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[音楽]
こんにちは 自分でデザインする家事リストリセッターリストの山本香里です あの人の毎日は家事や暮らしをテーマにしたポッドキャスト番組です
今週も先週に引き続きゲストをお迎えしています 元アレッポ博物館客員研究員で
イブラワハイト発起人であり アラビア語日本語通訳者の山崎弥生さんです 弥生さんこんにちは
今日もよろしくお願いします 前回弥生さんの話を色々
過去のシリアとのつながりとかお仕事の話とか イブラワハイトのことを聞いていたら もうすごい楽しくてあっという間に時間になっちゃって
なんか全然生活とか暮らしの話までたどり着けませんでした そうですね 全然だして申し訳ない
全然全然大丈夫なんですけど はいなので今日はあのなかなかね皆さんシリアの暮らしって具体的に想像がつかないところあると思うので
その辺の違いとか良かったところとか面白かった話とかをちょっとエピソード交えながらできたらいいかなって思ってます
はい 当時私がシリアにいたのももう20年前なので
今とはまた全然違う状況だと思うし弥生さんが初めてシリアに渡られた頃からするとまたその時も全然違ったりするとは思うんですが
なんか一番最初に私があれって思ったのが休みが曜日が違う?
そうですね 後だったのでということなんですけど
金曜休み イスラム教のお休みが金曜日 曜日としてみんなが集まる日なのでお休みで
一応観光庁は金曜休み 日曜日から始める形になります
基本的に普通の商店とかは金曜だけ休んで土曜日から仕事を始めてますよね
学校とかは?
学校もないし金曜休みでということなんですけども
ただ娘が言っていたのは 今はもうムスリンもクリスチャンも一緒なんですけどもともとがクリスチャンの学校だったので
03:03
なのでいまだにその学校は日中が休みなんですよ
普通の小児校は金曜休みなんですけど
学校は土曜日行ってたっけ?普通の学校は
うちの娘も日曜日お休みだったはず だから一日だけ休んでた
なるほど
基本的に金曜お休みっていうのはそうですよね
だから日曜日が平日というか普通に平日ですよね
だからその感覚に最初なかなか慣れなくて 変な感じだったのは覚えてますけど
でもね 曜日が1日2日ずれだけの話なんですけども
休みの過ごし方が違いますよね
うちの主人は全然モスクとか行かない人だったんですけど
普通の人は金曜日はきちんとモスクで
私の前に家の近くにモスクがありましたけども
あの頃は結構車人口も増えていたので
ずっと駐車場なんかないのでね 家の前にずっと車があって
一番最後のレッスンの人ってこれだったら歩いて行った方がいいかみたいなこと言ってますけどね
そうそうそうでしたね
仕事の時間帯とかも当時夫が大学あれっぽ台の
なんだっけ丸風山に行ったっけ?
日本センターにね席を置かせてもらってたけど
昼過ぎぐらいまで仕事して帰ってた感じだったと思うんですけど
一般的にそうなんですか?
一応いわゆる観光庁の場合は
基本的に確か8時半始まりのはずなんですよ
8時半始まりって書いてあるはずなんですけど
8時半各時どっちかどう思いますか?
就業は3時なんですね
3時半?
はいって思います
もっと早く見ないと
私も大学の時にのどのどの始めてさっさと終わりという
そういう感じ?
はい
もっとのどのどの始めてさっさと終わりという
そんな感じでのどのどの始めて
来るのも遅いしだから書いてある学面通りには入らないという
06:00
ただし人は来ないけどもお役所空いてたりするんですよね
人いないのに空いてるじゃん
だから行けるけど進まないんですよね
確かに門番のおじちゃんとか
門を開ける人はいるんですよぴっちりだけど
仕事をまとめてくれる人たちがいないので
なかなかちょっと困りものですよねみたいな人も
12時ですか1時過ぎ?
1時半くらいになってみんなもうそわそわし始めて
これは明日にしようとか
そうですよねそういう感じですよね
2時くらいはもういないっていうイメージが
あったそれで皆さんお家に帰って
お昼というかそうですね
なので私最初にそわそわで
9時過ぎ9時半くらいに私は博士館に
研究員の時は行っていて
一応3時とは家2時に出るとしても
家に帰ってつくと3時じゃないですか
めっちゃお腹すくんですけども
みんな基本的に昼ご飯がメインなので
だから昼ご飯は家でみんなと家族と一緒に食べるのは基本
みんなお腹すかないのかなと思っていたら
いやいやちゃんとねみんなブランチみたいに食べてるんですよ
そうなんですか?
たぶんご主人も旦那さんも
大学でそういう経験が終わりだと思うんですけど
そうだな11時とか11時半から11時くらいの間に
フールって
そだまめの煮た
ペーストで煮た
おいしいやつ
なんて説明したらいいんですかね
なんて説明すればいいんだろう
あれとかあれは結構手が込んでるんですけど
食べなきゃいけないから
そういう意味ではオフィスにちゃんと電熱コンロみたいのが入ってた
ある必ずある
みんなまずお茶を貸しますね自分で
でそういうちょっとした調理もできちゃっていて
自分のオフィス机の一番でかい
引き出しがあって引き出しには調理用具一式が入ってたんですよ
そうなんだ知らなかった
ナイフとかもちゃんと入ってないです
包丁とは言えないけど
口ナイフみたいなのがあって
時間が来ると一番簡単なのはホンモスっていった
ひよこ豆のペーストを袋に入っているのを持ち込んでいて
それをジュジュジュってお皿も入っているので
お皿をそこから出して
こんなことしてたの
09:00
引き出しにはちゃんとオリーブオイルも入っていて
当たり前なんですもう常備品なので
それをジュジュジュって入れて
ホブスをちゃんと持って
ホブスっていうのはパンですよね
平たいパンですね
みんな持ち込んでいて
おもむろにそれを食べるわけです
そこは面白いです
おもてなし文化なので
やっぱりそれを自分でやりだすと
一人じゃ食べちゃいけないというか
一人で食べるのは恥なので
みんな呼ぶんですね
私もよくそれで呼ばれて
ホンモスとパンとお茶とか
あとちょっとしたトマトとか
トマトも入っているんですよ
トマトも?
トマトとイタリアンパセみたいな
みんな朝持ってきているんですよ
しかもお弁当じゃなくて
原材料が入っていて
おかしい
キュウリも入っていて
その時の財政状況でいろいろ違うんですけど
それとかチーズとか
チーズは保存用のチーズがちゃんとあって
引き出しはもうこれだけで
私だったら2週間くらい食べれるよねみたいな
本当に面白い
これをおしそわけに
やよいもこおいとりで
呼んでもらったりとか
そういうのが10時、11時くらいにあって
3時とかにお家帰って
家族で一番の日本でいう夕飯みたいに
食卓を家族で囲めますよね
その後ちょっとゆっくり
お昼寝じゃないけど
ちょっとゆっくりしてから
夜は夜で
別の仕事に出かける方も多かったと思うんですよね
だからかけ持ちで2つ3つやってる方が
結構当たり前の感じでしたよね
一つの食事量だけじゃ食っていけないと思ったんですけど
そういう意味では確かに昼間行ったら
寝てますとか
なんだみたいなと思うんですけど
やっぱりそれって
その後の仕事があるんでね
夜は夜で結構ね
お仕事遅くまでされたりもするので
10時とかそのくらいまでやってる人も
だんだんいたので
だからよく朝ちゃんと起きていけるよねみたいに
そのくらいハードワークの人もいましたね実際は
そうですよね
シリアはキリスト教徒の人と
イスラム教徒の人の割合って
どのくらいでしたかね当時
2割くらい?
2割くらいだったけど
12:00
もう少し少なかったかもしれないです
もう少し少ないと思います
ほぼほぼムスリムの方が多かったので
お酒はあんまり飲まない方が多いと
あんまりっていうか基本は飲まない方が多かったりもするから
夜も仕事ずっとやれるのかなとか思ってたんですけど
お酒の代わりに甘いものを大量に摂取しますよね
あとシリアって広いのであれなんですけど
私たちが暮らしていたアレッポは
中東っていうと砂漠とか
真夏みたいなイメージが強いんですけど
夏は当然めちゃめちゃ暑いんだけど
冬は冬で雪とか降りましたよね
そうですよね結構降りました
積もる時もありましたもんね
真っ白な時もあったからすごいびっくりして
結構夏と冬の気温差とか結構ある地域
ありましたね
四季はもちろんありますし
夏が長くていうのはあるんですけど
冬はみなさんちょっとピントこないかな
みたいな気がしますね
雪降ったらみんな
雪はさすがに降りますけども
積もるのは結構稀なので
積もるとみんなものすごいキキとして
大の大人がすごいお腹のボーンと出たおじょっちゃんが
生き玉作ってボーンと
関係ないおじさんになんで私がこんなことぶつけられるのみたいな
私何をとか思うと彼はいろんな人にぶつけている
ぶつけられた人はもちろん返す
あれ見ました?見ました?とか
現場は見てないけど想像つくっていう感じ
それってめっちゃおかしくって
ある時雪が積もった日に博物館に行ったら
門を入ったときガーンって来たんですよ
おいおいと思って見たら
博物館職員ほぼ全員が
博物館に庭があるんですけども
そこにみんな戦線を作っていて
雪合戦始まってた
ここら中から飛んでくるんですよ
キキとしてやってましたね
シリアのおじさんたち
可愛いんですよねお茶目で
パッと見たらすごいでかいひげを抱えていて
眉毛がすっごいぶっとくって
ちょっとイカツイ感じの人多いのに
目を見てみたら目は三日月目している
ニコニコしていて
子供をすごく大切にしてくれるし
私も娘を連れて行っていたので
15:02
まだ3つの時だったんですけど
連れて行くといきなりおじさんが寄ってきて
ブチューって返って
キスされたりして
おーって思ったんですけども
それって本当にとにかく可愛いから
可愛いだけじゃなくて
大事にしてくれる
子供も大事にしてくれるし
親の方も例えば子供を抱えて
荷物を抱えていたら持ってくれたりとか
自然に大きなおじさんだけじゃなくて
若い人もたいなく
下ごっこのなく
自然に手伝ってくれました
手伝ってくれたりとか
気を使ってくれたりとか
バスとかに乗っても
みんなサッと譲ってくれるじゃないですか
譲ってくれるし
私初めて多分
ヨーロッパから
シリアに飛んだ最初の飛行機の中で
シリアンエアだったと思うんですけど
乗ってる人たちが当然シリアンの人たちで
赤ちゃんが乗ってたんだけど
泣き出した赤ちゃんが
機内をてんてんとしたんですよ
みんなが抱っこさせてで
ぐるっと一周して帰ってきたの
隣か隣の隣にいた人なんだけど
泣き止んでて
赤ちゃんがすごいあちこち行ってると思って
みんなでなんかあやして
泣き止ませるみたいなのとか
高速バスとかでも何回かあって
お母さんも全然慌てないし
みんなで面倒見るみたいなのが
当たり前みたいなので
結構衝撃を受けて
それに慣れちゃってるから
悲しい話
日本に来たらみんな構ってくれないので
こんだけ荷物持ってて
階段しかないとことか
チリアだったら誰か来るのになぁとか思いながら
子供がちっちゃい時に日本に帰ってきた時は
悲しい思いをしたことがありますね
そうですよね
今もすごい満員電車に
赤ちゃん連れてみたいことが
いろいろね
だって仕方ないっていうか
子供がいるから社会が
回っていくわけなんだもんね
家にいるのにみたいなところがありますよね
子供だけじゃないですね
お年寄りに対しても手をのったりとか
あれはすごい素晴らしい
私と夫が道分かんなくて
地図をちょっとでも広げようものなら
18:02
どこにいたの?っていうぐらい人に囲まれて
いや俺が連れていくみたいな
連れてくれるみたいな
あれはあれですよ
来た方向と違うのに連れてくれるみたいな
ほとんどやってあげたいみたいなね
もうほんとそんな感じで
私たちが行った時って
9.11の半年後くらいなんですよ
そっか
だからイラクの方とかが
日々ニュースとかでやってる感じだったので
結構ね日本から行くと
心配されたりすることが多くて
まだSNSもなかったし
メールで連絡取ったりとかはしてたんだけど
なんかすごい心配する声ばっかりが届くし
なんかニュースで見ると
なんかさっきやゆうさんもおっしゃったみたいに
こうひげがあって
なんかこうちょっとね
怖いみたいな雰囲気の
おじさんたちがいっぱい映ってるから
そういう印象でニュース自体も怖いから
そういう印象になっちゃうけど
実際行ってみたら
お茶目なおじさんたちだらけで
みんな親切だしあったかいし
でなんかもうこのギャップをどう伝えよう
みたいな感じですごい思ってて
でなんかどうしてもやっぱ写真
私写真も好きなんですけど
写真に撮ってもそういう雰囲気って全然伝わらないし
そうですね
っていうのがすごいなんか私の中で
最初の年にあって
で今も
たまにね
イブラのイベントで飾っていただいたこともあるんですけど
シリアの日常を
イラストで描くっていうのを
やって
古典をシリアに行ったんだけど
データを姉に送ってかな
で日本でちょっと古典を
大阪と名古屋でさせていただいたことがあるんですけど
なんかその
本当のなんか
大阪さとかお茶目でおかしいおじさんたちの
様子とかね
そういうなんかエピソードも山ほどあるし
そういうところを知ってほしいなっていうのが
結構イラストを描くきっかけになったなって
今思ってます
でその優しいとかっていうのも
なんだろうな
なんて言えばいいんですかね
ちょっとエピソード一つ話していいですか
もちろんです
なんかねあの
ダマスカスに
地理を言うと
ダマスカスが南にあってアレッポが北にあります
これ最初の時間に言いましたけども
真ん中にホムスっていう町があります
大体そうですね
ダマスカスからアレッポまでがバスで
4時間半くらいかな
5時間ちょっといかないくらい
ホムスまでがダマスカスからだと
2時間ちょいくらいですね
ある時ダマスカスに用があって
ダマスカスでバスに乗って
21:00
アレッポに帰る時に
バスに乗っていたら
新庄舎の方が
数人来て
その頃の
軍賃は
ダマスカスからアレッポまでが
150ポンド
その頃の300円くらいだったんですね
その人たちは
今数人いるんだけども
4人だかなんか忘れましたけど
ホムスの間と100ポンドなんですけど
200円
ホムスまでしかないんだ
だけどアレッポまで乗せてくれないか
っていうふうに
談判してきたんですね
運転手さんが
いいよ乗れよみたいな感じで
乗らせて
横にいた女子の人が
でもそんなことしたら
会社に何て言えばいいんですか
って聞いたら
ホムスまで乗ったってことにしとけや
つって
だから要するに
個人の裁量で
その
その人たちの状況を見て
これはこうすれば
うまくいくっていう
ひょっとしたら日本だとそれは
規則を破って
おまかしているみたいな話になるのかもしれない
そうしなくて困ってる人が
目の前にいて
だったら何とか裁量を聞かせて
数ポンドの損ならばいいじゃん
俺が何とか言っとくよ
みたいなことを
会社に
っていうようなことをやってくる
だからそれで周りの乗客も
それ見てるわけですね
乗せて
乗せてやれよみたいな
みんなも言うわけですよ
当たり前じゃないかみたいな
そういう雰囲気っていうのが
お客さんたちもたくさんいて
そういった局面に
遭遇した時に
自分の裁量で
これは
やらなきゃいけないことがある
保護しなきゃいけないことがあるとか
そういうことをできる人たちなんです
優しくて
プラス
そういう意味での勇気が
すごいなと私は
今でもいろんなところでこの話をするんですけど
あの時は本当に人ときて
すごい人だなと
すごい人だなと
思いましたね
そうやって規則を
守ることよりも
勇気のいることですからね
守ってる方が
楽ですからね
そうなんですよ
あの時は思ったんですよ
マニュアル化されつつ
全世界だと思うんですけども
マニュアル化されることで
失われている
大事なことみたいな
そういう
自分の裁量で責任を持つけども
だけどそれは良いことなんだと
いうのは
24:01
はっきりしていることが
言い出せないでいる世界が今
作られていて
すごいそれは残念です
本当に実際に残念ですね
いや本当
そこで乗客のみんなが
同じ気持ちでいたっていうところが
本当にね
そうなんですよ
単に
運転手さんの裁量を
それとも一つ違うだろう
みたいに言う人が全くいないわけですよ
だってみんな
お金ないんだって分かってるから
じゃあみんな
その方がいいよねって思える
懐の深さだとか
だから
私24年
いることができたんだと
思う
本当はもっと生きていたかったです
そうやって
自分も
助けられている
っていう
部分がお互いにある
っていうところですよね
一方的にって言うよりも
そうですね
最終的には自分にも返ってきたり
自分で困った時に
助けてくれる状況があるわけで
確かに
そういうエピソード
本当あちこちに
シリアにいると
日常的に触れるようなことが
あったなって思います
そういう風な違いとかも
たくさんあったんですけど
ちょっとここから
具体的な
細かいところの
話を面白いので
していけたらなと思うんですけども
シリアにいて
一番最初にびっくりした
ことの一つに
お掃除の時に
家の中に水まいちゃうっていうのが
あって
かなり衝撃だったんですけど
そういう
作り
今聞いている方はどういうこと?って
思われると思います
そういえば
私の父も一回来た時に
水まいて掃除を始めると
水まみれみたいになって
食べそうになってました
向こうは石造り
石の床で
ホウキで掃くと
モウホウキも使うんですけども
そこに水をまいて
ホコリがすごく
間接災害なので
ホコリが見えないような
うっすらとした
ホコリが常にたまるので
まずは水をざっと
まいて
例えば、じゅうたんとかが
ひいてありますよ
一旦外して
全部床に水をまいて
それを
水切りの
スクイーズみたいな
で、かいていくんですよね
水かきって書いて
それでさらに
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上からもう一回雑巾掻きをして
終了と
水まくのに
各部屋に
排水口があるわけじゃないので
ある一棟で
大体一箇所に
大きな家って
二箇所くらいあるんですけども
一箇所あるので
そこまでいろんな部屋から
かき集めた水を
ざざざとかき集めて
排水させる
という
すごい不思議と思ったけど
わかったのが
ほこりも
ほこりというか
砂?パウダー状みたいな
感じなんですよね
だから
風が吹くと
入ってくるっていうか
普通に
ほうきでやったら
単に巻き上げるだけなので
まくが沈めて
向こうに
持っていくみたいな
あれをね
結構
いいダイエットなんですね
あれって
全部やったら結構
同僚なんですけど
あれを毎日
しかも2回する人もいたりするんですよね
そうなんですか
だって小田区さんなので
いろいろ
1回で普通は済むんですけども
やっぱ気になる
主婦の方なんかは
2回もまた子供たちが
散らかしちゃって
それは一部なんですけど
散らかったところだけなんですけども
あれでガガガガってやってるのってすごい
私も弥生さん家
遊びに行ったら
覚えてますか?
水まいてた時ありましたよ
覚えてる
で、あの
でもあれやるとすっきりするんですよ
なんかすっきり
心も晴れ晴れ
みたいになって
あれってみんな
お家のお母さんがやるんですか?
普通はね
基本的にやっていて
確かにお手伝いさん
お掃除専用の
お手伝いさんを雇ってる人もいますけども
基本は普通の家庭だと
主婦がやっている
主婦がやる
男の人はやらない?
男の人はね、滅多にしないですね
でもたまに
家とかは、日本ってベランダが広いじゃないですか
広い
夏になるとベランダで
お茶飲んだりしますよね
お客さんももちろんゲストルームもあるんですけども
夏になるとベランダに出して
いうのがゆうすみの気持ちがいいからね
なので
そうなると
いわゆる女性がやるんですけども
たまに
旦那さんがやっちゃうよ
ザザザってやってるのも
見かけたことがあります
女性がやってますよね
なるほど、なるほど
なんかほんと
家の作りとかも
30:01
間取りが、家の大きさにもよると思うんですけど
人が集まった時も
やっぱ男性は男性だけ
女性は女性だけ
みたいな感じで
別れて過ごすことが
多いと思うので
なんか玄関
なんか入って、なんかドアがいっぱいついてるっていうか
なんかこううまく
いっぱいじゃないな
なんかうまく
隠して別部屋に行けるような
作りになってる家とかも
ありますね
なんて言うべきかいんだろう
そもそもなんか
まずは客間っていうのが
絶対ありますよ
客間っていうのがあって
そこにはお客さんがいないときは
誰でも使うんですけど
子供入れちゃうとごちゃごちゃにしちゃうので
だから
あの
客間は客間であって
それで他の
今というか
今は子供出しとか女性出しとか
そういう感じで
全部の
家ではないんですけども
やっぱり女性は誰だけ
お客さんが来た場合は
女性がパッと出るんじゃなくて
っていうのがあって
男性がある家に行って
男性さんを
訪ねる場合
最初に誰が出てくるか分からないから
まずドアを開ける前に
やらやらって言うんですよ
そしたら女性が
ドドドッと中に入って
男性さんが出てきて
ドアを開けると
で、お客さんが入れると
女性は
最初に顔を見せないみたいなのがある
場合もあります
そうじゃない場合もあります
だからなんか
呼ばれて遊びに行くと
女性だけの部屋に
通されて
そっちに行くとみんな
もちろんピジャーブとかも取って
もう
おしゃべり大会ですよ
たまに
ご主人ならいいんですけど
たまに親戚が結構よく行くので
例えば自分の
旦那さんの
兄弟とかが
たまに用事があって来る
そしたら
部屋に来る前にやらやらって言って
そしたらピジャーブが
分かんないときはキャーとか言って
なんか
子供のズボンとかをかぶって
かぶって
(笑)
かぶって
とかいうこともありましたね
バッとかぶってどうぞ
どうぞって
隠してね
(笑)
そういうのもあったな
とにぎやかで楽しかった
別々にしているからといって
差別しているということではないですね
単にそれはね
単なるセパレーションであって
お互いの
世界があって
要件があるんですね
33:01
なので
イスラム世界では
女性が産むみたいな
そういう話ではなくて
社会批判としてあるんだよね
ありますあります
その辺をイスラムで分けちゃうと
ちょっと話が違うなって
私もいつも
うんうん
そうそうそう
そういう掃除の仕方があって
最初はびっくりしたっていうのと
あとなんか
お洗濯にまつわるとか
水問題
なんか断水が結構あって
あの頃はね
今はねどうなってるか
今はすごく結末ですけども
今というかそう
その後若干改善されたんですけど
基本的にやっぱし
あの
水は
そうですね
いわゆる水道水
フレッシュなのが
時間が限られていて
そのために夕方から断水っていうのは
特に夏場が多かったので
なのでみんな各家に
通常にタンクを持っていて
で時間が来るとそのタンクからの
あの水道の蛇口が
2つあって
タンクの方から出るやつと水道水が出る方があって
タンクの方も使ったりとか
それとかもう水を
フレッシュなのが出てる間に
いっぱいケットボトルに
そうそう
いっぱい入れて飲み水用には
置いとくとかそういうのはよくやりましたよね
そうそれそうそう
やゆいさんに教えてもらったのかもしれないけど
そうなんかだから水が出てる間に
洗濯して
料理用とか
飲み水用の水を
確保ペットボトルに確保して
でタンクに
水を十分貯めて
置いて
止まったらそっちに切り替えて
そうそうっていう形で
やってましたね
でなんか私住んでたところが5階
4階か5階だったから
そうするとまた水圧が
弱くなるから
なんか
私もう一人とっても
世話になったバナナさん
と
モーターを一緒に買いに行って
そのポンプから
吸い上げる
水を
取り付けてちょっとよくなったとか
そういう裏技がいろいろ
いろいろあるんですから
普通にぽんと借家に入ると
一番
安価なやり方でやってるので
そうなると断水後の水が
もうヒロヒロヒロしか出てない
だからすごくストレス溜まるんですけど
私もモーターをつけて以来
結構
全然こう違和感なく
だけどさすがに飲み水にするのは
やばいなっていう感じで
お茶を洗ってお風呂入ったりすると
それで十分だったり
そんな感じでしたよね
でも夏は本当に暑いので
昼間はね
洗濯物とか一瞬で
パリパリに乾いた記憶が
36:01
そうですそうです
洗濯機だと
断水がそうそう
日本だと結構
本当に断水されてるじゃないですか
向こうの洗濯機って
断水した
出てきた状態ってまだ結構
水分はある
そうかもしれない
最初に向こうで洗濯機使うとき
なんか絞れてないじゃんとか思ったんですけど
あれで正解で
さっと干せばすぐに乾くので
すぐ乾く
日本だとあれだと絶対乾かないなと思った
絞り具合で
そのぐらい湿度と乾燥が
それは都会の話で
白靴の時に
白靴で汚れたジーンズとかね
洗うんですけども
洗濯機なんかないので
手洗いしてですね
手洗いで
ジャバジャバって洗って
絞れないので
本当にさーっと水を通しただけで
絞らずに
ほくすんですよ
そしたら
ジーンズですよ
ジーンズが30分くらいで
ぺりんぺりんに乾いてるの
えーすごい
でも
だから
それを
何ていうか
クッキングをせずに
洗ってあった方が便利って言うんですけど
別に汗とか関係なくて
ほしておけば
乾くというか
ぺりってなって
ハピってなっていて
もうあれは
確かに私も最初の
白靴の時に衝撃
これはすごい
ということは私の肌はどうなっているのだ
と思いのきましたよ
本当ですよね
いやいやいや
暑さと乾燥は
夏はね
つい
日本の感覚で
最初に暑いから
風邪を通そうと思って
昼間窓開けちゃったら
家の中で私熱中症になっちゃって
倒れて
そうそうそう
昼間は開けちゃダメだって
って後で教えてもらって
夜になってから開けるんですね
そうなんですよ
日焼けを全部ね
真っ暗にするんですよね
そしたらひんやりして
それだと扇風機で
しのげるみたいなね
確かにそうなんです
熱風が入ってくるので
本当なんか
ドライヤーの風に当たっているような感じ
そうですね
しかも
かおりさんがいらっしゃった頃って
あるんですけど
その後に1回めっちゃ暑い夏が
2夏続いたことがあって
昼間の気温が
50度
くらいあって
夜になっても1度くらいしか下がらない時期が
3週間くらい続いた
夏があって
すごくつらくって
39:01
その時は
いくら日焼けを降ろしても
それこそ水を
撒いている床に
水がまだジョボジョボしているところに
座った方が気持ちがいいんですよ
っていう
2夏があったことがあります
あの時は本当に
お年寄りで亡くなった
くらい暑い
夏はありました
普通は
昼間は暑いけども
夕方になると
爽やかな風が吹いてきて
そうそうみんな
夕方
お散歩に出かけたりとかね
夜の公園がめちゃくちゃにぎわっているんですよね
子どもたちも
いっぱい遊んでいて夜遅くにね
その時間じゃないと遊べないですね
昼間出すとやっぱり
子ども危ないかもしれない
なんか本当に
靴の裏溶けるんじゃないかって思うくらいの
暑さだった
だからまあそういう意味で
昼間に寝るというのは
こういうのも含めて
冬はそれは
確かに
意味にはかなっていて
体力をね
温存するっていう意味もあるなって
セミジンの世界で
なんか旧約聖書が
神様が
世界を想像するときに
そして夕があり朝があった
第一日に
夕方から始まるんですよ
そうか
確かに本当だ
たぶん夕方から始まるんです
本当だ
そういう
そういう気候ですもんね
あのあたりもね
私なんか昔
ヘブライ語も今は
学んでいる先生が
そういうことをおっしゃっていて
夕方から始まるんですよね
確かに
いや面白い
なんか本当なんか
あっちにいるとそういう聖書の世界とか
なんか地続きで
そう
なんか意味がなく
ないですよねだから遺跡とか行っても
遺跡とかも
特別なところに行くというよりも
ちょっと遠出するときに行ったりすると
そういうなんかリリーフとかも
なんか
一軸とか昔から食べられてたものがあって
当たり前に市場に
並んでみたいな感じとか
なんか
いろんなことが
延長線上に私たちいるんだなっていうのも
なんかすごい
日本にいるとね
遠い世界の話みたいに思っちゃうけど
こっちにいるとなんか全部ちゃんと
繋がってるんだなっていうのを
思いましたねすごく
でもそれを言うなら
確かに遠いかもしれないけども
一緒に行った遺跡で
ダンチンシナインの遺跡で
リリーフに
ブドウとか
カラクサモン用
42:01
カラクサモン用って
私たちのところにも伝わっているわけで
確かに遠い世界かもしれないし
生活環境は
全然違うかもしれないけども
その一部には
私たちも
加わってるんですよね
ちゃんと伝わってきていたものが
ここにも今も根付いている
っていうことが
なかなかね
とは言ってもさすがに
私も何が日本にいて悲しいかというと
今日あそこの遺跡に行きたいな
って朝思ったら
ずっと行けるじゃないですか
それが行けないのが悲しいです
だから私はカラクサモン用で
会ったりカラクサモン用でなくても
本当にアレッポから
30分行かなくても
30分しなくても
ギザンチン時代の
教会宿に
さっと行けるじゃないですか
あの瞬間っていうのが
悲しいですね
私は山田
そういう意味ではちょっと遠いな
今現在
そうですね
本当に遺跡があんなに
身近なものとして
存在するっていうのが
本当に驚きだった
意識せずにね
そうそう
京都もそうですけども日本で
だけど
アレッポの街でも
スークに行けば
スークの一番下の
あの下は
ヘレニズム時代の
常理性というか
スークってみんな
スークって迷路ですよね
って思っていたんですけど
アレッポのスークはちゃんと
5番目城なので
5番目城はもともとは
今のいわゆる
イスラム時代というか
の下に
ヘレニズム時代に
作られた常理性
5番目が残ってその上に
できてるわけですよ
しかもその下におそらく
まだ発掘されていないんですけども
源泉の
街があるはずなんです
まだ一部
あれが残っていて
ヒッタイトという
その時の
碑文の
刻まれた石が
モスクの
今のモスクの壁に
ポンと一箇所だけ
はめ込んである
モスクを作った人はそれと知らずに
建設の時に掘ったんでしょうね
その時に石が出てきたから
とりあえず家ときに
入れてあるんですけども
それがまだ残っています
スークは今
影響を受けていないはずなので
残っていたり
あるいはアレポジョンの中で
同じ時代の
遺構がドイツ大によって
発見されたので
45:01
それも白書されているんですけども
なので
スークは確かに
有名
残念ながら随分破壊されていますけども
スークは有名だったんですが
その下にはもっと
いっぱい草状になって
昔の
町が眠っている
昔の町の上に建てられている
そうやってずっと
積み重なってきているんですね
うん
しかも町の
区画がそれの
に取っているわけなので
そういう風に
数千年なんて
ね
後院やの如し
いやー
もうこんな話を
聞いているとなんか私の悩みって
なんだって思っちゃう
なのでそういう時は
自分の家の下を
掘り下げて
本当にね
ちょっと
千年前に思いを
思いを果てながら
でもそのスークもねアレポのスークは
本当に
有名な場所だったわけですけれども
私がいた頃は
本当普通に買い物
とかにも行けたりとか
する感じでまだまだ
あのねあの
ダマスカスとかのスークと違って本当に
道が狭くて昔のまんまの
あの
それこそなんていうか
サイズ感というか場所によっては
本当人すれ違うのギリギリぐらいの
ところもあったり
ちょっとロバとね
ロバがなんかね荷物運んでたり
リアルにあるんだみたいな
そうそうそう
最初私もエロがありみたいなのも
今いましたけどね
私いた頃まだいましたし
なんかスイカ売りのおじさんがまだ
馬で売りに
いましたね
いましたね街の中で
はい
弥生さんとのお話が
ちょっと弾みすぎて
枠に収まりきれませんでしたので
今回の
あの人の毎日は
お話ししていただきありがとうございます
また次回続きをお送りしたいと思いますので
楽しみにしていてください
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募集していますので
よろしくお願いします
それではまた次回お会いしましょう
山本香里がお届けしました
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