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[音楽]
こんにちは出口です
こんにちは本山です
Besides.fmは、本山と出口が最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げて
のんびり話すポッドキャストです
よろしくお願いします
お願いします
毎週…毎週っていうか
まあ、オフィスで仕事をしてる時に、
まあ、普段は僕がまかな行って、お昼ご飯作ってるんですけど、
その、金曜日だけは外に出て、
まあ、なんかこれ前も話したかもしれないですけど、
行きつけの中華屋さんにだいたいいつも行ってるんですよ。
近くにある。
で、そこの中華屋さんがおいしくても毎週行ってるんですけど、
ランチを頼むと、メインのおかずとご飯とスープと、
あと、前菜みたいなのが3品。
前菜3品って言っても、ちょっとずつなんですけど、小皿にのってるのが出てくるんですけど、
前菜に、なんていうの? 焼香臭漬け、香り漬けって いつも言ってるんですけど。
うん。
なんか、枝豆とか、そういうのも香り漬けっていうのが いつもだいたい出てきて。
うん。
で、なんかそれが美味しいなと思ったんで、 ちょっと僕も作ってみようと思って。
焼香臭漬けなんですけど、 枝豆の焼香臭漬けを作って、なんか最近それにはまってるんですよね。
えー、どうやって作るんですか、それ?
でもそんな簡単で、まあ枝豆だったら枝豆は3分半ぐらい、塩湯でして
うん
で、その漬けるタレみたいなやつは、僕のレシピだと
まあ、しょうこーしと、あと醤油と、砂糖かみりんか、あとは生姜とか
へー
で、まあ1回アルコール分若干飛ばして
で、冷まして、で、もうあと、枝豆にバーって入れて、で、1日ぐらい漬けとくだけ。
へぇー。
それがね、美味しいね。
そうそうそう。そんな、もうすぐ、その、しみる、しみるっていうかさ、結構塩分濃度高いから。
うん。
それがね、結構美味しくてね、なんか、最近ハマってて、
いろんなものをつけてるんですよ。
よさそう。
なんかよくあるのは、生エビ。
エビの生のやつの、
焼酎し漬けっていうのがよくあるんですけど、
なんか、僕もエビつけたいなと思って、
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こうスーパーで、エビないかなと思って探すんだけど、
なんかあんまり最近なくて、生のエビっていうのが、
まあ甘エビみたいなのがあるんだけど、
だからホタテとかを買ってきて、つけたりしますね。
いいですね。
なんか、クックパットマートに、昨日見てたら、枝豆がたくさん売ってて、
でもなんか、茹でるかフライパンで焼くかのしか、ちょっと思い浮かばなかったから、
どうしようかなと思ってたんですけど、それいいですね。
最近、枝豆季節的にね、すごくいい季節なんで
そうっすよね
美味しいですよ
まあ、僕、出口君はお酒飲まないかもしれないけど
僕はもうビールとか大好きなんで
まあ、普通に枝豆食べるよりも
なんかその、焼酎し漬けみたいにするとすごい美味しくて
ふーん
いいですね
いいっすね
今日もちょっとつまんでました
ちょっとやってみようか
2、3日火持ちするんで
うーん
そうそう、なんかでも色々つけたりしてますね、それで
うーん
まあ、そのさっきのホタテつけたりとか
ちょっとタコも試してみたりしたんですけど
タコはね、一回塩湯でしてるやつをつけたりしたからね
あんまりこう、ちょっとしょっぱいなって感じになっちゃったんだけど
あとは、なんかこう、ちょっちゃん、一回火を入れた
鶏もも肉とかもつけてみたりして
それもそれでおいしくて
なんかね、結構万能でいい感じなんですよね。
カニとか。
まあ絶対美味しいでしょうね。
なんか、気まぐれクックがよくなんか、
渡りガニをなんか、昇降士だったらなんかによくつけてて、それがすげー美味しそうなんですよね。
いや、絶対美味しいでしょうね。
うん。
まあでも一回、生エビのやつをね、一回つけて食べたいなと思っているんだけどね。
それは美味しそう。味噌も美味しそうですね。
うん、そうそうそうそう。
なんか、いい感じにその水分がなんか抜けて凝縮して、甘みが。
エビとか、アホタテもそうなんだけど、それがね、すごく美味しいんですよね。
焼酎酒ってなんなんですか?
「焼酎子」はお酒ですよ。
いや、なんのお酒?どういうお酒なんですか?
ああ、僕もあんまり知らないな、でもそういう考えると。
「焼酎子」ってなんなんですかね?
でも、米とか麦とかを原料にしたお酒っぽいですね。
麦が入ってるんです?
うん、米とか麦などって書いてあるから。
こんな香りが違うんですかね。
うーん。
なんか、香母とかが違うのかな。
なんか独特な、日本酒とかとはまた違って、独特な香りがありますよね。
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へー。
焼酎酒。
使ったことないですね、焼酎酒。
あんま使う機会ないですよね、焼酎酒って。
僕も一回なんかで焼酎酒使おうと思って使って、
それはもう使い切って、それからもうずっとなかったんだけど、
あんまり使う料理がなかったから、使い切るのも大変だったんだけど、
焼酕漬けやり始めてからめちゃめちゃ使ってるっていう。
普通に売ってるんですか?スーパーに。
どうだろう。僕Amazonで買ったから。
あ〜Amazon。
普通に売ってんのかわかんないな。スーパーで。
まあでもなんか美味しいですよ。
あと、中華料理とかのお酒、日本酒とかの代わりに 焼酎酒を使うと、またいい感じになると思うんですね。
中華料理系は。
さて。
全然関係ないんですけど、今日のテーマは。
今日のテーマ。
ちょっとわけあって、出口君とは、この話をするのは2回目なんですけど。
まあ、わけっていうのは収録に失敗したっていう。
ちょっとね、ちょっと失敗した悲しい出来事が。
まあでもちょっとその後僕も、なんかその時あんまりちゃんと説明できなかったっていうか、
なんかモヤモヤした感じであったじゃないですか。
その「幻の会」はちょっと初回で、今回まあ本の会なんだけど、
その本について初回で聞いて、結構難しい本だから、
割とふわふわして前半を時間使いましたよね
僕の説明があんまり良くなかったっていうのもあるんだけど
でもね、もう一回今日はその話するんだけど
結論的には、そんなにこの本についてあまり追及しようとは思ってないんですよ
なるほど
で まぁ 何の話するかっていうと
Tacramの尾形さんかな?
うん
尾形さんの書いたその「Convivial Technology」っていう本が えっと つい最近
つい最近って言っても5月の20日 21日かな?くらいに出版されまして
それを僕もちょっと興味があったので、パッて読んでみたという話をしようかなと思うんですけど、
ちなみに、あれ以来なんか読んだりしました?
あれ以来は読んでないですね。
読んでないですか?
とりあえず僕は現在、冒頭部分、一章ちょっと入りかけぐらいです。
まあね、でもなんかあれじゃないですか、本自体はさ、ちょっとなんか難しい話をしてるんだけど、書いてあること自体は割とすんなり読めるというか。
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そうですね。文章がめっちゃ難しいとかそういうことじゃないですね。
そうそうそう。あとなんかこう、なんていうの、章じゃなくてまとまり的なやつあるじゃないですか。説っていうんですかね。
それも割と短めでサクッと一つ一つ読んで 読み進めていくって感じで
割とサクッと読めるんだけど なかなか考える部分としては難しいなっていうやつなんですけど
ちょっとね このコンビヴィアルテクノロジーについては どういうふうに入ろうかなと思ってたんですけど
なんかこれ読んで、その後、一回話して、その後、この大方さんがそのポッドキャスト、たくらむキャストか。
で、話してるのを若干聞いて、 なんかどういう感じでこれを書こうっていう風になったのかっていう部分も若干聞いてみたんですよ。
まあ そしたら この本にも一応書いてあったんですけど
まあ この…なんていうの
元々 大形さんが手伝わっていたプロジェクト
仕事で手伝わっていたプロジェクトが やっぱり元になっているっていうのが一番強くて
うん
それがなんか エラとの「番友情報網プロジェクト」っていうやつなんですけど
うんうん
まあ これは何かっていうと
まあ なんか 結構 その大学とかで いろいろ…なんていうの?
いろんな技術があるんですけど 例えば なんか
無線給電みたいな技術だとか
ソフトロボティクスみたいな技術があったりするんですけど
まあ そういうのを合わせて 最近 そのIoTっていうのが
まあ いっぱん的になってきてはいるんだけど
その いわゆるそのIoTって
どっちかっていうと センサーを中心とした 主に世界から情報を受け取る 受信するための機械っていうのが ほとんどじゃないですか
それにプラスして インターネット情報もっていう 神経もあるんだけど
これからの時代は どういう IoT 製品が必要性があるのかっていうのを考えたときに
もっと、何ていうの、そのもの自体が世界に対して、自律的に働きかけるようなもの。
そういうのが必要なんじゃないのっていうのを、最初出発点として、この「万有情報網プロジェクト」っていうのが立ち上がったらしいんですよ。
このプロジェクトは、東大の研究チームみたいなものなのかな?
なんか いくつかの研究室みたいなのが 一緒になって考えていこうっていうような
さっき言ったように 例えば 無線宮殿を考えている研究室だとか
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あとはソフトロボティクスっていうのが あるらしいんですけど 分野として
硬いものじゃなくて 柔らかい素材で作ったロボットみたいなもの
素材とか そういうものの研究をしている研究室だとか
あとはファブリケーションっていって いわゆるレーザーカッターだとか 3Dプリンターみたいな
大量生産とかっていうものじゃない オンデマンドなものづくりの研究をしている研究室だとか
まあ そういうとこが一緒になって これからの IoT について考えようっていうので
立ち上がったのが その「万有情報モープロジェクト」っていうやつらしいんですね
本当だ 今 ホームページを見たら そこの一つのグループの中に
タクラムの尾形さんや田川さんが入ってるんですね
そうそうそう
で まあ その万有情報モープロジェクトをやっていくにあたって
じゃあ なんか さっきの 世界に対して 自律的に働きかけるロボットっていうのは いいんだけど
実際にじゃあ それがあって どういう世界になったらいい? どういう未来になったらいいのかっていうのを 一緒になって考えようっていうので
そのプロジェクト内のチームで いろいろ話し合ったらしいんですよ 合宿とか行って
最近だったら そのカームテクノロジーみたいな 考え方っていうのはあるんだけど
それっていうのは カームテクノロジーっていうのは どっちかっていうと テクノロジーが人間に合わせるみたいな
テクノロジーはもっと控えめな存在であって欲しいっていうような考え方で
主役は人間だっていう考え方なので すごく重要なことではあるんだけど
それって逆に突き詰めるっていうか 行き過ぎてしまうと ブラックボックスになってしまって
テクノロジーに依存してしまう 知らず知らずのうちに人間がそのテクノロジーに依存して
それなしじゃ生きられなくなったりとか
どんどん進んでいくと テクノロジーに人間が使わされている状態みたいな
使ってるんじゃなくて 使わされているみたいな
そういう状態になってしまうんじゃないのかっていうのが
カーブテクノロジーの行き過ぎた未来として
考えられるんじゃないかなっていう話をしていて
うん
で じゃあ それをもっと踏まえて
どうあるべきなんだろうっていうふうになったときに
いよいよそのコンビヴィアル コンビヴィアリティっていうような言い方をしてるんだけど
コンビヴィアルっていうのが重要なんじゃないかっていう話になってくるんですね
コンビビアルっていうのが何なのかっていう話なんだけど
コンビビアルっていうのは日本語で言うと 共生みたいな 共に生き生きするみたいな意味合いの言葉で
だからここでいうコンビビアルテクノロジーっていうのは
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テクノロジーっていうのが技術だとか 道具っていう意味合いだとしたら
それを使う人間と 実際に使われる技術だとか道具っていうのが
どっちも共に生き生きとして 良い状態であるっていうのが重要なんじゃないのか
っていう話になってくるんじゃないかな
だからそこで言うと 共に生き生きしてるから
やっぱりさっき言ったように、世界に対して自律的に働きかけるようなもの、
そこは、道具側も自律的であって欲しいっていう考え方が、このプロジェクト内ではあるっぽいですね。
単純に人間に使われるっていうものではなくて。
自律って何ですかね?どういう意味で自律なんですかね?
ここでいう自立、本の中ではね、自立っていろいろな言葉で書かれてあったんだけど
そうですよね
そうね、まあ簡単に言うと、物自体が自分自身で考えて行動できるっていう意味合いで考えても良いかなと思います
簡単に言うとね
ちょっと本の中で自立とはみたいなことを突き詰めた、書かれた部分があったんですけど確か
なんかねそこでは一応なんか なんかこう一つのことに頼らない
一つのことに頼ってるっていう状態は自立できてない状態だっていう風に言ってて
何かしら他のどんなものにでもなんかこう
なんか頼ってはいいんだけどなんか多方面というか多数その頼る酒を持ってないと自立できないっていう風に書いてあって
要は 依存してしまうと それを切られたときに もう生きられなくなってしまうから
それは自律できてない状態だって 言ってて
それを切られても 他のあての先があるかどうかっていうのが
自律できてるかどうかっていうのの違いなんじゃないかっていうふうに 確かこの本では書いてありましたね
ふーん ふんふんふん
っていう まあ ちょっと こう なかなか 難しい コンビヴィアル テクノロジー について
ちょっと 話そうかなと 思ったんですけど
なんか まあ 本自体はね 結構 だから そういう意味では なんだろうなぁ
ひたすら コンビヴィアル テクノロジー の話を してるわけじゃないような気もするんですよ
ふんふん
もう 何 どっちかっていうと まあ 最初の方は もちろん その コンビヴィアル テクノロジー
人間とテクノロジーの考え方というか そういうのを一番最初に書いてあるんですけど
その後は 賞的には 最初の第一賞は 人間とテクノロジーといって
ここは比較的コンビビアルテクノロジーとか コンビビアリティのための道具っていうものについて話してるんだけど
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その後は 人間と情報とものっていって どっちかっていうと インターネットの話になってきて
第3章は 人間とデザインっていって デザインの話になってきて
その後 もうちょっと 人間と自然みたいな 自然に影響を与えていて
自然からも人間は影響を受けてるよね っていう話になってきてて
その続きに 人間と人間っていう言葉のやつになってるんだけど
ここの辺は どっちかっていうと
コンビビアルテクノロジーがなんで重要なのかっていうのを説明するための 背景をひたすら話してるっていう感じなんだよね
どっちかっていうと なんでこういう考え方になるのかっていうのを いろんな方面から説明してるっていうような ショーっていう印象ですね
じゃあ本題は後半にあるんですね 本題というか
いやね本題はねないんだよだから 正直
なるほど
ないないあの僕はないと思ってる正直全部がなんていうの論理というかさ 根拠みたいなのを積み上げて最終的にこうっていう風にね
なんか出すっていう本じゃなくてこの本自体は どっちかっていうと最初にもうこういうものがあるって言って
でそれがなんかこういろんな方向から何でそうなのかっていうのをこう 証明してってるというかなんかそうじゃないのって言ってるっていうような
背景を説明してるっていう本だから
なんかね
なんかこう最初なんとなく見えないんだけど
なんとなくこういうものがありそうっていうのがあって
その後で徐々に補っていっていろんな方向から
なんか最終的にぼんやり形が見えるみたいな
そんな感じの本なんですよね
なるほどなるほど
うん
ちょっとね抽象的な話ばっかりしてるんで
もうちょっと具体的にじゃあコンビヴィアリティってなんだのかっていう話も ちょっと一応しておこうかなと思うんですけど
なんか元々そのコンビヴィアルとかコンビヴィアリティっていう言葉を言い始めたのが イヴァン・イリーチっていう人
でこの人はまあ1900年代に活躍した 哲学者とか社会評論家みたいなそういう人なんですけど
ちょうどその頃って高度経済成長時代というか 産業的にはすごく発展しているんだけれども
どうもどっちかというとテクノロジーの方が強い時代というか テクノロジーに人間が合わせているような時代だったんですよね
で やっぱり そういうのに ちょっとおかしいんじゃないのかっていうのを 思った哲学者の 伊里一さんが
そのコンビヴィアリティのための道具っていうのを 本を書いたんですけど
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そのコンビヴィアリティのための道具の中では 結構…
コンビヴィアルテクノロジーだと デザインの話をするのかなって思うのかもしれないですけど
そのコンビヴィアリティのための道具の中では 割と社会的な話をすごくしていて
ちょっと僕もね ちゃんと勉強しようと思って コンビヴィアリティのための道具も読んだんですけど
一応ね 割といい感じに 要約してくれている方もいて
コンビヴィアリティのための道具の 要約ノート社会思想っていうページを見つけたんで
ちょっと これが割と要約されてて 良かったなと思って これを元に話そうかなと思うんですけど
割とその なんていうの さっきも言った通り 社会的な話をすごくしてて この入市さんは 本の中で
だから 道具っていうものの中には いわゆるトンカチみたいな 手に持つ道具 実際の物の道具っていうのもあるんだけど
教育だとか医療だとか交通みたいな そういう社会的なシステムっていうのも
一つの道具っていうふうに捉えていて
それがやっぱり全体的にその時代は
人間が使わされているというか
人間が生き生きできていない状態になってんじゃないのかっていうのを
割と問うためにこの本を書いたらしいんですね
じゃあ どういう状態だったらいいのかっていうのを 一応 この人は定義していて
なんか分数入れ… 二つの分数入れのちょうど中間にあると 一番良い状態なんじゃないかっていうのを定義していて
どういうことかっていうと 最初はまだ… なんていうの?
その道具っていうか その技術自体も 生まれたばっかりだったら まだ人間に使われていない状態だとか
使いにくい状態だったりするかもしれないんで
それがだんだん 人間が使いやすい状態になってきて
一般的に浸透してきたっていう状態になると
最初の第一の分水例っていうのを 乗り越えることができるんですよね
浸透が鍵なんですか?
浸透も重要だと思いますね
ちゃんと使われているっていう状態になって
それが一般的な認識になるとか
そういうことも重要だと思いますね
なるほど
まあ そのテクノロジー自体が 便利に利用できるようになるっていうような状態
人が使えてる状態 みんなが
で その状態でとどまってればいいんだけど
その第二の分数入れっていうのが その先にあって
どんどんそれが これ便利だから もっと使おう もっと使おうって
例えば やっていった先に
じゃあ、そのテクノロジーみたいなものとかに、依存がしたりとか、それが過剰になりすぎて、
逆に、さっき言ってたような、人が使われちゃってるような状態。使わされてるような状態。
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使ってたら、逆に人に悪い影響があるみたいな状態になっちゃうのが、第二の分子入れって言われてるもので、
簡単に言うと これ便利じゃんって エアコンつけまくって エネルギーの消費しまくって 問題になるみたいな
エネルギー消費してるぐらいだったら まだいいんだけど
エネルギーを消費したことによって 何かしら 自然環境っていう意味では 問題が起きて始めてしまっていて
それが逆にまた 人に対して影響を与えてるみたいな 悪い影響を与えてるっていうような状態になってるので
そうなってくるとさすがにちょっと 第2の分水例みたいなものを超え始めてんじゃないの?
っていうような話になるんだけど
薬とかもそうなんですかね?
なんか例えば麻酔薬とかは分かんないけど
なんか使いすぎると依存しちゃうとかあるじゃないですか
あー まああるのかもしれないですね
なんか多分でも僕は思うに この第1の分水例と第2の分水例みたいなものって
どんなものでも当てはまると思っていて
まあ確かに
要は最初は「これ便利に使えるじゃん」ってなって 使い始めるんだけど
それをやりまくってしまって 過剰になってしまったりとか依存するっていうのは
多分どんなものにはでも当てはまると思うんですよね
その大の分数例っていうのは 依存性があるっていうことなのか
いやなんだろう
例えばさっきのエアコンの話って、人が、エアコン自体の依存性ってそんなにないけど、
人が、まあ、つい依存しちゃうっていうような感じじゃないですか。
逆に薬とかって、薬自体に依存性があったりするじゃないですか。
人間が依存しようと思わないにしろ。
なんかその、なんだろう、依存性があること自体がダメって言ってるのか、
それともなんかこう その使い過ぎてしまうっていうその状況自体が
分数量を超えるって言ってるのか どっちなんですかね それって
どっちでもあるのかな
まあなんだろうな
まあ 薬とかって依存ってわかりやすいんだけど
そのドラッグっていう意味ではね
ただエアコンとかもさ なんかもうそれに慣れちゃうみたいなのあるわけじゃないですか やっぱり
うーん なるほどね
それも一つの依存って言えるんじゃないのかな。
なんかもう逆にそれがないとダメっていうふうになってきたら。
なるほどね。
なんかもう夏が暮らせないようみたいになっちゃうと。
じゃあその技術とか、それ自体が依存しようと思ってなくても、
こう状況的にそうなってしまったら、分水平を超えてるってことなのかな。
なるほどなるほど。なると思うな。
ちなみにそのコンビヴィアリティのための道具って 伊利一さんが書いた本の中では
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例えば医療について 医療の場合だったらどうかっていうのを説明したところもあるんだけど
最初のうちはやっぱり もともと医療っていうのが そんなにちゃんと発達してなかった部分もあって
いろいろと 病原菌だとか 感染病に弱い状態の時もあったんだけど
それから現代医療みたいな西洋医学っていうのが発達してきて
いろんな医療関係者、専門家、医者みたいな人から
ある程度処置が受けられるっていう状態になってきたのが 近年なわけですよね
それが一応50%を超えたっていうのが この人が書いてるらしいんですけど
それが一つの現代医療における第一の分数医例だって 言われてて
それが大体1900年代初めの頃だって 言ってんだけど
で、それは全然いいと。まあ全然いいと思うんだよね、やっぱり。
ただ、なんかそうなってくると、どこに人間のさっき言ってた依存みたいなものが発生するかっていうと、
なんかだんだんそれが重要なことに、重要というかもうなんか専門的なことになりすぎていくっていうか、なんて言うんだろうな。
逆に他の医者じゃない人たちっていうのが
医療に対して「これはあの人がやるものだから自分は考えなくていい」みたいなことになっていく傾向にあるらしいんですよね
それが最初のうちはそんなに強くないと思うんですけど
どんどんどんどんそれが助長していくっていうか
過剰になっていくことによって
いわゆる自分は病気かどうかわかんないけど
やばそうな気もするからとりあえず医者に行こうみたいな
病院に行こうみたいな
要はその人自身が考えることをやめてしまうみたいな状態になってしまう
それって一つの依存みたいになっていくんですよね
だんだん医療に対して
ちょっと多分その線引きってなかなか難しいのかもしれないですけど どこが悪いのかみたいな話って
でもなんか まだまだそれだけならまだいいとしても
だんだんその医学をちゃんと持った医者みたいな人たちが その権威を持ち始めるんですよね
権威だとかなんかそういうのを持ち始めて
例えばいわゆる異原病っていうなんか その医療が元になっている病気みたいなのがあるらしいんですけど
例えば 退治期 妊娠中にエクスセン症者して 遺伝子損傷があったりとか
明らかに医者とか そういう医療施設に 検移が移りすぎてしまって
逆に 本当はそれが 人間のための道具だってはずなのに 病院っていうのが
逆に病院の言うことを聞いて 使わされるような感じになってしまっている状態になる
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そこまでいくとさすがに 第2の分水嶺を超えてるんじゃないのかっていう話をしていたかな
なんとなくわかりました
なんか多分ね でもここもやっぱり 最初僕が話したときも言ったけど
グラデーションがあると思うんですよね
第1と第2の間もあるし、第2っていう線引きの部分もグラデーションがあるから、
一概にこうなってないとダメとかっていう線引きができるものじゃないと思うんですけど。
なんとなく依存って言ってるものが、割と広い捉え方なんだなっていうのが理解。
でもこういうのって結構いろんなものにもあるかなと思っていて、
いわゆるそういう なんていうの なんかパッケージ化みたいなことによってさ
まあそうですよね ブラックボックスかというか カプセルかというか
そうそうでも これって一つの手順じゃないですか
先週なんか具体と抽象って話したけど
うん そうですね
抽象化するってさ 一つのなんかこうパッケージ化じゃないけどさ
うん
まあなんかこう なんとなくふわっとまとめるみたいな
考えなくて あえて良くするっていう
そうそうそう
それって重要なことであるんだけど 何か だんだんそのパッケージしたものが
進化化して 専門化して それを もう絶対考えてていいっていうものになっていって
そうなっていくと 段々 依存体質ループに入っていってしまって
なんかあれですね エンジニアリング 僕らの身近なものとして
プログラミングにお聞かせと わかりやすいかもしれないですね
何か ライブラリとかって 例えば ソートするとかのライブラリって
例えばJavaScriptで何らかの相当したいと思った時に
昔と言ったらあれだけど
レーメイキの頃の人は
まあピュアに実装してたと思うんですけど
今ってそれこそ便利なライブラリー
例えばJQueryみたいなやつとか
なんか色々あるじゃないですか
それを使えばメソッド一つで
例えば何らかの相当ができますとかなってるって
まあ それはある意味 カプセル化されたものを使うだけなんだけど
だからまあこう なんていうの プログラミングが割と発展したくて現代から
コンピュータサイエンスとか学ばずに いきなりプログラミング始めた人にとっては
まあ ソート一つとっても ライブラリを使えばよいみたいな
じゃあ そのソートでどういう原理でやれてるとか
まあ ソートにもいくつかあるじゃないですか
そういうアルゴリズムがどういう原理で、どういう仕組みでやられていて、その結果どういう副作用があってみたいな、計算量がどれくらい増えてみたいなって、
まあ知らなくてもできるようになってるじゃないですか。
まあなんかそれってある意味、エンジニアとしては便利なんだけど、その便利なライブラインになりきっちゃってると、ある意味ダイナモのライブラインに依存してるというか、
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っていう話に近いというか、身近な例だとね。
そんな感じの、まあなんていうの。
だから、それ自体はコンビヴィアリティではないんだけど、
まあ、そういう状態は良くないっていうふうに、この時、いりいちさんは考えていて、
もうちょっとわかりやすい例で言うと、
教育みたいなのって、日本でもまあ教育、義務教育とかありますけど、
その教育って元々は人間が学ぶための、学びたいと思って学ぶためのシステムであったはずなのに、
だんだんなんか、そのいわゆる義務教育だとか、大学のデルとかそういうのって、
なんかだんだんそれ自体がステータスになってしまって、
はいはいはい。
勉強することが重要なんだけど 行くことが目的になってしまっているみたいな
そういうところってあるじゃないですか
それもやっぱりおかしいんじゃないの っていうふうに言ってるんですよね
最終的にそれも目的が変わってしまって いわゆる依存なのかなこれは
依存…依存… なんかな わかんないけど
使うはずが使わされてしまっているみたいな状態になってるんですよね
本当は学ぶためだったんだけど
行くことが目的になってしまって 学ばされてるみたいな状態になってしまった
そういう状態はやっぱり良くないよねっていうのを
そのイリーチさんはコンビヴィアリティのための道具っていう中で言っていて
で、さっきも言ったけど、これってやっぱり産業主義とか消費主義みたいな、消費社会みたいな、そういう時代に書かれた本なんで、そういう時代背景があるんですけど、
なんか元々その人間たちも機械に使われようと思ってそんなことをし始めたわけではなかったんですよね、その時代の人たちも。
機械が人間のために奴隷の代わりというか、機械が人間の奴隷になってくれるっていう仮説があって、もっと機械をガンガン入れていこうみたいな。
そういう考え方のもと、バーって突き進んだんだけど、その結果、生産効率とかはもちろん上がったんだけど、
だんだん機械をもっとやるんだ、機械をもっとやるんだってやってるうちに
逆に人間側が機械に合わせるみたいなことになってしまって、どっからか
結果的に大量生産みたいなことをやったおかげで
人間側が実際に大量生産されたものを自動的に供給されるだけの消費者になるみたいな
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そういうふうになってしまったみたいな 時代が
時代だったんだなっていうの なんか改めてなんかその辺僕考えたことなかったんだけど
もともとはこれがいいと思ってやってたんだけど なんかそれがどっからかでなんかこう逆転してしまったというか
やりすぎたことによって
これもさっき言ってたその第2の分水量を超えるっていう なんか依存とか過剰みたいなところに入っていったっていう
わかりやすい例なのかなと思ったんですけど
ふーん
まあ そんな時代だったので
もうちょっと それは良くないから
ちょっと 過剰みたいなものは
どっかで制限した方がいいんじゃないの?
っていうのを書いたのが
この イリーチさんの
コンビヴィアリティのための道具っていう
コンで
これもね なんか この
要約された方一曰く
さっき僕が言ったように
その 論理というか
論理を積み重ねていって、こうだっていう本ではなくて、最初に「いや、こうだよね」って言って、それをいろんな方面から補うというか、そういう感じの説明する本らしいんですけど。
この本自体はなんというか、継承みたいな感じですか?目的としては。こういうことってあるよね、大事だよねっていう、今後はこういうことを大事にしていった方がいいよねっていうような結論。
そうそうそう 基本的には だから ちょっと今 過剰になりすぎちゃってるから もっと自分たちで考えるとか ちゃんと作るだとか
そういうことができるような社会にならないと 自分たちは本当の幸せにはならないんじゃないかっていうのを書いてて
なんか まあ この時代なんで 若干こう 産業主義を否定するまではいかないんだけど
やっぱりもうちょっと制限はした方がいいんじゃないのかっていう書き方をすごくしていたかな
あともっと自分たちが自分たちのために考えて自分たちで何かを作るだとか
そういうことを重要視した方がいいんじゃないのかっていう話をよく知ってたような気がしますね
いろんなものがパッケージ化されて 何も考えなくてよくなって
毎日同じスケジュールに従って 毎日働いてて
お前ら幸せなのかみたいな そんな感じなのかな
なんかあれですね この時代のことを まぁいまいちちょっとピンときてないからあれだけど
そこがもうちょっと分かってると より理解ができるのかもしれないですね
どういう時代だったのかっていうの
僕も別にそんなに詳しく知ってるわけじゃないし、そんなに生きてたわけではないので、
分かんないけど、言わんとしてることはすごく僕は分かるかなと思いました。
言わんとせんことは分かるんだけど。
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よくあるじゃないですか、高度経済成長期みたいなところってさ、
例えば三種の神器みたいなさ、テレビと冷蔵庫と…あとなんだっけ?
あとなんか洗濯機かな?わかんないけど
なんかそういうものがあると幸せだみたいな
ロールモデル的なものがさすごく昔あったじゃないですか
家買った方がいいよねみたいな
家買って結婚して子供2人作ってっていうのが幸せな家庭だみたいな
そういうのって割とその頃の産業主義的な考え方に近いような気もしていて
なんか いわゆるなんかこうしておけば ok みたいなものを
にこうロールモデルだから使いやすいからみんなそれをこれこうすればいいんだみたいな風にやる やっていって何も考えなくなってそれをなんかみんなやってるみたいな状態だって
いや俺それで本当にお前ら幸せなのかみたいな そういうのを突きつけてるっていうような感じなのかなこの本自体は
三足の神器云々みたいのが1960年代半ばみたいですね
でこの本が1970年代前半
だからまぁまぁだいたい近しいですね
そうちょうどやっぱ60年代70年代っていうのがやっぱり高度経済成長期なんで
その頃なんですよねやっぱり
アメリカの場合あったら50年代40年代から50年代から60年代みたいなそれぐらいだと思うんですけど
リーチってアメリカの人でしたっけ?
イギチはどこの人なんだろう?
オーストリア、ヨーロッパの
ああ、ヨーロッパの人なんだ
文脈なのかな
ウィーン生まれの哲学者
でもなんか最終的なのか
結構アメリカで、ラテンアメリカで活動したらしいですね
アメリカでも活動してて
やっぱりアメリカの再活動で暮らすマイノリティの人のために いろいろ頑張ってたらしいですね
60年代のイリーチはメキシコとか その辺で活動してたんですね
ラテンアメリカ
だからその時代のアメリカの方で いろいろと
特に貧しい人たちに対して いろいろやってたっぽいですね
うん、うん、なんとなくその辺がわかる。 わかった上で聞くと、なるほどって感じかも。
いやでもね、結局、何が言いたいのかって話なんだけど、
自分で考えて自分で何かを作ったりとか、自分で何かを決めて行動するっていうのが、できなくなってしまっているっていうのが良くない状態だってこの人たちは言っていて、基本的に。
それをさせているのが、その産業主義の時でいう機械だとか教育システムだとかそういうのだと言っているんですよね。
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それ自体が悪いというよりは、それが過剰になりすぎているというか、それに頼るというシステムが一回できてしまうと、
それがどんどんループが抜け出せなくなって 過剰になってしまうっていうのが多分どっかで起きるから
それを制限するシステムが必要だっていうのに このイリーチさんは言ってるんですよね
で だいぶイリーチさんの話ばっかりしてしまったんですけど
で その思想を元にした本でしたっけ?
そうそう その考え方を元にして 現代風に
じゃあ イリーチみたいな考え方を元に 未来っていうのも考えたほうがいいんじゃないのかっていうのを
さっきの番友情報モープロジェクトのチームの方たちは 基本的には考えていて
それが本当の未来のあるべき姿だと
で なんか面白いことに そのさっきの 例えば 万用情報モープロジェクトの研究室で使ってるっていうか
研究してるプロジェクトって ソフトロボティクスみたいな
いわゆるソフトロボティクスって 強くないわけですよ 柔らかいから
まず ソフトロボティクスって 何なんですか?
僕もね あんまりよく分かってないんですけど
なんか その柔らかい素材だとか
そういうものを使って
そうそうそう
じゃあ本当の意味でのソフトなんですか?
そう そう そう そう 本当の意味のソフト
本当の意味って 素材としてのソフトなんですか?
そうそう そう だから素材とかの研究もしてるらしいです
あー なるほど
それってやっぱり強くないわけじゃん
いわゆるバカバカこう車をぶっ壊すようなロボじゃないから
あー
だからロボティクスっていう意味では強い意味もあるんだけど
まあまあソフトっていう意味ではある意味なんかなんていい部分ももちろんあると思うんですよね なんか肌に優しいみたいなさ人間に優しいみたいないい部分もあるんだけどでもそういう意味では弱みもあって
なんかいいかちょうどいい感じのところに収まっているというか であと無線給電っていう話もさっきしたけど無線給電ってまだその研究的になかなかその
すごい膨大な電力を送るっていうのが難しいらしいんですね やっぱり
- うんうんうん
- だからその無線給電自体の研究もしてるんだけど
いかにその省電力でそのコンピューターだとかも そういうチップを動かすのかっていう研究もしてるらしいんですよ
- うん
- でそっちもだから強みもあるんだけど 無線で給電できるっていう
ただ大きなエネルギーはそこに送れないっていう 弱みもあるみたいな
45:01
ファブリケーションとかも3Dプリンターとかは自由にオンデマンドに作れるからすごいじゃんってなるんだけど
大量生産はできないみたいな
ちょうどこれもちょうどいい技術っていう寄せ集めなんじゃないかっていうことを話してて、尾形さんが
ちょうどいい技術の寄せ集め?
要はさっきで言うとそれが過剰になりすぎてしまうっていうのがよくないんじゃないかっていう話をしてたんだけど
ちょうど過剰になりすぎない、ちゃんと弱みもあるみたいな。
なるほどね。
そういう意味で、第一の分数入れ、第二の分数入れっていう話の中で言うと、
その間にあるような、ちょうどいい道具、技術みたいなところにあるんじゃないのかっていう研究をしてるような気がしてるみたいな話をしてて、
それは面白い話だなと思って。
技術的弱みがむしろいいみたいな、そういう感じ。
そうそうそうそう。
なんかそれがあることによって、ある意味の稼があるというか
制約になる
そうそうそう
緩い制約になるから、それが過剰を防止するんじゃないかみたいな
そうそうそう
それはなんか面白い話だなって思いましたね、聞いてて
ソフトロボティクスってあのラボットでしたっけ?
あれってソフトロボティクス的な感じなのかな?
どうなんですかね?
ソフトロボティクスって僕も正直ね、そんなに詳しくないんですね。
まあ、当たり前なんだけど。
まあでもなんか、この素材だとかの柔軟性とか柔らかさみたいなのもあるんだけど、
動きだとか、そういうもののしなやかさみたいな、
なんかそういうのも確か重要というか、研究対象にあるっていう話をしてた気がするな。
最近ラボットとか、猫の、なんだっけ、商品名忘れちゃったけど、猫のなんか尻尾が生えた、なんかこう、見た目クッションみたいななんか尻尾が動くような。
はいはいはいはいはい。
あれもそういう感じなのかな。
そうだ。あれもなんかちょっと話してた気がする。
本の中だったかもしれないですけど、
本の中でも、なんかその、小片さんと実際のその研究している方々、そのソフトロボティクスだとか無線球電みたいなものを、
そういう人と対談して、それが本の中に収録されてるんですけど、その中でも確か書いてあった気がするから、そのラボットみたいなやつ。
逆にiVoとかは、見た目すごいハードですもんね。 メカメカしいというか。
でもあれも頑張って、素材自体は硬いんだけど、 素早くな動きを再現しようっていうのを考えてるから、
ソフトロボティクスを考えている部分はあると思うんですね。
アイブとかも
見た目が固いとかそういうことじゃなくて どっちかというと そのしなやかな動きというか
でもなんか素材とかも重要なんじゃないかな やっぱり そういう意味では
素材も重要だし その人工筋肉みたいな しなやかな動きっていうのも研究してたりするし
48:04
ロボットに対するしなやかさを与えるっていう 研究なんじゃないかな やっぱり
ブロストンロボティックスでしたっけ?
なんかすごいリアルな動物っぽい動きする
最近なんか、雲台あたりに
雲台だっけ?あれどこ?
雲台あたりに最近買収されましたね
ソフトバンクが雲台に確か売った気がするな
そうなんだ
最近ね
まあああいう動きとかも
あれもだからそういう分野の研究も入ってるんでしょうね
なるほどね
ボストン ダイナミクスか ボストンロボティクスじゃないや
まあなんか難しいね バーって話しちゃったけど
これで伝わんのかな
なんか前提がわかってきたって感じ
いやでもね そういう本なんだよ やっぱり
いや本当にでもね、だからなんて言うんだろうな なんか基本的には、まあイリーチさんの考え方自体はやっぱり
本当に自分たちがその一人一人が個人がやりたいって思ってたことは何なのかってちゃんと考えようよってことと
それができる、本当に意味でそれが自由にできるって世の中にした方がいいよっていうのを言いたいんだと思うんですよねやっぱり
さっきのさ、大学の話でもそうじゃん、なんか。
大学行って、大学卒業してないと、なんか、新卒採用受けりませんみたいな。
そういうのってやっぱおかしいじゃんっていうようなことだと思うんですよね。
それってなんか、大学に行って学ぶっていうことが重要なんじゃなくて、卒業するっていうのが目的になってて、なんかおかしいじゃんみたいな。そういうことだと思うんですよね。
それってある意味、自分たちの自由が脅かされてるっていう意味でもあると思うんですよね。
本当は大学行かなくても勉強できて、その分野について詳しくなって、研究できるんだったら別にそれでもいいわけだし、企業はそれを採用するっていうのも全然あり得ると思うわけだから。
それができなくなってしまうっていう社会システムは良くないんじゃないのかっていうのが、いりいちさんが言ってるようなことで。
なるほどね。
そういう意味での本当の自分たちが創作活動だとか 幸せに生きるための自由っていうのをちゃんと勝ち取ろうっていうのが
そのイリーチさんが言いたかったことなのかなっていうふうに思いましたね
で、まあそのコンビヴィアルテクノロジーの方はそれを現代版に置き換えて
もうちょっと例えば最近で言うと イリーチさんも書いてるんですけど実はまた
環境問題とかもね、特に、イリーチさんの頃から予想されてて、最近はそれが当たり前になってきてしまったけど、社会的にも。
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環境を考えるってこと自体が。 そういうのも含めて、単純に自分という、自分というか人間ということだけを考えるんじゃなくて、
自然だとかっていうのもあるし インターネットみたいな情報技術だとかっていう部分もあるし
それと加えて物っていうのもあるから そういうのがそれぞれ生き生きとして
みんながちゃんと活動 いい感じに活動できてるっていう状態を目指さないといけないんじゃないの?って言ってるのが
このConvivial Technologyっていう本ですね
なるほど ついに 本題に入ってきたっていうか
問題に入ったんだけど、もうそれで終わりなんですよ。
なるほどね。
それ以上でもないっていうね、もう正直。
まあでも、イリーチさんはだいぶこうやっぱ、なんか先見性があるって言ったら、ちょっとなんか安直すぎるけど、言い方が。
だいぶこう、70年代から先を見据えてたんですね。
いやまあでも、環境問題に関しては確かにその時系があるんだけど、
あるんだけど、まあでもその頃から言われていた部分もあるし、日本だったら郊外みたいな問題とかもあったし。
まあやっぱり、なんていうの?その時代のことを考えてたんだけど、それってどの時代にも当てはまるんじゃないの?っていうのがあるのかもしれないね。
コンピューターとかもね、まあ最初はなんかインターネット、コンピューターとかって、まあパーソナルコンピューターか、パソコンって、
いわゆる大企業とか研究室の一つに部屋に入っている大きなコンピューターみたいなものが最初だったんだけど
それを使わなきゃいけないみたいな権限っていうか権威みたいなものがだんだんそこにできてしまって
それはおかしいだろうっていうのを 開放しようっていう流れがあって
で そこになんかその パソコンを作った人たちが 入り位置の考え方っていうのを取り入れながら
こういうのが必要だって言って パソコンを開発したっていう話があるんだけど
それもね だんだんじゃあ そのところは
じゃあ そういうのを勝ち取ろうってやって動いて 第一の分推理を超えて
みんなが使えるようになって よったーってなってきたんだけど
だんだんそれがまた過剰になって 第2の分水量を超えてるんじゃないかみたいな
そういうふうになりつつあるかもしれないっていう感じですよね
だからそこになかなか良い悪いっていう話はできないんだけど
過剰に依存しすぎないっていう世界のために
どう考えたらいいのかっていうののヒントになる本なのかな
コンビニアルテクノロジー時代は
難しいですね。そのなんていうか、とはいえ、全てをこう、
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中小化されているものを、カプセル化されているものの中身を全部理解しろっていうわけでもないですよね。
ある程度、程よい、いい塩梅の中小化具合というか、
車に乗っていたとして 車がどう動くかという仕組み全てを理解しないとダメだみたいな そういう話じゃないですよね
そうですね
でも一応 このコンビビアルテクノロジーの本の中で
尾形さんが書いている 「コンビビアルテクノロジーってどういうものだろう」という話も若干書いてあるんですけど
さっき言った分水嶺の中間にある ちょうどいい道具というのも重要なんだけど
例えば 自分自身が作れる道具 作る側と使う側っていうふうに 二分割するんじゃなくて
使う人自身もそれを主体性を持って 使いこなせたりとか 作り変えられるっていうこと
それも一つ重要なことで そういうものが コンビヴィアルテクノロジーになるんじゃないかって話とか
あとは手放せる
別にそれに対して これをやるためには これしかないみたいな状態になってしまうっていうのは良くないから
ある程度 そういう意味では だいたい可能性があるというか
そういうものがあると 使う人自身も自律性を持って そういうのに依存したいといられるってなかなか
そういうようなことは書いてあったかな
例えばさっきの一番最初の方に話した医療の話で言うとさ
じゃあ医者はどうしたらよかったのかみたいなところあると思うんですよね
いろんな病気が生まれるからそれに対して何とか対策しようとかさ
もっとちゃんと治そうみたいなことを研究し続けた結果ダメだったのかみたいなことを言われてしまうと
いやそんなことはないと思うんですけど
じゃあどうするべきかみたいなことを僕もちょっと考えてみたんだけど
まあ、やっぱりそこは、自分たちが研究して得た知識みたいなものを自分たちだけのものにするんじゃなくて、
ちゃんとその一般国民というか、他の人たちにもわかりやすく説明するだとか、そういう活動も重要だということなんじゃないかなというふうに思ったんですよね。
それとか、あとなんか医療で言うと、最近だと予防医療みたいなやつもあるけど、
ああいうのをちゃんと広めて伝えるってことも重要なんじゃないかってことだと思うんですよね。
なんかそれこそコロナのワクチンがこういう仕組みでこうだから、
こう、なんだろう、副反応もあるけど、
まあでも必要なものですよみたいな、
理解をちゃんと広めるみたいなそういう話?
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そう、まあそういうことだと思うんですよね。
なんかそこでさ、それを秘密にしてさ、
いやこれを打ったらいいですよみたいなことだけ言ってるっていうのはやっぱり良くない状態になっちゃう
まあそうなると右腕で5Gと通信するみたいなよくわかんない話になるってことで
なるほどね
っていうね
なかなか難しい
議論自体は難しい話だし、なんか僕もそのたくらむキャストを聞いて、小片さんの話とか聞いてたんですけど、
小片さん自身もなんかこう、本の中で、なんていうの?テクノロジーにも触れてるし、
あとデザインってことにも触れてるし、情報技術とかインターネットにも触れてるし、自然にも触れてるし、
人間というものに対しても触れてるから、あらゆるものを取り扱おうとしてて、テーマが広すぎるって言ってましたけど、尾形さん自身も。
だから、なかなか話したいことはいっぱいあるけど、伝えるのは難しい的なことは言ってたような気がするけど。
なんかね なかなかそういう どっちかっていうと 答えを与えるっていうよりも 視差を与えるっていう本なのかな
なんかでも そういう意味では 僕 ちょっと思ったんですけど
ある意味 ここにあんまり明確な答えがないわけですよ このコンビヴィアリテクノロジーっていうのは
で これって この本が持つ なんていうの 力っていうのに 依存させない仕組みになってるような気がしていて
なるほどね
ある種 この本自体も
メタ的にね
コンビビアリティを体現してるんじゃないかみたいな。
なるほどね。
まあでも確かに。
いい意味で言ってますけどね。
これがコンビビアルだって言っちゃうと、
これがコンビビアルなんだで終わっちゃいますからね。
そうそうそう。
で、なんかね、それを権威が持ち始めて、
お前はこれを読んでるのか、読んでないのかみたいなので、
ステータスが決まってみたいな。
まあちょっと今極端に言ってますけど。
メタ的に捉われたらそうなのかもしれない。
そうそうそう。
なんかね、でもね、今まで話したのは、
僕、Eliteのコンビヴィアリティのための道具についても話してたから、
だいぶ広い話になってきちゃってるんだけど、
まあ、なんか、いわゆるデザインとかに限らずさ、
今の生き方っていうのもさ、割と自由な生き方みたいなのがさ、
どんどん増えてきてるような気もするじゃないですか。
なんか、副業するだとかさ。
個人に選択肢がよりあるみたいな意味での自由ですよね
ある人はロールモデルがないって 嘆く人もすごくいっぱいいるような気もするし
でもロールモデルっていうのも あった方がもちろんいいのかもしれないけど
自分たちで考えてどういうものがあったらいいのかっていうのを
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もうちょっと自分たちもそういうのを考えて勉強して
自分たちで作るっていうのをもっとやっていこうっていうのを 伊里市さんが言いたかったのかなっていう気もするんですよね
なんか元々 尾形さんがノートに たぶんその本が出る前に書いてた
「ちょうどいい道具」っていう記事を 去年あたり読んでたんですけど
やっとその「ちょうどいい」の「ちょうどいい」が 何なのかっていうのがちょっと分かった気もしますね
この記事は、コンビヴィアルテクノロジーの 元になる記事だと思うんですけど
まあなんかね、正直これは本当に難しい
内容としては、何が言いたいんだろうっていうのを ずっと読んでるような話だったんだけど
僕もだからそういう意味では、一回読んで なんとなく咀嚼して
その上でまたその元になったコンビヴィアリティのための道具っていう本も読んだりして
いろいろ尾形さんの話とかも聞いたりしてて
なんかようやくまたなんか
ああなんかどういうことが言いたかったんだろうなっていうのが
なんかわかってきたみたいな
なんかそういう視差を与える本だね
どっちかっていうと答えよりも
そうですね
じゃあ自分たちの仕事の置き換えてみようって思うとなかなか難しいですね。
そうだね。
まあでもなんか、
まあなんかでも、 昔を振り返ると、なんだろう。
例えば僕ら、クックパッドって会社にいましたけど、
なんかやっぱあれぐらいこうでかくなってプラットフォームになってくると、
やっぱどっかしらでそのユーザーを依存させてるっていう側面でてくるじゃないですか
あると思いますね
僕もやっぱもともと高校生ぐらいから料理を始め
中学かな中学かなから料理始めてもう高校生の時にはもう
クックパッドを何かしらもう見てた記憶があって
で大学生に入って一人ぐらい始めてからもう完全にクックパッド見ながら料理するってのが
もう染み付いた上で入社したんですけど
それってある意味
GooglePadsの特に人気準検索的な機能に依存してたなって思うんですよね
あとは別にGooglePadsだけじゃないけど
レシピというフォーマット自体に依存してたというか
なんか佐野さんとかはさ
よくレシピただ作ってるだけじゃんみたいなことよく言ってたよね
めちゃくちゃ言ってましたね
なんか、ちゃんとどうやって作ったらいいのかっていうのが、
なんか勉強できてないっていうかさ、
勉強っていうとあれだけどさ、
なんか自分の身になってないんじゃないのっていう話をよくしてたよね。
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うん。それこそ、僕が2017年の時に、
イギリスで佐野さんと一緒にやってた時があって、
ちょうどその話、タクラムのカンバラさんとイベントした時に話したことがあるんですけど、
その時一言目に言われたのが、人気準検索やめたいから、なんか考えてよっていうような話。
もっとちゃんと言うと、レシピを見なくても料理できるような状態で、何らかできないかっていう話はよくしていて、そういう課題感はずっとありますよね。
なんかね、だから、白ご飯.com っていうサイトがありますけど、
あれは、あれはいいよねって、よく佐野さんも言ってた気がするんですよね。
へぇ、そうなんだ。やっぱそうなんだ。
なんか、その単純、あれもレシピなんだけど、レシピサイトなんだけど、
ちゃんと、なんでこれをやるのかっていうのを説明してるし、
それが学べるようになってるっていうふうに確か言ってて。
なってますね。
そういうのが重要だって言ってたから、
そういう意味では、ちゃんと依存させない方向っていうのを、
佐野さんは考えてたのかもしれないですね。
ちゃんとその人たちに学ぶ権利じゃないけどさ、
想像性を与えるためにどうしたらいいのかっていう、ことを考えしたっていう意味で。
レシピもある意味、料理の過程を抽象化して、
なぜ紹興書を入れるのかみたいなのを 考えなくて済むようなフォーマットですもんね。
そのフォーマットに乗っけることによって、料理を、なんだろうな、
全く僕ら日本で育ってきた人間が、例えばいきなりイタリアンを作るとか、中華料理を作るとかっていうようなことも、
レシピっていうフォーマットによって簡単にできるわけだけど、
それによって なぜ証拠書を入れるのかとか 証拠書って何なのかとか 知らなくてもできちゃうっていうのは ある意味 レシピというものに依存しているっていうのはありますよね
そうね そういう意味では 案外サービスとかにもつながるのかもしれないですね そう 自分たちが今考えてるサービスとかっていうのにも
プラットフォーマーになればなるほど そういう考えは必要なのかもしれないですね
そうだね 最初の頃なんてね 一つの課題を解決しようと思ってやってたと思うんですよね やっぱり
だけど だんだんそれが「これ便利じゃん」ってみんながそれに対して使うようになって
依存のループが外れてしまって どっかでほころびが出てくるみたいな そういうところがあるんでしょうね
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まあ Facebook とか Google とかも まあやっぱり そういう 最近の流れはそういうところですよね
まあ Apple とかも
なんか フィルターバブル的なやつとかね
うん
なんか こっちの方がいいじゃん いいじゃんっていうかさ
みんな喜んで見てくれるじゃん って こう やり続けて突き詰めた結果
なんか 考え方が偏った人間を作ってしまったみたいな
うん まあそれで実際ね Facebook は訴訟されたり なんかね
そうそうそう
たくさん問題になってたわけだから
まあ だから そういう なんか やっぱり なんだろうな なんか 最近 こういうさ
デザインについて考えたつもりがさ 倫理的なことばっか考えてるようなことがよくあるんだけど 僕
ダークパターンもそうだけどさ
プライバシーポリシーみたいなものとかさ
なんか 最近
デザインについて考えてたつもりが
そういう なんていうんだろうな
倫理について考えるみたいなのが すごい増えてるような気がしますね
どうあるべきなのかっていうね
まあでもそういう世の中なのかもしれないですね
インクルシブデザインだとかさ
そういうのにアンプロも目を向けたりとか
そういうことをよくしてるし
そうですね プライバシーとか
まあそういう世の中なのかもしれないな
あと何でしたっけ
ヨーロッパのプライバシー関連の規制とかあるじゃないですか
ちょっと名前忘れちゃった
GDPR
うん
とかまあそういうようなね 実際ルールとしてそういうのができるっていう
最近の流れですもんね そうだね
っていうね、なかなか 案外重いテーマなんですけど
案外ってかもw 重いテーマなのかな
なんかね、そんなでも僕気楽に読めばいいかなって思いますけどね あの、いりんちさんの本はちょっと若干ね難しく書いてあるので
読みにくいので、僕が小ノートに貼る 要約のやつを読んでくれた方が多分いいと思うんですけど
その、コンビヴェルテクノロジーって本自体は、さっき、さっきてか一番最初に出口君も言ってくれたように
その、なんか本自体はすごく読みやすいので、軽い感じで、軽い気持ちで読めばいいと思うな
うん、うん
っていう話でした
やっとちょっとずつ輪郭が見えてきました。
そんな感じだと思う。僕もだって未だに捉えられてないから。
そんな感じだと思うよな。
長くなってしまいましたけど。
こんな感じで。
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1:09:03
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ということで今回はここまで。また次回お会いしましょう。さようなら。
さようなら。
(エンディング)