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2021-12-10 27:50

第101回【記念ゲスト回後編】我が子への言語教育の秘訣!さらにはニューヨークでの壮絶な救急活動とは!

100回記念最終章!!今回も、レイニー先生のアメリカ留学時代の親友 Mai Colvin(コルビン)さんをゲストにお招きしてお届けします!今回は、子どもの言語教育への向き合い方や医師としてのコロナ最前線下での苦悩とその後の人生の変化など、聞けば人生が変わるかもしれない貴重なお話をお届けします! 

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<制作> 
  出演:レイニー先生 
プロデューサー:富山真明 
制作:株式会社PitPa

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00:00
Hey, what's up? Thank you so much for coming by. Thank you so much for listening.
My name is Rainy and I'm your host.
みなさん、こんにちは。今日もレイニー先生の今日から役立つ英会話をお聞きくださってありがとうございます。
英会話スクールEnglish Partners代表のレイニーです。
さて、前回100回記念ということで、スペシャルゲストであり私の大親友であるマイ・コルフィンさんを迎えして
いろいろと過去の我々のエピソードをお話ししたわけですけれども、前回お話の途中で切らせていただいたので、今回は後半をお聞きいただければと思います。
まだ前半をお聞きになっていない方は、ぜひ第100回のエピソードを聞いてから、今回のエピソードをお聞きいただけたらと思います。
それでは始めていきましょう。
自分の気づいていないところでアメリカアナイズされている自分が多分いて、日本に帰ってきたら日本では受け入れられないっていうか、
この人、え?ってなることがあるんじゃないかみたいな心配があって、私日本で住めるかなって、それが心配です。
いやいや、これあれなんですよ。今次の話題に行くのにちょうど繋がるかなと思うんですけど、
マイさんはニューヨークで従業されていて、専門は何でしたっけ、マイさん。
専門は集中治療という専門で、多臓器不全で生命の危機に変した患者さんらを主にケアするのです。
それって英語でちなみに何て言うんですか。
Critical Care。
なるほど、なるほど。
専門としては呼吸器もやったので、呼吸器と集中治療の専門医ではあるのですが、今働いているのは主にICUとか集中治療室ですとか、
クリティカルケアのコンサルトという病棟に入院されている患者さんの病態が急変した時に安定させるお手伝いをするとか、そういったことをしています。
行っていることが想像ができないぐらい過酷だし、すごいことだと思うんですが、それを英語で全部やっているんですよね。
そうですね、でもただ私英語でしか逆にやったことがないので、医学の勉強を。
日本で同じことをしろって言われても、たぶんちょっとうまく逆に説明できないのかもしれません。
なるほど、なるほど。これまさにタイムリーと言いますか、マイさんはニューヨークに住んでいたので、このコロナが始まった時ですよね。
まさにニューヨークが最初ってものすごい患者数だったじゃないですか。
あの時の本当にニューヨークのど真ん中で重症患者の方たちのケアをされていたのが前だったんですよね。
そうですね。
やっぱりそこでいろいろ体感したこと、経験したことがきっかけで今に至るかと思うんですけれども、その時からの流れと今に至って、なんで今こう日本にちょっと帰ってきているかも含めてお話し聞いてもいいですか。
03:12
はい、皆さんご存知の通り、新型コロナの第一波がニューヨークを襲ったのは去年2020年の3月で、ピーク時はニューヨーク州だけで1日の死者が700人を超える日も、死者ですよ、が700人を超える日もあって、病院、そして町全体が本当に一時、非状態になりました。
自分自身が集中治療の専門医ということもあって、最前線でコロナと向き合うことになったのですが、最初の頃は新型コロナが一体どういうものなのかという情報すらもほぼないままに第一波に突入したので、本当に全てが手探りだったんですね。
その中にも毎日本当に大勢の患者さんが運ばれて、うちのキャパシティをすごい短期間で3倍にまで増やして、オペもすべてストップ、手術室もすべてICUに変えて、会議室も病棟に変えてという状態で対応したにも関わらず、それでも足りない。
自分がかかったらどうしようとか考えなかったわけじゃないんですけど、考えても誰かがやらなきゃいけないし、それは集中治療医としての使命というか、医師の使命というか、自分の目の前の患者さんを救えるように最善を尽くす、そのことに集中するようにしていて。
ただ、自分の中で一番辛かったのは、家に帰って自分の夫とか子供とかハグすることもできない状態で、家に帰って、自分がかかっているかもしれないので、すぐにはわからないので、お風呂に直行して出てきてもマスクをつけて、ある程度の距離を置いて関わるという感じだったので、
やっぱり子供たちも理解はしているようで、理解はできていない。なんでママ、自分と一緒に寝てくれないのとか。
当時は2人お子さんがいて、何歳と何歳でしたっけ?
当時は去年の段階では4歳と2歳で、一番下の子は妊娠してコロナ第一波、妊娠4ヶ月か5ヶ月かそんなぐらいでしたね。
なんかそのわからないですけど、一般的な考えとかだったら、妊娠中でそんなもうコロナの最前線でやるっていうこと自体考えられないって思っちゃうんですよ、一般人の私としては。
ましてやもうコロナがどういうふうに赤ちゃんに影響するかもわからない状態だったじゃないですか、当時。よく続けましたね。
06:04
母として、自分のお腹の子供を絶対に何としてでも守らなきゃいけないっていうのはあって、だからもうそのためには自分が何としてでもかからないようにっていうのはあって、
PPEって言って防護服とかを脱ぎ着するときにはすごい気をつけたり、ブレイクルームっていう看護師とか医者とかがちょっと休憩する部屋とかでも必ずマスクを外さないようにしていましたし、
駐車場から駐車場までは基本マスクを外さないような状態で、自分のオフィスにいるときだけ水分補給とかでマスクを取ることがあったけど、そんな感じで、
妊娠してたので、それは心配でしたけども、人手が足りなかったんですよ。ほんとに他の州からヘルプに来てもらっても足りないし、うちの同僚でも実際3分の1ぐらいコロナにかかって、コロナ2回かかると一線からちょっと離れて休まないといけない期間とかもあって、
それで、もともと少ない人で3倍のキャパシティを回して、他のかの先生をトレーニングしつつ、一緒に重症患者さんを見るというような状態だったので、私が妊娠しててかかるかもしれないので、と言って休める状況ではなくて。
【佐藤】当時のことって、それがどのぐらいの期間続いたんですか。
【平野】第1波は、本当に去る時もある日のように去っていったんですけど、3月中旬に、3月11日だったかな、2人の患者さんが入院してきて、4月中旬のピーク時期で、うちの病院は1900人程度の入院患者さんがいて、
5月の中旬頃にはそれがほとんど、完全にいなくなるぐらいな、完全にではないですけど、本当にすごい劇的に減る状態で、1ヶ月半、2ヶ月が本当に修羅場というか。
【佐藤】覚えてます?その時期の精神状況。
【平野】今振り返ると本当に不思議なことで、ぼんやりと言うとおかしいです。ところどころすごい覚えてる患者さんとか、あの時こうすればっていうのはすごいあるんですけど、
あの1ヶ月間、2ヶ月間っていうのは、あっという間すぎて振り返ると、あんなこと本当にあったのか、夢っていうか、本当にあんなことあったんだみたいな感じで、不思議な感じです。
【佐藤】私、当時電話したんですよ、マイさんにね。やっぱりすごい心配だったし、ニューヨークでまさか本当にそんな火中のど真ん中で、まさかもうコロナの患者さん対応していると想像もしてなくて、
その日に話してくれたエピソードがすごく印象的で、70代の男性がね、もう数日も生きられないだろうって言われてた人が奇跡的に回復して今日退院したんだよって教えてくれたんだよね。
09:02
だからわからない、コロナは余計わからないってマイが言ってて、本当にだからそういうやっぱりマイさんの頑張っている姿っていうのは、お医者さんになる前からものすごくその勉強、何かに打ち込むっていう姿をすごく見てたんですよ。
だから私も同じやっぱり留学生活ですごい支えられたなっていうのがありました。
そうだったね、あの時私自分のオフィスでレイナと電話してね、超泣いてたの覚えてる、もうなんかつらすぎて。
あのね、あれは聞いたと思います。なんでやっぱりその時に家族と一緒に住むことを選んだんでしたっけ。
要はお医者さんって隔離をね、お医者さん当時はすべきだったみたいなこと言われてたけど、毎日ご家族の元に帰ってたんですよね、ニューヨークで。
そう、まあね、その時はどれぐらい続くかっていうのもわからなかったじゃないですか。
それで確かに私の同僚の中にはホテルに泊まったりとか病院に泊まったりとか、地下で一人で生活したりっていうのもあったんですけど、
でもまあ顔を見れるだけでもっていうのはあって、お互い、子供にとっても私にとっても、触れなくても、ハグできなくても、
同じ空間に入れるだけでもっていうのはあって、私はマスクしてすごい気をつけてるようにはしてたんですけど、難しいですよね。
何が正解っていうのはわからないっていうか。
この貴重なお話をありがとうございます。で、それがやっぱりその時の経験が今につながってるんですよね。
もともと私はアメリカに残るっていう決断をした段階の時から、どこかのタイミングでは1年ぐらいは日本に帰りたいっていうのは常にあったんですよ。
特に子供ができてからその気持ちは強くなって、というのもやっぱり両親ね、自分が16歳の時に背中を押して送り出してくれたわけですけど、
今自分が親になると、よくあの時送り出してくれたなって思うんですよ。
思いますよね、本当にね。
なんかあの、私が16で行ったことでね、たぶんそのできなかったこととか一緒にやりたかったこととかできなかったこともあると思うし、
それでもあと孫との時間をやっぱりもうちょっと過ごさせてあげないとっていうのがあって、
それでどこかのタイミングではと思って、いざ夜先に夫の転勤が決まってニューヨークからシアトルに引っ越すということが決まったので、
もうこれはたぶんこのコロナもあり、すごい頑張ったご褒美って言ったらおかしいですけど、
なんかタイミング的に何かメントゥビーって感じ。
メントゥビー意味があってってことですね。
私はそれを受け取って、じゃあこのタイミングでキャリアの面から考えたら少しリスキーなところもあったけれど、
自分の人生の中のプライオリティって考えたときにやっぱり仕事だけではなくて、
その家族との時間ですとか、90歳になる祖母がまだ健在なんですけど、
12:00
どう過ごせる時間っていうのも限られているっていうのは分かっていたので、
このチャンスを生かして日本に帰ろうと思って決断して帰ってきて、
今は数回アメリカに帰って仕事はするんですけど、
でも一応日本にいる間は専業主婦という形で。
前が専業主婦。
初めての経験で戸惑うことばかりで、正直仕事をしているときより大変大変。
仕事は大変だけど、自分のペースというか、
これをやらなきゃいけないってなったら自分でできる。
自分が頑張ればどうにかなる。
でもね、子供はそうはいかないんですよね。
これやってって言ってもやらないし、何回言ってもやらないし。
でもそのペースも狂う。
でも怒らないようにね、温厚な母でありたいと思いながら、
3人もいるといつも怒ってばかりで、
毎日この時はそれも良かったって日に日に勉強というか反省。
専業主婦すごいですよ、本当に。
すごいですよ。気づけばもうご飯作ってますよね。
時に大変でもそれは自分が選んだことで、
でもこういう機会がこういうチャンスがあって本当に良かったと思いました。
こういうね。
もう悪いエクスペリエンスでしょ。
これは最高のギフトですよね。
本当にいろいろ経験していく中ですごいですね。
1年でニューヨークの最前線でこう仕事をしていたところから、
今実家で専業主婦。
次はシアトルでの、またそこではお医者さんをされるんですね。
そうです。
今、探してる。
病院を。
次の病院を。
じゃあちょっと次の話題に移りたいのですが、
あとこのリスナーの方もすごく気になってると思うんですよ。
マイさんのお子さんへの言語ルール、言葉をどういうふうに、
お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人で、
おそらくアメリカで生活してるから、
英語がファーストランゲージ?
国語になるのかなと思うんですけど、
どうしてますか?日本語と英語のバランス。
基本的に私は子供たちに日本語で話すようにしていて、
それで本当はね、私も英語喋れないぐらいの勢いで日本語を喋った方が、
子供を向こうでバイリンガルに育てるにはいいとは言われるんですけど、
と言ってもうちの夫は全く日本語を話せないので、
となると、みんなでコミュニケーションを取るとなったときに、
私が子供に日本語で話したら、夫は何喋ってるかわからないし、
家族で会話をしようとすると、やっぱり英語にざるをえないので、
仕方ないというか、英語で話すこともあるのですが、
子供と一対一のときはなるべく自分は日本語で話しかけるようにして、
やっぱり学校とかに行くと、学校の影響ってすごく大きくて、
15:02
子供たちはやっぱり子供たち同士話したいという気持ちがすごく強いので、
その言葉になってしまうんですよね。
それで、実は私は仕事しながら子供がこうやって育てられているのも、
シッターさんとかオペアの方に助けられているからであって、
実はオペアの住み込みのシッターさんなんですけど、
オペアってごめんなさい、多分ね、日本、私も含めあまりなじみがないので、
ちょっと教えてもらえますか。
そういう制度というのがあって、アメリカの国がやっている制度で、
ビザがもらえるんですけど、16から26歳の子で、
子供のお世話をしたりすることに興味があって、
海外に住んでみたいと思っている人が対象で、
基本ホームステイをして、家賃と食費はすべて免除。
払わなくてよくて、一部屋自分でもらえて、
その代わりに45時間分チャイルドケアをお手伝いします、みたいなシステムで。
それで、子供が3人になってからは、私たちは2人、
日本人のオペアの子が家に来て住んでいるんです、一緒に。
すごいじゃん、ウンメゾみたいになっているんだ、日本人同士で。
そうなんです。
へー、どんな生活なんだろう。
でもね、ヘルプがないと私の生活が成り立たないので、
仕事を復帰するのも不可能だったので、
すごい本当に助けられていて、
こうやって日本に帰ってきて専業シェフになると、
どれだけ自分が助けられていたかっていうのは、
すごい実感するわけなんですけど、
なるべく家での言葉は日本語でと思っていたので、
そういう日本人のシッターさんの方を雇ったりとか、
自分自身が日本語を話すのと、
あと簡単に日本と電話ができるような時代になりましたので、
自分の両親となるべくZoomで話したりとか、
日本語と関わる機会をなるべく増やすようにはしています。
ちなみに今1年日本に住むわけで、
お子さんたちは日本の幼稚園ですよね?
そうなんです。
やっぱり言語って好き嫌いとか、
ちょっとその耳、得意不得意ではないけど、
なんだろうなっていうのがあって、
同じように3人育てているんですけど、
上の子は日本に来た段階でほとんど日本語を話せなかったんですよ。
なるほど。
でも真ん中の女の子は結構日本語話せたんですよ。
面白い。
それで日本の幼稚園にポンと入れて、
上の子も話せない状態で入ったんですけど、
子どもはね、やっぱり適応力がすごいあって、
話したい、話したい、話したいっていうのがすごいあるので、
間違ってようが、なんだろうか、とりあえず話して、
でも今では普通に、
本当に来て3ヶ月しか経ってないですけど、
日本語で全部会話してますし、
真ん中の子でも英語が話したくなくなっちゃって、今度。
毎日ね、
ダディと電話してフェイスタイムするんですけど、
なんかいつ頃からか、
ここ1ヶ月くらい、
ダディに日本語で話すようになって、
へー、面白い。
18:01
ダディはなんか、
Talk to me in Englishとか言っても、
日本語で話し続けるんですよ。
ダディが、エマが言ってることがわかんない。
でも年齢もあるのかもしれないし、
女の子っていうこともあるのかもしれないし、
だから環境が変わると英語しか話せなかったけど、
今の年齢だったらもう、
逆にここからずっと日本だとしたら、
英語忘れて日本語だけにもなる可能性もあるってことですかね。
そうなんですよ。
面白いな。
アメリカにいてどうやって日本語を教える環境を作るかとか、
日本にいてどうやって英語を身近に感じられる環境を作るかっていうのは、
すごい難しいことではあるんですけど、
日頃の生活の中からなるべく触れる、
音楽だったりとか、
夜のストーリータイムを英語でやるだけとかでもいいですし、
なるべく英語に関わる、楽しく関われる。
そっかそっか。
お子さんをお持ちのリスナーの方に、
今これはアドバイスですよね。
そうですね。
そっかそっか。
私は逆ですよね。
日本にいながらにして、
どうやってうちの娘を日本の学校とかに行かせながら、
なるべくバイリンガルに近く英語を話せるようにしていけるかということで、
私も本当に全く同じです。
基本的に2人でいるときは英語で声をかけるように努力はしてるけど、
やっぱり子供が大きくなればなるほど、
注意すべきことだったり、
叱らなくてはいけないことだったりとか、
いろいろ増えると日本語になっちゃったりとか、
家族の中では日本語だったりとかということで、
ディスニングはとても鍛えられているけど、
思っているほどアウトプットができない、
話すことができてないなっていうのがあって、
課題ですね。
課題だね、お互いこれは。
そうだね。
でも多分それは、今一歳児を見てると思うのは、
彼、一歳児は話せないですけど、
日本語を結構理解してて、
多分言語習得のプロセスは、
誰もが通る道なのかなと、
理解はできるけど、アウトプットがまだうまくできないっていうのは、
誰もが通る道で、
フラストレイテッドなときも、
大人になってからそれを経験すると、
すごいフラストレイテッドじゃないですか。
話したいのに話せないみたいな。
でも子供はそれが当たり前。
それがでも話せるようになる第一歩じゃないですか。
分かる、理解できるっていうのは。
だからそんな焦らずにね、
インプットを続けたら、
いつかアウトプットできるときが来るようになる気がします。
日本にいながらにして、
例えばお母さんはそこまで英語がまだ話すことができないんだけど、
お子さんに英語に触れてほしいっていう場合に、
簡単なアドバイスやおすすめの見るものとかあったりします?
なんだろう、やっぱり音楽、英語の音楽は触れやすいのかなと。
それは結構リズム感があったりするのもあるし、
英語の音楽聴きながら一緒に踊ったりとか、
まあそうだね、それが一番英語に触れる、身近に触れる。
あんまりやっぱり英語英語英語って言うと、
子供もなんか、え?ってちょっとなっちゃうかもしれないので、
21:01
お母さんがやっぱり一番に楽しんでないとダメだと思うんですよ。
なんでも子供って大人の真似をしたがるじゃないですか。
だから大人が英語を楽しんでるとか、
大人があ、ママがこれ聞いてなんかすごい楽しそうみたいな、
だったら多分子供も乗ってくると思うので、
なんか子供のために聞かせるとかじゃなくって、だといいのと思います。
そっか、まずは自分のため、
まずは自分が楽しいからそれをお子さんにシェアしたい、その気持ちですよね。
そう、それを多分汲み取ってくれると思います。
いやいい、根本的に覆される。
なんかその、なんか子供だから英語を今の時代だから
やらなきゃいけないっていう使命感でやらせる方もいらっしゃると思うんですよ。
でも違いますよね。やっぱり
それはそう、子供も感じるんですよ。
これ楽しくないことだから、なんで自分もやらなきゃいけないの?みたいなさ。
でもやりなさいって言ったら、
でもやりなさいって言ったら、
宿題と一緒ですよね、それは。
そっか、面白い。ありがとう。
じゃあちょっと最後の質問ですけど、
今後まいはアメリカに戻って、どういうふうに生活していって、
例えば子供の向き合い方とか、お仕事の向き合い方とか、
どういうふうにしていく予定とか、夢だったり目標だったりとか、
教えてもらえたらなと思います。
そうですね、将来的にずっと何らかの形で仕事と家庭をバランスよく保っていけたら、
それが自分にとってのハッピーハピネス、幸せなのかなと思います。
もともとコンテにあった国際貢献とか、考えていないわけじゃなくて、
どこかのタイミングではまた自分らしく関われる機会が来るんじゃないかって思っているので、
それはチャンスをうかがっている感じで。
そうですね、英語が話せると世界がすごい広がって、
もう関われる人も多くなりますし、やっぱり視野が広がるので、
日本人らしくとかアメリカ人らしくっていうよりも、自分らしく、
be true to yourself が大事なのかなと思っています。
本当にもまいありがとうございました。
本当に今日とても楽しみにしてたし、やっぱり100回という、
私のいろいろいいことも、それから挫折も相談してきたし、
見てきてくれてたし、応援もしてきてくれてたし、
そんな中で私のポッドキャストというものと出会って、
今もう100回という記念すべき回を迎えられて、
リスナーの方もすごく増えてもらって、私にとってとてももう
その中でやっぱり記念すべきこの1回をどういう風に
リスナーの方にお届けしたいかって考えた時に、
やっぱり前が一番最初に浮かんだんですよ。
だから今日は素敵なエピソード、
24:02
素敵なお話を聞かせてくれてありがとうございました。
どうもありがとうございました。
もう絶対リスナーの方たちに響くものはすごくあったと思うし、
これからもマイのこと応援みんなしてくれるはず。
何かあれですか、発信しているものはあったりするの?
ブログとかSNSとか。
たっぷり何もしてないですね、SNSは。
なかなかね、そんな経験している人いないから、
発信してたらみんな見たいと思うけどな。
いずれはね、それもちょっと考え出してる。
いや本当にね、
この1年もまた貴重なね、今後のマイの人生にとっての財産になると思うし、
ご家族とね、そばにいれることだってね、
なかなかないことだと思うから、
もう存分に子育てと親孝行を楽しんで、
日本の生活を楽しんで、
また元気にアメリカに戻って、
新たなキャリアをシアトルでスタートさせてもらえたらと思いますし、
日本いる間に会いましょうね。
はい、じゃあ今日は第100回目のレイニー先生の今日から役立つ英会話、
スペシャルゲスト、マイ・カルビンさんでした。
Thank you, Mai.
Thank you so much.
はい、ということで今回は100回記念のエピソードをお届けいたしました。
100回、約2年ですね。
始めた当初は、一体ポッドキャスト、このポッドキャストを
この番組がどういうふうにリスナーの方に届くかということさえも、
想像さえもできなかったんですけれども、
とにかく自分の正直な気持ちだったり、
英語に対する思いを伝え続けていった結果、
リスナーの方からは、痒いところに手が届く番組というお言葉までいただくようになりましたし、
なんかすごく聞いてくださって分かりやすいとか、
本当にレイニー先生のエピソードを聞いて頷くことばっかりって言ってもらえると、
自分が経験してきた挫折だったりとか、
いろんな経験も全て意味がある。
Everything happens for a reason と思いました。
まだまだこれからも自分の英語に対する思いであったり、経験だったり、
英語を学習していく人たちにとって何か役立つもの、
モチベーションにつながるもの、
明日のちょっとしたウキウキすることであったり、
明日が少しでも豊かになるような情報を、
この番組を通してお届けし続けられたらと思っていますので、
今後ともこのレイニー先生の今日から役立つ英会話、よろしくお願いいたします。
今日もレイニー先生の今日から役立つ英会話をお聞きくださってありがとうございます。
皆さまとはまた来週金曜日にお目にかかりましょう。
さあ、ここでレイニー先生の活動を紹介させてください。
まずはレイニー先生が主催する
英会話スクールイングリッシュパートナーズの
27:00
レイニー先生の活動をご紹介させてください。
まずはレイニー先生が主催する
レイニー先生が主催する英会話スクールイングリッシュパートナーズでは、
私たちと楽しく英語を身につけたいという方を大募集。
マンツーマン、グループ、キッズ、すべてオンラインレッスンでもやっています。
詳しくはイングリッシュパートナーズで検索してみてくださいね。
その他、1分で見る英語辞書動画アレコレイングリッシュや、
毎週水曜日22時よりYouTubeライブにて生英会話レッスンなども行っています。
ぜひそちらの方もチェックしてみてください。
27:50

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