レジリエンスの重要性
はい、こんにちは、平林です。 こんにちは、委員のユリコです。
はい、えー、今日はですね、このポッドキャストの25回目と。
はい、あのー、新シーズンの25回。
あ、そうです。シーズン4の第24回目と。
あ、25回目。いい間違えちゃった。
25回目となっていて、一応あのー、えっとー、このシーズンは、
これで一区切りにしようかな、みたいな感じなんですけれども、
最後のこのシーズン4の最終回。
締めにふさわしいテーマ。
はい、まあですね、レジリエンスは大事?というもの。
よく聞くよね、最近ね。
しました。
大事の逆だから、それって逆じゃない?っていうこと?
うーん、どうなんだろう?って感じかな。
あー、なるほど。
そんなもんあるか?っていう話?
うーん、それはそれであるかもしれないけど、なんかそこよりはこっち?みたいな。
あー、なるほど。
はい、感じで、これをあのー、持ってきた背景を説明していくと、
先日あの、プレジデントオンラインっていうウェブの記事で、
何があっても心が折れない人はこれが圧倒的に強い。
面倒な人とは縁を切るが正しくない心理学的理由。
っていう記事が出ていて、
副題がですね、逆境に強い人が持つ八つの心理傾向っていうもので、
元々のところで私がどこに引っかかってこの記事を読みたいと思ったかっていうと、
面倒な人とは縁を切るが正しくない心理学的理由。
っていうふうに書いてあって、
あの最終的にもここなんじゃないかとも、
まあ結論部分を言うとそうなんですけど、
でもこの記事を読んでいくと、どちらかというと、
何があっても心が折れない人はこれが圧倒的に強いっていう。
まあよくある記事だよね。
そういうレジリエンス部分の方を強調して。
大して役にも立たない。
いやわかんないと書いてあって、
これをちょっと紹介していこうかなって。
わかりました。
まあ心が折れるっていうことが出てくるんですよね。
そのレジリエンスが低いと、
ポキンと折れちゃうってことね。
レジリエンスが高いってことは、
まあ折れそうなんだけど、
そっからグイーンと柳のように持ち上げて回復する。
そういう人っていうのはどういう要素を持っているのかみたいなことで、
逆境に強い人に共通する心理傾向をやっつっていうことで、
この記事を書いている方が抽出しているものとして。
一つ一つ見ていきましょうか。
さまざまな研究をもとにって書いてますね。
そうですね。
多分この記事を書いている方は心理学博士なのかなって、
心象を書いておられるんですね。
その心象の中でさまざまな研究から、
その8つの要素を抽出して紹介しているんじゃないですかね。
例えば、8つのうちの1つ目は自分を信じて諦めない。
2つ目は辛い時期を乗り越えれば、
必ず良い時期が来ると思うことができる。
ポジティブだってことだね。
3つ目が感情に溺れず自分の置かれた状況を冷静に眺められる。
確かに。
そして4つ目が困難に立ち向かう意欲がある。
1番目の信じて諦めないとどう違うのかがわからないけど。
そして5つ目失敗に落ち込むよりも失敗を今後に生かそうと考える。
辛い時期を乗り越えればどう違うのかっていうポジティブ。
失敗を悪いこととしてというよりは今後の学びとして捉えるってことでしょうね。
失敗は成長のもとってやつだね。
6つ目が日々の生活に意味を感じることができる。
なるほどね。確かに感じないとポキンといっちゃうのかもしれない。
そして7つ目が未熟ながらも頑張っている自分を受け入れている。
完璧主義じゃないみたいなことかな。
そして8つ目が他人を信じ、信頼関係を築ける。
そういう人が心が折れにくい。
何か失敗をしてもまた戻って、グインと立ち直れるみたいな。
こういう項目を見た時に、なるほどそうかもなと思いながら、
ただこれって結構そんな難しくないんじゃないかなというか、変な言い方ですけど、
比較的こういうポジティブさっていうのは持てるよねって。
確かにね。ポジティブ思考みたいな流れの中ではよく言われてるし。
失敗から学ぶとか、諦めない人が成功をつかむとか。
普通のことだよね。普通に言われてることだよねっていう意味でね。
でも私が知りたかったのはこの記事のタイトルに出ていたこの後の部分。
面倒な人とは縁を切るが正しくない心理学的理由って書いてあったから、
この記事をですね、4つのページに分かれていて、
リンクから行くと4から始まるっていう、なんていうのかな。
そこだけ読ませたいんだね。
4から見たから、今紹介した部分から読んだんですけど、
私が知りたかったのはこれではないなと思いながら前に戻っていったんですね。
それで、1個ページの前に行ってみると、
そこにはですね、コミュニケーション力が高い6つの要素っていうのが、コミュニケーション力ですね。
これも始めから読まないと本当はいけないんだけど、
不安の強さっていうものがこの記事では、最近の多くの人が不安が強くて、
それを悩みとして感じてるっていうことから、
自己肯定感が低くなっているっていう。
日本人の欧米とか他の国と比べて、若者の自己肯定感の低さみたいな調査を引いているんですけど。
なんかさ、アメリカもZ世代は不安が大きいっていう調査結果出てるんだけど、
それが自己肯定感の低さにつながってるのかな。
それちょっと今度調べてみよう。
でも日本では言われてますよね。
その辺のいろんなロジックは置いておいて。
すいません。
大事なんですけど、その話はここでしたいかというとそういうわけではなく、
私がすごくこれだよねと思ったのは、
コミュニケーション力のC2尺度で示されているこの方が抽出した6つの因子っていうところで、
6つあるので紹介しますね。
①社交力。
慣れない相手に対しても気遅れせず場にふさわしい会話ができる性質。
②自己開示力。
自己防衛的に身構えず、
率直に自分をさらけ出す性質。
③自己主張力。
自分の考えを理路正々と表現し、相手に説得的に働きかけることができる性質。
④感情表現力。
自分の気持ちをうまく表現し、相手の気持ちに訴えることができる性質。
⑤他者理解力。
周囲の人に関心を持ち、相手の気持ちや考えを汲み取ることができる性質。
⑥傾聴力。
相手の言葉にじっくり耳を傾け、相手の自己開示を引き出す性質。
これがコミュニケーション力の尺度として抽出しているという項目で、
面倒な人との関係性
これ見たときに、
ああ、これってイーノさんがやってることだなと。
そうですか。
実践してることじゃないってちょっと思ったんです。
で、ちょっとイーノさんと話してみた。
私でもめっちゃ不安高い方ですよ。
これと不安が関係してるかっていう話はとりあえず。
置いといて。
置いといて、私が引っかかったタイトル、さっき言いましたけど、
面倒な人とは縁を切るが正しくない心理学的理由。
つまり面倒な人と縁を切ってしまうと、
それは楽なことなんですけど、
だけどそうやって、なんていうのかな。
自分自身もそれを知ることができないというか、
この人面倒な人だっていう風に片付けてしまったら、
その人が一体どういう人で、
なぜ面倒な行動をしているのかっていうことを知る機会がなくなってしまう。
そこをなんか一歩踏みとどまって、
相手を理解しようとする姿勢っていうのが、
あ、イーノさん悪いよねって思うことがあるんですね。
なるほど。
だから人をあんまり切り捨てないっていう。
で、そういう話をちょっとしたことがあって、
で、そのなぜそういう、なんていうのかな、
ちょっとこう、自分が対応しきれないぞとか、
引き受けきれないなみたいな人間関係上の素子とかあるじゃないですか。
その時に、なんていうのかな、
私だとちょっと距離を取ってしまったり。
でもさ、距離を取ることと、この円を切るとか、
切り捨てることはやっぱ違うから。
もちろんそうなんです。
だから距離を取るのは大事なんだけど、
だけどそれが円を切る方向に流れることも。
フェードアウトってやつね、いわゆる。
あって、それはなんか一般的には、なんていうのかな、
心理、心理の領域だと枠を守って、
例えばカウンセリングする方とかですね、
枠を守って、時間を決めるとか、
そういう距離の取り方っていうのがあるわけですけど、
でもそれをなんかやりすぎてしまうと、
相手のことを、
理解し損ねるよね。
そう、し損ねるよね。
関係性は気づけないよね。
そうそう。
だからそこはなんか、自分の役割とか関係性によっては、
そういうのをちょっと意識した方がいいよなっていう風に感じていて、
だけど、そっちの距離を取る方が楽なんですよ。
まあね。
楽っていうか、しやすいというか、
面倒には巻き込まれないかもね。
どちらのその修行を、両方とも修行だと思うんですけど、
確かに。
うまく距離を保ちながら、
円は切らない、もちろん円は切らないんだけど、
距離を取りながら、相手と過ごしていくっていう、
そういう修行と、
もう一つはそこで相手を一歩理解していくために、
例えば、自分がちょっと居心地悪いなとか、
嫌だなって思ってもそこに留まる力っていうんですか。
前にこのポッドキャストでも話したことありますけど、
なんか熱弁振るった記憶がある。
なんかそれが、この慣れない相手に対して話をするとか、
それはできるんですけど、比較的しやすいけど、
なんか自己開示力とか、つい防衛にしてしまいそうな状況になったときに、
率直に自分の考えてることとか、感じてる気持ちをさらけ出すみたいなことって、
ちょっと難しい修行としてはですね。
私にとってはちょっと難しいタスクというか、だなーって感じてたり、
主張も、なんていうのか、
やっぱり自分の主張っていうものを、
アサーションとかでよく、自分の主張をすることの大事さみたいなのを言われますけど、
やっぱり相手のことを受け入れる方が簡単で、
自分の主張をする方が難しいよねって。
それは人によるのかもしれないけれども、
一般的にそうじゃないかなと。
ちょっと自分が我慢できるなら我慢する方が簡単で、
そこで一歩相手にちゃんと説明したり、
自分がこういうことを考えてるんだってことを率直に言うっていうことは、
レジリエンスの重要性
難しい面があるよねと。
難しいと思う。
特にこの下に感情表現力が4番目ですけど、
自分の気持ちっていうものがややこう、
自分が客観的に考えてもちょっとネガティブなもの。
それってしまっといた方がいいんじゃないのっていうようなものを、
相手に伝えることもまた大事なことだなっていう風に思う時があるんですけど、
それはしまっておくよりもやっぱりよっぽど難しいっていうか。
だけどずっとしまっとくとあんまり体に良くなかったり、
関係性をだんだん壊してくるよねっていうような感じもしていて、
だから相手を理解するっていうのは、
自分が相手の言ってることを全部飲み込んで、
受け入れてっていうことだけではないよねっていう風に感じるんですよね。
そこでそれを、そっちのレジリエンスっていうのかな。
最近子どもの権利の文脈でネガティブケーパビリティっていう。
そういううまく解決できないようなものをそのまま持ち続けて。
とどまり続けるみたいなね。
それにちょっと近い難しさがあるように思って。
それをなんかちょっと井野さんの実践を見ていると、
そこをちょっと逃げずにやるんだなっていう感じがしていまして、
そのあたりちょっとどんな風に。
あんまり自分で自覚してないからなっていうのは一つあるけど、
いろいろと思いついたところから言うと、
以前同僚に言われたことがあって、
他者を理解するプロセス
そうなのかなっていう風に思ってるのは、
井野さんは人をもっと理解したいっていう人への関心興味っていうのがありますよねみたいな。
で、その人はあんまない方らしくて、
だからそう言われたことがあって、そうなんだと思った。
自分ではそんなに気にしないっていうかね、
自分が基準だからと。
でもそれ私も感じますよ。井野さんは知りたい。
なんでっていう風によく言っていて、
それ考えてもわからない、聞いてみないとわからないんじゃないかなとかって返すんですけど、
でも知りたいっていうその気持ちが。
結構強いのかもしれない。
相手を理解したいっていう。
なんかその前のめりじゃなくて、
でも理解するには結構時間かかるから、
本当に毎週2時間ぐらい話してる人とかもいるし、
それでもまだよくわからないなみたいなところもあって、
でも徐々にわかってくるところもあってみたいな。
なんかその理解できないような、例えば説明とか対応された時に、
そこでまた踏みとどまる力っていうのが、
ちょっと必要だったりしますよね。
そうね。だからそこでなんかこう、なんていうのかな、
全て納得したいとか思ってるわけじゃなくて、
ああそういう風に思うんだねとか、そういう風に感じるんだねとか、
そういう風に受け取るんだなーみたいな、
こういう揺れがあるんだなーみたいなのを見てるかもしれない。
ですよね。話しながら。
ただそれをしながら苦しんでもいるよねっていうのも感じるときはあって、
やっぱそれすごくやっぱり修行としては難易度高い修行。
修行。まあね、やっぱりその、ここだと、
あれさっきのところかな、ちょっと客観的にっていう差のありましたよね。
色整然とですか?
多分その8つの、レジリエンスの8つの側面みたいなところだと思うんだけど、
大事だけど結構難しいなって思ったのは、
感情に溺れず、溺れずっていうか左右されず、巻き込まれずに、
何が起きてるか、状況を冷静に眺められるっていうのはすごく大事な要素なんだけど、
結構難しいから、自分自身もちょっとしんどいなっていうふうに感じることはあるんだと思うんだよね。
なんかこれも今聞いてて思ったけど、どこが難しいって感じるか個人差ありそうですね。
私感情に溺れず自分の置かれた状況を冷静に眺める方が多分しやすい。
ね、そんな感じしてる。
結構平昭さんに相談したりするのは、
自分がこうちょっと感情に巻き込まれているというか、
ちょっと冷静さを失ってるなみたいな、合理的に考えてないなみたいな時に、
平昭さんにちょっと相談して、合理性を取り戻してるみたいなところあるかもしれない。
だから合理的に考えすぎると、そのプロセスが踏めないっていうか、
その人を理解するために一周、一緒に回ってくるみたいな。
そうそうそうそう、そこそこ。
だから私ができるっていうか、なぜかできるのは、一緒に一周回るっていうことだと思うんですよ。
以前そのコミュニケーションっていうのは、
暗いトンネルの中を一本のろうそく持って、
あっちかな、こっちかなって歩くような、二人で歩くようなものなんだっていう話ありましたけど、
それならできるよっていう感じ。
でもどっちに行けば出口につながるかは私には示せない。
それは多くの場合、自分が決めなきゃいけないことだから、
人の人生においては。
それはできないんだけど、
一緒に歩くことはできるよっていう感じかな。
確かにそれ結構難しいんだよって言われたらそうなのかもしれないけど、
私にできるのはそれだけっていう感じはする。
うつからの回復
なんかその比較的合理的な理由からそのプロセス回るっていうのはできるんですけど、
ものすごく不合理な、なんかそれをやれるかっていうと、
そこに合理性を求めちゃうところがあって、
だから何の意味があるんだろうっていうことができないっていうことって、
最近の傾向としてあるんじゃないかなっていう話もしたことあるかもしれないんですけど、
自分にとって価値のないもの、価値がわからないものを知る機会ってすごく大事だよなって私は、
やっぱり最近感じるっていうか、
だから自分が興味のあるものや、いいなって思うものだけをやる。
何かそういう人の話を聞くとかではダメなんじゃないかっていうふうに思ってはいるんです。
思ってはいるんだけど、実際にテミナーとかだったら別に、
少し興味がなくても聞いてみようみたいな、そういう心構えだけでそういうことってできるけど、
もう少しなんかちょっとこう、ハードな修行場面では、
ちょっとこれ合理的じゃないんだけどっていうときに、
そこで一緒に一回りしてくるっていうことが、ちょっと人間の深み的にないのかなって。
生活書院っていう出版社が年に1回支援っていう雑誌出してて、
今年ちょうど15周年なんですよ。
私は2号からエッセイ書かせてもらってて、
一番最初に書いたエッセイがね、今の話と関わっていて、
今思いついたんだけど、そのときはやっぱり支援って一体、
自分にとって支援ってどういうものなんだろうかっていうのをそのエッセイで書いててね。
支援っていうのはやっぱり大変な状況に置かれている人がいる。
もうその人は溺れてるわけ、そこでね。
それでそれを助けようと思って、自分も水の中に海の中に落ちちゃって一緒に。
で、2人でアップアップしながら、溺れそうになりながら、
なんとか浮いた状態を保とうとするっていう、
そういう側面があるんだみたいなことを書いたことがあるんですよね。
それに近いかもしれない。
自分も別に溺れ死にたくはないんだけど、だからギリギリのところで一緒にこうアップアップして。
下手に専門性みたいなものをもっとそこでは一緒に入ってはいけないんだっていうふうに教わるわけですよ。
で、なんか捕まれるものをまずは投げるとか、なんかSOSをするとか。
それで助かる人はいると思うんだけど、
実際生きててね、結構いろんな複雑な困難に直面してる人いてさ、
それじゃあ難しいよっていう人いるんですよ。
その時はもう引きずり込まれる時だったかもしれないし。
で、そこで自分が何できるかなっていうと、
自分も溺れずに、相手も溺れさせずに、とにかく一生懸命足掻いてプカプカ浮こうとするだけかなと。
なるほど。でもそういうことです。
つまりちょっと専門性とか合理性みたいなものがそれを邪魔する?
じゃあ私合理的じゃないっていうことか。
そうじゃない?そういう時合理的じゃないんじゃない?
でも合理的じゃないからこそ得られる、何というか、知見というか人間理解みたいなものがありそうだっていうことですね。
なるほど。
それが、例えば信頼感、人を信じたり、社会を信じたり、みたいな話が井野さんとしたことあって、
なんかそれ私にはまだピンときてないところもあるかもしれないんですけど、
この話どこからするとうまく話せるかなと思いますが、
なんかそういうその、自分が溺れそうになっている時に、
誰かが助けてくれたっていう経験そのものを必要としている人がいるっていう、
それが社会への信頼を取り戻すことになるんじゃないかみたいな話を前してましたか?
えーどうだろう。ちょっとよくわかんないけど。
でもね私自身がそのうつ状態で結構何年もしんどかった時期があるでしょ。
うつ状態って一体何が起きるのかなっていうのを一言で言うと、
社会への信頼をなくしちゃうっていうことなんですよ。
もう誰も自分を必要としてくれてないだろうとか、
誰も私のことを助けてくれないとかね、
あるいはむしろその私がこういう大変な状況になってみんなざまあみろって思ってるんじゃないかとかね、
そういう信頼、他者への信頼とか社会への信頼、社会も私を見捨てるんじゃないかとかね、
そういうのが強くなるのがうつ状態なんだなっていうのを経験して、
その時はそこまで言語化できなかったけど、後で振り返ってね。
それで自分がうつ病から回復していくプロセスっていうのはまさに、
他者への信頼とか社会への信頼を取り戻していくプロセスだったとは思う。
その時にもちろん助けてくれた人がいるっていうことも大事なんだけど、
その助けるって言った時にさ、なんかすごい浮き輪を投げてくれたりとかさ、
救命ボートで助けに来てくれるとかそういうんじゃなくて、
私の場合は一瞬飛び込んでくれる人はあんまりいなかったかなと思うんだけど、経験的には。
でもずっと、「おい、大丈夫?大丈夫、見てるからね。」みたいな感じで、
眺めてくれてる人はいたのかなと思うの。そこでね。
なんか自分も何もできなくて申し訳ないんだけど、でも声はかけ続けてくれるとかね。
なんかそういうのは、その時すごいありがたいと思ったわけじゃないんだよ。
もっと助けろって思ってたと思うんだけど、もうちょっとプロアクティブに助けてよって思ってたかもしれないんだけど。
振り返るとそうやって、私もそういう時期がありながら、
孤独感と支援
その関係を、この記事の言葉だと、縁を切らずに、関係を断ち切らずにいてくれた人が何人もいて、
特に何を具体的にしてくれたっていうわけでもないかもしれないけど、
いてくれた人がいるっていうのは大きかったかな。
で、そのトンネルの話と重なるんだけど、私が大学院の時に先輩に教えてもらった言葉ですごく印象的なのが、
やっぱりそのうつ病とかうつ状態とか、すごくこうしんどい状況になった人がいた時に、
周りの人ができることっていうのはあんまりないんだよっていうね。
その人を助けてあげようって思っても、なかなかそれはできないんだ。
その人は真っ暗なトンネルの中を一人で歩いているんだと。
さっきのね、コミュニケーションの話と矛盾してるかもしれないけど、
その話は一人で、その人は真っ暗なトンネルの中を出口どっちだろうって思いながら、
すごくこうね、孤独感を抱えながら歩いている状態なんだと。
で、友人できるのはトンネルの出口で待っていることなんだって言われたんだよね。
で、それすごく心に残っていて、で、それは私できるなって思った。
で、もう一つ自分にできるとしたら、いつもいつもじゃないかもしれないけど、
さっきのようにトンネル、その人も孤独の中歩いている。
だけど私も時々は、24時間じゃなくても時々は一緒にこう、
ろうそくをね、握って、で、あっちじゃないこっちじゃない、
足元気をつけてね、みたいな、水飲むとか、
そういうのはできるなっていう感覚を今は持ってる。
それしかできないっていうことで。
それがやっぱり、どんな人を出会っても、
まあ、縁ってそういうものだからさ、切れるようなものじゃないっていうかさ、
常に他者はさ、向こうから到来してくるっていうか、
だからそれが縁なんだと思うから、
それにじゃあ自分がどう倫理的に応答するのかっていうと、
そういう応答の仕方しか、私はねできてないなって思うけど、
平橋さんの目から見ると、いやそれなかなかできないよっていうことなんだなって、
今日改めて思いました。
コミュニケーションの重要性
そうですね。この記事に最後に戻ると、
この記事の元々、その前の前ページには、
まあ、なんか積極的に関わらなくても、
無難に関わるっていう、切らずに、
まあやや距離を取るのと似てるかもしれないんですけど、
結構その、なんていうのかな、
それを意識すると言うんですよ、
完全に切るところまでグンと行くんじゃなくて、
手前で踏みとどまる、
その踏みとどまる距離は、
なんかどのとこなのかは比較的なんていうか、
グラデーションがあるよね。
修行の処方的なところだと、ちょっと比較的遠目だけど、
自分は船の上にいて、ぐらいがいいかもしれないね。
そういう、親しい人と仲良くするのも、
これは多分学生さんに向けて書いてるんですけど、
親しい人と付き合いを大事にするのはもちろんいいんだけど、
そうじゃない、特に親しいわけじゃないかったり、
ちょっと厄介かなって思うような人とも、
関わりを持つっていうことの大事さみたいなのが書かれていて、
それが多分コミュニケーション力っていうものとの関係っていうものを、
なるほどね。
言ってるのかなっていう。
なるほど。
やっぱりコミュニケーション力とかコミュ力っていうのがさ、
すごく賄賞化されて今、語られてるじゃないですか。
そうですね。
人前でうまくしゃべれる人とか。
すごく自分がポジティブにそこに関わりたいときに発揮されるものみたいなね。
でも、この記事を書いている人が言ってるのはもうちょっと広いというか、
そういうことなんだろうね。
人との関係性を築いていくとか、
より多様な人たちを理解していくための手段みたいな。
というわけで、今日のテーマはレジリエンスは大事でしたけれども、
レジリエンスは大事っていう話だったかもしれないけど、
レジリエンスっていうものもちょっと。
個人主義的なね、なんかそういう力がその人の中にあるよっていうような感じだけど、
もうちょっと違うものとして捉えてるかなと思う。
応答可能性みたいな難しい言葉だけど。
関係性とか、関係性の中でやっぱりそれは発揮されていったり、
発揮できない状況になったりするものだから。
レジリエンスって言ったら立ち直ってまた立ち向かっていくみたいなイメージがあるけど、
そのままちょっと低空飛行でそこでいるみたいな。
そう、低空飛行結構大事ですよ。
というわけで、シーズン4は〇〇って逆じゃないっていうことを、
逆っていうか〇〇って何とかって言って、それって逆じゃないか。
そういうことをお話ししてきました。
面白かったです。
面白かったですね。
次のシーズンをまた企画を立ててやりたいと思いますので、
まだ考え中ですよね。
うん、はい。
はい、また告知しますので聞いていただけたらと思います。
はい。
はい、それではどうもありがとうございました。
ありがとうございました。