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2022-11-04 1:01:47

#105 あらためて読む「誰のためのデザイン?」

「誰のためのデザイン?(増補・改訂版)」の概要を紹介しつつ、この本が書かれた時代背景、ドナルド・ノーマンの考えの変遷、アフォーダンスとシグニファイアの関係性などについて話しました。

📝ShowNote: https://resize.fm/ep/105-psychology-of-everyday-things

おたよりお待ちしてます💁‍♀️
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00:00
[音楽]
こんにちは出口です
こんにちは本山です
リサイズ編は、本山と出口が最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて、
どんびり話すポッドキャストです。よろしくお願いします
お願いします
この前 Subtopics で話した トガシ店に早速行ってきたんですよ
週末時間を見つけて
いやー結構 凄かったね
「凄かったね」って言ってもらったけど
僕はあんまりどういう感じなのかって事前情報を知らずに言ったんだけど
なんかこう ひたすらあれがある あのなんだっけ
あのネームもあったんだけど その原稿 生原稿っていうんですか
へー
あれが遊薄書とレベルEと あとハンターハンターの
生原稿がバーってこう いろんなよくある名シーンみたいなやつの生原稿が
こうあって、で中にはそれのネーム、その原稿に至る前の完全に下書き、下書きよりももっと前だよね。
なんかストーリー決める、コマ振りとか決めるやつ。
ネームも中には展示してあったりとかいう感じで、結構な量があって、なんかね、結局なんか2時間ぐらいいたもんね。
へー。
なんかめちゃくちゃ、疲れた。だから。
混んでました。
なんかね当日券もなんかちょっとあるっぽくて それもあって結構人入ってましたね
なんかいろいろ文書が書いてあるところもあるんですよ なんかその極秘情報じゃないけど
展示用に用意された多分テキストとか そのトガシさんのコメントみたいなやつが書かれてるスペースもあるんだけど
そこは多分みんなこう立ち止まって読むからちょっと混んだりするんだけど
まあでも そんなめちゃくちゃ混んでるって感じではなかった
へー
展示の部分は
へー
それは良いですね
ただ その展示ずっと見終わった後にショップがあるんだけど その展示用の
ショップはめちゃくちゃ並んでましたね
へー
やっぱり こう たぶんそこも入場制限してるから ちょっとずつ入れてるって感じだから
で、みんなこう、ね、ゆっくり見て回ってって感じだから、 なかなかこう、進んでかなくて。
まあでも、そう、めちゃくちゃ待たされたわけじゃないけど、 まあでも、並んで入ってって感じでしたね、そこは。
いや、よさそう。よさそうだけど、 悠悠白書しか知らないからな。
(笑)
いや、でもなんか、面白かったよ。 なんかこう、ね、それぞれ、Hunter x Hunter とか、 悠悠白書の、なんか、名前の由来というかさ、
03:01
どういう風に名前付けたのか、なんでそういうタイトルにしたのかっていうのをちょっと書いてあったりして、面白かったですね、それは。
結構ボリュームありそうなんですね、その展示は。
結構ボリュームあったね、なんかもう、本当にまあゆっくり、僕はすごいゆっくり見てもらったから、
なんか結局なんだかんだ、たぶん2時間、2時間行ってないぐらいかもしれないですけど、2時間弱、1時間半ぐらいはいたんだと思いますけどね。
ボリュームある展示、確かに疲れますよね。わかる気がする。
見てる間は気を張って見てるからあれなんだけど、見終わった後、もう足がめちゃくちゃ疲れてた。
ずっと立ち一歩だからさ。
頭も疲れますよね。
そうそうそう。でもね、結構良かったですね。
生原稿入れて、なんかこう、すごい。
やっぱりさ、ジャンプって基本大きめに、ちょっと大きめに描いて、なんか縮小してるじゃん、大体。
そうなんだ
だから原稿ちょっとでかいんですよ 実際のジャンプのサイズよりは
そうなんだ
だから線が結構そこをきれいに見えて
原稿よりも最終物かってことか
だから線の感じとかが すごく生原稿だと当たり前だけどよく見えて
なんか面白い こういうふうにやってんだみたいな
この表現 どうやってやってんだろうなと思ってたけど
書いた後には五周世紀みたいなやつでシャーってやってたりとかするとか
筆でシャーってやってたりとかするみたいなのがよく見えて
すごい良かったですね
良さそう なんか美術館行ってるような感じなんですね
うん ほんとそんな感じだったし
多分あんまりストーリーわかんなくても
なんとなくこの物語のについてとか
キャラクターについてみたいのが書かれたりするから
だからレベルEはあんまり、僕もそんなに読んだことなかったから、そんなに知らなかったけど、それも普通に楽しめたし、良かったですね。
ハンター・ハンターがやっぱり一番多いんですか?
ハンター・ハンターが一番多かったかな、でも遊泳博書も多かったかな、結構。
まあでもハンター・ハンターの方がちょっと多いんじゃないですかね、やっぱり。
やっぱりなんかね、登場キャラクターもめちゃくちゃいるし。
確かに。
何変何変っていうのも、たぶん誘拗者より多いと思うし
だからそっちの方が多かったような気がしますけどね
森… 六本木ヒルズでしたっけ?
六本木ヒルズですね。森厚センターですね
あとなんか面白かったのは、なんかこう、著名人の方からその
このToga支店のお祝いメッセージ的な、なんかこう、ボードみたいなのが
コメントみたいのが貼り出されてて、最後のところに。
そこにみんな、例えばジョジョの荒木さんが描いた、
06:02
ゆうすけのイラストのコメントがあったりとかあったりして、それも面白かった。
確かに。それぞれのタッチで描かれてますね。
そうそうそうそう。
すごい、すごい荒木さんっぽいゆうすけだ、みたいな。
ジョジョに出てきそうな。
そうそう、それも結構面白かったですね
へぇ~、面白そう
じゃあ、ちょっと六本木寄るときにあんまないけど、行ってみようかな
うん、結構ボリューミーなんで、そこは確保した方がいいかもしれないですけど
うん
当日フラッと入れるんですか?予約とか必要?
わかんない、まぁ予約した方が確実だと思うけど、なんかでも当日券もあるっぽかったけどね
なんか僕は普通に、元々予約してたからそれで行ったんだけど
なんか普通に、たぶんまだチケット持ってないですって人も来て、チケット買って入ったりもしてたから、
たぶん当日も行けるんじゃないですかね。
ちょっと、その辺はたぶん事前に予約した方が確実だと思いますけど。
うんうん。1月?1月9日までか。結構やってるんですね。
多分チケット買えるのも、一応多分上限はあって、
開いてればすぐ入れるけど、開いてなかったら、その日の何時にとか、
っていう感じになるんじゃないですかね、きっと。
あの、庵野さんの時もそうだったから。
うんうん。
じゃあ、ちょっとなんかのついでに行ってみます。
うん。
なんかカフェもあったけどね。
カフェも結構混んでたな。
へー。
なんかコラボカフェみたいな。
はいはいはい。
いろんなメニューがありましたけど。
じゃあ今日は、ちょっと誰のためのデザインをやろうかなと思って。
なんか前、何回か前にUIデザインざっくり歴史みたいな話をした中で、
まあ何回かノーマンの本の話は出したと思うんですけど、
ちょっとなんか、それ聞いてて、改めてちょっと取り上げてみてもいいかなと思って。
取り上げることにしました。
ただ、めっちゃ分厚い本なんで、
到底この1時間ちょっとじゃ説明しきれないんで、
今回はこの本の重要な概念、いくつか登場すると思うんで、
それの触りの話と、
あとは、そもそもノーマンの登場した時代背景とか、
この本が作られた背景みたいな話とかできたらいいかなと思ってる感じですね。
で、そもそもドナルド・ドーマンってどういう人なのかっていう話から入りたいんですけど、
ノーマンはデザイナー、肩書きはデザイナーではなくて、もともと認知心理とか認知科学者っていう、大学の先生ですね、もともとは。
09:04
認知心理というか認知科学というのが何なのかというと、これ結構本の内容にも関わってくるんですけど、
そもそも認知心理というのは心理学の一つの分野で、認知心理学の中でも認知科学というのがあって、
認知科学というのは情報処理、パソコンとかコンピューターとか、アイパートでも何でもそうなんだけど、
情報処理の観点から人とかあるいは動物の知能の動きとか性質だとかを理解する学問っていう感じの分野で
割と心理学の分野ではあるんだけど、情報処理的な分野とも関係あるし、デザインにも関係あるし、割と学際的な広い分野なんですよね。
僕も自分の出てた大学が 情報デザインとソフトウェア開発と
あとは認知科学っていう 3本柱の大学みたいな感じで
僕はどっちかというと ソフトウェア開発のメインの専攻はそうだったんだけど
結構学部の初期の頃って 情報デザインのこともやるし
認知科学のこともやるみたいな感じの 大学だったんですよ
だから結構、認知科学系の授業が必須とかで取っていると、結構なんてか、わりと死にかくっぽい授業もあったりとかしたんですよ。
それってなんかあれですか?認知科学系の専攻の人もいたってことですか?
小数ですけど、いました。認知科学の先生が何人かいたので、そういう人の研究室に入ると、やっぱりそれ系の研究室。
なるほどね。
まあでも、とはいえメインの、なんでしょう、大学の学部としては、情報処理の、情報系の学部って感じだったんで、
情報系の中での、まあその認知心理、まあ認知科学なんですけど、それが、をやるっていうような感じだったんですね。
だから僕もこの本の内容に出会ったのは、
たぶん認知心理系の先生の講義で知ったのが最初だったなという記憶です。
というのの第一人者がドン・ノーマンであると。
もともとカルフォルニア大学で教授をしてたらしいんですけど、
1980年代の後半に家庭用コンピューターが登場したという、
この間歴史でも触れた話ですね。
その頃ってやっぱ、その前枠、その頃のコンピュータは人のために作られていないっていうことで、
デザインっていうものの概念が、もちろんフィジカルなプロダクトデザインとか、
工業デザインみたいなところではあったと思うけど、
それがなかなかコンピュータの分野では確立されてなかった時代だったし、
そもそもこのデザインっていう文脈の中でも商業デザイン的なのが前世紀だから、
12:04
いかに広告のデザインとか、コカ・コーラの広告とか、Macの広告とか、いかに認知をとるかみたいなところが主流になっていた時代の中で、
最初にノーマンが出した本が「ユーザーセンタードシステムデザイン」という本らしいんです。
で、これなんかまあ頭文字が UCSD なんですけど、これなんかカリフォルニア大学の頭文字でもあるらしくて、それにこう後付けでユーザーセンターとシステムデザインっていうのを当てはめたっていうらしいんですけど、
その中で初めてHCDっていう非マンセンターデザインっていう概念が提唱されたっていうのが一番のスタートですね。
その後、ノーマンは結構、その後何だろう、3マイル頭の原発事故って、大きい原発の事故があったりしたんですけど、
それの事故分析もやったりとか、そういうような仕事もしつつ、
1990年代に入ると、アップルがユーザーエクスペリエンスアーキテクトオフィスっていうのを社内に作ったらしいんですよね。
そこでノーマンがUXアーキテクトっていうような 型書きで働き始めたらしくて
Appleで それがUXっていう言葉の始まりだって 言われてますね
そこでノーマンはHR ヒューマンインターフェース ガイドラインの策定とかをやってて
93年にAppleのフェロー兼Advanced Technology Group副社長っていう
という結構選めのポストにつくようになったみたいですね。
で、なんかどうやら97年にはWDCでJobsが
「カスタマーエクスペリエンスを我々は最重要視するんだ」
みたいな発言をしてたらしくて、
だから結構なんかこうまだまだこう、
当時のアメリカとかだとそういう商業デザインみたいのが前世紀で
なんだけどやっぱりそこの頃からAppleは
まあUXを大事にするみたいな宣言をするぐらいだし、
そういう部署を作ったりとかしてたっていうような感じみたいですね
で、98年にはもう一人、結構この分野で重要人物としては
ヤコブ・ニールセンっていう人がいると思うんですけど
ヤコブ・ニールセンって、なんだろう、ユーザビリティの権威みたいな人で
なんかよくニールセンのユーザビリティ重原則みたいなのが有名だと思うんですけど
その人と一緒に共同でニールセン・ノーマングループっていう
今でいうデザインファームを設立した。
そこでアプリを辞めたのかな、という感じですね。
その中でいろんな会社にコンサルトして、
そういうHCDとかユーザビリティとか、
そういうコンサルティングをし始めた、というような感じですね。
ちなみに、99年にはジェームス・ギルモアっていう人が、
エクスペリエンス・エコノミーっていう本を出したらよく出して、それが結構売れたらしくて、経験経済ってやつっていう本で。
15:03
それが前サービスデザイン思考の本の回でも取り上げたDominant Logicとか、そういうのに繋がっていく話だと思うんですけど、
今でいうサービスデザインとかデザイン思考とか、そういうものではなくて、ことが大事だよみたいな話がこの99年で始めたり、
2002年になるとJJ GalletがUXの5段階モデルみたいな中で
もともとAppleの中でUXという言葉が始まったみたいな中の
そのUXデザインというのを5段階モデルを通して広めていったりとか
広がったりとかさらに2007年iPhone発売したりとか
2010年になるとUXという言葉の定義がISOで企画化されたりとか
そういう感じで広がっていったというような流れかなという感じですね。
なんでざっくりコンピューターとかそういう分野の中で
まだまだデザインが確立されていない中で
HCDという概念とかUXとかそういったものを提唱し始めたのが
この認知科学者であるDon Normanというような感じですね。
今回取り上げるこの誰のためのデザインっていうのは
初版は1990年に出てるんですよ
だから全然UXとかそういう言葉が広まる前
ノーマがHCDという概念を提唱し出した頃にできたほう
というのが初版の誰のためのデザインですね
その後2004年頃にちょうどそのHCDとかいう概念が
ある程度広まったというか
HDDからどっちかというと UXとかサービスデザインとか
次のより中小の高い話に行ってる中で出てきたのが
2004年のエモーションのデザインで
さらにその後2011年の複雑さと共に暮らすって本が出てるっていう
そういうようなタイムラインです
今回取り上げる本は
誰のためのデザインの改定版ってやつで
それが2015年に出てるんですよね
だからの枚枠
この25年間
1990年初版出してからの25年間のノーマンの学びをもう一回取り入れて大幅に書き直したって本が2015年版の誰のためのデザインなんですよね
だから同じ誰のためのデザインでもかなり何かというか
その時系列的にも一番最近出たノーマンの一番最近出してる本でもあるので
結構ACとかUXとかあるいは最近のデザイン思考みたいな流れも取り入れた結構本だったりしますね
あとこの改定版の大きなトピックとしては
初版の誰のためのデザインの中に出したアフォーダンスっていう概念が
後から詳しく話すんですけど
結構誤解を生んでしまった
誤用を結構反乱させてしまったみたいな
反省があり
その後に 2011 年の複雑さとともに
18:01
クラスで出てきた Signifier っていう新しい概念を
丸々含めて もう一回 Signifier と Affordance について
こういうものですっていうような解説っていうのを加えたっていうのが
この海底バンダラのためのデザインの新しい点ですね
まあという感じで歴史とか時代背景の中で出てきた本なんですけど
まあ結構まあこの本あの分厚いんで
まあ今回はあの主に第1章の
前に使う道具の精神病理学っていうような
あの章の中から買い摘まんで話すんですけど
まずこの章の一番最初に出てくるのが
ノーマンドアってやつで
まあノーマンドアって呼ばれるものがあるわけではないんですけど
ドアで押して開けるタイプと引いて開けるタイプとか、 あるいはスライドするとか、色々あるじゃないですか。
それで、大体よく間違えるじゃないですか。
押したと思ったら、実は引くだったとか、 スライドすること分からず突っ込んじゃうとか、そういうことあると思うんですけど、
そういうドアみたいな、すごいシンプルなものでも人間を混乱させてしまうよね、みたいな話で。
まあそれをそういう話をさせて ノーマンドアっていうらしいんですけど
そのノーマンドアって Google と色々出てくるんですけど
だからドアみたいなものでもうまく使えないというか
人間を困難させてしまうのは何でなんだろうというところから 話がスタートするんですけど
まあ良いデザインっていうのは 二つの要素があるっていうことから始まって
その一つが発見可能性 もう一つが理解
発見可能性っていうのは、どういう行動が人間が主体だったとして、どういう行動が可能かっていうのを見つけ出せるっていうのが発見可能性。
なんか、道具からそれが見出せるってことですよね。発見できるってことですね。
で、理解っていうのは、それを行動に実際、打つ方法がわかるっていう話ですね。
なのでドアを開けるっていうのは 誰でも理解できるんですけど
ただドアがさっきの混乱を生んでしまうのは 開け方の発見可能性が物によってマチマチだからっていうところですね
だからさっきのノーマンドアの話は 理解はできるんだけど発見可能性がうまく働かなかった例っていうような感じですね
で この誰のためのデザインは色々書いてあるんですけど
主軸になっているのは発見可能性っていうのが どうやって作られるのかっていうようなのを語ってる本ですね
はい
じゃあその発見可能性っていうのが これまた色々深掘りすると色々構成要素があって
それがこの本でよく登場する概念なんですけど
6個あって
Affordance, Signifier, 制約, 対応付け, Feedback, 概念モデル
この6個が結構 この本だけじゃなくて
21:03
デザインとか差別化とかやってると
独自に登場することもあるかなって思うんですけど
この6個の概念は そもそも発見可能性を構成する要素であり
それをうまく構成することによって 発見可能性が担保され
それによってエラーなくちゃんと使えるデザインになるよねっていうような、そういう話ですね。
じゃあこの発見可能性のその6個の要素の中の一つ目であるアフォーダンスっていうのは何なのかっていう話をするんですけど、
アフォーダンスっていうのは、すごくざっくり言うと、何々できそう感みたいなものかなと思っていて、
それを専門用語っぽく言うと、物理的なものと人との関係性、
別に人じゃなくてもいいんで、主体との関係性ですね。
例えば椅子ってのは、背もたれがある椅子みたいなのを 思い浮かべてほしいんですけど、
それを遠目から見た瞬間、体重かけてもよさそうだな、 みたいなことを思うじゃないですか。
っていうのは、その椅子の背もたれっていうものが、
人を支えるってことをアフォードしているっていうような、
そういうような概念ですね。
なので、大事なのは、物の性質じゃなくて、
関係性のことをアフォーダンスって言っていて、
つまり、アフォーダンスっていうのは、物の性質、
要は、椅子は支えられるっていう、
椅子の背もたれは体重を支えられて、性質があるっていうことと、
またそもそも人が椅子に座れるって能力があるっていう、
それの掛け合わせでアフォーダンスってのが成り立っている。
だから、人に座る能力がなかったら、
アフォーダンスってのは存在しないわけなんですよね。
逆にもうちょいわかりやすく言うと、
反アフォーダンスっていう考え方もあって、
それは逆に何やらできなさそうみたいな感覚、感じですね。
例えば、街中とかで歩道に自転車の進入を阻むような、ポールとか立てたりするじゃないですか。
でも、そういうのって別に実際には通ろうと思えば通れる。
頑張ってその隙間を通すとかすればいい。
でも、それを見た瞬間、この道自転車で入れないんだ、みたいなのを自転車に乗ってたら思ったりするじゃないですか。
それが反アフォーダンスが作用してるっていうようなことですね。
で、逆にじゃあガラスのなんだろうな、なんかショッピングセンターとか、なんかまあ大学とか会議室とかのガラスの壁みたいのがあるじゃないですか。
はい。
で、そういうのにぶつかっちゃうみたいなのが、まあ通れると思ってぶつかってしまうみたいなのがあると思うんですけど、
まあそれは本来ガラスの壁、本来壁っていうのは、まあ壁がガラスじゃなくて、まあ普通のいわゆる壁が目の前にあったら、
それを見た瞬間、ここが通れないんだっていうのをアフォーダンスすると思うんですよね。
24:02
うんうん。
なんだけど、その壁がガラスっていう、向こう側が見れるっていうような性質に変わることによって、通り抜けできてしまいそうに見えちゃうみたいな感じ。
だから、本来壁っていうのは通り抜けできないっていうようなアフォードをしてるんだけど、それを隠してしまう。
反アフォーダンスを隠してしまうっていうのが、
ガラスの壁にぶつかってしまうっていうような辞書を、
アフォーダンスを使って説明すると、そういうことです。
確かあれだよね。
椅子の例で言うとさ、
岡本太郎とかはさ、
椅子なんだけど、座ることを拒否する椅子っていうのを確か使ってる。
なんかこう、座れそうなものではあるんだけど、
まあ 実際に座ろうとすると なんかこう ちょっとゴツゴツして痛そうだから
これは座れないなっていうふうに 結局思うんだけど
それはだから反アフォーダンス的なものだよね
あとはまあ 排除ベンチとかも そうなのかもしれないけど
ベンチとかって 普通のベンチって 結構寝ることはアフォードするものだと思うんですよね
寝そべりやす… 寝そべりたくなっちゃうじゃないですか
寝そべりやすさも アフォードしてるとかあるよね
アフォードしているものを ベンチの真ん中に何か物体を置くことによって
寝れなく、寝れなさそうにしてるっていうような感じ
厳密に言えば、それはさらにハイジョベンチの場合は
それは強化することによって 寝れなくしてるんだけど
まあ、そういうまとめると、この
何々できそうみたいな感覚をアフォーダンスという概念で説明してるっていうような感じですね。
で、その冒頭に言ったアフォーダンスの誤解が広まってしまったって話なんですけど、
もともとアフォーダンスっていうのはノーマンが考え出したわけじゃなくて、
もともと心理学者のJJギブソンっていう人が、有名な人がいて、その人が提唱してるものなんですよね。
それをHDDというかUIデザインというか そういうところに持ち込んで適用したのがNormanというような感じなんですけど
よくある誤解というのが 例えばここのボタンをすごく押してもらいやすくするためにここはアフォーダンスさせましょう
押しやすそうにアフォーダンスしましょうみたいな使い方とか そういうのは合要だというような話で
アフォーダンスというのはあくまで関係性なので、例えばドアの話で言えば、ドアノブがあろうがなかろうが、引いて開ける、もしくは押して開けるっていうのを常にアフォードしてるんですよね。
何かしらってことですね、そこは。
そうそうそう あるいはドアの性質によっては穴を開けられることをアフォードしてるかもしれないしぶち破ることをアフォードしてるかもしれない
っていう まあ要は選択肢が穴を開けるぶち破るとか引いたける押してあげるとかスライドしてあげるとかそういう選択肢を人間に対して提供しているっていう
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それがアフォーダンスであって、ドアノブをつけてアフォーダンスしましょうというのは、それは御用で、
アフォード、本来持っているアフォードという関係性をより強化しているのがドアノブというような感じ。
だから正しくはドアノブをつけることによって、ここのアフォーダンスをより近くされやすくしましょうみたいな、そういうような話だと思いますよね。
ここでいうドアノブっていうのが、Signifierっていう存在ですね。
なので、その2つ目に出てくる概念としてSignifierっていうのは、
アフォーダンス、あるいは反アフォーダンスっていうのを人間に企画させるためのシグナルっていうふうに言ってますね。
だから、これ実装で例えるとわかりやすいかなと思うんですけど、
HTMLとかでAタグ使ってHLFでリンク貼ってみたいなことをしたとするじゃないですか
ただそれだけで押したら何か起きそう感はアフォードしてると思うんですよね
なんですけどそれをボタンっぽい形状にCSSで変えるとか
ボタンをカーソル合わせたらインタラクチャが起こるとか
そういうのはまくまくSignifierの強化であるみたいな感じだと思うので
特にノンデザイナーやウェブディレクターとかいうアフォーダンスさせましょうみたいなのは間違っていて、
あくまでシグニファイアをどう強化するかみたいな話というような感じですね。
なので、そういうアフォーダンスとシグニファイアというそういう概念を区別して理解していると、
いわゆるBad UIというような呼ばれるもの、
前のBad UIの回でもいくつか紹介したと思うんですけど、
そういうものがなんで生まれるのかっていうのは 結構説明できるかなっていうような感じですね。
例えばAタグでリンクを貼ってるんだけど マウスカーソルが変化しないっていうのは
それはそのAタグで囲ってる箇所を押したら 何か起こるっていうアホなさが発生してるのにもかかわらず
カーソルが変化しないっていう要はシグリファイヤーが ちゃんと機能しない状態にしてるっていうことによって
後岩が生まれるっていうような説明ができるようになるのかなっていうような感じですね。
あと面白いのは、これ多分誰の手もデザインじゃなくて、確か複雑さと共にクラスからに登場した話だったかなって気がするんですけど、
Signifierっていうのは自然に作られる場合もあるっていう話で、例えば芝生、公園とかイメージしてもらって、その芝生が張ってあって、芝生の剥がれ具合によって、
人がみんなここを近道でショートカットして 撮ってんだなみたいなのがわかる場面ってあるじゃないですか
それって結構自然に作られたシグニファイアーで
その芝生がすげー剥がれてるっていうことを 見ることによって
ここは近道できるんだってことがわかる
30:01
それを知覚させるシグニファイアーとして
その芝生の剥がれ具合っていうのが機能してるとか
あるいはドアにすげー傷がついてたら
ここを押したら剥くんだってことが 知覚できるとか
まあ よくなんかね お寺とか神社とか行くと ちょっとした 銅像とかあるじゃないですか
まあ いろいろなんか 像とか石像とか
それの一部がなんか すごいツルツルになってて
触るといいことあるんじゃないか っていう感じになってると
みんなそこを触ってから よりツルツルになっていくみたいなね そういうのが
そうそうそう
まあ そういう自然に作られる Signifier っていうのは 結構 街中いろいろいっぱいあって
それが結構使いやすさにもうまく作用している場合があるかなと思うので、
それで結構デザイナーの最初は意図していないんだけど、
それをうまく使われることの繰り返しによって、
うまく使われる方向に促されるみたいな作用っていうのは結構面白いかなって思いますね。
そういうのを説明するためにSignifierっていうのは概念がある感じですね。
で、今度はアフォーダーのシグニファイアときて 聖約っていうのが登場するんですけど
これは、この本で登場してくる例としては
レゴのパーツだけを渡されて、警官が オートバイに乗ってる姿を組み立てるってことを言われた場合
実は聖火令を見てなくても組み立てられちゃいますよね っていうような話が出てくるんですけど
それは制約という概念を使って説明すると、まずレゴっていうもの自体に物理的な制約があると。
そのブロックの形状だとか、あるいはレゴって人間のパーツがあったりすると思うんですけど、あれは穴の数とか、穴が合う合わないとかでの制約が存在してますよねっていう。
あとは意味的制約という面では、その登場しているレゴのパーツで警官のオートバイを作るというような
大台の中では、そのポリスっていうような文字列が書かれたプレートみたいなブロックがあったらしいんですけど、
それって別に何の説明がなくても、ポリスって文字列を上下間違えてそのプレートをはめるってことはないわけじゃないですか。
あとはレゴの人間の体を思い浮かべてもらうといいんですけど、あれって大きく頭、体、足って3つの部品があるんですけど、
それって物理的制約も機能してるんですけど、まず人間ってものを知ってるから、頭、体、足の順番を間違えることってのはないと思うんですよね。
そういうのを意味的な制約っていうふうに言ってますね。
あとは文化的制約っていうのもあって、そのパーツの中に赤色のブロックと黄色のブロックで、それぞれがちょっと透明になってるブロックがあったらしいんですけど。
それは赤色のブロックだったらバイクって言ってるからサイレンだよねとか、あるいは黄色のブロックだったらそのバイクの正面についているバイクのメインのライトだよねとか、
33:00
そういうのが分かると思うんですけど、そういうのは文化的にオートバイがこういうものであるとか、警察が乗っているサイレンがこういう色であるっていうのを知っているからわかる。
それが文化的制約。あともう一個ロニー的制約もあるんですけど、そういう制約っていうものを使うことによって、
オートバイを組み立てて例が出されて正解は示されていなくても、制約を手がかりにして最適な行動を選ぶことができる。
制約がもしなかったら、パーツだけ渡されてもいろんなものを作れちゃうと思うんですけど、
ある意味、行動制限されることによって正しい回にたどり着けるというような話ですね。
だから,制約は,ものを正しく,意図通りに使ってもらうための強力な手がかりになるというような感じです.
というのは,凄くざっくりした概要の話です.
本当は,4章で制約について,凄く深く話されていて,
物理的制約は何なのかとか,文化的制約は何で,こういう例があってとか,すごく詳細な説明があるのですが,
あとはアフォーダンス・シグニファイラー制約ときて、次が対応付けっていうやつで、これがスイッチと伝統みたいな話ですね。教室とかオフィスにおける。
よくある、初めて入るオフィスとかで、このオフィスのスイッチのどこのボタンを押したらどこの電灯が消えて、ついたり消えたりするのがわからないみたいなの。
わからなくて何度もつけたら消してるとか繰り返しちゃうみたいなのがあると思うんですけど、
それっていうのは対応付けっていうのがうまくいってないよねっていうのが、対応付けという概念で説明できると。
難しく言うと操作部できる、要はインターフェースと起こる事象の関係性ですね。
例えばゲームのコントローラーとかも、上にスティックを倒すとスプラトゥーンで行くとイカが前に進むとか、Bボタンを押すとジャンプできるとか、そういうのは対応付け。
あとは車のハンドル、右に回したら右に動くとか、そういうのは対応付けがうまくいってる例ですね。
スイッチとか、IHとかガスコンロとか、そういったものをうまくエラーが起きないようにやろうと思うと、空間的なアナロジーをうまく活かすと自然になるよ、という話をしていて。
例えば右に回したら、タイヤが傾いて右に動くというのが、空間的なアナロジーでうまく連携しているから、自然にみんな使えているというような感じ。
あと5つ目がフィードバックってやつで、これはわかりやすくて、行為の結果を伝えるっていう話。
そうですね、これは概念としてはそれだけの話ですね。
ただもうちょい後の章では詳しく説明はあるんですけど、ここではそういう感じですね。
36:06
でもね、フィードバックって重要だよね。
重要だよね さっきの対応付けを理解するにあたって
やっぱり細かくフィードバックがあるとか すぐフィードバックがあるっていうのによって
対応付けがより分かりやすくなるっていうことも あり得るわけなんです
そうですね
特にゲームとかだったら B でジャンプするとかっていうのは
最初は大体分かんないことが多いわけじゃないですか
何をしたら何が起こるっていうのは
でもそれがフィードバックがすぐあることによって 学習できて覚えやすいとかっていうのが
生まれる可能性があるんで、かなり重要な部分でもありますよね、やっぱり。
今、結構個別で説明してるんですけど、実際には結構絡み合ってると思うんですよね。
ゲームでも言うと、Bボタンでジャンプするって、なんか当たり前のように感じてるんだけど、
それってやっぱりこれまで積み重なってきた文化的な制約がかかってるからだと思うんですよね。
逆にそれに反してしまうと、途端にわかりづらくなるっていうような感じですね。
だからいくらフィードバックがあっても文化的制約のセオリーに反してるとわかりづらくなってるとかするっていうような感じ。
逆にフィードバックっていうのは、今だとやっぱりiPhoneとか使ってるとわかりやすいかなっていうふうに思いますけど、
ハプティックフィードバックとか、振動とか音とか、また視覚的なフィードバックとか、
そういうものを通して、例えばソフトウェアのキーボードであってもミスせずに打てるようになるっていうような感じですよね。
それこそね、Splatoonなんて、一番最初のSplatoonってBボタンでジャンプできなかったですかね。
そうなんだ、それは知らなかった。
確かXボタンか、なんか違うボタンなんだよね、確か一番最初のSplatoon。
ジャンプで 2 から B になったんだよ
そうなった?
だからそこで結構ね 最初 戸惑いがあったわけですよ
一番最初のやつをやってた人たちは
あれ? なんかいつもと感覚が違うっていうふうに
ただ 今まで普通のマリオとかしかやってない人たちは
たぶん B でジャンプっていうのが普通だと思うんですけど
そこで一時期 一番最初の頃 2 が出た最初の頃っていうのはあったんだよね
そういう話が
まああれですね、PSがPS5で 罰ボタンの意味を変えたとかそういう話をする
そうそうそう、そういうやつだよね、やっぱりなんか
そこはなんか今までと変わってしまったからこそ生まれた、こうなんか
今までの経験と違うものが出てきたから 生まれてなんかこうちょっと
そうですね
なんて言うんだろう、ミスというか
なんかそういうのが生まれる可能性っていうのはあるわけだよ
そういう自称を制約とか対応付けとか フィードバックとかという概念で説明できますよね
というような話ですね この本でいうと
最後6つ目がノーマン的には一番大事と言っているんですけど
概念モデルですね これはちょっと口で説明するのがなかなか難しいんですけど
39:04
難しく言うとあるものがどう動くかについての説明というやつですね
もう1個似た言葉としてメンタルモデルというのがあるんですけど
メンタルモデルってのは、そのものとかシステムの概念モデルを使う側の人間が脳裏に浮かべる概念モデルのことをメンタルモデルっていう風に言ってる感じですね。
はいはいはいはい。
だから必ずしも概念モデルとメンタルモデルが一致してるとも限らないし、
メンタルモデルっていうのは 使う側 別に使わなくてもいいんだけど
その人間 そのシステムに接する人間が 積み重ねてきた経験だとか
あるいは環境だとか文化だとか訓練だとか そういうのによって形成されるものなので
同じものによってもメンタルモデルっていうのは 人それぞれであるっていうところが
一番難しいところである デザインする上で一番難しいところかなっていう感じですよね
概念モデルの方がもうちょっと大きいクリーチっていうことですかね
だから もしかしたらそれは作ってる開発者側の
説明するときに使うような なんかふわっとしたモデルのことも
概念モデルかもしれないし 使う人が考えるようなもの
それは多分メンタルモデルなんだけど それも概念モデルだよっていうことですよね
だから 個人的な解釈としては
僕らがデザインしてるものってのは そのUIそのものそのものでもあるんだけど
ある意味概念モデルもデザインしてるっていうことも言えるんじゃないかと
でまあよく言うのは
まあその概念
まあ僕らが作ってる概念モデルとメンタルモデルが
できるだけこう同じというか
なんかほとんど似たようなものであることが
のずましいっていう
そうですね
なところですよね
デザイナーがデザインした概念モデルと
ユーザーの能力に浮かぶメンタルモデルっていうのが
一致していると
まあデザイナーの意図通りに使ってもらえる
っていうような感じですね
この本の例でいうと、概念モデルが何なのかっていう例でいうと、
アイコンとかファイルとかフォルダっていうGUIを構成する基本的な要素があると思うんですけど、
アイコンファイルフォルダっていう概念があることによって、
ファイラーっていうようなアプリケーションの理解を助けられていると思うんですけど、
当然実際にはフォルダーっていうものとかいう概念っていうのは PC上にはないわけですよね
そのいわゆる物理的な書類を整理するようなフォルダーが PC上には別になくて
実際には例えばデータベースの位置レコードだったりするわけじゃないですか
もっと言うとデータベースの位置レコードっていうのも それもレコードっていう概念モデルであって
データベースっていう概念モデルの中の位置レコードっていうのは位置概念であると思うんですよね
クラウドサービスというと 実際にはどこかにファイルを保存したっていうのは
実際には複数のサーバーに散らばってたりとかするわけだと思うんですよね
例えばGoogle Driveとか使ったりすると
42:01
そういう細かい面倒くさいことを全部省いて
さっと理解するために概念モデルっていうものがあるっていうような感じですね
なんか別にコンピューターの原理とか動作についてすごく詳しくなくても
アイコンファイル、フォルダとかそういうようなモデルがあることによって
パソコンっていうのを誰でも使えるようになっているっていうような感じ。
まあっていう、
Affordance, Signifier, 制約, 対応付け, Feedback, 概念モデルっていうこの6つの概念が
結構この誰のためのデザイン、それだけじゃなくて
このUIデザインっていう領域の中ですごく登場してくる要素かなっていうような感じですね。
例えばじゃあハサミとかってハサミっていうのはどう動くかっていうのは誰でもわかるじゃないですか。
どう動くことによってどう髪が切れるかみたいなのって、そういう概念モデルが誰でもわかってる状態ですよね。
わかりやすい概念モデルを提供してるっていう感じ。
さらにハサミを見た瞬間に指を通したくなるアフォーダンスっていうのがあるわけですよね。
さらにそれを近くさせるために、どこに指を通したらいいんだってのがわかるシグニファイアがあると。
逆に刃の方、刃の方は、触ってはいけなそうみたいな反アフォーダンスがあるわけですよね。
ある意味、その刃の方がそれを近くさせているシグニファイアとして機能している。
だから逆に刃なんだけど、すごい触れそうなシグニファイアを作ってしまうと危ないのに触っちゃうみたいなことも起きる可能性はある。
さらにハサミって、親指と人差し指かな、とか、
どこに穴を通せばいいかというのが、なんとなく考えなくてもわかるじゃないですか。
それは穴の大きさが違ったりするハサミってあると思うんですけど、
それはうまく制約を使っている感じですね。
さらにハサミによっては、左右、右手用、左手用とかあるんですけど、
形状がうまく制約させているというような感じですよね。
あとは指の動きと歯の動きがうまく対応づけられているから、それが対応づけにもつながるし、
あとは髪を切ったときの除きというフィードバックがあるとか、そういうことの積み重によって発見可能性と理解が担保されるから、
だからハサミっていうのはエラーが起きづらい良いデザインであるっていうふうに説明できるっていうような感じですよね
まあっていうそのノーマン的に良いデザインっていうのは何なのかっていうと
エラーが起きづらいデザインっていうふうに言えるかなと思うんですけど
それは何で起きるのかっていうのをこういう概念によって説明しているっていうのが
この誰のためのデザインのコアになる話ですね
っていうのが一章の話で
それぞれのアフォーダンスは何なのか、フィードバックは何なのか、概念モデルは何なのか、というのが、
綱続する章に続いていくというような本なんですけど、ちょっとそこを説明してると時間が足りなくなっちゃうんで、
45:06
その後の章の中で、僕の好きな章を紹介したいなと思うんですけど、
第2章の中の、違う、第5章か、
ヒューマンエラーやデザインが悪いっていう章があるんですけど
これが結構好きというか
初めて聞いた初めてこの話を聞いた時に
なんかすごい衝撃を受けたっていうか
そうそうそうだあと
第2章の一節の中に自分を責めてしまうという
誤りっていう説があるんですけど
それがヒューマンエラーではなく
デザインエラーという話に繋がってくるんですけど
なんかこの本を読む前に
その大学の時にその認知心理学の先生に
授業受けたみたいな時の話で、それ多分学部の1年生ぐらいだったんですけど、
僕の大学って、なんていうのかな、その校舎が結構有名な建築家が作ってたりとか、あと重機もデザイナーが入ってたりとか、割とこだわって作られているキャンバスとか校舎だったんですけど、
実際使ってみると、例えばゴミ箱とかも入れ間違いが多く発生したりとか、燃えるゴミのところに燃えないゴミが入られたりとか、そのペットボトルなんだけど、のところに普通のゴミが入られてたりとか、そういうのがあると。
でも、その大学の講義の中で、それを入れ間違えるのは、おまらのせいじゃなくて、ゴミ箱が悪いんだっていうような話をされて。
なんか結構、個人的にその話が、結構すげえ印象に残ってて、特に高齢者とかにありがちだと思うんですけど、
なんかこうアプリとかサービスとか使えないのって、自分のせいだって思っちゃうことってのがよくあると思うんですよ。
自分がパソコンに疎いから悪いんだとか、自分がインターネットに疎いから使えてないんだみたいなのってあると思うんですけど、
それは別にその人が悪いんじゃなくて、デザインが悪いんだよねっていうような話。
僕もたぶんその話聞いたので、18歳とか19歳の頃だと思うんですけど、
日常の家電とか使えないのって、自分が悪いのかなみたいなのを案に思っちゃったりするのかなと思うんですけど、
それは明確にデザインが悪いんだっていうような話をしてる。
話をされて、なんかこうすごい、ああそうなんだって思ったっていう。
なんかそういう、最近見た話で、よく自販機横に、なんか管用のゴミ箱置いてあったりすると思うんですけど、
確かね、それがね、最近こう、新しいものをちょっといろいろ研究して、いろいろ調査した結果、新しいものにしようっていうのが最近生まれてて、
よく普通の缶とかペットボトルのゴミ箱だったら
丸い穴の形の穴が開いてるだけのゴミ箱だったりすると思うんだけど
48:03
それってもしかしたら普通のゴミを捨ててもいいよっていうのをアホードしてる可能性もあったわけだよね
だから缶とかペットボトル以外のものもバンバン捨てちゃったっていうところがあって
でもそれは別にヒューマンエラーではなくてやっぱりデザインのエラーだったっていうところで
多分 今 新しく考えられてるのは 下から 下に方向に穴が開いてて
そこに缶を 下方向から上に突き上げるように入れるような
感じのデザインにしていこうっていう動きが 確か最近始まってるんですけど
それを全域というか統一して そういうふうに使っていこうみたいな
そういうデザインの改善みたいなものに つながるところでもあるよね
そういうなんていうの、ヒューマンエラーっていうことで終わらせないというかさ
もうなんかひたすらなんかこれはこれを捨てるなみたいなふうに言うだけじゃなくて
それをなんかどうデザインでこういい方向にアホートしていくかっていうのを
なんかこうやっていくっていう部分にも
結構近い話なのかなっていうふうに思うんだよね
そういうふうに
そうそうそう
そのなんかまさにそのさっきの僕の大学の話でも
そのゴミ箱にみんな入れ間違いとかするから
大学の事務局みたいな人、うちの場合、公立大学だったから公務員なんだけど、その人たち的には学生が悪いと。
だから、ちゃんと分別して入れろみたいな、張り紙が張ったってとかするわけですよ。
なんだけど、それは別に学生が悪いんじゃなくて、デザインがそもそも悪いよねっていうような話をその授業でしてて、なるほどと思ったのがすごい覚えてて。
だから結構そういうデザインに対する心構えというか、みたいなことを言ってる話かなって思っていて、そのHuman Errorっていうので思考停止して片付けないっていうような話ですよね。
だから同じようによく実際働いてて開発の現場とかであるなと思うのが、ユーザーのリテラシーがないからみたいなので片付けちゃうとか、
そういうのも別に理財らしがないことが問題なんじゃなくて、理財らしがなくても使えるようになっていないデザインが悪いっていうような話だと思うんですよ。
そうね。
僕らってなんか職業病でBad UIに出会うと必要以上にイライラしちゃうっていうのあるじゃないですか。
なんかそれって、なんかこっから来てんじゃないかなと思って
なんか明らかに自分悪くなくて、これはデザインが悪い、作ってるやつが悪いんだっていう風な
こう、ある意味メンタルモデルができてるから
まあでもそれで結構大事なことなのかなっていう風に思ってて
なんかノーマンもこの本の中で
人間は機械じゃないんだからエラー起こすのは当然であって
Human Error っていう用語は絶対に使わないっていう風に書いてましたね
これってでも意外と これ普通の人が 結構これ意識してる人多いですよね
51:01
自分が悪いって思ってしまうっていう というかさ
例えば いろいろサービスのインタビューとか ユーザーテストとかしてても
なんか私ができないのが良くない みたいなこと言う人いるんだけど
いや それはやっぱり全然 そういうふうに思ってしまう人が結構多くて
なんかそういうのインタビューとかやっていると
でもなんか全然そんなことないなぁってやっぱり聞きながら思うんだよね
僕らとして申し訳ないなっていう気持ちになるというか
特にクックパッドみたいなその一般の人が使うサービスで
そういう人にユーザーインタビューすると
やっぱそういう声ってね
なんかそういう自分が使いこなせないからみたいな
そうそうそう
いうことを聞くこと多いですよね
そうそうそう
まあだからなんだろう
バットユーアみたいなときに出会ったときって
普通の人だったらここまでイライラしないのかもなって思うんですよ。
なんというか、逆に自分を責めてるのかなっていう気がして。
まあそれはあるかもね。
なんか必要以上に知ってるがために、
そうそうそう。
いやここはこうだろうみたいな。
そうそうそう。
思い浮かんでしまうっていうのはあるよね。
なるほど、職業病だなっていうふうに思いますね。
でもやっぱノーマンもなんか結構、結構なんかそういう、
人間は機械じゃないんだみたいな。
やっぱりそれがHuman Center Designとか それぞれ繋がっていくんだと思うんですけど
やっぱりノーマもここに関しては結構思いがあるんだろうなっていうのは読んでて思います
ノーマが言うにはそのHuman Errorという用語を使わずに それは別にコミュニケーション
あるいはインタラクション 人とシステムのコミュニケーションとかインタラクションの問題であるから
そういうHuman Errorで片付けるのではなくて
良いデザインっていうのはそのエラーは避けられないってことを前提にして
その機会、エラーが起くる機会を最小化して、エラーが起きた時の影響を軽減させるっていうのが良いデザインであるっていうふうに言ってて
例えばアンドゥとかがそうですよね
あれはなんか送信の取り消しとかなんかそういうやつ
まあエラーができるだけ起こらないようにするっていうのも大事だけど
もし何らかの事故なり何なりでエラーが起こってしまった場合も
うまく引き返せるというか
できるだけ悪い影響がないような方向にする方法を考えるみたいなことですよね
なんかよくできてるようにみんなが使ってるようなもの
iPhoneとかそういうものにはそういうものは埋め込まれてると思うんですけど
メールとかもよくちょっと待ったりするもんね、やっぱり。
本当はすぐ送れるんだけど、アンドゥできるように、ちょっと意図的に何か数秒待ってから送るようにしてあるとか、っていうのはまあそうだよね。
間違って送信ボタン押しちゃった時に、あやばってなった時に、一度送っちゃうと、あれもう取り返しがつかなくなるがちなものだから、道具としては。
54:01
あとは、
控えせるようにしてあるとかね。
最近だとなんかこう本文の中に添付しますって含まれてるのに
実際ファイルが何も入ってないと大丈夫ですかって聞いてくれるとかね
ああはいはいはいはいはい
そういうのがなんか気が利いてる感じですよね
そうそうそうでそういうのがなくて
いやー添付ミスしたのは自分が注意不足だとか
思うのはそんな風に思わなくていいっていうような話ですよね
なるほどそれは未だによくある気がしますね
5章の中の「ヒューマンエラーやデザインが悪い」という章の中では、
何でエラーが起きるのか、とか、
あとはそのエラーを分解すると、スリップとミステークというのがあるという話。
そのメカニズムは何なのか、とかが、すごい詳しく出てくる。
結構ノーマンの、原発事故の分析とかしてたとか、
そういう経歴もあるのかなと思うんですけど、
結構このヒューマンエラーでなくデザインエラーであるっていう風な考え方
人間機械じゃないっていうのは結構やっぱ誰のためデザインのコアになっているような
考え方スタンスなのかなっていう風に思いますね
で、あとはちょっと全然時間足りなく説明しきれないんですけど
2章の中では行為の7段階モデルっていう
これも結構有名なモデルですけどが出てきて
これが人間が行為を実行するときの行動や思考のプロセスを7段階のモデルで表しています。
例えば人間がドアを開けるときには、こういう段階でステップを踏んで開けるという行動に導かれるような話を説明するための概念が出てきました。
あとは3章の頭の中の知識と外界にある知識っていうのも結構重要で、
例えば10円玉のデザインって、みんな当たり前のように10円玉使ってると思うんだけど、
みんな詳細なデザインって別に覚えてないと思うんですよね。
なんだけど、なんとなく質感とか色とかを手がかりにして普段使えてると思うんですよね。
それというのは1円とか5円玉とか500円玉とかそういうのの違いが区別できてるから適切に使えてるっていう状態があるので
もしかしたら10円玉の質感とか色とかが1円玉5円玉500円玉全部同じだったら多分小3デザイン覚えないと使えない
要は頭の中に知識を入れないと使えないっていう風になるんだけど他との違いがある
それを外界における知識と言っているんですけど、要は人の頭の外にある知識があることによって、それをうまく引き出せる状態を作ることによって、エラーが起きないようになるんだ、みたいな話とか。
というのが、つらつら書いてある本なんですけど、
57:03
フィードバックとか制約とか、今回さらっと流しちゃいましたけど、
それについても詳細に話しているような章が続くというような感じですね。
なので、個人的には、別にこの本ってUI/UXとかインタラクションとかそういうものの本ではあるんですけど、
別にデジタルプロジェクトの限った話ではないと思ってて。
特にさっきのヒューマンエラーじゃなくてデザインエラーだみたいな話って、
やっぱりこう、ものを作る人の心構えみたいな話かなと思うので、
やっぱりこう、とにかくなれなかものづくりに関わる人の一番入門書として読むっていうのには、
いろいろUXの手法とかそういうところから入るよりも、
そういうところから入るよりも、やっぱりこの本って一番基礎的だから大事だよなって改めて思いましたね。
本当は複雑さとともにクラスが僕結構好きなんで、今度はその本も取り上げたいなとは思っているんですけど。
改めて読んでみると、やっぱりうまく整理された本だなって思いますね。
ちなみに改定版ってどの辺が結構変わってたりするんですかね?
めちゃめちゃ変わってると思いますよ
めちゃめちゃ変わってんだ
ちゃんと比べて読んだわけじゃないんであれなんですけど
特にアフォーダンスとSignifierの違いの話とかっていうのは
もう一緒の時点で出てくるんで
そこでだいぶ解析されてますし
確か僕最初のやつ
改訂版じゃない方を確か 結構読んでた気がするんで
改訂版多分読んでないんだよな
なんかNormanも最初はちょっと変えるだけかなと思ってたけど
結局そんなことはなくて大幅に書き直すことにしたとから言ってましたね
そうなんだ
だから結構改訂版はHDとかUXとか
そういう初回から25年間に起きた流れも踏まえて
色々書き直してる感じですね 事例とかも
だから結構後半はデザイン思考とかビジネス世界に世界にデザインをどう持ち込むかみたいな話が書かれてるんですよ。
デザイン思考のダブルダイヤモンドがどうのこうのとかそういう話とか、プロトタイピングって大事だよねとか、
どっちかというと割と最近よく聞く話も書かれてる感じですね。
そうなんだね。
ちょっと後半また読み直してみようかな。
結構初版を読んでる人も読み直してみると面白いと思いますよ。
あとノーマンも色々考え方が変わってんだなってのがよくわかるっていうか。
特にそのアフォーダンスの御用が広まってしまったっていう話は、ちょっと感性みたいなのも書いてるし。
結構一章読むだけでも面白いかもしれないですね。初版読んでても。
1:00:03
じゃあ次は複雑さと共に暮らすとか
そうですね
エモーショナルデザインとかを話すんですかね
そのうちやろうかもしれないです
あれエモーショナルデザインも似たようなやつ
昔話したっけなんかの回で
なんかの回でエモーショナルデザインの話
取り上げたような気がすんだけど
なんか僕もしたような気もするけど思い出せない
なんだったかは思い出せない
まあでもエモーショナルデザインもいいですよね
人間中心とかじゃなくて
やっぱりその上昇的な部分が大事なんだ
そういうやっぱりなんか2点3点じゃないけどさ
なんかいろんな方向に行くのが面白いよね
このNormanのシリーズ4っていうのは
まあでも実際そうだと思うんですよね
この人間中心はそうなんだけど
それだけじゃダメだと思うし
そういう感じで
これはそんなところですかね
はい
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