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はい、今日のテーマは、言葉で自分を決めた瞬間に、切り取られた自分になる気がする、ということについてお話ししていきます。
その前回というか、この前そのコップに入った水は、コップのことを水と思うのかっていうことについて話したと思うんですけど、
そのなんかそれっていうのも、なんか自分ってここからここまでが自分だよねっていうのをお話ししてたと思うんですけど、
まあそれがそのまあコップだけ、コップって自分とは限らないよねみたいな、ただそのそこに水っていう自分っていうものを表してくれてるっていう部分では、
お互いに相関的相関というか、まあお互いがいるからこそその水としていられるっていうか、そこに水が固定されているっていうふうに考えられるよねとも思ったんですね。
じゃあまたそこから含めて、じゃあ自分ってどこまでが自分で、どこからどこまでが自分じゃないと言い切れるんだろうかっていうことなんですけど、
そのじゃあなんて言えば自分なんだろうっていうことになるんですけど、そのこれってもうここからここまでが自分で、ここまでが自分ですっていうのって、
もうなんかそれ自体がその自分を、その全て自分のことを説明することっていうのも放棄してしまっているような気がしたんですね。
放棄してしまっているというか、全て自分、全部の全部の自分を説明することってできないんですよね。
そのもう言葉にした段階でも切り取ってしまうので、その切り取った部分でしか見えない自分っていうのを差し出すことしかできないというか、
その、まあどこからが川でここまでが川って言えないのと一緒で、なんかその、じゃあ川ってどこなのっていうか、じゃあ海ってどこなんだろうっていうふうになると思うんですけど、
ただでも、これってじゃあどうしたら伝わるのかとか、じゃあどうしたらいいのって話になると思うんですけど、ただこの、じゃあ言葉で説明しないとわかんないよねっていうことにもなると思うんですよ。
その、自分が体験したことを言葉を返せずとか何も返せずに、はい、わかったって言っても、まあ今の僕たちではわからないというか、その、なんていうのかな、その思念というか、
あの言葉として差し出さないとわからないっていう部分ではあるので、まあ言葉で差し出してもわからないっていうことが往々にしてあると思うんですけど、
その、なんていうか、
言葉にしようとしないと伝わらないけど、言葉にしようとすればするほど、それは例えば、物とか自分とかって説明する対象をどんどんどんどん切り分けていくことになってしまうというか、
まあその、言葉にした段階でも切り分けた断面図の方しか見られないような気がするんですよね。
まあ言い方とか考え方とか、その見せ方を変わればどっちの方向からその物自体を見るかっていうことは変わってくると思うんですけど、
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その全てを差し出すことというか、全てをその一瞬で映し出すというか、説明することっていうのはまあ不可能というか、まあできないんですよね。
だからこそ、本当の自分とか全ての自分というのを差し出すことはできない。
まあ説明することもできないしというか、その本当の自分とか全ての自分っていうのを、例えばじゃあ自分100%濃縮で伝えることはできないってことなんですけど、
ただ、じゃあこの自分っていうのってじゃあどこからどこまでが自分で言い切れないけど、じゃあどうしたらいいのってなると思うんですけど、
ただこの自分っていうのも関係の中で変わるというか、その…なんていうのかな?
その白があるから黒で文字を書けるし、黒い用紙には白い色じゃないと文字が書けないように、
例えば自分っていうものが黒くあったとしたら、その白い用紙、白い人がいないと自分っていうものが分からないっていうので、
お互いがお互いに関係し合ってるし、その中で自分というものが立ち上がってくるんですよ、関係の中でというか。
だからこそ、用紙とかペンとかっていう色とか物とかで見え方が変わる、自分というものの見え方が変わるので、
その伝えようとした段階で一部の自分しか差し出すことはできないけど、説明することはできないですけど、
それはそれであって一部の自分として差し出すことはできるというか、
だけど全てを差し出したいんですって思うかもしれないですけど、
でもなんかその全てを差し出せないけど自分っていうものを説明していくっていうこのもどかしさというか、
そういう愛おしさというか、なんかそのもどかしさとか愛おしさっていうのが、
もしかしたら僕たちが生きているっていう醍醐味なのかもしれないなというか、
100%自分の思ったことを伝えられないし、100%自分っていうものを伝えることはできない。
わかることも…もしかしたら難しいかもしれない。
だってその場その場で浮き上がってくるものというか、その水蒸気のようなものなんで。
だからこそなんかその全てはわからないけどわかりたいと思うこの気持ちというか、
だけどそのもどかしさがあるっていうこの愛おしさともどかしさのその相反するもの同士が、
あるよね。
あ、そういうもんだよね。
だよねっていうような感じていくというか、そういうふうに思って考えていきながらも僕たちは生きていくっていうことがもしかしたら生きるという喜びでもあるし、
あ、生きていくっていう手触りを感じる一部分でもあるのかなっていうのを思ったという。
はい、今日この頃でした。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それではまたね。