1. resize.fm
  2. #89 ニヒリズムとテクノロジー
2022-07-15 1:20:25

#89 ニヒリズムとテクノロジー

ニーチェのニヒリズムの考え方から、テクノロジーに潜むニヒリズム的危険性とそれをどう考えるべきかという話をしました。

📝ShowNote:https://resize.fm/ep/89-nihilism-of-technology

00:00
[音楽]
こんにちは出口です
こんにちは本山です
リサイズ編は
本山と出口が最近気になっているサービスや
デザイントピックスを取り上げて
のんびり話すポッドキャストです
よろしくお願いします
よろしくお願いします
なんかこの前
給湯機壊れたって話したじゃないですか
今度は冷蔵庫が突然壊れて
え?冷蔵庫壊れるの?
なんか去年…ん?去年かな?
一昨年ぐらいに買ったばっかりだったんですけど、
なんか急に冷蔵庫の冷蔵の部分だけが壊れて、
えぇ~
常温になってしまって、
で買い替えたんですよね、仕方なく。
それはなんかだいぶ早いね。
そうなんですよ。
なんかほんと、なんか最近いろんなものが壊れて、
なんすか?
呪われてるのかなと思うんですけど。
役年ってやつですか?僕はあまりよく知らないけど役年って。
僕もよくわかんないけど。
冷蔵庫の前にはルンバ的なやつも壊れるっていう。
ルンバじゃないんだけど。
なんか呪われてるじゃないですか。
呪われてるのかな、本当。
なんか新居に引っ越してからやたらそういう急な出費が続いてて、ちょっとつらいんですけど。
でも、もともと冷凍庫を買おうかなと思ったんですよ。冷凍の部分だけね。
はいはいはい。
水風呂のために。
で、なんか、測ったことのように冷蔵庫が壊れたから、もういいやと思って。
もともと冷蔵庫と冷凍庫で別で買おうと思ったんだけど、もう一つの巨大な冷蔵庫を買うことにしました。
巨大なやつ行きましたか。
いや、なんかでも調べてて知ったんですけど、冷蔵庫って大きいのほど省エネ効率がいいんですね。
だからなんか消費電力が大きいほどあんまかかんないっていうのに知って。
そうなの?
そうそう、そうなんですよ。
それはなんかこう、なんていうの?
だから…
容量当たりにっていう話じゃなくて?
いや、じゃなくて。
へぇ~
僕これまで#の、それでも2020年とか2019年生の
1人暮らし用の2ドアの冷蔵庫が使ってたんですよ
それが年間消費電力電気量が8000円くらいだったかななんですよね
今回買ったのが、アクアっていう中国のメーカーの
結構3,4人暮らし用の結構でかい、176cmぐらいのやつ買ったんですけど、
それ消費電力同じなんですよ。
容量3倍ぐらいになってるんですけど、電気容量変わんなくて。
で、AQUAは結構、まだ省エネレベルみたいなのがあって、それは低いんですけど、
03:00
日本製のやつだと、大きいやつでも全然8000円以下で収まるぐらいらしい。
うーん
って いうのに気づいて
あ、だったら大きい方がいいじゃんっていう
スペースが許せばね
あーそうね
なんかもともと、あのなんか、ひたちが
チルっていう、ちょっとなんかデザインにちょっとこだわった
冷蔵庫があるんですけど
冷蔵庫だけの冷蔵庫があるんですよ
チル?
あーこれね、はいはいはい
うん
最近の冷蔵庫って、家族向けのやつって、色んな機能がついてるじゃないですか。
チルド室とか、冷凍庫なんだけど、完全に固まらないぐらいの温度で冷やすやつとか、色んな機能がついてて。
あとカメラがついてるとかね、ヒタチの最新のやつだと。
なんかあんまそういうのいらないなと思って
これこのチルってやつ結構シンプルでいいなと思って
これプラス冷凍庫専用のやつ買おうかなと思って
2台構成にしようかなと思ったんだけど
1台で大きいやつ買った方が
電気消費量的には省エネらしくて
まあまあそれはそうか
それはそうだと思うけどね
っていうのに気づいて
いやでもなんかあれじゃない?
でっかい冷蔵庫を買いましたね
なんか、お祓いかなんか行った方がいいんじゃないの?
その…
いや、マジでちょっと考えちゃいました
お祓いしないと、なんか取り憑かれてる可能性あるよ、多分
それを疑うぐらい、マジで
奇不な故障が続いてます
次、何?何かな?って思っちゃうよね
次壊れるとしたら?
いやー、嫌ですね。
テレビとか壊れるのかな?嫌だな。
テレビとかならまだいいけど、MacStudioとかね、壊れ、壊れる。
まだ保証が効いてるからいいけど。
保証効いてないのは壊れるのが一番嫌ですね。
冷蔵庫も絶妙に保証が切れてたんですよ。
1年保証みたいなやつね。
いや、なんか今まで自分で買った家電が壊れた経験がないからさ、
わかんないというか、わかんないことはないんだけど、別に。
僕もなかったですよ、これまで。
そんな壊れるもんなんだって。
冷蔵庫2年はさすがにちょっと短すぎると。
短すぎるよね
それは短いよな
なんか
06:01
まあ
壊れた経験ない
嘘だわ
壊れたけど
壊れたまま使ってるんだ僕
何が壊れたんですか
洗濯機が壊れてるんだけど
壊れたまま使うってどういうこと
洗濯機ってロックみたいな概念があるじゃないですか
その要は回ってる時に手入れたりしたら危ないから
蓋をロックするみたいな概念があるじゃないですか
なんかねそれがねうまく動かない時があるんですよ
でロックがうまくされないイコール洗濯機が回らないんですよ
そのロックされてないから
だからそれまあそのもう僕はもうそれをハックしてるというか
もうその規則を知ってるから、最初にいきなりこう洗濯機をスタートってやると
もうロックがちゃんと動かなくて、回らなくて
それを一時停止して3秒ぐらい待ってもう一回スタートするとちゃんとロックするっていう
なんかこう謎の技術があってですね
まあそれで使ってるっていうだけですね
それは…
まあだから、よく使えれるならまあいいんじゃないですか
まあそうそう、なんかそういう感じでね
もう毎年僕はだから、ドラムズ式の洗濯機、最新型の洗濯乾燥機が欲しいってずっと言ってるんだけど、
ずっと言ってるだけで、ずっと使い続けてる。
いやマジで買った方がいいっすよ。
いや、買った方がいいのは僕もすごくよくわかってるんだよね。
洗濯乾燥機は本当にライフチェンジングだからさ。
いやまあそうだと思う。
なんかね、いやだから次引っ越した時はさすがにちょっと買い換えたいなっていうのあるけどね、やっぱり
さすがにね
いやー僕次は洗濯機が壊れそうだな、なんかそれ聞いてると
あーあるね
うん、厄介
洗濯機壊れるの微妙に困るな
そう、急凍器も冷蔵庫も壊れるで厄介なものが壊れてる
冷蔵庫壊れると厄介だね
でもなんか空落ちして冷凍庫は生きてたんで今回
あ、そうなんだ
だからまだ助かった
へー
そう
冷凍庫だけはなぜか生きてて
んー
なんかあれ?
え、でもそれってじゃあ冷凍庫と冷蔵庫で冷やすやつが別ってこと?
なんか、もっと厳密に言うと
冷蔵庫の中でも野菜室みたいなところだけじんわり冷えてて
あー
じんわり冷えすぎて
冷え続けてるんだけど、だから下に行くほど冷えてるんだけど、上が上温っていう謎の状態でしたね。
なんか冷気が弱いのか、ちゃんと冷気が送られてないのかっていう、その辺が問題なのかじゃ。
まあもう買い換えちゃったんで、いいんですけど。
09:00
大変だねそれはまた。
いやでもでかい冷蔵庫はいいですね。
いやーもう、でかい冷蔵庫いいけど、あ、まあでも出口か別に埋まらないか。
出口かが埋まることあんまないな。
僕みたいな人間は全部お酒で埋まってっからさ、もう、でかければでかいほどお酒が増えてくだけで、
あんまり変わんないんですよ、入る容量が。
結局ね。
なるほどね。
ほとんどお酒で埋まっちゃってて、今。
僕の買ったのは、アクアのサイドバイサイド冷蔵庫っていう、左半分冷凍庫、右半分冷凍庫みたいなのを買ったんですよ。
そんなのあるんだ。
そう。しかもこれなんかすごい機能シンプルでいいんですよ。冷凍か冷蔵しかないから。
しかも価格も結構安くて、9万円ぐらいで結構でかい冷蔵庫なのに。
こんなのあるんだ。半分冷凍庫。面白いね。
なんか冷凍庫がめちゃでかいんですよ。180リットルぐらいあって。
でもこれあれなんだね。半分全部バンって開くんだね、観音開きで。
冷気はめっちゃ逃げちゃうと思うんです。
すごいね、この構造。
まあシンプルでいいっていう側面もあるけど
全部バーンて開けちゃうっていうのはどうなんだろうって思っちゃうところもある
まあ家族がたくさんいてめっちゃ開け閉めするのは微妙かもしれないですね
すごいなぁ こんなのあるんだ
いやこれだけですよ 調べた中では
ね こんなの見たことないもん僕も
そうなんかAQUAってどうなのかなぁと思ったけど
結構買ってみていいなと思いました
割り切ってていい
冷凍庫がめちゃでかいんですけど 今これの8割ぐらいが氷で埋まってます
まあでもこれ これはこれでいいのかもな
なんかたぶんそんなにこれ奥行きもいってもそんなないのかな
奥行きはまあ普通の冷蔵庫ぐらいですね 幅がちょっと広めかな
いやでもね結構ね奥行きってねそんなにね実はいらなかったりすると僕思ってんだよね
そのなんでかっていうと奥行きあると奥の方にどんどん行っちゃって
なんか 知らないやつがなんかずっと奥の方でなんかこう待機してるみたいになっちゃって
なんかね取りづらくなるしあんまり良くなかったりすんだよねそういうので
という結構これはおすすめです
まあちょっと見た目もシュッとしてるし僕の場合だと多分これ冷蔵庫がお酒で全部埋まるねこれ
この会の感じだと アフラコアと冷凍庫にしか入れられなくなる
12:02
今ちょっと氷をたくさん冷やしてこれが固まったらちょっと最高の水風呂を作ろうかなと思っています
まあちょっとじゃあ今日の話をしようかなと思うんですけど、いやー今日はねー ちょっとね苦労しましたね
苦労したんだわー まあちょっとあのこの今共有した
「ニヒリズムとテクノロジー」っていうね、本を 最近ずっと数日間にかけてずっと読んでたんだけど
難しそう。
いや、これがね、気軽に手に取るものじゃなかったね。
うん。
いや、面白かったんですけど、なんかね、面白かったんですけど、
なんか割とこう、ニヒリズムっていうまあ、こう、哲学的な思想の部分が強めの感じでこう書いてあるから、
書いてあることはわかるっちゃわかるんだけど、
哲学的な思想とか言い回しみたいなものを
いろんなところに散りばめながら書いてあるから、
その辺を解読していくのが、
あんまり僕も、一部部分部分で理解できずに読んでるところもあったんだけど、
なかなかハードな、そういう意味でも、本で。
しかもページ数もめちゃくちゃあるっていう、結構なね。
難しそうだな。
結構な本だったんですけど。
でも、言ってること自体は、
だからね、僕だから、そもそもちゃんとニヒリズムについて勉強しようと思って、
この本読む前に、まず一回ニーチェのニヒリズムについての本をまず読んでるんだよ。
この本を読むやつって。
そのモチベーションは何なんですか?
僕もわかんないもん。なんなのかわかんない。そのモチベーションがなんなのか。
まあでもなんか、まあそのね、ニヒリーズム、僕はニヒリーズムとかそういう考え方自体は、なんとなく昔から知ってて、好きだったので。
だからそういうモチベーションは自分の中にあったんだろうね、きっと。
だからニーチェのニヒリーズムの本をまず予習してる段階は全然楽しかったんだけど、
この本の最初の半分ぐらい読むのが なかなかつらかったね
っていうのもなんかこの本が 9章ぐらいに分かれてるんですけど
最初の1章は概要ほぼほぼ概要なんで あれなんですけど
2章3章がまた改めてニヒリズムとは みたいな話とか
まあそのそういう話をずっとしてるんで なかなか難しいんでしょ、その哲学的な話をずっとしてるから
そのある程度ね、哲学のなんか知識がある人だったら ああこの話ねみたいな感じで読めるのかもしれないけども
僕はそんなめちゃくちゃ読んでるわけじゃないから まあ何のこと言ってんだろうなぁと思いながら
15:05
こう読んでたんでちょっと辛かったんですけど まあでも4から9章にかけては
ニヒリズムとテクノロジーの関係についての話をしてるんで
ここはある程度具体的な事例というか
そういう部分を含めながら書いてるから
理解できたんですけど
そういうニヒリズムとテクノロジーの話を今回するっていうか
これ誰が聞くんだって思うんですけどね
そんな話して
僕ニヒリズムが全然わかってないです
ああ そうですよね
まあ そうじゃあ ニヒリズムから ちょっと話さないといけないですよね だから
で まあ
ニーチェが ニヒリズムといえば だいたいニーチェの話が出てくるんですけど
ニーチェは
1800年代後半とかに生きた人かな 哲学者で
有名な言葉だと 神は死んだとかっていう言葉があるんですけど
まあ これニーチェが一番最初に言った言葉ではないんだけど
ニーチェが書いてる中で こういう神は死んだっていう言葉が出てきて
それが結構有名になってるっていう文脈で
ニーチェの有名な言葉だっていうふうに言われてるんですけど
神は死んだって何を意味しているかですよね
これっていうのは 要は それまでのいろいろな考え方
西洋文明が始まって以来 いろいろ哲学だとか学問みたいなものを
支えていたような絶対的な基盤っていうのが あったんですけど
それは神っていうものがあって それが絶対的な真理とか価値っていうものを提供しているっていう
元で色々組み立てられてたんですよ やっぱり色々なことが
それまで人間っていうのが うまく理解することができなかったものっていうのは
全部神の見業として考えてたんですよね
これはもう神がこうしたからこういうものなんだみたいな感じで
とはいえ人間はやっぱりその神の見業っていうものがどういうものなのかっていうのを
解き明かそうとずっとしてきたわけですよね
それは何なん?具体的にどういうことなんだろうみたいなこと
それでガリレオとかが
いやなんかこれは天道説じゃなくて地道説なんだみたいなことを言ったり
もしくは人間は神が自分に似せて作ったんだって言われてたけど
いやこれはなんかダーヴィンが進化論的に猿から進化してみたいな話をし始めたりとかして
要はだんだんだんだん神の見業っていうものの秘密を解き明かそうとしていったら
神っていうものの存在自体がどんどん前提が崩れ始めたんですよね
バワバワって科学によって
それによって神は死んだっていうことになって
まあ言い換えると
で、それまで哲学っていうのも、いわゆるアリストテレスとか、そういう方への人たちがさ、そういう神っていうものがあって、そういう宗教観の中で哲学っていうものを考えたりとか、絶対的な価値っていうものとか、善とされるものは何かっていうのを考えてたんだけど
18:08
にいちやはやっぱりそれもやっぱり現代的な その考え方からするともう神は死んでいて
哲学においてもやっぱりそんなものは存在しない 絶対的な価値っていうものは存在しないんだっていう話をしてるっていうのが
神は死んだっていう 言葉の話ですね
でその今までその絶対的な価値として存在していた神っていうものがあったんだけど
その神という絶対的な価値として存在していた神っていうのが無価値になったってことなんで
まあ死んでこれは何も価値を生み出さないものになってしまった
まあ意義を見出さないものになってしまったっていうこと自体が
それ自体が二比リズムっていう言葉で表現されるんですけど
今まで絶対的な価値としてあるものだと思ってたものが何の意味もなくなってしまう
虚無主義っていうんですけど二比リズムって日本語で言うと
何も意味をなさなくなってしまったっていうふうに
それはニヒリズムっていうんですけど
ニーチェは今後2世紀
今後2世紀っていうのはニーチェからすると
1900年代とか2000年代だよね
はニヒリズムの時代だっていうふうに
予言していてその頃から
ニーチェの話はいろいろあるんですが
この辺を細かくすると なかなか ややこしいこともあるので
ニーチェの考え方の中で 弱者と強者っていう考え方があるんですけど
要は ニヒリズムっていうものは 全ての人間につきまとうものだと ニーチェは考えてたんですよね
やっぱり人間っていうのは何か何かしら絶対的な価値観というものがあって、それを信じて生きていきたいというか、自分が生きる意味って何なんだろうっていう風に考え続けなければならないというか、
それの答えを今まで出してくれていたのが神的な絶対的な指標だったのに、それがなくなってしまったと。
で、そこでみんなニヒリズム的な不安というか、そういうものに陥ってしまうっていう話をしてるんですけど
その中で弱者っていうのは、そういう不安とかいろいろある中で
いろいろとネタミだとか嫉妬みたいなものが、いろいろやっていく中で生まれてくるんだけど
それをうまく正当化することによって、例えばそれまで支配していた教者というものがいたとして、その教者が持っていた価値あるものを
自分たちが正当化したことによって、無理やり下げて、その弱者として支配者の立場に立とうとするっていう原理があるって話をしてて
要はどういうことかっていうと、例えば 強者があるような大金を稼ぐことっていうのは悪で、真摯につつましく生きることが善であるよみたいなことっていうのは
21:09
実際はそんなことないように見えるんだけど、弱者はその真摯につつましく生きることが善であるっていうふうに正当化することによって
集団でそれを正当化することによって、教者という立場をあえて避けるわけですよね。
なるほど。
道徳的に。
で、まあ、そういうふうにね、いろいろと自分を正当化するっていうふうな逃げ道を作るっていうような考え方ですよね。
ニーチェからしたらこれっていうのは、ニヒリズムに対する逃げ道というか。
で、まあ同じように、こういうニヒリズム、人とニヒリズムの関係について、
宗教的にというわけじゃないですけど、この本とかでも、他の本とかでもよく書いてあるんだけど、
金欲主義的僧侶の教えっていう、そういうのがあって、
要は、ニーチェとしては、本当はニヒリズムを自分自身の力で克服することが重要だって考えてるんだけど、
その虚無から離脱して
まあ、最終的にはそれを
自分自身の人生を肯定する
肯定し続けることが重要だみたいなことを言うんですけど
にいちやは
なるほど
まあそれを肯定しないで否定して
こうただその否定してるだけだと
やっぱ辛いじゃないですか
なんかその自分自身の人生がもうダメなものなんだ
みたいなふうに否定し続けて生きるのは
辛いじゃないですか
だからその辛いのを逃れる方法っていうのがいくつか
まあこの道徳的な一般的な道徳的な教えとしてあるんじゃないのっていうふうに
金欲主義的それを金欲主義的僧侶の教えって言ってるんだけど
そこがねいくつかあって
まあその辺の話がちょっとそのニヒリズムとテクノロジーの話に
まあうまく掛け合わさって展開されていくんですけど
例えば、自己催眠っていうのがあって、自己催眠っていうのはまあなんだろうな、こう、
映画だとかドラマとか芸術に感動したりして、気晴らしをするっていうこと。
まあそれ自体は別に悪くないんじゃないのって思うかもしれないけど、まあ、ニーチエ的な視点から言うと、それはニヒリズムから、ただこう、逃れようとして、
ちょっと、まともに向き合ってない状態だっていう話になるっていうことですね。
とかなんか機械的活動みたいな まあなんかこう一般的にこれはこういうものだっていうふうに規則を決めてしまったりとか
まあ決まったことをスケジュール通りに急ごらしくこなすみたいなことっていうのも やっぱりそれはそういうふうなんか
ニヒリズムから考えることを逃げてるんだみたいな考え方になってるみたいな
なるほど 思考停止するなってこと?とかめっちゃ噛み砕くと
24:04
まあまあそうだね。ニーチャ的に言うと、結局ニヒリズムに対して、やっぱりすごい肯定的なことを重視してて、
ニヒリズムって二つの意味が実はあって、ネガティブなニヒリズムとポジティブなニヒリズムがあるんですよ。
だから大体の場合はネガティブな場合で語られることが多いんだけど
ネガティブなっていうのは、神が死んだことによって
生きる意味が見つけられなくなって、もうダメだってなって
その時々の状況に身を任せて生きるしかない状況になってしまった人のことを
ネガティブなニヒリズム、自動的なニヒリズムとか言ったりするんですけど
で、なんかポジティブなっていうのは、まあ、その、そういう状況に対して、もう自分から積極的に、もうなんか、じゃあこうはどうなんだろう、みたいな、こう新しい価値を農道的に想像していく生き方、
自分を肯定していく生き方っていうのが、まあ農道的ニヒリズムっていう、まあポジティブなどっちかっていうと、ニヒリズムって言われたりするんですけど、
だから、ニーチェはポジティブなニヒリズムっていう方向で、
「素晴らしい人間になっていけばいいんだ」っていう話を最終的にはするんだよね。
なるほど。
だけど、大体の人はやっぱりネイティブなニヒリズムに陥りがちで、
そこから逃げるための手段っていうのがいくつかあって、
それがさっきの芸術とかに感動して木晒ししたりとか、
忙しくこなすふりをして、考えることをやめてしまうとか、
あとは何だろう、他人を助けることで喜びを得るって、
これ一見してすごくいいことのようも聞こえるけど、
他人を助けるっていうのは、ある意味で、
自分を有意な立場に置いてるんだっていう話をどこかで書いてて、
それによって喜びを得て、
そういう考える頃から逃れてるんだみたいな、
若干当てつけじゃないかみたいな そういう感じもするんだけど
そういう話をしてたりとか
あとね これよくあるのは 畜軍本能って書いてるんだけど
これなんて言うんだろう 群れることだね 要は
弱者はやっぱりさっきも言ったように 集団で正当化するとかっていったように
やっぱりみんなでいることによって 安定しようとするというか
やっぱり一人でいるよりも みんなでいたほうが
自分の説明責任がどんどんなくなっていくんですよね
みんながこうしてるからこうするみたいな感じになっていくというか、
そういうことによって自分で考える重りみたいなものを減らそうとするとか、
そういうことが、人とニヒリズムの、ネガティブなニヒリズムの関係としてあるので、
そういうものをどんどん克服する必要性があるよねっていう話を、
Niichiは基本的にはしているっていうので、なんとなくニヒリズムがわかりました。
27:04
だいたいなんでモテマさんが好きかも わかりましたよ だいたい
まあなんかね これね
ニーチェが書いた本もいくつかあって
なんか一部だけ読むと すごい自己啓発本みたいな感じにも見えるんですけど
すごい ひたすらポジティブに生きろみたいな感じだから ある意味
まあだけど 非常にこう…
でもある ポジティブってのは別に思考停止的なポジティブじゃなくて
ちゃんと本位数考えろよっていう話でしょ
そう まあそうだね まあそうだねっていうか
その積極的に非リズムっていうやつは
なんかねこの辺はね結構認知的にもね 割と曖昧にされてることの方が多いんだけど
なんかねだから最終的になんかこう超人っていう
本当に超超える人って書いて超人っていうのになると
そこが目指すべき、人が目指すべきやつだみたいなことを言ってるんだけど
超人っていうのも、いまいち具体的には書いてないんだよね、にいちゃんもだから
多分、具体的に書いちゃうと、それがまた結局神みたいな存在になってしまうからなんじゃないかっていう話もあるんだけど
まあ、よりどころになっちゃうからっていう話だけど、まあ、その超人っていうのがね、まあ、割とふわっと書かれてるだけなんだよね、だから。
だから、具体的にどういう存在なのかっていうのが、わかりづらい部分もあるんだけど。
まあ、でもちょっとその辺の話をし始めると、だいぶニーチェの話をもっとしなきゃいけなくなってしまうので。
まあまあ、だいたいわかりました。
置いといて、で、まあ、だからこの本は、ニーチェ的なニヒリズムとか他のニヒリズムを引用したりしてるんだけど、
そのニヒリズムとテクノロジーの関係性、まあだからテクノロジーによってニヒリズムに陥るっていうことがありえるんじゃないかみたいなところを、
まあ、考えようとしてるっていうのが、まあこの本なんだけど、
まずでも前提としてこう 追いときたいのはなんていうの
まあこれもニフィリズムは哲学なんだけど哲学っていうのはやっぱり絶対的な真実だとか 正解みたいなものを明らかにするものではやっぱりないんじゃないかなって僕もいろいろ本読んで
と思うんだよね そのどっちかというと
世界に対して新しい見方を提案するためのゴーグルみたいなものであって
それ自体が正解なわけじゃなくて、こういう見方もあるよねみたいな、別格好とかの考え方を与えるものでしかないと思うので、
だからまあいろいろなんか、この本でもちょっとこれ個人系かもなとか、これは自分に当てはまらないかもなみたいな部分が出てきたりするんだけど、
まあまあまあ、そういう見方もあるよねぐらいの感じで、読んでおくのが良いのかなっていうふうには思ってますね。
30:01
思考実験的な感じ
そうそうそう
だからいくつか事例が出てくるんだけど
これは自分に対して言われていることというよりも
世間一般普通の人たちが
こういうことに陥ってる可能性があるよね
というふうに感じているというか
そういうふうに読むと
だいぶ気が楽で
読んでいけるかなというふうに思いますね
本題のこの
ニヒリズムとテクノロジーの本の話になるんですけど
出口君はテクノロジーに対してどういう期待というのを抱いているのかってある?
こんなこと考えたことないと思うけど
難しいこと聞きます
いやーそう言われるとないじゃないですけどね
まあね、大体なんかこう、3つに分かれるんだけど、
その、悲観的なのか、楽観的なのか、中立的なのかっていう、
なるほどね。
まあ3つに分かれるんですよ。
3はすげえ楽観的だと思いますよ、たぶん。
うーん。
まあWeb3とかやってるぐらいだからね。
はいはいはいはいはい。
楽観的だけど、でもなんかその、
まあ元が結構こじらせてる性格なのもあるから、
割となんかこう、楽観してるけど、
本当に見合うの?みたいなところは結構考えちゃうタイプかもしれないけど
あのね、それはね、たぶん一番いい答え
あ、そうですか
たぶん、たぶんこの本の中ではたぶんそれが一番いい答え
一番いいっていうのは一番そういう人になってほしいっていうような本を書いてると思う、この人は
へー
うん
うんうん
そのまあなんかまあ 悲観的に考える人も多分いると思うし
普通にまあ楽観的に便利だからいいじゃんみたいな感じ考える人もいるだろうし
中にはでも中立的に考える人もいると思う
中立的っていうのは機械っていうのは単なるツールだから
まあそれそれ自体に僕にこうどうどうっていう意味はなくて
それ使ったりとかまあ作ったりする人次第なんじゃないのっていう考え方なんだけど中立的っていうのは
でもなんかこの本の中では中立的っていうのが一番盲目的になりやすいんじゃないかっていう話もしてあって
っていうのもこの本を読み進めていくと
作った人がすごいよかれと思って作ってることの方が多いじゃないですか
やっぱりその世の中のサービスだとかプロダクトって
使う人もこれを使ったら便利になると思って使ってる人が多いわけじゃないですか
だから、それはツールであって作ったり使う人次第なんじゃないのっていう視点から言ったら、
どっちも良いと思って使ったり作ったりしてるわけだよね。
だけど、人間に潜むさっきのニヒリズム的な欲求みたいなものを、
33:03
なんかそのツールによって呼び覚ましてしまうことっていうのはあるっていう話をしてて、要は。
別に作った人がそれを意図してたわけじゃないんだけど、
なんかそのツールの特性によって、その使う人に潜むニヒリズム的な欲求を呼び覚ましてしまって、
そのニヒリズムに陥ってしまうっていうことがありえるんじゃないかっていう話をしてるんだよね。
急に難しくなってきたけど、
てかそもそもニヒリズムっていうのは現代でもあるんですか?
あります。
要はそもそもニヒリズムっていうのは神という絶対主義的な何かがあった時代でそれがなくなったよねっていうところから始まってるわけですよね
そこから数百年経ってる現代でもそれはあるっていう前提の話?
あると僕は思ってるし、いろんな見方すると絶対あるんですけど、ニヒリズム的な考え方っていうのは
いわゆる神に限らず、これが絶対正しいと思ってたものがなくなるっていう状況は いくらでもあると思うんですよね。
例えばさ、今まで日本は「終身雇用だ」って言ってたのが、 もう終身雇用やめた、そうなってしまうっていうのも 一つの価値観が全部なくなるってことじゃないですか。
なるほど。じゃあ、それも人それぞれ、その時代それぞれの神的なものがあり、それを呼び起こしてしまう器具があるという話?
まあ、そうだね。さっきのだから、別のものに頼ってしまうとか、
なんか、考えないことにしてしまうっていうふうに、逃げ道に誘い込んでしまうようなものだとか、そういうものがあるんじゃないかっていう話ですね。
なるほどね
まあさっき、まあでも神の話で言うと
いまだに多分本当にそれまでの神に値するものって
今多分何もないと思うんだよね
その科学がそれだっていう人もいるかもしれないですけど
科学が絶対的に信じられるとして
それを基準に絶対的な善って考えられないじゃないですか
まだ何が良いか悪いか
それは結構無宗教の立場だからそうなのかもしれないけど
宗教的なのがちゃんと、ある人はまたそれはそれで神的な存在があるのか、現代においては。
たぶん、でもたぶん、ニーチェがいた頃とか、ニーチェ以前の人たちとも若干違う考え方だと思うんだよね。
それまでは科学もなくて、神というか宗教だけが存在してた状況だったのに、
それを覆すものが現れてしまったっていう状況の中で
そういうものが共存してる状況だから
だからやっぱりそういうニヒリズム的な状況に陥りやすい
呼び起こす可能性がテクノロジーにあるよっていう話か
そうそうそう
だからそれが誰かが意図したわけじゃなくて
36:02
そういうものが生まれてしまう可能性があるんじゃないのっていう中で
やっぱりそういう意味でもその中立的で
それは別にツールのせいじゃないよって考えてる人の方が
むしろ一番盲目的にそれにはまりやすいんじゃないかって話をしてるんですよね。
はいはい。
なんか、神とかいうとちょっと、あんまピンとこないけど、
自分がさっき言ってた就寝雇用とかわかんないけど、
大学入ったら絶対就職できるとか、公務員になったら絶対安定だとか、
そういうものの方がピンとくるかもしれないです。
そういうものがそうじゃないんだって気づくのが、ニヒリズムが目覚めるっていうこと?
ニヒリズムが目覚めるというか、最終的な結論としては自覚するというか、
疑うというか、それが重要なんじゃないのっていうふうには思うけどね。
というの まあ要はまあすごい最終的なペキョヘツの言ってしまうとテクノロジーに対して
すごい猛進するわけじゃなくてやっぱりどっか疑ってみるとか どっか
考えてみる目線みたいなものは持っておく必要性があるんじゃないのっていうことが言いたかったん じゃないかなと僕は思ってんだけど
この本自体はテクノロジーが良いとか悪いとかそういうことを話したいわけではなくて
なんでテクノロジーが悪い状況になってしまうことがあるのかとかっていうことだったりとか
じゃあ何が具体的に悪いことなのかみたいなもの
どういう風に考えたらいいのかみたいなものを議論しようとしているっていう話なのかなというふうに思いますね
なるほど
例えばの例で、一番最初に書いてある 例えばの例で、Rumbaの話が出てくるんですよ
Rumbaって便利な道具だと思うし、 やっぱり普通にいいテクノロジーだと思っている部分もあると思うんですけど
私たちが目標に到達する手助けを目指しているようには思えないっていう部分があるらしいんですか
それよりむしろ人の代わりに目標を定めたりテクノロジーがその目標に到達するために人に目標を支持すること、提示することを目指しているように思える部分があるんじゃないかって話をしていて
って話をしてて、要はどういうことかっていうと、人が道具を使ってるんじゃなくて、人が道具に使われてるんじゃないかっていう話を、まあ簡単に言うとしてるんだけど、
例えばルンバってさ、ちょっとした段差あったら登れないじゃん、とか、いっぱい散らかってたら、ちゃんと掃除できないじゃん。
39:00
だからそれをちゃんと掃除できるように 人が動くみたいなところってあるじゃないですか
やっぱり考え方として
ありますね
それっていうのは
まあある種その人が道具を使ってよりで 道具に使われてる部分もあるんじゃないかって話をしてるんだよね
うん まあそうですね
まあそういう意味でなんかこう
テクノロジーに対して人が行動できるようにしようとしてるっていうよりは
人の代わりにその人がどう動くべきかっていうのを支持してるようにも見えるんじゃないかって話をしてて最初の方で
はいはいはい
まあルンバーは構造上はそうは言えるなっていうのはそうだけど
結果として綺麗になるならいいんじゃない?って思っちゃうし
まあまあまあそうそうそう
山田:いや、まあだからちょっとね、こう、違う見方の話として聞いてもらいたいんだよ、なんか。
山田:だから。 吉田:うん、わかる、わかる、わかる、わかりますよ。
山田:僕もね、これが全部だとは思わないんで、もちろんね。
吉田:いや、一応突っ込んどこうかなと思って。わかりますけど。
山田:まあでもなんかやっぱり、人がテクノロジーに合わせてしまって、
山田:なんかこう、本当はこうしたかったのに、それを変えさせられている部分っていうのは多分いくつもあると思うんだよ、なんかそういう風に。
テクノロジーによって自分の目的を見失っている
見失っているという言い過ぎなんだけど
自分の目的じゃなくてテクノロジーに合わせて動いている部分というのが
だからある種それというのは
テクノロジーが人に対して人のゴールを示してあげて
人の価値観というのに影響を及ぼしているんじゃないかという話を
まあかなりそれを角に見ていくと そういうことにもなるんじゃないかって話をしてて
なんかそもそもなんでテクノロジーが下じゃなきゃいけないんですかね それで言うと
ああなるほどね そこはやっぱり最初のなんて言うんだろうな
ニヒリズム的な部分に帰ってくるんじゃないかな
やっぱり人自身がこう自分の意志で肯定して
なんか進んでいくってことが重要だっていう風な考え方に基づいてるからだと思いますね
うーん
うーん
なんか分かったようで分かんないような感じ
で、なんかね途中でも出てくんだけど
それを補強するテクノロジーっていうのもあると思うんでもちろんやっぱり
そのサポートするというかね
で、それを本当にサポートする程度で使われていればいいんだけど
そのサポートしているはずのテクノロジーが
どこかでやっぱりその別のそのニヒリズム的なものに
落とし入れようとする部分が
やっぱり発生してしまうところがあるんじゃないかっていう
それがだからさっきの価値観を
自分たちの人の価値観、ユーザーの価値観に
影響を及ぼしてるんじゃないかって言ってる部分なんですけど
そういうところがあるんじゃないかっていう話をしているということですね、要は。
42:04
なるほどね。
そっから具体的な話をちょっとしていくと、
さっきの、例えばニヒリズム的なニーチェの考え方で自己催眠っていう、例えば映画とかドラマとか芸術に感動して際晴らしをするって話があったけど、
それをテクノロジーで置き換えると この本の中ではテクノロジー催眠って言ってんだけど
そのまんま これはだから要はなんて言うんだろう
まあ普通に考えてテレビだとかネットフリックスとかそういうのを置いて まあ際らししてそれを正当化させようと
まあそもそもテレビとかネットフリックス自体がそういうふうに際らしをするものを正当化するものとしてなんかもともと設計されているし
しかもそういうものっていうのは 例えば YouTube とかも含めて
アレゴリズムだったりとか 視聴傾向のデータとかによって
その人がずっと心地よく見ていられるコンテンツを
常に提供し続けるように動く仕組みになってるって話をしてて
それはずっと突き詰めていくと もうどんどんニヒリズム的な部分に
落ち入ってしまうんじゃないかって話をしてるんですね、要はそれが
まあそれが別にいいんじゃないのっていう風に考えることもあるかもしれないけど
まあニーチェのニヒリズム的には
いやそれはもうお前超人になるの逃げてるぞっていう風に言ってる
なるほどね
ことなんで批判してるってことですね、それを
なるほどね
結構マッチョ思想なんすね
まあまあまあそうねまあでもさやっぱり何かしらやっぱりそれに違和感を感じている人もいるじゃないですかなんかこうさ
ビンジボッチングだとか言ってさなんかひたすら見続けて終末をなんか全部それ見続けて潰してしまって なんかこうねこれで良かったのかなって思っちゃう人とかっていうのもいるじゃないですか
それってでもニヒリズム的なところに陥ってるって話だよね
なるほどね
面白かったのが
YouTube、最も見られてるYouTubeの話なんだけど
最も見られてる今YouTube、一番人気なYouTuberとしたら
一番人気なYouTuberは海外のゲーム配信者なんだよね
ゲーム配信のコンテンツとしての本質は 実は視聴者自身だって言ってて
これ確かに僕そうだなってちょっと実は思って
僕もゲーム配信を見ることがよくあって
これなんで楽しいのかって まいちよく分かってなかったんだけど
この本を読んで気づかされたっていうか
ゲーム配信のコンテンツの本質は 視聴者自身っていうのはどういうことかっていうと
45:02
視聴者っていうのはゲーム配信を視聴している視聴者自身を視聴して楽しんでるんで
まあなかなかこう視聴っていう話がいっぱい出てきてあれなんだけど
要はまあ視聴者自身を見るって言ってるのはまあコメントとかがまあそれに値するのかなよく
要はゲーム配信のコンテンツ自体は実は何でもよくて
そのゲーム配信でみんなとみんな視聴者のみんなと一緒にわわ盛り上がっているっていうのを自分も一緒にやりながら見るのが
まあそのコンテンツになっているっていうことですね
まあなんとなくわかりますよそれはなんかゲーム配信だけじゃなくて結構
web 2.0系のサービスって結構そういうの多くなかったですかなんかニコニコもそうだし
まあそうかもね。
果てなブックマークとかもそうだし、
要は、果て部とかってその、
要は果て部民みたいな人ってその、
ニュースそのものっていうよりはその果て部のコメントを楽しんでる
はいはいはい。
じゃないですか。
うん、とか、なんかYouTubeも、
まあ僕もそうだけど、なんか結構、
なんかいいなってYouTube、
この動画いいなって思ったら、
動画そのものも見るんだけど、
なんかコメント欄も見に行きたいなとか思うことあるし、
うーん。
まあまあ、わからんことはないし、
ゲーム配信に限ったことじゃない気もするなっていう
でもそれは割とパーソナルとかアルゴリズムの感覚とすごく似てて
結局人っていうのは自分を見てるのが一番落ち着くから自分に近いものを見るっていう心理らしいんですね
なるほどね
だから一番それを見てるのが落ち着くからずっとそれを見続けちゃしまうというか
だから、ゲーム配信っていうのも、ゲームのコンテンツがどうのっていうのも、もちろん多少左右される部分もあるんだけど、
それよりも本質的には、自分と同じような人たちがいるコメント欄を見ながら、自分もそこに参加したりしながら、それを見るっていうのが心地よいと感じるっていうのが本質だっていう話をしてて、
これはなかなか面白いなと思いましたね。
実は僕はゲーム配信を見ているようで 自分自身を見ていたんだと思って
なるほど
でも そこまで抽象化して捉えると
映画とかも何らか共感した上で 楽しんでるわけだから
共感があるってことは やっぱり自分自身の一部を見てるってこととも言えるのかなって思いましたけど
まあまあまあまあ多分そのだったぶんそのなんだろう映画にしろまあゲームにしろ たぶんあるある程度多分自分に近いコンテンツを楽しんでるっていう部分はあるだろうからね
その うーん自分が好きだいけいだフィードにしろ
そうそうそう なんかある種の属性みたいなものがなんとなく自分の中にあってそれに近いものを楽しんで
48:03
結局 それっていうのは 自分自身だっていうことを 映してるものでしかないみたいなことになり得るっていうのは あり得そうだよね
あとはね データドリブンな活動っていう さっきっていう機械的活動の話かな
要はスケジュールに沿って動き過ぎてんじゃないのって話なんだけど
このデータドリブンの活動は
なんていうの
よりテクノロジーによって自分たちの日々の暮らしというか
そういうものがどういうことをするのかっていう
行動を制御してもらおうっていう傾向が
より強くなってるんじゃないかっていうことを話してて
これは確かにそうだなって思う部分もかなりあるよね
特にFitbitとかApple Watchとか
アップルウォッチとか、ヘルスケア周りってさ、もちろん最初は自分自身が健康になろうと思ってやっていたと思うんだけど、
いつからか、多分それをずっとやる、繰り返すというか、それが普通になっていくことによって、
これは自分がやりたかった行動なのかっていうのがわかんなくなる時期が多分どっかで訪れると思うんだよ、それを。
動くっていうことが、どっかに行くために動く。
どっかに行くために動くっていうのが、今までの本来の目的だったんだけど、
動くこと自体が目的化されて、だんだん数字が重要なことになってしまって、
そこに自分の存在がなくなってしまうみたいな、
そういうところに陥ってしまう可能性があるんじゃないのっていう。
なるほどね。
分かってきました。そのさっき言ってた「盲目的がどうのこうの」って話が。
その状態が、盲目的なままそれを続けていくと、そういうニヒリズム的な状態に陥るよねっていう話か。
そうそうそうそう。なんかこう、はっと気づいた時に、自分は何してたんだろうみたいな気持ちになってしまうみたいな。
僕もね、何回もそういうの経験ありますけど、特にゲームとかやっててね。
あれかも、なんか僕がさっき言った、なんか楽観的だけど、云々観なんてのは楽観的ではあるんだけど、でもまあ開発者として的な目もあるから、
「ああ、盲目的にさせられてるな」ってのが、ある程度自覚的になりやすいから、それによって、場合によってやめることもできるし、
あえて続けることもできるっていう感じなのかも。
うん そうそうそう いやなんか僕もやっぱり出口くんのこう趣味思考というか思考的な部分とかも あのとなく知ってるからさ
まあある程度ね例えばツイッターのさあこう おすすめを嫌うとかさ
そういうところとか知ってるから まあ多分どっちかっていうとまだコントロールしていけている方の人間なんだろうなって僕は思ってたんだけど
でも多くの人はやっぱりなんかそうもいかないっていう人が多いんじゃないかっていう話をしてるってことですねこの本の中では
51:06
なるほどね
ポケモンGOとかもさあるじゃん やっぱり
日常生活のゲーム化っていう話で書いてんだけどここは
もう自分がどういうことをしようっていうのをしないで
もうほぼほぼアルゴリズムが指示を出して
その条件に従って無条件で行動するみたいなことをやってるわけじゃないですか
ポケモンGOって
なんかこっちの方にポケモンがいるっていうアルゴリズムで叩き出されたものの指示に従って
それを追いかけて人が動くみたいなことだから
それってほぼほぼなんか自分の意志がそこに
介在しないことになってしまうんじゃないのっていう話になってくるっていう
ちょっと角に言うと。
うんうんうん。わかります。
なんかTwitterの「いいね」「嫌う」に関しては、
こう、なんていうか、技術が追いついてない部分があるんじゃないかなって気がしますけどね。
なんかこう、ニヒリズム、自分を映す鏡としてあまりに、なんか弱いっていうか、
むしろ見たくないものを見せられてるから、だから嫌うっていうので、
なんかその youtube のそれとはまた別の話なきがなんとなくしますけどね ああなるほどねまだまだそんな盲目に
なら国にさせられてないむしろ全然できてないみたいなそうそう不協は感知てるみたいな違和感を感じてるっていう
はいはい、それはあるだろうね。
なんていうか、そのレコメンド技術っていう意味では、
ニフリズムに落とし入れるっていうのかわかんないけど、
ニフリズムになる状態になるまでには、
やっぱり技術としても、より自然なレコメンドができないと、
そうもならないんじゃないかなっていう気がしますけどね。
うーん、まあそれはそうかもしれないね。
そういう意味ではポケモンGOはすごいと思うんですよね。
まあそうだよね。
ポケモンGOで、なんかわけわかんないけど、公園が人で埋め尽くされるような謎現象が起こるっていうのは、かなり虚無的な感じがするよね。
僕自身も、ああ、虚無だなと思いながらもやってましたからね、あの時は。
そうそうそう。
もとやまさんもやってたと思うけど。
そうそうそう 一時期ね 興味に走ってましたね 僕も
うん なるほどね
まあ テクノロジーの話で このアルゴリズムとか そういう話 パーソナライズとか そういう話になると やっぱり
なんか フィルタリングの問題だとか エコーチェンバー現象の問題とかっていうのが どうしてもね 出てきて
それによっては、そもそも民主主義が正しく機能しなくなったりするんじゃないかって話があったりするんだけど
やっぱりそこっていうのは、何が問題かっていうと、アルゴリズムとかフィルタリングみたいなものが、パーソナライズとかそういうものが悪いっていう話っていうよりは
54:05
やっぱり人がやっぱりアルゴリズムとかそういうものに対して
やっぱり盲目的になってしまうのが悪いんじゃないかって話を確か知ってたような気がしてて
結局 例えば高度な機械学習だとかAIみたいなものになればなるほど
それを作ったエンジニア自体も
なんでこの答えを出したのかが分からないっていう状況にどんどんなっていくわけじゃないですか やっぱり
そうなった時に、結局、何が悪いっていうのが定義できなくなるんだよね。
だからそこに対して、その人が盲目的に信じてしまうっていうのが、多分結局一番悪いんじゃないかっていう話に行き着くというか。
だからそこをやっぱりある程度疑うというか、違う見方を持っておくっていうのが必要なんじゃないのっていう話もしてたかな。
うん なるほどね
だからわかんないけど もしかしたらそのアルゴリズムによって最初は自分にパーソナルさせて自分が見たいと思っているものを見てたはずなのに
自分が見たいと思ってたものがだんだんこうさ スライドしてってその自分が見たいと思っているものからなんかこう
本当は一番最初に見たいと思ってたものから
だんだんスライドしてって
違う価値観を自分の中に持つように仕組むみたいなことも
たぶんやろうともできると思うんですよ
アルゴリズムによって
あれですよね
Twitterのいいねが流れてくるのは嫌いっていうのは
それに近い気がしてて
Twitterでフォローするってことは
ある程度自分のフィードで見たいものを選んでるはずじゃないですか
この人のツイートが自分の価値観に近いものがあったりとか、共感がするから見たいと思ってフォローして
それが流れるって前提のフィードを見てるつもりなのに、今って半分以上がいいねとか、おすすめのツイートみたいなのが流れてきて
本来見たいものではなくて、Twitterが見せたいものを見せられているっていう感じがするから、嫌いなのかもしれない
それは大いにあるよね やっぱり
ユーザーが求めているものと プラットフォームが経済的に提供したいものっていうのは
どうしても差ができてしまうというか 摩擦が起きてしまうから
プラットフォーム側としては 例えば広告を差し込みたかったら
ただでも広告を広告ですって差し込んでしまうと やっぱり拒絶反応が起きてしまうので
広告ですって見えないように 広告を挟みたいわけだから
だからそれを隠すためのコンテンツっていうものを どんどん投稿してもらいたいっていうふうな心理が
まあプラットフォーム側からしたら働く
むしろそういうものを表示したいっていう心理が働いて
でそういうものがまあそのレコメンドだったりとか
まあそのなんていうの人にどういうものを コンテンツとして提供してもらいたいかっていう
57:00
ガイドラインになっていったりとか そういうふうな話が確か書いてあったかな
だから多分、ニーチェ的なニヒリズムで言ったら、Twitterは今も昔もニヒリズムだと思うんですよ。
その昔の、ぼっか的な時のTwitterも別に自分が見たいものを見てるだけだったから、
それは別にニヒリズムの変わりはないんだけど、
なんか今は、Twitterが考えるニヒリズムを見せられてるような感じがして、それが嫌ですね。
なんかすげー言語がすると、でもわかってきた、なんかそれが今。
なるほどね。
あとあれだな、面白いのはやっぱり、その畜軍ネットワーキング、口軍本能って言って、まあ、群れる話ですね。
人はやっぱりどうしても群れてしまうっていう話。
で、まあやっぱりこういう、まあ、ショータルネットワーキングとかも、もちろんそうだと思うけど、
やっぱりそういうふうに群れることによって
自分と同じ属性の人たちをたくさん見れるという安心感だとか
自分の考えの正当性を保ったりだとか
自分の行動の説明責任から逃れるみたいな部分から
やっぱりソーシャルネットワーキングを使う人が増えてるっていう話が
ニーチェンの見方的にはあって
で 面白いのが やっぱり こういうコミュニティっていうもの
まあ コミュニティって言わなくても 人が群れると
ローカルルールがどうしても形成されるっていう話があって
まあ これはいつの時代もっていう話なんだけど 結局
はいはいはい
で ルールが形成されると そのルールに 従わないユーザーが出てきて たまに
で それを指摘するユーザーも現れるみたいな
で その指摘するユーザーも
指摘するユーザーも指摘することによって 開楽を得てるみたいなそのような
自分の正義性を主張することによって
より上の立場に立つ さっき言う弱者の 正当化に近い話ですよね ここで
自分の立場を正当化することによって 相手を落としめて 相手の立場を下に下げるっていう
そういうことがやっぱり ずっと繰り返されてて
結局 いろいろなテクノロジーが 発展したことによって
そういうコミュニティのあり方っていうのは どんどん変わってきてるんだけど
結局それはずっとその場を求めて
たぶんずっとやってると そういうローカルルールっていうものに対して
窮屈さを感じて 新しい場所を求めていくんだけど
結局そこでも同じようにローカルルールができて みたいなことがずっと続いてくみたいな
そういうことがずっと起きてるよねって話が書いてあったな
これはまあその通りだよね
Twitter でもさ、FF外から失礼しますみたいなことを言うみたいなさ、謎ルールがあるじゃん、僕は使ったことないけど
そういうルールに盲目的に従ってしまう人がニヒリズムっていうこと?
1:00:04
いや、あー、なんて言うんだろう、従ってしまう、従ってしまうというか、その、従うことによって、その、
ああ、なるほどね。
まあ、群れることによって、その、にひり、にひリズムから逃れてるっていう考え方ですね、どっちかっていうと。
まあ、要は、にひリズムっていうのは、まあ、そういう虚無だっていうことを、まあ、受け入れて、その、それを肯定しなきゃいけないんだけど、
そこを説明責任を逃れて
何もなかったことのように過ごすっていうようなことだから
それを群れることによって
安心して何も考えないようにして過ごすみたいなことですね
FFIから失礼しますって言って安心感を得てる
それが
そうそうそう
俺はこのルオカルのルールに従ってるんだぞっていう
それは一つの群れの本能というか そういうものですよね
で、ちゃんとそういうことをしない人がいたら 敢えてそういうのを指摘することによって
自分がちゃんと正義の存在であるっていうのを 主張するみたいな
安心感を得ている状態がニヒリズムなんでしたっけ? そこから逃げることがニヒリズムなんでしたっけ?どっち?
安心感を得ているってことが、そのニヒリズム的な思考から逃げているというか、ニヒリズム的なものから逃げているっていう状態ですね。
なるほどなるほど。
でもここもやっぱりさっき言ったように、そういうプラットフォームっていうのはどうしても、
プラットフォーム側がどういうコンテンツを提供してほしいのかっていうのを
やっぱりある程度ガイドしてる部分があって
それっていうのはやっぱり自己表現の場として自分はコンテンツを提供してたつもりだったんだけど
どこからかコミュニティに合わせたコンテンツを提供するようになるときがあるみたいな話が書いてあって
これも結構あると思うんだよね
例えばTwitterって最初はなんか気ままにTwitterつぶやいてただけなのに
どこからか気ままにつぶやくことができなくなって ただの広報ツールになってしまうとか
わかる なるほど それもなんか
それって多分コミュニティだとか プラットフォームにどういうコンテンツを提供するかっていう
やんわりとした強制が入ってるみたいな感じなんだよね
わかるな 初期のTwitterって今何してるかっていう
自己表現っちゃ自己表現ですよね、あれも。
それをただ淡々とし続けるプラットフォームだったはずなんだけど、
それじゃあお金にならないから、Twitterの方針というか、
ある意味さっきの群れの話かもしれないけど、
1:03:00
自分が見せたいものを見せるとか、
そういう対外的な見え方とか見られ
そういうものに従って投稿するようになって
で さらにそれがアルゴズムによって増幅されてみたいな
そうそうそう そういうことですよね
リツイートとかレコメンドのアルゴリズムだとか もしくはトレンドみたいなもので
それが良いものとしてされて
プラットフォーム上でそれが善だとされるみたいな状況になっていて
それに合わせたコンテンツを提供するように だんだん 彫刻されるみたいなユーザーが
そこにまた自分の価値観みたいなものが どんどん動かされているというか
価値観が変えられてしまっているんじゃないかっていう 危険性があるんじゃないかって話でした
確かにわかるし、なんか結構デザイナーってそうなりやすい触手なんじゃないかなっていう気はしますけどね。
なんつうか、結構見られる触手じゃないですか、アウトプットが。
なんつうか、見られ方が結構気にする触手だと思うんですよ。
はいはいはいはいはい。
うん、プロダクトはそうじゃないかもしれないけど、広告とかなんかそういうものって。
それが良い意味では、常に良いアウトブットを出そうという、自分のアウトスキルとかを磨くという方向に働くこともあるし、
悪い方向では、本質的じゃなくて見え方だけ良いんだけど、でもサービスとしては微妙じゃない?とか、機能としては微妙じゃない?というものを作ってしまうというような方向もあるかもしれないし。
そうだね。だからこれも多分ツールとして意識して使っている分には問題ないと思う。
そうですね。
だけどどっかでそれが盲目的になって、その手順が逆転することがあって、何かをきっかけに。
そうなってしまうと、まあよくないよねっていう話の事例なんじゃないかなって思うんだよね。
うんうん。
その、本当は良いデザイナーになろうと思って色々投稿してたはずが、なんか良い投稿してバズることに、なんか目的が、なんかすり替わってしまって、なんか、だんだんこうね、ズレてくみたいな価値観が。
そうそうそう。
特にデザイナー店でデザインができるから、それが起こりやすい、なんかこう、力を持ってるんじゃないかなっていう気はしますけどね。
あーなるほどね。
うん。
なんかなんとなく分かってきました。ミギリズム。
ニーチェの考える超人っていうのがもうよくわかんなすぎて難しいんだよ
ニーヒリズムで言わんとせんことはわかるんだけど
目指す方向が超人っていうのはちょっとよくわかんないけどそこは
そこは
まあでもね、超人っていうのは
1:06:01
すごいわかりやすく言うと、やっぱポジティブに生きる人なんだよね
本当に
なんかね、ニーチェの考え方の
最終的な考え方の一つに
英語回帰っていう考え方があって
これ何かっていうと
英語回帰っていうのは同じことが無限に繰り返されるっていうことなんだけど
もし自分の人生が全く同じ人生として何度も繰り返して生きるとしたらっていう仮説的な考え方があったとして
その中でネガティブに生きるのかポジティブに生きるのかどっちがいいと思うっていう問いかけみたいなものなんですね
その人生の中では、もしかしたらめちゃくちゃ辛いこともあるかもしれないし、
そのめちゃくちゃ良いことももちろんあるかもしれないし、
ただそれが何回も同じように繰り返されるとしたら、
それに対して自分はどっちの、それに対してネガティブに感じるのか、
ポジティブに感じるのか、どっちの生き方の方が良いと思うかっていう話を
まあしてるのがこの永劫回帰の話の中で、
それだったらポジティブに全部受け取って生きた方が良いでしょっていう話を
最終的な結論としてまとめてた気がするけど
それができるようになった人間っていうのが
超人的なものとして定義されてるんだよね
なるほどね
その超人的状態は常に二比リズムは起こらないものなんですか?
その時は能動的二比リズムっていう
なるほどね
それを受動的な二比リズムとして受けるのか、それを能動的な二比リズムとして、これは虚無なんだけど、それでもそれを乗り換えようとする姿勢なのかどうか。
それの捉え方次第だという話だと思うんだよね。
でもそれはしっくり来ますね。
二比リズムゼロの状態でダメなのって思っちゃうから。
それが必要なニヒリズムもあるという 能動的ニヒリズムという状態があるっていうんだったら
しっくりくる気がする
だから結局ニーチは神は死んで
絶対的な価値が今後生まれるのかどうか という話も全然してないし
何にとって変わるのかっていう話も 別にしてないから
それが今後現れるかどうかも わかんないわけですよ 結局だから そこは
うんうん
今 それが仮の姿として テクノロジーだとか 例えば Google みたいなものとして 現れてる可能性はあるけど
うん
まあ でも それが永遠に続くとも限らないし
うん
まあ そんな中で どういうふうに生きたらいいのかっていう話を 認知はしてて
最終的にはもうポジティブに、全部肯定して、全部どんな辛いことも苦しいことも全部肯定的に受け取って、ポジティブに生きろっていう話をするっていうのが、ニーチェの最終的な考え方ですね。
1:09:10
なるほどね。面白いですね。
面白いね。
まあでもなんかやっぱりそういうのがそういう中どうしてもネガティブな
なんていうのにヒリズムに陥ってしまいやすいっていう人間の弱さがあって
しかもそこから逃げようとしてしまうっていう人間の弱さがあるよっていうのが
まあ多分誰にでもあると思うんでそういうのそういう一面っていうのは
でそれがテクノロジーによって予備を起こされてしまう可能性があるんじゃないのっていう
話をしているのがこの本の話なんですよね
テクノロジー自身はもちろん意志を持ってないし、作った人もそんな風に思ってないかもしれないけど、それを呼び起こしてしまう可能性はあるから、
そういうのに対して、ちゃんと注意を、作る人も多分使う人も注意をする必要性があるんじゃないの?っていうことが、最終的に言いたかったんじゃないのかなっていうふうには思うけどね。
でもなんかそれをこう、兄ちゃんの言い分的に捉えると、なんかすげえネガティブな感じがするんですよね。
何か、いや、なんて言ったらいいのかな、その、ニヒリズムっていう状態が、まあ、にいちゃんの時代からあったとするなら、
まあ、別にそれってテクノロジーが、こう、今に比べて遅れていた時代だってもあったわけじゃないですか。
その、ニヒリズム的な、その盲目的な状態。
はいはい。
で、その中で、じゃあ、テクノロジーがそれを加速してるかどうかっていうのはどうなんだろうなっていう、
本当に加速してるのかな? 昔と実は変わってないんじゃないか?みたいな
いや、まあでも、さすがにテクノロジーが進歩したゆえに増幅させようとしてる一面はあるんじゃないかなと思うけどね、やっぱり現代の方が
そこがなんか、それがテクノロジーをネガティブに捉えているという観点で、ニヒリズム的なんじゃないかなって思ったっていう
例えばさっきの「群れる」っていう話でもさ、今まではインターネットがなかったからリアルで会わなきゃいけなかった部分が、
今はもう顔を合わせなくても、ちょっとワンクリックするだけで出会えて、何かアクションを起こしたりとか、誰かに合わせるってことが可能になってしまったっていう、
ある種それって、より楽にして増幅させる機会を作ったっていう、ここにも考えられるんじゃないのっていう。
でも、それを逆に捉えると、逆にこう、いろんな、日本にいながらでも世界とかどこでもアクセスできるような状態になったから、
よりこう、なんかローカルなさっきの、同室性の強いようなコミュニティからは、逃れやすいっていうような考え方もできるんじゃないかなと思って。
昔だったら、例えば地元の固定した友達とも30年、40年長く一緒になきゃいけなくて、より同室性が強くなってきたけど、
1:12:03
今ってそれが嫌だったら別に抜け出すこともできるし、それが正常な状態じゃないんだってことを気づくことも、気づくきっかけも増えてるわけじゃないですか、テクノロジーによって。
それって昔にはなかったことだから、逆に言えば、その、ニヒリズム的な状態、ニヒリズムから逃れやすい。
ちょっと言葉の使い方があやふやかもしれないけど。
だから 結局 テクノロジーに対する 感じ方っていうのは お前次第だっていう話をしたいってことですよ
そういうことですよね
だから テクノロジー=悪として捉えるのは それは逆に 二皮リズムなんじゃないかと思ってしまったという話です
だから この話の中では やっぱり テクノロジーを善悪ってふうにするものではなくて
それをどう捉えるかっていう話なので 結局
どう捉えるかの中に
結局ツールなんだけど
それによって自分の中の悪を 読み覚ましてしまう可能性があるよっていう話をしてるから
それは結局別にツールのせいではないんだよね
自分の捉え方が悪い例ばっか話しちゃってたけど
なんかそうじゃないよねっていう話
まあまあこの本はねどっちかっていうと
悪い事例を紹介する
ネガティブなニヒリズムとテクノロジーって話をしてたので
基本的にそういう事例ばっかりありましたけど
まあ確かに超人的な方に向かうためのテクノロジーっていうのも
あるのかもしれないね 考え方によっては
それは全然ありそう
まあね ちょっと 他にも色々面白い話書いてあったんだけど
なかなかね 難しい話がいっぱい書いてあるから
大変でしたよ
大変そう よく手に取りました
いやだってさ よく これもいいのか悪いのかってあれだけどさ
やっぱりオンラインで買えるっていうのはさ 手触り感が分かんないっていう部分があってさ
本の厚さとかが分かんないわけよ
だからさ、届いてみたら初めてさ、これこんな厚いんだみたいな、なんか思うことがあったりして
いや、今回500ページくらい確かあったから、500ページじゃなかったかな、400、480ページくらい確かあったから
まあでもそれが実店舗しかない時代だったら分厚いから手に取らないっていう
そのなんていうか思考停止に陥ってたかもしれないけど
技術があることによって本質的な内容に興味があるから手に取るという
ポジティブに取られるとね
長寿に近づいたのかもしれないですよ
ポジティブに取られるとそういう事になるんですね
そういう、ちょっとね、あんまりなかなかね、この本、興味ある人いないと思うけど、っていうか、この本のさ、昇英社のページがあるんだけどさ、対象読者がさ、哲学的観点から現代テクノロジーとの向き合い方を考えたい人って書いてあって、そんな人いるのかなと思っても。
1:15:17
めっちゃ狭いな。
どんな対象読者だよって思うんだけども。
なんかね、そんな本だから。
これ 現地は海外のやつなんですね
そうそう そう もともとはね
で 去年かな 去年の夏ぐらいに 1年前ぐらいに確か 日本版で出版されたやつですね
だからね ちょっと話題としても 若干古いんですよね
VRの話とかもちょっと出てくるんだけど まだこれからっていう感じで書いてるんで
うん
っていう本なんで、もし哲学的観点から見たい人は、ちょっと向き合いたい人は読んでみてもいいんじゃないかなっていう風に
思いますね。
まあ、なかなかこんな興味持つ人いないだろうな。
まあ、でもなんか、
いや、でも面白かったですよ。
こういう部分って、普段開発してるとあんまり議論にならなかったりする部分もあるじゃないですか。
まあ、ならないことないかな。
なんて言うんだろう、こういうさ。
うん。
なんて言うんだろうな。
でも、そういう視点も、割と今の考え方って単純にテクノロジーってよりもデザイン志向っていうのかな。
何て言うんだろう、本来どういうことをやりたかったのかっていうのを考えるのが重要みたいなところにつながると思うんだよね、こういうのって。
それとか、あとなんだろう、ロール景気者がやっている、社会的にこれは、どういうふうにある状態がいいのか、みたいなさ、そういうのを考えるとか、
社会的ゴールの話だとかっていう、そういうのを考えるのにすごく近い話なんじゃないかなって思うんだよね、その。
そういう観点では割とデザイン的思考に求められる考え方の一つなのかなって思うけど
特にWeb3とか新しい技術が出てきたときに それをどう捉えるかってときに結構大事な気がしますけどね
NFTとかそういうのはどういう価値があるんだっけみたいな
それ単にこうメディアで言われてる
いやなんか革新的事実でなんか著作権がどうのこうのみたいなのを申しにすると
全然なんかピントが外れたサービス作っちゃうし
面白いなと思いました
でもねやっぱりこう
多分当初のソーシャルメディアとかツイッターとか作ってる時にも
考えつかなかったようななんかこう
影響みたいのがやっぱり出てきてる部分があるっていう話を
多分してたと思うんだけど
そういう設計者が思っていないような 社会的影響っていうのも生まれたりするわけで
その中で自分たちがどういう意志決定を していくべきかというか
1:18:00
世の中に対してどういうふうに 意志決定をしていくべきかみたいなことも
考えることも必要なのかなみたいな部分は
クリエイターとしては必要なのかなっていうふうには 思うんだよね
さっきのプラットフォームのビジネスの話みたいな話もあったけどさ
そう、なんかさっきの一番最初のルンバの話とか
結構なんかサービスデザインの考え方じゃんみたいなことを思ったんですよね
ルンバという存在があることによって
そもそも人間自身が部屋を掃除するようになるとか
ルンバが掃除しやすいように生活するとか
それ結構サイエスデザインっぽい考え方じゃないですか
技術もあった上で生活をどうデザインするかみたいなところで
ただその考え方に、ある意味メタニヒリズムみたいな感じで思考を停止してしまうと
それに結果として社会的な悪みたいなものを作ってしまう可能性もあるかもしれないんだけど
そこをある意味に見つめ直すことによって
っていう
そういう時に大事なのかなって思いましたけどね
そうだね
そういう本だと思ったりもしたので
よかった
飽きれ悪いけど
いやーまあね、ちょっとね
なかなかページ数も多いからこれを読んでくださいとは
なかなか進めづらいんだけどね
まあなんかには興味ある人いるのかな
このニーチが好きとか、人気好きな人たまにいるからね
そういう人にはもしかしたら刺さるのかもしれないんで
ぜひぜひ手に取ってみてください
はい、面白かった
じゃあ今日はこんなところで
リサイズヘムへのご質問やご感想、リクエストなどは
#リサイズヘムでTwitterにつぶやくか
小ノートにあるお便りのリンクから送っていただければ
配信内で取り上げたりしますので
どしどしいただければと思います
リサイズ編も毎週金曜日に配信しています
Spotify、Apple Podcast、Google Podcast、YouTubeなどで配信していますので
よかったらチェックしてみてください
ということで今回はここまでまた次回お会いしましょう
さようなら
さようなら
♪~
ご視聴ありがとうございました!
01:20:25

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