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2024-07-15 32:37

#73 ここでも微妙を吐露。『躁鬱大学』その6までを読んで

『躁鬱大学』坂口恭平

note: https://note.com/kyoheisakaguchi/m/m17c5c94dfa47

book: https://amzn.asia/d/0bvVFw9R


『神田橋語録』 神田橋條治

PDF: https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf


最近微妙なんっすよね〜/『躁鬱大学』との出会い/共感①映画評をしたくなる/②大勢いたら黙る/③和を大切にするので我慢してしまう/③親のせいにする/④“きちんと”や“ちゃんと”が窮屈/⑤言語とは、言葉ではなく感覚/吐露しても良い


Podcast内でも言っていますが、僕は躁鬱病ではないと思います。しかし、その気質は少なからずあると思っていて、共感したので話しました。

整合をとれてない部分もありますので、あくまで独り言としてお楽しみください。


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00:00
こんにちは。意外と適当人間です。ゆうじです。
それじゃあ、今日もよろしくお願いしまーす。
りゅうちゃんの独り言
今日は、微妙だなーっていう話で、なんかね、微妙なんですよ。微妙。
このニュアンス難しいんですけど、なんかね、かもなく不可もなくみたいな感じなんですよね、最近。
まあね、元気なんですよ。体調もいいですし、元気なんですけど、みたいな。けどが入っちゃうみたいな感じなんですよね。
っていう段階を超えまして、そうなんですよ。超えてはいるんですけど、なんかすごく微妙だったんですよ。
家庭教室とかさせてもらってて、それは全然こっちの気分で、それをいかないとか、ないがしろにするみたいなことはしないんですけど、
なんかこう、ベストじゃないというか、なんかベターで過ごしちゃったなーみたいな、この1週間くらい。6月末から7月の1週目くらいがそんな感じで。
でも別にそれが悪いとも思ってないし、できたなーというか、こなせるなーみたいな感じになっちゃってる。ある種慣れみたいな。
それは家庭教室だけじゃなくて、他のことにも普通の生活、普段の暮らしの中にもそういうことが言えてて、
なんか本読む時とか、テレビ見る時とか、放送、なんかこう普通でおるみたいな。ベストじゃないけど、ベターかなーみたいな感じの過ごし方をしちゃって、
しちゃってというかそうなっちゃって、なんかすごくその自分が嫌なわけじゃないんですけど、でもなんか良くもないというか、なんか変な、それこそなんか微妙な感じやったんですよ。
で、わーなーみたいな感じで過ごしてることを、地局協力隊のお友達が近くに住んでて、それでたまたま会う機会があって仲良いんで、そういうことも言っちゃったんですよ。
なんか最近微妙なような、みたいなことを言ったら、なんかそれを感じ取っててくれてたみたいで、なんかわかりますみたいな感じで。
最近リュウジさん、微妙ですよねーみたいなこと言われて、ちゃんと言葉で言ってくれる良い子なんですけど、それを言われて、何が微妙なのかというか、
03:02
さっきみたいなそのベストじゃないけど、ベターで生きてたんよな、この最近みたいなことを話して、なんかこう、なんだろうな、ポツポツと漏らしたというか、その子に言ったんですよ。
で別にそれが解決したいとか、悪いとも思ってないんで、どうかなりたいみたいなことではないんですけど、これまでそういう時期というか、そういう期間が少なからず僕の中にはあったんで、
時間が来れば時が解決するかなーみたいな感じで思ってたんで、それも含めてちょっとそういうのも話してみたんですよ。
そしたら、総打大学っていうの知ってますか?って言われて、いや知らんわと思って、本で出てるんですけど、総打大学っていう、
でノートの記事にも書いてくれてて、これ読んだらいいですよみたいな、私にはすごくハマったというか刺さったというか、それですごく気が楽になったところもあったんですみたいなことを言ってたんで、
そういうのあるんやと思って、ノートで全部見れるんでみたいなこと言って、紹介してくれたから、時期が来たらというか、それも今の微妙な感じやから、
見るか見らんかわからんけど、ありがとう教えてくれてみたいな感じで返事して、それでその後は終わったんですけど、
思ってたんですよ、総打大学かみたいな。こういう書いて次の日とか時間があるときに、何しようかなと思うわけです。微妙な感じで。
長めに時間があったんで、読んでみるかと思って、総打大学って調べて、ノートの記事を読み始めたんですよ。
さかぐちきょうへいさんっていう人ですかね、が書いてるもので、僕まだ6までしか読んでないんですけど、
それでも結論だけ先言うと、救われたというか、ちょっと心が軽くなったみたいな感覚になったんですよ。
文章の文体というか文字、書き方が良かったのかもしれないですし、内容ももちろん良いっていう表現も難しくて、
僕的には読んで良かったなという感じですね。まだ半分も読んでないんで、その先もまだまだ読んでいきたいなって思ってるんですけど、
その6まで読んだ感想というか、ちょっと聞こうかなと思ってて、
その早打つ病ってご存知ですかね、気分が早いになったりとか、逆に老になる、打つになったりとかっていうのを繰り返しちゃうみたいな病気で、
06:01
病気なんですけど付き合っていくしかないみたいな、坂口さんが書かれてる中にはですけど、
治らないんで付き合っていくしかないねみたいなことをお医者さんに言われたりとか調べた本の中に書かれてたんですって、
そうかみたいな感じで、それもきっかけで心力になったりとかもするし、ちょっと疑問に思ってたらしくて、
いろいろ調べたらしくて、神田橋五六っていう精神科の先生がPDFで早打つ病の研究というか、まとめみたいなのを何ページかに分けて書かれたものをその人が発見して、
すごく救われたというか、すごくいい表してくれてる早打つ病のことについて、理解してくれてたりとか、その上でこう考えた方がいいだったりとかを知るしてくれてたみたいな感じで、
それについてと、その方自身が、佐賀口さん自身がどういう状態なのかとかどういう心境なのかみたいなも含めて早打つ病に対して話すっていうのが早打つ大学っていう本の中身なんですけど、
僕はめちゃくちゃ早打つ病っていうわけじゃないと自分では思うんですけど、グラデーションというかそういうのもあるなと思って、黒か白じゃないみたいな人もいるなと思って、
僕もその気分的にハイになったりとか何でもできるわみたいな時にもあるし、逆にさっき言ったみたいな微妙な感じの時とか無気力な感じもあるなと思ってて、
でもそれって誰にでもあると言えば誰にでもあるだろうし、ない人もいる、そういうハイとかローとかがない人もいるだろうなと思うし、本当にいろんな人がいると思ってて、
僕自身は早打つ病だとは思わないし、そう思いたいわけでもないんですけど、そういう気質、そういう性格みたいなところは似てるというか共感できるところがめちゃくちゃあるなと思ってて、
これが早打つ病のせいなのか、そもそもこの時代に生きた人間、日本の人が思うことなのか、その辺は分かんないなと思いながら読んでるんですよ。
佐藤さんも僕より年上なんで、同じ時代に生きたとは全然言えないんですけど、でも大きな括りで今の21世紀みたいなところでは等しく同じで生きてるし、
09:02
僕は早打つ病ではめちゃくちゃ鬱になったりとかないんで、苦しさだったりとかしんどさみたいなのは全然分からないんですけど、
通ずるというか、早になることもあるし微妙になることもあるんで、分からんこともないなみたいな。
その中でこういう性質があるみたいなことを羅列しながら、そのことについて佐藤さんが記してくれてたんですけど、すごくそこに共感したこととかを紹介していこうかなって今日は思います。
さっき結論で言った救われたみたいなことは、そういう人もいるよなみたいな、自分を客観してさらに見ることができたみたいな感じになったし、
僕が共感できる人がいるっていうことは僕みたいな人がいないわけではないっていうことなんで、
そういう人もいていいよなとも思ったりとか、でもちょっと違うな。
一番あれかな、救われたことに対しての一番の理由は文字に起こしてくれてるっていうのがマジで救われたなと思ってて、
僕もどう言っていいのか、どう言語化していいのか、どういう気持ちなのかみたいなのを言葉にするのってすごく難しいと思ってて、
それを伝わりやすいようにというか、説明が分かるようにすごく文章にしてくれてて、
それを文章を見て、分かる分かるというか、これ説明してくれてる自分のことみたいな代弁してくれてる感じがとても救われたなって思ってて、
そこが一番面白かったし、読んでよかったなって思うところです。
共感したところ、共感しないところももちろんあるんですけど、でも多く共感できるところがあったんで、
共感したところと、それに今まで読んだ感想だったりとかも含めて言っていこうかなって思います。
1個目が、映画とかそういう感傷した後とかに映画表を書いて見てもらいたいなとか、
その素晴らしさを伝えるために見たいなとか思うみたいなのを書いてて、
これだけだと説明不足なんですけど、
躁鬱病の人って自分のためにしか動けないみたいな欲求があるらしくて、
最終的には自分の栄養にしたいんですって、見てほしいだったりとか、
それをアウトプットしたことによってのリアクションがすごく栄養になる、目立ちたがりっていうかな、
ちょっとなんか承認欲求的なものがあるみたいな感じだと僕は感じておったんですけど、
12:03
で、映画とかをただただ見ることができなかったりとか、
感想を書きたくなったりとか、作者をライサンしたくなったりとか、
それを含めて自分の栄養にしたいんですって、
それをアウトプットしたことによってのリアクションがすごく栄養になる、
感想を書きたくなったりとか、作者をライサンしたくなったりとか、
それを含めて誰かにメッセージ伝えたりとか、
すごく突発的にするみたいなことを書いてて、
なんかそれすごくわかるんですよね、僕も。
僕結構本読んだ後とか、映画見た後、ドラマ見た後、アニメ見た後は、
レビューするようにしてて、
それは思い出になるというか、見返した時に何を感じたのかを、
もう一回感じれるためとも思ったんですけど、
でもそれをSNSっぽいアプリに上げていってるんですよ。
それで反応もらったりとかコメントもらったりとかをたまにするみたいな。
それに対してのリアクションが栄養になるみたいなことに関しては、
なんかその辺はあんまりうーんって感じなんですけど、
でもこのSNSみたいなものにレビューを上げるっていう行為自体が、
リアクションを求めてないとは言い切れないみたいなことがあって、
僕的にはレビューを自分の中に留めておくのはもったいないから、
SNSとかある種ランダムに見てもらって、
それについてまたさらに何かを考えてもらったりとか、
リアクションをもらえたらちょっと嬉しいかなみたいな思いはあるはあるんですけど、
でもレビューすることにまずは意味を置いてて、
その後のリアクションだったりとか反応とかは付随したものだなとも思ってるんですけど、
でもSNSみたいなものに上げるってことはやっぱりそういうリアクションが栄養かもなみたいなところはありますね。
で、突発的に誰かに連絡したくなったりとかして、そのまま連絡しちゃったりとかするんですよね。
朝とかよくGCながら、この人とこういうことあったなとか今どうしてるのかなみたいなことを想像して、
それが盛り上がっちゃって、自分の中で。
盛り上がっちゃったらその人にダイレクトメッセージしたりとか連絡したりとかすることがたまにあるんですよ。
それもちょっとハイの状態だとも思ってて、普通なんかしないっていうかなーって思ってて、
それもなんかすごい共感したなって思います。
で、次また話変わるんですけど、2つ目に共感したのが、
飲み会とか大勢の人と話す会、食事したりとかがあったときに、
15:02
なんか黙るんですよ、僕。
で、その創通大学の中にもこれ書いてて、なんか黙る傾向があるみたいな。
で、その黙る理由は面白い現場ではないからと、すごく面白くないし、
話が自分に振られなかったりとか、自分が話をうまく回せなかったりとかするから、
その場に自分は必要ないなって思うみたいなことを書いてて、
これめっちゃわかるなと思って。
僕も結構めっちゃ黙っちゃったりするんですよ。
そもそも大勢が苦手なんで、横の人と話したりとか、
わざと別の場所というかテーブル離して、来てくれた人とめちゃくちゃ深く話すとかが好きなんですよ。
もしそういう場所ができなければ黙るというか、早々に帰れたら帰るというか、みたいな感じなんで、
すごくこれめっちゃわかるなと思って。
で、その場に自分は必要ないかみたいなのもわかるんですよ。
別に僕いてもいいし、いなくてもこの場もあるだろうなってつくづく思うし、
でもいるからには楽しむかぐらいのテンション。
でも別に必要最低限でおるみたいな、マックスではおらないみたいな感じでいたりするんで、
これも書いててわかるなって思いました。
あと、和を大切にするのでついつい我慢してしまうみたいな。
和って和風の和ですね。
和を大切にするっていうのは、言ったら空気を読む的なとか、
察知する能力がめちゃくちゃ高いんですよ、その場の流れとか雰囲気を。
それをすごく大切にする、察知するし、その流れは無理に止めたりとか、
逆に促進させたりとかするのは、自分の役割じゃないなって思ってるし、
その流れが自分に降りかかってくる時も多々あるけど、
すごく柔軟なんで、想像通病の人はすごく柔軟で、
曲がりやすい、曲げやすいというか、流しやすいみたいな。
自分をうまく乗りこなしやすいみたいなことが書いてあって、
それは言い方変えたら我慢する。
自分をこうしたいけど、ああしたいけどとはなくて、
それを我慢してその流れに合わせてしまうみたいなのはすごくわかるなと思って。
中学、高校とかは僕自身、これしたいあれしたいとかなかったし、
学級委員したりとか、部活で頑張るとかも流れに身を任せてたというか、
我慢まではいかない、我慢してた時もあるけど、
でもそれはできちゃうからやっちゃうみたいな。
そういう言い訳をしながら、別にやりたいやりたくないではなくて、
我慢してできちゃうからやっちゃうかみたいな。
18:02
それが器用だからできちゃったりとか、和を大切にするからいいやつって思われて、
いいやつだから周りをうまく取り持てたりとかできるみたいな能力があるなと思いますね。
この一文も面白いなと思ったんですけど、
実は自分の意見など全くない透明な人間と思っているところがあるって書いてて、
これわからんこともないんですよ、めっちゃ。
さっきの話にも通ずるんですけど、
飲み会とかで自分は必要ないとかっていう話とか、
中高で学級委員するとか流れに身を任せるみたいなところって、
自分は透明だから、リソースとしてというか道具として使ってもらっても別に心は痛みにくいみたいな人間だし、
意見が全くないとは言えないけど、意見求められると困っちゃうみたいなところがあるのはすごくわかるなって思います。
もう一個が、ちょっとこれも共感したかしてないかって言われたらすごく微妙なところなんですけど、
でもあるなっていうのが、親のせいにするっていうところ。
これは自分の親がこうだったから自分はこうなんだとか、
親がこういう世代で自分は違う世代だからそことの話合わないよなみたいなのって、
なんかしたなと思ってそういう話。
親のせいにしてきた、親がこうだったから自分は今こうなんだみたいなのも言い訳にちょっと持ってるなって思ってて、
でもなんか深く共感しにくいところではあるんですよ。
これ親のせいにしてるとは自分では言い切りたくなくて、
自分が選んできたものだったりとか自分が選択してきたものだったりと思いたいっていうふうにあるんで、
全部が全部親のせいにしたいみたいな欲求ではないんですけど、
でも一部親のせいにした自分もいるなって認めたいなと思いますね。
あとこれは神田五六からの引用なんですけど、
資質に合わない努力はしないのが良いようです。きちんととかちゃんととかは窮屈になるからダメですって書いてあって、
確かにと思いました。
これちょっとこじらせちゃうんですけど、僕はきちんととかちゃんとが窮屈になるんですよ、僕も。
でもその窮屈になるのが嫌だからきちんとしちゃうみたいな、ちゃんとしておくみたいな挙動を取ります。
本当はきちんともちゃんともしたくないんだけど、
21:07
それをきちんとしなきゃ、ちゃんとしなきゃって思うのがすごく窮屈になるので、
そのより前にきちんとする前に、ちゃんとする前に事前にちゃんとしておくみたいな挙動を取ってるみたいな、
なんかそういうちょっとこじらせてるんですけど、これもちょっと共感するなと思いながらありますね。
あとなんかルールとか決まり事みたいなあんまり苦手。
いや苦手って誰だろう。守るんですよ。めっちゃ守る。すごく守るんですけど、
ちょっと怪異的で自分がおる感じですね。
いや別にこのルール従わなくても迷惑かかんないだろうなって思うけど、
そのルール決めた人の気持ちだったりとか、ルールを守らない人がいたときのその場の空気だったりとか、
ルールを守った方が楽しめるみたいなことを知ってたりとかするんで、守るかみたいなこういう思いですね。
窮屈だけど、守った方がきちんとした方がちゃんとした方が楽しかったりとか、
周りとの、それこそ和を大切にできたりとかするから、守るかみたいな感じで守りますね。
この全部の事実に合わない努力はしないのがいいようですっていうのは、
いやちょっと分かる。先週もね、その前の前の回とかでも言ったんだけど、
無理しないとか、最近思ってるっていうのもここに当てはまるなと思ってて、
幸せが来るだろうなって26年生きてきて思ったんで、
自分に見合った努力、そうじゃない努力はしない方がいいんだろうな、だからそれこそ無理ですよね。
事実に合わない努力、つまり無理はやっぱしない方がいいんだろうなって自分の生理がついてきたんで、
確かになって思いました。
これはすごく深く共感ですね。
で、ちょっと面白いなっていうのが、記憶に関してなんですけど、
僕記憶があまり良くなくて、よろしくなくて、よろしくないというかしてるんですけど、
何とどう紐づいてるのかあんまり分かってないんですよね。
で、ここでも言ってたんですけど、坂口さんが、
想像病の人は過去と現在と未来がごっちゃになってるみたいならしいんです。
これどういうこと?っていう感じなんですけど、
これちょっと説明難しいんで、これはちょっと読んでみてください。
想像病のところ、リンク貼っておくんで。
で、なんか僕もその傾向ある気がしてて、
こうしたらいいのにな、この人こうしたらいいのになとか、
この人素直にこうなったらいいのになとか、
ここってこうだからこのまま進んだ方が良くない、もしくは止まった方が良くないとか、
なんかちょっと分かっちゃう不思議があるんですよ。
24:01
それが人によっては、坂口さんが書いてた文章で言うと、
未来が見えちゃうみたいな予知できてるみたいなことを思われたしがち?
他人に。けどなんかそうじゃなくて、それは過去とか現在とか未来がごっちゃになってるから、
その人の過去とかその人の今を見て、
この人こういうところがあるからついこういう行動した方がいいんじゃないかなとか、
自分だったらこうするなみたいなことがちょっと分かっちゃうみたいなのがある。
で、第10回か11回ぐらいで自分の癖について話したんですけど、
僕が自分の癖について話したんですけど、
相手がどういう話をしようとしてるのかとか、
なんかドラマで次この人が言う言葉とかが分かっちゃうみたいなのも、
なんかそれだと思ってて、
過去現在未来がちょっとごちゃになってるから、
ちょっと先の未来が見えたりとか、
ワンピースで言う見聞色みたいなものが分かったりするときがあるんです。
はい。
逆にそれはなんか注意しないといけなくて、
人にこうダメだよとか、
これしちゃダメだよみたいな、
その注意をしない方がいいと。
で、こう感情的になったりとかしちゃうと。
で、けどその未来が見えたりとか、
過去とか現在ごちゃになったりとかするんで、
こう人のいいところを伸ばす助言はしてあげてもいいんじゃないかなっていうのを書いてたんで、
ちょっと今やってるね、家庭教室とか、
家庭教室とか、
家庭教室とか、
本名、要員出しか。
要員出しとかを頑張ってるんで、
ちょっとやっぱり確かになって思ったんで、
頑張ろうと思います。
あの捉え直すとかリフレーミングとか、
その人のいいところを見つけるみたいなものは得意じゃないとは思わないんで、
すごくななら得意だなとても思ったら、
すごくなんでもいいねというか、
いいね の理由を知ったりとか考えたりとかはできるんで、
あのちょっとその特にね、
やっぱり家庭教室とか、
いいねというか、いいねの理由を知ったりとか考えたりとかはできるんで、
まあこれもすごく共感できるし、人のいいところを伸ばそうって素直に思いましたね。
はい。で、これ最後になんですけど、あの、相鬱病。
ここで、あの、坂口さんは相鬱病ってなんかすごい病気みたいで嫌だみたいな感じで書かれてて、
相鬱人って人って書いてね、相鬱人って言ってて、
その相鬱人にとっての言語とは言葉ではなく感覚っていう言葉を書いてて、
これもね、なかなかもういい表現ですね。めっちゃそうだなっていう感じです。
うん、なんか、え、僕はこれ見たときにそうじゃないのって思っちゃいましたもん、普通に。
言語とは言葉ではなく感覚ですって書いてあったんですよ。
これなんか言ってる意味わかるんですかね?え、どうなの?そうなの?みたいな、思わんすか?
なんて言ったらいいんだろうな、これ。本当に感覚というか、その、なんやろうな、こう、
27:00
赤いって言ったらさ、赤いのが思い浮かんだりするじゃないですか。あんな感覚なんですよ、言語も。
感覚で喋ってたりとか、だから辻褄が合わなかったりとかもするんですよ。
昨日言ってたことと今日言ってたことが違うとかも全然あるし、過去現在未来はそれこそごっちょになってるから、
で、そのごっちょになった感覚を話すって、あの、なんだろうな、
そのなんて言ったらいいんやろ、感触を話してる感じなんですよね。
常にニュアンスで喋ってるみたいな感覚なんで、もちろんその言葉の意味とかもあるんですけど、
最近僕はこの意味を考えながら話さないといけないんだなって思いましたもん、めっちゃ。
家庭教師とかする上で、意味とか言葉を発信したりとか文章を書くときに、
言葉の定義だったりとか意味とかをはっきりさせておかないと伝わりにくかったりとか、
そもそも伝わらなかったりするなーって最近気づいたんで、
うわ、これマジかーって思いましたね。言語とは言葉ではなく感覚。
これはえぐい、えぐかったなーって。
ほんとにニュアンスでしか喋ってないので。
人と話すときは人による、話す人、対話する人によってちゃんと言葉を選ばないといけないなーと思うんで、
感覚で話してないときもあるんですけど、でも多方?多方の感覚だなーって思います。
僕のインスタの走ってたアカウントがあるんですけど、
その中の言葉とかって結構感覚を言語化無理矢理してた言葉たちなんですよな、僕の中では。
だから伝わらなかったりとか、
なんかリュウジ君っぽい文章だよねーとか言われたりするんですよ。
これ多分そういうことだなーって思ってて、感覚を言葉にしてる。
だから話とかもすぐ飛躍するし、
違う話言ったりとか、
自分の頭の中で解決してて、
その解決の原因と結果だけ伝えて過程言わなかったりとかするんですよ。
これめっちゃそうよーってめちゃくちゃ気づき終えました。
そういうこと、これら5つ、6つぐらい共感したので話しておきます。
最後になんですけど、解決策というか、
しんどくなったときの解決策みたいなのを坂口さんが書いてて、
話せる人をまず確保しておいてほしいみたいな、
何でも話せる人とか伝えられる人。
で、トロ、箱にロケツのロ、トロ、
トロしたらいいよって書いてくれてて、
30:02
言ったらいいよって言ってて、
その言葉ですごく救われたし、
まさに僕が最初の話に戻るんですけど、地域おこしの子にトロしたんですよ。
最近微妙なんよなーみたいなこの状況を自分の気持ちとか、
何か言葉にするけど感覚を話してるみたいな状況を話してトロしたんですよ。
そしたら聞いてくれたし、
存物大学っていう書き物にも出会えたし、
ちょっと前に進んだ気持ちもあるし、
それを読むことによって、
微妙な感じだったのが、ちょっと改善されて前向きになろう、
前向きになろうというか、
フラットになったというか、
みたいな感触があるので、
トロしたらいいよっていう言葉がすごくありがたかったし、
救われたなって思いました。
まだね、まだまだ続くんですよ。
その6までしかあるんじゃなくて、もっと20くらいあったんじゃないかな、おそらく。
これも読み進めていきたいなと思うんですけど、
今言った話に共感したりとか、
それってどういうことみたいな方がいたら、
ノートのリンク貼っておくんで、
存物大学ぜひ読んでみてください。
こういう人もあれにおるかもなみたいな人に
言ってあげてもすごく救いになるだろうなと思いますし、
ぜひぜひ言ってみてください。
教えてあげてみてください。
読んでみてください。
そんな感じで、
長々と話したんですけど終わろうかなと思います。
りゅうちゃんのひとりごとでは、
みなさんのひとりごとをどしどし募集してます。
もしくは、僕のひとりごとを聞きたいよとか、
自分のひとりごとを言いたいよという人がいたら、
ぜひ教室にお越しください。
よろしくお願いします。
あと、刺繍も最近できてないんですけど、
たまにやってるんで、
もしよかったらインスタグラムだったりとか、
ベースのショップとか見ていただけたらとてもとても嬉しいです。
よろしくお願いします。
本日もお聞きいただき誠に誠にありがとうございました。
今日はちょっと微妙な感じでしゃべってみたんですけど、
どうだったかなと思います。
でも、みなさんは今日からしたがとてもいい1日を元気で楽しんで、
癖強めで過ごしていただけたらなと心から思っています。
僕もそうします。
では、みなさんありがとうございました。
また来週お会いしましょう。
ありがとうございました。
32:37

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