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[音楽]
こんにちは 自分でデザインする家事リストリセッターリストの山本香里です
あの人の毎日は家事や暮らしをテーマにしたポッドキャスト番組です さて今日は新しいゲストの方をお迎えしています
元アレッポ博物館客員研究員 イブラワハイトホッキ人でありアラビア語日本語通訳者の山崎弥生さんです
弥生さんこんにちは 今日はよろしくお願いします
こちらこそよろしくお願い致します はいじゃあ早速弥生さんとね
私の出会いからちょっとお話を最初していきたいと思うんですけれども 実は私は2002年から2005年くらいまでの3年間を中東のシリアというところで
過ごしていたんですけれどもその時に出会ったのが弥生さんですね そうですね本当に運が悪かったですね
なになに そんなそんなもう
弥生さんはいつだっけさっき思い返していたらもう20年近く経っているという
出会ってからね そうそうなりました 本当だわ
そう私はねあの時は私は25歳でキャンポンしたんですよ
新婚ホヤホヤでしたよね確か 夫が博士論文を書くっていうので中東のシリアに行くっていうことになって
結婚して一緒についてたっていう感じだったんですけれども そこであの夫婦共々も右も左もアラビア語も全くわからない中で生活が始まって
でもとにかく困った時に何から何まで助けてくれたのが弥生弥生さん でもお助け隊もなんか変なやつばっかりで横きましたから申し訳なかったです
ね本当あの時はあの時初めてお会いした時でも20年くらい前なんですけどその頃 っても弥生さんはシリアにどのくらい
2002年の段階でということは2002年段階であれば1989年に行っているのでもうすでに12、3年経ってた頃ですね
そうですね 弥生さんはシリアの中ではアレッポにずっと住まわれてたんですか
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そうですずっとアレッポでした じゃあちょっとこれ聞いている方はアレッポって
何どこみたいな感じもあると思うんですけどシリアの簡単な簡単なというか位置関係とか ちょっと説明を補足してもらってもいいですか
なんて言えばいいんですかね口で言うのめんどくさいですね でもトルコとかだったらご存知でしょ
トルコの南にあるのが地図で言えば下にあるのがシリアなんですけども
でもダマスカスっていう首都は結構南の方にあってヨルダンに近い方なんですけどアレッポはどっちかというとトルコに近い
だから国境まで車で1時間くらいかな
ザーッと行っちゃえばそのくらいで行っちゃうような場所ですね
もちろんシリア全体そうなんですけど特にアレッポは昔からの地理的なつながりで
トルコ語じゃないんですよたまに語彙の中にトルコ起源の言葉が入ってたりするんですよね
面白いなと思いますだからダマスカスよりもさらになんかその傾向が強いなと
それはアレッポのアンミーヤとか?
そうですアンミーヤでね。本当にこれってずっとアラビア語だと思ったらトルコ語だったんだみたいなのもあります
もちろんフランス語も入っていてこれもフランス語だったんだみたいなのもありますけども
確かにそうかそうかやっぱ地理的なもので言語もかなり左右されて
もちろん基本アラビア語なんですけども多いがねたくさん入っている
でも80年代からシリアにいるっていうことだったんですけども
きっかけというかそもそものシリアに行った経緯というか
最初にご紹介した肩書もアレッポ博物館こともあるんですけども
そうですね。もともと考古学を勉強していたので
現地の調査には1回その前にイラクに行っているんですけども
やっぱ現地で何かをしないといけない。何かってもちろん研究なんですけどしなきゃいけないなということを本当に思っていて
最初はイラクに行こうと。ある奨学金をいただいてイラクに行こうかと思っていたら
まだその頃ってすごくもう皆さんこの戦争の名前をご存知ない人もいるかもしれないけど
イランイラク戦争というのがあってそれのもうほとんど終わりかけだったんですけども
まだ国の中ではちょっと混乱があるからちょっと避けた方がいいかもみたいな話を友人から聞いて
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なのでその隣にある私の研究対象的には同じエリアなので仕方ないからシリアに行こうと思ってシリアを選んだんですね
なるほど。だからもともと考古学をずっと研究されてきた
現地でしかも単にその調査で数ヶ月行くのではなくて現地でその考古学をどうしてやってるんだろうなみたいなちょっとそういう興味もあり
イラクに行った時に現場で若いワーカーとして働いていた人たちなんですけど
やっぱり手伝ってると興味はあくんだけどやっぱりその学問的にきちんと別に勉強していくわけでもないし
多分シリアでも他の友人から聞くとまだイマイチみたいなのがあったので
みたいな状況があるというのも聞いたのでそういうのも含めて土地にいてそこで勉強する
私の背景が日本人で調査隊じゃなくてそこに生活してる人間として考古学を学びたいなっていうのは
なるほど。当時弥生さんっておいくつだったんですか?
聞いてもいいの?逆再生しないでね。皆さん今の正解を止めてください
行った時、着いた時は31歳でした
そうか。自分的に今思ったら30代ってものすごい若いんですけど
その頃は今のがれたらこんなに年取ってしまったみたいに焦っていて
そういうのもあってわしわしでいったんですね
その時はそんなに長くいることになるとは思ってないって感じですか?
小学金っていうのは2年間で、2年間は忘れないのか土地勘とかもできるしとか思っていたんですね
でもやっぱり過ごしていくうちに2年とか年数じゃなくて
もっとここにいなきゃみたいな。いなきゃって言った方がいいというか
居心地がいいというか、そういうものが感じたので
だからこれはもう2年だけじゃなくて、なんとかして現地にいる格索しなきゃみたいな
そこから私が出会った時には13年くらい経っていて
その後ももちろんずっといらっしゃったわけですけども、今回の内戦というか
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なるまでトータルで
23年?
最後の1年は日本といったり来たりして
トータル最終的に出てきたのを比べていれば23年
その2年間はヨルダンで専門家の仕事をしたので
そうでしたね、ヨルダンにもいらっしゃった
なるほど、そう思うと、この番組は割と家事とか暮らしについてお話をする番組なんですけども
今回ね、弥生さんにお声掛けしたのはそうやって
今はちょっと大変な時期がずっと本当長く続いてはいるんですが
その前のというか、もちろんシリアにも人々の暮らしは当然あって
そこでのどんな日常があったのかなっていう話って
今なかなか語られる機会がちょっと減ってるのを私はそう思っていて
今日ちょっと弥生さんに、なんか懐かしい話とかも含めて
本当の暮らし、どんなだったのかなっていうのをちょっと聞けたらいいなと思って
お声掛けをしているっていう感じなんですけども
もうちょっと弥生さんのお仕事のこと聞いてもいいですか?先に
はい、どうぞどうぞ
そのずっと長い間、弥生さんはシリアでどんなお仕事をされていたのかなんですけども
私お会いした時はアレッポ博物館に勤務されていて
何度か博物館の中とかも見せていただいたりとかしたのを覚えている?
そうだそうだ、あの時はそうです
もちろん最初に行った時は、89年は小学院をいただいていたので
その後、小学院を切れた後は、ちびちバイトというか
若干のアレをしながら博物館の研究院ということでずっと席を置いていたので
その後、ちょっと切れた時期が、いろいろ事情があって
博物館の席が一旦なくなった時期があるんですけども
ちょうど香里さんがいらした時は、やっぱり在科のシニアバランティアというのがあって
それで博物館改革みたいな、そういうプロジェクトがあったので
それでシニアバランティアとして働きますみたいな、そういう時期だったんですよ
それで博物館にいたんです、その時は
なるほど、なるほど
そうです、だからその時に、私の主人も亡くなっちゃったんですけども、残念だから
その頃はまだ、彼も博物館の主任研究員だったんですけども
その当時、喧嘩してやめちゃってたんですよ
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だけども、なんか面白いんですよね、シニアの人って
それでも、喧嘩してる間には毎日、博物館に来てるこの人みたいな
その頃は彼はアレッポ大学の国学科の講師だったんですけども
学生連れて博物館に、それなりにコネがあるので、入れろ!みたいな感じで
学生連れて、私が整理している遺物なんかを見せて
現地抗議じゃないですけども、そういうことをするみたいなことをしていて
ちょうど、さっきシリア第2期で
学生たちとわやわややろうという時期が、私の第2期だったので
だから、博物館に来てくれる学生たちに物を見せて
ちょうど人海戦術、本当に手つかずの遺物がすごくたくさんあったので
学生さんに洗ってもらってね、土器がもう本当にくちゃくちゃになって
収蔵されている、あんまり収蔵状況が良くなかったので、それを整理していたんですけど
それを手伝ってもらって、仕分けして
仕分けすると覚えますよね、原文表になるので
洗ってもらって、干してもらって、本当に一番基本的な作業なんです
それをしながら、軸を張れるという、そういう時間を持てていました
ちなみに弥生さんが博物館で扱われていた遺物って
時期としてはいつぐらいのものになるんですか?
私の専門的には、今から6,000年から7,000年前のものなんですけれども
博物館はいろんな時期のものが収蔵されています
しかもあれって、1970年代に
ユーフラテスダーという沖縄のところにダムを作ることになって
そのダムのために、水没・水質の研究調査がすごくたくさん
各国体が参加して行われて
その時の遺物が持ち込まれたまま、もちろん研究はされているんですけども
一部研究対象にならなかったものとか、あるいは研究してその後置いていったものとか
というのがすごいたくさん収蔵されていて、ただしその収蔵状況が良くなっていった
なので、いろんな時期のものがあります
一番古いのは、いわゆる旧石器時代
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10万年以上のものもあれば
一番新しいのがイスラム紀の12、3世紀のもの
それは結構少なくて、ハレパンの時代に少なくて
私たちは扱ったのは、いわゆる戦士時代というものと
プラス、いわゆるオリエント文明みたいなことで
一括にされるような時期の遺物なんですね
そんなに貴重な金銀というのはなく
主に土器と石器と、そういうものを扱っていました
本当に博物館の中の収容しているものをたくさん
ゴロゴロ本当にたくさん置かれている場所を案内してもらったことをすごく覚えて
ありましたよね、私たち悪い癖で
広角なんか全く関係ないですよ、引きずり込むんですよ、どの沼に
時間の間隔とか思いを馳せる時間の間隔があまりにも桁が違いすぎて
もうなんか、なんていうの、夢みたいな感じだった
いろんな他にも遺跡とかも、一緒に連れて行ってもらったことも何回もあるし
私たちはすごいハイシャイでいるんですけど、夏の暑い時に連れて行って
きっとかわりさんとか、旦那さんとか、もうバテてるよとか
いやいやいや、でも、ひじんはさ、もうゴツゴツ、ここに何とかある、ここに何とかある
もういいよ、もう疲れてるじゃん
いやいやいや、あんな経験本当にできないようなところをたくさん連れて行ってもらって
現地の方が甘くて温かい紅茶を入れてくれて、お手伝いしてくれて
っていうのを何回も経験しているので、本当のシリアはああいうところにあるのになっていつも思ったり
熱い甘いお茶が、あれが原点だなって、本当にそうですね
気取ったカフェでもなく、ガラビーヤっていう長い子供?子供なんていうの?
ワンピースみたいな形のね、関東衣みたいなのを着たおじちゃんが
ベコベコになった夜間に入ってて、しかも火で煮つづけちゃって苦労を暮らしてるのでね
熱い時に、あんまり茶買いをって思うでしょうけど、すごくこれが美味しいんですよね
あれは本当にそうですね、お砂糖いっぱい入れて
半分がお砂糖みたいな、パホーアの状態になって熱くて辛いよね
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あれをすごく思い出します。あとはあれですね、その弥生さん自身も
アレッポ大学の高校学で講師もされていた時期もある。
そうですね、あの時に学生を連れてきて、まだ高校学科が立ち上がったばかりで
なかなか体制がまだきちんとできていなくて、私は高校学科実習みたいなやつ
なので博物館に来てもらうのも授業の一環だし、教室ではどういう風に図を作成するかとか
どういう形で写真は普通のスナップ写真じゃないんだよみたいな話とか
いわゆる実習を教えていました。日本では高校学科実習の劣等生だったら
私がこんなことをしていると思って、自分をせせら笑いながらやってたんですけど
弥生さんが日本に帰国されたきっかけは、やっぱりその今の内戦の始まりっていうこと?
最終的に引き払うことになったのをすべなんですけど、一番最後の頃は
いろんな問題があって、日本で若干しなきゃいけないことがあるかなと思っていたんですけど
まさかシリアに全然行けなくなるということは全然考えていなくて
行ったり来たりとか、もちろん向こうが米国で日本がなんか
みたいなそういう風に考えていた時期だったんですけども
残念ながら、しかも主人はその時に亡くなった、2012年に亡くなったんですけども
もし生きていれば、ひょっとしたらどうなったんでしょうね
あれが決定的ではあります
ただ、とはいえ私とシリアとの付き合いって、もちろん主人はすごく大きなファクターだったんですけども
それだけではないわけで、シリアの人たち、友人たちとか
主人の親戚というか周りの人たちっていうのは、私にとってはかけがえのない人たちなので
そのつながりは絶対切らないでおこうと
切らないでおこうとはなくて、私の一部なので
帰ってきても、全然感覚的には変わらずに、自分的には今でも過ごしています
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そうですよね、もちろん家族ですもんね
1点、誰かに話したんですけど、やっぱりシリアで20年以上生きていて
娘も小さい時に連れて行って、3歳の時に連れて行って
彼女もシリアの野菜とかご飯を食べて育っているわけですよね
私も20年間向こうのご飯を食べている
じゃあやっぱり私の血と肉となっているんですよね
だからあの土地の土で育った、土から養分を吸い上げて育った野菜とか
牧草を食べて育ったヒトジさんとか
全部私の血と肉となったはずなんですよ
血縁とか歴史的な背景とか全然別かもしれないけれども
私は、こんなに私の体を20年間支えてくれたっていうのは
もう私の血と肉となってるじゃんっていうふうに自負はしてます
そうですね
今、弥生さんが発起人を務めてというかスタートさせ立ち上げられた
「エブラワハイト」という活動があると思うんですけど
これの立ち上げの経緯をお話しいただいてもいいですか?
そんな状況で、私の中ではシリアは一部あるいはもう一部というか
基本の繊維として入っているので
現地で、今思っていれば、いわゆる紛争の初期だったんですけれども
2012年の末くらいかな
本当に生活がだんだん大変になってきているということを現地の人から聞いていて
しかも彼らは、いわゆる支援というと
食料をどんどん入れたりとか
そういうのを思い浮かべるかもしれない
でも、人は生きているっていうことは別に
物をもらって、OKってご飯を食べているのが生きているっていうことじゃないわけで
みんな今までちゃんとした仕事をしてやっていたのができなくなっている
だから、普通、仕事ってみんな「今日やらなかった」「やめようよ」みたいに思っちゃうんですけど
実はそれって、生きていることの一部なんですよね
それがなくなっているというか、できなくなっている状態があって
そういう意味で、お金もないけれども
生きている一部みたいなのが失われている状況を訴えてきていて
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一緒に何かやってくれないかということを
ある程度まで協力してくれれば、こっち側でも回していくという
そういう意味での「活動したいよね」みたいなことを持ちかけられ
私にできることはなんだろうと思って
特に女性の団体が、団体というか活躍した団体じゃなくて
そういうグループがいるんだけど、どういうグループかというと
手芸をやっているグループがいて
その人たちが「これなんとかならないか」「売れないか」とか
そういうようなことを言われて
じゃあそんな感じで、もちろん私一人で決めたわけではなく
実は私たちの強いブレインである塩知優子さんが
あるきっかけでお知り合いになって
それで彼女がまとめてくれたんですよ
「そういうのであればこういうふうにしましょう」って
ササササ企画を作ってくれて
1回「ユニクロのなんとか」というプロジェクトがあって
それにも申し込んで
「通れば1000万円」とかもらえるやつだったんですよ
最終選考まで残ったんですって
それも本当に塩知優子さんの力で
ものすごく企画が良かったみたいな
最終的には落ちちゃったんですけど
1000万円あったら私たちきっと
ろくなことに繋がらなかったかな
落ちた最初からダメ元ではあったんですけど
でも「よし復習戦だ」みたいな感じで
細々と現地の人とやりましょうと
その時は単に
あんまりすごくかっちり何を作ろうかってのは
わからなかったんですけども
塩知優子さんと話をしていて
昔の写真なんかもお見せしていて
昔の刺繍の写真があったんですね
それこそ主人がすごく好きだった
田舎の土屋草、石州の写真をいっぱい
昔撮ったんですけど
私の写真はハードディスクに入れて
向こうに置いたままにして持ってきてないんですよ
あれがあったよなっていうので
友人に聞いたらやっぱりあの頃
主人がアレッポに来ていた協力隊の方で
また例によって協力隊の女の子たち数人を
そそのおかしさです
自分の持っている写真をどうか撮ってくれって
撮らせたのがあって
それを協力隊の方のメールを探して
通信したらありますよって
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よかったっていただけますって言ったらいいですよって
その写真をもとにシュウシさんと
ディスカッションして、これすごく泥臭くて
すごくユニーク
だからこれで何とかしてみましょうか
みたいな感じで始めたんですね
すごく癖のある刺繍をやってもらって
それでそれをなんとか商品化して日本で売りましょうかっていう
話になっていてですね
これが最初ですね
これ立ち上げは何年でしたっけ?
2013年の5月ですね
そっか、そん時にもう8年?
8年くらい経ちますね
早いですけども、最初はまだ
それこそ1000万は消えてしまった
最初にトルコにいるグループの方たちに会いたい
というので行った時に
資本金を1000ドル持って行ったんです
その1000ドルの地の向こうで色んな人に会って
ちょっと困ってるみたいな感じで
600ドルが飛んでしまって
残りの400ドルでやるしかないという事になって
糸と針、本当にまさしく私たちの
忘れましたけど、イブラを針とと言いまして
糸と針
ごめんなさい、針と糸だ
という名前の団体というか活動っているんですけども
まさしく針と糸しか買えないくらいのお金を持って
お願いねと
というので始めたのが私たちの活動なんですね
やるのは最初
国外に出ている人もそうなんですけど
国内にまだ、今もちろん今でも一人とは住んでいるんですけども
国外で避難生活を送っている人たちも
対象的にやってもらおうということになっていて
ただ国内だと大きなものを作ると
検問に引っかかって、政府軍がいろんな各地に検問を作っていて
取られ、何て言いますかね
いろいろ言いがかりをつけられたりして
持ち物も取られるんですけども
製品も持っていたら取られちゃうかもしれないという風に
現地の人から聞いて
あんまり大きなものは食ってもらえないなみたいな感じで
しかも国内からなかなか送れる状態じゃなかったので
その人たちがたまに米ルートに出る人がいるので
その人たちに事をつけてもらうという段取りで
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あんまり大きなものじゃなくて
女性のハンドバッグにスポンと入るくらいの
封筒くらい、栄養袋くらいで入るくらいの
ものでないとダメだよねみたいな
最初は出だしとなった
オリジナルの刺繍は結構大きな
40×40くらいにも
もっと大きいのもあるんですけども
60くらいにもありますね
だけどもそんな大きなものは作れないし
なので刺繍の一部のモチーフだけを取って
20×20くらいの布の上にさせてもらって
それを畳んで、小さいスポットでバッグに入る
サイズで送ってもらうのが最初だった
その後国内からの移送が
国内の移送もできなくなったんですけども
最初はそんな感じで
ダマスカスにいるグループから送ってもらっていました
最初はどう転ぶか
来た布を布としてまずは売ったんです
100均の額に入れて
デコレーションというか
よきものとして売ったんですけども
それにも限界がありますからね
どうしようかなという感じだったんですけど
まずは出だしはとにかく送ってもらって
手元に着いたというだけが
もうなんかすごい自分たちが「来たー!」みたいな感じ
来た時にあるイベントを企画していたんですけど
なかなか来なくて
ゆきさんと2人で「まだ来ないよね、まだ来ない」
「来なかったら山崎さんが喋るというそういうので逃げましょう」
「煙巻きましょう」という私たちのキーワード
煙巻く
時代もドキドキしてたんですけど
ちょうどそのイベントの日の
イベントが夕方だったんですけども
3時ほど?
えーそんなに?
それでシューシュさんと「来た!今来た!今来た!」
めっちゃ大変だった
本当に心臓が飛び出るくらいの
様子をしました
そっか、そこから始まって
今は国内の方もですけど
国外で避難生活されている
国としては
トルコチーム、ヨルダンチーム
あとエジプトもいますね
レバノーもいるのかな?
レバノーはいないですね
今のところ捨てがないので
今も刺繍を送ってもらって
今度それを製品に今は別のものに仕立てたり
ポーチとか?
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ポーチの状態で来たんですか?
最初は小さいものを送ってもらって
こちらで若干加工して
ワッペンにしてみたり
ポーチの一部にしてみたりしてましたけども
国内からの話が
本当に悲しいストーリーがあるんですけども
別に多いので
国内からの搬出ができなくなって
国外のトルコチームに主に頼ることになって
トルコからですとある程度の大きいものであっても
大丈夫だし
トルコでは普通の生活ができるので
マーケットにもたくさんいろんな材料があるので
しかも私たちもこちらでやってるのがボランティアチームなので
みんなそれぞれの仕事があって
なかなか加工するということもあるので
時間を取らなきゃいけないということで
ましてや弥生さんはですね
普通人でいう弥生さんはそういうこと全然しない
なんとなく
仕事ダメダメ人間なので
他の方に頼るんですけど
他の方もすごく忙しいし
なんとか現地で完成してもらわなきゃいけないよね
という話があって
現地で
例えばそれをポーチにするなら
ポーチにしてもらいましょう
今はいろいろあるんですけども
いろんな形のものを
今現在やってるのは大人気のトートバッグがあるんですけども
それも現地で
最初はミシンを使うのも
下手くそだったんですね
普通の主婦なので
ミシンやったことがあるわよーくらいの人なので
仕上げがすごく下手くそだったりとか
糸がピョーンといったりとかね
いろいろ裏布をつけるときに
たるみがあったりとかいろいろしていたんですけども
今はすごくやっぱり慣れてきて
私たちもいっぱいNG出したので
それでも言い上がらずに
私たち本当に結構心脱に
これは売れないって言うんですね
でもそれって一番致命的な言葉で
売れなかったらこの活動はできないんだから
となると単に言い方変なんですけども
私たちヘルプじゃないんですよ
私たちが別に
私ご存知の手仕事ダメダメ人間が手伝えないんですよ
でも彼らには能力があるわけですよね
それは能力で発展するものだから
しかも生活に直結するので
これが売れないとなるとお金がないとなると
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彼らからは何でも真剣にやってくれるんですけども
さらに真剣に取り組んでいくっていうのもあってですね
とはいえNGを出しても
働いてくれたわけだから
私たち的には団体が小さいので
そんなに余裕はないんですけども
全部買い上げはしています
というのはなぜかというと
どんな企業でも研修実機ってあるじゃないですか
それだと思えばいいんだと思うんですね
そういう形で
普通の企業だと
これは買いませんとおっしゃるかもしれないんですけど
それ私たちは言えなくて
買いますと
何でも買うけどももっといいのを作ってねという
そういう基本姿勢で
どんどん
そうするととりあえず買ってくれるという安心感はあるので
いろんな失敗作もいっぱいあるんです
これ?これ?みたいなのが来たりとか
こう来たかみたいなのが来たりとか思うんですけど
でもこれ?みたいに思って
日本のイベントに出したら
これかわいいとか言って
逆に私たちの固定観念みたいなのがあって
それを逆に彼女らが打ち破ってくれていて
そうか日本だって私考えてみたら
日本で変な話と合うかな
それなりにいっぱい流通していて
それなりに私たちのうちから
益を得て有益なものなんですけど
それとは別に
物を買ったり使ったりする中で
これ面白いみたいなものを買いますよ
そういうチョイスを私たちが
実は忘れてたりすることがあるんです
毎日のルーティンの中で
ルーティン的に買ってるものではないものを
実は欲しかったりとか
あるいは面白いとか思ったりとか
っていうのって
私この活動を始めて初めて
そうか私たちの買い物って
単に買うという行動だけじゃないんだよなとか
そういう確かに品質はきっちり
向上してもらわなきゃいけないにもかかわらず
発想っていうのは違う発想を持ってたりするのが
それが単なる売り買いとかマーケティングとかのあたりの
必要なものだけを買う
それが基本なんですけども
それ以外のものが買い物には
要素としてあるんだなっていうのを
初めて気がつきました
バックグラウンド高校とか
一番まで石ころとか
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そういうものを扱っていた人はすごく大発見で
でもそれってまた合格の話に戻りますけども
その時に模様が書いてあるんですけども
なんであんなに普通にご飯食べるだけだったら
つけなくてもいいのに
なんでついてるわけ?みたいな話の原点にもなるんだろうな
というふうに思っています
確かに
イブランで描かれている刺繍のモチーフも
結構古いというか
昔のものからインスピレーションが得られている
モチーフとかも結構たくさんありますよね
私たちがティアマートって呼んでいる女神様
顔が女神で
体が蛇のモチーフがあるんですけども
実は今
ウィルフラテス川流域で
トルコ語だと
トルコ語かな?伝承かな?
シャーメランっていうふうに呼んでいて
そういう伝説があるんです
だから伝説的には数百年単位のものなんですけども
人面で体が獣というか動物であるとか
そういうのは古代オリエント的には
非常に古いんですよね
そういうモチーフの作り方というか
組み合わせ方ですね
香里さんも一緒に行ったかもしれないけど
アインダーラという遺跡行ったことありますか?
行きました
あそこでもレディ風を思い出していただければいいですけども
顔が女性で
体が
あれは何だったっけ?
羽の生えた動物だったのを覚えていらっしゃるかな?
私たちはスフィンクスと呼んでいるんですけども
ああいう類のものというのは
アインダーラですと紀元前の
8世紀とか9世紀とかそのあたりなんですけども
以前からもちろん
そういったモチーフはありまして
なので
人間と動物を組み合わせるというのは
ケンタウルスなんかもそうですけども
そういうのは
とても古いルーツを持つので
それも含めて
最初は
言い忘れましたけど
なんでそういう
野暮臭い
種種を選んだかというと
そういう背景がある形にも含めて
単に
物を作って売っているだけではなくて
シェリアというルーツみたいなのを
避難生活をしている人たち
いわゆる祖国が失われている状況の人たちに
もう一度
感じてもらう
避難になればいいなというのも
もちろん含めています
そうですね
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イブラワーハイトの商品は
今もコロナの関係で
イベントが予定通りできたりできなかったり
という時もあると思うんですけど
落ち着いている時は
イベント参加されて
販売があったり
オンラインショップもありますよね
はい、頑張って立ち上げました
数年前に一回やりかけたんですけど
続いてなくて
もう一回リニューアルして
去年からオンラインショップをやっています
そうですね
これもリンク貼っておくので
すごいかわいいものがたくさんあるので
ぜひ皆さん見ていただきたいなと思っています
私自身も
やよいさんから立ち上げるよって聞いた時に
ぜひ一緒にということで
ボランティアでお手伝いをしているんですけど
イブラワーハイトのキャラクター
ロゴはかおりさんに作っていただいて
あれが人気があって
友人はこれでTシャツ作ってよみたいな
私たちは現地の人が手を動かさなきゃって言っているんですけど
でもキャンペーン的にやりたいなという風に
一度はかおりさんにも話したんですけど
なかなかそれがまだ期待
イベントが今ないので
イベントの時にガンって売りたいなって思うんですけど
それもやってみたいなと思っています
私たちの趣旨は全然変わらないんですけど
キャンペーンの時にロゴを使わせてください
本当にかわいいです
針と糸っていう名前なので
針と糸でかおりさんを作ったロゴがあるんですけど
必要に応じてショップカードだったり
バンフレットだったりっていうのをサポートさせていただいている
めっちゃあかん気してるんだ
なぜかそういう路地関係がものすごいしっかりしていて
本当に私は周りの人に恵まれていて
しゅうちさんがガッチリマーケティングとか
価格設定とかそういうのを
私はちょっといい加減な価格設定をしたんですけど
ちゃんと計算して設定して
かおりさんはやっぱりあかん気がパワーアップで
ってかわたるとやっぱりいい加減なしなきゃ
やっぱりプロフェッショナルな
フレーバーがあるので
全然やっぱり違うと思います
やっぱり
なんていうんですかね
印象操作ができる
すごいですよね
悪い団体ですよね
でもね本当これはひとりに
やよいさんにみんな助けられてきたからとか
シリアの人に本当に優しく親切にされた経験を
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持っている人たちとかがやっぱり
なんとかしてできることで
手伝いたいと思ってしまう
なんかそういう魅力がやよいさんにも
シリアにもあるなって本当に思います
ありがとうございます
私それでも本当にシリアだと
みんなシリアに1回行った方は
すごく好きになって帰られるので
それも含めてですね
あんなにゆるい人たちって
世界中にどこにもいないんじゃないか
みたいな人たちなので
本当に
ちょっとなんか話を聞いていると
結構もう時間になって
そうなんですよ
全然予定してたところまで
何言ってない言ってない
やばいやばい
なのでちょっと今日は
この辺りまでにさせていただいて
また次回詳しくシリアの話を
見ていきたいなって思うんですけれども
でもバックグラウンドとか
イブラワーハイトのこととか
色々聞かせていただいて
ありがとうございます
何かやよいさんの方から
お知らせなどもしあればと思うんですけれども
そうですね
先ほどお話の中で話が決まったんですけども
ということで今イベントは若干
でも少しだけ戻ってきたんですよ
東京にいらっしゃる方ですと
アースガーデンとかアースデイとか
というのが代々木公園でありますね
今年のはもう終わってしまったんですけど
そういったイベントにも出ていますし
告知を大抵
Facebookのイブラワーハイトというページで
やっていますのでそちら見ていただいたり
あとネットショップですとか
またリンクを貼っていただけるということで
そこの辺りを見ていただいて
あと池袋の古代オリエント博物館でも
ミュージアムショップで若干
預かっていただいておりますし
他のそういう意味では
例えば大阪の民俗学博物館についたのですね
それから岡山の古代のオリエント美術館ですね
でもミュージアムショップで預かっていただいてますので
一部なんですけども
実際的に一部預かっていただいてますので
お近くにいらっしゃる方とか
あるいは機会がある方は
行っていただければいいなと思います
はいありがとうございます
じゃあFacebookの情報を発信しているサイトと
オンラインのショップのリンクなど
また概要欄に貼っておきますので
皆さんぜひぜひチェックしていただけたらと思います
よろしくお願いいたします
じゃあまた次回も引き続き
今度シリアでの暮らしの生活スタイルの違いとか
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家事のやり方とかも全然違うところとか
いっぱいあるので
その辺をリアルな話を
いっぱい聞いていきたいと思いますので
やよいさん今日はどうもありがとうございました
ありがとうございました
こちらもどんどん脱線して申し訳ない
大丈夫です
じゃあまた来週よろしくお願いします
よろしくお願いいたします
今回のあの人の毎日はここまでとなります
概要欄にお便りフォームをご用意しています
感想・質問・トークテーマなど
募集していますのでよろしくお願いします
それではまた次回お会いしましょう
山本香里がお届けしました
チャンネル登録よろしくお願いします