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2025-01-27 44:03

EP064『誰のためのデザイン?』 PART1

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## 取り上げた本

『誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論』D. A. ノーマン 新曜社 2015


## ShowNote

https://gennei.notion.site/EP064-PART1-187c645d49118053955ecbd2fe87e2dc

サマリー

ノーマンの『誰のためのデザイン』の増補改訂版を通じて、デザインの重要性やその歴史的背景について考察されます。また、デザインの本質と現代における役割について議論が展開され、デザインの進化の過程が探求されます。このエピソードでは、デザインの本質についてアートとの違いや、良いデザインに求められる発見可能性と理解が取り上げられます。さらに、実際のデザインにおけるユーザー体験や機能性についても考察されます。デザインにおける発見可能性と理解の重要性が強調され、アフォーダンスやシグニファイアの概念が深く探求されます。ノーマンの理論に基づき、ユーザーが対象物をどのように認識し、操作できるかについての関係性が議論されます。デザインの目的はターゲットユーザーに適応することであり、アフォーダンスや文化的背景がその影響を与えることが示されています。

ノーマンのデザイン論
きんじょうひでき
こんにちは、readline.fmです。readline.fmは、つんどくが趣味の2人が、何かの本を読んだ感想を雑談するポッドキャストです。
ハッシュタグは、ハッシュ、readline.fmです。ゴスト役は、げんえいさんと、きんじょうです。
それでは、げんえいさん、よろしくお願いします。
げんえい
よろしくお願いします。
きんじょうひでき
そして、あれかな、Mixi2のコミュニティがあるよって宣伝しておけますか?
あ、そうですね、はい。
まあ、今言った通りなので、ありますと。
げんえい
そうですね、作りはしましたけど、何も多分投稿してないはずなので。
きんじょうひでき
そうですね、はい。
げんえい
はい、なんか入ってもらって、最近こんな本積んだよとか、エピソードの感想とかもらえるとすごい嬉しかったりします。
きんじょうひでき
はい、よろしくお願いします。
げんえい
お願いします。
きんじょうひでき
だいぶMixi2自体が探り探りなんで、我々も探り探りではありますが。
はい、ということで、じゃあ今日はまた新しい本ですね。
今日は何を読むんですか?
げんえい
今日は、ノーマンの誰のためのデザイン、増補改訂版、認知科学者のデザイン言論という本を読んだ感想を話していきましょうと。
きんじょうひでき
増補改訂版はあれですね、結構新しめというか、今日的な感じで読んでて違和感ない感じがしていて。
初版が、初版というか最初のバージョンが88年。生まれ年だ。
げんえい
自分は翻訳が、これ90年に翻訳が出てて、そっちが生まれ年ですね。
きんじょうひでき
まあだからあれですね、大体どのくらい昔かなっていうと、もう体に刻まれてるっていう感じがしますね。
げんえい
そうですね、インターネットとかiPhoneとかはまだない、携帯電話もまあなくはないかもしれないけど、
みんなが持ってるかって言ったらそうではないみたいな、そういう世界ですね。
きんじょうひでき
肩からかけるタイプの携帯電話がある。
げんえい
なんか最近そんな話どっか別のポッドキャストで聞いたなって今思いながら。
はい、聞くですね、僕も聞いた気がするな。
なので、これ情報改定版を今回読んできたんですけど、初版の情報改定じゃない方を読むと、
自分は過去のやつ読んだんですけど、出てくる例とかが全然今回の情報改定版と違って、読みにくいですね、前のやつは。
この本の最初の方になんで情報改定をしたかみたいなことがちょっと書いてあるんですけど、
まあやっぱり現代においてインターネットとiPhoneだったりとかスマートフォンみたいなところのデザインの話は外せないよねっていうような話も出てきたりとかして、
これから読む人は新しい方をお勧めしますというような感じです。
デザインの歴史と進化
きんじょうひでき
そうですね、手に入りやすさっていう意味でもだいぶ違いますもんね。
げんえい
そうですね、結局だから初版元々のものが出てから25年経って情報改定されるってことは、
それぐらいずっと読まれ続けて、さらに改定してでも話の本質が変わらず読まれ続けてもいい本だというところで多分この本って出てきたと思うので、
相当今後もずっと読まれていくだろうっていうのを結構自分は読みながらちょっと期待したりとかもしてましたね。
きんじょうひでき
そうですね、アップデートして現代的な文脈とか感想で読み換えるとどうなってるんだいっていうのをちゃんと伝える価値があるっていうところで、
25年後に改定されてるって話ですもんね。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
てか25年後ってことはあれか、この情報改定版が出たのが10年前ですね。2015年か、すごいな、めちゃくちゃピントくるな、自分の歳と同じだから。
げんえい
うんうん。
きんじょうひでき
であれか、歴史の話だと任天堂か、ファミコン年表っていうサイトが80年代だとこれが使えるようになるんで便利。
人月の神話とかだと無理でした。
げんえい
そうですよね。
きんじょうひでき
はい、88年はスーファミはまだ出てないですね。
げんえい
スーファミが90年とかでしたっけ?
きんじょうひでき
そうだからファミコンのもう本当に最後の時代、マリオ3が88年。
げんえい
うんうん。
きんじょうひでき
マリオ3が88年だからピントくるかいって言われると、でもまあファミコンの集大成的な感じはあるじゃないですか、あのソフト。
げんえい
ありますね。
きんじょうひでき
スーファミコンで言うドンキー3とかカービィスーパーデラックスとか、あのぐらいのというか、まあまあ。
げんえい
ドラクエ3が88年ですね。最近リメイク版が出てましたけど、最初のやつが出たのが88年。
きんじょうひでき
ロト3部作完結編っていう形で紹介されてるな。
げんえい
すごいな。いまだにリメイクされて売られ続けるって、この本のようにずっと売られ続けていて、どっちもすごいなって気持ちになりましたね。
きんじょうひでき
あと隣のトトロですね、88年。
げんえい
今度ジブリで例えていく方式。
きんじょうひでき
違うんですよ。書いてあるんですよ。任天堂.comのファミコン連票のサイトに。
げんえい
なるほどなるほど。
きんじょうひでき
ここはね、掘り下げてもね、っていう感じで。
そうですね、ノーマンだから割とこのポッドキャスト取り上げてきたのがやっぱりソフトウェア開発とかプロジェクトマネジメントエンジニア組織作りみたいな話だったんで、なんかその文脈でじゃあ歴史的にいつだっけっていう話が振れてきましたけど、
どうなんですかね、デザインとかインダストリアルデザインとかUIとかの話っていうと、どういう歴史背景で書かれた本なんだろう。
げんえい
確かにな、88年。でもさっきコンピューターが全然まだこれからコンピューター、携帯電話とかはこれからっていう感じではあったけど、コンピューター自体は多分あったので、だんだんそこが日が当たり始めてきたっていう感じかな。
きんじょうひでき
あと家電とかは割と原型っていうとあれですけど、今とそんなに登場人物自体は変わらないですもんね。電子化されたり自動化されたりとかはいろいろあると思うんですけど。
げんえい
そうですね、本質的な部分というか、自動でいろいろやってくれるとか、物が冷やせるとかっていう部分は多分今とそんなかけ離れた状態ではないはず。冷蔵庫とか洗濯機とか。
きんじょうひでき
電子レンジとかもあるしみたいなね。
げんえい
それこそここからなんかやっぱデザインで、ちょっと今日多分デザインって言葉をすごく広くいろんな意味で使ったりするんで難しいですけど。
多分こう表装的な部分、ちょっとオシャレであるとかスタイリッシュであるとか、多分そういうような部分でどんどん今度差別化が始まっていく。
機能で差別化するってよりも、見た目的なところとかでだんだん差別化されていってるのかなっていうのは、朧げながらに昔ボードリアルの消費社会の神話と構造って本読んで、そんなこと書いてあったような気がするなっていうのをちょっと思ったりとかしてます。
きんじょうひでき
なるほどなるほど。でもそうですね、なんかザクに言うとあまり実際読んでみても昔の背景とかっていうのはあんまり気にしないで。
何ですかね、本当に心理学とか人間工学的な話に近いので、人間はそんなにね30年でパッと変わったりしないんで。
げんえい
変わんないですね。
きんじょうひでき
だからソフトウェアとかプログラミングとかって話に比べるとだいぶ何ですかね、アカデミックよりっていうと全然違うんですけど、今読んでも昔読んでも多分そんなに価値が変わってない、古びてないっていう感じがしますね。
読者の視点とデザインの価値
きんじょうひでき
情報改定版だから当然現代的にアップデートされているっていうのはもちろんあるんですけど、そういうところ差し置いても主題として別に20年前だろうか30年前だろうか、多分10年後でも20年後でも同じような価値を与えてくれる本かなっていうふうにちょっと読みながら感じましたね。
げんえい
そうですね、みんながVRの世界に移住するとかになったらまたちょっと全体が変わってくるかもしれないけど。
きんじょうひでき
10年後に。
げんえい
10年後に。
きんじょうひでき
なるほど、もうマトリックスの世界が来る。
げんえい
来れば、けどやっぱり物理制約があってっていう空間の中で生きていく以上はそんなに劇的に変わるってことはないと思うんで、古びなさそうって感じはありますね。
きんじょうひでき
そうですね、だから古典っていう位置づけでちょっと読んでいくかなと思いますけど、昔ってこうだったんだねっていう感じは、なんか昔ってこうだったんだねっていう感じがする本を読みまくってたラップもあって、なんか良かったですね、最近の本でしたね。
げんえい
めちゃくちゃ最近の本ですね、そう考えるところは本当に。
きんじょうひでき
っていうのもありつつですけど、あとはあれかな、ノーマンの本って僕は読んだのはこれがおそらく初めてな気がしてるんですけど、なんかげんえいさんは他読んでました?
げんえい
自分が読んだのはこれの情報解体なる前のやつを図書館で昔借りて読んだぐらいしかなくて、持ってはいるのはエモーショナルデザインってやつと複雑さとともに暮らすってやつは買ってはいるんですが、たまに一緒にこの本と今回読んだ本と一緒に単位刺さったまんまでしたね。
きんじょうひでき
僕は人を賢くする道具は過去に買ってたので、そっか、だから二人合わせてカバレッジ50%ぐらいいくのかな、じゃあ。
げんえい
そうっすね、案外翻訳で出てるものはだいたい揃うなみたいな感じはあるかもしれない。
きんじょうひでき
なるほど、だからそうですね、あんまりこの人が昔こういうこと言ってたよとか、この活動でめちゃくちゃ注目されてたよとかっていうコンテキストはそんなに補いながら話せる感じではないかなっていう気もしますね。
げんえい
そうですね、ただ一応ちょっとだけ経歴を本の後ろについているレベルの経歴ではあるんですけど、見ると一応このノーマンって人は大学の先生ではあったりするんですけど、Appleとかヒューレットパッカードでもデザイナーとして仕事をしていたらしく、
アップルの社員番号4番らしいってちょっとググってたら出てきたんですけど、本当に4番なのか知らないですけど、でもなんかフェローをやったりとかするぐらいには結構Appleの初期のデザインのところでは重要人物というかだったみたいですね。
だから功績としては実はそっちが大きいのではとかって内心勝手に思ったりしてたんですけど、でもノーマンの名前を聞くとこの誰のためのデザインの本を思い浮かべることの方が多いんだろうなとかって思ったりしました。
きんじょうひでき
そうですね。だからそんなシグニチャー的な一冊を読んでいくと。
げんえい
そうですね。
きんじょうひでき
はい。じゃあ入っていきますか、コンテンツに。
げんえい
はい。
きんじょうひでき
で、そうですね。全体的な感想とか見どころみたいなところで言うと、どうでしたか?あ、そうか。一冊読み終わってます?すでに。
げんえい
いや、まだ半分までしか4章までしか読み終わってないですね。
きんじょうひでき
そう、今回なかなかページ数だけだったらそんなにめちゃくちゃ重いわけじゃないんですけど、内容的にもいろいろ咀嚼しながら話しながら読んでいくんだろうなということで、前半後半に分けて話をしていこうかなっていう風になっていて、で、前半が4章までですね。
そうですね。
前半後半に分けて、で、配信する時にはそれぞれ4パートに分かれると思うんで、はい、4×2ですね。
げんえい
組織パターンと同じ公式ですね。
きんじょうひでき
ああ、確かに。で、そうすると、そうですね。僕も4章までは何とか読んだって感じですけど、だから本全体的な感想っていうか前半4章まででなんかどんな感じだったなとかありますか?ざっくり。
げんえい
えっとですね、まずこの本、スピンがなくて不便ってすごい思ったんですけど、スピンっていうのはあれですね。本の真ん中の方にこう紐がついてたりするじゃないですか。ちょっとハードカバーの厚い本とか。
あれがないんでどこまで読んだかを示すものが、まあしおりを使えばいいんですけど、スピンがなくて不便で、なんか誰のためのデザインって書いてある本なのに読む人のことが考えられてるのかなってちょっと、はい、上げてない足を取ってる感じがしますけど、はい、すごく不便だなと思いましたっていうのが、まず本に対する感想ですね。
きんじょうひでき
絶対にありそうな感じですもんね。分量的にもハードカバーだし。
げんえい
そう、しかもね、結構いいお値段するから、コストそこを削るのかい?みたいな感じで思ったりとかしましたね。はい、っていうのはまあ冗談として、なんか全体的なところを読んでて、これ金城さんに聞いてみたいなって思ってたところで、デザインって言ったときにみんなどういうものを浮かめながらそのデザインの話を読んでいくのかなと思っているのはちょっと気になっていて、
自分も昔デザインって言われたらなんか表装?見た目を綺麗にするっていうことをデザイナーの仕事だと昔思ってたりとかしたんですけど、でもアーキテクチャーデザインとか、設計って意味でも使ったりするし、装飾みたいな意味でも使うし、その表装の部分の話もするし、デザインって言われたときどういうことを思います?っていうのは。
デザインの本質の探求
きんじょうひでき
そうですね、でも僕デザインって聞いたときになんだろう、機能性とか使いやすさみたいなところのイメージ強いかなと思ってて、なんででしょうね、たぶん高校のときに同じクラスだった人が、同じクラスだったか分からないですけど、高校の同級生が美術系の大学行って、っていう話聞いてへーって思ってたんですけど、
そのときにアートとデザインって全然違うんだよねって話を聞いて、そうなんだそうなんだって結構衝撃に思ったことがあったりとか、あと大学入って最初に入ったサークルが広告研究会だったんで、広告研究会って言うと一般的にチャラいチャラいと言われるんですが、
まあまあちゃんと学生広告コンクールとか出してたりとかするようなちゃんと真面目に活動していると信じているサークルだったんで、やっぱりそこで広告ってやっぱりすごいデザインっていう話をするので、ただ広告のデザインって見た目的に面白いとか目を引くみたいな話ももちろんあるんですけど、そもそもメッセージありきでどうやって表現するかっていう、
ホワットとハウ、でホワットが大事、でハウっていわゆる本当に見た目、視覚的なところって手段の一個だからみたいなところを強く叩き込まれたんで、そうだからアートとかそれからファインガート的なものとデザインっていうのは確実に区別されているものなんだなっていうのを、なんて言うんですかね、肯定的に叩き込まれたというか、なんか自分はそこがすごい身に染み付いてて、
で今の食料もやっぱりデザインっていう時計の話だったりだとか、UIデザインって言っても本当にじゃあいかにしてUXを高めるか、要するにユーザーがどういうふうに行動して欲しいか何を感じて欲しいかっていうのを作り込むみたいなところなので、
っていうところで使い手、利用者ありき受け取り手ありき価値というか機能を実現するみたいなところが、そうですね僕の中ではデザインって言われた時に想起するイメージかなっていうふうに思っておりますが、なんか優等生的な回答になったんですけど
げんえい
いや、なんかそこ自分は多分この前、この情報回答の前のやつを読んだ時には、なんかアートとデザインの区別って自分は全然ついてなくて、両方まあある種美術とか芸術っぽいよねみたいな感じで捉えてたりとかして、そこの前提が揃わずにこのままデザインの話していくと結構危ないなって思ったりとか、まあ聞いてる人も中にもアートとデザインとか、まあデザインって言われた時にどういうものを思い浮かべるかって言うんですけど
なんか結構みんなバラバラな気がするなと思ってて、でその上で誰のためのデザインってこう問いかけがあると、まあなんか方向性はなんとなく絞られそうだけど、とっちらかりそうだなあみたいなことをちょっと思ったりとか、をなんか読む前にそういえばどうだろうなあと思って、結構この本思ったりとかして、デザイナーってよくそのなんか問題解決をする人みたいな捉え方みたいなものもあったりとかして
でもファッションデザイナーって本当に課題を解決してるのかなって結構自分は思ったりとかするんですよね、奇抜な服があって、特にハイブランドのファッションショーとか見て、これ街中で着ないでしょみたいな
あれってデザインなのかっていうよりアートじゃない?みたいなこと思ったりとかするんですけど、なんかその辺とかって、まあこの本とちょっと離れちゃうけど、まあなんかそういうこと思ったりとか結構いろいろデザインって言われた時にどこまでをデザインと捉えるかっていうのは難しいなってことを思ったりとかしたことがあるんだよなあっていうのをちょっと思ったりしましたね
きんじょうひでき
確かにファッションデザイナーの言葉が難しいんですけど、なんかアートとか美術表現に近いイメージもあるなって考えると、僕がさっき言ったような問題解決ありき、利用者ありき、何か考えること、設計すること、デザインって言うんだろうなっていうのとは確かに少しずれてそうですね。何ですかね、職人的なところから来てるんですかね
げんえい
そこが、まあ実際はなんか我々からの視点だと解決してないように見える、すごく表現主体っぽく見えるけど、まあ実際はその業界においてはそうではないみたいな、そういう可能性とかがあるのかなあみたいな
きんじょうひでき
確かに機能性はそもそも、パリコレとかのなんかよくインターネットでバズってくるやつとかを見ると機能性ってどこだっけなっていうのは色々考えさせられるものはあるんですけど、まあまあでもなんかアパレルってそもそも機能性も非常に大事な領域なので、まあそういう意味ではね、ちゃんとデザイン、ちゃんとデザインって言うと本当に怒られるな
問題解決どうしますかっていうところに立って考えて何か表現する、作り込むというか実装するみたいなところをやってる気がしますね、面白いなそうですね
まあまああれでしょ、ソフトウェブ系プログラマーがエンジニアって名乗ると怒られるみたいな感じで、エンジニアリングしてないやろみたいな
げんえい
広いんだよ、その言葉の対象っていうか領域はみたいな
きんじょうひでき
なんか似た匂いを感じますね
げんえい
みたいなところを読む前にも読みながらも結構自分はそういうところを結構気にしながら読んだりとかしてましたね
きんじょうひでき
そうですね、僕もなんか本当に今まで結構普段やってる仕事とか考えてることとかに近接する概念として出てくる用語、それこそアポーダンスとかっていうのはなんとなく知ってたけど
改めてこの本読んでみてじっくり語られてるんですごい読めてよかった楽しい思っている感じですね、今のところ
あと別にこれなんか2週間とかじゃなくて時間かけて読んでも良さそうだなって思ったんで
これ話した後にもう一回読み直す可能性があるなって思ってます今
げんえい
いいですね
きんじょうひでき
いつになるかはねわからないけど
げんえい
じゃあまあ本編というか1章入っていきますか
きんじょうひでき
はい、だから全部で8章のうち、8章だてですよね
げんえい
8章?7章?7章だったかな
きんじょうひでき
7章か、でまあその第1章で第1章の章題が
毎日使う道具の精神病理学、難しそうな名前してますね
げんえい
この本なんか全部章立てがパッと中身が分かりにくいよなって結構思ってますね
きんじょうひでき
デザインされてるじゃんそしたら
げんえい
っていうのはちょっとはい、1章と2章が特に分かりづらいっていう感じかな
きんじょうひでき
理屈的な話ですよね、抽象的というか概念的、理屈的
でもまあ確かに1章読んだ後に、この章の1章に限らずですけど
読んだ後に章のタイトル見ると、確かにそういうこと扱ってたねっていう感じは
納得感はめちゃくちゃあるので、だから読んでみるしかない
げんえい
そうなんですよね、その読まなくたって分かるために章立てがあるとはずなんだけど
読んだ人は納得するみたいな章立てっていう
きんじょうひでき
でそうですね、ここはざっくり言うとどこを拾えばいいんだろうな
げんえい
自分は1章は結局良いデザインってなんやねんみたいなところを
1章の出題かなと思ってちょっと読んでて
最初の4ページが良いデザインにおける重要な特性が2つありますよって言って
発見可能性と理解っていう話が出てきて
その後に発見可能性っていうのはこういう5つの概念があって
そこから発見可能性というものはその5つと結びついてるんだよみたいなことを
あともう1つ出てくるのか、5つあるんだよってことともう1個プラスして
概念モデルがあるんだよみたいな話がされて、話が展開されていくんで
UIとユーザー体験の課題
げんえい
ここの1章、一番大事っていうところの良いデザインたる条件とは何でしょうかっていう話が
一番の主題かなと思って読みましたね
きんじょうひでき
そうですね、この1冊通して出てくる主要登場キャラクターを一通り紹介するみたいな
週刊連載漫画だったら打ち切れましぐらな感じの話ですね
そこで出てくるのが概念モデルっていう単語が出てきましたけど
アフォーランス・シグニファイアー・制約・対応付け・フィードバックであるみたいなことが書いてあったりとか
精神病理学出るので、なんだろうな
語弊がありそうですけどそれを恐れずに言うと
人間が何か物事を見るときに、あるいはそれを使って何かしようとしたときに
そういう癖が出るかみたいな感じですね
自然とそうしてしまう、それって何でだろうとか
何によってそういうふうに動いてしまう、仕向けられているのかなみたいなところが語られているので
それをもって精神病理学って言ってるかなっていう気がしますね
認知の限界みたいな話とかかなっていうところかな
そんな第一章でしたけど、どこら辺が面白かったですか?
げんえい
第一章は割と全体的に面白かったんだよな
上から順になぞっていくぐらいな感じで面白くて
最初にまずドアの話が出てくるんですよね
ドアって押す場合もあるし、引く場合もあるし、横にスライドする場合もあるし
一発でわからないことが多々あるよね
これは俗語みたいなので、ノーマンドアっていう言葉があって
この扉はどうやって開けたらいいかわからないものを見つけたら
ノーマンドアって名前をつけて写真をアップするみたいな
そういうのがあるらしくて、タンブラーにそれがまとまってたりするみたいで
確かにドアって引くのかな、押すのかなって
だいたい一回間違えてからうまく部屋に入れなくて
やり直してどうにか入るみたいなことってめちゃくちゃあるなと思って
なんでこんな長年あるUIですら洗練されてないんだってことを
ちょっと読んでて考えたりしましたね
きんじょうひでき
そうですね、ノーマンドアって言われることにやや不満もありそうな感じもしてますね
でもいいのか、問題提起に成功して定着したって話だから
そうですよね、初めて行くコンビニとか一旦バレないように
モーションだったらあんまり周りから見ててバレないので
一旦押してみてダメだったなって思って引いてみてみたいなやつを僕はよくしますね
一旦だから陶器的実行で何も考えずにえいって押して
フィードバック来たら引くかって戦略を立て直すっていう
げんえい
なんで我々はドアが開けられないって言うと
そんなことあるって思っちゃうけど
すぐ新書のタイトルっぽい
我々はドアを開けられないのかみたいな
きんじょうひでき
ドアを開けられない青年、中年男性たち
げんえい
しかも最近は目の前に来たら勝手に開く場合もありますからね
きんじょうひでき
あれ便利ですよね、あれが普通してほしいなって思って
げんえい
本当にスライドするための取っ手がついてるんだけど
取っ手がついてるからこれ引くのかなと思って
引こうと思ったらあれ動かないなみたいなこととか起きちゃうし
ひたすらドアノブを回して押せばいいのかなと思って
押したらダメでしょうがなく引く
あと古いホテルとかだと鍵穴を回しながら
ドアを押したり押してみたり引いてみたりしたら
なんか開くみたいなことがあったりとか
つい最近泊まったホテルそうだったんですけど
きんじょうひでき
ありますよね
げんえい
なんでこんな些細なよく見るようなUIですら
うまく開けられないんだっていうのは
そのホテルに泊まるのって多くても2泊3日ぐらいだと思うんで
チェックアウトしたら忘れちゃうと思うんですけど
その時はすごい不明だなって思うんですけどね
きんじょうひでき
どうかそれがどういう問題を表してるのか
もしくはその背景にどういう問題があるのかっていうのを
さっき言った発見可能性と理解っていう概念
補助線で語れるっていうことですね
げんえい
そうですね
きんじょうひでき
現可能性がうまく働かなかったとき
何が起こるかっていうと機能しないみたいな話
だから重要な操作って言っていいのかな
操作するときに重要な部分は目に見えなくてはならない
また何ができるのかどこをどうすればいいのか
適切なメッセージを伝えなくてはならないっていうのが
4ページに書いてあります
無限に4ページの話してますね
げんえい
1ページも進めないみたいな
ドアとか蝶津貝が見えてたらこっち側かもなとか
そういうことが分かったりするんですけど
ドアの上握ってる時ってそこにフォーカスしてるから
目に入らないよねとか
きんじょうひでき
後で文化みたいな話も出てきますけど
障子とかって多分日本人だから横にスライドするのねって分かりますけど
あれ多分分からないですよねコンテキストがないと
発見可能性の意義
きんじょうひでき
よく下とか上見たら溝があるから横方向にしか動かないなっていうのは
分かるんですけど猫だったら真ん中突っ切りますしね
げんえい
関係ねえって言いながら
きんじょうひでき
紙っぽい素材だから使い捨てかもなみたいな感じも
もしかしたらメッセージとして暗黙的に与えるかもしれないし
げんえい
そうですね 蝶津あの辺はしかも引っかかりがなかったりすると
掴めそうな部分がなかったりすると余計に苦しいですよね
きんじょうひでき
そうですね そこら辺が発見可能性とか理解とかっていう話に
つながってくるよと
げんえい
そうですね そしてドアでさえ複雑だったのに
今日度はどんどん複雑になってますからね
きんじょうひでき
そうですね コーヒー入れる機会とか
げんえい
そうですね ラベルテプラーで貼ってあげないと分かんなかったりしますから
きんじょうひでき
そっか 発見可能性と理解っていうのが何かって話も
げんえい
確かに
きんじょうひでき
ゲインさんがメモってくれてるやつ読むと
発見可能性っていうのがどの部分をどうすればよいのか見つけ出せるっていうところです
それこそさっきの取っ手があるなとかレバーがあるなとか
ドアノブがあるなとかそういう話
で 理解っていうのがそれが一体何を意味しているのか
その製品はどんな使われ方が定されているのか
操作部や設定は何を意味しているのかっていうのが理解ってとこですね
アフォーダンスの概念
げんえい
そうですね その発見可能性の話をしていきますか
この本の中で発見可能性はどの部分をどのように操作すればいいかを見つけるためには
5つの心理学的概念から得られますよっていう話をしていて
アフォーナンス シグニファイア 制約 対応付け フィードバック
心理学的な概念ではなく別の概念として
もう一個発見可能性は他にもあって
概念モデルっていうのが6つ目にありますよっていうような話をしてますね
アフォーナンスの話をしますか
きんじょうひでき
アフォーナンスの話をしますか
これ後で自分のデザイン的な工学的なところに導入するんだったって
オリジナルの意味合いとは少しニュアンス変えてますみたいなことを
言ってた気がしますけど
ここでというかこの本で出てくるアフォーナンスっていうのは
あくまでノーマン的なアフォーナンスであると
げんえい
そうですね オリジナルのJ.J.ギブソンっていう人が
アフォーナンスって概念を提唱したけども
彼とは仲が良くていろいろ話を聞いていて
これなんか使えるやんって言って
デザインの方にアフォーナンスの概念を持ってきて
ノーマンはそれを広めて一躍アフォーナンスって言葉を有名にした
しかし結構それって元の解釈と近くないみたいなことがあったりして
結構大変だったっていうことがあるというふうに書かれてますね
シグニファイアの役割
げんえい
アクティブレコードみたいなものですよ
そうですね
きんじょうひでき
これアフォードってそもそもどういう単語なのかっていうと
支えるとかですよね
げんえい
与える?
きんじょうひでき
与える 支える
エフォードとアフォードを一緒に覚えようって受験の時にやった気するな
げんえい
アフォード 与える もたらす
きんじょうひでき
物事が可能であるという意味や何かを提唱できるという意味を持つって
ウエブリオに書いてありますね
支うるみたいな感じですかね
だから何かを見た時にこれってこういうふうに使うんだろうな
こういうふうに動かすんだろうなっていうのを想起させるっていうのが
アフォーダンスですか
なんかめちゃくちゃ緊張感あるな 合ってますよね
げんえい
それが多分最初のノーマンの解釈というか広めたやつがそうだったんですよね
だからこれはアフォーダンスのために何かここに持ち手をつけましょうとか
いう言い方をその後みんながして
いやそれはGibsonのアフォーダンスとは違うんだ
だからちょっとご用なんだって話になり
この解体版でノーマンはその物と人
見る人との関係性のことをアフォーダンスと呼びましょうっていうふうにしてますね
物理的なものと人との関係の方このリレーションの方をアフォーダンスというふうに呼んでますね
きんじょうひでき
同じものを見ても誰が見たかによってその背景とか能力とかで何ができるのか違うよねっていう関係性による定義
話ですね
これ見た時にダンジョン飯ってそうだなって思ったんですよ僕
げんえい
ダンジョン飯読んでない
読んでないか
きんじょうひでき
あれは主人公とパーティーにいるあいつなんだドワーフかな
モンスターを食うっていうのに抵抗がないとかモンスターを食べたいっていう欲求を持ってたりする人と
あと同じ仲間にいるエレフとかはモンスター食うとかマジないわみたいな感じにしてるから
だから何かダンジョンの中で野生のというかダンジョンの中にいるモンスターと出会った時に
こいつ倒してどうやって調理しようかっていう考える人と
倒して進むべき敵みたいなアイテム落としたらいいなぐらいのアイテムというかそのなんか素材収集できたらいいなぐらいの感じに考えてる人なので
モンスター同じ対象を見てもそれをどうしてやろうかって考えることが全く違っていて
これはまさに関係性によって色々変わってくる能力が変わってくる話だなって思って
思ってました
そうですね
げんえい
この本とかだと椅子の例が出てきたりしますけど椅子ってのは背もたれがあって
なんかこう人間を支えられそうだなみたいなことでさらに座れそうだから
つまりこれは解釈座ることをアフォートするみたいな話があるけども
でもこれが多分なんか1トンのロボットとかだったら椅子に座ったらこれは壊れるなみたいな
座ることをアフォートしてないってなるだろうから関係性観察する人と対象の関係性の中に
よって変わってくるっていう風なことは起きそうだなっていう気がしますね
今の誕生日の話もそうだし
でそのノーマンの最初の時は椅子っていうものが座ることをアフォートするんだ
だから椅子には椅子自体にアフォートするものが宿っているみたいな感じで言ってたんだけど
それは見る人それを観察する人操作する主体との関係性になっていて
無しには語れないんだっていうのがこのアップデート版では変わっていると
で次のシグニファイアっていうのがその最初にノーマンが取っかかりというか
引っかかる部分というか椅子で言えば支えられるとかドアノブで言えば
ここを回したらパルダかオスダかできそうとかいうこと自体のそのもの自体が持っている特性みたいなことを
シグニファイアって呼びましょうっていう風にしたんですよねこの本の中では
これ前回の情報改定版の出る前の方にはなかった概念のようですね
きんじょうひでき
同時期に生まれた概念かなって思うとハマりますよね
げんえい
このシグニファイアっていうのはノーマンどうやって思いついたとかどういう言葉付けをしたのかなと思って調べていったら
フェルナンドソシュールって言語学者がシニフィエとシニフィアという
指し示すものと指し示されるものっていうことを言うんですけど
この辺は別に大事じゃないですかつまり言語学者が使っていた言葉を借りてきて
シグニファイアシニフィエの英語読みがシグニファイアなんですけど
として持ってきたって言っててここでもまた借り物なのねって思いながら
またそれ誤解生まない大丈夫とかってちょっと思いながら読んでましたね
きんじょうひでき
完全に受けて読み取り手の中に全くないものって解釈できないというか
対応付けが行われないから多分借り物の概念借りてくる
すでに説明されているものを使うっていうのは
げんえい
言ってることでやってることが一貫してるなっていう気はしますね
確かに
きんじょうひでき
ただ誤解を招くぞ
記号論の分野である概念を借りてきましたって言ってましたっけ
げんえい
なんか隣の学問のものを借りてきて独自解釈する
あとで大変なことになるみたいなことはいっぱいありそうだなって思いながら
きんじょうひでき
ちょっと怖いなと思いながら
だからパフォーマンスがやっぱり関係物の性質プラスそれの何て言うんですかね
使い手観察者わからないですけどそれを見た人何かをできるっていう風な
関係性の中で発生するものだとしたら
シグニファイアはそれを気づかせるきっかけづくりみたいな感じですよね
インターフェイスなんだろうな
げんえい
インターフェイスとかサインとかもそういう例みたいな
サインとかシンボルみたいなものとかいうような出てきますね
きんじょうひでき
シグニファイアがあれですもんね語源がサインですもんね多分
げんえい
多分そうですね
きんじょうひでき
サインファイアですもんね多分
げんえい
うんそうだと思います
きんじょうひでき
多分でばっか話
げんえい
ここまでパフォーマンスとシグニファイアちょっと難しそうな横文字が出てきて
言いたい主張はわかるんだけども
なんか自分は結構アフォーダンスって本当にあるのって結構思ったりするんですけどどうですか
きんじょうひでき
アフォーダンスすごいなんかポッドキャストかまじかみたいな
飲み会話みたいになってくるんですけど
アフォーダンスがなかったらシグニファイアがありえなくないですか
げんえい
うんそうだと
きんじょうひでき
切り離せないと思うんですよ
潜在的なものでしかも関係性って言ってるからかなり流動的なもの
要するに弓を買っても戦士タイプは装備できませんみたいな話
だとなんか関係性によって全く意味がなくなる存在しないに等しくなるのでややこしいんですけど
だからといって両方が同時にありえないと片方が否定されるからといって
じゃあそれぞれ別の概念確かにあるものとして扱うことには意味はあるんじゃないかなっていう気はしますね
区別して考えたいというかあれですよねちょっとさっき言った話になるかもしれないですけど
デザインって要するにシグニファイアを大事にするみたいなことでましたよね
デザインが何かを作るんだとしたら何かを設置するんだとしたらそれはアフォーダンスをもたらすことじゃなくて
シグニファイアを設計するみたいな話があったと思うんで
なので僕は本物のアフォーダンス心理みたいなものは確かに難しいのかなと思いつつですけど
かといってないってことにはならないんじゃないってます
げんえい
確かに自分はこれ読んでてただ単に人間はパターンマッチを覚えただけで
経験的に学習したからいろいろものが使えるっていう
ないってよりはその説明の筋よりもうちょっと普通に経験的に習慣として覚えたから
使えるとか使えないとかを想起するとかつまりその人によって変わってくるみたいな部分とかって
ただパターンマッチの話やんけみたいな風に読み替えちゃって読んで
アフォーダンスっていうもので説明するっていうのが本当にいいのかなみたいな
なんか証明もできないじゃないですかここにはアフォーダンスがあってみたいな
そうですねアフォーダンスっていうものがあるものとするっていう前提で入らないと話が進まんみたいな
なので読んでてちょっとこういう説明の仕方もありなんだろうけど
なんか苦しくないみたいなことはちょっと思ったりしましたね
関係性にあるって言った時にその関係性ってどう説明するのとか難しいじゃないですか
きんじょうひでき
そうですね
げんえい
その人とその対象のもののシグニファイアと観察者の関係性がどう記述したらいいというか
いやこれはこの人は知ってるからこれアフォードされているから使えたんですって
いくらでもいい用がありそうだよねみたいな感じはすごくしちゃうなっていう
ちょっとずるいなって思いました読んでて
きんじょうひでき
逆に言うとすごい工学的な考え方だなと思ってて人間がどう使うかっていう話しかしてないから
あらゆるそれこそ日本人が見ても宇宙人が見ても同じように使ってもらうことを多分意図する必要がないかなっていう気がしてるんですよね
だからこういう経験をした人がこの場にいてこういう問題解決したいだろうみたいな
要するに想定ユーザーみたいなものをありきで話してるのかなっていう気も僕はしていて
哲学じゃなくて実理の世界の話だとしたら
アフォーダンスとユーザー
きんじょうひでき
じゃあ同じような経験を持っている人その最大公約数のパイをどこまで広げるかみたいな調整はもちろん必要だし
さっき言ってた椅子を見た時に子供非力な子供がそれを動かしうる座りうるっていうアフォーダンスを受け取るか
アフォーダンスを受け取るっていうのかなアフォーダンスを身に出すなのかな
非力な子供だとそんな大きい椅子を動かせないから動かす性の機能が備わっている物体として見ないはず
でも成人男性とか母親とかだったらそれは椅子だから持ち運べばいいじゃんっていう風に見れる
っていうのは想定する対象ユーザーありきの話な気はするので
それはありじゃないかなっていう解釈で自分を納得させてます
げんえい
なるほどそう言われると確かになっていう気持ちすごいなりました
きんじょうひでき
そうなんかアートとデザインの違いって多分そこなんですよ
アートはより真に迫る真実に迫るみたいなデザインは動けばいいだろうなと思うので
げんえい
確かにね間違ったことをしないように上手くできているとかやりたい目的に対してパッとできるとか
そういうことが達成されていればしかもその中には例えばこういう文化的背景を持った人ですとか
子供だけですとか身長制限があったりとか体重制限があったりとか
いろんなものを制約の中によって使われてその目的が達成されるんだったら
その中で上手にできればオッケーでしょって言われると確かになりますね
きんじょうひでき
そうだから逆に言うとフランス料理屋さんでお箸使いましょうだと多分デザインの失敗なのかなみたいな
お箸で食べるパスタ屋さんとかにありますけどパスタ屋スパゲティ屋だろうなあれは多分ありますけど
ていうのと原映さんが言ってたような捉え得る人観察する人によって何もかも変わってきちゃうから
別にそんな擁護地位ってなんかさも定義できましたみたいな顔せんでもええのではみたいな話で言うと
より広いというか概念モデルっていう言葉で説明される範囲までなんか踏み込んでる気がしましたね
確かに確かに
げんえい
ちょっとこの本じゃないんですけどバカの壁って本でアフォーダンスの話確か載ってた記憶があって
きんじょうひでき
全部と懐かしい本
げんえい
あの時になんか水は洗うこともできるし飲むことも洗うことや飲むことアフォードするんですって書いてあって
本当かみたいなこう思った記憶があって
結構ねなんかアフォーダンスにはちょっとこう下に構えるキスがあるんですよね自分の中に
きんじょうひでき
なるほど
げんえい
なんか騙されてる気がするみたいな気持ちになるんだよ
きんじょうひでき
あーなるほどね騙されてるというか頭いぶってごまかしてるというか横文字でごまかしてる感
げんえい
そういやなんか何も説明してないのではそれはみたいな無限の解釈の可能性がありますって言われたら
無限に解釈できるんだったらつまり何も言ってないのと同じではみたいな気持ちになっちゃうんだよな
水にはこういう可能性もこういう可能性もこういう可能性も広がってるんですみたいな感じに言われると
うーん本当かなーみたいな気持ちに
まあそれは多分バカの壁の説明が良くなかったのか
俺がうがった見方をしすぎてるのかまあいろいろあるような気もしますけど
きんじょうひでき
いやそれにしてもすげえ2024年に初めてバカの壁聞きましたね
げんえい
あんなに売れたのに
きんじょうひでき
あんなに売れたのに
そうですよね流行語大賞とか取ってましたもんね
げんえい
そうそうそう
きんじょうひでき
昔の話ばっかりして
げんえい
はいまあアフォーダンスとシグニファイアーはそんな感じですかね
きんじょうひでき
制約対応付けフィールドコピー
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