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#134神という見方(神は在る)
2026-04-24 07:24

#134神という見方(神は在る)

本内容では、「同じ世界を見ているはずなのに、なぜ感じ方が違うのか」という疑問を出発点に、認識の在り方をやさしく見つめています。 人は言葉や経験、価値観といったフィルターを通して世界を理解しており、その違いが見え方や受け取り方の差を生んでいるのではないかと考察されます。 つまり、私たちは世界をそのまま見ているのではなく、それぞれの前提や解釈を重ねながら認識している存在なのかもしれません。 そこからさらに、「神」と呼ばれてきたものは、世界と自分の間にあり、見え方を形づくる何かではないかという視点が浮かび上がります。 それは特別な存在というよりも、すでに自分の中にある前提のようなものとして捉えられます。 自分は何を通して世界を見ているのか――そんな問いを静かに投げかける内容となっています。 画像拝借元 ⁠Unsplash⁠の⁠Matt Johnson⁠が撮影した写真の⁠Matt Johnson⁠が撮影したイラスト素材 BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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サマリー

本エピソードでは、同じ世界を見ていても感じ方が異なるのは、言葉や経験、価値観といったフィルターを通して世界を認識しているからだと考察します。そして、「神」とは、世界と自分との間に存在する、見え方を形作るフィルターのようなものではないかと提起します。これは特別な存在ではなく、私たち自身の前提として捉えられ、日本的な感覚では、神は固定されたものではなく、循環し変化していくものとして、世界を尊く見るための存在として捉えられているのではないかと結論づけています。

認識の違いとフィルターの存在
はい、今日のテーマは、神という見方、神は在る、ということについてお話ししていきます。
誰かと同じ景色を見たり、誰かと同じものを食べたりしているのに、感じ方が少し違うな、というのが誰しもあると思うんですけど、
それってその同じ言葉を聞いても、受け取り方が違ったりだとか、ということもあると思うんですね。
そういう時に不思議に思うんですけど、どうして同じ世界にいるのに、こんなにも見え方が違うんだろうっていうことを、
僕も思うし、多分きっと誰しもが思ったり考えたりしたことがあるんじゃないかなっていうのを思うんですけど、
なんか自分はいつも、何かを通して世界を見ているなっていう気がしたんですよね。
その言葉だったりとか、今まで僕が経験したりしたこととか、今まで触れた価値観とか大人とか、いろいろなものというか、
そういったものを通して、これはこういうことなんだっていう、あらゆるものに意味をつけながら世界を理解しているんじゃないかっていうふうに思ったんですね。
もしかしたら、自分は世界をそのまま見ているんじゃなくて、何かしらのフィルターを通して僕たちは見ているのかもしれないなっていうのを思ったんですよ。
それっていうのもちょっと詳しく述べると、人間はシンボリックシステムという象徴的な動物っていうふうに言われていて、
何か象徴的なものを通して僕たちは世界を理解しているっていう理論があるらしいんですね。
「神」というフィルターの考察
これを聞いた時に、あ、もしかして昔から神と呼ばれてきたものって、その世界と神と私っていうふうに、
なんか世界と私との間にあるフィルターのようなものなんじゃないかなっていうのを思ったんですよ。
なんか、そういう、なんか世界との間に何を通し、世界と私の間に何を、何のフィルターを通して世界を見るかによって、
その全然違った世界になってしまうんじゃないかっていうか、それって多分学問のようなものだなっていうのを思ったんですよ。
物理学的に見るのか、例えば宗教的に見るのかとか、はたまた量子力学的に世界を見るのかとか、
いろんな学問的なものから世界を見るっていう時に、それって神というフィルターを通して見ていることもあるんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
神様がいるとか、神様がいる、いないっていう話をしたいのではなく、
その世界を神様っていうものを通して見た時に神様はいるよね、いないよねっていう話になってくると思うんですよね。
だから神様はいる、いないんじゃなくて、多分あるんじゃないかなっていうか、
僕たちの世界を見る時の神様っていうフィルターを通して見ることによって神というものを存在させているというか、
多分行き過ぎてしまうと、一神教とかって言われている人たちっていうのは、
その世界と神様、僕たちが神様を通して世界を見ているっていうのじゃなくて、
多分ですけど、世界と神がイコールになっているから、
もう神が言うことは世界だし、世界っていうのは神だっていう風になるのかなっていうのを思ったんですよね。
日本的な神観念と循環する神
だからどういう風に僕たちは神様っていうのを見ているかというか、もちろん日本人的な考え方っていうか、
全てに神様が宿っているから、僕たちの中にも神様が宿ってるよねっていう見方ですると、
確かに世界イコール神様っていうイコールのように見えるけど、
ただその分私もイコールになっているんじゃないかなっていうか、
でも日本はより神様っていうのを固定せずに流れるものというか、
循環していっているもののようにも感じたんですよね。
固定されていないというか、絶対的なものとしてそこにずっといるわけじゃないっていうか、
だからこそ諸行無常という無というか、
その中で全ては変わってしまうけど、あるけどないっていうような形というか、
その中でどう僕たちは変わっていくものの中に儚さというか愛とかっていうのを見つつ、
そこに神様も宿っているんじゃないかっていうような、
なんていうのかな、より世界を尊く見るための存在なのかなっていう気もするんですよね、神様って。
こんなにも美しいんだっていう時に神様が祈るみたいな、
神様がそこにいるように感じるっていうような。
「神はある」という感覚
だから神様がいる、いないっていうよりかは、
神様ってあるんだっていうような感覚というか、
その言葉になる前の状態のようなことをもしかしたら神と呼んできたのかもしれないというか、
僕たちはそれこそも循環していくし変わっていくものだと僕は思うんですよ、
神様というもの自体も。
その、なんていうのかな、
たぶん絶対的な神様だよねって思ってるものって、
その場所というものにたぶん宿ってたりするから、
その移り変わりがしない絶対的なものとしていてくれてるみたいなような感じがするのかもしれないなというか、
だからいろいろな側面から神様を見る必要性があるなというか、
神社とかっていうのはその場所というかその場っていうものに何か領域展開的な神様がいるような気がするんですよね。
もっとそれ以上に日本を全体的に守っているようなっていうこともあるのかもしれないけど、
僕たちは神様っている、いないとか、信じてる、信じてないとかっていう次元ではなく、
もうある、神様はあるんだっていうような、
なんか、たぶん次元にいるからこそ日本の人っていうのはもしかしたら無宗教だよねみたいな、
神様なんか信じてないよねっていう風に感じているだけであって、
言葉にするとそう聞こえてしまうというか、
でも本当は、
もうある、神様はあるものって、あるものっていうかもうあるっていうか、
その大前提があるからこそ何か言葉にしてしまうとおかしくなってしまうというか、
あ、そういうもんじゃないよねっていう違和感があるからこそ、
神を信じていますかとか神様っていると思いますかっていうことに対して何かちょっと違和感を感じてしまうような気がしたんですよね。
だからたぶん、
信じてる信じてない以上にもしかしたら日本の方々っていうのは神様っていうのを、
もう、
なんていうのかな、もうあるよねっていう感覚に近しいのかなっていうのを感じたっていう、はい。
今日この頃でした。
エンディング
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
07:24

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