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はい、今日のテーマは、スマホで正解を検索しても、 『生きる』はわからない、というお話です。
よく、スマホで正解を検索することってあると思うんです。 今は、検索というよりかは、AIに聞いているということなのかもしれないけど、
その中で、どうしてもわからないことってあると思うんですよ。
意味を調べるとか、知識として入れるということは多分できると思うんですけど、
僕、唯一わからないことっていうのが、一つあるかなって思うんですよ。
やっぱそれが、生きるっていうことなのかなって思うんですよね。 どうしても、頭だけで正解を見つけようとするって、難しいのかなって思ったんですよね。
どうしても、検索して頭ではわかった気になると思うんですよ。
あ、こういうことなんだっていうのは頭がわかった。 でも、体はわかった気になってない気がするっていうか、
これって頭だけで生きているっていうことになるのかなって思ったんですよ。
でも、僕たちって頭だけで生きることってできないじゃないですか。
日常のほとんどの動作っていうか、本物のことって多分体でやってるんですよね。
なんですけど、僕たちは脳で生きてると思ってると思っちゃってて、
なんていうか、そういうちょっと感じがするなっていうことを感じたんですよ。
やっぱ体がないと生きていけないんですよね。首から上だけで生きていけないと思うんですよ。
生きるって多分そういうことだと僕は思うんですよ。
じゃあ脳以外使ってるかなって思ったら、運動してる人とか、感覚を使う人っていうのは使ってるのかなと思うんですよね。
で、これって、ただ言葉だけでは生きる意味はわからないっていうことなのかなって思ったんですよ。
言葉だけを使って、頭だけを使って生きるっていうことはわからないっていうか、
そういう中情的なこととか、生きるとか死ぬとかっていうことって言葉の外側にあるのかなって思ったんですよ。
頭だけだとやっぱわかんないんですよ。シミュレーションでしかできないからっていうか、
言葉だけじゃわかんないっていうか、言葉でもわかる部分もあるけどやっぱ不十分すぎる。
じゃあその体を動かせばいいのかとか、じゃあ体なんかやればいいんですかみたいな、
ただそういうことでは僕もないような気がしてるんですよ。
体を動かすっていうよりかは、体で感じるとか体で覚えるとか体で生きるっていうこと?
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頭で覚えることっていうのはもちろんできると思うんですよね。
知識として入れるとか、ただその体の動きとか体で覚えるっていうことに関しては、
頭ももちろん使ってるけど、たぶんあれって体に刻んでるんですよね、その記憶を。
その記憶っていうか感覚をっていうのかな?生きるを刻んでるっていうか、生きてるんだって感じてると思うんですよ僕は。
だから、頭だけで生きるっていうのは、どうしても脳が作った世界だけで生きることになってしまうような気がしたんですよね。
それだと体いらないじゃんってなっちゃうじゃないですか。
生きてる感覚がしないなって思っちゃったんですよね。
もちろん脳で考えたりするゲームとかするのってすごい楽しいんですけど、
脳だけだと生きてるって感じしないくない?
さっき言った感じるとか、覚えるとか、体で生きるっていうのを、
そういう体全身を使って初めて生きる意味とか生きることっていうのが見えてくるっていうか、
言葉じゃないところでわかるような気がする。
わかるっていうか、感じるっていうことに近いのかもしれないなって思ったんですよ。
生きるって、頭だけで生きてなくない?っていう感じ?
もっといろんなものに触れたりとか、
例えば土触ってみるとか、
いつも飲んでるお茶とかコーヒーとか紅茶があるなら、
匂いを嗅いでから飲んでみるとか、
そういう何気ないことなんですよね。
例えば今だったら春の季節の変わり目とかを嗅いでみるとか、
畑やってる人がいたらその土を掘り返してる匂いがするとか、
本当にそんなんでいいんですよね。
動かすっていうか使ってあげる?
もっと体いっぱいで生きるっていうことが必要なのかなって思ったんですよ。
頭だけじゃなくて、スマホで正解を求めるんじゃなくて、
正解っていうのもちょっと違うけど、
体で生きてるを感じるっていうか、
生きるってそうなんだみたいな、頭だけで生きられないじゃんっていうのを、
僕たちは改めて、
体に教えてあげるじゃないか、
そういう体感覚っていうのを、
もっと目いっぱい楽しんでもいいのかなっていうのを思ったんですよ。
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だからもっとたくさん触ったり聞いたりお話したり、
もっとたくさん体を使ってあげるっていうか、
もっと目いっぱい動かしてあげる?
そういうところから生きるっていうことだったり、
表裏一体ですけど、例えば死んでしまうっていうことをよりそこで感じたりとか、
そこから分かるっていうことなのかもしれないですね。
分かるっていうか、踏み落ちるみたいな感じなのかなと思って。
だからこそ、画面の中にもちろん正解はあるかもしれないけど、
だけど、多分僕たちが求めてるのはそこにないんですよね。
もっとこう…なんていうのかな?
味わうっていうところにあるような気がしたっていう。
今日この頃でした。
最後に一言言って終わろうと思います。
正解を求める気持ちも分かります。
ただ今日は少しの感じてみるに託してみませんか。
今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。