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はい、こんにちは。平林です。
こんにちは。
3時半。
はい。5回目。
今回は配信されてますか?
されてますよ。配信されています。よろしくお願いします。
5回目のテーマですけれども、不安なことは避けるべき?
不安?
間違えた。
いいんじゃない?直せば。
不快なことは避けるべき?
でも、不安も、不快も、一般的には否定的な感情。
避けた方がいいよねっていう。保護主義的な人はいいよいいよ。逃げな。っていうような感情ではあるよね。
そうだね。自分が守ってあげるから。あえてそういうことをやらなくてもいいんだっていうのね。
だけど、本当に?っていう風にそれを問い返していきたいと。
はい。
思うわけですが、最近のイーノさんを見ていて、敵を知るっていう。敵を知るっていうのはちょっと、なんていうのかな。
何と言えばいいですか。
まあだからあれでしょ。直接的には、私の知り合いの女性研究者、フェミニズムの領域でも研究されている方が、
あるネット上で結構有名なフェミニスト叩きをしている人のターゲットになっちゃって、
で、一体何が起きているのかっていうのを聞かれてね。
それで、じゃあ調べてみましょうって。
リサーチャーだから。その人のTwitterと、そしてYouTubeをすべて見るっていうことをして。
それを私もちょっとだけ一緒に聞いてたんですけど、結構不快で。
これ、すごいこと、もうあんま聞いてられない?
みそ地に丸出しだからね。女性を非常に低く貶めるような、そういう発言の繰り返し、バカにするっていうね、発言の繰り返しだからね。
なんですけど、それを丹念に、淡々とって言うんですかね。
イーノさんが聞いていて、で、全部聞き終わったって言っていて、すごいなと思って。
で、なんでイーノさんはそれができるのかなと思って、嫌じゃないんですか?みたいな。
で、聞いてみたら、嫌とかじゃなくて、やっぱり敵を知らないとね。
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まずは敵がどういうことを言っているのかをよく知ることが大事だからって。
で、別に不快だったり傷ついたりとかしないわけじゃないんだけど、
でも別にそれは、起こること、もし傷を負ったとしても、そういうもんなんだ、みたいなことを言ってました。
言ってた?本当?
戦う上では傷を負わないことは避けられないみたいなことを。
そうなんだ。異性がいいこと言ってるね。
言っていて、結構私そういう時に自分に何が起こるかなって考えたんですけど、
やっぱちょっと嫌だなって思うものをじっくり聞くことってできなくて、
なんでできないかっていうと、嫌だなって感情が湧き上がってきてしまうので、
それを、行動をブロックしてくるんですよね。
で、やっぱり行動というか観察大事だとか、理解するの大事だって思っても、
それが、そっちのブロックの方が強いみたいな。
そういう感覚があるよなぁと思って、
で、日野さんが何が起きているかを知ることは大事だからっていう話を聞いて、
なるほどって思うし、私も観察することは大事だって思ってるんですけど、
今まであんまり嫌なものを観察したことっていうのはなくて、
自分が興味があるものとか、知りたいから、
知りたいなんだけど、そこに嫌なものを知りたい、
敵を知るみたいな感覚が多分あんまりなかった。
なんかさ、フェミニストとして社会批評していくっていう立場からすると、
常に嫌なものを見ている、不快なものを見続けるっていう経験をしてると思うんですよ。
で、これは私が言ってることじゃなくて、
イギリスのフェミニストで、クイアの研究者でもあるサラ・アーメットさんっていう人が、
不快感っていうのは単に否定的な感情ではなくて、
変異な言葉で言うと、私たちの社会の構造を知る契機になるんだっていうことを言ってるんですよね。
その通りだと思ってて。
っていうのはやっぱり、私たちの感情っていうのは、
なんかすごい小難しい話になって申し訳ないんだけど、
内面にある何かっていうよりは、やっぱり社会的文化的に作られてるものなわけ。
だから、自分が今抱いてる感情っていうのは、
例えばこの回のテーマだと不快感。
どうして生まれるんだろうかっていうのを通っていくと、
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その社会の仕組みとか文化の枠組みとかがよく見えるんですよね。
だから、不快感を避けないでっていうか、
分析するためにはそれはもう避けられないなっていうのはあるのかもしれない。
一つには。
で、もう一つ。
だからね、聞きながら、
あれ、私この人のどこに不快感一番感じてんのかなってモニタリングしながら聞いてた。
声の質なのかなとか、
なんかこう、喋り方なのかなとか、
いや、そもそも内容なのかっていうのをモニタリングしながら聞いて、
最終的に結構な時間あったんだけど、
きっとこういうところがすごく不快だって感じたんだろうな。
でも、それって日々、女性として、あるいはフェミニストとして、
社会の中でぶつけられているというか、
向けられている眼差しや言葉でもあるなって、
とても納得した感じで。
何が起きてるのを知りたいって言った人にも、
典型的なミソジニストでしたみたいな感じで送ったんだけど。
だから結構モニタリングしながらあの時は聞いてたかな。
あともう一つは、個人的な反省もあって、
やっぱり差別的な、差別発言なんですよ、要は。
だから、そんな馬鹿馬鹿しい、付き合ってらんないよそんなのに、
何時間も時間を使うのは無駄だって思う自分もいるんですよ。
だけど、そうやってその問題をスルーしてしまうことが、
さらなる問題を引き起こすっていうことを、
私はここ数年のトランスジェンダー差別の状況を見ていて、
反省的にね、学んだところもあるから。
そんな馬鹿なことを言ってることは無視した方がいいってしてきたら、
実はその力がかなり大きかったっていう。
ちゃんと対応しておかなきゃいけなかった。
だから、今現在ミソジニストと対話をしようとか、
そういうことではないんだけれども、
どこかで対話可能性みたいなものを探りながら、
聞いたり読んだりしてるところもあるかもしれないなと思う。
今回YouTubeチャンネル全部聞いたよっていう人には、
あんまり対話可能性は感じてないけれども、
でもその不快感っていうものを避けないで何をしてるのかっていうと、
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敵を知るっていうふうに言ったっぽいけど、その時は。
でも同時にやっぱ対話可能性みたいなものを探ってるっていうのはさ、
今の2つの事例っていうのは、
自分に差別が向けられているっていう意味での不快感だけど、
自分がある種その特権的な位置にいて、
権力関係においてある種リソースより多く持っている側にいて、
自分が話したことが相手に不快感を与えているとかっていうこともあるし、
その結果として相手が抗議をしてきて、
私もちょっとびっくりしたり不快感を感じるみたいなこともあるわけじゃないですか。
つまり自分がある種どっちかっていうと加害側に立つみたいな時もあるわけで、
そういう時に不快だからって避けちゃったらそれは大きな問題なので、
結構日頃からそこは何か意識してるのかなっていうのはある。
やっぱりこういう不快感を避けたりし続けることで、
フェミニズム界隈も、性的マイノリティの運動界隈も、
ある種自分たちバブルを作ってしまったっていうかね、
エコーチェンバーみたいなものの中に絡み目取られていて、
社会の差別構造を冷静に見れてないんじゃないかなっていうふうに思ってるところもあって、
最近かなり批判的に性的マイノリティの運動とかも見てるんだけど、
それもあるかもしれない。いろんなことが多分重なってて。
なので不快なことは避けるべき、避けた方がいい時もあると思うんだけど、
特に運動やってますとか研究やってますっていう人は避けないほうがいい。
避けちゃうことの副作用っていうか、
避けてしまうことがもたらす不正義っていうのにもうちょっと敏感になったほうがいいんじゃないか。
なるほど。これってやっぱり慣れるもんですかね。不快な感情が上がってきた時に。
でも慣れるかもしれないですね。
なんか自分が慣れる。
騎士感があるみたいな感じ?
ああ、こっちのタイプね、みたいな。
そういうふうに思えてくると、少し。
いのさんはよく感情は当てにならないんだっていう話をすることがあって、
その通りだなって思うんだけど、感情っていうのはちょっとしたことで変わるし、
だけどすごくそれに振り回されてしまったりするけど、
大事なシグナルでもあるっていうのはさっきの不快に感じるってことは、
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そこに注目すべき何かがあるかもしれないっていうシグナルでもあるかもしれないし、
不快に感じてる自分の感情もそんなに確かなものというよりは、
ちょっとしたことに反応してるだけかもしれないから、
その正体を突き止めてみれば、また不快に感じなくなったり、
もうちょっと淡々と観察できるかもしれないですね。
だからさ、最近自分が不快に感じたから相手に謝れみたいな、
そういうコミュニケーションがちょっと増えてるのかな、目につくなっていうふうに思うんだけど、
ちょっともったいなくって、それだと。
不快感を感じたってことはやっぱりそこに何か権力関係が働いてるっていうことなんだよね。
それはさ、自分がよりリソースの少ない方に置かれていることもあれば、
自分がよりリソースが多い方に置かれていることによって感じることもある。
両方あるんですよ、さっき言ったように。
だからそこをしっかり見極めないと、
特に自分がより多くのリソースを持っているにもかかわらず、
不快だって思って謝れみたいなことを相手に要求したら、
それは本当に大きな加害行為だから。
で、問題を大きくするよね。
なので、そこは結構意識してるんじゃないかなと。
なるほど。
ちょっと最初の話からずれたかもしれないけど。
冷静に考えてみると、別に不快でも、何か実際にこう、分かんない。
ストレスが溜まったりするのかな。
溜まる、溜まる。
溜まる?
うん、溜まる。
で、発散しないといけない?
うん、だからめっちゃ書く。
それを言動力にするんですね。
やってるか、報告書みたいな。
そうすると発散される?
言語化するとね、私はね。
ああそうか、こういう風なところに私は不快感を感じたんだなっていう。
分析することで、それを和らげていくというか、
別の方向に持っていくっていうことはしてるかもしれない。
なるほど。
でも、やっぱり不快感になれますかって言われると、
あんまりなれないんじゃないのかなとは思うけどね。
ショックはあんまり受けないかも。
またかーみたいな感じかな。
そうですね。
そうかそうか。
なるほど。
ちょっとパターン化していくっていう感じもあるかもね。
そうすると、このタイプね、みたいな気持ちに。
確かに。
そうですね。
不快なことを避けてしまうと、ちょっともったいないっていうメッセージでしたけど、
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大事かも。
本当?
そうかもって思った。
結構やっぱり嫌なこととか、
しんどいこととか、ちょっとでもね、しんどいこととか、
避けてもいいよっていうのが、
道徳的に正しいみたいにされている世の中になってきてると思うんだよね。
それも一面、一理あるというか、大事な側面もあるんだけれども、
でもやっぱり、
それがもたらしている悪影響というか、
停滞させているものっていうのもあるなっていうふうに最近思ってて。
難しいけどね、教養はできないから、
そういうもの見たくないっていう人に教養はできない。
でしょ?
だから難しいなと思いつつ、
でもやっぱりちょっとこう、不快感とか、
ショックとか、
なんかね、そういうものって、
人が学んでいく、新たな視点を得ていく、視野を広げていくために、
やっぱ重要なものなんじゃないかなっていうふうに、
教育に携わる人間としてはどっかで思ってて、
それ自分に対してもそう。
観察者の視点になって対照化すると、
やや冷たい感じかもしれないですけど、
少しそこの感情の影響を抑えられるかもしれないですよね。
でも今回のような攻撃が、
もし自分に向けられたら、そんなに冷静ではいられないかもしれないですよね。
自分に向けられることもあるんだろうなと思いながら聞いてた。
誰にでも向く可能性のあるものなんだろうなって、
それがあるしね、商売みたいな、ビジネスなんで。
注目を集めちゃうと、そういうの向けないとリスクが上がっちゃいますよね。
だってその方がその人も注目されるわけで、
注目されることがビューアー数につながり、
それが収益にもつながっていったりするっていう構造になっちゃってるからね。
そうか。
自分で見れないときは誰かに頼むっていうのは確かに。
そうそうそう。だからちょっと頼まれて、
何人かのツイッターは常に確認して。
で、あ、YouTubeやったぞってすべて見る。
2時間長いと思いながら。
そうですね。
で、記録をとって。
研究だね。
研究ですね。
そう、研究してます。
ありがとうございました。
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では第5回は以上かな。
はい。