回でいいのか、月に一回でいいのかわからないですよ。
だけどそれなりのペースがあって、多分そこに落とし込んでしまえばきっと動きやすいと思うんですよ。
動きやすくなったら後は調整すれば良くて、今はこういう状況だからペースが落ちてるとか、もしくは高めていってもいいよねとかね。
いろいろそこで試行錯誤をやればいいんじゃないかなっていう、そういう話となります。
だから人と違うってことを意識するのと、他人と比較する意味があんまりないのと、だからといって勝手に自分のペースが生まれてくるというよりも
自分のペースってこんなもんかなってちょっと客観的に見てやってみて、自分のパフォーマンスが上手く出せなかったら、それが出せるようにしていくしかないかなとは思います。
でも俺はある友人が言ってましたが、その通りであるワークショップをやると1時間とかね、その時にそこで集中して意見できて形になっていく人は評価っていうか、
友人が評価をしなくてもいいんですけど、別に1時間かけたことを評価してないんだけど、どうしても子供向けだったかな。
親がとか周りの子供自身もね、自分はその時間帯に何か作れなかったみたいなことになるわけです。
だけど実はその1時間経ってワークショップっていうその時間の中ではできなかったけど、そこの後に目覚めるわけじゃないんだけど、どんどん自分で書き出してものすごくいろいろやり始めたみたいな。
だから受験じゃないけど、勉強もそういう面はありますよね。自分で学習塾でやる時間なんて限られるから、そうじゃない時間に自分でいかにやれるかみたいなのがポイントになるという話もこれも友人が言ってましたが、確かにそうだよなって。
だからどちらかといえば、関与している直接ワークショップなり塾なりで、講師なり先生なり誰かに学ばせてもらっていると変ですけど、学んでいるような状況っていうのがよく言われるように勉強をしているとかね。
あと、資格の勉強だったらその資格の本を開いたり、資格の動画を見たり、資格ってサーディフィケーションの資格ですけど、デッドの方じゃないですね。見えないってことじゃなくて、その資格の勉強をするってことで、まさにその時間が勉強をしているような感じになると思います。
それは嘘じゃないですよね。だけど実際って、それを勉強してる、覚えてるとかね、暗記はあるのかな、わかりませんが、なんだろうねというふうに考えたりする時間というのは、それだけだったら困りませんか。
むしろ上達はあまりしないんですよね。むしろそれをしていないとき、つまりその塾の時間じゃない、ワークショップの時間じゃない、資格の勉強のための動画を見ている時間じゃない、その資格の教科書とか本とか参考書を開いている時間じゃない、スマホのアプリで学習しているというところじゃないときに、今勉強しているのはこれでこういうことがありましたとかを言えるとか、
その学んだことが実は仕事とか勉強とか趣味に生きてくるとか、そっちのほうが重要な感じがするわけですよ、僕の中では。それがまさにリズムだと思うんですね。
その要は、やっていると思っているときが強いように思うんだけど、実はそうじゃない時間の緩んだときですね。だから緩んでるから悪いわけじゃないですよ。休憩だったり、ご飯食べたり、誰かと話しているときに、今勉強していてこういうのにつながりますねと、つながるときに覚えた言葉が出てきたときに、まさにリンクするわけですよ、学習としては。
強化される、覚えられるんですね。ということで言えば何を言っているかというと、ペースからすれば、やり方からすれば、何かを集中して学ぶ時間というよりも、集中していない時間のほうが多分大事だと思うんですよ。
だから集中していない時間が、ぼーっとしてたらいいという意味でもないんですけど、ぼーっとするのも大事ですけどね。その要は集中して何かやっているよっていうことだけがまさにやっているわけじゃないと。
これはリズムの話で僕の例えにはなるんですけど、音楽とかだったらわかりやすく言えばサビみたいなのがあるじゃないですか。つばさをくださいみたいなね合唱曲で歌った人がいるかわかりませんが、そういったメインのメロディのサビがあったり、それまでに行く盛り上がるサビのメインのところに行くまでがあって初めてサビが行けるというかじゃないですか。
だけどそのサビだけとか。バンガーでもゲームでもいいですけど、ボスを倒すっていうのは、いろんな弱いザコ敵を倒していって最後に倒すからいいし、物語の謎を解いていったりして、解いていってその蓄積があるから、それこそ経験値という概念で敵を倒すという時間を費やしたから重み深くなると。
ないのにいきなりボスっていうのはありなんですけど、あんまり面白くないんでしょうね。
考えてみませんかって話ですね。
やっていないときってことですね。やっているときは多分集中する。時間間隔っていうのはやっているときだけじゃないですかね。やっていないときも含めて、やっている、勉強している、学んでいる、何かやってる、作業している、仕事しているときじゃない。もしくはそれ以外のときに何してるかと。
長期的な視点で見る
それが直結するようなこと、仕事に直結するようなことばかりとか、効率や能率とかコスパやタイパーとか言っていると時間間隔がないですよね。明確に時間間隔がそこになくて、単に同じ基準の三日坊主みたいなものだったら、三日坊主があるからできてないよねみたいなことを繰り返しているだけというか。
でももちろん三日坊主を繰り返すことで自分はこういうリズムでやってるんだっていうのがあれば、三日坊主って言わなくなると思うんですね。三日で繰り返すみたいな。肯定するような気がします。それでやらなかったこともプラスになるような気がします。
そういう見方とか考え方とかになるんかなと思いました。だからそういう意味でもこれもリズムの話かなと思いました。周期っていう意味では、やっているやめたっていうところだけで見るんじゃなくて、やっているやめたその間休んでまたやりたくなる。
だからこれ一つ経験としては、抽象外ですね。同じようなことをまたこれを始めるときに、新しいことをやるときに、あれこれなんか同じような感じだなって気づいて、もしくはやった後に気づいて、やっているときに気づいて、これあんまり続かないなとか、もしくはこれこう続きそうだなみたいな予感や直感がして、そこでこれ前と同じパターンだみたいなね。
真剣ゼミよろしくじゃないですけど、これなんか前どっかで見たやつだとか、どっかでやったやつだみたいな感じたやつだっていう風になって、そこでこれは同じパターンになるから、多分スパンを3日とか1ヶ月とか短い時間じゃなくて、1年とか2年とか長い間で見ていったほうが多分いいんじゃないか。
2年とか3年とか長い時間で見ていったら別にそれやめたことにならないし、間休みになるだけじゃないかって。こういう話すると、それはごまかしてるだけじゃないかみたいな人も多分出てくると思うんですよ。
そう思う人はそれでいいんじゃないですか。本当に。だけどごまかすというよりも、ペースって人によって違うから、要は速いペースでやる人にとっては、遅いペースでやってる人はサボってる風に見えるわけですよ。
で、遅いペースからやってる人に限ってから速いペースの人に見ると、よくそんなペースでやってるのは疲れないからみたいな思うわけですよ。
どっちが正解とかはないわけなんで、これもね。自分のやりやすいペースっていうのがあるはずなので、それを探っていってはどうですかと。そういう問いというか提案になるわけですね、今回。
で、そのペースも多分多くの人が早くやって、早く何かやろうとするんだけど、結局これね、昨日も散々言いましたけど、この間ね。
エアで浮いた時間どうするのって言った時に、思考もそうですが、効率化できることなんてあんまりないんですよ。
散歩して、時間を効率化して散歩しようとかってやばくないですか。
何になるかって言うと、多分散歩の気分を感じる、空気とか匂いとか足の動きとかを体感させる、それこそVRゴーグルとかね、XRとかも言いますけど、
変なよくわかんないメガネかけて体感するみたいになるんじゃないですか。効率化するとね。
で、いいのかなみたいな。本当に笑い話にしてますけど、それでいいのかっていうことを一応問いかけつつ、散歩とか効率化じゃなくて、したらいいんじゃないですかっていうね。
ちょっと落ち着いて。効率化とかそういうのじゃなくて、自分が本当にやってみたいことでもいいし、好きなことでもいいし、調べたいことでもいいし、
なんだろうなこれみたいなのでも良くて、上下とかないんですよ。信じてもらうしかないというか。あると思ったらあるように見えるし、ないと思ったらないように見えるわけですよね。
それはあると思っている人は比較するわけですよ。ランキングの話してるんですか?企業でもいいし、売れ筋ランキングでもいいし。
売れている商品でとか、人気がある人でっていう人のライブに行きましたとか、そういう商品を持ってますとか、人気の旅行先に行きましたとか。
それを全部埋めていったら、幸せなんですか?みたいな。が、ホームレスツーの話です。
表層的な話っていうのは、人気ランキングの上位のものを埋めていったら歩み出されるみたいな、アルゴリズム的というか、すごくロジックが明確なんですけど、
破綻するというか、僕は全然面白くないと思うんですよ。別に僕の意見ですよ。それが面白い方もいらっしゃるかもしれない。
だけど僕は全然面白いと思わないっていうだけですよね。虚しくなるんじゃないかなと思います。なぜなら、すごくもうここで勘のいい方は気づいたと思いますけど、
そのランキングってどう作られてるんですか?って話なんですよ。みんながいいと思ったやつですよね。みんなって誰みたいな。
みんながいいと思ったものを別にいいと思わなきゃいけないっていう、法律も宗教もあるわけじゃないですからね。
なんか違うなと思ったら、なんか違うっていいんじゃないですか。っていうところが、この時間間隔にも出てくるような気がするんで、
なんかいろいろリズムやペースがあると思うんですよ。感じてるはずです。でもそれって本当かね?っていうぐらいで疑う方がいいんじゃないかと思います。
これはもう本当に本質だと思ってます。要はその目の前のことを批判的に見て、本当にそうなのかな?みたいなことを、
全部に対してやってたら壊れてしまうかもしれませんが、全部その通りだよねっていう現象、今あるようなものが全部OK、正しい、正解みたいなことはまずないんじゃないかなと思ったりします。
そこを疑えるかがまず本質だったり、問いとか考えることになっていくかなと思います。
幸福とランキングの関係
少しでも今までの話でヒントになれば幸いです。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、主語クリーラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
28:47

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