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#136生きる意味、理由は先に立たず
2026-04-26 13:04

#136生きる意味、理由は先に立たず

本内容では、「生きる意味」と「生きる理由」の関係について、やさしく見つめ直しています。 人はどうしても意味や理由を求めてしまう存在であり、その自然な欲求を否定する必要はないと語られます。 しかし、生きる価値をすべて「意味」に委ねてしまうと、それが揺らいだときに自分自身も不安定になってしまう可能性があります。 だからこそ、意味を求めながらも、それだけに頼らない在り方が大切なのではないかと示されます。 言葉で説明できることだけでなく、風や命の気配のように、感じ取ることでしかわからないものもあるはずです。 花が咲くことに理由がいらないように、生きることもまた自然に起こる営みなのかもしれません。 意味や理由とどう向き合い、どう受け入れていくか――その過程そのものが、生きることなのだと静かに伝える内容となっています。 画像拝借元 ⁠Unsplash⁠の⁠Denise Jans⁠が撮影した写真の⁠Denise Jans⁠が撮影したイラスト素材 BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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はい、今日のテーマは、生きる意味、理由は先に立たず、ということについてお話ししていきます。
生きる理由を生きる意味に求めない。
意味を求めてしまうことって、どうしても僕たちはあると思うんですよね。 それっていうのもやっぱり
意味っていうか、そういう何か こういうことがあるんじゃないかっていうことを通して僕たちは世界を見ているし
生きていると思うんですよ。で、ただそういうふうにして 意味と呼ばれているものを通してでしか僕たちは生きていくことができない
っていうことなら どうかその意味を求めるっていうことを許してあげてほしいなというか
その意味を求めるっていうことに対してもう少し寛容的になってもいいんじゃないかなっていうのを 思ったんですよ
その 意味を
意味っていうかその意味なんてないって言う ことって簡単に言えるんですよ
その旗から見たら意味なんてないことなんて多々あるし その
究極というかその多分その頭だけで出した答えの中で 意味っていうものをじゃあ他者と共有するというかその生きる
意味っていうのを その意味があるかっていうのを
っていうのって究極的に多分意味がないっていう結論を出しちゃうんですよね頭の中だと だからこそなんかそういう意味を考えたりするし僕たちは
意味がないって思っててもやっぱ考えちゃったりすると思うんですよ しかも意味をやっぱり求めちゃうと思うんですよねもしょうがないっていうか
だってそうやって世界を見てるしそうやって僕たちは生きているからっていうか だからそうやって生きている僕たちは人として意味を通してしか生きられない生き物
だからこそ なんか
そこは許してほしいというかもう悩むことだって多いしもうそれで なんで生きているんだろうって意味を求めてしまうこともあるし理由を求めて
しまうこともあるけど だから
なんかその生きる理由っていうのをその生きる意味に求めない方が僕はいいのかなって 思ったんですよ
やたりしてもその生きる意味 って何だろうとか生きる意味ってあるんだろうかっていうことを考えてしまうことってある
と思うんですけど その
存在を証明したいというか認められたいとか確かめたいという気持ちももちろんあると思うん ですけど
でも なんていうかなんかその生きる意味っていうのを生きる理由にしない方がいいのかなって
いうか その生きる意味と生きる理由っていうのは別々に考えてもいいんじゃないかなっていうの
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ちょっと思ったりしたんですよ その
なんていうのかな生きる意味がある だから生きていい理由にしないっていうか生きる意味がなくたって生きる理由があっても
いいっていうかその いや同じことじゃんって思うかもしれんですけどもそういうつもりではなく
なんていうのかな その
生きる意味は別になかったとしても生きる理由はあっていいような気がしたんですよ どうしてもやっぱ意味を求めてしまうっていうのはすごいわかるしっていうか
意味を求めずにはいられないっていうのはわかるんですよね だったらきっとこの生きている理由っていうのもきっと求めて
しまうものというかもう求めちゃうんですよねきっと じゃあその
理由だって求める意味なんてないじゃないですかって言われたら なんかもうそれって生きること自体をすべて否定してはれてしまうというか
なんかもう 生きていなくて良くないかみたいなその生きていけなくなっちゃう気がするんですよね
だけど なんていうかその
じゃあ生きるっていうことをその 理由とか意味っていうものをすべて
にそのそういう言葉にすべて委ねてしまうっていうのは 僕はちょっと危険なんじゃないかなと思ったんですよ
その 頭で考えた理由とか意味っていうものにすべてを委ねてしまうっていうか僕たちは頭の
中だけで生きているわけではないのでもちろんその言葉にすることでコミュニケーション だったり各々の意思っていうのを交換しながらお互いに生きやすくなるためというか社会を
形成するためにもちろん必要だったりっていうのはいろんな意味で言葉っていうのは 必要なんですけど
ただ僕たちが生きるっていうことに関しては 生きるとか生きているっていうことに関して
はその言葉とか意味とか理由っていうその言葉の中だけで生きていない僕たちにとって は
そこだけに僕たちが生きるっていうことを説明させるのは難しいんじゃないかというか そこだけに生きるっていうことを生きる責任をすべてそこに移してしまうのはちょっと危険
すぎるんじゃないかっていう 超簡単に言うと
生きる理由っていうのはそういう言葉の中にはないような気がしたんですよ 生きる意味とか生きる理由っていうのはもちろん言葉にすることはできるし
その なんていうのかな
生きる意味とか生きる理由っていうのをこういうことだよねっていうのは説明すること とかその言葉として立てることっていうのはできるかもしれないけど
でもその言葉があって僕たちは生きているわけじゃないっていうか 理由とか意味があるから生きているわけじゃない
まず生きるっていうことがあってその後に勝手に僕たちは意味とか理由っていうのを立て ていることに過ぎないんじゃないかっていうか
だから 僕たちが生きる意味とか理由っていうのを求める前にどうしても僕たちは生きてしまうという
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か その
生きるっていうのは言葉よりもっと前にあるっていうか その意味とか理由とかってよりももっと前に生きるっていうことがある
だからこそ後から 生きてるっていうことをじゃあ言葉とか意味とかで説明しようっていうのはできるけど
でもそれって究極的に多分生きるっていうことを説明できてないし 生きるっていう意味とか理由にはなり得ない
まぁなる気もするけどそれっていうのは多分日々を生きていく上での そのなんていうのかな一つのその
なんていうのかなぁ 掛け軸みたいな感じっていうんですかねなんかそういう
標語みたいな僕はこういうふうに生きていきたいんだみたいなそういうその なんて言えばいいのかななんかその
そういうなんていうのかな なんか一種の
目標に過ぎないような気がしちゃうんですよ だから
あの僕今も考えてるというかもちろん求めてしまうし そういうものを欲しいっていうのもわかるんですよ意味とか理由っていうのが
だってそっちの方が安心するしなんか生きてていい感じがするんですよね だけど本当の意味でじゃあ僕たちが生きる意味とか生きる理由って何だろうかっていうのは
本当に後付けでしかないというか先に立たないんですよね 後悔のように先に立たない
なんでかっていうとどうしても僕たちは生きてしまうからというか もう生きるっていうことの後に意味とか理由とかが存在するんで
生きるっていうことの前に意味とか理由っていうのは存在しないと思うんですよ だから生きる意味とか理由っていうのは先に立たないのかなっていうの僕は思ったん
ですね だからそのちょっと重複するかもしれないんですけど
その生きる意味とか理由っていうのは言葉とか頭の中で考えたことなので 生きるっていうのはやっぱ体すべてを使って生きているっていうことだと僕は思うので
その頭の中だけで閉じ込めた生きるっていうことで生きていくっていうのはどうしても 狭くなってしまうとか
その生きている感覚がしなくなってしまうような気がするんですよね だからその生きるということをその言葉だけで肯定するんじゃなくて
その言葉以外で生きるっていうことも僕たちはやっぱしていかないといけないというか それが後々にはこういう意味だったんだなとかこういう理由があったんだ
かなっていうふうに繋がっていくような気がするというか 結局生きる意味とか理由って後付けでいいっていうか
その後々ついてくるもので僕はいいのかなと思うんですよ 今欲しいっていうのだったらちょっとそれは難しいかもしれないけど
なんかそういう言葉でも生きるし言葉以外のものでも並立として生きていく その
信じたりとか なんかそういう
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言葉以外でも生きるっていうことを認めていくというか許してあげるっていうだけで だいぶ僕たちは生きやすくなっていくんじゃないかなっていうのを持ったんですよ
でそれっていうのも その多分ですけどその見えないものを見ようとした時とか
その聞こえないものを聞こうとした時っていうんですかね まあすごい比喩表現になっちゃうんですけど
その風の音とか風の声とか風が踊る姿とか 命の音命の姿っていうのを
その感じようとした時その言葉以外言葉じゃ表せないようなことを僕たちは生きよう とした時というか感じようとした時にこういうことのために僕たちは生きてたんだとか
こういうことのために生きる理由があったんだみたいな なんか言葉の先にあるものの中に僕たちは本当の意味で人が生きる意味とか理由
っていうのはあるのかなっていうのを感じたというか その
なんか前にその 花花というか植物っていうのがまあ究極の生き物なんじゃないかなっていうの僕は感じたんです
けど なんかそれっていうのもきっと花ってその花が咲く理由とか意味を
いらないんですよね その季節が来たら咲くし季節が終わったら咲くもう散っていくっていう
そこの後に僕たちは勝手に綺麗だなとか美しいなとか名前をつけたりとか そういう花言葉があるよねこういう意味があるよねこういう理由があるよねっていう
風に勝手に僕たちはつけているだけで その
究極的には本当に あの理由とか意味を本当はいらないはずただ生きているっていうだけで
僕たちはきっと美しいと思っているはずなのにというか なんか本当に時間が経てばお腹が空くように自然なことのように僕たちは生きて
いるんですよね だからなんかそういう意味とか理由とかっていうものの領域にはないっていうか多分
生きるっていうことって なんかもっと勝手なものなのかもしれないというか生きるってすごく勝手なんですよ
なんていうか あの身勝手というか勝手というか
かそういうもしかしたら僕たちは生きる意味とか理由っていうのを整理された言葉 とか綺麗ごとって言ってちょっとあれですけど
なんかまとめられた言葉の中で求めようとするけど本当は生きる理由とか意味っていう のはもっと勝手なものだと僕は思ったんですよね
なんかそういう勝手なものをどう捉えるかというか どういうふうにその勝手なものと付き合っていくか
っていうことが生きる意味とか理由になっていくんじゃないかな なっていくというかまあた後から立っていくんじゃないかなっていうのを持ったんですよね
もちろんその頭の中に生きる意味っていうのはもちろん理由とかもあるかもしれない けどなんかそれだけで僕たちは生きているわけではないし
それだけの中だけで僕たちは生きる理由とか意味っていうのを求めているわけじゃない しその中だけで生きているわけじゃない
もうちょっと生きるっていうのは体全体 世界全体というか全てで僕たちは生きてるし生かされてるしっていうか
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個人で生きるっていうことは絶対にないので だからこそ言葉だけで立ち上がってきた
その一人の言葉っていうよりかはもっと全体性を持った言葉の中で僕たちは生きて いかないといけないというか
生きていかないっていういけないっていうか まあそういう中で多分僕たちは生きてるし生かされているんじゃないかなっていうか
だからこそ自分一人で まあもちろん生きる意味とか理由というのも立つことによって生きていけるっていうこともあるし
大切なことなんですけど ただ
その生きる意味とか理由がわからないっていうのはもしかするともう少し 大きい目線でというか生きる生きる生かされてるっていう中
もっと全体性を伴った中に生きる意味とか理由っていうのはあったりするのかなっていう ちょっと勝手なことを思ったという
はい今日この頃でした ここまで聞いてくださりありがとうございます
それじゃあまたね
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