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会って何かをするわけじゃない。でも時をともにするだけで良いのかも
2025-03-05 10:23

会って何かをするわけじゃない。でも時をともにするだけで良いのかも

なんでもないことってそれだけで、生きてる理由になるのかもしれません。
#ざつだん #自分らしくいきる #ひとり語り #INFJ
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どうも、たてねこです。今日は、会って何かをするわけじゃない。でも、時をともにするだけで良いのかも、ということについてお話ししていければなーっていうふうに思います。
今していることだったり、何気なく過ごしていることに疑問を持っている人だったり、また、何で生きているんだろうな、意味なくない?に対する、私なりの一つのアンサーをお伝えできればなーっていうふうに今回は思います。
お伝えする内容に関して、根拠はあるのか?ということを言われたら、私の勘でしかないです。としか言いようがないんですけど、割りかし、結構当たることがあるので、聞いてやろうっていう方が、物好きな人がいたら、私のザレ事に少し耳を傾けていただければなーっていうふうに思います。
じゃあ始めていきます。
じゃあそもそも、生きている意味ってあるんだろうか?っていうことについてちょっと話していければなーっていうふうに思うんですけど。
本題から、答えから言うと、愛を感じるためなのかなーっていうのをちょっと思っていて、ありきたりすぎるかもしれないんですけど、
この愛っていうのが、大切な人に会うだったり、誰かのためになる、支え合う、お話をするっていうこの何気ないことというか、この愛って一人では絶対にできないことなんですよね。
誰かだったり、何かと時を共にすることっていうのが大前提なんです。
だからこそ、この愛イコール時を共にするっていう図式が完成するのかなーっていうふうに思っています。
この愛っていうのが、その一人では完成しないというか、愛はたった一人の世界だけでは存在しないものなのかなーとちょっと思っていて、
自分と他者、この他者っていうのは自分以外のものだったり人だったりすべてのことで、
この初めて、この自分と他者がいることによって初めて愛を感じるというか、この生まれてきてよかったなというか、生まれてきた意味っていうのをここで初めて感じるのかなーっていうふうに思いました。
一緒にいることだったり、自分と他者で時を共にするっていうことなんですけど、この時を共にするっていうこと自体、この愛を感じること自体が一長一短では感じられないのかなーっていうふうに思っていて、
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これも精神的に長い時間を共にするっていうことが必要不可欠なのかなーっていうふうに思っています。
で、先ほどその時を共にするイコール愛っていう図式が完成するっていうふうに言ったんですけど、ただ愛イコール○○っていう形では表現できないものなのかなーっていうふうに思っているので、
先ほど言ったイコールでは表しきれないというか、言葉では表しきれない可能性と力を愛は持っているのかなーっていうふうに思ったりします。
そもそもなんですけど、先ほど時を共にするイコール愛っていうふうに言ってた時を共にするって何ぞやっていうことになると思うんですけど、
その時を共にするっていうのは、先ほどもちょっと似たようなことを言ってたんですけど、精神的に繋がるっていう部分があるのかなーと思っていて、
その自分はある、いるんだけど、その自分と他者とのATフィールドが中和する時っていうのが精神的に繋がる時なのかなーっていうふうに思っています。
これだとちょっとふわっとしてるんで、具体をお話しできればと思うんですけど、
例えば一緒にお茶を飲んでいるとします。
これはお互いにリラックスできる関係性で、なおかつ対等でコミュニケーションの負荷が低い中っていうのが必須条件になると思うんですけど、
この2人がお茶を飲んでます。これって時を共にしてます。同じ時間を共有してます。
お互いがこの2人でお茶を飲んでいるっていう感覚を共有できた時、
これが何というか、自分と他者の境界がなくなった時が、時を共にしている時だと思うんですね。
この人と一緒にいる感というか、人じゃなくてもいいんですけど、この何かと共にしている感覚、
その我に帰る瞬間じゃないっていうのが、時を共にするっていうことなんだと思うんですよね。
だから何か特別なことをする必要はなくて、何かを作り出さなきゃとか、思い出に残らないといけないとかじゃなく、
本当にその瞬間というか、本当にその瞬間瞬間に感じるものだと思うんですよね。
この瞬間に感じることっていうのが、私たちが生まれてきた意味だったり、生まれてきた感覚だと思うんですよ。
なんですけど、今はこの感覚っていうのが感じにくいのかなっていうふうに思っていて、
それも現代の日本で生きている場合だと、日本の価値観だったり、
簡単に言うとお葬式だったりクリスマスがあったり、年始に年越し蕎麦を食べたり、
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年明けにはおせちを食べたりっていう、そういう日本での価値観だったり習慣習わしだったり、
儀礼だったりっていうのもあると思うんですけど、ある程度そういうのを共有していると思うんです。
なんですが、もうちょっと大きい視線というか、ちょっと引いた目線で見てみると、
資本主義っていう中でも私たちは生きていると思うんですよ。
その何かを作り出す、生産性をどんどん上げていかないといけない、売り上げを上げないといけない。
この空に橋を、橋っていうかまあ、はしごですね。
空にはしごをかける作業を延々としないといけない。
これが空にはしごをかけていくことが幸せなんだっていう考え方もあると思うんですよ。
そうなるとその何気ない瞬間だったりっていうのって感じにくいんですよね。
何もない時間がないと、愛を感じるってできないと思うんですよね。
でもそうなっちゃうと、ちょっと苦しいというか、
私たちが本来感じるために生まれてきたはずなのに、
それを叶えられない世界で、なんで生きてるんだろうっていうふうに思うのも、
無理はないかなって思ってしまいました。
ここまでちょっと批判してきたんですけど、
確かに感じにくい世の中なのかもしれないんですけど、
何かだったり誰かと時を共にすればいいのかなっていうふうに思ってます。
時を共にすればいいっていうか、感じることができたらいいのかなっていうふうに思ってます。
話が変わっちゃうんですけど、なんでそもそもこの話をしようかっていうことになったかというと、
最近会ってない家族に会いに行く意味って何なんだろうなっていうのをちょっと考えてたんですけど、
それって、
何もしないけど、さっき話した、
時を共にするために会いに行くのかなっていうふうにちょっと思ったんですよ。
何か話さないといけないとか、目的があるとか、
何かをしないといけないとかじゃなくて、ただそこに一緒にいるだけでいいというか、
本当に会って話をした、時を共にしたっていうか、このこと自体がすごく尊いことというか、
そういうことがあって、何気ない時に、そういえばみんなでああいうことしたなとか、
そういえば何もないけどお茶したなみたいなことを思い出すと思うんですよ。
そこにこそも、私たちが生まれてきた意味なのかなというか、
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そう、生まれてきてよかったなって思うことって、
何かそういう何気ないことというか、不意に何ていうか、そういえばあったなっていうようなことなのかなっていうふうに思いました。
なので何ていうか、その何気ないことの中に私たちが生きる意味っていうのが含まれているのかなっていうのを感じたので、
今回こういうことを撮らせていただきました。
なので何ていうか、一緒に何でもないようなことをこういうふうに話したことっていうか、
話さなくてもいいんですけど一緒にお茶をしたとか、こういうことが幸せなのかなっていうのはちょっと感じましたね。
なのでできればこういうね、あったなっていうのを増やしていくっていうのが、
私たちの生きる意味だったり、生まれてきてよかったなっていうことの証明というか、
意義になってくるのかなっていうふうに思いました。
はい、ちょっと長くなっちゃったんですけど、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それじゃ、またね。
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