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どうもリハテツです。このラジオでは、うつ病給食中の自分が日々の気づきであったり、学びをお話ししています。
はい、ということで今日は、なぜ生きなきゃいけないのかを冷静に考えてみるというお話をしていきます。
今回の話はですね、ちょっとセンシティブな話で、ちょっとこのね、そういう生きるとか死ぬとか、そういうお話になりますので、
ちょっとそういうね、今聞く状態じゃないんだよ、心がね、そんな状態じゃありませんという方は、ちょっとね、まあ控えていただいた方がいいかなとは思います。
まあとは言ってでもですね、自分もこのうつになってですね、やはりこの本当にどん底の時っていうのは、
まあこの苦しみからね、もう早く解放されたいというか、もうなんでこう生きているんだみたいな、
もう死んだ方がマシなんじゃないかみたいな感じで、やはりこの自殺とかね、というところですかね、
実際そこまでに計画を立てるほどまではいかなかったんですけれども、
まあもう消えてなくなりたいみたいな形のね、死亡になったりとかっていうことがありました。
うつになるとやはりそういうね、死亡になってしまうっていうのがあったりするっていうのはね、
実際病気の影響っていうのはありますけれども、
まあ生きていく中でですね、やはりこう苦しみがあって、なんでこの苦しみを味わなきゃいけないのかなとか、
本当に生きている意味があるのかとか、まあそう悩む瞬間もあったりとかすると思います。
まあそのあたりですね、なんでね、苦しいのに生きなきゃいけないのかっていうのを、
ちょっと冷静になって考えてみるっていうところね。
僕もちょっとね、最近は調子が良くて、やはりこの冷静に苦しかった時のことをちょっと思い出しながら考えてみた結果をちょっとお話ししていきます。
まずね、大前提なんですけれども、苦しい人生において苦しみっていうのは当たり前というか、
生きているイコール苦しみだと思うんです。
これはね、仏教とかでそういう考えでね、なっていると思います。
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生きることは苦しみであると。
まあそれをね、その苦しみから抜け出していく方法を探っていくっていうのが仏教の教えになったりとかですけど、
まあそういうことを大前提とすると、やはり苦しみがあることは当たり前なんだろうなと。
仏教的に考えるとそういうことが言えるということなんです。
例えば苦しいのに生きなきゃいけないというのは、ある意味当たり前のこと。
生きていりゃそういう苦しみはあるよねっていうところになってくるんですよね。
これが大前提なんですね。
ただそれだと解決はしないというところで。
もうちょっと考えてみるんですけれども、
じゃあ苦しいっていうね、思いをしてまでも生きる意味ってあるのかというか。
生きる意味って何でしょうかって考えてみるんですね。
ちょっと難しい話なんですけど、ちょっと哲学的な感じなんですけれども。
生きる意味っていうのは果たしてあるのかっていうところ。
これを絶対的なこういう生きる意味はこうですっていうところって分かりますかねって。
多分分かんないと思うんですよ。
これはログジカル的にね、そういう論理的に考えていく中で、
これが生きる意味ですっていうのが、絶対的なものって答えが出せないと思うんです。
人それぞれですね、生き甲斐とかそういうものがあって、これぞ自分の生きる意味だって。
そういう作り出すことはできるとは思うんですけれども、
ある意味こういう数学的な感じで、生きるイコールこれですよみたいな、
絶対的な真理があるかっていうと、多分ないのかなと。
厳密に言うと、分からないのかな。
いろいろ考えていっても、多分そういう絶対的な答えが出るっていうのが分からないかなと。
強いて言えば、人それぞれいろんな生きる意味を探して見出しているだけなのかなと思うんです。
しかもっと考えてみて、その逆、死ぬ意味ってあるのかなっていうところですね。
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死んだらどうなるのかなとか、死にしまう意味って何なのかっていうところ。
これもどうですかね、絶対的な答えって分からないと思うんです。
死んでからどうなるのかなとか、そういういろいろ宗教的にいろいろ言われていることはありますけれども、
それって絶対そうって言い切れないんですよね。
死んだ人がどうなったかって、全員が全員分からないです。
臨時体験とかした方とかもいますけれども、それが本当かもしれないし、もしかしたら違うかもしれないっていうところ。
やっぱりそういう死ぬっていうこと自体も、絶対的なことって分からないんですよね。
だからこそ死ぬ意味もよく分からないみたいな感じになってくるんです。
そう考えると、やっぱり死ぬことも生きることもあまり意味がないことなんだろうなと思うんですね。
結果的にもう、じゃあ何なんだっていうところなんですよ。
生きる意味も死ぬ意味も多分絶対的なことも分からないし、多分ないんだろうなっていうところ。
生きている間に多分分からずに、絶対的なことが分からずにそのまま終えていくのかもしれないところ。
答えが分からないんですよね。
じゃあそうなったらどうしようかなって考えると、とりあえず生きてみるかっていうところになっていくんですね。
生きていれば多分そうやって何かしら、もしかしたらまた分かることがあるかもしれないですし、
またそういう生き甲斐とかっていうのが見つかるかもしれない。見つからないかもしれないですけど、
でもまあ死んだところとで、多分終わってしまったり、何も分からないまま終わるっていうのも、
なんかちょっと寂しいなというか。
なんか分からないところに飛び込んだところで、結局生きることに終わりが来てしまうので、
せっかくならまあ、とりあえず生きてみて、まあいろいろ何か試してみるかみたいな感じで、
僕はやっぱりそういうところに行き着いたんです。
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なのでこうね、本当に生きることが辛いっていう時って瞬間であると思うんです。
まあでもやっぱりその辛いっていうのが正直な話、
常にデフォルト、それが当たり前のことであって、そもそも生きる意味も死ぬ意味もないかもしれない。
だったらまあとりあえず生きてみて、なんか分かるところとか、
楽しく思うことを探していく。いつかきっと来るんだろうなと思いながら、
人生の最後で結局どうだったのかっていうところを考えられればいいのかなと思って、
僕はやっぱり辛くてもまあ生きるってことを選択した方がいいのかなと思って、
今回ねちょっとお話ししていきました。ちょっと難しい話ですけれども、
誰かちょっとね、今悩んでいる方に少し背中側を押せる、
ちょっとでも楽になるような考えになればいいかなと思ってお話しさせていただきました。
はい、ということでですね、こんな形でうつ病休職中の自分が日々の気づきであったり学びをお話ししています。
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それでは最後までお聞きいただきありがとうございました。