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はい、今日のテーマは、共感・尊重・余白、優しさが知らないうちに過恋になってしまうことについての、少し立ち止まって考えてみるお話です。
このお話は、僕がAIさんとの会話の中で考えてきたことをまとめてもらったものです。
僕が一人で書いた文章というより、対話の中から立ち上がってきた言葉たちです。では、どうぞ。
最近、共感について考えることがあります。
共感って、暖かい、わかるよって言われると、確かに救われた気がします。
でも、その先に何が起きているんだろうって少しだけ立ち止まりたくなりました。
今の僕の中では、こんな風に整理しています。
共感は分かること。
尊重は分からなくても、そうなんだね、と言えること。
余白は同じでなくていい、とそのままにしておけること。
共感は人を近づけます。
でも、近づきすぎると知らないうちに境界線ができてしまうことがある。
優しさが優しさのままでいられなくなる瞬間です。
少し補足していければと思うんですけど、
社会的にというか、世界的にっていう、ちょっと大きいなと思うんですけど、
はっきりした教祖や教義がなくても起きてしまう救済の独占があるように感じていて、
ここに来れば安心だよとか、この人の言葉を聞けば大丈夫とか、
何か分かってもらえた感じがするって、どれも悪い言葉ではないと思うんですよ。
それ自体も良し悪しを決めるものではないと思うんですけど、
ただ問題というか、少し後味が悪いっていうか、
言葉の中身というよりかは、その構造に問題がある、問題というかちょっと懸念があるというか、
安心というか、生活とか体とか、自分自身のものとか感覚じゃなくなっちゃうというか、
特定の人とか場所だったり言葉とか考え方に集まりすぎると、
もうそこにいないと不安になっちゃうみたいな状態が生まれると思うんですよね。
あの人の言葉とかここにいないとどうしてもみたいな、それももちろんしょうがないというか、
心の支えの一部分としてはもちろん大切なものだと僕は思うんですけど、
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ただその共感が分かる人と分からない人を分け始めた時に、
それはその信仰の目っていうのが少し出てきているのかなと思っちゃったりするんですよね。
ただそれってしょうがないっていうと諦め感が出て、
家族とか地域とかそういう団体的な価値観というかその習慣が弱くなってしまって、
どうしても生きるとか死ぬとかその孤独とか不安っていうのを扱う場所っていうのがどうしても少なくなってしまったのかなと思ったんですよね。
どうしてもその宗教って怪しいとかいやそんなのねみたいな警戒をされてしまったりとか、
どうしてもその哲学っていうとまあ難しいなっていう感覚がどうしてもある部分があると思うんですよね。
なんかその間にそのぽっかりできてしまった空白というか、
今まで僕たち、僕たちって言うとちょっとあれですけどその日本の方々が大切にしてきたものとか習慣とかっていうものが、
前までだったら自然とその身についてきたものっていうのがどうしても今は感じづらくなってしまっている部分が多くあるのかなと思ってしまって、
だからこそなんかその空白を今はその言葉だったり声だったりその誰かで埋めようとしている部分があって、
だからこそどうしてもその救済救われるものっていうのがその集中しやすくなってしまっているというか、
淀みやすいというか、流れがあまり良くないなっていう感覚が僕はあるぞっていう感じなんですけど、
だからこそなんか僕がこういうふうに発信するとか書くっていう時に、
なんかその救われる場所っていうのを僕自身とか言葉そのものに置きたくないなというか、
まあそのなんていうか1個の通過点にしてほしいなっていう感覚があるんですよね。
そのあなた自身のところで各々で育てていってほしいっていうか、
自分の木を育てる栄養分にしてほしいなって思うんですよね。
だからこそなんかもう毎日聞かなくてもいいし、毎日読まなくてもいいし、むしろ忘れていってほしいなっていう部分があるんですよね。
だからこそなんかそんな余白をちゃんと残したいっていうか、
僕とあなたの間には透明なクッションがあるみたいな感覚を残したいんですよね。
だからこそなんかその仲間意識とか合言葉を使わないとか、
たまたまここを通ってそんなことあるんだみたいな感覚になってほしい。
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なってほしいっていうのもちょっと押し付けがましいですけど、なってくれたらいいなというか、
救済を独占しないっていうのは、ちゃんと戻り道があるような気がするんですよね。
帰ってもいいし、ここにいてもいいっていう。
ただそれを決めるのはあなただし、あなたが決めていいっていう、
こっち側に主導権を握らせないっていうんですかね。
あなたの主導権をあなたのまま握っていてほしいっていうような感覚があるよっていうことでした。
最後に一言言って終わろうと思います。
共感は大切です。
でも尊重と余白のない共感は優しさの顔をした囲いになることがあります。
答えを渡さなくていい。
生活へ、感覚へ戻していけばいい。
それぞれが自分の人生という畑を耕していきますように。
今日も言葉を少し離れた場所に置いておきましょう。
忘れてもらっても大丈夫なように。
今日の放送はここまでにしたいと思います。
それじゃあ、またね。