生成KIなどのテクノロジーがデザインにどんな影響を与えるのか、これについて、まずレイさん、どう思っていらっしゃいますか?
えっとですね、結論から言うと、最初から鼻から悲観的な話をするわけじゃないんですけど、
デザイナーという職がなくなるんじゃないかなと僕は思うんですね。
いきなり、いきなりデザイナー。
今日いらっしゃる皆さん、デザイナーの方すごい多いと思うので、
え?っていう感じだと思うんですけど。
僕もデザイナーということを偉そうに名乗っているものなんですけども、
時間の軸は10年なのか25年なのか50年なのかわかんないんですけど、
デザイナーという職がなくなるんじゃないかなと僕は思うんですね。
もう冒頭からレイさん、デザイナー仕事がなくなるっていう断言しちゃいましたけど、
ユウさん、これについてどう思います?
そうですね。たぶん従来のデザイナー観というのはまずなくなるんだろうなと思ってるんですけど、
僕はAIを考えるときに2つ視点があるなと思っているのが、
1つは道具としてAIを捉えるときで、
1つは人にとって変わる存在としてのAIを考えるときだと思うんですけど、
まず大体、世の中の人ってAIを考えるときに人にとって変わる方のAIからまず考えますと。
そうすると効率性ばっかり注目しちゃって、
AIが何をできるのかって、AIが主語にまずなってるんですよね。
それはちょっと憂いてるんですけど、
まず人がAIを使って何ができるのかっていう主語をまず変えないと良くないなっていう話があります。
そうするとデザイナーとして自分たちがいつも、例えばグラフィックデザインの僕は経歴があるんで、
グラフィックデザインにとって変わるもんだって考えると当然そうなんですけど、
ただそのデザイナーの役割としては、そこから先に例えば文脈を考えるだとかアイディアを考えるみたいなところにまずシフトしていきます。
だからとって変わるというよりは、デザイナーのあり方を今一度考えていくみたいなのが1つポイントになるんじゃないかなみたいなのはちょっと思ったりはします。
従来のデザインの定義はなくなると思うんです。
なるほど。手を動かす時間の使い方っていう意味では、AIによってだいぶ手を実際に動かす時間っていうのは減っていくかもしれないけれども、
大きなプロジェクトとして見たときに問題を解決するっていう意味では、いろんな手を動かさない時間を使っていろんなアプローチの仕方ができるなっていうところですよね。
デザイナーのあり方の形が変わってくる。これ2つ目のテーマの未来のデザイナーはどうなるのかっていうところにつながると思うんですけど、
レイさんどうですか。
デザイナーと言われる人もしくは名乗る人たちの価値はセンスなんですよね。
これがいいものだって見極められるセンスなんですよね。
センスをつけるには実は訓練で、訓練は手を動かすことなんですね。
いくらミッドジャーニーとかダリーとかが自動的に何かを絵を描いてくれるとしても、やっぱり面白いことをやってる人っていうのはそこに費やしてる時間が他より多いわけ。
プロンプトをいろんなものを考えて試していく。
そうすることによって、今効率化効率化っていうことがすごくAIで騒がれてしまっていて、それはそれで全く間違ったことではないんですが、
シフトとして効率化っていうところからどうやって生産性を上げるかっていうことにシフトしていくのと、
もっと大事なのが、生産性を上げることによって自分のアウトプットの質を上げていくのがすごく大事かなと思います。
なので、さっきデザイナーという職業はなくなるっていう、結構ちょっと乱暴なことは言って、ある程度なくなるとは思うんですけども、
センスを磨いていけば、作業だけにこだわってしまうと、それはどんどんどんどん良くない言い方をすると下の作業になってしまうので、
それは機械に生まれてしまう。
でも、センスを磨いて、もっと上流のデザインとか、文脈ってことをおっしゃってたでしょ、文脈とかを考えられるデザイナーになれば、
違う、新しい形のデザイナーとして生き残れるかっていうことはあるんですけど、一番磨くべきことはセンスだと思います。
それにはやっぱり手を動かさなきゃ、プロンプトンを何百個何千個何万個書き続けるのもいいんですけど、本当に手を動かして目を焦がすっていうのがすごく大事になると思います。
今後AIを活用して手を動かす機会がどんどん減ってくる中で、どうやってセンスを磨いたらいいですか、なんていう質問が来ていて。
これも今自分も結構力入れてやってるんですけど、AIの時代にデザイナーとして生き残るとしたら文章を書く、だと思うんですよ。
とにかく文章を書く。
で、どうしてかっていうと、それこそチャットGPとかでももういくらでも書けちゃうんですけど、でも大半のものはつまんないじゃないですか、デタラメも多いし。
で、じゃあ人間として、そしてデザイナーとして残っていくことでできるのは、さっきその文脈って言葉が使われてましたけども、そのアイディアとか文脈とかってやっぱり書くことによって自分の文脈ができて、
その独自の視点っていうのもやっぱり書くことに、言葉にすること、名文化することによってできていくことで、そのセンスが磨かれたりとか、何かを見つけたり、これがいいアイディアなのかっていうことを、やっぱり文章を書くとすごく鍛えられるんじゃないかなと思います。
これは役職関係なくデザイナーっていうことは今言いましたけど、別にデザイナーにとってじゃなくても、営業の人でも何でも。
もちろんそのチャットGPTを使うのは全然否定しないんですが、それを使いながらとにかく自分の頭で考えて、オリジナルのアイディアを出していくには、やっぱり文章を書くのが一番訓練になるかなと思います。
ワンショさん、AI時代のセンスの磨き方と一緒に、そのセンスの良さっていうのをデザイナーとしてどうやってアピールすればいいのっていう質問も来てるんですけど、何かアイディアありますか。
でも結構やっぱり、ジェネレーターAIとかいろんな生成型のAI出てきてますけれども、使ってない人って結構今でもたくさんいらっしゃると思うんですよ。
なので本当に少しの小さいサービスでもいいから、自分の中でめちゃくちゃ使い倒して、練習じゃないですけど、やってみるっていうことをやらないとセンスが上がらないと思ってるんですよね。
レイさんがお友達だ、我々のアクセンチャーソフトのニックローっていう人がいるんですけれども、彼がわかりやすいジェネレーターAIの使い方の例として、この前関連で発表したんですけど、子供向けの絵本あるじゃないですか、親が読み聞かせるような、その絵本のストーリーをジェネレーターAIに食わせます。
そしたら、ストーリーは毎回同じなんですけど、出てくるコンテンツが毎回違うので、読む母親も飽きないし、子供も楽しんで使えるみたいな、何回聞いても。こういうAIの使い方があるよねみたいな例で出してたんですけど、そういういろんな使い方をどんどん自分で試していくことによってAIを使っていくセンスって多分磨かれるんだろうなと思うので、そういうのをどんどんチャレンジしてほしいなと。
楽しいですね。毎回毎回ストーリーライン知ってて、登場人物も知ってるけど、なんか全然山あり谷ありの物語が毎回毎回お母さんの口から出てくるって、それ頭だけで考えるのだったらやっぱり限界があるじゃないですか。
あると思います。
AIだったら無限ですね。
AIを使うこともあるんですけど、ソーシャルメディアとかで反応がすぐ来るじゃないですか。その反応をいろいろ分析で、インスタグラムだと結構何人が見たとか何人がインゲージをしたとか何人が報道してくれたとかって結構細かく見えて、リアルタイムに反応を見ていくっていうのも発信してみてどういう反応が来るのか。
センスのあり方も変わってくるんだろうなと思ってて、多分エステティックなクラフトとしてのセンスみたいのはやっぱりSNSとかに出した時の反応、どれぐらいみんなに受けられるかみたいのが結構最初の指標になるかもしれないんですけど、
意外とさっき言ったように技術とかテクノロジーとか社会が発達していくと、あなたが何であるかみたいなことの方がセンスに直結するんじゃないかなっていうのはいつも思ってて。僕が新卒サイヤーとかもすごいやるんですよ。面接もすごい何十件何百件やるんですけど、その時に面接もそうだし学生の子たちによく言うのが、どうしたらいいですか、どうしたらすごいデザイナーになりますかっていつも言われるんですよ。
その時に大事なのは結構いろんな経験をしてることがあなたらしさを作って、それが自分の作品だとかプロダクトサービスに出てくるから、そこを大事にした方がいいっていつも言ってて。だから結構海外旅行行ったりだとか、じゃあ普段着ない洋服を買ってみたりだとか、こういうところに来て何か見てみるみたいなことを結構繰り返していくと常識だったりだとか感覚みたいな新しいエッセンスが入ってくるので。
例えば料理を出すときにお皿に出すときに名前をつけるとか。
確かに確かに。
お店だとついてますもんね。
なんとか鳥のなんとか風季節の野菜サラダみたいな長いなーみたいな。
土曜日のあれはちゃんと名前を考えちゃったりすると結構グッと上がるじゃないですか、食卓が。
確かに確かに。
しかも日常的に毎日皆さんお食事もされますし、おそらくお料理されてる方もいらっしゃると思いますから、そういう中をちょっと作業としてやらないっていうのも日常でできる大きなことかもしれないですね。
さて、今回はですね、バンショさんとユーテハンさんというアクセンチュアソングの方たちと一緒に会場の皆さんからいただいた質問に答えたんですけど、その中で何か霊さん印象に残ったものありますか?
そうですね。一つは野球かラグビーかっていう、これバンショさんがおっしゃった例えなんですけども、そのことがすごく印象になりました。
2つ目はこれも会話の中に、そしてQ&Aの中にも出てきたのが完璧主義という言葉で、完璧主義を捨てた方がいいっていうことは言ったんですが、逆に完璧主義をキープしながらデジタルに強くなるにはっていうことをちょっと考えさせられたので、それが2つ目。
3つ目は、これは先ほど竹村さんもQ&Aセッションのところでおっしゃっていたことで、アナログの重要性、今もこのイベントだとリアリティが数倍上がるっていうことにもつながるんですが、デジタル、そしてAIと言われている時代なんですが、アナログの強さ、そしてアナログの重要性っていうところが今後も残っていくのではないかなというこの3つになります。
まず1つ目の野球かラグビーかっていうのは、日本でのビジネスの場での物事の進め方っていうのは野球みたいで、みんながバッターボックスに並んで一人一人打っていくみたいに、日本でもミーティングでも会議で一人一人発言していくみたいなところがあると。だから野球みたいだ。
でも海外、特にアメリカでのビジネスの進め方だったりとか会議の進め方っていうのはラグビーみたいな感じで、ボールが真ん中に1つはあるんだけども、それをみんなで奪い合って、そこに最初に届いた人が奪って、そして走って、続かなくなったら次の人に行って、でぶつかり合いながら、そして最終的なゴールのところに持っていくという、結構ぶつかり合いが非常に多い。
アメリカの会議でもその意見のぶつかり合いがあるみたいな、その野球かラグビーかっていう例えは面白いなと思いました。
いや本当に激しさが全然違う別のスポーツ。
2番目の完璧主義をキープしながらデジタルに強くなるにはっていうのは、僕はQ&Aの中で日本でデジタルがなかなかうまくいかなかったりとか、デジタルなものがなかなか発達しないところの一つに、日本のものづくりの文化で完璧主義を貫くっていうところが今まですごく大事にされてきて、それを捨てたほうがいいっていうふうには言ったんですね。
なんですが、それを口で言うのは簡単で、日本の文化のいいところで完璧主義を極めるっていうところがあるので、逆にそれをキープしたときにどう強く、特にデジタルの世界で強くなれるのかなって考えたときに、
例えで言うと、海石料理とお寿司の違いかなっていうのをちょっと思ったんですね。
というのは、海石料理ってすごく小皿とかがいっぱいあって、コースもいっぱいあって、いろんなものがきれいにプレゼンテーションされて、そして時間をかけて楽しむっていうものじゃないですか。
とは逆に、お寿司の場合もいろんなコースみたいにちょこちょことは出てくるんですが、ものとしてはめちゃくちゃシンプルじゃないですか。
確かに。
お米とそこにお酢が入って香りがあるご飯とわさびが入って、そしてもう料理されてない、ほとんど料理されてないお魚、炙りとかあるかもしれないんですが、シンプルなそのものをそこにパッと乗っけて、そしてお客様に出すという。
でもすごくそれが洗礼されていて、そのシンプルだからこそ楽しめるところ、シンプルだからこそ味わえる自然の味みたいなところが強調されてお客さんにそれが伝わるっていうところがあると思うんですけども、でもそれがすごく洗礼されていて、ある意味その完璧な状態でプレゼンテーションされていると。
確かに素材の良さを引き立てるために余分なことはしないっていう美学ですよね。
そうそう。だから日本の文化でもそういうところは非常にたくさんあるので、お茶とかもそうだと思うんですけども、奥は深いんですが、できるだけ余計なものを足さずにどうやって引き算をしてどうやって削ぎ落として本当にあるもの、自然の味だったりとか本質的なところをわかってもらうか楽しんでもらうかっていうところも文化としてあるので、
デジタルの世界ではデジタルのものを作るときにはそういう思考でいくといいんじゃないかなっていうのは完璧主義を捨てるっていうのはなかなかできない癖だと思うので、逆にいろんなものを詰め込むんじゃなくて削ぎ落としていいものにしていくっていうお寿司感覚でお寿司を作るような感覚で望むのもいいんじゃないかなと思ったんですよ。