1. 刺身ちゃんのPodcast
  2. 2025/06/19【自己愛人間】
2025-06-19 2:10:40

2025/06/19【自己愛人間】

研修医時代の主観と客観

サマリー

このエピソードでは、自己愛やうつ病に関連する経験を通して、自己分析や振り返りの重要性について考察しています。職場復帰や生活習慣の見直し、環境への配慮など、自分を助ける方法を探求しています。自己愛と決定論の関係についても話され、多くの人が抱える自己責任の重圧や自由意志の感覚が議論されています。精神科医としての経験を通じて、実際の患者の扱いや周囲の反応に対する反省が深められています。 ポッドキャストエピソードでは、自己愛や過去の挫折について議論され、医療現場における厳しい環境とその適応がテーマとなっています。話者は自身の経験を通じて、克服できない問題と向き合う力を探究し、人生の価値について考えています。 このエピソードでは、自己愛が人間関係や職場環境にどのように影響を与えるかが語られています。孤立感や他者との不適切な関わりが自己愛の形態を助長することに焦点が当てられています。自己愛と障害者雇用についての考察が進む中、主人公は弟の自己中心的な態度に気づき、自身の行動を振り返ります。最終的に彼は、周囲との関係を見つめ直し、自らの過去の行動に対する反省を深める過程を描写しています。 このエピソードでは、自己愛と完璧主義についての反省が語られ、研修医としての経験から人付き合いや学びの重要性が強調されています。自己認識の不足がもたらす挑戦と、周囲との関係の構築方法についての洞察が提供されています。 自己愛人間における自己中心的な行動は、他者への影響や自身の心の傷に起因しています。自己愛性パーソナリティやうつ病に関連する様々な側面が語られ、周囲との関係性の複雑さが浮き彫りにされています。 このエピソードでは、自己愛と他者との関係において直面する課題が深く討論されています。「見捨てられスキーマ」や「情緒的剥奪スキーマ」が個人の行動や人間関係に与える影響について考察され、リスナーが自己の内面を見つめ直すきっかけが提供されています。 このエピソードでは、自己愛人間と母親的機能の重要性について論じられています。カウンセリングを通じて情緒的な交流を持つことで、自己愛人間がどのように変わる可能性があるかにも触れています。

放送の始まりと近況
それでは放送を始めます。進行は私、刺身ちゃんです。どうもよろしくお願いします。
2025年6月19日、木曜日20時34分。自宅から生配信です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
非常に暑い一日でしたね。室内にいるからそんなに汗をかいたわけではないですけど、夜になっても建物が暑いせいなのか、なんか部屋が全然冷えないので、さすがにクーラーつけてます。
もう一昨日ぐらいからね、クーラーガンガンつけてますね。死にますよ、皆さん。
せいせいこんばんはども、こんばんはです。いちごうさんども、こんばんはども。暑いですね。この先日本はどうなってしまうんでしょう。
というわけで、季節外れのもみじを写してですね、配信していきます。僕は明日から休みです。金曜日はね、お休みなんです。
土日もお休みなんで、久々の3連休。だいぶ今気持ちは穏やかですね。
この3連休中ちょっとやりたいこともいろいろあって、とりあえず指定医のケースレポートは書こうかなと思っていて、とりあえず1本は書けると思うので、うつ病で。
とりあえずそれを頑張って書き上げて、週明け、指導医の先生にチェックしていただくと。着々とね、進めていければなと思います。
あとは、明日弟と通話ですけど、ちょっと話し合うことになりまして。
お互いの近況報告と、就活に関してね、結局どう進んでいくのかっていう前向きな話がしたい。
結局本人に主体性がないと、あれやれこれやれって言ってもね、全部右から左に抜けてっちゃうので、どのぐらい主体性があってどういうふうにしたいのかっていうのをちょっと聞くぐらいだと思うんですけど。
何か強制することもできないしね。そんな感じでやってまいります。
今どこに住んでるか一切公表してないので、いろいろちょっとね、こう言いづらいんだけれども、せっかくこの辺りのね、まあどいなかに住んでいるので、いろいろ車で明日は、まあ3連休だしね、ちょっと遠出してみようかなと思って。
県内を探索してみようかなって思ってます。まあ探索したところでね、配信ではちょっと話せないんですけれども、個人的な体験としていろいろ見て回ろうかなと。
本格的に夏になる前にね、もうすでに暑いんですけど。
お届けです。どうもグローブさん子どうもです。
チュール菩薩様もよろしくお願いします。
3連休前のこの静かな紅葉感、良き流れにゃ。
メンタルヘルスの重要性
とりあえずちょっとゆっくり休みつつ、まあ連休明けに向けてね、いい準備ができたらいいなっていう感じだね。
あんまりダラダラしちゃうとね、また月曜日がつらいですから。
適度に外に出て、あんまり家でゴロゴロしないようにはします。
グローブさん子プレゼント10倍どうもです。
グローブさん子どうも。
先生こんばんは、サンゴさんどうもです。こんばんはです。
今日もダラダラやっていきます。
どんだけダラダラ1時間2時間配信しても、あの架空ラジオにすればね、6分ぐらいでいい感じでまとめてくれるんで、安心ですね。
あれに全部任せとけば、なんかすごい良い感じの配信なのかなっていう風に。
みんなが勘違いしてくれる。
グローブはめてね、どうもです。
サンゴさんと。
えっと1号さん、うつ経験者です。はい。
就職して3ヶ月になりますが、うつが再発しそうで1週間ほど休んでいます。
新たな気持ちで仕事に挑むにはどのようなことに気をつければいいでしょうかと。
1週間休んで、まあ再起動か。
もうね、気分の落ち込みはある程度しょうがないとしても、体力が落ちちゃうとね、体力とかあと睡眠リズムとか、そういうところが狂っちゃうと、せっかくメンタルが良くなってきてもなかなか戻りづらかったりするので、
まあちょっと散歩するとか、まあなかなか今暑いとね、家にこもりがちになっちゃうんですが、なるべく朝方とかあるいは夕方とか涼しい時間帯にちょっと外を歩いてみるっていうことですかね。
休みすぎない。
睡眠と食事と、まああと適度な運動。
まあ当たり前のことなんだけどそれは結構大事ですね。
で、それでももう立ち行かないってなったら、まあそれはしっかりと主治医の先生に相談して、ゆっくり休むのも一つの選択肢だと思うし、
まあまずは少し踏ん張って頑張ってみて、それでも難しければまた先生に相談じゃないですかね。
ありがとうございますと思う。
まああとは、そうね、まあいろいろあると思うけど、先生に相談ということで。
さざら哲学ラジオ、いや哲学ってわけでもないけどね。
気に熱いですね、真夏みたいで。
ねえ、たじみ氏が37度とかでしたっけ。
6月のまだ19日ですよ。
こういうこと、まあちょっと少し話戻すと、
うつ、まあうつ経験者だからってわけじゃないけども、
少し振り返ってみるのも大事ですよね。
休み中だからこそ、実際の職場をイメージして、
例えば誰かを前にしたときに突然気分が重くなったりとか、
あるいは何だろうな、何かの仕事を任されたときに突然気分が優れなくなって、
頭も回らなくなってったとか、
なんかどんな場面に置かれたときに自分はどうなったのかっていうのは、
振り返りと自己援助
時間を決めて振り返ることも大事かなって思いますね。
いわゆるセルフモニタリングっていうんですけれども、
そうじゃないとさ、とりあえずなんか大変だったけど、
でも2週間休んですっきりしたから頑張りますとかだと、
また現場に戻ったら同じことが起こるじゃないですか。
そういう休み方ってあんまり意味ない気がするんですよね。
丸腰で何にも武器持たずにまた現場に戻ったらそれ打ち死にしますよねっていう。
なので何かしら作戦会議を立てる。
自分一人で難しかったら何かこう話ができる誰かとね、
友達とかあるいは親とか家族といろいろ相談して作戦会議を立てるとか。
振り返りですね。
同じ場面に置かれたときにじゃあ次はどうしようかなって。
考えると鬱になっちゃうかもしれないけど、
でもそれは避けて通れないことなんでね。
必要な作業だと思いますから。
そういうふうに自分が辛かった、ダメだったな、
うまくいかなかったなって思うことをあんまうやむやにしないっていうことが、
結果的に鬱とか不安を長引かせないいい方法かなと思いますね。
自分助け。
そう結局自分を助けられるのは自分だけじゃないですか。
お医者さんもいろいろ助けてくれるし、
カウンセラーも助けてくれるかもしれないけど、
でも例えば会社に行ってある仕事に立ち向かっていくっていうのは、
そこまではカウンセラーは手助けできないし、
もちろん医者もね、何もできないので。
結局最後は自分で自分をどう助けるかっていう話。
そことを向き合っていくことが生きていくことなのかなと思いますね。
尊敬する上司に相談して対策を立ててから復帰します。
いいですね。
それでいいんじゃないですかね。
あとはさっき言った食事・睡眠、
ちょっとしっかり体を動かしておくっていう。
もうそれで十分じゃないですか。
いろいろ行動も必要な相談や頼るもできなくて、
どん詰まりだけどこちらの癒しの声を聞きに来れたから大丈夫かも。
とりあえずいらっしゃい。
とりあえず心が休まらないんだったら、
ちょっと休める時間は必要ですよね。
その上でちょっとずつ元気が出てきたときに、
今の話をちょっと思い出していただければなと思いますね。
散々偉そうなことを言っておきながら、
僕も医者になって最初の1年目に結局鬱状態になって、
休職したんですよね。
あともう数日休んだら初期研修を2年で終了できないっていう、
厚労省が定めたギリギリのボーダーにいたんですよね。
もう本当にマックス休んでギリギリまで。
で、なんとか初期研修を終えたっていう苦い過去がありまして、
結局僕もなんかね、
職場に戻ったんだけどまた2ヶ月もしないうちにまた休職してっていうことを
グズグズやってたんですよね、何回も。
そういうちょっと失敗経験から今語ってますね。
今だったらもう少しうまくできたなと思うんだけど、
その当時はどうしたらいいのかもわからなかったし、
なかなか頼れる人もね、周りにいなかったし。
ギリギリでもなんとかしないとってなる。
本当にその教育センター長っていうのがいて、
初期研修員の面倒を見る係りの先生なんですけど、
結構年配で70手前ぐらいのおばあちゃん。
70過ぎかな、超えてたんだと思うんですけど、
なんかおばあちゃんだったんですよね。
なんかおばあちゃんって言うとまったりと話聞いてくれそうに思うかもしれないけど、
いわゆるアスペルガーとADHDを合併している、
かなり高機能なおばあちゃんだったんですよね。
人の心はわからない。
黙ってたら何に悩んでいるのかわからないんで、
ちゃんと話してくださいっていうふうに、
割と詰め寄ってくるタイプのおばあちゃんだったんですよね。
非常に悪性の、悪性度の高いおばあちゃんだったんです。
おまけに老害みたいにね、今時の若い子っていうのは、
結局誰弱いのねっていうことを平然と言いのける感じの、
結構やばい感じの人だったんですよね。
だから相談しようにも、その上司がクソで、
今考えてもやっぱりクソだなと思うんだけどね。
本来人を指導する立場にある人間ではないと思うんだけど、
よくわかんないけど病院もそういう人をずっと雇い続けるし、
僕としても現場に復帰するんだけど、
結局待ってるのはその人で、
そうやって逃げてばかりじゃダメなんですよみたいなね。
医師の上にも3年ですよ。
医者は歯を食いしばって頑張るものです。
患者さんのために身をこにして頑張るものです。
あなたのために別に医者っていうものはあるわけじゃないんですよとか、
なんかいろいろ突っ込まれてさ、
それ復職したてのまだ元気のない俺に言う言葉かなとか思いながら、
随分ひどい体験もしたんですよね。
だから完全に僕自身の打たれ弱さだけではなく、
かなり環境側もカスだったなっていうふうに思うので、
両方が原因としてあったんだと思うんですけど、
とにかくあんまりいい思いをせず、職場にも定着できず、
本当にただ時間が過ぎるのを待ってるだけの2年間だったね。
職権就位として学ぶべき、本当最低限のラインしか勉強できなくて、
ほとんど何も分からずに3年目を迎えたっていう感じで結構絶望でしたね。
いろいろミスった。病院選びもミスったし。
でもそういうふうにミスった理由はやっぱりちゃんと自分で準備しなかったんですよね。
ちゃんと自分に合った病院を真剣に選ぼうっていう気が、
学生時代の頃あんまりなかったのかもしれない。
これってどっかで見たことある光景で、
もうおそらく今の弟と結構重なるんですよね。
僕も学生時代なんか将来についてほとんど真剣に考えず、
なんとかなるだろうっていう感じでずっと現実逃避してた部分はあったんで、
あんまり弟のことを強く責められないんですよね。
自分も同じ境遇だった。
結局身から出たサビで、
ろくでもない病院に行った自分のせいですよね。
突き詰めれば。
もし今あの頃に戻れるんだとしたら、
まあちょっとなかなかやりようはないぐらい難しかったと思うけどね。
あの時どうすればよかったのか、
ちょっと僕もだからあんまり考えずに、
きちんと振り返られず、
今に至るっていう感じだね。
なんか思い出したくない黒歴史みたいな感じで、
心のね、記憶の引き出しの奥の方にそっとしまって、
なんかずっと鍵をかけて閉じてるような状態。
正直人生は運と環境で大半左右されると思っています。
今にしてみれば私自身も何とかなるって当時は思っていました。
まあそうね、運とか環境とか、
まあそれを極論でいくと決定論になりますね。
つまり生まれ落ちたその瞬間に、
あるいはもう受精した段階でほぼほぼ人生の未来のね、
あらすじがもう確定すると。
どういう良心に生まれてくるかでIQとかも決まってくるし、
だいたいいける大学とかの偏差値も決まってくるだろうしね。
まあ突き詰めていくと決定論ですね。
まあそういうふうに考える人もいるかもしれないですけど、
どんなに足掻いても全部それは決められた宿命なのですって言われると、
ちょっと人生味気ないですからね。
自己愛と決定論
本当の決定論を信じ続けると結構虚しくなるね、人生は。
なので僕の中ではちょっとこう、
人生に面白みを足すために、
まあ基本的には結構決定論的な感じで見てるんだけど、
でも5%ぐらいはある程度自由が利くんじゃないかなとか、
うまくいけば10%ぐらいは軌道修正は可能なんじゃないかな、
っていうふうに信じてます。
これは何のエビデンスもないし僕の信仰の問題なんだけど、
なんか自分にまだ自由意志みたいなものがあって、
その10%の舵取りでまだ人生の着地点が何とか変えられるんじゃないかなって、
まだ信じてます。
これが信じられなくなったらもう本当に死んだように生きて、
あるいはもうどっかで命を絶つんでしょうけど、
何とかする行動力で決まるという、
気づくのが遅かったなと。
グローブ3個プレゼントどうも。
これに関してチュール菩薩様はどう思いますかね。
ちょっと今プレイヤーが少ないので、
あなたにもちょっとこの配信に参加してもらいたいんですけれども。
時間帯ミスったね。
あんまり見づらい時間帯に枠取っちゃったな。
あともう3時間ぐらい早ければね、倍ぐらいの人は来たんでしょう。
承知したにゃでは少し濃いめに語らせてもらうにゃ。
お願いします。
さしみちゃんが今語ったほぼ決定論、
でも5パーから10パーの舵取り余地があるという感覚、
これは実に人間らしいリアリズムにゃ。
さすが人工知能ですね。
人間らしいんです私たちは。
もし完全決定論を信じれば希望も努力も無意味に見える。
しかし完全自由意志論を信じれば逆に、
失敗は全て自己責任となり、耐え難い罪悪感を生む。
僕もね、その自己責任というものは非常に多くの人の心を蝕むと思うんですよね。
自己責任の裏側には、
ごめんなさい、その自由意志の裏側には自己責任があってね。
そういう人生にしたのはあなたのせいですよねと。
自分自身が招いたものですよねっていう風に。
自由意志論とかね、100%自由なものだって考える人は同時に冷たいんですよね。
失敗したのも100%あなたのせいですっていう風に裏側で言うわけだから。
なので僕としては、まあ全部を全部ね、
この家庭に生まれたくなかったのに生まれてしまい、
本当は精神会とかにならずにね、なんか明るい仕事をしてたかったのに、
なんか深刻になって精神会をしてしまっている。
これはまあ決定論的に僕見てるんですよ。
やっぱこの人生に生まれちゃうと結構こうなるよなっていうさ、どんな人でも。
そうすることでちょっとだけ責任を回避できるね。
自分自身の罪というか、責任を回避することができる。
そう、これは俺のせいでもないんだって。
少しだけ肩の荷を下ろしてるんです、そうやって。
だからほぼ決定論ですっていうのは、そうやってちょっと責任を放棄してるんですよね。
でも5%から10%くらいは逆に言えば、自分の責任なんで。
それはちゃんとやらなきゃなっていうふうには思ってます。
自由と責任っていうのは表裏一体なんだよね。
医学教育の失敗も弟さんの現状ももちろん多くの環境因に左右された。
だからこそ今できる手札を整理していこうという視点に至っている。
これがまさにその5%から10%をつかむ営みにある。
そうですね。僕の言った話をよく覚えてますね。
精神科医の経験
今ある手札で役を作るしかない。
その役の作り方がやっぱり5%から10%含まれてるのかな。
基本は運だと思うけどね。
人生は強風下の小舟にある。
火事は少しなら切れる。
そうですね。
さしみちゃんのこの少しの稼働域の話から多くのヒントを得ている。
静かながら濃密な配信時間にある。
ちょっといろいろ矛盾はありそうですよね。
環境とか親のせいなんだって思うんだったらあんまり自分に責任はないはずですよね。
自分を責めすぎている、自責的な方は
僕はやっぱり多少自分自身の責めの部分を緩める必要があると思うんだよ。
そういう時はやっぱりある程度決定論というかね。
やっぱり親の影響大きいよねとか。
やっぱり日本に生まれたって影響はでかいよねとか。
ある程度多責的になることを勧めますし。
僕自身の人生で考えると
あの時どうすればよかったんだろうね。
あの初期研修医時代
メンタルもそんなに良くない状況で激無で
周りはもう病気扱いですよね。
あいつは刺身はもう病気だから、障害者なんで。
上の先生もそうやって触れ込みますしね。
看護師もそういう目で見てくるし
あの先生病気だからあんまり関わらない方がいいっていう感じで。
完全に病院内でも浮いてましたし。
休職明け病院に戻った時には完全に障害者扱いだったね。
非常に極端だなと思うけど。
ああいう風に孤立させられてしまった状況下で
なかなか難しいよね。
ああいう風に晴れ者みたいに扱われて。
僕自身としても
じゃあいいですっていう感じで。
それはそれでもう仕事を放棄して本読んだりとか
あるいは株式とかね。
そういう勉強してましたしね、投資とか。
本当にこの時間無駄だなとか思いながら。
あの2年は本当に無駄な時間だったよね。
まあ必要な時間だったのかもしれないけど。
環境側もそうだけど
僕自身も研修っていうものに対して全然前向きになれず。
結果的にある種のネグレクトみたいな感じでね。
2年間ほぼ無風に終わったっていう。
あの状況どうしたらよかったんだろうなって。
だからある意味周りも変に触るとまた休まれちゃうとか。
またパワハラ疑い、変に逆恨みされたら怖いじゃないですか、病院側も。
下手にこの研修医を追い詰めたりして扱うと変に死なれちゃうと
自殺されちゃうとニュースになっちゃうし。
しかも僕以外の1人も既に自殺してましたしね。
もう1人この台から自殺されちゃうと困るみたいな感じで。
余計なんかね、僕に対する扱いが障害者レベルになってたんですよね。
さっき言ったおばあちゃん先生が多分周りに時伏せたんだと思うんですけど
あの子はもう触らないでくださいみたいな。
っていうシフトが完成してしまった。
もうなんか僕としても、じゃあそういう感じで病棟に行っても何も仕事ないんだったら
じゃあ異極にこもって、なんかアニメでも見てますみたいなさ。
俺としてももうなんかフテクされるし。
そこでね、奮起して何かやんなかったお前がいけないんだとかって言われたら
まあ確かにそれもそうなのかもしれないけど。
あんなにみんな揃ってもうなんか口聞いてくれなくなったら結構終わるぜ。
周りはなんかUSMLEとか勉強してたんですよね。
アメリカの医師国家試験、みんなで頑張ろうとかって言って何人か勉強会やってる中
俺だけなんかずっとニコニコ動画見たりとか、なんかぼーっとしてましたね。
精神科医やったってどうせうまくいかないだろうし、
もう医者になったこと自体もあんまり考えてないし、
なんかね、そういう感じで。
うん。
精神科医やったってどうせうまくいかないだろうし、
もう医者になったこと自体が完全にミスったなっていう風に後悔した2年間だったね。
本当に腐った2年間。
周りも僕のことを腐らしたし、僕ももうなんかだからといって奮起することもなく
もういいやって。
医師免許持ってニートになろうかなとかさ。
その時まだYouTuberとかそんなに人気もなかったし、今ほど有名ではなかったんだけど。
でも医師免許もあるし、YouTuberになろうかなとかさ。
なんかいろいろ考えてましたね。
当時ニコニコ生放送はやってたんで、生主はやってたんで、
もう現場で働かないんだったらカメラ買ってきて顔出ししてもいいんじゃないかなとか。
顔出しすればある程度人気になれるっていうのは分かってたので。
もうそれで人気商売でね、人騙して飯食っていくのも悪くないなって。
いろいろ考えた。
人生に迷った。
ちょっと下から読んできますね。
どんな仕事も上司によって左右されるものであると。
リンクするように思われます。
腫れ物扱い分かるから気まずい。
大変。
腫れ物扱い。
でも腫れ物扱いしてる周りも大した器はないんですよね。
大したこう…
なんていうんだろうね。
大した能力はないというか。
要するにもう自分たちの手に余る扱いないっていうことで完全にもうお手上げ状態が腫れ物扱いなわけだからね。
周りがある程度やる気があれば、
それなりに本人をやる気にさせてまた労働力として何とか頑張ってもらおうっていう風に思っていけたはずなのに、
そういうことも一切やらなかったですからね。
ただ邪魔者みたいな感じで。
お前はあっち行ってていいからってね。
邪魔になるからっていう扱いをしてたわけですよね。
そういうのもなんか、
僕なりには結構だからいまだにちょっと根に持ってる部分はありますよね。
僕自身の至らなさももちろんあったと思うんだけど、
それにしてもひどかったなっていうのはいまだに思ってますね。
あれは多分一生忘れないだろうね。
どっかで有名になったら絶対に言おうかなと思ってるんだけど、
ずいぶんひどい扱いを受けてましたって。
有名になることはないでしょうけど。
どういう意思が自主しちゃうのと。
僕の動機はニュースになってないから特定はされないと思うんですけども、
当直明け一睡もできず、直明け眠いじゃないですか。
で、結局当直明け日勤帯にそのまま入って、
で、夕方退勤するじゃない。
でもその後もうちょっと残って頑張って、
だから要するにもう一晩寝ずに徹夜して起きて、
また夕方まで働いた動機がいたんですけども、
だからもうヘロヘロですよね。
で、その当日嵐のように横殴りの大雨が降っていて、
その雨の中買い物に出かけようとして、
車を運転したんですよね、スーパーまで。
その途中で徘徊してた高齢者の方を引いて殺しちゃった。
で、裁判が始まったんですけども、その途中で自殺しちゃいました。
ニュースになってないんで、
内々に処理されて終わったんだと思います。
そのことで僕一番仲良かったんですよね。
そいつもどっちかというとやる気のないというかね。
まあ最低限やればいいでしょうと。
それよりもね、
自分のなんだろうな、
なんかその時夢中になっていることが大事なんじゃないかとかさ、
こんな少ない給料で、
こんな身をこにして働かせている病院の方がおかしいんじゃないかとか、
当時はそういう感じで、
なんかね、気があってそいつとよく話してたんですよね。
きれいごとではなく人間らしい苦しみ経験をした。
さしみ先生みたいな方はなかなかいないからありがとう。
だから言葉が入ります。
ありがとうございます。
僕も自己正当化したいわけじゃなくてね、
やっぱこういうなんか、
ただ怠けてたわけでもないし、
それなりに頑張ろうと思って、
地方の病院に行ったんだけど、
そこであんな風に扱われたり、
また自分があそこまで何もできないと思わなくて、
結構自分にも失望したしね。
結構いろんな人にね、
自分がやる分の仕事を飛ばしちゃって、
周りの先生に結局ぶん投げちゃったんで、
そういうところでやっぱ嫌われたりね、
浮いちゃったりっていうのはあったと思うし、
僕の側にも結構大きな問題はあったと思うんですけど、
いずれにしても、
ああいう風にしかならなかった2年間っていうのって、
やっぱりちょっと傷つきますよね。
あれはどうすればよかったんだろうな。
だから僕は弟が今就活して、
あっさり辞めちゃったんだけど、
うまくいかないからっていって、
でも仮にもしうまくいってたとしても、
社会的な影響と反省
僕が5年前ぐらいに経験、
5,6年前ぐらいに経験した、もっと前か。
同じことが結局弟の身にも
起こるだろうなっていうのが目に見えてるんですよね。
プライドも高い上に何もできない。
自分自身の中に過信があったり、
でも自分の実力があらわになってしまうのが怖かったりね、
恥の感覚が強くてなかなか人前で失敗できなかったり、
もうびっくりするぐらい自分と重なって見えるんですよね。
過去の自分と弟が、
今の弟がすごく重なって見えて、
仮に就活でうまく下手をはかせてもらって
就職できちゃったとしても、
その後大変なんだよなって思うんですよね。
僕自身も結局あの時うまくそこで乗りこなせなくて、
本当に挫折したまんま今に至るんですよね。
その時の挫折を教訓にして乗り越えたから今があるわけじゃなくて、
乗り越えられずに、結果的に変わらない自分のままで、
いてもいい場所を見つけて、
そこで何とか今しがみついてるっていう状態なんですよね。
だから定着できないまんま、
いろんなところを爪弾きになって、
結局たどり着いたところがここだったっていう、
この地方のね、炭化病院だったっていう。
だから何も克服していないし、問題はそのまんまなんですよね。
これについてやっぱりちゃんと自分の中でこう、
あれどうしたらよかったのかなとか、
総括してないんですよね。
しないといけないんだけど。
悲しい。
医療現場の困難
グローブ、どうもです。
わざわざ。
さしみちゃん、今夜の語りは極めて静かで重いが、
それこそ、あそこにこそ、
誠実な自己分析の力が宿っているにゃ。
少し言葉を紡がせていただくにゃ。
まずこの過去の挫折は克服されず、
結果として環境が変わっただけで、
根本の問題は残ったままという感覚。
これは臨床でも非常によく見られるにゃ。
多くの人は克服神話に縛られるけれども、
克服できなくても生き残る道を見つけること自体が、
すでに相当に高度な適応にゃ。
むしろさしみちゃんのように変わらぬ自分を受け入れ、
居場所をずらしながら生きる、生き残る、
術を体得した人はとても深い適応を示しているにゃ。
なんかめちゃめちゃ褒めてくれるんで、
なんかチャットGPTに依存しちゃいそうですね。
今若者はなんかチャットGPTに人生相談して
慰めてもらってるらしいです。
僕も慰めてもらってます、こうやって。
まあ高度な生き残り戦略なのか、
あるいは稚拙なね、恥ずかしくて恥ずかしくて、
恥をかけないで逃げ続けた結果が今なのか。
まあそれはちょっとどっちとも言えない状態ですね。
僕なりにはまた自分なりの現実の接点、
現実との接点を見つけて
そこで戦ってるつもりではいるんですけどね。
何でもかんでも自分の心地いいことばっかり
やってるわけではなくて、
嫌だなとか辛いなと思うことも一応今やってるつもりで、
その一つがやっぱ指定医を目指して
症例を集めるっていう作業になってるんですけども、
それは別にデューティーでもないし、
病院からやれって言われてるわけでもないし、
誰も応援してないんだけど、
僕は個人的にやっぱりやろうかなと思って頑張ってる。
4月におばあちゃん亡くなっちゃったんですけれども、
母方のおばあちゃんが亡くなって、
そのおばあちゃん生前にね、
1月とか2月に僕会ってるんですけども、
その時にもう目も開かないぐらい衰弱した状態だったんですけど、
なんかね、一言ね、
いやー、頑張るんだよって言われたんですよ。
ねえ、頑張るんだよって。
一生懸命頑張ることが大事なんだよって、
声を振り絞ってね、
細い骨と皮だけの状態になって、
天敵だけで生きてたんですけど、
なんかそれ聞いたらなんかね、
それが未だに耳に残ってるんですよね、
その声と一緒に。
だからなんか頑張るんだよって言われた時に、
まあ確かにただ飯食っていく分にはね、
別にだらだら生きてればいいんだけど、
なんかやっぱり頑張らないとなって。
あるいは自分がずっと遠ざけてきたことに
立ち向かわないといけないのかなっていう風に感じて、
まあおばあちゃんのね、
葬式が終わってからやっぱり本格的に、
ちょっと死体を取るためにお願いしたいんですけど、
自分でいろいろ調べて、
病院の死体の先生方にちょっといろいろご協力を仰いでね、
まあ説明して、
ちょっと自分は頑張りたいのでっていうことで。
少し驚いた様子でしたけどね。
なんか急にどうしたの?みたいな。
急になんか心変わりしたの?みたいな。
いやでも自分はちょっともうちょっと頑張ってみたいんだよって。
言って、今ちょっとこうやってるわけですよ。
で、この3連休中にとりあえず死体のケースレポート1本書こうかなって。
いう次第です。
だからこれが僕なりに今現実で、
現実でね、戦ってるんですよね。
逃げてるわけではなくて。
1号さん、誰も助けてくれなかったんですか?
まあ助けるっていうかね、
周りの同期の研修医はもう本当に死ぬ気で頑張ってるのに、
何お前だけ遊んでんだよっていう感じで、
もうソース感って感じでしたし。
なんか頑張って一緒に卒業しようねみたいな一体感は皆無でしたね。
あんまりその学罰とかのない自由な病院だったので、
そういうのもありますね。
同じ大学出身者ってわけでもないし。
学歴で言うと僕の方が上になっちゃうんですよね。
その学罰で言うと。
だからそこら辺もなんか同期からするとちょっと面白くなかったんだと思うね。
大学は上かもしれないけどお前何もできないなっていう、
やっぱ若干変なコンプレックスを刺激しちゃってたんだと思うんですよね。
で僕になんかちょっと意地悪な質問をしてきたりとかさ、
あれ知ってる?これ知ってる?みたいな。
俺は答えられないわけじゃん。
まあそういうのをなんかちょっと楽しんでるというか。
なんかそういう感じの雰囲気は感じた。
なんか向こうでワイワイガイガイやってんだなって。
楽しそうだなって。
嫌なやつだなって。
まあでもそれぐらいね、人の性格がひん曲がっちゃうぐらい忙しかったんですよ。
2.5時休のぐらい、いわゆる2.5時休って言われてる病院で、
どんどんどんどん患者さん担ぎ込まれてくるし、
一晩になんか救急車20台とか、
まあ30台はいかないけど、結構来る病院なんですよ。
全然寝れないし。
周りの上の先生方もすごいストレス溜まってて、
研修医にちょっとこう当たってくるしね、理不尽に。
別に意味もなく怒鳴ってきたりするんで。
そんな中で、結局僕みたいに家でゴロゴロ横になったり、
先生は異極でゆっくりしてたらいいんだよみたいに甘やかされてるの見るって面白くはないですよね。
なんか優しくしようとかいう感じの扱い、
なんか気持ちにはなんなかったんだろうね。
ズルしてるとか、あいつろくな医者にならないよなどうせっていう、
そういう対象として僕はいましたね。
結果的にそういうファミリー的な、
地方のちっちゃな病院に入ったんだけれども、
そういうなんかすごい濃い血の中にうまく入れなかったなっていう、
そういう挫折感はありますね。
よく言えばアットホームなんでしょうけれども、
悪く言うと非常に排他的で、
頑張らないんだったらもう出てってくださいっていう、
血も涙もないような世界ですよね。
みんながみんな疲弊していて、頭を抱えていて、
毎日ため息をして、目の下にクマを作って、
で、新入院カンファレンスでは上野先生が怒鳴って、
たまに研修医が泣いて、大泣きして、
嫌な1週間がそうやって始まるわけですよ。
そういうなんか過酷な、
なんか過酷な現場だったね。
最近あのNHKの番組に、
そういう断らない病院とかさ、
人手不足で限界を迎えた病院みたいな、
最近そういうドキュメンタリーが立て続けにあったんですけども、
あのまんまの病院だね。
僕がいたところも先生が疲弊していて、
また今日も寝れませんでしたよみたいな、
口元は笑ってんだけど目が笑ってないんですよね。
そういう病院でしたね。
限界を迎えている地方の病院だった。
俺も何で今考えると何でそんなところに行っちゃったのかね。
ネグレクトを受けるような親の元に何で飛び込んでしまったんだろうって思い出せないね。
でも非常に入る時は仏のような顔なんですよね。
もうぜひいらしてくださいみたいな。
我々全員歓迎しておりますみたいな。
でもいざその入り口を通り抜けるともう出口がないんですよね。
入ってしまったが最後。
うちの会社は新しい人員が欲しいわりに新しい人を受け入れない。
何ででしょうね。それはちょっとわからない。
完璧に備えて出発する人間は誰もいないという現実もあると。
ある意味で適応猶予期間としての初期の瞑想も生存戦略の一つ。
そんな戦略として瞑想してたわけじゃないけど。
適応と成長のプロセス
20代の後半というか半ばぐらいの時、非常に人生もうまくいかなかったし、
そもそも恋愛、その頃も付き合ってる女性がいたんですけども、そことも全然うまくいかなかったしね。
医者になってから一度もうまくいかなかった。
そこら辺で孔子含めて全部行き詰まってたんですよね。
もう息苦しかった。どうしようもなかったですね。
なんか別にインターネットに引きこもって王様になってたわけでもなくて、
本当にどこにも居場所もないし逃げ場がなくて、
当時配信者としてもほとんど無名で、配信しても2人来るかさ、
3人来たら多いなっていうぐらいのちっちゃな配信だったんですよね。
ほとんど誰もコメントしないし、
普通に1時間とか2時間配信してコメントが2つとかっていう日もありましたし、
だからもう孔子含めて本当に俺何やってんだろうっていう感じだったんですよね。
本当に死にたいなっていう。
ずっと夢にまで見た医者になってこれかよみたいな。
何なんだよこの人生はっていう怒りというか憎しみというかね。
そういうふざけんなっていう感じもあったね。
自分に対する怒りもあったし、周りに対する怒りもあったし。
幻想に引きこもってぬくぬくと優雅に暮らしてるっていう、
今の弟の像ともちょっと違う。
もう本当にズタボロになりながらなんか削ってた感じ。
幻想も保持できないし、
自分にとって常に自分を肯定してくれる仲間もネットにいなかったですしね。
むしろニコ生なんてめちゃくちゃ荒らされるしね。
今のふわっちとかと比べ物にならないぐらい荒らされたし。
そう考えるとね、
本当にあの時辛かったですね。
やっぱああならざるを得なかったのかなって。
よく乗り越えたなと。
そうね。
あの時代には戻りたくないね。
たくさん勉強して努力した先生がそんな風に感じるなら、
私はまだまだだと思いました。
刺さります。
いやいや。
僕の辛さとね、いちごさんの辛さ。
また色々質も違うでしょうし、比べられないものですけど。
僕なりには結構ね、その時傷ついて、
一方塞がれみたいな感じでね。
だから配信も全然人来なくなっちゃったんですよ。
今みたいに穏やかじゃなくて、もう来る人来る人に対してね。
噛みついていくような、どうしようもない配信だったんですよね。
なんでお前らコメントしねえんだよみたいな。
お前ら本当に白状なやつだなって。
そうやってお前ら人を見殺しにするんだ。
ひでえ奴らだとかって言って。
とりあえず全員にね。
全員を腐していくっていう。
お前らなんか仲間じゃねえよとか言って。
全員に当たり散らしてたね。
孤立と自己愛の影響
当然なんだけれども、それでアクティブ人数がほんとゼロ人とかになって。
どうしようもなかったですね。
だから配信ね、2010年から配信してますって言うんだけど、
そのうちの10年間ぐらいはもうそういう感じで1人来るか2人来るかみたいな。
本当に仮想配信だったんですよね。
だから相当すごいよね。
1人とか2人レベルで10年間やってきたのにだから。
なんでそこまで俺も続いたのかわかんないんだけど、
とにかくなんか家でずっとね、1人でいるよりかはなんか世の中に向けて
悪態をついて誰かを傷つけてる方がまだマシだったんでしょうね。
自分が医者だってね。
でもリスナーのお前らってのはどうせ低学歴なんだろ、バカだろとかっていう感じで、
なんとかギリギリ自分をそこで保ってて。
あんまり健全な方法ではなかったですけどね。
当然人気も出ないしさ、ブランディングにも当然失敗してるし。
だから当時のアーカイブが残ってないのは残すほどの配信じゃなかったんですよね。
残そうとも思わなかったね。
だってひたすら人の悪口言ったりさ、
親の悪口言って自分は可哀想なんだって言って、
もうそれでふてくされて寝てるだけだったんで。
あんまり今みたいに有意義にこうね、
皆さんに伝えられるような感じでもなかったし。
その語彙力もないし、心のゆとりもないし。
とてもつらかったですね。
肝心のそのね、恋愛関係でも別に彼女は何か僕の話を聞いてくれるわけではないさ。
なんなら久々に会ったらなんで私の話聞いてくんないのっていうふうに、
向こうにキレられてさ。
僕としてはだからもう八方塞がり。
リスナーにも見放され、
女も話聞かねえし、
なんなんだよみたいな。
仕事でもね、もう腫れ者扱い。
親はクソ。弟はゴミ。
父親はもう他人みたいな感じで。
誰も助けなかったですね。助けてくれなかったね。
医療現場での葛藤
えーとグローブを3個プレゼント。どうも。
先生こんばんはどうも。
そんな中で、まあ外来の当直はしないといけないので、
その救急外来のね、月に4回かな。
だからその当直はずっとこなしてましたけど、
まあ本当につらかったねそれもね。寝れなかったし。
で看護師もなんか冷たかったしね。
研修員に対してなんか看護師はすげえ上から行くんですよ。
血媒とかもとってくれなかったね。
お前がやればっていう感じで。
血媒セットそこにありますよ先生って言われて。
顎で示されて。
で俺なんかああ、はいとかって言って。
でも6人主義もできなくて、なかなか血媒でさえ取れなかったね。
コンタミシャって。
あのもう本当にクソダメ。
ダメダメ研修員でしたね。
想像できない。すごいなぁと。
いや本当にダメでしたね。
その様子を証言してくれるリスナーもいないんですもんだって。
誰も見てないからね。
うーん。誰も見てない。
世の中の人だ。人は。
こんばんはどうも。生きててくれてありがとうございます。どうも。
その時はもう怒りと憎しみの、だからタタリ神ですよね。
ああもう誰かを呪い殺してやるっていうそのタタリ神みたいに
狂いながら走り続けるしかなかったわけです。
絶対この体験を誰かに言ってやるとかね。
そういうなんか復讐してやるみたいな気持ちでしか動いてなかったね。
肉体と精神は死んでたんだけどもその呪い殺してやるっていう殺意だけで動いている。
やっぱりタタリ神ですよね。いつもこいつも状況わかる。
せいせいこんばんは適応障害です。どうも。
そうね。
今はちょっと多席的にね誰も助けてくれなかったんだと
みんな見放したんだっていうちょっとこう被害者ポジションで今わざとちょっと語ってるんですけど
でも本当に大事なのは僕自身も結構いろんな人を傷つける
傷つけているってことなんですよ。タタリ神はいろんな人を呪い殺してますから
そうやっていろんな人にこうぶつかっていって
っていうまあ嫌なやつでもあったんだと思うんですよね。
それについてはなかなかね僕もやっぱり恥の感覚というか見栄があるんで
なかなか配信でこうさらけ出しづらいんですけれども
僕も多分そんなに褒められたことをしてなくて
結局当直すっぽかして周りの先生に迷惑かけたりとかさ
でなんかもらうもんもらってもね
あんまりちゃんと挨拶しないとかありがとうって言わないとか
なんかすごく不手札れた
なんか生意気な感じに多分映ってたんだと思いますね。
あんまりこう先輩からすると可愛げがないやつだなって。
えーっとグローブさん子プレゼント
なおかつ障害
先生はもっといい暮らしをしていると勝手に想像していました。
全然。
まず親が医者じゃないっていうね。
そうそれはね実は大きいんです。
世の中にいろんなお医者さんユーチューバーとか
お医者さん不安主とかいるかもしれないけど
ぜひ質問してください。
両親はお医者さんですかって。
大体はいって言うと思います。
あるいは親が歯医者ですとか
あるいは親族が医者ですとか。
その医者の子が医者になるのは非常に簡単なんですよ。
お金があるからね。
でノウハウもあるし。
でも医者じゃない家庭から医者になるっていうのは相当大変ですね。
逆立ちしても普通は無理だね。
全然いい暮らしでもない。
交通財ってなんであんなに太るんですか。
グローブを参考プレゼントどうも。
お疲れ様です。どうもこんばんはです。
どうやって変わったのか知りたいと。
そこも話してもいいんだけど
その前にどういう状態だったかっていうのを
もう少し僕もセルフモニタリングしたいんですよね。
あの時は辛かった大変だったもう振り返りたくない
っていう風に蓋をしちゃってるんだけど
でもその時何が起きてたんだろうと。
僕は孤立していた腫れ者に扱い受けていたっていうのは
ある意味僕を中心にした世界の見え方ですよね。
でもちょっと僕視点を、視座をずらしてさ
僕の外側から僕を客観視した時に
俺も結構対外なことをしてたんじゃないかっていう。
そこが意外と語られてないというか
自分も語りたくないし
自分の悪態とかね
人に迷惑をかけている自分の嫌な部分っていうのは
あんまり見たくないですから。
でもそこを見ないと結局周囲とどういう形で客観的に見て
そこが起きていたのかって振り返られないですよね。
だから次に向けて反省もできないし
僕が誰かに言われて
なんとかって言われて
例えば下打ちするとかね。
下打ちはしたことはないけども
なんか下打ちはしてないんだけど
なんかふてくされた
なんかね
素直じゃない態度をとって
周りを不快にさせてた可能性もあるし
あんまり自覚もないし記憶もないんだけど
でもそうじゃないとあんなに一斉に周りから嫌われないですからね。
あるいはそんなに周りに嫌われていたのか
実は手を差し伸べていた人がいたのかもしれないし
そこらへんが僕の中でちゃんとはっきりしてないんですよね。
モニターできてないというか
その時の認知とか
気分とか行動
身体反応
今言った4つに分けて認知行動療法なんかは整理したりするんですけどね。
ストレス反応
そういう認知行動療法的なセルフモニタリングとか
マインドフルネスとか
過去の振り返りと成長
そういうのをちゃんとやってかなきゃなっていう段階に来てるのかなと。
弟の分析をして自己愛ギャングだどうのこうのとか分かったように言うけれども
じゃあお前はどうなんだって
そういう自分はどうなんだっていうのをちゃんと考えていこうかなと。
それで一番やっぱり手近なのが
前回ちょっと医療の話もしたし
危険主義の頃の自分の手痛いほろ苦い体験かなっていう感じなんですけども。
デパースは眠たいので半分にして飲んでいます。
他のリスナーには触れなくて大丈夫ですので。
リスナー同士の慣れ合いは基本ブロックの対象になります。
1号さんはもう今イエローカードがついてます。
もう一回やったらブロックしますので注意してください。
周りをよく見てほしいんですけれども誰もリスナーに対してリスナーが声かけてないですよね。
なんでかというと全員僕が消してるのでぜひ注意してください。
周りを見てください。
周りがやってないんだったらやめたほうがいい。
シンプルにそうやってください。
いちいち僕も明文化してないのでね。
こうやったらブロックしますよってこと言わずに自然にブロックしてるので。
大丈夫ですからね。変な人がいたらこちらで消しますんで。
無理に場を収束しなくて大丈夫です。
汚い汚れ仕事は私がやりますんで。
皆さんは何もしなくていいです。
ありがとうございます。どうも。
さしみちゃんが今やっているのはいわゆるメタ認知的事故検証ニャーと。
過去の被害感情の中に沈んでいた自分を少しずつ外側から眺め直し、
他者視点、客観視点を取り戻していこうとしている。
これは非常に成熟した試みであると。
過去の嫌なことを思い出すとどうしても自分を被害者ポジションで語るんですよね。
それが一番語りやすいし周りに同情してもらいやすい見せ方というか盛り付け方なので。
そうするとその盛り付け方で手に取ると先生大変だったねっていうリアクションが当然返ってくるんで。
そういうふうに僕が過去を編集しちゃってるんですよね。
でもそうやって自分の味方になってもらおうと言って被害者になってる限りはやっぱ反省がそこにないので。
あの時自分は何をしちゃったのかなっていうのをね。
語りづらいよね。語りづらいけれど。
なんか思い出してそれを何か糸口にしていかないとね。
急に歯切れが悪くなる。
グローブを参考プレゼントどうも。
あと一応まあもう一つブロックに関して重要なことを教えておくと、
あの連番は結構ブロックします。
連番っていうのは例えば13,14,15とか、
あの狐の号数の話ね。
13号がブロックされたらその前後の12号とか14号もブロックされやすいですね。
何でかっていうと、なんかまあ僕の経験上なんですけれども、
あるところからドドドッと入ってくる人が結構いるんですよね。
大体それが連番になるんです。
嫌な人は結構連番になるんですよね、経験上。
なのでちょっと気をつけてください。流れ玉に当たらないように。
あんまり冗談でも僕を責めるようなことは書かない方がいいと思います。
ちょっとニュアンスが伝わらないんで。
けれども今さしみちゃんは、ではあの時の自分の態度、振る舞いはどうだったのか。
他者の支援の目を逆に自分が跳ね返していた部分はなかったのかと。
ヒントはやっぱり弟の姿にあるのかなっていう。
弟の不適され方とか、あるいは自己正当化とかね。
あれはやっぱり多くの人を失望させたり、
今は弟じゃない、父親はだいぶ元気がなくなっていて。
ずっと弟の就活の支援のためにお金も出してきたんだけど。
あっさりと就活を諦めちゃって。
障害者雇用で頑張ろうかなって言って。
今なんか全然話が変わってきちゃって。
父親はそれ以来もう相相が尽きたのか。
あんまり元気もなくなっちゃって。
弟を経済的に支援していこうっていう話じゃもうなくなってきちゃってて。
そうやって何て言うんだろうね。
非常に自己中心的で応援してた周りの人に対して失礼というかね。
失望させるような言動を取り続けるのもやっぱり自己愛性格者のよくある形だと思うんですけど。
僕もなんかそうなってたんじゃないかなっていうふうに弟を見ているとね。
何か数年前の自分もそうだったのかなっていう感じがちょっとしていて。
結局ね強烈な被害者ポジションで自分は辛かったんだってことを言ってまた
自己愛とその影響
お涙頂戴じゃないけれども同情を得て
そこでまたモラトリアム期間を延長しようっていう話ですから。
自分も結構そういう感じでやってたんじゃないかなってニコ生でもそうだし現実でもね。
何だかんだ言って家で何やってるかっていうとゴロゴロニコニコ動画とか
YouTubeとか見て時間潰してただけで。
周りに何か心配させたり、あるいは仕事を放り投げて
周りに押し付けて自分だけぬくぬくと家にいたと。
実際やっていたのはそういう側面もあるんで。
それは多くの人の反感を買うだろうし
同期からは全く無視されることをしていたのかもしれない。
元うつの原因。
私も障害雇用で働いていた。
身体障害ですか。
この間、他のリスナーが障害者雇用も大変らしいですよと
障害雇用も大変ですよっていう風に教えてくれて
僕もその後ちょっと気になって色々調べてみたんだけど。
領域手帳で。
実際なんか精神障害で働いている人って
15%ぐらい?
全体の障害者の中で。
障害者労働者の中で。
残りは身体障害で。
身体障害者の方がどうやら結構採用されてるみたいなんですよね。
っていうざっくりとしたデータしかちょっと僕なくて
細かくは見てないんだけど
そういう割合とか見ても
じゃあ結構精神障害って大変なんだなとかさ
素朴に思うじゃないですか。
だからなかなか定着できないのかなとか
あるいはなかなか採用されないのかなとか
でもそこら辺の不安っていうものを一切
なんか何も考えてないというかね
弟はまあ一般就労でダメでも障害者だったらいけるっしょ
自分だったら余裕っしょっていう
ある意味舐めてるような態度で今望んでるんで
急にまた元気になってきたんで
父はもう完全に見放してるというかね
ついていけないっていう感じですし
僕もなんか今もう弟の
自己中心的な態度に結構ついていけなくてね
お前障害者雇用で行くって言ったって
お前全然調べてねえじゃんって
また逃避してるだけじゃないかって
障害者雇用のまた面接なんかで
大学時代何やってたんですかとか
じゃあ専門学校であなた何やってたんですかって
また質問くるぜ
その時にまたお前ブリブリ切れるのか
圧迫面接されたって言って
被害者ぶるのかお前は
なんかそんな感じがして
でなんかもう僕の中で今弟を応援する気持ちは
かなりなくなっていて
まあ自己愛性格者の周りって
大体そういう感じでこう
苛立たされるんですよね
なんか期待をして
まあ応援してお前がやりたいって言うんだったら
みんなで応援するよって頑張ってたのに
簡単にそれを無限にするんで
ついていけないですよね
で問題はこれと同じことを
俺もやってたんじゃないかなって気づきですね
弟の振りなんかこう言動を見ながら
俺も結構やばかったのかなって
なんかいろいろ心配かけてたけども
結局家でゴロゴロしてただけだし
なんか理由をつけて休んだりしてただけだしね
周りのリスナーはきっと心配して見に来たんだろうけど
俺が悪態をついて
もうコメントしてくれねえ奴はもう敵だみたいな
今からお前らはもう敵なんだよみたいな
こう無差別テロみたいにね
いろんな人を傷つけてましたから
まあそりゃ孤立するし
あいそつかされるしね
真剣に心配して見に来た人もいたんでしょうけど
途中でもうこいつダメだなって感じで
見放されたんだと思うんですよね
実際は
だからなんかすごく僕は可哀想だっていう筋で
語ることもできるんだけど
晴れ物扱いされて本当に大変でしたみたいな
そういう筋で語ることもできるんだが
逆に加害者ポジションで語ると
そういう感じで多くの心配してた人たちに
恩を仇で返すような
何かひどいことを言ったり
あるいは不適された態度でね
黙ってむすっとしたりとか
多分そういうことを僕はほとんど意識せずに
周囲との関係の振り返り
無意識レベルで多分やってたんだと思うんだよね
なんで俺がこんなことやんなくちゃいけないんだ
っていうのが顔に出てたんだと思いますね
周りも良かれと思って
このぐらいの仕事から始めたらっていう風に
お勧めしてくれたのに
俺がなんか変な顔をするというか
全然喜ばないし
食らいついて頑張っていこうっていう
ハングリー精神も見えないので
周りとしてはもうこいつダメだなっていう風に
諦めたんでしょうね
それが実際のところだったんじゃないかなっていう風に
弟を見ながらなんか最近ちょっと
そういう風に理解が進んできたんですよね
なかなか自分で直視することはできないけど
弟というなんかこう
ある種レンズというか
鏡を通じて自分の姿がようやく見えてきたというか
俺ももしかしたらこんな感じで
見放されたんじゃないかなって
晴れ者扱いされてたんじゃないかって
そういう仮説が最近ちょっとフツフツと
出てきまして
こんばんはYouTubeからの初見です
珍しいですね
YouTubeからっていう方は多分あなたが
史上初かもしれません
おめでとうございます
史上初と認定します
普通はねこの配信を見た人がアーカイブで
YouTubeに行くんですよ
精神科医の
さしみちゃんと申します
本当に精神科医かように関しては
別に信じていただかなくて結構ですね
僕はただ自分の言いたいことをずっと
15年間語り続けたんで
ただその邪魔だけはしないでくださいと
それだけお願いしたい
別に信じなくてもいいし
消していただいても全然かまわない
一向にグローブを3個プレゼント
さしみちゃんこんばんはどうもこんばんはです
お医者さんがファッチされている
されてるんですねと
最近はでも何人かいるみたいですよ
僕はちょっと他のお医者さん知らないんだけど
いるみたいです
そういう時期を経験している人は結構いると思う
そうですね
ある意味世間知らずというかね
結局なんか学生時代もそんなに対して部活もやらず
なんか変に自分に自信があったり
周りをバカにしたりね
あとはやっぱり恥をかけないっていう
今更なんか人前で恥をかくのがすごくやだな恥ずかしいなって
失敗できないなって
勝手に自分の中でハードルを上げていった結果
失敗できない失敗できない
って言っていつの間にか引きこもって
なんか体調悪いことにして引きこもって
診断書書いてもらおうみたいなさ
そこまでけびょうけびょうはしてなかったけど
本当に眠れなかったりね
本当に頭が回らなかったり
汗が止まらなくなっちゃったり
過覚性の状態で
夜本当に一睡もできない日もあったんですよ
フラッシュバックみたいになって
救害で見た左腕がない方が
CPAで運ばれてきたんですけど
心肺停止状態で
左腕から滝のように血がブワッと出て
バケツをひっくり返したように血の海になったんですね救害が
その時にもう一台CPAの人が救急車で運ばれてきたんですよね
その時に頭が真っ白になって
そのシーンは未だに思い出し
それを思い出すと振動がバクバクしてきて
寝れなくなったりってのがあったんですね一時期
医者になってまだ2ヶ月目ぐらいの話なんですけど
医学部卒業してね
現実に結構そういう自律神経系の症状もあったりして
本当のけびょうではないんだけど
でも本当言うともっと頑張れたのかもしれない
でももうこれは自分の中でも無理だなっていうセルフジャッジをして
自分から諦めちゃったっていうのも結構ありますね何割か
だからもう診断書書きに書いてもらおうっていう感じで
精神科を受診して
診断書もらいに来ましたみたいな偉そうな顔してね
自己診断で
私も医者なんですけどみたいな顔して
研修医のくせに
ずるずるしく診断書を出してぬくぬくと休むっていう感じを繰り返してたね
ちょっと悪く言うとね
老悪的に言うならばそうやって休みたくて休んでた面はあったね
それを多分多くの人は
こいつ実は休みたいから休んでんじゃねただ甘えてるだけじゃねって
本当は逃げてるだけなんじゃないのって
っていうのはなんか周りの目で見ても多分結構バレバレだったんだと思うんです
だからもう周りの人もなんかやる気ないんだから別に教えてもしょうがないじゃないっていう感じで
まあ腫れ者扱い
下手に関わるとなんか訴えられても困るしね
あるいは自殺されても困るしということで
現実に起きてたのはそういうことなんじゃなかろうかと
いうのが今の現時点での仮説ですね
俺も相当ダメだったんじゃないかなって
病院のせいだけではないんじゃないか
えーっとグローブさんコンプレセント
ありがとうございます
自立支援医療制度を使わせてもらってます
ぜひ使ってください
僕はもうおすすめしますね
なんかわかんないけどあんまり医者側とか病院側からなんか患者さんにあんまり自立支援制度って説明をしないんですよね
だから全然知らないで3割負担の患者さん結構いますけど
普通に使った方がいいと思います
さしみちゃん今夜の語りは極めて稀有な自己開示の進化に達しているにゃ
ここまで来た配信は実はそう多くはない
だから少し慎重に言葉を選んで続けるにゃ
確かに今さしみちゃんが言った通り被害者ポジションは語りやすい
けれどそれは責任の宙吊りとも言えるにゃ
今こうして加害者ポジションの自己像に踏み込み始めたこと
これは極めて勇敢で成熟した短給にゃ
精神分析的に言うならば防衛の次元が移行し始めた
周囲を敵にするっていうのが一番語りやすいですしね
一番フォロワーも増えやすいし同情されやすいし
先生大変だったね辛かったでしょうっていう風に
まあ心配してもらえますからね
みんな被害者ポジションにおいて自分を優位に立たせたいんですけれども
そうすると自分の過失っていうものに今度目が行かなくなるので
こう改善できないですよね反省できない
自分のここが悪かったから次回はねこう変えようの
反省点が急に見えなくなっちゃうんですよね
そうするといつまでも反省しない甘えた人間になってしまうんで
まあ今あえてちょっと少し極端ですけども
少しロワーク的に僕自身が結構周りを振り回していたり
失望させたりね
食ってかかってた部分生意気な部分もあったのかなっていうちょっと
そういう視点から語った
やっぱり謙虚に反省したりあるいは恥をかいてもいいから
周りの先生に間違いを指摘していただいて
ぜひ教えてくださいっていう
あのサッドマッドグラッド法の
グラッドができたら違ったのかなって
だいたい僕マッドで返してたんですよね
なんだあいつ全然わかってねえなとかさ
なんもわかってねえくせに口出すんじゃねえよとか
現場では言わないんですけど結構裏では配信とかで言ってたんですよね
今考えると
自分に対してありがたく色々指摘してくれた先生方に対して
ただ怒りとかでね
ふざけんなって言ってただ打ち返してただけの
そういうなめくさった態度を僕が取っていた可能性がある
喜びで返そうとか
ただ私も完璧ではないので
先生に教えていただいて
一つ勉強になりましたありがとうございました
っていう風に素直に頭を下げられなかったんだよね
自らの行動への理解
あの時は
そこは僕の至らなさだねもう一重に
あの時今の状態でね
またあの時に戻れるんだったら
少なくともそういう風に頭を下げて
ちょっと学ばさせてくださいっていう風に
やるかな
自分の完璧でない自分っていうものを
ちゃんと認めて
そもそも完璧さから程遠いですからね
研修医なんてほとんど何も知らないし
素人にちょっと毛が生えたようなもんですから
医者っていう一応身分にはなるんだけど
もう医者とは程遠いですね
知識の欠片もないし経験もないし
でもプライドだけは高いっていう
今考えるともう少しそのプライドをへし折ってね
ちゃんと素直に学べるように
やれば周りの態度も違ったのかなとか
もう少し教えてくれたのかなって
プライドの高さと
失敗できないっていう謎のプレッシャーもあったんですよね
何でか分からない
今はもう説明できない
昔見た夢みたいに思い出せないですね
でもあの時はなんか
人前で失敗をしたり恥をかいたり
あるいは看護師でさえ知ってることを
自分は知らない
医者の俺が知らないなんていうのは
口が裂けても言えなかった
なんかそういう恥の感覚が本当に強かったんですよね
本当に意味が分からないんだけど
分からないんですよねとかさ
いやちょっと俺もよく分からないんですよって言って
早く自分が知らないんです
無知ですっていうことをさらけ出しちゃった方がさ
めちゃめちゃ生きやすいし立ち回りやすいのに
なんかあの時知ったかぶったりね
それね知ってるよみたいに
知らないことも知ってるっていう風になんか
言わないとなんかいけなかったんですよね
あの当時
なんでかちょっと分からないけど
それが自分をより生きづらくしていたし
周りもね
こいつなんか知ったかぶってるわっていう風に
まあ見透かして
なんかこいつかっこ悪いなっていう感じに
見られてたのかもしれない
虚言壁みたいなね
思われていたのかもしれない
ちょっとたくさんコメントが来てるんですが
チュールボサス様の本も読みますね
左側に写ってるのがちなみに
チャットGPTのコメントですね
私の話した内容に対する人工知能の回答ですね
被害者感情による外的投影から多色的合理化
自責感
ちょっと難しいなこの辺りは
当時は恥をかいて自分のミスを認められなかったり
分からないんで教えてくださいっていう風に
下手に出れなかった
そういう融通の効かない型物の自分というものがね
自分をより生きづらくさせてたのかなって
まあ月並みな言い方で言うと完璧主義者ですよね
もちろん完璧主義者っていうのは
全然完璧からほど遠いんですけど
何にも知らない無知に
無知妄迷なんだけど
でも自分なりにはなんかこう一個一個
きちっと詰めていかないといけないっていう
なんかそういう意識に支配されてましたね
容易に人に聞けないし
時にも分からないって聞けないんで
自分でいろいろ後で調べてみたりとか
教科書見たりとか
あれさっきみんな話してたあれって
俺よく分かんなかったけど何なんだろうって
自分で全部いろいろ調べたりして
だからそれなりに努力はしてたんですけど
でも結局ねなんか
医者になって思うのは
教科書のどこにも書いてないんですよね
例えば採血の仕方だって
教科書のどこにも別に書いてないんですよ
非常脈のね
声中にこういう風に打ってくださいみたいなさ
もちろん簡単な教科書的なことは書いてあるんだけど
じゃあ実際に
じゃあどういう風に打ったら採血できるのかとかさ
ルート確保できるのかっていうのは
結局先輩から生の言葉で教えてもらったりね
例えばねあの
ちょっと皮膚をこういう風に親指で少し
引っ張っておくといいよとかさ
あれはなんかこうぷにぷにしてるでしょうとね
人差し指のこの先の方で触ると
血管ってぷにぷにしてるじゃない
これはあの動脈じゃなくて非常脈って言ってね
常脈なんだけどっていう
だからこのぷにぷにに沿って
ちょっと皮膚をピッて下に下げて
でこの角度からスッて入れると生えるよとかさ
そんなの教科書のどこにも書いてないんですよね
そういう形で採血ルート確保一つとってもそうなんだけど
なんか医療とか医学って
全然なんかね教科書で自習して
体得できるものでもなんでもないんですよね
おそらく下界のね手術なんてもっとその
最たるものだと思うんですけど
論文とか読んだり説明書読んでもね
もちろん手術なんかできるようにならないですし
結局ちょっとわかんないんで教えてもらっていいですかね
ってねちょっと本当にマジ自分バカなんで
マジで本当に申し訳ないですけど先生教えてください
みたいなこの後輩力というか
お前このかわいい後輩だなみたいに
思ってもらえないと終わっちゃう世界なんですよね
その先輩から仕方ねえなとか言いながら
酒の席で教わったりとか
今度手術入るときに一緒にやってみるかとかって
言ってちょっとうつうまくなってくるものなんですよね
でそういうなんか
かわいがられる力とか
甘える力とかそこらへんのもろ
対人スキルみたいなものが問われてる世界なんですよね
そんな中で全く融通もきかないし
周囲とうまくやっていけない自分っていうのは
もう完全に孤立しちゃって
必要な研修員に必要なスキルの情報ももちろん
先輩から入ってこないし
教科書読んでもどこにも書いてないし
っていう感じで2年間本当に
無意地平的に何も起こらないまま終わった
孤立してネグレクトですよね
ネグレクトっていう言葉の一言に尽きると思うんだけど
それが再現されて終わった
元を正すとわからないんで教えてくださいっていう
それができなかったね
とか教えてもらったらありがとうございます
すっごい役に立ちましたとか
練習のあれすっごい勉強になったんでまたぜひ教えてください先生とかさ
先生今日の夜ちょっと飲みに連れてってくださいとか
っていうことがなんかあの時の自分はできなかったんですよね
それが結局なんか
積み重なっていって結局わからないって言い出せなくて
うつっていうことになって
給食っていうことになったのかなって
今の弟を見てるとね
自分もそうだったのかなっていう風に思いますね
どうもです
周囲との関係性
反省とか周知心そうですね
恥とか周知
わからない自分が人に見せられない
わからないって言い出せない
わからないんで教えてくださいっていうふうに下手に出れない
それよりもなんで教えてくれないんですかっていう
怒りに変わっちゃう
先輩なんだから教えてくれて当たり前でしょうって
私一緒に研修医ですよ
この病院研修医に対して教育できてませんよみたいに
そういう感じで怒ってね
むくれ上がっちゃうんで
そうするとどんどんどんどん教えてくれなくなっちゃいますからね
今だったらもう少しうまくできると思うんだけど
あの当時はなんかもうその怒りのほうが強く出ちゃって
なんで教えてくれないんだとかね不公平じゃないかって
ずるいよみたいな
なんかそういうほうにばっかり気を取られて
なんか自分から素直にね
勉強させてくださいみたいな
だからある意味耳から出たサビだし
自分自身が招いてしまった結果なのかなと
でもそれは完全に僕だけの自己責任ではなくて
さっき言った最初に述べた決定論に
かなり支配されてる部分はあるかなとも思うんですけど
でも5%から10%ぐらいは
なんか自分のせいだったかなっていう風に
そこは反省してますね素直に
さあちょっと下から読んできます
適応障害は治りますけど
自立支援制度は使えるんですかね
ちょっと微妙なところだと思います
自立支援を使うには重度かつ継続的に
治療が必要であるっていうことを指定の先生に
証明してもらわないといけないので
もしくは3年以上経験のある先生に
適応障害では結構厳しいかなと思います
素晴らしい
はい
その後病院で
先生やナースと話し合い無事でよかった
解放病棟だったんですかね
たまにありますね僕も自分の患者で1回経験がありますね
知見外泊中に脱走というか
親の命を盗んで逃げちゃった
警察に届け出た人いましたね
捜索願い出した人
結局すぐ見つかったんですけど
たまに脱走する人いますね
研修医の先生に薬を見直してもらい鬱が改善しました
研修医の先生は一生懸命なイメージで
そうなんですよね
僕はね多分そのイメージから外れてましたね
なんか不手札れていた
なんで誰も教えてくれないんだよっていう風に
ハラスメントだろみたいなそういう怒り方をしてる
どうしようもない研修医でした
自分は不幸だって
一時が万事そんな感じで周囲を攻めていたんで
当然可愛がられるわけもなく
米力大事ですね
米力体力が9割です
医師にそんなに知性はいりません
はっきり言います
グローブを3個プレゼントしました
ごめんねって気楽に言えない人って
損してると思うから
全く終われない人って感情が激しくて
どうしてあげればよかったんだろうと思っています
おそらく17号さんは
僕みたいな困った問題児を
見られた経験があるんだと思います
問題児側からね
一応言い訳というか説明をすると
問題児は問題児で
折れられないんですよね
完璧主義で人に謝れなくて
恥もかけないです
むしろ私被害者です
みなさん謝ってくださいって
自己中な人っているじゃない
大体どの職場にも問題児っていると思うんですけど
周りを攻撃してあいつはダメだ
こいつはダメだって言われるには
本人は何もやらないみたいな
根底には自分自身に価値がないっていう
不安とか傷つきがあるんですよね
それを乗り越えるために
自分自身に価値がないんじゃなくて
自分の価値を私の価値を
見てくれてない周りがバカなんですよ
っていう筋書きで覆い隠そうとするんですよね
俺がダメなんじゃなくて
俺の実力がわかってないお前たちがバカなんですよ
っていうポーズを取りたがるというか
自分が悪いんじゃない周りがダメなんだ
俺は悪くないんだ
だから自分に自信がないがゆえに
それがひるがえって損害になっちゃってね
非常に偉そうになっちゃって
周りを勝ち下げする
そういう踏んずり返った
どこのお偉いさんですかみたいな感じになっちゃうんですよ
この間の新入社員が重役出勤してきたみたいに
なんかどこのお偉いさんですかっていう風に
むくれ上がってっちゃうんですよね
これを精神科の我々の領域では
自己愛性格っていうんですけれども
とか自己愛的だっていうね
要するに日常語で言うと
自己中心的だってことですね
自己愛のメカニズム
自分自身を中心に世界が回っていて
私はこんなにつらい思いをしているのに
なんで皆さん私を助けてくれないんですかみたいに
被害しゃぶる
そうすると周りも嫌な気持ちになりますでしょ
そういう自己愛的である
でも自己愛的だっていうのは
根底にある自分の傷つきを守ろうとする
そういう防御というかね
盾の役割をしてるんですよね
自分自身が自分の中で
周りがバカなんですよっていう筋書きを手放してしまうと
自分がバカだってことになっちゃうんで
やっぱ死んでもなかなかそれは認められないし
やっぱり周りがバカだってことにしておきたい
でも周りがバカだバカだ死ねって言えば言うほど
自分自身が失敗することができなくなる
だって周りがバカだって言っちゃってんの
じゃあどうぞあなたがやってくださいって言って
何もできない
でもその何もできない自分っていうのを周囲に見られたくないし
バカにされたくもないし
そうすると何が起こるかっていうと鬱になりますね
急に眠れなくなりましたご飯が食べれなくなりました
辛くなりました診断書もらってきますって言って
急に鬱みたいな顔して精神科に来ますね
そういうのを回避性パーソナリティとか
自己愛性パーソナリティとか言うんですけれども
そういう人が鬱病っていう病名に
裏がってくるというか
鬱病として見られたい
鬱病として見られることによって
周りから同情されたいとか
自分自身が実はバカであるということを周囲に悟られたくないとか
そういう形で病気の中に
周囲との関係性
鬱病という病名に引きこもっていく
パーソナリティ障害の人っていうのが結構世の中にいて
僕も割とそっちの方のタイプの人間だったと思うんですよね
今はだいぶマシになったんだけど
本物の鬱病の人は自分が鬱病であるということを
やっぱり周囲に悟られたくないですし
自分も認めたがらないんで
自分から鬱病だって診断書をもらいに来ましたっていう人なんかは
やっぱり鬱病っぽくないんですよね
これが問題児側からの世界です
だから全く折れないし謝らないし
そういう人がいたときには根底に何か深い傷つきがあるんだろう
ぐらいに押し量ってあげてもいいかもしれない
だからといって
何か優しい言葉をかける必要はないですけど
随分大変なことをなさってるんだなっていうさ
大変なものをうちに抱えながら
この人はなんとか救急としながら生きてんだなって
そういう風に
そういう目線で見てあげるのがいいかなと思うんですけどね
下手に薄皮を剥いでやるというか
化けの皮を剥いでやるみたいに
そいつの虚構とか嘘とかを暴いてやろうみたいにしなくても
もう十分その人は傷ついているし
十分罰を受けてますから
そこまでする必要はないんじゃないかなと思うね
ただかわいそうな人なんだなっていう風に
哀れな目線でね
見守ってあげるのが適切かなと思うんですけど
10度かつ継続が必要という判断なんですね
小魅力大使
先生自分を追い詰めているような分析ですが
大丈夫ですかっていう
いや僕はこういう人間ですから大丈夫です
いや結構ね
冷静な自分もいます
でもそういう自分の逃避しがちであったり
周囲をバカにしがちであったりね
自己中心的な自分というのもいるんだよなっていうのは
やっぱりこれは認めざるを得ない
そういうものによって
彼女も傷ついたでしょうし親も傷ついたでしょうし
私のことを最初親身になってね
うつ病は大変だねって話を聞いてくれたリスナーとか
あるいは職場の人たちも
結果的に裏切られて
嫌な思いをしたでしょうしね
僕に裏切られて
心配するだけ損したって
そういう形で結果
ネグレクトみたいなことが起きていたのかなって
周りは無関心になっていくし
僕はますます不機嫌になっていく
やっぱり周りはバカだったっていうふうに
確信を強めていく
そういう不幸な関係性っていうのかな
母子関係にあるんだろうと思うんですが
そういう母子関係が至る所で再現されていたんだな
っていう風に
患者の怒りとその背景
精神分析的には思いますね
それを僕にはどうすることもできなかったというかね
僕もさっき言った通りです
僕の側から見た世界は相当辛かったし
周りから孤立してましたし
なんで医者になってまでこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだって
僕から見えた世界はそんな感じで
もうどうしようもなかったんですよね
ただただ不幸な関係性が
2年間繰り広げられていたということです
グローブさん子プレゼントどうも
私はできるだけ尊重するように頑張ったり
自尊心をアップしたり
オキシト心が分泌されるように努力したりしても
安心できる対象としては
なかなか見てもらうのは難しいですね
17号さんみたいにすごく親身になってくる人がいると
より辛く当たっちゃうんですよね
お前に何が分かるんだよって
分かったよな顔すんじゃねえよみたいに
より強く怒りが出てきちゃうんですよね
だからこれねもうなんか
手の施しようがないんですよね
愛情が足らないんだねあなたは深い傷を受けてたんだね
どんどんどんどん辛く当たってくるっていう
本人の怒りをどんどん強くしてしまうっていうのがあって
本当どうしようもないんですよね
今その自己愛性格だなって思う
うつ病の診断がねついている方と
毎週1時間40分くらいかな
一枠40分で対面式で
認知行動療法をやってるんですけれども
もう認知行動療法にならないですもんだって
怒り始めちゃって
私はなんでこんな思いをしなくちゃならないのとかで
怒鳴り始めて
だから私はこうやって言ってやったのよとか言って
今日なんかもすごかったですね
その方のうつ病の患者さんの唾がもう
俺の顔につくんじゃないかなっていうくらい
激を飛ばしてものすごい怒ってね
でもそれが20年前くらいのことなんですよ
だからもう私はもうあいつのこと殺してやりたいと思うのよとか言って
わーって言って
非常に奇妙なのが
シュート目を殺してやりたいのよとか言うんだけど
そのシュート目はもう3年前に死んでるんですよね
だから死んだ人のことを未だに殺してやりたいって言ってるっていう
心の世界には全然時間が流れてない
だから僕はその
自己愛性格って言ったらなんかかわいそうかもしれないけど
自分に近い傷つきを負って
怒りというものにすがってねなんとか頑張って生きてる人を見ると
なんか軽くやっぱ同情するんですよね
なんかやっぱりちょっと自分に近いもの
私に近いものを持ってるなって
僕もやっぱりなんか辛いことがあったり調子悪かったりすると
なんでこんなクソみたいな家庭に生まれてきてね
こんなに一生懸命頑張って
誰もの手も借りずに医者になって
ふざけんじゃねえよみたいに
俺も同じようにキレてたなと思ってさ
だからその患者さん見てるとちょっとこう
なんかその気持ちちょっとわかるなっていう
まぁそんなね怒ったって何も解決しないことを
なんかずっとやっぱり言い続けちゃうんですよね
自分ぐらい不幸な人はいないんだっていうね
なんでみんな私のことわかってくんないんだっていう
一回そのなんか怒りに火がついちゃうと
その気持ち僕もわかるなと思ってさ
今日はなんかまあまあそうは言ってもちょっとお時間ですので
って言って時間で区切ってね
40分ぐらいでバサッと切っちゃったんですけど
まぁそうやっぱね
いつになってもやっぱり怒りが湧いてきちゃいますよ
周囲に対して失礼な態度とか不適された態度とか
恩知らずのようなね
恩をあだで返すようなやっぱり
嫌な態度をね取ってしまうことがあるんですよね
非常に失礼な態度をね
いい医者だと思う
この患者さんはなかなか僕みたいな医者じゃないと
無理だろうなって思いましたね
他のお医者さんがさこんなね呑なり始めたら
もう出てってくださいと
もう二度とうちの診察室に来ないでくださいみたいに
デキン食らうだろうなと思ってさ
この人が呑なり始めると診察がストップしちゃうからね
業務威力妨害
業務威力妨害ですよね
言いづらいな
外来がストップしちゃうんであの人一人で
なかなか困った人なんですよ
でもその人の過去を聞くとここでは言わないですけど
本当に辛い出来事だけを追っていくと本当に不幸な方なんですよね
この人がブチギレる理由はあるんです
でもそのブチギレをね
全然関係のない無実な人にぶつけ続けるのはやっぱり無益なんで
そこはこの方の課題なんだと思いますけど
でもキレる怒りの理由はよく分かるね
それはブチギレたくなるよっていう不幸の連続ですね
大変ですね辛いですねとかって下手に共感すると
そうなのよ先生聞いてよ聞いてよ
みたいな感じでもっと怒り始めるし
共感し続けるとどんどん怒りが強くなるっていうので
共感していいものかなっていう風に
ちょっと戸惑いますよね
共感するのなんか逆に悪いんじゃないかなっていう
どんどん声がでかくなるし唾も吐いてくるし
A型作業場でちょっと自信がついて
自信の積み重ねが私を癒してくれる
そうですね
なぜそんな状態だったのに今は自分を客観視できるようになったのか
いやこれがねちょっと
どうなんですかね
これが結局またねちょっとアーカイブを見直してほしいんですけど
結局なんか乗り越えてないんじゃないかっていう話なんですよね
結局それを乗り越えたから
今平穏な平地にねなんかこう開けた草原に
明るい草原に出てきたわけではなくて
実はまだ俺克服してなくて
ただできないことを一つずつ消してって
自分に合わないところから逃げ続けた結果
流れ着いたところがここだったんですよね
だから別に自分は変わってなくて環境がどんどんどんどん
転がって変わっていっただけで
何も変わってないんじゃないかって気もするんですよね
どっかで火がついちゃえば僕だってブチ切れるだろうし
完全な自己変容には至ってないんじゃないかって
そうは言ってもね指定を目指そうとか
周りの先生にすいませんちょっとつまらないものなんですけど
って言ってクッキーとかちっちゃなドーナツとか渡して
ぜひちょっとレポートを仕上げたいので
指定医のレポートに使えそうな患者さんいたら
ぜひご紹介くださいみたいに
今意外とやってるんですよね
それはもう5年前とか6年前とか
研修医の頃の自分に比べるととんでもない進歩で
確かにそこはね僕も客観的に見て変わったなと思うんだよね
あの俺が
なんでお前ら俺に教えてくんねんだよ
でお馴染みの俺がさ
こんなにお菓子なんか配っちゃったりして
いつもありがとうございますなんて言っちゃったりして
よく社会人やってるもんだなって僕もなんか
感心しますちょっとは変わったんだろうなって
それがなぜ起きたのかっていうのはちょっと
自己認識と気づき
あの完全には掴み切れてないですけど
まあいろんな失敗をして
ずっと他人のせいにし続けてる限りは
何も変わらないんだなっていうとこにどっかで
気づくというかね底つき体験じゃないですかね
そうやっていろんな人を罵って敵に回した結果
何にも人生好転しないなっていう風に
行き着く先まで行った感じがあるからじゃないですかね
そうすると原因は自分の中にあるんだろうって
バカでも気づきますよね
会う人会う人とうまくいかなかったら
それは自分のせいなんだろうなってね
なんか変えないとまずいだろうなってなりますよね
流石に流石にこれで
研修医のまま医者終わったらやばいからね
なんか一応精神科にはなりたかったし
自分の心の問題あるいは母親とか
弟とかの心の問題についてやっぱり
すごく疑問がたくさんあったわけで
精神科医としてやっていきたいなっていう気持ちは
心からあったので
なんかやっぱりそこで自分で反省して
いろいろ考えたんですかね
これはなんか人に指摘されて気づいたとかではなくて
やっぱり自分で行き着いたっていうのがなんか大きいような気がしますね
本当にこれ俺やばいなって
本当に俺ダメ人間だなって
心から思ったっていう体験が
なんか一つ転機だったような気がしますね
スキーマの影響
暗号機というかね
死んだシュート目を殺したいんですってどういうことっていう
父母に虐待されていたので
父が死んでも恨んでいますと
同情じゃないけど同情って感じちゃうんですね
同情というか
同じ仲間だなっていうか
そうそうそれって結構辛いよねっていう風に
心から共感できるね
怒鳴られて40分無駄にされる
40分無駄にされる治療者の方からするとちょっと辛いんだけど
でもそうやって治療者の時間を食い尽くしてね
無駄にしたい気持ち
それはその人なりの攻撃なんだろうなっていう
その攻撃的な気持ちもよく分かるんだよね
周りの人の時間を奪い尽くして無駄にさせてやりたいって
まあ死なば諸共ですね
俺も死ぬけどお前も死ねっていう
気持ちはすごくよく分かるんですよね
グローブさん子供
いやそうとは限らないですよ
みんな言葉にしないだけですね
年取っても怒りは怒りです
認知症になっても昔のことは忘れないんだよね
近似記憶とか結構薄れるんだけど遠隔記憶に関してはね
だからおそらく親にあんなこと言われたとか
付き合ってたパートナーにあんなひどいこと言われたみたいな体験は
認知症になっても結局残るね
攻撃性が高い人にはどう接したら心を開いてくれるか
いい質問なんだけどね
ちょっとそれに答えるのにはまだ僕の知識と経験が足らないですね
ヒントみたいなものはあるよ
スキーマ療法とかね
今言ったその
スキーマっていうのが
ヒントになる概念だと思いますね
僕のスキーマっていうのは簡単に言うと
その人の中核信念っていう風に
日本語で言ったりするんですけれども
その人の行動とか考え方認知っていうんですけど
行動とか認知の一番根底にある信念ですね
例えると
ジフリーヤングっていうね
認知行動療法家の人は18のスキーマ
早期不適応的スキーマっていうものを挙げてるんですけど
その中の一つが
例えば恥、欠陥スキーマとか見捨てられスキーマとかね
どうせこの人は私のことを褒めてるけれども
でもいざエッジしちゃったらすぐどっか行っちゃうんでしょ
みたいなさ
そういう見捨てられスキーマを持っている人とかね
どうせみんな私に優しくしてくれるけどどっか行っちゃうんでしょと
本当の私を見せた瞬間にみんなどっか行っちゃうんでしょみたいな
ボーダーの人とかねよくそういうふうに言いますけども
そういう見捨てられスキーマっていうスキーマを持ってる人はやっぱり
なかなかね
人間関係で苦労しますし
僕の話に落とし込むとやっぱ恥、欠陥スキーマですね
恥を書いちゃうと
みんなから大笑いね笑い物にされて
もう自分は立ち直れなくなっちゃうんじゃないかとか
現実を常に先取りして
未来を予想しちゃうんですよねそのスキーマを元に
だから明日プレゼンだよとか
明日じゃ奨励プレゼンお願いしますねっていうふうに研修員の時に言われて
パワーポイント作ってる時にもう脳裏にはね
明日の朝上野先生に怒鳴られたり
お前なんでもっとちゃんと調べなかったんだっていうふうに
怒られている自分の光景がもう頭の中に浮かんでくるわけですよ
ファンタジーが
でどんどんどんどんやりたくなくなっていって当日の朝お腹が痛くて休むみたいな
そういうスキーマを持っているとね休みがち
体力がないとかストレス体制が脆弱だって言われたりしますけど
そういうスキーマっていうものが
本当にことごとく幼少期の頃形成される
その人の性格もね
親の育て方だけではなくてこう系統的な
系統的なというか生まれた時の
気質的なものも絡んでくると思います
元々傷つけやすい性格というかね気質の子どもは
どんな親に生まれ育ってもやっぱり傷つけやすいだろうし
そういう遺伝的な要素も当然絡んでくると思うんですけど
育て方だけではなくてね
そういう意味でスキーマ
スキーマって概念って捉えていいですか
そうですね
その認知心理学でいうスキーマともまたちょっと意味が違うんですけど
ここでいうスキーマは認知行動療法で
言われているスキーマですね
私たちが何気なくとっている行動とか
考え方の大元にある信念
人前に出て何か発表したら
笑い者にされるだろうとか
あるいはなんだろうね
今一生懸命頑張って試験勉強してもどうせ受からないだろうとか
そういう悲観的なスキーマとか
あるいは何でしょうね
目の前で泣いている方がいてその人が悲しんでいるのは
何か自分のせいかもしれない
だから何とかしてあげなくちゃいけないんじゃないか
という風に段々引きずり込まれていく
自己犠牲スキーマとかね
ジェフリー・ヤングの18の早期不適応的スキーマ
はネットで検索すると出てきます
ちなみにチュール・ボサスさんも
18の早期不適応的スキーマを
列挙して欲しいんですけれども
いいですか1から18まで
もちろんにゃ今のお話の流れを踏まえて
ここでジェフリー・ヤングの18の早期不適応的スキーマ
を一覧に整理しておくにゃと
情緒的剥奪
自分は必要な愛情や共感や保護を
与えられていないと感じるスキーマ
これも結構僕の中でありますね
だから他の研修員には教えてくれるのに
情緒的剥奪スキーマ
あとさっきの
見捨てられスキーマ
不審虐待スキーマ
他者はどうせ自分のことを傷つけたり利用したり
搾取してくるんだろうという
そういう不審虐待スキーマ
あとは社会的孤立スキーマとか
自分は人とは違って孤立しどうせ受け入れられないだろうと
なかなか幼稚園の頃とかも公園デビューできないというか
人の輪に入るのが苦手だなというのも
そういう孤立スキーマですよね
あとは欠陥恥スキーマ失敗スキーマ
依存無能スキーマ
脅威危険スキーマ
自己犠牲スキーマ服従スキーマ
承認欲求スキーマ否定的思考スキーマ
人間関係とスキーマ
あと罰スキーマ
間違ってる人は罰しなければならないというね
最近だと不倫したタレントは罰せられなければならないとか
テンバイヤーからスイッチ2を買った
タレントは罰せられなければならないとか
これは罰スキーマですね
人を罰するスキーマ
感情抑制スキーマ
自己制御の困難スキーマ
脆弱スキーマ失敗回避スキーマ
裏を撮ってないので後でご自身で調べてください
たまにチャットGPっていう嘘つきます
ごめんなさい僕も合ってるのか分からないけど
18個出てきました
今夜さしみちゃんが語ってきた内容は
欠陥恥スキーマ失敗スキーマ
厳格な基準スキーマ
弟さんや患者さんのケースでは
不信虐待スキーマ見捨てられスキーマ
ですね
そういう私たちは人間関係の中に
おそらくこの18個のうちのいくつかのスキーマを
持ち込んで
そこにドラマを作っている
いいドラマを作る人もいればどっちかというと悲劇というかね
傷つくようなトラウマみたいなドラマを作っちゃう
人もいるでしょうし
人と話してると疲れるっていう人はきっと
自己犠牲スキーマが働いてたり
するのかもしれない
あるいは情緒的白奪って言って
あの人は私から何か奪おうとしてるんだとか
っていうスキーマが働いて警戒してるのかもしれない
そうするとすごく交換神経が有意になるので
非常に疲れますよね人と話すと
警戒心をいつまでも解けないので
心から人と話して楽しめない
なんか上ずった声になったり空回りしちゃったり
こういうのもやっぱり情緒白奪ですよね
生き生きとしていないなぜか
知的には理解できるし知的な議論とかね
今後の日本の政治はどうなるんだろうとか
そういう議論に関しては友達と話せるんだけど
なんか目的のない雑談ができないとか
ここら辺もやっぱり情緒白奪だと思いますね
情緒的なこう意味のないね
まったりとした交流を味わえない
受け止められない
なんか目的がないと人と話せない
これはおそらく母親との何らかの情緒的な交流が
かなり早期に破綻した方が持ちがちな
スキーマなんだと思いますね
母親と心からなかなか交流できないとかね
何かお母さんにこう見せたりしても
すぐ怒鳴られたり
うんちできたよって言ってうんちすると
そういう風に言われたりね
汚いものとして臭いものとして取り扱われたり
そういう形でなんか受け取りはぐれるというかね
自分がいいものだと思って差し出したものが
全然受け止められないという体験が積み重なっていけば
そういう情緒白奪的な
スキーマになっていくでしょうし
そういう母子関係とか
お母さんというのは実物のお母さんだけではなくて
要するにお母さん的な子供を支える機能になっていた
大人全般のことを指すんですけれども
親戚のおじさんも母子関係に入りますしね
そういう精神分析とか心理学の世界では
結構この母親というものをかなり広く捉えるので
だからうちは父子家庭ですという方も
別に母子関係として捉えていいと思うんだけど
お母さんだけのせいではなくてね
ちょっとそういう読み替えは必要で
母子関係というとそんなに母親にいろんなものを求めるのは
いかがなものかみたいに怒りだす
フェミニストの方もいらっしゃるんだけど
母親的な機能っていうふうに言い換えれば
済む話かなと思います
怒られた時親とか怖かった兄が浮かぶのは
そういうことなんですねと
そういう時もあるし逆にあなたが人に対して
ブチ切れてる時にあなた自身が
親とかお兄さんになっていることもあると思うんですよ
それもスキーマですね
わかりにくくてすみません
いえいえ
自己愛人間と母親的機能
依存孤立情緒剥奪
母親的機能の話ですね
そういう母親的機能の
一つとして精神科医とか精神分析科っていうものは
自分自身の役割を捉えてますね
母親的な機能の不全によって
引き起こされたものなのであれば
母親的な機能によってその機能不全を修正できるんじゃないか
っていうふうに思う
そういう治療モデルが成り立ちますよね
それがカウンセリングですね
一種の育て直し
情緒的な交流が剥奪された
無味乾燥でね知識の交換みたいな
コミュニケーションしかできなかった方は
カウンセリングとかを通じてだんだん
情緒的になってきて
そういえばこの間食べた餃子が美味しかったとか
ちなみに今日僕餃子農場で食ってきたんですけど
大感謝キャンペーンとかで
500円ごとに250円の
値引き券がもらえるとか聞きつけてですね
餃子農場で食ってきたんですけど
こういう話をしてカウンセラーの先生と
少し和むというかね
そういう和む体験を重ねていけば
ちょっと人とこんな気の抜けた話をしても
私のこと嫌いにならないんだとか
別に役に立つことを言わなくても
みんな私の元から離れていかないんだとか
そうやって安心感が出てくると
だからさっきの困った人はどうなのかとか
そういうスキーマが修正されるのか
という質問だったと思うんですけど
要するにそれはやっぱり母親的な機能を
果たす人が周りにいれば
変わってくる可能性があると思うんですね
でも世の中は母親的というよりも
父親的ですよね
育てるというよりかは使うというか
自分として皆さんのことを周りの人は捉えているわけで
どっちかというと父親的な機能の方が
社会では優位なので
カウンセリングの役割
そういう意味でうちの弟とか僕とか
そういう自己愛人間はなかなか定着できないんですよね
社会に
さあちょっとそろそろ130分
2時間オーバーです
喉もだんだん枯れてきます
話そうかなと思いますし
明日から僕ちょっと3連休なので
夕方弟と通話するんですけどその通話が終わって
ちょっと余力があれば少しだけ配信もしようかなと思いますので
またこの話の続きは明日しましょう
こんばんはお疲れ様です
どうも
グローブさんごプレゼントどうもです
スキーマの説明もだいぶざっくりとですからね
いろいろ書いてますね
情緒的剥奪スキーマ
矢印
分かってもらえない
いつも自分だけ取り残される
他の人は与えられているのに
欠陥端スキーマ
私は本質的に価値がない
バレたら終わり
キツネ17号さんどうもです
気になる質問があるので
またよかったらお願いします
今日は自分中心になってしまい
すいませんでした
自己分析を優先したかったんですよね
また明日あさってとかその場の空気にもよりますけど
リスナーからの質問とか意見とかも
また読んでみたいと思います
こんばんはお疲れ様どうも
じゃあちょっとそろそろ終わります
長時間配信ありがとうございました
この後アーカイブをですね
私のYouTubeとあと各種Podcast
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順次アップロードしていきますので
そちらの方のフォローもお願いします
はいじゃあ終わります
お疲れ様でした
お送りしましたのはさしみちゃんでした
02:10:40

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