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  2. #184 評価経済社会
2024-05-17 1:35:15

#184 評価経済社会

「評価経済社会」という本を読んで、パラダイムシフトによる価値観の変化や、評価経済社会となった現代はどういう価値観なのか、次に求められるものは何か?などについて話しました。

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Photo by Hanmer Zh

サマリー

DeguchiさんとMotoyamaさんが最近、スポーツを見ておられます。Deguchiさんはサッカーが好きであり、ヨーロッパのリーグ戦の盛り上がりについて話されています。その中でリバプールのエンドウ選手とトミヤス選手の活躍に触れ、日本人選手がプレミアリーグの優勝争いに加わっていることを強調されています。 10年前の本を読まれ、評価経済社会について考えておられます。岡田斗司夫さんの本には、産業革命や情報革命のようなパラダイムシフトが起こり、人々の価値観が変わっていく過程が詳しく記されています。狩猟時代から農業革命まで、さまざまな時代のパラダイムシフトについて紹介され、現代の情報革命につながる話にも触れられています。 中世の身分制度から産業革命の時代へと移行し、産業革命による大量生産・大量消費の時代では働くことがかっこいいとされ、時間節約や効率のよい生産を重視する価値観が広まっています。しかし、産業革命の結果、一部の人々にしか幸福が手に入りませんでした。そこから幸せの定義が変わり始めました。そして、情報革命の時代へと進んでいかれるのです。 情報革命によって生まれた高度情報化社会において、インターネットを通じた情報の解釈が無限に流通し、その解釈に対する評価が重要視されています。このような時代の中で、岡田斗司夫さんは評価経済社会の到来を予見しておられます。 評価経済社会とは、評価が貨幣となり、物やサービスが評価を通じて交換される社会のことです。インフルエンサーやYouTuberなどの人々の個人の評価が重要な指標となり、経済が回る時代となっています。 評価経済社会の中では、人々はネットコミュニティで交流し、複数の価値観をコーディネートして組織を形成し、情報を整理する人々が重宝される傾向にあります。 評価経済社会とは、不老不死で資源も無限にある世界においても、人間は普通の生活を送ることが幸せな答えであると解説されています。 インターネットのサービスを作られる方々にとっては、ネット上での評価や批判は貴重なものであり、ハテナブックマークのような社会的なフィルタリングがされていないコミュニティも重要であるという意見が述べられています。

スポーツの盛り上がり
kudakurage
こんにちは、Deguchiです。 こんにちは、Motoyamaです。
resizefmは、MotoyamaとDeguchiが最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて、のんびり話すポッドキャストです。
Takaya Deguchi
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
kudakurage
最近、なんかスポーツ見てます? スポーツは見てないね、最近は。
Takaya Deguchi
僕は相変わらずサッカーを見てるんですけど、今一番こう、あと少しでリーグ戦が終わる時期なんですよ。ヨーロッパ。
だいたい9月に始まって、5月とか5月末とかで終わりなんですよね。各国のヨーロッパがね。
で、プレミアリーグ、イングランド、イギリスのリーグを今一番見てるんですけど、
だいたい他のリーグって、1強、2強みたいな感じのリーグが多くて、
だいたいもう決まってるんですよ、優勝が。イタリアとかスペインとかね。
で、イギリスはだいたいビッグシックスっていって、上位6チームくらい大きいクラブがあって、
今年だとそのうちの3つが優勝争いしてるんですよ。で、だいたい最後にもつれるみたいな感じで。
で、今年はその3つ優勝争いしてるうちの2つに日本人がいるんですよね。エンドウとトミヤスっていう。
だからなんかそこに、で、今プレミアリーグって一番レベルが高いというか、世界で一番のリーグだっていうふうに言われてて、
そこの優勝争いに日本人2人絡んでるっていうのが、なんかめっちゃすごいことで。
なんかあんま野球に比べるとあんまり話題になってないんだけど、なんかこう、特にレギュラーで出てるんですよ。
そのリバプールのエンドウとか、完全に毎試合必ず出てるんですよ。
で、最近はちょっと毎試合必ず出されすぎてて、ちょっと疲れてきてて、ちょっとパフォーマンス落ちてるみたいに言われてるんですけど、
2月とか、年末から2月ぐらいにかけてとかは、なんかほんと、なんか活躍の度合いもすごかったんですよ。
なのに全然なんかまあ話題にならないっていうね、サッカー好き以外には。
大谷並みにこう活躍してるはずなのに、なんかまあ話題になってないのが悲しいなと思うんですけど、それぐらい活躍してるっていうね。
kudakurage
大谷はちょっと異次元だからね、ちょっと。なんかさすがに、なんかもうトッププレーヤーになっちゃってるからね、あの人は。
Takaya Deguchi
まあメッシュ並みだからね、サッカーできると。
kudakurage
そうそうそうそう、ちょっと異次元なんで、ちょっと大谷と比較し合うのかわいそうな部分がもしかしたらあるのかもしれないけどね。
Takaya Deguchi
でも大谷が練習したっていうよりは取り上げてもいいんじゃない?みたいに思うんですけどね。
うん、まあまあまあ。
いやでもマジですごくて。
でまあただちょっとリバプールが、あのエンドにいるリバプールがちょっと失速しちゃったんで、まあ3チームの中だとまあ優勝可能性一番まあ低いんですけど。
まあアーサーの富谷さんも、まあ怪我がちょっと多い選手だから、なんかこう怪我がなければ必ずレギュラーなんですけど、
なかなか、まあでも最近はちょっと怪我から復帰して、それでも大事な試合は絶対使われてるっていう感じで、まあかなり信頼獲得してる選手なんですよね。
だから本当、世界一のリーグでこんな日本人がこう出てるの、すごい時代になったなっていう、こうサッカーをずっと見てる身からすると感慨深いんですけどね。
kudakurage
まあね、すごい。まあ僕も毎試合は見てないけど、たまに切り抜きとかを見てすごいなって思いながら見てるけどね、やっぱり。
Takaya Deguchi
いやーすごいっすよ。
リバプールの日本人選手
Takaya Deguchi
なんかプレミアリーってめちゃくちゃ試合数が多いんですよね。なんか普通サッカーって、まあJリーグとか、まあだいたい1週間に1試合がまあ普通なんですよ。
で、まあだいたいカップ戦っていうのがあって、だからまあカップ戦勝ち残ってるクラブは、上位のクラブはまあだいたい、
まあ水曜日と土曜日か日曜日に試合があるみたいな、まあ週に2回試合があるみたいな。で、週に2回試合あるとまあちょっと多いなみたいな感じなんですよね。
なんだけどプレミアリーグってもう必ずまあ上位のチーム、週に2試合あって、それがもう年末年始も休みなくずっと続くっていうちょっと異常なリーグだから、
だいたいなんか、こう、あの監督がこう、選手の入れ替えというか、そのレギュラーを固定しちゃう感じの人だと、なんかだいたいレギュラーが疲れてきて、で怪我して終盤出れなくなるみたいな感じになっちゃうんですよね。
で、それがまあミトマとか今年そういう感じで、なんかもうあまりにこうレギュラーすぎて、試合も中2日3日で出まくってて、で結局怪我しちゃって、後半戦棒に完全に振っちゃってる感じなんですよ。
みたいな中で、エンドウはそれでも今31歳とかで、電話めちゃくちゃ試合出てるんですけど、それでも怪我に強いから、なんかそれでもレギュラー定着してるっていうのもあって、いやほんとすごい。
かつなんかやってるポジションがハンカーっていうなんかまあ、ボランチなんです。ボランチの中でもかなりこう守備的な役割のポジションなんですよ。
で、リバプルってめちゃくちゃ攻撃的なチームだから、なんかこう、まあもうフォワードからみんなこうとにかくボールにプレスしに行くみたいな、みんな走るみたいな感じ。
だから結構バランスが崩れやすいんですよね。ピッチの中で。そのバランスをエンドウが保つみたいな感じで、で大体中盤のボランチ、リバプルだとエンドウ1人でやってるんですよね。
で、その4-3-3で、なんか真ん中が3枚やってて、で大体逆三角形のその頂点のところがエンドウなんですけど、そうすると周りを見る範囲がめちゃくちゃ広いんですよ。
だからこう走り回らなすぎ、なんていうのかな、そのみんなが走ってるところのポジションの歪みを埋めにいかなきゃいけないんですよね。
だからめちゃくちゃ忙しいポジションで勝つ試合がめっちゃ過密なんだけど、そこで31歳でやれてるっていう、なんかそれがね、ほんとすごい。すごいとしか言えないレベル。
kudakurage
重要なポジションですよね。なんか現代社会において。
Takaya Deguchi
そうだし、難しいし、なかなか変えがきかないポジションではあって、だから変えてもらえないからずっと出ずっぱりみたいな感じなんですけど。
kudakurage
なんかで見たけど、だからみんなこう、やっぱりその点を取るとかってそういう活躍をしたいから、最初はこうね、やっぱりフォワードみたいなところからやっていきたいみたいな感じでやっていくんだけど、
だんだんそういう人たちもこうね、衰えていくにつれて、ちょっと徐々に下がってくるみたいなさ、なんかその守備位置が。
で最終的になんか、ハセベさんとかそういう感じですよね。その最終的にもうディフェンダーの位置まで下がってきてみたいな。
Takaya Deguchi
ついに引退になっちゃったけど、今年引退するんだけど、今40歳だけど、今年ブンデスリーグ、ブンデスリーガーっていうドイツの一部リーグでも数試合出てたりとかしてて。
で、もともとそれこそハセベも最初トップ下とかだったんですよね。
kudakurage
そうだよね。
Takaya Deguchi
結構攻撃のようなミッドヒルダー、浦和時代は。
ザッケローニとか日本代表の監督だった頃とか、ボランチでちょっとバランサーみたいな感じでやってて。
でもだんだんドイツでもセンターバックとかやるようになって、リベロンみたいなポジションになっていくみたいな感じで。
kudakurage
でもなんかやっぱりその辺、前線でやってた経験もあるから、なんかこう全体ももちろん見れる位置だし、そのディフェンダーとかになってくるの後ろで。
で、みんながどう動きたいのかとかっていうのもなんとなく分かっていって、そういう戦略的なところにも絡んでいけるっていう風になってて、なんかだんだんこう年齢とともに下がってきたりするわけだけど。
Takaya Deguchi
でも経験によってなんかその辺がね、すごく重要なポジションだっていう風にも、最近の作家だと結構言われてたりするしね。
そう。でもなんかこう、ベテランの選手にちょっとなんていうか、年齢近いからなんか共感を覚えるというか。
kudakurage
いや、なんかね。
Takaya Deguchi
この年齢でこんな走ってんの?みたいな。
kudakurage
でもそういう年齢になっちゃったよね、なんかその自分たちが。
Takaya Deguchi
それちょっとなんていうか、イブシギンガ選手はやっぱ好きなんですよね。
kudakurage
分かる。その、ちょっと前だったら、え、イチローまだやってんの?とか思ってたもんね、やっぱりなんか。
年齢によるプレイスタイルの変化
kudakurage
自分ですらこんな動けないのに、イチローまだやってんの?とか思ってたからね、やっぱり。
Takaya Deguchi
モドリッチっていうクロアチアの選手、今年何歳だっけな、38とか?で、結構なんかこう、花がある選手なんですよ。
kudakurage
まあ、昔でファンタジストみたいな感じの選手なんだけど、いまだにめちゃくちゃ走るんですよね、レアル・モドリッチというキリの車にいて。
めちゃくちゃ走る。この前の、あの前のツエーもちょっと前だけど、ワールドカップでもめちゃくちゃ走ってたですよね、あの人。
いやー。
恐ろしいぐらい走ってたよね、なんか。
Takaya Deguchi
この間、チャンピオンズリーグがあって、まあ準決勝があったんですけど、なんか終盤までレアル負けてたんですよ。
はい。
で、負けてるところにちょっと流れ変えろって言って、こうモドリッチが投入されて。
はい。
で、まあめちゃくちゃ走ってて、で、それで逆転の起点にもなってたっていうところで。
すごいっす。
kudakurage
いやー、もうなんかその年齢のすごさみたいなのを感じることができるようになってきたよね。やっぱ自分たちが年齢上がることによって。
昔だったらさ、その分かんないじゃん、そんなの。
なんか、すげーなーぐらいしか思わなかったんだけど、もう、めっちゃすごいなーってなんか感じるっていうかさ、もう。
まじかーって。
Takaya Deguchi
うーん、いやほんとにね。
なんかフォワードのすげーこう、ムラがある選手よりも、そういうちょっと演じ組みのある選手のほうが好きになってきますよね。
うーん。
kudakurage
なんか、そのYouTubeとか、まあ動画の切り抜きとかではあるけど、なんかその、メッシーとかもさ、やっぱ年齢によってやっぱちょっと劣れてる、体力的に劣れる部分って絶対あると思うんだよね。
でもなんかそれによって、なんかその年齢別にこうプレイスタイルっていうのが徐々に変わっていくみたいな、こう解説の動画とかよくあるじゃないですか。
ああいうのを見てても、やっぱりこう体力的な衰えはあるけど、まあでもとはいってもやっぱりプレイ的にはめちゃくちゃすごいことばっかずっとやってんだけど、でもなんかそれにあった自分にできることっていうのをひたすらこうやってるっていう、でトップに続けてるっていうのがやっぱなんかすごいなって思うよね。
Takaya Deguchi
いやすごいっすよ。
遠藤に至ってはまず30歳でリバプルに移籍するってこと自体が奇跡だと言われてて、なんかもうああいうレベルのクラブ、トップレベルのクラブってもうなんか30、もう20代後半の選手取らないんですよ、新しく。
はいはい。
その基本は20代前半の選手をお互いしていくみたいな感じなんですよ。
でもなんか今年の初め、リーグ開幕した頃って、サウジアラビアがめちゃくちゃ選手をいろいろ獲得してたよ、お金でね。
まあそれもなんかいろいろ国策と絡んでるんですけど、お金でとにかく自国の産業を作りたくて、その一つがサッカーで。
で、基本そういうお金で中東のクラブ行く選手ってこれまではこうちょっとまあ衰えてきてる選手が多かったんですけど、
今年はなんかもう一流の選手たちをどんどん取っていって、トップレベルのまだいる選手をどんどん取っていって、そこにリバプルのアンカーの選手が1人とか2人ぐらいいたんですよね。
で、そこが抜けちゃったからリバプルは何とかして補強しなきゃっていうところで、
でもそんなにお金があるクラブじゃないからちょっと獲得争いに負けたりして、なんか辞典の辞典の辞典ぐらいでエンドに声がかかって。
そうなんだ。
そう、玉付きで移籍できたみたいな感じで。
だからサウジがそんなにいっぱい選手引き抜きまくってなかったら多分移籍しなかったんですよね。
kudakurage
そうなんだ。
Takaya Deguchi
そう、っていうのも奇跡だし。
で、最初試合も僕もその開幕ぐらいから見てたんですけど、なんかあんまフィットしてなかったんですよ、もう見るからに。
で、見るからにスピードもついていけてなかったし、やっぱ厳しいかなって思ってたんですけど、なんかやっぱ年末ぐらいからだんだんフィットしてきて、もう完全にクリスマスあたりからレギュラーになってたんですよね。
っていうのを31歳がやってるっていうのもね、すごいですよね。そういうところも成長してるっていうね。
kudakurage
いやー、さあね。
次のワールドカップいつだっけ?
Takaya Deguchi
んー、いつだっけ?ん?いつだ?
kudakurage
次のワールドカップは2026年とか?
もうちょっと先なんだな。
Takaya Deguchi
26。
26か。
kudakurage
まあでももう、でも予選とかも始まってますよね、確か。
Takaya Deguchi
うん、予選あったよね。
kudakurage
まあまだ遠藤さんも入ってやっていけるかな、さすがに。
Takaya Deguchi
そうね、最後のワールドカップみたいな感じじゃないかな。
そうだよね。
kudakurage
ちょっとやっぱ期待しちゃうよね。
Takaya Deguchi
次。
ちょっと残念なことに、リバプールの今の監督、クロップ監督っていう人なんだけど、辞めちゃうんですよね、今年で。
ずっともう何年ぐらい、8年ぐらいやってんのかな、リバプールの監督。
だけど今年で辞めちゃうことになって、で、新しい監督連れてくるから、ちょっとそこでガラッとチーム変わるんですよね。
はいはいはいはい。
で、多分若手とかを入れ替えとかもするだろうから、ちょっと何か来年もレギュラーなのか、てかそもそも居続けられるのかってまだちょっと分かんない感じだから。
それもあってね、今年はすごい熱いんですよね。
kudakurage
なるほどね。
まあ結構ね、やっぱり監督とかコーチの影響で何かね、採用されるっていうか、まあレギュラーになれたりなれなかったりってめちゃくちゃあるもんね、あれ。
Takaya Deguchi
僕本当はマンチェスター・ユナイテッドっていうクラブが好きなんですけど、
もともとなんかファーガソン監督っていう人がもう何年やってたんだろう、20年とか監督ずっとやってたんですよ、その2013年ぐらいまでね。
だけどそれ辞めちゃって、てか最後の年に香川とかを獲得してね、マンチェスター・ユナイテッド香川がいたりとかしたんだけど、で、まあ辞めちゃったんですよ、そこで。
で、そこから暗黒時代に突入して、いまだに10年経っても暗黒時代のままなんですよね、マンチェスター・ユナイテッドはみたいな。
kudakurage
それぐらい監督の影響はすごいでかい。
Takaya Deguchi
特にイギリスのクラブの監督って、スタッカーの指揮もするんだけど、採用もやってるんですよ、そのリクルーティング。
普通そこ分かれてるケースが多いんですよね、どっちかっていうと。
獲得は別の人がやって、監督は基本的に指揮だけに集中するみたいな感じが多いんですけど、
イングランドの場合、結構それを兼任してるケースもあって、それだけに影響がでかいっていうね。
だから遠藤も来年どうなるかちょっと分かんないっていう感じなんですよね。
っていうので、優勝が、この後また試合があって、あと2試合かな。
で、アーセナルかマンチェスターシティかで、アーセナル優勢、アーセナルじゃない、マンチェスターシティ優先なんですけど。
ちょっとね、アーセナルに優勝してほしいなと思うんですけどね。
富安がいる。
kudakurage
ちょっと話は変わるんですが、ちょっと1個質問してみたいことがあって。
もし明日死ぬとしたら、明日何する?
明日のだから、明日の0時に死ぬとしたら、明日何するか。
分かってるってことですか。
分かってるってことだね。明日0時に死んでしまうから。
0時って夜0時ってことね。
Takaya Deguchi
何するかな。
kudakurage
何する?
Takaya Deguchi
何するかな。
とりあえず貯金を全部使うかな。
kudakurage
貯金を全部使う。
Takaya Deguchi
あーなるほど。
散財するか。
kudakurage
それ使って何すんの?
Takaya Deguchi
どっか行くか。
kudakurage
あー旅行。
Takaya Deguchi
でも移動時間もったいないですね。
kudakurage
確かにね。時間は限られてるからね。
Takaya Deguchi
どうするとなんかいいもの食べるかみたいな話なんだけど。
kudakurage
あーもうちょっと手っ取り早く欲望を満たすみたいな。
逆に普段通りの生活をするみたいなのもあるかもしれないね。
そうね。
まあこの話は別に直接的には今回の話とかからんでこないんだけど、
ちょっと最後にこの話をまた戻ってこようかなと思ってるんですけど。
今回はちょっとね、評価経済社会っていう本を読んだので、
割と面白かったんでその話をしようかなと思ってるんですけど。
これはあれですね、岡田斗司夫っていう、岡田斗司夫さんっていう一部のオタク界隈で有名な
YouTuberとしてなのか有名な人が書いた本なんですけど、
もともと1995年に岡田斗司夫さんが書いた、
僕たちの洗脳社会っていう本があって、
それを下敷きにして2011年に評価経済社会っていう本を書いて、
僕が読んだのはそこからもうちょっと改訂版というかね、
いろいろとプラスさせて改訂したで、
Kindleで新しく出したやつ、2013年なんですけど、
これ結構前なんですけど10年ぐらい前ですよね、だから。
のKindle版を僕は読んだんですけど、
このKindle版が実は今もうKindle Unlimitedとかで無料で読めるんですよね。
なので、割と時間があったら読んでみてほしい。
結構面白い本なんで読んでみてほしいな本なんですけど、
それの本を読んで評価経済社会って言ってるものについて、
いろいろと書いてあったんでその話をしようと思ってるんですけど、
大まかな話の流れとしては、
現在が評価経済社会なんだけど、
それに至るまでのどういうプラダイムシフトがどういうふうにあったのかっていう話が
割と書いてあって、
農業革命とか産業革命とかっていう話ですよね。
で、このパラダイムシフトって多分出口君も聞いたことがあると思うんですけど、
どういうものかって知ってますか?
Takaya Deguchi
いや、わかんないです。
kudakurage
パラダイムシフトっていうのは、パラダイムっていうのが何だろう、
規範とかそういう意味だったりするんですけど、
その時代の規範みたいな思想とか価値観みたいな考え方で、
それ自体がガラッと変わっていってしまうっていうことを
パラダイムシフトって呼んでて、
産業革命とかそういうもの自体は
パラダイムシフトとはまたちょっと多分違うんだけど、本質的には。
ただ、農業革命とか産業革命によって
社会構造が変わったことによって、
価値観自体もガラッと変わっていってしまった。
だから、つまりそれによってパラダイムシフトが起きていってしまう
っていうようなことが起きて、
っていうことなんですね。
農業革命とか産業革命の話に絡んでくるっていうのは。
だから、農業革命とか産業革命自体がパラダイムシフトっていうよりは、
農業革命とか産業革命によってパラダイムシフトが引き起こされて、
価値観がガラッと変わっていってしまったっていうような
言い方が多分一番正しい言い方なんじゃないかなと
思うんですけど。
そのパラダイムシフトについて話しつつ、
どんどん今変わっていって、
最近だとあれですよね、第三次革命とか言って、
情報革命とか言われていて、
そういう真っ只中に今自分たちは生きてるんじゃないかっていう中で、
ただその情報革命っていうのはさっき言ったように
産業革命と似たようなものだから、
それ自体がパラダイムシフトではないわけですよね。
その情報革命によってどういうパラダイムシフトが
起こっているとか、今後起こっていくのかとか、
実際にもう起こっているのかとか、
そういう話が多分あるんだと思うんですけど、
その辺をいろいろとある程度予想も含めながら書いている本なんですけど、
さっきも言ったように10年前の本なんで、
割と昔の予想みたいなところがあるんだけど、
割とその予想が的中している部分がかなり多くて、
そういう意味でも今読むと、
確かにこの人の言ってることが合ってるなみたいな感じになるっていうような感じで、
その考え方的な部分とかが割と参考になったので、
ちょっと紹介しようかなっていうふうに思ったっていうものですね。
この本の中で坂井谷太一っていう人が書いている地下革命っていう、
地下っていうのは知るに、価値の価に革命ですね。
地下革命っていう、これ1990年の本らしいですけど、
その本の話がちょっとだけ引用されているんですけど、
これも1990年だから、
産業革命がわーっていって高度経済成長があって、
情報革命に入っていこうっていう段階の時の本なので、
同じように評価経済社会と同じようなことをちょっと触れてたりはするんですけど、
その本の中の話でいえば、
これからの商売で大切なものはそのものではなくて、
それに付加される地下価値であるみたいな、
なんとなくそれっぽい話みたいなのも触れていたりするんですけど、
この本の中で一つ重要というか面白い話っていうのが、
優しい常地の法則、情報の常に知るって書いて常地って書いて、
優しい常地の法則って言ってるものがあるんですけど、
これはどんな時代でも人間はたくさんあるもの、豊かなものっていうものは、
たくさん使っていくっていうのがかっこいいっていう風にされていて、
逆に少ないもの、不足しているものはすごく大切に扱うっていうことが、
美しいって感じるっていう法則らしくて、
岡田斗司夫さんもこれは結構使えるって言って、
いろいろ当てはめていって、
今までのパラダイムシフトみたいなものを解き明かしていくっていうような内容になってるんですよね。
だからなんとなくその時代時代で、
その時代は何がたくさんあって豊富で、
何が貴重な資源だったのかっていうのを見ていくと、
なんとなくその時代のことがちょっとずつわかっていくみたいな、
価値観とかそういうことも含めてね。
それを順々にとりあえず、
今までどういうパラダイムシフトが起きていったのか、
細かく言えばすごいたくさんあるんだと思うけど、
大まかにどういうパラダイムシフトがあったのかっていうのを、
まず見ていくところから始めていて、
最終的にその情報革命のところから、
どういうパラダイムシフトが起きていくのかっていう話につながっていくんですけど、
パラダイムシフトの歴史
kudakurage
最初はもう狩猟とかの時代かな。
狩りをしていた時代ですね。
狩りをしていた時代に不足しているものは、
やっぱり圧倒的に食べるものなわけですよね。
食べるものが足りないから、
みんな頑張って狩りに出かけていたりとか、
そういうことにすごく時間を使っている。
時間使っているから逆に、
時間はすごくたくさんあるわけですよね。
他にもやることは、
夜は出れないとかさ、
出れないから土器作ってるとか、
そういう感じなのかもしれないけど、もしかしたら。
だからこの時代は割と宗教とか、
施策っていう考えることに時間を使ったりする。
食べるものを取りに行く時間か、
いろいろと考えることに時間を使うみたいな。
そういう感じのところから始まって、
ただやっぱり食べるものが安定しないんで、
結構つらい時代になったのかもしれないけど、
そこから農業革命っていうのが起きて、
それによっていろいろと稲作だったり小麦だったり、
価値観の変化
kudakurage
そういうものを育てて採集して、
食べ物を確保していくっていう風な時代になっていくんで、
その時代になると逆に、
食料が豊富にあって、
その時代何が少なかったのかっていうと、
多分少ないっていう感じっていうよりも、
どっちかっていうともしかしたら、
自由が少し減っていったっていう感じなのかもしれないですけどね。
今まで飼料の時代だったら、
場所とかに制限されずに、
木の実、木のまま移動して生きていたのが、
場所に縛られるようになるわけですね。
まず絶対に農業をやらなきゃいけないからとか。
あとその頃以来から、
いろいろと集団生活をガチャガチャってやっていかなきゃいけなくなるから、
身分制度みたいなのが生まれ始めるんですよね。
封建制度みたいな。
でもその身分制度っていうのは、
やっぱり社会的に必要だから生まれたものであって、
それによって社会的に秩序がもたらされて、
安定していくっていうようなもの。
なので必要なんだけど、
でもそれによって逆に言うと、
自由っていうのはなくなったかもしれないよね。
あの辺に土地持ってこうやって暮らしていくんだっていうのがなかなか難しい。
でもその封建制度の社会の中に身を置くことで、
この幸せっていうのがある程度担保されるっていうような感じなわけですよね。
なので、地主?客商か。
土地を持ってる人と、そこで農業をしてやる農民と、
さらにその客商を束ねる王様みたいな、
多分そういうふうな関係性みたいなのが出てくるんだけど、
農民が王様になりたいとは思うかもしれないけど、
それを目指すっていう社会ではまずなかったわけですよね、確実に。
だけどその身分っていうのをそれぞれが全うすれば、
確実にみんな幸せになれるっていう社会ではあったわけですよ、
その社会っていうのは。
だからみんなそれで割と満足していた部分があって、
そういうふうに暮らしていくっていうのが成り立ってたわけだよね、
保険制度っていうのが。
っていう農業革命によって物が増えて、
逆に自由をちょっと失っていくっていうような価値観の時代が得て、
次に中世、これヨーロッパの方の話だけど、
中世っていう時代に移ってくるんですけど、
この時代はどうなるかっていうと、
とはいえやっぱり土地には限りがあるわけですよね。
ヨーロッパとかそんなに大きい、広い部分じゃないけど、
いっぱい国があって、みんなこう頑張って耕していくわけですよ、
アノスコを。
で、やっぱりやっていくと土地の限界が出てくるわけですよね、
森林資源みたいなものもバンバン焼き払ってやってたけど、
やっぱりそのうち枯渇していくわけですよね、
っていうふうになっていって、
やっぱり資源の限界、物不足みたいなものが起こり、
逆にそれとは別に時間余りっていうのが生まれていくんですよね、
今度また逆に。
だからこの中世の時代ってよくなんかさ、
金融詩人みたいな人が出てきたりするじゃん、
RPGとかでも。
あれってそういうことなんですよね、
その金融詩人は何でいるかっていうと、
働くと他の人の土地を奪ってしまうことになりかねないから、
働かない方がかっこいいわけですよ。
時間を多化してる方がかっこよかったりするわけですよ。
さっきの境谷太一の人の話でいうと、
豊かなものをたくさん使うことはかっこよくて、
不足してるものを大切にすることは美しいわけだから、
働くってことは他の人の財産、資源っていうのを奪いかねないので、
そこは控えめにして大切にするっていうのが正しくて、
一方で時間はたくさんあるから、
それを分断に存分に使うっていうのがかっこよかったりするわけですよね。
だからこう金融詩人みたいな人が生まれていったりするっていう、
そういうことになるわけですよね。
まあだから、なんか結構僕は、
そのヨーロッパの人って割とその、なんだろう、
休みを大事にする人とかも結構、
いまだにとか今でも普通にそういう人が多かったりするわけじゃないですか、なんか。
シエスタがあるとかさ。
そういうのって結構この辺から来てるところもあるのかなって、
ちょっと日本とはまたちょっと違う文脈として。
なんかそういうふうにもちょっと思うんですよね。
日本でさ、金弁が悪って言われることってあんまり基本ないじゃないですか。
でも、なんかそういう考え方があるっていうのはやっぱりこの中世、
ヨーロッパでいう中世っていう時代があったから、
なんかそういう考え方みたいなのがあるのかなみたいな。
なるほどね。
Takaya Deguchi
なんか日本は少数派な気がしますけどね、どっちかって言ったら。
kudakurage
なんかこう。
そうだね。
結構だから他のね、また中東だったらどうかとか、
アフリカだったらどうかって言ったらまたちょっと変わってくると思うんだけど。
でもなんかやっぱりヨーロッパの方の人たちって、
なんかめちゃくちゃ働くっていうのがいまだにそんなないような気がしていて。
まあもちろんそういう国もあったりするわけですけど。
でもそういうところっていうのはやっぱりこういう中世的なところを経てるからっていうのがすごくあるような感じがするなっていう。
Takaya Deguchi
イギリスにちょっと一時期いたときとか、
もう5時ぐらいにはもうみんな会社から帰り始めるみたいな感じだし、
スーパーもロンドンじゃなかったからだけど、
6時半ぐらいにはもう閉まっちゃうみたいな感じだったから、
時間がすごいゆったりしてるなとは思いましたね。
ロンドンだったらまた別違うかもしれないんだけど、
僕のいたブリストルとかはそういう感じだったな。
kudakurage
まあまあそうだよね。
僕もスペインとか行ってて、やっぱりみんなシエスタとかあったし、
5時ぐらいにはみんな帰ってたし。
で、帰ってからみんなずっと飲んでるみたいなさ、そういう感じだったりしたけど。
でもなんかこの勤勉制っていうよりはもうちょっと時間を多加するみたいなことに重要な部分が裂かれてる、優先度が裂かれてるみたいな。
産業革命の価値観
Takaya Deguchi
晴れたらみんな公園に出てきて寝そべってるみたいな。
なんていうの、雨が多い国だからっていうのもあると思うんですけど。
kudakurage
まあまあそうね。
Takaya Deguchi
冬は厳しいからみたいなのもあると思うんだけど、
晴れ、フィンランドとかもそうだけど、
すごいその天気とか、その時しかない季節みたいなのをすごい大事にしてる感じがすごいしましたけどね。
kudakurage
そういうのはね、地理的な要因っていうのは結構いまいらる。
多分各国それもいろいろあるだろうと思うしね。
日本だったら逆にね、そういうのはないけど、
四季がすごくあるから、そういうものを楽しむとかね、そういうのもあったりするわけだし。
地理的要因とかっていうのもね、もちろんあると思いますけどね。
でもこの中世の時代にだからすごく時間がみんな持て余したから、
同時期にまた宗教だとか芸術みたいなものがどんどん盛んになっていくわけですよね。
一方でその芸術とか、宗教も含めて芸術とかっていうのがだんだんとバーってなっていって、
ルネサンスに繋がっていくわけなんですけど、
でもそのルネサンスのきっかけにもなったのが産業革命って言われる部分ですよね。
さらにまた変わっていく。
産業革命になって、産業革命とほぼ同時期ぐらいに、産業革命よりもうちょっと早いかな。
大航海時代みたいなのもあったりして、また土地が増えるわけですよ。
新大陸見つけるみたいなことになっていくわけだから。
資源も増えるわけですね、同時に。土地が増えて、新しい土地見つけて、新しい資源見つけて。
あれかもしれないですけど、奴隷的な目線からいくと、新しい人手も見つけられてみたいな感じになっていって、
どんどん物がまた増えていく時代になっていくわけですよね、そこから。
大航海時代って産業革命ぐらいになってから、どんどん作って、どんどん消費しようみたいになっていって、
どっちかっていうと、そこの時代になっていくと物余り、人手不足とかになっていくわけですね。
時間不足とも言うかもしれないけど、人手不足とかになっていく時代にまた入っていって。
だから結局この辺見ていくと、ずっと物と時間をどっちが不足してるか余ってるかみたいな時代をどんどん繰り返してるわけですよね、ずっと。
それによってどんどん、もちろんそれ以外の環境要因とかもあるんで、
毎回価値観が繰り返されてるわけじゃないんだけど、
同じことをカウンターで繰り返しながらどんどん価値観がアップデートしていくっていうような歴史をずっと積み重ねてきてるわけですね。
産業革命、特に高度経済社会、1900年代かとかになると、やっぱり大量生産、
アメリカ中心にかもしんないけど、大量生産、大量消費みたいな時代に入っていって。
で、うちくんは知ってるかわかんないけど、24時間戦えますかっていう、
昔のリゲインっていうドリンクのCMの有名なキャッチフレーズがあるように、
もうめちゃくちゃ働くのがかっこいいってされてたわけですね、この時代は。
だから中世の時代とは真逆ですよね、はっきり言って。価値観的に。
中世の時代は働くとあいつはもう犯罪してるぐらいのほうに言われるぐらい、
他の人の資源奪ってるみたいな感じで見られちゃうんだけど、
産業革命の時代は働く働くほどもうサラリーマンかっこいいみたいな、
そういう時代だったわけですよね、価値観的に。
だから、まあでも時間はあんまりないので時間を節約して、
いかに効率よくたくさんいろいろ作って消費できるかみたいな時代をやっていくわけですけど、
まあ割とその近代教育制度みたいなものも割とこういうもののために
整えられたんじゃないかっていうふうに言われている話っていうのはあって、
読み書き計算みたいなのはもちろんそうなんだけど、
いわゆるさ、よく言われたりするけど義務教育的な部分って、
昔で言うと軍隊みたいなものになぞらえられたりするけどさ、
時間厳守するとか、先生とか親も含めてかもしれないけど、
命令には従順に従うとか、反復作業を嫌がらないようにするとか、
そういうのって軍隊的な話でもあるかもしれないけど、
割と工場でどう働くかみたいな、工場労働に即したものとしても、
そういう教育みたいなのがあったんじゃないかみたいなふうに言われたりするけど、
そういう産業革命ではそういう価値観みたいなものがどんどん植え付けられていったわけですよね。
今、そこからまた情報革命とかに向かっていくっていうか、
もう今はそういう時代なんだと思うんですけどもちろん。
結局、産業革命っていうのは1900年代は特に、
1800年から1900年代とかっていうのは科学主義とか言われてたんだけど、
みんな科学を信望して、その科学にのっとって、
科学がどんどん発展していけば自分たちは豊かになるんだっていうふうに思って、
だからめちゃくちゃ働いてたりしてるわけですよね。
してたんだけど、そういう科学によって、
民主主義になって資本主義経済みたいなのが生まれていったりとかして、
みんなにチャンスっていうのが与えられる時代になっていったわけなんですけど、
結局でもそれっていうのは、みんなを幸せにはできなかったっていうふうな感覚っていうのが、
産業革命の結果と幸福の定義
kudakurage
徐々にみんなに芽生え始めるんですよね。
要は不幸にはならない、だけどある程度一定の生活は、
なんていうの、担保されていって、そういう意味では昔よりは全然幸せなのかもしれないけど、
ただ自分が夢見ていたような生活というか、
そういう幸福っていうのは一部の人にしか手に入らなかったっていうのが、
結論として出始めるわけですよね。ずっと続けた結果。
それによって、違うんじゃないのっていうふうになってきてる時に、
いわゆるインターネットみたいなのが生まれていって、
情報革命っていうものが起こり始めるわけですけど、
今はその情報革命の時代だっていうふうに言われていて、
この時代はもちろん、物が不足する時代ですね。
要はこれも結局、資源無限にあるじゃんってやってたんだけど、
やっぱり有限だったってことに気づくって話ですよね。
地球にある資源っていうのは有限だっていうことに最終的には行き着いて、
やっぱり物は不足している。人は増えていくからね。
物はその分不足していくってわけですよね。
時間がこの時に余るかと思いきや、この時に余るのは、
情報革命によって増えた情報だったっていうような時代になるわけですね。
このパラダイムシフトで起きたのは。
この情報っていうのが、よく情報革命によって、
高度情報化社会か。高度情報化社会とか言われてたりするじゃないですか。
今は言われてないのかもしれないけど、昔よくそういう話とかあったりした気がするけど、
高度情報化社会って何だと思いました?その頃。
Takaya Deguchi
そもそもそう言われてたのっていうのがよくわかんないけど、そうなんすかっていう。
kudakurage
社会の事業とかでそういう話なかった?高度情報化社会って。
Takaya Deguchi
あったかな。わかんない。あんま覚えてないです。
kudakurage
僕は高校とかの時代とかあったような気がしたんだけどな、やっぱり。
ちょうどそういう時代に入っていってる時代で、現代社会みたいな感じですよね、その高度情報化社会の話。
高度情報化社会って何だろうなっていうのはよくわかってなかったんですけど、正直。
高度情報化社会っていうのは漠然と考えると、めちゃくちゃ情報がどんな細かいことでもたくさんあって、
全部知ることができるみたいな社会だと思われがちなんですけど、
そうじゃなかったんだよね、結局。
何かっていうと、情報っていうのは解釈でしかなかったっていう。
この何て言うんだろうな。これ、本にはそこまで書いてなかったかもしれないけど、
ちょっと僕の中の解釈も含めて言うと、結局全ての情報はほぼほぼ解釈なんじゃないかなっていうふうに思っていて、
どういうことかっていうと、ある程度の事実もあるとは思うんですけど、
ただ、その事実が事実であるかどうかっていうのを確かめようがないことがほとんどなんじゃないかなって思ってるんですよね。
ってことは、その情報を発信した人の解釈っていうのがどこかしらに介在していて、
その解釈が無限に存在しているっていうようなことなんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。
わかります?これ。
Takaya Deguchi
言ってることはわかるけど、何の話だっけなみたいな気持ちです。
kudakurage
その高度情報化社会とは何かって話です。
その情報革命によって高度情報化社会になったんだけど、高度情報化社会とは何なのかって話ですね。
Takaya Deguchi
言ってることはわかります。
kudakurage
岡田斗司夫さんもこの本の中で、その情報っていうものがどういう、高度情報化社会によって情報っていうものがどういうものなのかっていうのが少しずつわかってきて、
これは情報の数が増えるっていうことじゃなくて、何かに対する解釈っていうのが無限に流通する社会っていうのが高度情報化社会だったっていうふうな話をしてるんですね。
これ、すごくわかりやすい例で言えばTwitterとかだと思うんですけど、Twitterなんてほぼほぼ誰かの解釈、意見だったりするものが無限に流通してるわけですよね。
あれはすごくわかりやすい例かなと思うんですけど、でもほとんどのウェブサイトは多分そういうものなんじゃないかなっていう。
解釈っていうとちょっとあれですけど、何かの意図が介在してるものみたいなことですよね、誰かの。
そういう意味で、岡田斗司夫さんはメディア、何か情報を伝えるものですよね、メディアっていうのは。
そういうものの本質っていうのは、何か意味を伝達するものではなくて、意図を共生するものでもあるんじゃないのっていうふうな話をしていて。
これもちょっと難しい話かもしれないですけど、一見何かこういう意味を伝える、伝えたものだったとしても、それには実は意図がはらんでいる話なんですけど。
簡単に言うと、子供に対して、そっち崖だから危ないよって言ってるとするじゃん、お母さんが。
それって、崖だから危ないっていう意味を伝えてるっていうふうにも見られるんだけど、
それっていうのは、お母さんはそっち危ないから行くなっていうふうな意図を言ってるわけ、とも取れるわけですよね。
意図を共生して言ってるというか。
っていう部分が、さっきの意味の伝達じゃなくて、意図の共生だっていう話なんですけど。
だから、意味を伝達しているつもりであっても、知らず知らずのうちにそれは何かの意図を含んでいるものになっているっていうことですね。
メディアの特性として。
Takaya Deguchi
むしろ、そうじゃないものって何があるんだろうなって思ったんだけど。
kudakurage
そうじゃないもの?
Takaya Deguchi
意図を含まないような情報って何だろうなっていう。
kudakurage
だから、それがないってことですね。
Takaya Deguchi
それは昔からそうなんじゃないですか。
kudakurage
だから、それが情報革命によって情報が流通してすごく増えたってことですね、逆に言うと。
だから、それは今までだったら言葉で話してるだけだったかもしれないけど、他の人の解釈とかもいっぱい溢れるわけじゃないですか、情報革命によって。
インターネットによって。
それが無限に増えていく、流通しているっていう時代になっている。
まだ産業革命ぐらいの時、一昔前であれば、
そういうメディアっていうものをマスメディアって言われるような、ラジオだったり新聞だったりテレビだったりみたいな、そういうところだけが支配していたんですけど、
それをTwitterみたいなものとか、ブログでも何でもいいですけど、インターネットによって個人がメディアを扱える時代になったことによって、
情報を与える側であると同時に、与える側になったわけですよね、まずその情報を。
で、そういうふうに与える側になったことによって、受ける側の気持ちもさらにまたアップデートされたわけですよ。
どういうふうにアップデートされたかっていうと、受けた情報を評価するっていうふうな軸でアップデートされた。
今まではほぼほぼあんまり評価しようがなかったわけですよね。
もうマスメディアがこう言ってるからそれは事実だみたいな感じになりがちだったんです、その権威的に。
それが自分が与える側になることによって、それが評価の対象になるっていうことが増えていったわけですね。
それこそマスメディアだけじゃなくて、他のよくわかんない人が発信してる可能性もあるから評価しないといけないっていう側面もあっただろうけど。
だから評価しなきゃいけなくなっていって、評価することができるようになったっていうふうになっていって。
さっきのメディアの本質みたいなところで、どういう意図がはらんでいるのかっていうところも含めて評価するっていうような構造になっていったっていうのが、
この情報革命によって変わってきた価値観としてあるものなんですけど。
それによって、さらにどう価値観が変わってきたのかっていう部分で、やっぱり人間っていうのは幸福を多分どっかで求めているとは思うんですけど、
産業革命時代で言えば、それこそ物質的な幸福みたいな、科学による幸福みたいなものを信仰してずっと慢心してたっていうか進んでいたんだけど、
そこがやっぱりダメだなっていうふうに気が付き始めて、どうしたらいいんだろうっていうのが情報が蔓延することによって、
次に何が大事になってきたかっていうと、多分気持ち的な部分に最終的には行き着くんだろうっていうふうな話が最後展開されていくんですけど。
インターネットっていうのは誰かの意図、意図っていうか解釈みたいなものがその情報としていっぱい流通してるから、
それが自分の気持ちと合ってるかどうかによって、信じたい情報とそれを求める人たちの気持ちみたいなものが進行させて、
加速させてる部分がやっぱりあるっていうのは、よく最近でもフィルターバブルとかそういう話とかであると思うけど、
でもそういうものが重要になってきて、さらにそういうのがインターネットじゃない部分にもたぶん染み出てきているんじゃないかっていう話があって、
それで結局最終的には自分の気持ちが大切になるみたいなところに向かってる、価値観として向かってるんじゃないかっていうような話ですね。
自己評価の重要性
kudakurage
で、これは割と多分出口君も含めて、今の生きてる人たちに割と当てはまってることなんじゃないかなって僕は思っていて、
なんかそういう感じしないですか?その働き、自分がどう働いているかとか、そういうのを考えていくと。
Takaya Deguchi
気持ちね、そうですね。そう言われるとそう。
kudakurage
昔の人だったら、その会社にどっかに新卒で就職して、そこに一生添い遂げてサラリーマンとして働くのが、
社会の一部として貢献して、自分はすごいみたいなさ、そういう価値観だったと思うんだよね、やっぱり。
でもそこからやっぱり、自分自身の働き方も含めて、どう考えてるのかっていうのも含めて、
やっぱりそれは違うような気がするみたいなところを思ったりとかして、
なんか別に働きたくないけど、自分が遊んでて楽しいことやってたら、それが働くようになったらいいみたいな考え方って絶対そうじゃないですかね、完全に。
自分の気持ちが大切みたいな話じゃないですかね、結局。
Takaya Deguchi
そういうことね。それは確かにそうですね。っていうか、なんか結構この昭和の世代とかをこう、あんま知らないけど、
なんか割と教科書的っていうか、なんて言ったらいいの、こう、24時間働けますかじゃないですけど、
なんかそういう決められた方みたいなにすごいなんかハマってる感じがしますよね。
kudakurage
そうそうそうそう。でもそれは本当にそうだと思ってて、決められた方があったんだよね。
なんか日本で言うと、なんか三種の神器があって、で、家を買って、そこで家族で暮らすのが幸せの形です、みたいなさ。
幸せの形みたいなのがあったんですよね、なんかみんなが目指すべき。
で、それに従って生きてればみんな幸せになれるみたいな感じで、みんなそこに邁進していくみたいな時代だったんですよね、価値観として。
それが合ってるか間違ってるかっていうのは全然別の話なんですけど、価値観としてそういう時代があって、
いやでもなんかそれっていうのがどんどんこう、いろんな側面から崩れ始めていって、僕たちが今生きてる時代になっていってるみたいなところがあって、
やっぱりあれはなんか、みんな型にはまってておかしいよね、みたいな価値観になってるのが今の僕らなんですよね、やっぱり多分。
価値観の変化と評価経済社会
Takaya Deguchi
なんか学生運動とかもさ、なんかこう、今から見るとよくわかんないなって思うじゃないですか。
なんか、あれもさ、なんかこう、まあそういう社会的な政治的なこう主張があった上でやってる人もいるんだろうけど、
kudakurage
でも大多数はたぶんみんながやってるからやってるみたいな感じにこう感じるとか。
でもそれもあっただろうね。
Takaya Deguchi
ある意味それも型にはまってる感じがするっていうか。
kudakurage
そうだね、その社会的な価値観にどう乗ってるかっていうのを結構たぶんみんな意識してる部分は、知らず知らずのうちに意識してる部分はたぶんあるんだろうね、きっと。
まあ今も含めて。
まあそういうふうに、まあ情報革命によってインターネットができて、まあ情報って言われるような他人の解釈みたいなのがあふれて、
まあそうすると自分の気持ちっていうのをめちゃくちゃ大切にするっていうふうな時代になって、
まあそれをやっていく末に、まあこの岡田斗司夫さんは評価経済社会っていうものの時代が来るんじゃないかっていう話を最終的につなげていくっていうような本なんですけど、
まあこの評価経済社会っていうものは何なのかっていうと、評価、今で言う貨幣ですね、お金ですね、が評価になる。
評価を仲介としてものとかサービスとか金っていうものが交換される社会になるんじゃないのっていうふうな話をしていて。
これは割と現状もほぼほぼ何かそうなりつつあるっていう部分も、まあちょっと完全にではないと思いますけどね。
まあ分かりやすいところ言うと、インフルエンサーとかそうじゃそうだよね。
そのYouTuberになる、TikTokerとかInstagramerみたいな人たちって。
Takaya Deguchi
話の筋が分かってきた、そういうことか、なるほど。
kudakurage
さっき言ったように、情報を与える側になることによって受けた側はその情報を評価する側にもなったわけで、
その評価っていうものがその人の価値みたいなものを、今までだったらお金をいくら持ってるかぐらいのところが価値だったりしたわけだけど、
それ以上にその人の個人の評価っていうものが重要な指標になっていく社会になるんじゃないか。
むしろもうそれ自体で経済が回る時代になるんじゃないかっていう話をしてるのがこの評価経済社会っていうものですね。
それの分かりやすい例がさっき言ったようにそのYouTuberなりTikTokerなりインフルエンサーなり、
もしくはよく有名人がやってたりとかするサロンみたいなものだったりするとか、
ものによってはバルだったっけ、バリューだったっけ。
自分の時間に価値がつくみたいな、株式みたいな価値がつくみたいなサービスだったりとか、
メルカリとかがやろうとしてる信用ポイントみたいなものだったりとか、
そういうものに近い話かなっていうふうには思うけどね、この辺は。
で、岡田斗司夫さんも結構10年前のやつだけど、その時代の頃から多分お金がなくても
その人の評価だけによってお金がもらえたりとかサービスがもらえたりとか、
ものがもらえるっていう、交換できるよね、評価と一緒に。
評価で交換できるか、時代になるんじゃないのっていうふうに言ってたんだけど、
割とそれを成りつつあるっていうことですよね。
そのインフルエンサーなんかはもうそうじゃそうですよね。
自分の評価だよね。人気とも言うのかもしれないけど、この場合は。
それによってお金がもらえたりとか、なんかものがもらえたりとか、
サービスがもらえたりみたいな、評価を交換する時代になっているっていう。
だからそういう意味では考え方の部分を見ていくと、
割とすごく面白い話だなっていうふうなところを思ったっていうところでしたね、この辺の。
Takaya Deguchi
なんでデザイン会社にいるからかわかんないけど、
最近ってブランディングやる会社めっちゃ多いなって思うんですよ。
ブランディングやってもそんな別にすぐ儲かるわけじゃないじゃないですか、そんなすぐね。
基本的には官方的に長期的に影響があるようなものだと思うから、
なんでこんなみんなやるんだろうなって、冷静に思うと思うわけですよ、なんか。
まあそうね。
でもそれもこういう評価されたりとかっていうのが、
ビジネスになりやすい、影響しやすいっていう、
世の中だからっていう考え方もできるっていうことなんですかね。
kudakurage
そうそうそうそうそう、そういうことだよね。
まあでもこれ、結構前から多分ブランドとかの話とかは、
経済的な、貨幣経済的なところにもつながってるから、
それこそさっきの坂井谷太一さんの1990年代の時から言われてるぐらい、
多分ブランドみたいなのが重要っていうのは、昔から言われてることですけど、
まあでもより一層重要になってきてる部分っていうのは、
多分あると思いますよね、やっぱり。
イメージとか評価みたいなもの、人気とか、
どういう会社なのかっていう、漠然とした社会的なイメージみたいなものっていうのが、
多分そういう実際に、お金だとかサービスとかっていうものに、
影響がすごく与える時代になっていってるんじゃないかなっていう。
Takaya Deguchi
そうですよね。
kudakurage
それは多分、消費者対消費者っていうだけじゃなくて、
ブランディングと価値観の変化
kudakurage
労働者にもあると思うんですよね。
ディズニーランドだったら働きたいかなとかっていうふうに思うとかっていうのが、
一つのブランドとかイメージだと思うんですよね。
そういう意味でもすごく重要なものになってるっていうのは。
Takaya Deguchi
そうですよね。
これが、ものを作ったら売れるみたいな感じだったら、
別にやらなくてもいいわけだし、
昔だったらそんな別に、
中世の頃にブランディングめっちゃ頑張りますみたいなのはないですよね。
kudakurage
特に今なんて、
前、長山さんも言ってたみたいに、
機能性だけで売れない買ったりするわけじゃないですか。
どんなに機能性良くても、それをどう見せるかとか、
それがもしかしたら他の会社にパクられちゃったりするわけですよね。
同じ機能ものを。
ただ、それをどうイメージを作って評価してもらえるかによって、
こっちが選ばれるか、あっちが選べるかみたいなのが変わってきたりするみたいな時代だったりするわけじゃないですか、今って。
そういう意味でもすごく評価が重要な時代になっているっていうことですよね。
Takaya Deguchi
昔、大学、自分の母校で教えてた年に1回ぐらい、
ユーザー体験的な話をしてほしいみたいなこと言われて、
してた時期があったんですけど、
なんでUXみたいなそういう話って、別に先生がすればいいじゃんって思ってたんだけど、
なんでわざわざ呼んでくれたんですかみたいな話をした時に、
いや、なんか私たちの時代は作ったら売れてたから別にそのUXとか別にそんな考える必要なかったから、
kudakurage
いや、分かんないんだよねみたいなこと。
Takaya Deguchi
そんな分かんないとは普通の学生のまでは言えないけど、
でも実際分かんないんだよねみたいなことを言ってて、
なるほどねっていう。
そういう時代だったんだなみたいな。
kudakurage
そうだね。だからそこに多分大きな価値観が変わったところの溝が多分あるんでしょうね。
Takaya Deguchi
その人は元々メーカーでデザイナーやってた人なんだけど、
今60代ぐらいでね。
おそらくさっきの昭和末田田かな頃にバリバリ働いてた人ですけど。
kudakurage
はいはいはい。
いや、まあでもだから、やっぱ価値観が変わるって、
すごく大きいことに見えてすごく身近なことで、
だけど身近すぎて多分気づいてない部分って多分いっぱいあると思うんですよね。
多分だから僕自身ももしかしたらもうすでに価値観が変わり始めてるのに
気づいてないことがあるんじゃないかって多分思うんですよきっと。
本当は、だからこの岡田斗司夫さんはこの本の中で、
若い人を見るのが多分価値観が変わったかどうかを知るのに一番いいっていう風に言ってたんですけど、やっぱり。
結局ね、その若い人がどんどん年齢重ねていって時代を作っていくことになっていくわけだから、
それはそうなんだけど、
そういう意味で自分もだんだん多分若くなっていくわけじゃないですか。
若くなくなっていってるわけですよね、完全に。
そう考えると、もしかしたらもう僕の中でももうすでに価値観のずれが生まれてきてる可能性っていうのはやっぱりあるわけですよね。
Takaya Deguchi
どう考えたって。
kudakurage
それはなんかやっぱりちょっと、
一つそういうものだっていう風に思いながらちょっと自分も社会に接していかなきゃいけないかなっていう風にちょっと思うしね。
将来の評価経済社会への展望
kudakurage
時代に完全に合わせていく必要性はないかもしれないけど、やっぱりなんとなくこう価値観がすれ違ったままいくと多分老害化していってしまうので絶対に。
昔のね、
ジジイうるせえなみたいな風に自分が若い頃生きたのと同じように多分そういう関係性になってしまうとやっぱりちょっと悲しいなって思うから。
Takaya Deguchi
そうですね。
まあでも一方でなんか僕らみたいな仕事をしてる業界の人って割と日本全体から見るとそのこう変化が早い方だとは思うんですよ。
うん、まあそうだと思うよ。
割となんかこう大きめの会社の人と最近接する時間が増えていって、
なんかこういう会社の人は当たり前にプロパーで大きい会社に入ってずっとこう同じ会社にずっといるみたいな価値観なんだなまだっていうのを思うこともある。
kudakurage
まあね、そういう人もまだ多いだろうね。やっぱりそういう大きな会社とかに行くとさらにね。
Takaya Deguchi
話す人話す人みんな新卒でこの会社入ってんだなみたいななんかこう。
kudakurage
そうだよね。僕の兄弟ですらそうだったりするしね。
まあちょっとあの話聞いてないから実際どう思ってるかはわかんないけど、
少なくとも今働いてるのはずっと新卒からずっと同じところで働いたりするから。
でね、こう家持って家庭持ってそれが幸せって思ってるかどうかちょっとわかんないけど聞いてないから。
なんかそういういわゆる昔の生活スタイルみたいな。
まあそれが悪いとも言わないけど全然幸せだと思うけどもちろん。
でもまあそういうふうにやっていて、もしかしたらなんかどっかで価値観がまだ。
Takaya Deguchi
そういうなんか世代のズレもあるけど、割合としてのズレっていうのもあるだろうなと思って。
kudakurage
まあまあそうだね。確かにね。
まあそういう意味では確かに、高度情報化社会、情報革命が起こったその最前線にいる業界だからまだ早い方っていうのはあるかもしれないよね。
そこにやっぱり多く触れてるっていうところもあるだろうし、
まあその経済自体、会社とかがさ、そういうものを扱っているところが割とそういう最前線にいて、
そういう文化的な影響とか価値観的な影響を受けている可能性っていうのがすごく多分あるだろうし。
まあでもそうは言ってもね、やっぱり物の売り方とか単純な物の売り方とか考えてもやっぱり、
そのいう物が無視できない時代になってきてるわけじゃないですか。
やっぱりお店で、お店に物を卸して売ってればいいっていう時代じゃなくなってきたみたいな。
マーケティングとか考えていくとね。
そういう意味では、やっぱりこの評価経済社会的な部分っていうのを無視できなくなって考えていかなきゃいけないのかなみたいなところではありますよね。
Takaya Deguchi
この本いつの本でしたっけ?
kudakurage
この岡田斗司夫さんのやつは、最終的にはKindle版は2013年ですね。
だから2013年、まあ10年前だからどうだろう。
大元は1995年の本らしいんですけど。
で、大筋の内容はほぼほぼその時の話らしいんですけど、ちょっと僕もそっちの本読んでないからどこまで変わってるのかとかわかんないけど、
ただ事例とかは確実に変わってるわけじゃないですか、そんなもう20年以上前だから。
だからその辺はどんどんアップデートされてるとか、まあいろいろ付け足してるっていう部分はあったらしいですけど、
でも大筋の内容は結構この、そういう評価経済社会的な話らしいですね。
Takaya Deguchi
なんかむしろなんか、この評価経済社会のその先は何なんだろうなっていう方が気になるけどね。
なんか結構もう時が経ってる感じがする。
kudakurage
まあまあまあ、だから割と今に当てはまってきてるよねっていう話だからね、この辺の話って。
うん。
まだ、まあちょっと。
Takaya Deguchi
もう評価経済社会極まってる感じがするっていうか、さらにその先は何なんだろうなみたいな。
だからむしろ方が求められる時代にまた来るんじゃないかなみたいな。
kudakurage
まあなんか岡田斗司夫さん的にはもう今はその高度経済社会じゃないですけど、高度評価経済社会みたいな時らしいから、
まあ同じ認識だと思うけどね、たぶん。
まあでも、実際にじゃあそっからどうなっていくかっていうのはやっぱり予想は難しそうなんじゃないかな。
なんか岡田さんもそれが予想できないとダメだっていうふうに本の中で書いてたけど、
ネットコミュニティと評価経済社会
kudakurage
まあそれを予想するためにどういう価値観の変化があるのかっていうのを調べるためにさっきちょっと話してたような、
パラダイムシフトによって今までどういう価値観の変化が起きてたのかっていうところが、
まあ前振りとしてザーって長くなんかいろいろ話があったんですけど。
まあでも結果的にじゃあその価値観になった時にどういうことが起こっていくのかっていうのは、
まあなかなか論じるのは難しいような気はするね。
なんかたぶんそれだけじゃないし、環境の変化とかもいろいろ出てくるから。
まあただ言えることはやっぱり自分の気持ちみたいなものを重要視する社会になっていくっていうことなのかなっていう部分ですね。
まあだから価値観の本質的な部分でしかないんだけど。
でまあなんかその一応評価経済社会の個人の振る舞いみたいなものが書いてあったんだけど、
どういうふうに他の人、他のというかその評価経済社会の中では人々はどういうふうな振る舞いをするのかみたいな。
その評価軸になった時ですよね。
その時は3つぐらいあって、他人をまず価値観で判断するっていうふうに言ってたけど、
今まではなんかステータスとかものとかで評価していたかもしれない部分を、
なんかこうもっと価値観、その人の価値観につながるような趣味思考だとか、
そういうもので判断する時代にまずなるんじゃないのっていう話をしてたかな。
まあこれはなんか、何だっけな。
Takaya Deguchi
そうですね。
kudakurage
あの、まあこれ極端な例だと思うけど、岡田内夫さんの会社では、
なんかその人が学歴どうのっていうことを聞かずに、
ずっとそいつがどういう今までアニメを見てきたのかとかっていう話を面接でして、
なんか採用不採用を決めてたみたいな話をしてたけど、
まあちょっとそれ極端な例かもしれないけど、
まあでもそういうような話じゃないと思いますね。
Takaya Deguchi
別に僕ら業界でも、まあ学歴っていうよりは技術力あるかとか、
そういうところで見たりするから、まあそんな変わんない気がしますけどね。
kudakurage
うん。
で、なんかでもその技術力よりも多分もっと趣味思考に近いものなんじゃないかなと思うのね、
この価値観っていうのは。
うん。
なんかこう、たとえまあ技術までいかないかもしれないけど、
こういう、最近こういう、なんていうの、
分野の言語に興味があるとかさ、わかんないけど、
プログラミング言語に興味があるとか、
そういう部分でこの自分の会社にマッチするか、
その価値観的としてマッチするのかっていう話ですよね。
その文、よくあるじゃないですか、
Takaya Deguchi
なんか会社の文化みたいなさ、なんか言語化されない文化みたいな、なんか。
ああ、なんかまあわかりますよ。
なんか、まあさっきのブランディングもそうだけど、
なんかバリュー、MVVとかパーパスとかそういうのがあるじゃん。
うん。
なんかまあそれに合ってるかどうかみたいな判断で採用に決めるみたいな。
そうだね。
kudakurage
まあ普通にみんなやってると思うんだけど。
うん。
まあでも確かに、そういうふうに見れば結構現状のやつに近いね、確かにこれも。
うん。
で、まああとはなんだっけ、まあ価値観があるか。
価値観が同じ者同士でグループ形成するっていうのはまあそれはまあ、
えーと、まあいろいろある。
まあこれ会社とかの話もそうかもしれないけど、
まあ趣味グループみたいのはどんどん、
まあポコポコポコで多分できていくっていう話だと思いますね。
うん。
Takaya Deguchi
まあゲーム仲間ができたりするとかさ。
kudakurage
うん。
まあDiscordとかは割とそういうものの象徴。
まあPodcastとかもね、もしかしたらそうなのかもしれないよね。
確かに。
Takaya Deguchi
価値観を共有する者同士のグループコミュニティと言えるのかもしれないよね。
kudakurage
うーん、そうですね。YouTubeのチャンネルもそうだけど。
そうそうそうそう。
まあTwitterのフォローフォロワー関係とかも、
複数の価値観のコーディネート
Takaya Deguchi
まあそういうものに近い可能性あるね。
kudakurage
うーん。
で最後のやつがね、ちょっと面白くて、
であの、個人の中で複数の価値観をコーディネートするっていう、
まあ振る舞いをするっていう風に言ってるんだけど。
うん。
これがどういうことかっていうと、
まあこういう風には書かれてなかったんだけど、
まあ簡単に言えば僕多分多重人格化っていうことだと思うんだよね。
うーん。
その、これってでもよくちょっと前だったら、
Twitterのサブ赤とかに近い話なのかなと思って。
確かに。
Takaya Deguchi
なんか最近若い人にインタビューすると、
まあインスタとかクラスターによって長くも使い分けてるとかね。
kudakurage
そうそうそうそう。
あれって価値観を使い分けてるんだよね。
そのグループによって。
確かに。
このグループだとこういう価値観の自分で接する、
こういう価値観のグループで接するっていうのを全部使い分けてるっていうようなものなんですよね。
だからそれをこうコーディネートするって言ってるんだけど、
これどういうことかっていうと、
まあさっき言ったように情報がもう溢れている。
情報が溢れてるっていうのは、
まあいろんな人の解釈とか考え方みたいなものが無限に溢れてるわけですよね。
情報がとして。
で、それの中から自分に合う考え方とか価値観みたいなものを選んで、
自分にファッションで着込むみたいに色々コーディネートしていくっていうような考え方。
だっていう風に言ってて。
これはね、なかなか面白い考え方だなと思ったね。
まあだから、ゼロイチじゃないじゃないかな、ほとんどの場合が。
まあこんだけね、情報が溢れていて、
いろんな考え方がもう既に無数に存在してるから、
それをうまく組み合わせるとか、うまく選び取って、
まあ自分の価値観っていうものをどんどんこう作り上げていって、
しかもそれが一個じゃなくて複数のバリエーションを作って、
なんかこう纏っておくみたいなことになってんじゃないかなっていう話がしてあったね。
Takaya Deguchi
なんかMVTIって知ってます?
MVTIっていうなんかあの、16パーソナリティーズっていうサイトが有名だけど。
kudakurage
はいはいはい。
Takaya Deguchi
まあクックパッドとかでも一時期、
なんかシェーディングとかそういうときにやったりとかしてたけど。
はいはいはい。
で、なんかそれが後々、てか最近、
なんか韓国アイドルがなんかそれをやってて、
それでなんかきっかけでなんかすごい若い子の間でも流行ってるんですよ、MVTIがね。
なんかINTP、まあ僕INTPってやつなんだけど、
INTPとかなんかそういう16個だったっけな、なんか型があって。
で、それがどこに当てはまるのかっていうので、
まあ割となんか当たってるなと思うんだけど。
で、なんか誰々は、韓国アイドルの誰々はそのINTPなのか何なのかみたいなのが結構なんか流行ってるっていうか、
だからなんかあの子と近いみたいな、なんかそういう。
kudakurage
はいはいはいはい。
Takaya Deguchi
なんかそれもなんか今の話にちょっと似てんなと思って、
なんかこうその価値観がわかりやすくラベリングされてるっていうか。
kudakurage
はいはいはいはい。
そうね。
まあそれの中からなんかこう自分に合うものを選んでまとって、
多分これですっていうふうに言われて、
なんかあんまり記憶に残らずになんか適当にほかってしまう人もいると思うんだよね。
なんかどんどん忘れてってしまう人も。
でも一方で多分それがなんか自分に合ってていいなと思ったら、
情報整理する人の重要性
kudakurage
多分それ自分はこういう価値、
なんかそのなんていうの診断テストで出た人間ですみたいな価値観をまとう人もいるだろうし。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
なんかそういうところは多分あるんじゃないかなと思ってて、
結構面白い視点だなっていうふうに思ったねこの。
Takaya Deguchi
なるほど。
kudakurage
でまあその評価経済社会で、
じゃあどういう人が重要になっていくのかっていうものの一つの視点として、
一個これも面白いなと思ったのが、
まあこれもすでに現実になってるっちゃなってるんだけど、
その情報を整理する人っていうのは重宝されるって言ってて、
まあこれもうね、
もうほぼほぼYouTubeとかに近いんだよね。
YouTubeでやってるとか、
まあなんかそういうものとか、
インスタグラムとかもTwitterとかもそうかもしれないけど、
うん。
まあ要は高度情報、
ん?
情報、
まあ高度情報化社会になって、
情報が溢れて、
無限の情報解釈が溢れてる中で、
まあそれをまあ結局、
みんなそのコーディネートするにあたって、
どれ選べばいいのかっていうのが、
まあ結構分かんなかったりするわけですよ。
うん。
まあね、よく自分が何が好きか分かんないとかって、
そういう人もいたりするかもしれないけど、
その自分がどういうものに、
なんかこう共感するのかっていうのが分からないみたいな、
いっぱい情報が多分ありすぎて選べなかったりとか、
よく分かんなかったりするんだと思うんだよね。
うん。
で、それをだから整理して、
こういうの、人はこういうものですよとか、
こういう人はこういうのが好きで、
こういうふうに楽しんでいくんですよっていうのを、
整理する人っていうのが、
すごく情報されるんじゃないかっていう話をしてて、
うん。
まあこれはもうまさに今の時代だなっていう感じがする、
するよね。
なんか。
そういうコンテンツが溢れてるっていう。
Takaya Deguchi
いやあ、なんか、
まあYouTubeのショートもインスタグラムもそうだけど、
うん。
なんたらかんたらするなら5000とか、
なんかそういうのがちゃうちゃうですから。
そうそうそうそう。
kudakurage
愛おしいなって思うんだけど。
Takaya Deguchi
そうそう。
kudakurage
まあね、YouTubeにしても、
まあ昔だったらブログにしても、
うん。
うーん、そんなのばっかだからね。
Takaya Deguchi
まあ、ちょっと前だったらネイバーまとめとかそういうのに近いのかもしれない。
ああ、そうだね。
kudakurage
うん。
Takaya Deguchi
いやあ、なんか結局なんか、
その気持ちを大切にするって結構むずいと思うんだよね。
なんかこう、
うん。
みんながみんな何か自分があるわけではないと思うから。
軸みたいな。
はい。
で、軸を自分で考えるのって結構むずいから。
そうそうそうそう。
まあ自分に意思決定しなきゃいけないってことだと思うからね。
うん。
で、それができないから、
そのギャップをうまく使ってんのがそのなんたら何千みたいな。
kudakurage
ああ、そうそうそうそう。
でもまあ、
そのギャップを多分うまく使う方法として、
多分そういう情報を整理する人っていうのが超押されるっていうのは、
まあ何千とか出すっていう方法もあるんだけど、
多分こういう価値観の人に使ってもらえると、
いいなと思って作りましたこの商品みたいな見せ方をするとか。
でもそういう使い方も多分あると思うんだよね。
うん。
だから自分はどういう価値観なのかちょっとよくわかんないなと思ったけど、
この商品で言ってることは自分の価値観にもしかしたら近いのかもっていう提示をされ方をしたら、
評価経済社会の極まり
kudakurage
その商品を買うかもしれないみたいなさ。
Takaya Deguchi
なるほどね。
kudakurage
うん。
多分そういうところも入ってくるんじゃないかな。
情報を整理するっていうとか、
どういう価値観があるのかっていうのを見せていくっていうのか。
Takaya Deguchi
じゃあ次のパラダイムは、
やっぱり自分の気持ちを大事にするっていうのは難しいっていうことに気づくっていう時代なんじゃないですか。
kudakurage
どうなんだろうな。
自分の気持ちを大事にするのは難しい。
Takaya Deguchi
だから一定またステレオタイプに戻っていくっていう時代。
kudakurage
でもそれは僕もカウンターとしてあると思ってるね。
Takaya Deguchi
っていうかなんかちょっと感じるところはあるんですよ。
なんかこう、すごい教科書を求める人も結構多い。
若い世代と話すと。
なんかキャリアとしてロールモデルは何ですかとか。
そのロールモデルに到達するためのショートカットとしては何やったらいいですかみたいな。
kudakurage
でもそれは僕もちょっと思ったね。
さっきのパラダイムシフトの流れから言っても、
やっぱり型があって型が壊れて、型があって型が壊れてっていうのをずっと繰り返してるわけですね。
型が壊れてっていうか自由になってというか。
繰り返してて、今はだからその自由な時代にどっちかっていうと入ってるわけですよね。
型がなくなって。
だから多分そういう意味で自分の好きなものが分かんないとかって言ってる人とかっていうのは、
またどんどん型を求める人たちの価値観に入っていくんじゃないかなっていう気はするよね。
Takaya Deguchi
だから本当の意味で自由はもう終わってんじゃないかなっていう気はしますけどね。
結局A、C的な型からみんな選んでるだけなんじゃないかなっていう。
kudakurage
それはあるね。
大多数。
そうそうそうそう。
多分それは僕も含めて多分あると思いますね。
誰かの価値観とか考え方みたいなものをうまく取り入れて、
自分用にちょっとカスタマイズしてるだけであって、
あんまり何だろう。
だから集合体としては全然別物なんだけど、
一部としては全く同じものを取り入れてコーディネートしているっていう感覚はあるよ。
Takaya Deguchi
自由な時代、働き方も自由だ、みんなフリーランスだって言うんだけど、
結局やってることはみんな別に受託をやってるだけっていうか、
それって別に自由なんだっけみたいな。
結構社会人にならずにフリーランスになるみたいな、
そういう大学生とかも結構増えてきてるみたいな。
でもそれは本当はもちろん働いてた方が自由の捉え方が違うのかもしれない。
kudakurage
そうそうそうそう。
自由っていろんな意味があるからね。
いろんな自由があるから、どこを重要視してるかによって結構変わってきそうですけどね。
Takaya Deguchi
自由があるよりないんじゃないかっていうのも、
増えてるんじゃないかなというか。
kudakurage
まあまあまあ。
でもなんかさっき出口君が言ってたみたいな、
自由になったからこそ生きづらさを感じているっていう若い人たちっていうのは、
Takaya Deguchi
なんか僕も感じるような気がするねやっぱり。
評価経済社会、だいぶなんか極まってる感じがするなって。
kudakurage
いや、極まってるし、
まあね、今まではね、
貨幣経済社会みたいなお金でやってたものだったんだけど、
評価をじゃあ完全に媒体としてやれるかって言ったら、
結構評価って不確かなものだし、
安定しないからすごく難しいから、
まあどこまで行くのかっていうと、
そんなにね、なかなか定着はしないんだろうけど、
なんかうまく形にすれば、
技術的に形にすれば何かこちら何かになるのかもしれないけど、
とは思ってたね、読んでて。
Takaya Deguchi
極まってるからこそ、
だからメルカリンみたいな大衆向けなビジネスをやってる会社が、
そういうのをビジネスしていくっていうのがちょうどできる時に来てるっていうか。
kudakurage
まあまあそうだね。
そういう感じはするね。
で、まあ最後にちょっと関係ない話なんですけど、
マジックキングダムに落ちぶれてっていうまあ小説があるんですよ。
そういう名前の。
で、このマジックキングダムに落ちぶれてっていうのが割とその評価経済社会に近い話を、
SF的に書いてる物語なんですよね。
で、このものSFなんでこの話の中ではもう不老不死が実現していて、
で、記憶とか意識みたいなものをバックアップできるんですよ、まず。
で、クローン技術もあるからそのバックアップしたやつをクローンにぶち込んで復活できるんですよ。
なのでまあ不老不死なわけですよね、まあほぼほぼ。
自分が、肉体としての自分が死んでしまってもクローンで再生できるから、その意識とか記憶を。
Takaya Deguchi
死とは何なのかみたいな話ですけどね。
kudakurage
まあまあまあ。
まあ技術的に不老不死は実現してるって話ですね、それは。
で、なんかね、だからデッドヘッドっていうものがあって、これ何かっていうと、
なんかその時代が自分に合わないなと思ったらちょっと20年ぐらい死にますとか言って、
20年後に蘇るみたいなことができるみたいな。
いいですね。
っていう設定もあったりして、結構ぶっ飛んでるんだけど。
Takaya Deguchi
いいですね。
kudakurage
で、さらに資源とかエネルギーの問題も全部解決してるっていう、
まあだからフリーエネルギーでエネルギーは無限にあるっていう設定なわけですよね。
SFによくありがちなのかもしれないですけど、こういうのも。
で、さらに体内装置でインターネット通信的なことが可能になっているっていうものになっていて、
例えば脳内で考えたイメージみたいなものをテレパシーみたいな感じで他の人に飛ばして伝えることができるとか、
なんかそういう機能があったりするんだけど、
そのインターネットを介して評価、評価経済社会の評価にあたる、
なんかね、この世界だとウッフィーって呼ばれてるんだけど、
ウッフィーっていうものが評価にあたるものですね、その人の。
その評価ポイントみたいなものっていうのが誰でも見れるような感じになってて、
なんか分かりやすく言うと会ってる人、他自分が目の前に、自分の目の前にいる人のウッフィー、評価ポイントっていうものが
よく見ると頭の上に浮かんでるみたいな、何ポイントですこの人はみたいな。
その人の評価っていうのが見えるような時代になっているっていう時のお話になっていて、
だからそういう評価経済社会が極まった時にどういうことになるのかっていうのを仮想的に考えたSF小説ってことですね、これは。
不老不死の世界と評価
Takaya Deguchi
なるほどね。
kudakurage
結構ね、そういう意味でちょっと試行実験的なものとして読んでて、面白かったんですけど。
小説の内容はそこまで詳しくは話せないですけど、その本の最後に解説っていうのが、他の人が書いた解説が入ってて。
それもね、その本についてさっき言ったようなこととかっていうのを解説しつつ、どういうところが面白いのかっていうところをうまく解説してたんですけど、
いわば不老不死になってすべてのものが資源とかっていうのもいっぱいあるし、食べ物にもこれもあんないし、
なんなら弁護士になりたいなと思ったら今日今やってもいいし、別にちょっと1回死んでからやってもいいし、いつでもできるみたいな状態になってるわけですよね。
だから自分が死なないとしたら何をするのかっていうのを突きつけられたっていう意味でもあるわけですよね、この本の内容っていうのは。
これの究極的な答えっていうのは何だろうっていうことをこの解説の中でこの人は、解説の人が書いてて、
それっていうのは結局、自分が明日死ぬとしたら今何をしている、明日何をするのかっていう話と似て、同じなんじゃないかっていうことを最後に言ってたんで、
僕は最初にちょっと聞いたんですよ、富手口君に。
で、その答えが、その答え、何が一番正しい答えなのかっていうのはわかんないんだけど、きっとたぶん一番幸せな人は何て答えるかって言ったら、
たぶん今と同じことをしてんじゃないのって、いつもと同じことをしてんじゃないのって答えるんじゃないかって言ってて。
これね、どういうことかっていうと、このSFの話って、めちゃくちゃこの不老不死で、資源もめちゃくちゃあって、
とんでもない世界の話を書いてるわりに、この小説の中で主人公っていうか、登場人物たちがやってることってめっちゃせせこましいどうでもいいことが入ってるんですよ、なんか。
でも結局、人間っていうのはそういうところに行き着くんじゃないのっていう話をしてて。
だから、不老不死になるっていうのと、さっきの明日死ぬとしたら何っていうのは、ほぼほぼ同じことを答えるのが人間としてたぶん一番幸せな答えになるんじゃないのかっていう、
それが本当か正解かどうかは別として、そういうことをこの解説の人は言っていたっていう話ですね。
Takaya Deguchi
そうかもね。そんななんか、死なないからって言ってなんかすごいことをみんなやるかって言ったら、そんな高度な人は限られてる感じがしますよね。
kudakurage
っていうかなんかもう、ほぼほぼさ、さっきの設定だとさ、もうやることがないって思っちゃうところがあると思うんだよね、もう。
Takaya Deguchi
まあ分かんない。すごい変わった人は、俺はちょっとブラックホールに行ってみたいんだっつって、なんかブラックホールに行くことをずっとやってるとかいるかもしれないけど。
kudakurage
まあでもほとんどの人はそんなことはなくて、たぶん今と対して変わんない生活をするんじゃないかっていう。
Takaya Deguchi
そうですね。サッカー見てサーナー行くかみたいな話だろうな。
kudakurage
ちなみにこのマジックキングダムのオチブレテに登場する人たちっていうのは何をやってるかっていうと、ディズニーランドあるじゃん。
一応フロリダのディズニーランドが舞台なのかなの、いろんなアトラクションあるじゃん、なんか。
ホンテッドマンションみたいなものとか、なんかいろんなたぶんエリアがあると思うんだけど、あれの運営方針をそれぞれ守り続けるってことしかやってないの。
Takaya Deguchi
どういうこと?
kudakurage
まあ要はなんかね、攻撃されたりするんですよ。なんか他のエリアの人たちに、いやそんな運営はダメだっつって、なんかいろいろこう破壊的な攻撃を受けたりするわけだけど。
Takaya Deguchi
なんかでもそれを、いやそういう運営方針じゃダメだっつって守るみたいな、なんかそういうもう本当にどうでもいいことやってるわけですよ、その言ってみればね。
なんか正直どうでもいいわけじゃないよ、そんなのなんかもう不老不死でさ、エネルギーもいっぱいあってさ、生きてられるんだから。
kudakurage
でもなんかそういうふうにことをやることによってなんか評価を、自分の評価をもう社会的な評価をどう守るのかとかっていうところにこう行き着いてて。
まあ正直そんなのどうでもいいことしかやってないっていう、言ってみればね。
人間の本質とエンタメ
Takaya Deguchi
なるほどね。
kudakurage
っていうところがまあちょっとこの本の面白いところなんですけど、まあでも最終的には人間っていうのはそういうもんなんじゃないかなっていうところの話ですね。
Takaya Deguchi
そうですね。死なないとしたら、そうなりますよね。
なんかやっぱサウナみたいな快楽みたいなところとか、こうサッカーとかスポーツみたいななんかこう、まあエンタメみたいなところに時間を使うようになるんじゃないかな。
kudakurage
まあまあまあそう、そうだね。
なんかね、ちょっと思ってて、いろいろ読んでて思ったことあったんだけど、なんかハテナブックマークとかも僕が通ってきてよかったなってやっぱり今だに思うんですよね、改めて。
Takaya Deguchi
評価経済社会ですね、あれは。
kudakurage
で、結構さ、ハテナブックマークってまあ昔のインターネット文化的なもの引きずっているから、どうしてもこうディスコミュニケーションっていうかさ、
なんかやっぱりなんかこう嫌なことを言う人みたいなのが多かったりするわけですけど、一見。
でもなんかまあそういうのをちゃんと直視できる人間として育ってよかったなっていうふうにちょっと思ってるところもあって。
Takaya Deguchi
いやなんかさ、よくいるじゃん、なんかハテナブックマーク嫌いだからあそこには絶対載せないし見ないみたいな人っているじゃん、たまに。
kudakurage
別にそれがいいか悪いかっていうのはちょっとわかんないけど、僕はちょっともったいないなって思うんですよね、なんかそれって。
その人のなんかね、否定的な意見を言ってる人たちが、まあ合ってるかどうかっていうのは別なんだけど、ただ一つのものの見方っていうのを言ってるものじゃないですか、なんか。
まあ間違ってるかもしれないけど。
そういう角度のなんか意見っていうのを見れない、見れなくしてるっていうのはちょっともったいないなっていうふうに思うっていうか。
なんかそういう意味で自分はそういうものに対してちゃんと直視して見ることができることのようになってるから、ちょっとよかったなって思ってる部分があるっていうのはちゃんと通ってきて。
Takaya Deguchi
インターネットのサービス作る人としては良いというかなんていうか、まあそういうもんだよねっていうなんかこう。
kudakurage
まあまあまあまあね、人によってはね、精神衛生的に良くないとかそういう人もいるからね。
Takaya Deguchi
なんか昔のインターネットでもっと汚かったっていうか。
kudakurage
まあまあまあ。
Takaya Deguchi
まあ兄ちゃんとかそういうので育ってきたから。
kudakurage
そうだね。
Takaya Deguchi
まあ確かに今はなんか綺麗な世界だけ見てれば、見ようと思えばそれでも済ませられる感じはしますけどね。
なんかこう、フィルターかけられるっていうか。
kudakurage
ツイッター、まあツイッターもまあフィルターかけられるっていう部分もあるけど、なんかもうあまりにも一般的になりすぎて、その社会的な目があるから、そのある程度フィルタリングされるというかさ、浄化される部分があるじゃないですか。
だけどハテナブックマークってさ、その社会的なものになり得てないから、そのムラなんだよね。だからやっぱり。ムラだからさ、やっぱりちょっと水が濁ってんだよね、なんかちょっと浄化されずに。
インターネット上での評価と批判
Takaya Deguchi
そうっすね。なんてこれ、偏ってんなーみたいな。
だから貴重だよ貴重だよね、そういう意味では。
kudakurage
免疫をつけるっていう意味の貴重さはあるような気がする。
Takaya Deguchi
これより具合がすごいなとは思いますよ。
kudakurage
なんかすごいハテナブックマークディスったりみたいで嫌なんだけど、僕は好きなんだよね。
Takaya Deguchi
いや僕も好きですよ。あ、ハテブでこういうコメントが来るぐらい、なんかハテブのブックマークついたんだなーみたいなこう。
むしろ何も反応がない方が、なんか何の反応もない記事を生んでしまったみたいな気持ちになるっていうか。
kudakurage
いやなんかでも、そういう批判されるっていう経験ってやっぱり、
その年とか経験を積んでいくとどんどんなくなっていくなって本当にやっぱり実感し始めてて、僕自身も。
そういう意味でその批判される場があるっていうのは幸せなことだなって僕は思うんですよね、時々。
Takaya Deguchi
うーん、なんかもうでも今年とかじゃないんじゃないですか。あんま批判しないみたいな、なんかこう会社とかでも。
kudakurage
あーまあまあそれもあるね。そのツイッターにしても、その批判することによって逆にこうね、なんか評価が下がってしまうとかさ。
そういうこともあるから、批判そもそもしないとかっていう人もいるだろうしね、社会的に。
Takaya Deguchi
なんかこう、ハラスメント的なのにつながる可能性もあるから言わない方が、まあ全体的に得っていうか。
kudakurage
そのなんか、逆にちょっともったいない感じはするよね。
Takaya Deguchi
うーん、だからディスられなれないというか。
kudakurage
だから僕はハテナブックマーク大好きですね。批判してくれるのは助かるなって思うよね、やっぱり。
まあでもそれがね、あの、老害ばっかりになっちゃうとちょっとどうかなって思うよね、さすがにその批判する人たちが。
Takaya Deguchi
まあちょっと批判の角度がだいぶ偏ってる感じがしますけどね。
kudakurage
あの、若い人も入ってくれて批判してくれるのが一番いいのかもしれないね、やっぱり。
うーん。
何の話してんの。
Takaya Deguchi
何の話。
kudakurage
まあでも、うーん、まあそうだね。
まあそういう評価経済社会の話でした。
まあでも結構ね、面白かったんで。
これね、Kindle、Kindle、Kindle Unlimited、まあPrime入ってれば多分Kindle Unlimitedで、多分0円で読めるから。
うーん。
ちょっとね、読んでみてほしいですね、時間があるときは。
っていう話でしたね。
Takaya Deguchi
うん。
kudakurage
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ということで今回はここまで。また次回お会いしましょう。さよなら。
Takaya Deguchi
さよなら。
01:35:15

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