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はい、こんにちは。
はい、こんにちは。
第14回目、Reverse Diverse。
Reverse Diverse、第14回目です。
はい、このポッドキャストなんですけれども、今私たちが生きているこの社会で、
多くの人が、これっていいことだよねって思っていること、
これって望ましいよねって思っていることを、ちょっと違う視点から見ることで、
そうした事柄の負の側面というか、ちょっと気をつけなきゃいけない部分に目を向けていこうっていう、
そういう意図を持って話しています。
はい。
なのでね、今日も手厚い方がいいっていうタイトル、テーマですけど、
手厚いのはダメだとか、けしからんとか、そういう話ではなくて、
手厚さを求めていく先で何が起きてしまうのかな、
それで良かったんだっけ、みたいな、そういう話をしていく予定です。
はい。この手厚い方がいいっていうテーマで、最初にお話したいのは、
最近私は小学生の子とか中学生とか、高校生もいるんですけれども、
子供たちにICTの使い方を教えるっていう仕事をしていて、
主にiPadの使い方を、読み書きが苦手な場合に、
iPadを適用具の代わりに使うっていう使い方を教えるんですけれども、
iPadってすごく良くできていて、
アクセシビリティと呼ばれる、画面の文字が読みにくい時に色んな調整をするとか、
入力の方法なんかも色んな方法で入力できるとか、
とても良くできているんだけれども、だからそれを使ってるんですけれども、
これを子供に使うっていった時に、ずっとiPadっていうのも、
ちょっと弊害があるなというように感じることがあって、
それはやっぱりパソコンを使うようになるんですけど、中学生とか。
パソコンっていうものとiPadとかスマホっていうものって全然違うなっていう風に教えていて思うんですけど、
なかなか違うものとして教えないので、学校とかでも教えられないので、
どこがちょっと違っているのかとかいうことが明示的に知らないっていう。
例えば、ファイルの保存っていうものは、スマホなどでは自動保存ですよね、ほとんど。
自動保存でそのアプリの中に情報が保存される。
なのでそのアプリのファイルの形式とか、そういうものっていうのは知らずに済むし、
どこに保存されているかっていうことは意識する必要があんまりないんですよね。
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少し最近はファイルっていう概念もアプリの中から外に出すってことができるようになってきたけど。
写真とかね、画像とかね。
だけど基本的にはあまり必要ないから、そういうこと知らないんですよね。
なのでパソコンに移行したときにファイルが迷子になっちゃうっていうことがよく起こって、
ダウンロードの中に大量にいろんなものが溜まってしまうっていうのが起こる。
それは当然なんだけど、パソコンが少し苦手な人はよくわかると思います。
ダウンロードの中に実はたくさん入ってるってことが知らずに起こって。
どこに行ったんだってね。
インストーラーとかが、一回例えばプリンターを買いました。
プリンターの使うために入れるやつ。
あれを入れなきゃいけないから、押すんだけど何も起こらないぞって。
だから何回も押してたくさん溜まるみたいな。
実はパソコンってすごく自由な道具だから、
システムそのものを作れるし、壊せもするっていう。
なのですごくいいなと思うんですよね。
いいなっていうのは、使いやすいのは多分iPadなんだけど、
導入しやすい。なぜなら全然壊れないからですね。壊せないから。
ファイルを削除はできるけど、アプリ全体の削除もできるけど、
システムそのものを壊すってことはできないから、
だから自由に触ったらいいよって言って教えるんですけど、
どこ触ってもそんなに壊れない。
パソコンはね、いろいろ触ると壊れるんですよね。
ファイルを勝手に消したりするとこだなくなるし。
でもその壊れるっていうことも別の方向から見れば、
それはすごくいいこと。自由になるっていうことだから、
システムそのものも作れるっていう。
つまり、用意された環境の中で、手厚い、準備されたものの中にずっといると、
自分で作り出せるんだっていうことを知らないで、
そのままいってしまうっていうのが懸念点としてあるんじゃないかなっていう。
なんか、若者はデジタル得意だっていう、何ていうのかな、誤解があるけど、
若者が得意なのはスマホアプリだよね。
アプリなんだよね。
アプリをよく知っていて、たくさんたぶんスマホにもタブレットにも入れていて、
それを使ってる。
だけど、若者の多くは実はパソコンは苦手なんだよね。
使えない。パソコンの使い方から教えないと使えなかったりするっていうのが、
同じ話だなと思いながら聞いてた。
アプリっていうのは、非常に限定された目的に特化したシステムなんですよ。
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だから、そのシステムの外に出ることができない。アプリ文化っていうのは。
でもPCっていうのは、システムを自分で、仕組みだよね。
自分で作り出すことができるツールだよね。
そういう意味ですよね。
だからやっぱり、アプリに慣れちゃってると、仕組みが理解できないまま終わっちゃう可能性があって、
それを懸念もしてるし、もったいないって思ってるんだろうなっていうふうに思って聞いてた。
なんかその枠の外に出て、その枠そのものを見るっていうことができた方がいいなと思って。
だから、学校で配布されるタブレットが、
iPadならすごく使いやすいし、理想的だなって思う反面、
それで制約かけられちゃうと、もう出ようがないので、
だけどその反面、WindowsとかChromebookとかの場合って、
多分ハッキングできるんですよね。
そんなに壊さずにっていうのかな。
だから、実はどうやってやってるか、学校の先生も分からないんだけど、
Googleに入れてるとか、スクラッチでテトリスを作って流通してるとか、
そういう学校でどんなことが起きてるのかを聞くと、
枠から出て、なんかやろうって、いたずらいろいろしてみよう、
してるうちに、あ、こうすればいいんだなってことに気づいて、
それってすごく楽しいことだし、自由なことで大事だなって思うので、
だからスマホだけじゃなくて、パソコンっていうものに触れるようにしたほうがいいのかなって。
ただそのアプリっていうのは手厚いのかって言われるとどうなんだろう?
手厚いのかな?ただ単にこう、使いやすいとか優しいみたいな、そっちなのかなと思う。
なんか余計なものがないので、苦手な人っていうか初心者が慣れる上では手厚いんじゃないかと。
ユーザーインターフェースっていうものが考えられていて、
直感的にね、使えるとかね。
説明書がいらないっていうのはそういうことですよね。
なんかそうか、それを手厚いっていうふうに言う人もいるのかなと思うけど、
同時に、個々に応じた、心がこもった対応みたいなのも手厚いって言うじゃないですか。
特に看護の場面とか介護の場面で手厚い看護とか、手厚い介護とか言ったときには、
ただ単に機械的になんかやるんじゃなくて、
その人のことを思いやりながら、その人のなんていうのかな、心も看病するというかさ。
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そういうことがイメージされるよなっていうふうに思ってて。
アプリっていうのはどっちかっていうと、みんなに優しいみたいな。
なんかそういう側面があるのかなと思ってたんですね。
あーなるほどね。それはそうかもしれませんね。
手厚さって言ったときにもイメージするものがちょっとそれぞれ違うかもしれないけど、
さっき言ったように、その人に合わせてみたいなことで言うと、
最近特別支援学級とか特別支援学校を選択する保護者の方からは、
結構手厚い、手厚さみたいなのを重視するというか、
そこがその選択の理由として聞かれるから、そこはちょっと気になってて。
教育っていうものの性質を考えたときに、
なんか手厚さってそんなに重要なんだろうかとかね、
なんでそれが重要になってしまってるんだろうか、みたいなのは考えさせない。
なんかその手厚さみたいなときに、例えば特別支援の文脈だと、
ちょっと勉強の面で、特定のところだけ置いてかれてるとか、
そういうことに目を光らせて、送れないようにバックアップしたり、
サポートするっていうね。
そういう友達との関係も見張ってて、見張ってるっていうか、
そこに目を向けてて、ちょっと調整するみたいな。
だから弾かれないようにっていうのかな。
そういうのを手厚さっていうふうに言うんだと思うんですけど、
なんかその話聞いてると、やっぱりすごく監視になっちゃうよね。
自由に子ども同士が喧嘩できるっていう環境、
結構貴重な、この時代に。
貴重な中でそれを見守りとか手厚さを強めると、
そこに監視が強くなっちゃって、
そういう状態がなくて、できなくなっちゃうっていうか。
起きる前に予防しちゃうからね。
でもそれ結構求めてたりするじゃない。
一人ぼっちだったら声かけてほしいとか。
いじめはね、ちゃんと対応しないといけない、
放置しちゃいけないと思うんですけど、
じゃあ日々それを監視しとくのかっていうと、
いじめの訴えがあったらそこにちゃんと介入しなきゃいけないと思うんですが、
起きる前から監視を強めればいいかっていうと、
それが逆のように感じますよね。
さっきのアプリの話と関連すると、やっぱり枠を決められた枠の中で、
すごくどこから出られないっていうか、
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あなたに会った場所っていうのはこういう枠ですよっていうふうに決められてしまうと、
それがすごく制限されちゃって、
交流の時間っていうのは週に1回決まった時間。
そういうふうに限定されてくるので。
あと枠の作り方も他にもありますよね。
つまり、喧嘩するのは良くないことだとかね、
休み時間に一人で過ごすのは良くないことだとかね、
基本も枠になって、その枠からちょっとでもはみ出てると問題だというふうに捉えて、
介入が入るってことですよね。
優しく介入しようが、丁寧に介入しようが、介入は介入で。
教室から飛び出してしまう。
飛び出してしまうっていう表現もまた、
なんかすごく危ないことをしてるような表現になってるけど、
どっちから見ての表現かっていうね。
そこにいられなくなって逃げてるわけですよね。
自由になるために。
だから、教室から出るっていう選択をしていて、
それをすぐに見張っていて連れ戻さなきゃいけないのかっていうふうに。
だってそこが苦しくて、ちょっとホッとするために出ていってるかもしれないから、
むしろ、少しホッとしてからまた帰ってきたい時に帰ってきた方がいいはずなんだけど、
それが許容されないですよね。
許容したら次はホットルームみたいなのがホッとする。
この場所ならいいよ。
落ち着く部屋っていうのが決められてね。
全てが悪いとかそういうことではなくて、
やっぱり、学校っていくつもいくつもそういう枠を作って、
その中で子どもたちに、はい自由にしなさいっていうふうに言ってるようには見えますよね。
そういう意味ですごく、やっぱり必要な部分もあるとはいえ、
保護主義、このポッドキャストで何度も話題になってるけど、
保護主義が非常に強い場所の一つで、
しかもそこに正当性があるから、特に対子どもだから、
保護しなければいけない。
教員は、教職員はね、子どもを保護する役割も担っているっていうのがあるので、
正当性が高くって、
で、その子どもの側にの自由を奪っているとか、
子どもから決定権を奪っているっていうことへの、
その意識が希薄なんじゃないかなっていうね。
そうですよね。学校のギガ端末見てると本当に感じる、
その決められたものしか使えないようにしてあって、
必要なものは全部新生性で、
なんならコピーペーストをできないみたいな、
そんな制約もかかってたりして、
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これは困ったな、全然自由にできない、
やりたいことができないっていう状態の中で、
はい、この中で自由に探求していいですよみたいな。
探求自由。これできないよね、探求って。
このカチガチのものの中で。
ちょっとすごい矛盾を感じながら、
学校を観察してるんだけど、ここ数年。
でも似たようなことは大人の世界にもありますよね、きっと。
決められた枠の中で生きている、あるいは働くことになっていて、
そこから出てしまうと、すごく不利益をこむってしまったりとか、
評価を下げてしまうかもしれないっていう恐れがあって、
なかなかその枠内でも自由にできないし、
自分のことなのに自分で決めることができないみたいな、
そういう状況に陥っている大人も、
なんか同様にいるなというふうに思ったりするんですよ。
なんかあの副業禁止みたいなやつって、
だから公務員はわかるんですよね。
公務員っていう制度そのものが、そういう制度でしょ。
だけどその普通の利益を追求する会社に、
資本主義の中で、なんでそれって、
そんなふうに強いる権利が会社側にあるのか、
ちょっと不明だよね。
不明だね。
就業時間外でね、何をしようが自由なはずなのに。
確かにね。
でもね、言うこと聞いてる人多いよね。
不利益こむっちゃうからかもしれない。
まあそうなんでしょうね。
だけど一回枠から出てみると変なのってね、思ったりします。
だからそういうその、なんていうのかね、
やっぱり不利益をこむりたくないからっていう気持ちもあるだろうし、
やっぱり安全であることとか、
安全性だよね。
安心していられることとか、
安心感みたいなものが、
自由とか主体性とかね、
自己決定よりも優先されてしまうっていう状況って、
なんか所々見えていて。
それってまあ確かに、
社会ギスギスしててさ、
どこにも安心できる場所がないみたいなのは私も嫌だけど、
でも安心求めすぎちゃって、
あるいは安全性を求めすぎちゃって、
一定の枠の中でしか暮らせないとか、
そこから出るという自由が制約されちゃうみたいなのって、
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なんか本末転倒な気もしますよね。
よく平昭さんはゲイテッドコミュニティっていう、
自分たちの地域には門があって、
柵で囲われていて、
門のところには守衛者みたいな人もいて、囲われた、
その中は安全という風にされているコミュニティを批判してますけど、
なんかそれって、
社会全体の安心空間というか、
インクルーシブな社会を作っていくっていうことに貢献してないよねって思っちゃうんですよね。
自分たちだけ安全だったらいいってことですかね。
つまりその外側にはたくさん危険な人がいて、
それを囲って、その中だけ安全にして、
そこには入ってこられないようにすればいいんだ、
排除すればいいんだっていう論理がどんどん強まってるように感じて、
なんかこの間もスタバのトイレ、
アメリカのスタバのトイレのニュースを見て、
利用しているお客さんしか使えないように今後していくっていうような、
それって社会の安全性っていうか、
脅かしてるんじゃないかなって思っちゃう。
なんていうのかな、今のコーヒーショップの話だと、
コーヒーショップもコミュニティの中にあるわけでしょ。
コーヒーショップ単体で成立してるわけじゃなくて、
その場に身を置かせてもらって、商売が成立してるのに、
実際にコーヒー買ったその日に、その時間帯に買ったお客さんしかトイレ使えませんよって、
本当におかしい話なのに、意外とそれ通じないですよね。
多分ね、いやだってそんな勝手もない人が使うみたいに、
多くの人が思うんだろうなと思う。
でも困った時は使いたいじゃんって。
そう、トイレ、もう大変、結構緊急事態みたいな時があるのにね、
いやコーヒー買ってくれないと使えないんで、
長い列並んでくださいって言うんですかね。
なんか普段トイレ借りたし、ちょっとコーヒー買って帰ろうかなとか、
それ言うもんじゃないですかって思っちゃうんだよね。
視野がすごい狭いですよね。
安心・安全みたいなのを考える時の視野もすごく狭くて、
なんか自分の子だけ安心・安全だったらとか、
自分の家族だけ、自分のコミュニティだけ安心・安全だったらって考えてて、
でもそれじゃ成立しないじゃないですか。
いつまで経っても不安は解消されないから、
もっと構造に目を向けて、仕組みに目を向けて、
それこそアプリの枠を出て、自分でシステムを作る側にならないといけない。
で、安心・安全なシステム、社会のシステムどういうものだろうかって議論していかないといけないのに、
なかなかそっちに開いていかないっていう。
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そうなんですよ。
私もインターネットで偽サイトから物を買っちゃって、
詐欺に遭ったことあるんですけど、
そういう経験ってすごく大事で、
それが何千万円も、自分の所得全部失ったとかいう話って大変だけど、
別に数千円で、明らかによく考えればおかしいんだけど、
騙されることがあるわけじゃないですか。
それを知っておいて、それを私はよく他の子に、
実はこないださーって言ってシェアして、
そういう風にしていかないと、
じゃあ、クレジットカードを使うのは危ないから、一切やりません。
とか、こういう自由なサイトにアクセスできては危ないみたいなことでは、
教えられないんじゃないですかって。
だから、そういう痛い目に遭うこともあるけど、
それが致命的にならないようなシステムにしておかないといけなくてね。
うちの父親も、私が生まれる前後ぐらい、生まれた後なのかな、
結構な詐欺に遭って、
それはあんまり詳しい話しちゃいけないかもしれないけど、
やっぱりそれが今の職業、今もう引退したけど、
地道に働くようになったきっかけでもあるんですよ。
先に会った後に、何て言ったんでしたっけ、お父さんが。
ん?なんか言ってなかった?やっぱり地道に働かなきゃいけないなみたいな。
そうそうそうそう。だから簡単に稼げるような、
そういう仕組みっていうのは、仕組みっていうか仕事はなくって、
やっぱり、人の杖頼って、
うちで働けよって言ってる人がいるんだから、言ってくれてる人がいるのが、そこで働き始めて、
そこから徐々に徐々に、自分でも、自分はこういうの得意なんだなとか、
こういうことをやってると、しんどい時もあるけど、楽しい時もあるんだなとか、
工夫したいって思ったりするんだなっていうのを発見していって、
その後の職業につなげていったと思うんですよね。
それすごい大事だなって。
その時はすごい致命的だったと思うけど。
でもなんかそこで騙されたから、くそ、自分も騙してやるっていう風に、行かない?
行くと、どんどんゲートをたくさん作ってるみたいな。
向こうがゲート作ってくるなら、こっちもゲート作って。
変な対抗意識だね。
そういうのがやっぱり戦争に、そういう発想が戦争につながるのかなみたいに思ったりして。
そっかそっか、わかりませんが。
大きな話になっちゃいましたけれども、
まあね、安心、安全を一定程度ね、維持していくとかいうことも大事だし、
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まあその中で、手厚さみたいなものが求められる側面ってあるんだろうな、
それが必要な人もたくさんいるんだろうなと思いながらね、
やっぱり放置されてきた人っているでしょ?
今も放置されている人とかって。
だから、難しいテーマだなと思いながらも、
それがね、より広く社会の中で重視されていって、
さまざまなところに埋め込まれてしまうことで、
なんかおかしなことが起きてるんじゃないの?っていう、そういう話でした。
はい、では本日もありがとうございました。
はい、だいたい20分とかね、30分ぐらいまでには終わらせたいよね、みたいな、
そんな感じでやってますので、ご飯作りながらとか、掃除しながらとか。
なんかこういう聞くコンテンツっていいなって思うのは、
何か家事をしながら聞けるんですよね。
なんか日本はポッドキャストの文化じゃないよね、みたいなことを最近言われてね。
で、アメリカなんかは車、社会だから車運転しながらみんな聞いてるけど、
日本は電車だし、みたいな。
だから動画の方が人気あるんじゃないか、みたいに話してたけど、
でもやっぱり多くの女性たちがどうやって生活してるのかっていうのを考えたら、
やっぱね、こういうポッドキャストっていいような気がするけどね、
動画見ながらやっぱりご飯作るってなかなかちょっと難しかったりするからね。
テレビ見ながらできるかもしれないけど、見てないよね、その場合は。
聞いてるんだと思う。
なんか掃除しながら洗濯して、子供もあやして、みたいな、
そういう時にちょっとね、聞いてもらえたらなと思ってやってます。
ぜひ何かしながら聞いてください。
はい。
はい、では以上です。