00:00
[音楽]
こんにちは出口です
こんにちは本山です
リサイズ絵編は
本山と出口が最近気になっているサービスや
デザイントピックスを取り上げて
のんびり話すポッドキャストです
よろしくお願いします
お願いします
こないだ新ウルトラマン見てきました
どうでした?
ネタバレにならない範囲で言うと、あれですね、怪獣の、怪獣カッコよかったですね。
怪獣カッコよかった?
造形的に。最後のあいつとかね。
あー、はいはいはい。
カッコよくなかったですか?最後のあいつ。
まあ、うん、うん、うん。まあ、3ペあるんでしょうね、あれ。
まあね、まあね、それわかる気がする。
でも、最後の1個手前とかも「こうきたか」みたいな感じでしたけどね。
でもさ、この話ってさ、絶対見てる人じゃないとわかんないよね。
最後のね、立て続きに出てくるやつ、よい、なんていうか、まあ賛否あるのはわかるけど、でも、それ単体で見ると、なんかいいなって思いましたけど。
昔、出てきた怪獣なんだけど、一応ね、原案としては昔出てきた怪獣なんだけど、それがまたちょっと違う形というか、本当に形、フォームとしてちょっと違う形で出てきた感じでしたよね。
良かったし、ストーリーも面白かったし、僕はすごい好きな感じでした。
面白かったよね。 僕も普通に面白かったなと思って。
でもだからこそ仮面ライダーがさ、心配になっちゃうよね。
はい、いつでしたっけ?
いつなのかな、仮面ライダーは。
来年でしたっけ?
2023年3月公開予定みたいですね。
そうなんだ。
仮面ライダーあんま僕見てこなかったから、あんま思い入れがないんですよね。
僕もね、もちろん一番最初のさ、一番なんかあるじゃないですか。
一番最初の初代仮面ライダーみたいなやつ。
あれはもちろん見てないし。
なんか最近の世代だと、なんかこう、あれ平成になってからだっけ?
なんかまた仮面ライダーやってるじゃないですか。
うん、やってるね。
多分最近の、その、わかんないけど、小学生とか、その辺の方が詳しいのかもしれないですけど。
いやでもさ、初代仮面ライダーなんて知らないでしょ。
もちろん初代は知らないと思いますよ 仮面ライダーというもの自体に
仮面ライダー自体は知ってるかもしれないけど 平成仮面ライダーと結構違くない?
雰囲気というかさ
僕らが一番谷間なんじゃないかなと思って
昭和でも平成でもどっちでも触れてない世代というか
03:00
僕たぶんギリRXみたいなのなかったっけ?仮面ライダー
RX?
なんかRXみたいな
わかんない
なんかねそう言ったんですよそれがね僕ギリ子供の頃 なんかやってたなーっていう記憶はあるんだけどあんまり覚えてないんだよねでも
へー rx あーこれか本当だ1988年から89年
そうそうそうなんかねそれは過労死てなんか僕の幼稚園時代ぐらいになんか オモチャ売り場でなんか rx のなんかテーマ曲みたいなのがあるんですよ
仮面ライダーRXみたいな曲が 違うかもしれないけど
そんな曲がよく流れてたなっていう思い出ぐらいしかない でも覚えてるのが
でも本当だ 今ビキペディア見たら
87年のそれが昭和の最後みたいですね
そこから再開したのが2000年みたいですね
やっぱ僕はちょうど他にままなんだな
なんかそっからちょっとなんかさ仮面ライダーともまた違うなんかさ
ゴレンジャーとも仮面ライダーともなんか違うようなさ
そういう系のやつがさちょっとやってたりとかしてたけど
おぉ
いやなんかその子供いるその知り合いとかが
なんか仮面ライダーのおもちゃを子供に買ってあげたみたいな
なんかインスタで見たりとかたまにするから
そうだよね
なんかよくね返信用のベルトとかさそういうそういうグッズがさもう
もうグッズの販売ありきでなんかそういうの考えしたりするじゃん
仮面ライダーシリーズって
逆にウルトラマンはウルトラマンティガとかそういうのやってたなと思って
そうだね確かにやってたね
僕弟が4つ下にいるんですけど弟がちょうどそんな世代でめっちゃ見てたなみたいなのをちょっと覚えてて
僕も見てなかったけど僕の近所の小さい子とかが見たりとかしてはしゃいでるのは知ってたから
ウルトラマンは確かにやってたんだなぁ
うん、そうっすよね
ゴレンジャー的なやつとかね
ゴレンジャーはね、ずっとやってた
今もやってんのかな?ゴレンジャーって
やってるよね?ゴレンジャー系のやつで
やってんのかな?
最近テレビを見なさすぎて、分かんないけど
特にその時間帯見ないですからね
僕たまにワンピース見ますけどね
ワンピースその時間にやってるんですか?今
もうちょっと遅い時間だけど
あの仮面ライダーとかさ
ゴレンジャー系ってもうちょっと8時台くらいに確かやるじゃん
なんか週末の8時とかですよね
ワーピースは9時半だから
そうなんだ、そこでやってんだ
いやまあそういう感じで
ルドラマは結構楽しめました、僕は
あの庵野さんがいっぱい出てくるのを見た?
見た見た
いろんなところに名前あるんだね
そうそうそう
エンドロールのいろんなところに出しちゃってさ
06:03
出たがりだなと思ったけど
あと全然話変わるんですけど
ブレイン7月号の今月のブックマークというコーナーに
リサイズFが登場取り上げてもらいましたっていうお知らせ
すごいね。
これ完全にコネというか。
コネって。
クラミッツさん、前にRacer's Fに出ていただいたクラミッツさんが、
寄港するコーナーみたいなので、僕らのことを紹介してくれたっていう、
完全にコネなんですけど。
ありがたいですね。
ありがたいよね。
どうしようもないおじさんたちが話してる、 ポッドキャストを紹介してくれるって。
でも、カラミスさんも、すっぱい話をしてた回が好きだったって言ってました。
だから関係ないんだよね、デザインが。
デザイン関係なくなっちゃってるんだよな、もうそれ。
あの話、たまに言われますけどね。
そっち?って思いますけどね。
そういうの聞いちゃうと僕も迷うよね。
最近あまり終わった後のアフタートークとかを編集ちょっと面倒くさいなと思ってやってなくてYouTubeで配信してないんだけどさ、
一時期まあ結構まめにアフタートークを配信してたんだよねYouTubeで。
ああいうの出した方がいいのかなってちょっと思っちゃうよね。
もっとゆるい方がいいのかなとかね
そう まあでもなんかゆるい方が確かに
聞いてもらえてるのかなっていう気はちょっとするんだけどね
まあね、それはわかる 聞きやすいですよね
ガチなやつはガチなやつで割と聞いてもらえたりするんだけど
まあまあなんかねやっぱり難しい専門的な部分もあったりするしねそういうのは
幅広い層を取るっていう意味ではね、ゆるい方がいいのかなっていう
まあね、レビュールドもね、割とそういう繰り返しな感じがしますよね。
そうそうそう。なんか他のさ、デザイン系にも限らないかもしれないけどさ、そういう人たちがやってるポッドキャストもさ、割とこう緩いやつだったりすること多いじゃないですか、やっぱり。
なんかね、すごい一つのテーマについて、こう、延々話してるって感じよりは、もうちょっと普段こんなことがあってみたいな話をするぐらいのさ。
うん、考えちゃいますね。
何かあればお便りくださいって感じですね。
こういうのがいいっていうのは、ちょっと聞いてみたいもんね。
真面目なお便りとかもすごく嬉しいんだけど、
09:01
なんかね、そういうちょっと、砕けたというかさ、そういう感想とかでもいいから、
そういうのがあると、なんか、ちょっとそういう風なやつもやってみようかなみたいなのは、
まあ、あるかなっていう風に思うよね。
まあ、という感じで、ブレーン7月号。ちょっと僕もまだアマゾンで注文してて届いてないんだけど。
はいはい。もう、え、もう買える感じなの?
もう買えますよ。
あ、そうなんだ。
もう買える。
じゃあちょっと僕も買わないとな、それは。
ブレーン、ブレーンってなんかすごい久しぶりに見る気がするな、俺は。
うん。
広告系ですね。
広告系の雑誌だよね。
なんか昔、そういう広告代理店みたいなところに勤めてた時は、たまにこう、本屋に行って立ち読みしたりとか買ったりとか、よくしてた気がするけども、
なんか、やっぱりサービス開発に入ってからあんまり見なくなってしまった気がするな。
毎月定期的に読む雑誌みたいなのないな。
それもやっぱり本屋に行かなくなっちゃったところもあるんだよな、やっぱり僕が。
だから買ってないみたいなところが。
まあ、あと、オフィス、まあ、持山さんオフィスあるけど、
なんか、いわゆるオフィス行かないと、そういうのになんかこう偶然出会うみたいなのもないですよね。
うん、そうだね。
まあ、僕もオフィスあるって言っても、なんか僕が買ってこないと、そういうのに偶然出会うことがないわけだから。
あんまり変わらないんだけど、だから。
やっぱそういう空間も大事なんじゃないの?
出口君もさ、家にいてサウノに入ってるばかりじゃなくてさ、
いやいや、欲しいっすよ。
たまに外に出て、セレンディピティー的なところを浴びる場所が必要なんじゃないの?
でも、セレンディピティー浴びに行こうって出てくるの、なんかちょっと違うんですよね。
そう、違うんですよね。それも分かるんだよね。
昔僕やってたからな、だからそういう意味では本屋に行くっていうのはやっぱそうだよね。
別に何かを求めてたわけじゃないんだけど、
なんかちょっと煮詰まっちゃったし、一回本屋に行くよと散歩に行くかみたいな感じで行って、
色々「こんなのがあるんだ」みたいなのを得るみたいなさ。
そういうのあったもんね、昔は。
そうだろうなぁと思うけどね。
特に煮詰まってもないのにセレンディビティにしに行くか、つって行くのはちょっとなぁっていう。
うーん、まあね、難しいね、でもそういうのって。
でも機械作らないとさ、出ないじゃないですか、やっぱり。
やっぱり、行っても行かなくてもいいオフィス欲しいなって思いますね。
まあね。
でもそれもさ、人が集まってたりとか、なんか情報が集まってたり、
なんかそういうのがないとダメなんだよね、結局。
ああ、そうね。
別に自分で他の場所に1個オフィス借りてってだけだったらさ
結局さ、自分の中で完結してるもんだから
12:00
誰かと一緒にって意味でのオフィスだったけど
やっぱ、何らか誰かと誰かがいる場に行かないといけないってのはありますね
セレンディビティ的な意味では
それはね、やっぱあるよ
そういうのは
僕は、だいぶ長くて、7年ぐらいだけど、フリーランス的な仕事をしてて、やっぱりそれがあった方がいいなって思うとこもあるしさ。
言っても僕まだ半年だから、半年前まで会社に立ってたから。
やっぱりそういうのがあった方がいいなって、最近一層思うなって思いますね。
うん、まあそうっすよね。
そうそう、単純に一人でやってると、なんか肩が凝ってる感じになってくるんだよね。
うーん。
脳みそが凝ってるみたいな感じになるんですよ。
別に上手くいってんだからいいなと思う部分ももちろんあるんだけど
やっぱりいつもと同じようなことを考えていつもと同じようなことをするみたいになっちゃって
僕があんまり好きじゃない方向に行ってるような気がするんだよね
クライアントワークでいろんなお客さんがいるわけじゃないですか?それでもそうなるんですか?
うーん、いや、だからそれをいっぱい回してると多分大丈夫だと思う
固定化されてきた
それが仕事で満たされるから
固定化されてきた
そうそうそう
そういうことね
まあまあまあ、その難しいよね、やっぱりフリーランスの難しいとこってそこだと思うよ
いや僕は逆にまだ半年だから結構いろんな結構なんていうの終わるのもあれば始まるのもあるし結構なんか固定化してないんですよ
だから逆に、ああ疲れるなって思うこともあって、なんか
なんか結構やり方次第のところあるよね そういうのって
もちろん色んな魅力的な仕事があって それをいっぱいやっていくっていうのもあるんだけど
なかなか安定しない部分もあるじゃないですか そういうのって
仕事がある時もあればない時もあるとかっていうのも もちろん忙しく継続的に入ってれば多分一番幸せなことだと思うんだけど
だからそういうのを考えてバランスを持って ある程度固定的な仕事、継続的にやっていく仕事と
単発的にやっていく仕事みたいなものが うまくバランスとってできればいいなと思ってやったりするけど
今、今で言うと僕は割と継続的な仕事ばっかりを ずっとやってるようなところもあるから
自分で刺激を取り入れていかないと
どんどん脳みそが硬くなっていってしまっているような気がして
15:01
でも僕らの周りというか身近な人も
最近そういう出口かもそうだけどさ
フリーランスじゃないにしても割と自宅
今までサービス開発会社として働いて
サービス開発してた人が若干フリーランス的な働き方をして
クライアントと一緒に仕事するみたいな 仕事をしてたりする人が
まあ何人か 僕の心当たりある人でも 何人かいるけどさ
やっぱりなんかこう
なんかそれぞれいろいろ思うことがある みたいな感じが聞いてるから
まあ分かるなって思いながら こういつも話を聞いたりしてるんだけど
やっぱ、バランスの取り方はみんな色々苦労してるんだなと、思いますね。
そうそうそう。
思う。
なんでこんな話してんだろうね。
あ、セレンディピティの話してたのか。
あ、そうか。
うーん、セレンディピティなぁ。
最近だからもうYouTubeとかになっちゃってるんだよな。
本じゃなくて。
おぉ、セレンディピティ?
セレンディティ的なものが
でも YouTube もさ、やっぱり前話してた Spotify みたいにさ
幅を広げてくれる感じもあんまないんだよね
うん、そうね
割となんかさ、お前これ見たからこれもいいだろうみたいなのを濃縮していくっていうかさ
はいはいはい
その、なんだったっけ、エコーチェンバーみたいな言い方するんだっけ
うん、はいはいはい
そういう感じの雰囲気あるからさ もうちょっとうまいことセレンディビティ的なものを折り混ぜるみたいなのをやってほしいよね
結構こういう課題よくあると思うんだよね このおすすめレコメンドエンジンを作るっていう時に
どこまでそういう濃縮した感じにするのかとか
YouTubeはその傾向強いですよね
そうそうそう強い気がする
たまたまちょっと検索してみただけのやつを
お前これ好きだろ?ってめっちゃお勧めされるんだけど
いや別に一回検索しただけですみたいな
YouTubeって結構極端な気がしてて
めちゃくちゃお前に沿っているこれだろみたいなやつを出すか
それに沿っためちゃくちゃ他の人に人気のコンテンツを出すか
どっちかみたいな
僕なんか定期的に興味なしってのをちゃんと伝えなきゃいけないなと思って
あー分かる分かる僕もねやってるっていう
学習をさせてます
分かるそれはね僕もやってるねたまに
なんかある程度なんかもうこの分野興味あって今まで見てたけどさすがになんかもうさ
そればっか流れてくるやだなっていう時も興味なし
分かる分かるそういうねAIを学習させてあげないと
強調するみたいなさなんかそういう
ある程度、どうやって出てるのかなんとなく想像かからね
18:01
でもやっぱりそれやってもさ、なんとなくある程度行動歴に沿ったものをそれなりに出してくるじゃん
そこがもうちょっと肥薬したものみたいなものがうまく混ざってくれるみたいなやつがやっぱりいいんだろうなって思ったりするんだけどね
僕はSpotifyとかその辺上手いなと思いますけどね。
なんかちょうどいいなと思うことがある。
うん。でも話聞いてる感じだとそうだよね。
僕はあんまり使ったことないから、わかんないんだけど。
ちょっと長話してしまった。
何の話ししようかなと思ってなんですけど、
今日は岩田さんの話ししようかなと思って。
Nintendoの?
さすが岩田さんと聞いてすぐNintendoと思い浮かばたり、やっぱり出口君はファーミコン世代ですね。
いや、もとやまさんといえばみたいな感じですけどね。
そうなの?
そうなの?僕の言う岩田さんは、でも僕が言う岩田さんそれしかないから他にはないな。
いやまあまあ、これも昔に、だいぶでもないか、昔に出た本で、一回読んだ本で、また読んでみたっていうシリーズっていうのはシリーズなんですけど
岩田さんっていうね、ニンテンドーの元社長だった岩田さんのエピソード集みたいなのをまとめた岩田さんっていう本があって
それの話とかをしようかなと思ってたんですけど、
なかなかでもさ、岩田さんの存在もさ、
このまま若い世代はみんな忘れてるっていうか、
知ることもなくなっていくのかなってちょっと思って、
そうですね。
でも2015年になくなったんですよ。
もうそんな前なんだ。
なんか僕も実はもっと前っていう感じがしてたんですよ。
なんか実は、なんかあんまりこう、その年数とかを見る前に。
結構前になくなったなと思ってたけど、まだ2015年で7年ぐらいしか経ってないんだと思って。
それぐらい結構衝撃的だったっていうのも多分あったんだろうけど。
いや だから これから若い世代の人たちが こういうすごい人がいたのを
知らずに生きていってしまうんじゃないかと思って ちょっと紹介しようと思ったんですよ
(笑)
そういうモチベーションなんですね
いや 単純に そういうモチベーションっていうのは 台場後から取ってつけたような感じなんですけど
実は、まあ実だってことはないけど、僕結構岩田さん、結構って言うとあれだけど、めちゃくちゃ尊敬してるんですよ、その岩田さんのことを。
やっぱり、なんかやっぱり、そのリーダー的な存在として岩田さんをすごく尊敬していて。
21:06
渡山さん、退団してましたよね。
退団って言うとだいぶ偉そうな感じになるけど、そんなもんじゃないよ、はっきり言って。
インタビュー、一緒に記事になってましたよね。
社長が聞くっていうね 岩田さんがニンテンドー社長で
その社長が開発者のメンバーに いろいろ聞くっていう記事のコーナー
ニンテンドーが出してる記事のコーナーがあって
そこに僕も一時期 果てな社時代 果てなに勤めてた時代に
Meeversっていう Wii UのSNSのサービスの開発に
デザイナーとして携わっていたので
それで運よく呼んでいただいて 岩田さんと会うっていう機会があったんですけど
僕の中で本当もう夢のようでしたよね
すごいですねこれ
これはね本当にローカルに保存してるもんだって
クリスさんもいるんですねこの場
そうそうそう 当時ね そのMeeversの
その 果てながわの開発担当者というか 責任者がクリスさんだったんですよね
まあ マネージャー的な存在が
で 僕がその まあ 保守者じゃないけど デザイナーとしてある程度
どういう感じにしていくかっていうのを 考えたりとか 設計したりとかしてたんで
で 今 一緒に 運よく僕も 呼んでいただけるってことになって
いや マジで 本当に
いやーなんかね、でもそのさ、後々なくなってしまうとかっていうのも、もちろんわかんないわけじゃないですか、そんなこの当時は。
当たり前だけど。
何年ぐらいですか?
だ、Wii U の発売とかだから、2011、12年とかかな。
2012年11月8日公開店になってますね。
うん、それぐらいだよね。だから、2012年の夏とかにワイワイやってたもんな。開発とかを。
いや、だからなんか、もっと話したいこといっぱい話しとけばよかったなってちょっと後悔してる部分もあるんだよね。
そんなね、もちろんね、おそれ多いから勝手な話とかできないわけだけど、
なんか、ある種そこ強引に言っとけばよかったんじゃないかっていう風にさ、ちょっと後悔みたいなのがあったりとかさ、
頑張って名刺交換ぐらいしとけばよかったんじゃないかとかさ
しなかったですね
名刺交換の機会はなかったんだよね それは
色々思うこともあるし
あとなんか
実は僕もNintendoももちろん大好きな会社だったから
今も大好きだし
ニンテンドーで働きたいなって思った時期もあって
もしかしたら果てなからニンテンドーに転職なんてこともあり得るんじゃないかとか思ったこともあったんだけど
24:06
まあ一緒にニンテンドーの方とも一緒に働いたりしてたんですけど
なんとなく噂話で、一緒に仕事した会社とは直では入れない的な噂も聞いたりして
へぇ~
引き抜きみたいになっちゃうから、そういうことはしないみたいな噂話も聞いたりして
あ、じゃあ無理か、みたいな風に思ったり
一回なんか挟むしかないか、みたいなそういうことを考えたりしてたこともあるぐらい
やっぱりね、Nintendoっていう会社は本当にすごいなって思うし、
やっぱりそれを引き入れていた岩田さんは本当にすごいなって、
もう部分があるんですけど、
まあ一応なんか、
皆さんもちろんご存知だと思うんですけども、
一応岩田さんについて、その略歴的な話もちょっとしようかなと思うんですけど、
岩田さんは、デクチ君も多分知ってるよね、なんとなくどういう人かっていうのは。
知らない程度聞きますよ
元々コンピューターとか好きで プログラム電卓でゲーム作ったりとかしてて
頑張ってアルバイトして パソコン買ってもらったりして
確か大学生の頃かな 大学生の頃にまだ当時あんまりパソコン売り場っていうのが
レパートっていうか 家電量発電とかそういうところあんまりなかったんだけど
その数少ない西武池袋本店のパソコン常設コーナーみたいなところに毎週通っていて
なぜ毎週通ってるかって言ったら、あんまりそういう売り場がなくて
あんまりみんなパソコン高いから持ってなかったりするから
店先でみんなプログラム売ってたっていうね
はいはいはい
なんか そういう話 たまに昔の人からそういう話を聞いたりするけど
それでだから そういうパソコン好きとか プログラム好きみたいな人たちがよく集まってたんだよね そういう場所に
で 岩田さんはパソコン持ってたんだけど 自分が作ったプログラムを自慢したりとか 見てもらったりとかしたいから そういうところに通ってたと
で、そこに通ってたら、そこの常設コーナーの定員が春県を立ち上げるっていうので、バイトとしてそこに集まってた奴らを、みんなこうバイトとして雇うみたいなことがあって、
それで春県ができるっていう春研究所っていう会社ができて、
で、岩田さんはそのまま大学卒業して春県に就職することになるんですよね。
で まあ 就職して 1 年後 くらいに 確か ファミリー コンピューターが
Nintendo から 発売されて
27:01
結構 岩田さんは それは 衝撃的なことだったらしくて
っていうのも パソコンが当時 十何万とかね
安くても 十何万とか 買う時代だったのに
ファミコンは 1万5千円ぐらいかな 確か 当時
で 変えるので これでゲームができるのが 革命的だってなって
ファミコンのゲームを作りたいってなって
それで 岩田さんは自分でニンテンドーに 思う向いて 作らせてくださいって言って
なんとか仕事をゲットしてくるっていう
そこからファミコンの開発者として なっていくっていう
割とこう、岩田さん自身も確か 岩田さんっていう本の中で書いてたけど
書いてたっていうか、どっかで 岩田さんっていう本自体は
どっかのエピソードを色々集めてきた本なんで
本にするために語ったものじゃないんだけど もともとは
でもその中で、こんなどここの人も分かんないようなやつに
そういう仕事をくれっていう本もどうかと思うけど
それに仕事を与える本もどうかと思う みたいなことを書いてた
なるほど
まあでもそれでね結構その元々 ハルケン自体がまあさっき言ったようになんか割とマニアみたいな人たちの集まりだったから
技術力はすごくあって
で結構そういう任天堂からお願いされたまあ ゲームを作って割とそういう技術面で即評価されてまあいろいろ仕事を任されていくことになるんだけど
転機になったのが32歳ですね。
だから何年経ってんだろう?
多分10年ぐらい経ってんのかな?
就職して。
その時にハルケンが契機に陥ってしまって。
で、33歳の時にハルケンの社長になるんですけど。
なんかそれも一説によりと
その任天堂的な人から 10億円の援助資金を出す代わりに岩田さんが社長になるっていう条件があったという風にも言われている
今それでまあ自分がやるしかないかっていうのでまあ その当時もでも開発部長とかだったりするんだけどもちろん
それでまあ社長になって 会社には15億円の借金があって
それを何とか頑張って返済していくっていう感じなんですけど
運よくそれも「星のカービー」っていうタイトルのヒットによって
6年で返済するっていう めちゃくちゃすごいことをやって
そっからは2000年に 40歳の時ですね だからそれは
それが当時のNintendoの社長の山内さんに、すごく経営手案として認められて、Nintendoに入社して、
2002年、42歳の時にNintendoの社長に就任するっていうね。
30:07
もう、すごいよな、やっぱりこの辺の歴史見てると。
というか、めちゃくちゃ若いよね、やっぱり。
結構なんか初期から、初期っていうか、 若いうちに社長になってたんですね。
うん、そうそうそう。
なんかもうちょっとプログラマー歴が長いのかなって思ってたけど。
あーでも結構だからやっぱり、 なんでも10年ぐらいはプログラマー歴みたいなとこがあるよね。
まあ一応開発部署とかにもなりながら、 やっぱり手も動かすような、
もともとねそっちから上がってきてるから、人だったから。
10年ぐらいやって、でももうなれって言われてるからなるみたいになって、社長になって。
でも若いよね、そう考えると。
でもその後ね、42歳だからニンテンドー社長になって、当時だからPS2全盛期ですよ。
2000年とか2002年とか。
ニンテンドー結構一番苦しい時期で。
Wiiを出す前ですか?
その時?
Wii出す前です。ゲームキューブとかじゃない?
そのゲームキューブ。
一番苦しい時だよね。
64はまあまあいい感じでいったけど、その後継期みたいなゲームキューブがちょっと、
そういう時期で、PS2はもうめちゃくちゃすごいみたいなさ、そういう時期じゃないですか。
しかも岩田さんってあれっすよね。
Nintendoって基本同族経営だったけど、岩田さんは違うんですよね。
そうそれも結構大抜擢というか山内さんがやっぱそこの辺はまたすごいなっていうふうに思うよね
山内系からだったっていう同族系だったんだけどその外部でしかも入社2年目の外部の人に任せるみたいな
すごいですね
でもそこもやっぱり変えなきゃいけないやっぱりこの状況をなんかすごく変えなきゃいけないっていうなんか判断というかさ
考えもあったらしいです、やっぱり山内さんの中に。
その時、上場してたんですよね。
もちろん上場してたと思うんですよ。
それでもそんなドラスティックに、
変われたんですね。
すごいよね、そこは。
山内さんもすごいし、岩田さんも確か、
すごく本に書いてあったけど、
山内さんがすごいっていうか、
憧れてるみたいな、そういうようなことをね、
書いてあったりしてたし、
山内さんもすごい人ですよね 山内さん自体もニンテンドーをすごく大きな会社にしたっていう すごい会社の社長さんでもあるからやっぱり
まあでも結構やっぱりそういう時代 ps2 前世紀で ニンテンドー苦戦の時代で しかもなんか
ゲーム自体も3d 化していって どんどんクオリティが求められてゲーム開発費がどんどん高騰して
一方でゲーム人口が減っているって言って
33:03
売り上げが伸び悩んで
どんどん辛い時期になっていくっていうような
背景だったんだけど
そこで岩田さん自身はゲーム人口を増やすっていう
方針の下で色々な施策を打って
すごくV字回復させるみたいな
ことをやった人ですよね
まあ 代表的なやつだったら
ニンテンドーDSとかBとか
その辺が代表的なやつだったり
あとソフトもね
いろいろそういう単純な
ゼルダの伝説みたいな
もちろんそういうのもやるんだけど
ニンテンドックスみたいなさ
ちょっと違う層
今までゲームやってこなかった層に
ゲームやってもらえるっていうような
そういう方向を転換をして
そういう人口も増やして
まあ、こう、Nintendo VG回復させていったっていう人ですけど。
脳トレとかね、なんか、うちのおばあちゃんとかやってましたよ。なんか、当時。
うーん。
いや、僕もだからさ、うちの母親がゲームをやる日が来るなんて思わなかったもんね。
ああ、なるほど。
あんなさ、子供の頃、僕がもうゲームは1時間だって言われてさ、ゲーム1時間過ぎてもやってたらさ、ぶち切りられてた。
あ、そうなんだ。
そうそう、そんな子供時代だったのにさ、
「あれ、もうゲームやるんだ」と思って、そんな母親が…っていうさ、
やっぱそういう驚きみたいなのあったよね。
DSでなんかやってたよな、いろいろそういう…
そうなんだ。
うちは元々、母親もゲーマーだったからな。
そうなんだ。
ファミコンとか、それこそファミコンとかやってたっぽいですね。
でもなんかしばらく、子育てとかあってやんなくなったけど、
でもやっぱりDSは確かに触ってたような覚えがありますね。
それはそういう層を本当に取り込んでるんだっていうのがすごいよね。
確かにそう言われるとDSでガラッと変わりましたね。
Wiiもかなりその戦略に乗ってすごく伸びて、確か海外でめちゃくちゃ売れたんだよね。
でもね、残念ながら、55歳って…
若いね。
55歳で亡くなった…
55歳ってさ、僕らからするとさ、
だいぶおじいちゃんだなっていうかさ、
年上だなみたいな印象はあるけどさ、
なんか考えてみると、
今の宮本茂さん、
マリオの生みの親の宮本さんとかは、
もう69歳だし、
よくこの本の出版元の、その「ほぼ日」の伊藤さんも、伊藤茂太さんも今もう73歳なんだよね。
そう考えるとめちゃくちゃ若いよね、55歳って。
伊藤さん73歳なの?
若いですね。
36:01
若く見える。
いや、わかる。宮本さんもすごく若く見えるんですよ。
なんか見てると。
でもさ、それをさらに上回る55歳で亡くなってるんだよ。
そっか。
いや、だから本当に若い、まだまだこれからっていう感じで亡くなってしまったんだなっていうのを改めて思うよね。
うん。
でも、これはすごく個人的な話だから、あんまり多分あれかもしれないけど、
岩田さんが亡くなった時に、自分も開発に携わってたMeversって、SNS上に岩田さんを惜しむ言葉で埋め尽くされるっていうことがあってさ。
へぇ~。
これはもうなんか、めちゃくちゃ感慨深かったよね。
しかも開発って関わってて。
そうそうそうそう。
それはなかなかない体験ですね。
う~ん、そうそう。
当時、スプラトゥーンはあったかな、あのワンが。
スプラトゥーンに親書きして投稿して、それがみんながわらわらいるみたいな、そういうのがあって。
それがスイッチにも一応受け継がれてたりするけど、そこもすごく溢れてたしね、やっぱり。
岩田さんの推しむ言葉みたいなのが。
そういう意味ではめちゃくちゃ感慨深い。
いやでもそういう仕事してたのが羨ましいですよ
もっとやりたかったなっていう気がするよね やっぱりだから
もっとやりたかったなっていうか 別に一緒に仕事したわけじゃないんだけどさ
勝手に一緒に仕事してるみたいなことを言ってるけどさ
いやでもやっぱりなんかだからそういう意味でも 自分の実感を持って一番
尊敬できるというか、一番すごいなって思う社長は誰かって聞かれたら、僕は多分岩田さんを選ぶと思うんだよね。
いろいろね、社長さんすごい人たくさんいるけど、 テスラーのイーロンマスクとかもすごいんだけどさ、実感ないじゃん、やっぱり。
ないっすね。
遠い人すぎて、スティーブ・ジョブスとかさ、すごいんだけど、
実感ないからなぁと思って
そういう意味では岩田さんはまだちょっと僕の中で実感があったから
でもなんか、だから結構この岩田さんっていう本の中では
なんかまあ岩田さん自身が
その、まあもともとこういう本になるっていう風な前提で話してるものじゃないから
なんか例えば社長が聞くの中で話したことだったりとか
伊藤さんともすごく親交があったから
伊藤さんの「ほぼ日」っていうメディアの中で
いろいろ話してたりすることをいろいろ抜粋して
いくつかのエピソードが収録されてるっていう本なんですけど
39:00
だからウェブ上でも一応読もうと思えば読めるようなものが
ババーって入ってたりするんだけど
でもいろいろ読んでて
すごい やっぱり いいことを言ってるなっていうのがいっぱいあって
結構 岩田さんの面白いところというか すごく特徴的なところが
やっぱり エンジニアリング上がりなところなんですよね
エンジニアリング上がりなんだけど そういう会社の社長みたいな
マレージメント業務みたいなこともやってて それでも成功してるっていうところが
やっぱり すごく面白いなって感じるところで
そうですね
仕事において、良い意味で市場をなくしていて、
論理的な思考をすごくする人なんですよ。
エンジニアリング的な思考というか。
でも、だけど冷たくないというか、
人間的な暖かさがあるみたいな感じもあって、
それがすごく両立しているような人で、
それがすごく得意な人なんだろうなっていう気はしましたね
よくある話でさ 全員と面談するみたいな話あるじゃん
逸話として
ハルケンの時もそうだしニンテンドーの時もそうなんだけど
社長になった時に 立て直さなきゃいけないんだけど
その立て直すにあたって 全社員と面談して
面談してみると意外と自分は何も知らなかったんだなっていうのが分かったみたいな話をしてて
なんかそこもなんだったかコニュイケーションするときに
自分が言ってることがうまく相手に伝わらなくても
それはなんか相手のせいにしないで自分の伝え方が悪かったんだっていう風な感言をするっていう話をしてて
それもだからプログラムも一緒だっていう話をしてて なんちか
なるほどね
プログラムが動かないのは それを書いた自分のせいであって コンピューターのせいではないっていう
それを人とのコミュニケーションも 同じだろうっていう考え方を捉えることに決めたっていう話があって
すごいな この人って思ったね なんかそういう考え方ができるのが
僕は未だにできない気がするもんね、やっぱりその辺。
そうなの?
いや、もうね、ダメだなって思う。本当に自分がダメだなって思う、そういう意味で。
なるほど。結構なんか、社長になった…
ああ、春時代か。
その時も、コードもまだまだ書いてたんですよね。社長も、夢やりながら。
結構書いてたみたいですね。
なんかね、話に、なんか面白い話で言うと、結構有名なやつですけど、
確かあのスマブラ64の初代スマブラのプロト開発の プロトタイプを開発する時に
42:03
その桜井さんとデザイナーの桜井さんと まあ一緒にやってて
なんか桜井さんが当時なんかちょっと手ぶらになる時期というか なんか
他の自分が企画しているものになかなかこう他の人をアサインできないというか
他の開発にみんな行っちゃって 自分がとりあえず企画は考えないと
ってやってる時期があったらしくて
一段落した時期なのかな 大きなタイトルが
その時期に面白いの考えてるんですよって言うので
他に人がいないから じゃあ僕が何か作りますみたいな感じで
岩田さんが週末 土日を使って
桜井さんが考えてきたアイデアを
プロトタイアップとして開発して プログラマーとして手伝うっていうのがあるんですけど
それが後の64のスマブラになるっていう タイトルをやってたりとかするっていうのがあるんですよね
かっこいいっす
かっこいいよね
でもそれも楽しくやってたみたいなさ やっぱりこう
そういうとこすごいよな
あとNintendo入社後もあるんですよ そういう話がなんか
Nintendo 入社後も、このスマブラ DX っていうやつなんですけど、
DX ね、スマブラ DX のやつも、なんか、なんかわかんないけど、
どこからか、そのスマブラ DX でうまくプロジェクトが動いてないっていうのを鍵付けてきて、
頼んでもないけど、突然現れて、デバッカーとして手伝うっていうことがあったらしいですよ。
やっぱあれなのかな そういうコード書いてると書きたくなっちゃう感じなのかな
でもそういうのももちろんあると思うし もともと春県の時代も社長だったり開発部長だったりした時代も
結構ね 非消し担当みたいな プロジェクトがいろいろ 場合によっては燃えるというか
うまくいかなくなったりすることがあったりして
そういうところに頑張って ジョインして うまく建て直して
で また他の日が回ってるところに行って
建て直してみたいなことをやる スタイルの仕事をしてたらしいんですよ
なんかMother2とかもそうだっていうふうに
そうそうそう Mother2の話もよく有名ですけど
4年間ぐらい開発して やばい もう飛んだしそうだみたいなとき
マザーツーってめっちゃ開発遅れたんだっけ
そうそうそう
それでなんか岩田さんがスケッドとして現れて
なんか名言じゃないけどあるんだよね
なんかこのまま今まで作ってきたものを使って
そのいいものを作ろうとしたら
ここからまだ2年かかるけど
1から作り直したら半年で作ります
話をしてじゃあ1から作り直します
45:02
まあ1から作り直すって言っても
もちろん今までにあった素材をうまく組み合わせながら
1から作るっていう話なんだけど
それでね、半年かけて大体作って
半年かけてはちょっと
もうちょっと良くしようってブラッシュアップして1年出すっていう
もっとやっていただけたりとかするしね
なんか岩田さんはそういう
なんか本の中でも結構そういう話をよくしてたけど
その困ってる人を助けるのがめちゃくちゃ好きみたいな
うーん
そういう機質の人なんでしょうね やっぱり
自分自身もそういうふうに 言ってたみたいですけど
なんかそんな結構プログラマー経験
自分もプレイヤーとして活躍してた人が
社長をやれって言われて 急にできるのもすごいですよね
そうだよね そこもだから元々才能があって
才能って言うのがあるのかもしれないけど むしろそっちの方が才能を感じるっていうか
そうだよね だからあったんでしょうね だからもしやれって言われなかったら
多分その才能みたいなものに気付けないで 終わってた可能性もあるよね
なんかそっちのそっちの方が普通できないっていうか
ね もともとプログラマー大学とかも そうそういう系ですよね確か理系でみたいな
まあでも結構あれなんじゃない いきなり社長っていうよりは
やっぱりその社員になって 社員数少ない時からやってるから
ある程度こうまとめる立場みたいなところも ずっとこうさ
ゲーム作りながら経験して 最終的には開発部長みたいになって
その後に社長になってるから そういう経験をしてたっていうのは
もちろんあるとは思うけどね
なんかね いろいろ面白いエピソードはあったけど
うん
なんかプロジェクトがうまくいく時 っていう話もちょっと面白かったな
うん
プロジェクトがうまくいくときは どういう時かっていう話を確かしてたんですけど
プロジェクトがうまくいくときは リーダー的な人が完璧に仕切って
これをこうすればいいから こういうふうにやればいいみたいな
担当 分担みたいなものを きちっとやったときっていうわけじゃなくて
むしろ どうしたらいいのか分かんないけど
いろんな人が助けてくれるようなプロジェクト
そういうのが 結果的に一番うまくいくんだっていう話をしてて
これはそうだなって思ったし これを作り出すのが難しいよなって最近はなんかいろいろ思ったりすることもあるんだけどね
そうですね
なんていうの? その思ってるもの ビジョンみたいなものを描いて それをみんなに共有して
それが自発的に自分たちが メンバーができるようにしていくっていうようなことじゃないですか きっとこういうのって
それをモチベーション、各々がモチベーションを持ってやっていくというかさ
岩田さんが割とそういうのを地道にやってた人なのかなって思うんです
48:00
本の中にもそれも同じようなことが書いてあったけど
なんかやっぱり一回自分がこうだって言っても
もちろんなかなか一回で伝わらない部分もいっぱいあるわけじゃないですか
逆に不満を持ったりとかそういうこともあるかもしれないし
だけど それをずっと言い続けていって
で わかんない人には うまく説明したりとかっていうのも
細々 対応していって そうすることで ちょっとずつみんなわかってくれる人が増えていって
みんな自律的に動けるようになっていく みたいな 描いてるビジョンに対して
そういうことをしていくのが すごく得意な人だったのかなって思うよね
うん
サービス開発に関する すごく似たような話っていっぱいあったな
うん
これ 別にサービス開発にために行ってた話じゃないと思うんだけど
うん
特に多分 DSとかWiiを作ってた時期に 岩田さんを取り上げられることが多かったから
うん
社長になったとか
だからよく言われるのが
ニンテンドーが方針転換というか
ゲーム人口を広げるために
ちょっと違う感じのことをやっていく
みたいなのがどうなのか
みたいなのが
結構言われたりとか
そういうのもあって
いろいろインタビューされることも
多かったんだろうと思うけど
ニンテンドーはそのコアユーザー
コアユーザーというか
今までゲームやってきた人たちを
見せるのかみたいな話も多分あったと思うんだよね
その時に岩田さんは もちろんコアユーザーも重要だし
ただライトユーザーも重要だから
ライトユーザーとコアユーザーみたいなふうに
分けるべきじゃないみたいなことを言ってて
最初はみんなもちろんライトユーザーから始まるわけだから
作り込まれたものと分かりやすくて簡単なものっていうのは
両方必要で幅広いラインナップが必要なんだっていう話をしてて
新しい人が入り続けないと やっぱりどんどんお客さんが減るばっかりだから
Lightユーザーのこともきちんと考えて やらなきゃいけないんだよっていう話をしてるんだけど
これって言わばWeとかDSの話をしてるんだけど ハードとしての
でもサービス開発も同じじゃないですか やっぱり
やっぱりその辺、すごく思想を感じますよね。
そういうオンボーディングの流れも一つ、
ゲーム中のソフトウェアのオンボーディング一つとっても
やっぱりNintendoのゲームって手に入るじゃないですか。
うん、そうだね。
そうそうそう。
やっぱり海外系のPS5とかSteamとかそういうゲームやると
やっぱりその辺いきなりこう、なんていうの?
そうそうそうそう。
ハードルが高い感じがあるよね。
51:00
それが面白かったにもすんだけど
でも結構面白いのが
Nintendoっていうのはそれをハードでやったっていうところがすごく面白くて実は
確かに
今までの延長線上でPS2、PS3みたいな感じ
Nintendo 64、ゲームキューブみたいな感じで
ハードの延長線上で進化していくと
どうしてもライトユーザーが取り残されていっちゃうって
今までやり込んでたコアユーザーが どんどん残っていくというか
コアユーザーしか残っていかない みたいな感じになっちゃうんだけど
Nintendo DSって2画面で もちろんコントローラーっぽいリモコもあるんだけど
そのタッチ操作が特徴的なデバイスだったし
Wiiもリモコンっていう今までと違う握り方をして 振り回すような使い方をするコントローラーだったから
そこってさ みんなライトユーザーじゃん そんなコアユーザーいないじゃん 今までって
それをやり込んでた だから みんなライトユーザーに引き込んできたっていうハードで
確かにね
それをハードで実現してて それをみんな しかもうまく引き込むことに成功してるっていうのが やっぱりすごいところですよね
そういうのは全部投資しつつスイッチを出すっていう
そうそうそうそうそうスイッチもねまあ岩田さんが発売したのは岩田さんがなくなってからだけど確かそういう nx コードネーム nx って確か当時言われてたけど
なんかその発表はしてるんですよね岩田さんがその今 nx ってものを作ってるって話がうーん
まあでもあれもねー かなりこう wiiu が結構うまくいかなかったんだよね
特に海外で
まあ結構Wiiが売れてた分
そのWiiUが売れてないという側面も もちろんあると思うんだけど
だから割とWiiUの思想みたいな部分も 引き継いでいるところがあったりして
手元で遊べるコントローラーみたいな部分とか
あとリモコン自体を外して振り回せるみたいなところも
なんかWiiの思想みたいなのを 引き継いでるところあるし
それもかなりこう 岩田さんの思想がかなり反映されてたゲーム機だって 言われていますよね スイッチも
なんかでも これなかなか難しいかもしれないけどさ 普通 誰でもできるって話じゃないんだけどさ
なんかでもそのさっき言ったように岩田さんって基本なんかもう若くしてって感じがするじゃん そのさっきの春の春県の社長になる時もそうだし
その任天堂の社長になる時もそうだし だからなんか
まあそういう環境だったからのかまあ元々そういう性格だったのかわかんないんだけど なんかちょっとやっぱり
54:00
伊藤さんから見ても、弟役的な存在になりがちというか、常に。
多分それってもちろんね、伊藤さんだからっていうわけじゃなくて、多分他のどの人にとってもそういう感じで接していたんじゃないかなっていうふうに思うんですけど。
なんかそれってすごくいいなというか、すごく重要なことな気がするんですよね。
単純に社長っていうさ、割と上の立場の人から命令的にこうしろみたいな感じで言うんじゃなくて、
物越し柔らかくみたいな感じでさ、こうやって見たらどうかなみたいな、提案みたいな感じで言うみたいなところとか。
そういうところが結構やっぱり、いろんな人に愛される人になったのかなっていうふうにも思うしね。
ゲーム業界はわからないけど、どっちかというとワンマンなイメージがすごい強いんですけどね。
トップダウンなイメージが強いけど、そことの良い意味でのギャップもあったんですかね。
そうだね。でも、岩田さんに関してはそんな風に思わないよね。ワンマンという感じがしないというか。
すごいマネージャーらしいマネージャーだなっていう印象しか僕にはなくてあんまり
さっきのプロジェクトがうまくいくときの話に若干似てるやつなんだけど
面白かった話で、リーダーはある程度どれくらい大変かっていうのを漠然と知りつつも
何とかなるっていう前提で言ってみんなに話すみたいな話があって
そうすると、そのプロジェクトは、何とかなる前提で動くから、みんなが何とかしなきゃって思って動くみたいな話があって。
こういう能力を持っている人が、たまにいるなと僕も思ってて。
実は僕はクリスさんそうだと思ってるんですよ。
現ハテナの社長ですけど。
でもね、これはね、何なんだろうね、人柄とかもやっぱあると思うんだよね、そういうの。
なるほど。
クリスさんね、こういうこと言うとね、恥ずかしいって言われるかもしれないけど。
やっぱりね、社長になるべくしてなってると思うんですよ、僕は。
僕はっていうのもなんかね結構いじ られる存在だったんですよね今は
どうかわかんないけど僕と一緒に そのミリバースっていうニンテンドー
のプロジェクトを一緒にやっている 時は割といじられる存在というか
リーダーなんだけどもともとしか クリスさんってSIR上がりでSIから
57:07
転職してHatenaに入ってきた人で
その頃Hatenaってめちゃくちゃすごいプログラマーがたくさんいたから
化け物みたいな人がいっぱいいたから
そんな中で割とクリスさんは
プログラマーとしてはなかなか苦労した部分もあったのかもしれないですけど
でも色々とサービスのディレクターみたいなことをやったりとかも
経験としてやったりしてて
そういうのもあって ニンテンドーのプロジェクトに
ディレクター的な マネージメントする立場として
やることになるんですけど そういう側面があったから
どこか 本人どう思ってるか 分かんないですけど
プログラマーとしては そんな他の人にかなわないなって
思ってる側面が あるんじゃないかなと思っていて
割とそういう感じの 果てな社内というか
そのプロジェクトメンバーの中からも 割とそういうような雰囲気じゃないけど
クリスさんはコード書かないでください みたいなそういう言いなじ方をする
そういう存在だったりしたんですけど それってすごくいい関係だなっていうふうにも思うんですよ
さっきの岩田さんが弟分っぽい 弟役っぽい存在っていうのとすごく似てるような気がしていて
あの人がリーダーでこうやるって言ってんだけど、ちょっと心配だから手伝わなきゃみたいな、なんとかしなきゃみたいな、そういうのがある人って、
なかなかやろうと思って作れなくないですか、やっぱりそういうのって。
確かに。
確かに、なんかそういういじりしろがある人がリーダーの方がなんかやりやすいですよね。
そうそうそうそうそう。そうなんだよね。
なんかまあもちろんねスティーブジョブスみたいな絶対的なリーダーでイーロンマスクみたいな絶対的なリーダーもあるなと
クックパッドの話だとサノさん創業者とかってあるとなんかジョブスっぽい感じするじゃないですかなんかトップダウンで
時にはトップダウンだしでビジョンもあるしみたいな
でも結構なんか日常生活で結構いじり城があるタイプじゃないですか
ああ、そうだね。
なんていうか、で、普段も、なんと、別に本人もなんかちょっといじっても、そんな嫌な顔、嫌な感じしないっていうか。
うん。
なんかそういうの大事だなと思って。だからなんか、たまになんかとんでもないこと言ってくるから、え?ってなるんだけど、なんかしゃーないなーみたいな気持ちになるっていうか。
そうだよね。そういう隙を作るっていうの、僕にはできないなと思って、どうやってできるんだろうっていつも思うんだよね。
それが自然にできてたから、僕はクリスさんすごいなと思ってたんだよね、ずっと。
1:00:01
本人聞いてるかもしれないじゃないですか。
告白みたいになって恥ずかしいけどね。
なるほどね
なるべくしてなってると思うよ、僕は
そういうのを、コンドーさん、パティナの元社長のコンドーさんも見てたから、クリスさんを抜擢したのかもしれないし
でも本当に僕そういうタイプだと思うんですよ、あの人をなんとかしないとなっていうふうに支えたくなる存在というかさ
なるほどね
確かになんていうか、僕もアマンガスを一緒にディスコードにつないでゲームをやるっていうつながりしかないけど
でもレースに考えたら社長の方なんだよなっていうのを思って
親しみやすいというか
そうだよね
そういうのあるなというのはゲーム社の中でも思いましたね
僕からしたら正直、社長のクリスさんは見てないんですよ。僕も辞めちゃってるから。辞めた後に社長になってるから。
だから僕の中であるのは、プロジェクトリーダーだった時のクリスさんと、Among Usやった時のクリスさんと、おっさんヘルのクリスさんしかいないんでね。
だからね、僕の中でまだ社長になってないんですよ、なんかあんまり。
でもそういう関係性で、なんかずっといられてるっていうのもすごいなって思う。
そうですね。
いや、僕はね、いろんな部分でクリスさんをでも尊敬してますね。
いや、直接言ったほうがいいんじゃないですか。
そうね、ちょっと直接言うのでも恥ずかしいじゃないですか、こういうの。
でもなんかすごくそういうのが、岩田さんの本読んでて、ちょっと弟役みたいなやつとか、さっきの「支えてなんとかしてあげなきゃ」みたいなやつ読んでて、
ああ、そういうのあるんだなと思って、岩田さんもそういう感じだったんだろうなっていうのをなんか思ったというか。
なるほどね。
もちろんね、それだけじゃないとは思うけどね。でもそういう一面ってやっぱりなんかリーダーにとって必要な部分ってあるんだろうなって思ったっていうか。
そうですね。
なんか、まあ色々話そうと思えば色々話せるんですけど、
本読んでもらえればいいかなと思うんで、あんまり話しません。
何だそれ?
いや、しかもね、この本はやっぱりさっき言ったように、社長が聞くだとか、
ほぼにちのメディアで話してたやつのエピソードを結構細かく切り取って、
繋げているようなものなんで、割とサクッと読めるんですよ、そういう意味では。
一つ一つのエピソードはそんなに長くなかったりするし。
だからね、すごくサクッと読めるし、その中には色々、色んな考え方がさ、詰まっていたりとか、そういうのがあるから、色んな人に参考になりそうだなと思って。
僕自身も、全然完璧だとは思えないけど、やっぱりそういうさ、リーダー、自分のプロジェクトのリーダーになったりとか、そういうことも最近はあるし。
1:03:11
そういうリーダー的な立場の壁当てになってたりとか
そういうのをどうしていこうっていう相談を受けたりすることもたまにはあるので
そういうのの参考にはすごくなったなっていう印象はありますね
僕はただただ
岡山さんが昔そういう仕事をしてたのが羨ましいなっていう気持ちがいっぱいです
いやーまあね
いや、僕も自身もやっぱりすごくいい、いいなぁと思ったけど
なんかでも、いろいろと思うところはあるよね、やっぱり
え?
どうでもいいと思うけど
どういうこと?
いや、なんか、もうちょっと合わしとけばよかったなとかって
なるほどね
そういう後悔とかね、いろいろあるよね、まあその開発したものに関しても
できるだけベストを出したつもりはいるけど
でもなんかやっぱり自分の中で貴重な期間であったことは間違いないね
もちろん岩田さんに会ったこともそうだし、その任天堂の人たちとも色々話したりとか知育したりとかしたっていうのは
なんかね、今思ってもなんか割と夢のようだったような気がするね
いやー、なんか本当めっちゃ羨ましがる人めちゃくちゃ多いと思いますよそんな
週1で、ニンテンドーも本社が京都にあるから、
ハテナも京都にあって、僕も京都に住んでたから、
週1でチャリンコでニンテンドーに行って、
仕事を打ち合わせして帰るみたいな、
夢のようだったような気がするよね。
でも、ニンテンドーの考え方とか、
結構いろいろ尊敬できるというか、
すごく今になっても参考になるようなこといっぱいあるから
僕も頑張りたいなっていう
最近、出口君は知ってるかもしれないけど
ゲーム的なものを色々考えたりすることもあって
これに限らずだけどゲーム的な本を読んだりとかもしてるんだけど
ゲームの考え方というかさ
やっぱりNintendoはすごいなって思うんだよね、その度に。
そうですね。
なんていうか、思想が明確にあるのがすごいなって思いますね。
ブレない。
そうだね。
たまにブレてることもあるかもしれないけど。
まあね。
株式会社だからね。
でもやっぱり一貫してさ、遊びを追求するみたいなとこあるじゃないですか。
そこはかっこいいよなぁ
うん
それでね、ビジネス的にも上手くいってるっていう
1:06:00
今後どうなるかわかんないけど
いやー大丈夫でしょ
大丈夫かな、大丈夫でしょ
いやまあ、次期、ハードがどうなるかわかんないけど
うーん、どうなるんですね
ここ数年はすごく良かったからね
うん、そうだね
Nintendo SwitchでまたVG回復じゃないけどさ
まあ、ちょっと赤字だった時あるもんね
まあ残念ながら僕も関わった wu の時が若干赤字だったから ちょっとそういう意味で心を痛めてた時があったんだけど
僕のせいだったのかなみたいなさー 関係ないと思うけどねそんなお前の力なんてそんなもんじゃねえよって僕も持ってたけどでもやっぱりちょっとさ
僕のせいかなって思うところあるんでやっぱりそういうのって
なんか、Wii Uが今一だみたいなこと言われると、ちょっとあがったなみたいなさ
まあでもね、Nintendo Switchで回復して本当に良かったな
まあまたここからなんか、またちょっと仕様目が変わりそうじゃないですか、VRとかそういうの出てきたりとか
そうだね スイッチもある程度 長いことヒットして
コロナ的なある種 結果的に良かったっていう
追い風みたいなのもあったりして
でも またどうなるかですよね
ゲームキューブ的な方に行っちゃうと ダメになっちゃうのかもしれないけど
そうそう 息が長いハードの後の方が難しそうだな
難しいよね そういうのは本当に
いっそのこと変え…
本当に変えちゃった方が もしかしたらいいっていうのも あるのかもしれないけどね
ちょっとその辺は分かんないけど
あんまり岩田さんの話に ならなかったかもしれないな
いや してましたよ
良かった
まあでも本当に魅力的な人だと僕思って すごく尊敬してる人なんで
こういう人がいたんだよっていうのが、少しでも若い人にも伝わるといいなって僕は。
若い人、このポテカスを聞いてるのかって言ってたんですけど。
それもあるね。大体30代だっていう話があるね。
伝えてもらいたいですね。こういう人がいたんだよっていうのを。周りの若い方々に。
そんなところで終わりますか。
はい
リサイズFMのご質問やご感想 リクエストなどはハッシュタグ
リサイズFMでTwitterにつぶやくか
ショーのノートによるお便りの リンクから送っていただければ
配信内で取り上げたりしますので ドシドシいただければと思います
リサイズFMは毎週金曜日に配信しています
Spotify、AppleのPodcast、Google Podcast、 YouTubeなどで配信していますので
よかったらチェックしてみてください
ということで今回はここまで また次回お会いしましょう
さようなら
さようなら
♪~
1:09:10
ご視聴ありがとうございました!