1. 静かな声の手記
  2. #38だれかのために、生きられ..
#38だれかのために、生きられなくなった
2026-01-09 05:45

#38だれかのために、生きられなくなった

今回の放送では、

「だれかのために、生きられなくなった」という言葉をきっかけに、

今の自分がどこを中心に生きているのかを、静かに見つめていきます。
これまで誰かの期待や想いを理由に生きてきたこと。

それが決して間違いではなかったこと。

そして同時に、自分の一部分の声だけを採用していた苦しさにも、

少しずつ気づいていったことをお話しします。
今は、誰かのために生きるよりも、

朝の空気やお茶の味といった小さな感覚を通して、

自分自身を丁寧に観察したい時期。
自分を生きることと、他者を大切にすることは、

本当は対立していないのかもしれない。

そんな視点から、

「生きる中心」を自分に戻すことの意味を、

やさしい言葉で分かち合う回です。

画像拝借元

⁠Unsplash⁠の⁠Neil Thomas⁠が撮影した写真

https://unsplash.com/ja/%E5%86%99%E7%9C%9F/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC-SIU1Glk6v5k
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:05
はい、今日のテーマは、誰かのために生きられなくなった。そんな言葉をきっかけに、今の自分の生きる中心について、少し立ち止まって考えてみたお話です。
家族に言われた言葉が、朝起きた時、心に引っかかっていました。
もう、誰かのために生きていないんだね。 その言葉を聞いて、確かにそうかもしれない、と思いました。
少し前までの僕は、好きな人のため、家族のため、期待してくれる人のため、応援してくれる人のため、生きる理由を外に置いていた気がします。
それ自体は決して悪いことじゃないし、大切な生き方だとも思います。
でも、その時の僕は、僕全体じゃなくて、僕の中の一部分の声だけを採用して、生きていたような気がするんです。
それがとても苦しかった。 だから今の僕は、誰かのために生きるよりも、自分を観察したいと思っています。
今日の朝の空気はどんな感じかな?とか、お茶が今日も美味しいな?とか、自分がどう感じて、どう変わっていくのかをちゃんと知りたいと思った。
もっと全部の僕を使って、生きてみたいなって。
はい、補足していこうと思うんですけど、その誰かのために生きられないって聞くと、
その僕個人な感覚なんですけど、なんかちょっと冷たいとか、愛がないとか、白状なんじゃないかなって、そんな風に僕は思っちゃったんですけど、
その、なんか、
その誰かのために生きるっていうことのなんというか、素晴らしいっていう価値観というか、その綺麗だなって思うたぶん心があるんだなと思うんですけど、
なんかただ、その見方、どこから見るかっていうことをちょっと意識したときに、
そのどこに中心点を置くかっていう話なのかなっていうのを思ったんですよね。
その、自分を生きることと、その他者を大切にすることって、なんかその、今までの僕だったら、そのちょっと対立というか、同じ戦場にいないような気がしたんですよね。
その、相反するというか、どっちも取れないみたいな感覚だったんですけど、
その、自分の感覚をその丁寧に感じたり、そのじっくり味わったりすること、
その自分の内側をちゃんと生きるっていうことが、その結果的に周りの人を大切にしたり、
思いやりたり、優しくできたり、っていうことにも繋がっていくのかなってふうには思ったんですよね。
03:01
だからその、なんか別軸にないっていうか、ちゃんと同じところにいたっていう感覚なんですかね。
なんていうか、だからこそその分けて考えるっていうよりかは、今はその僕の中では、
まだその観察をしたいというか、その、なんていうんですかね、道ながらというか、まあその一直線上の道じゃないですけど、
なんかその、1回中心が自分っていうその目線にこう戻ってきたっていうだけで、
その大切な人を大切に思ってないとか、その人たちのために生きてないっていうわけじゃなくて、
その、その人たちのその含めて、
僕がいるし、その人たちも多分僕がいることによって成り立っているっていう部分はあると思うので、
その、なんていうんですかね、こっちだけを考えていればいいとかではなく、その、
その人のために生きている部分もあるし、僕は僕で、
その今を楽しいなって思う部分があるっていう、その、どっちを、
まあどっちをっていうわけじゃないですけど、どこに注視して見てたかっていう感じですかね、なんか、
なんていうんですかね、なんかスクリーンに、例えばリンゴとブドウがあって、
そのすごいリンゴが大きく見えてたみたいな、本当はブドウもあったのに、リンゴのことにしか目が行ってなかったみたいな、
もともとそこにはあったはずなんですけど、だからこそなんか一歩引いてみえるというか、
そのもともとあったものを少し見えるようになってきたっていうことなのかなってふうに思いました。
だからその二元的などっちが良い悪いとかではないっていうお話です。もちろんその誰かのために生きるっていうことが、
その支えになっていたり、あの大きな生きる理由としてあるっていうのももちろん、
それはそれで、あのなんというか尊いというか、その僕が判断することはないと思うんですけど、
あの、はい、生きる理由としても、あの、まあ、はい、素晴らしいっていう、僕もちょっと判断してるんですよ、なんていうか、
それはそれであると思うので、あの、あなたが思う、その生きる理由というか、
あの、生きていきたいっていう思いを大切にしていただければなーっていうふうに思いました。
はい、じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
えー、誰かのために生きられない時期もちゃんと意味があります。
まずは自分を生きること、そこから生まれる優しさもきっとちゃんと誰かに届いていくんだと思います。
今日も無理のない場所で呼吸していきましょう。
それじゃあ、またね。
05:45

コメント

スクロール