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犠牲の上にある日常、その中で私たちにできることとは?
2025-03-01 12:10

犠牲の上にある日常、その中で私たちにできることとは?

#はじめまして #日常 #日常の発信
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今日は、犠牲の上にある日常、その中で私たちにできることとは?、について話していこうと思います。
私たちが生きているだけで、何かの犠牲なしには成立しないこの世の中ですけども、これって案外一見当たり前だよね。そんなの当たり前じゃんって思っていることだと思うんですけど、
それの当たり前ってどういうことが当たり前なんだろうっていうのを、どれくらい皆さんが分かっているというか、どれくらい意識して生きているのかなっていうのをちょっと疑問に思ったっていうのと、
少ないかもしれないんですけど、この日常を生きている中で、犠牲を帰り見ないというか、犠牲の中でしか成立しないことのこの生、生きるっていうことに対して、
ちょっと罪悪感を持っている人ももしかしたらいるかもしれないんですよね。うわ、なんでだよみたいな。こんな私のためになんで犠牲なんか払ったんだよみたいな。
まあ、なんていうかね、そういう罪悪感を持っている人も中にいると思います。
プラスして、なんていうか、そもそもじゃあこの犠牲が出ないで生きるのは難しいから、じゃあどういう心持ちでどういう考えでこういう世の中、この世界を生きていったらいいのかなっていう人たちに向けてちょっと今日お話しできればなっていうふうに思います。
はい、じゃあまず、そもそももう生きること自体が犠牲を強いちゃってるよねっていうことなんですけど、これも多分皆さんわかってると思うんですけど、生きていく上で生物である以上というか動物である以上必ず必要になるのが食べるということになりますね。
これは言い換えれば、何かの犠牲なしでは生きていけないっていうことにもなってしまうんですよ。だからこそ、動物を食べちゃいけないよっていう考え方の方もいらっしゃると思うんですけど、植物も生き命があるっていう考え方になってしまえば、植物も食べられないでなるとなると、
じゃあ私たちは一体何を食べて生きていけばいいのかっていう。なので、私たちは命をいただいて生かされているというか、食べないと生きてはいけないので、こういう観点から言えば、犠牲なしでは生きていけないっていうふうにもなるのかなっていうふうに思います。
じゃあ食べなければいいのか、そういうふうに何かの命を奪わなければいいのかっていうことになると思うんですけど、極論、人間が人間である以上、自然の犠牲をしてしまっているのかなっていうふうに思うんですよ。
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今のこの暮らしというか、この文明が進んだ中で生きている私たちとしては、自然と共に生きなくなってしまった以上、ちょっとそれは難しいのかなというか、以前というとすごく前になってしまうんですけど、例えば縄文時代みたいな生き方を、例えば電気もないっていう生き方をしていた場合だと、
共に自然と共にあったというか、もう自然が左右していたというふうにはなると思うんですよ。その人の生活というか人生だったり、生きるっていうこと自体もまさにそうなのかなっていうふうには思うんですけど、今のこの時代は何でもね、その天候も読めるし、
夏でも涼しく生きられる、冬でも暖かく生きられる、これはある意味自然ではないよねっていうか、っていうふうにもなってしまうんですけど、人間が生きやすい生活をするっていうことは、むしろ自然に違反するということになってしまうので、ちょっと極論、これも極論になってしまうかもしれないんですけど、人間が滅べない限り地球のためにはならないのかなというか、邪魔でしかないのかということにはなってしまうんですね。
じゃあ人間がそもそもそういう犠牲、そういう破壊しかしてこない人間は邪魔なのかっていうことになってくると思うんですけど、これはちょっと考え方が違うのかなっていうふうには思ってます。
まあ持論になってしまうんですけど、これも解釈の問題にはなってくるのかなっていうふうに思います。
今までずっと言ってきた、じゃあ犠牲の上でしか成り立たないっていうこれを言い換えるとすると、他者、動物だったり環境だったり人ですよね、そういったものの存在をなくして全ての生き物は成り立たないっていうことになると思うんですよ。
これって、じゃあ例えば海の中にいるプランクトンから山の上でタヌキが魚を食べてうんちをする、これってもうまさに植物の循環なんですよね。
まさに、まどかまぎかで言う円環の断りというか、まさに生物のサイクルというか、周りに回ってるんですよね。犠牲という言い方ではなく回っているんですよね。循環する。
生き物というかもう生物はすべてこのシステムの中に存在するんですけど、そうなると命や自然は回り回るんですよね。回るんですよね。球体っていうかもう円なんですよ。
だから犠牲っていうと一方向の矢印になってしまうんですけど、循環の中で生物は成り立っているとなると、この犠牲っていう言葉はもしかしたら違う言葉なのかなっていうふうにはなるんですね。
なんでかというと回り回るからなんですね。一方向の犠牲という言葉では表しきれないんですよね。この世の中というかこの、例えば生物が生物でたる以上。
なのでまあ罪悪感を抱えなくていいよっていうふうにはなるんですけど、
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でもこの感じって普通に今のこの時代に生きてたら回っている感じってしないと思うんですよ。命が回ってきてるなーっていう感じ。
なんでかっていうとだってスーパーに行けばもう処理をされている食べ物しかないからなんですよね。まあそれが当たり前っていうか、
まあそれってすごくでも異常なんですよね。当たり前に思っていることが異常なんですよ。だからこそいやそんな感じないですよと、
ふうに思うと思うので、僕からちょっと案を2つ出していければと思います。
それっていうのはまず一つ目。感謝を示す。これに限るのかなっていうふうに思います。
本当に普段何気ないありがとうの中にその循環というか、生物としての回り回ってくるものがあるのかなっていうふうには思っています。
ちょっと僕が普段している感謝の示し方についてここでもご紹介できればなというふうに思うんですけど、
ご飯を食べる前に手を合わせていただきますって皆さん言うと思うんですけど、
僕はちょっといただきますを言う前にすごい儀礼をしていて、それっていうのもまず手を合わせて徒歩かめみためって言うんですね。
ちょっと解説させていただくと徒歩かめみためってなんぞやっていうことなんですけど、
これって神様やご先祖様に対して微笑んでくださいっていうお願いをする言葉なんですよね。
だからこそ何というか自分の存在って今だけじゃなくて過去から未来にそして今現在に関してつながっているここも回っているよねっていうことの感謝にはなってくるんですね。
その徒歩かめみためを言った後に心の中でもいいんですけど、ここまで命をつないでくださった先祖の方々、
生き物、生きとし生きるもの、そして環境にすべてに感謝を。
その後にここにあるすべてのものに感謝をして、最後に生きとし生きるもののすべてに笑顔と幸福を願っていただきます。
ありがとうございますって言ってご飯を食べるようにしてるんですね。
なかなかここまで急に感謝をしなさい、感謝をした方がいいですよって言ってもなかなか日常の中で難しいと思うので、
一つね、今日あったことだったり起きる前にありがとうございますっていうふうにご飯を食べるってなると、
より循環というか回り回っている中にいるんだなっていう感覚になれるのかなっていうふうに思うので、
ぜひこの感謝の習慣というか、これをつけるだけでもいろんな意味で自分って生きてていいんだというか、自己肯定化にもつながってくるのかなというふうに思います。
だけどここまで聞いてて、いやいやなんで気持ちの持ちようかよみたいな具体的な案を教えろよっていうふうになると思うので、
ちょっと一つだけ案を提示できればと思うんですけど、そのことに関してちょっとずるいかもしれないんですけど、
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私から一つ言えるのは、考え続けるということですね。
何だそれはっていう声が聞こえてくると思うんですけど、
一人一人が考えながら生きることもこれに尽きるかなっていうふうに思います。
他者に関して、他者っていうのは人だったり動物だったり自然だったり全てのものに関してなんですけど、
これはどうかな、これはどう思うかな、この声はどんなふうにつながっていくんだろうっていう自分の言動に関して、
想像し考え続けてできることをしていくっていうことになっていくのかなっていうふうに思いますね。
人なので考えることができると思うんですよ。
これを使って存分にどういうことができるんだろう、犠牲の上でしかもう私たちは生きられないんだっていうふうに思考を止めるんじゃなくて、
じゃあその上で生きられないんだったらどうすればいいんだろうかっていうような、
人としての最大の武器、この思考だったり想像力っていうのを使って生きていくっていうのが、
この罪悪感に苛まれない生き方っていうふうになるのかなっていうふうには僕は思います。
なのでちょっともし具体的な策が欲しいっていうのであれば、
じゃあどうしたらいいんだろうかっていうふうに考えていただけると、ちょっと心が軽くなるかなっていうふうに思いました。
じゃあまとめさせていただきます。
ちょっと物衰かもしれないんですけど、結局人生良い方に解釈した方がいきやすいのかなっていう結論にはなると思います。
意味づけをするのはあくまで自分なんで、さっきの犠牲の上でしか成り立たないっていうのも、
考え方を変えれば周り回っている循環の中で生きているっていうふうにはなると思うので、
そこをどういうふうに生きるっていうことを捉えるのかっていうことが、
一種の自分の心の安寧を図るというか、より良い生き方にはなるのかなっていうふうに思いましたね。
だからこそ少しでも幸せだなとか嬉しいだなっていう意味付けできた方が、人としても生きやすくなるのかなっていうふうに思いました。
皆さんはどう思いましたでしょうか。
今回ここで話した内容としては、私としては少しでも皆さんの心が軽くなると嬉しいなっていうふうに思っています。
こんな内容誰が聞くんだよっていうふうに思うかもしれないんですけど、
あくまでも少数派の方に対しての発信になってしまっていると思うので、
皆さんどうか、私もそういう考え方してたよっていう方がいたら、ぜひいいね押していただけると嬉しいです。
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今回は一緒になります。それじゃあまたね。
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