2025-06-10 1:07:53

【Replay】「ファイトクラブで男が滾るのは罪なのか」 "Must we apologize for how Fight Club stirs something in men?"

Self-improvement is masturbation. Now self-destruction...


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やっぱり映画は語り合ってこそ真価を発揮するよね!

でお馴染みの、パーソナリティまこです。

オーマを招いての第2回。

ツーカーな感じなのでガツガツ収録してますが、まだまだ私がしゃべりすぎなようです。そのうちテンポが生まれるかしら。


それはさておき「ファイトクラブ」です。男臭いブラッドピットを骨の髄まで楽しめるこの映画。


・・・だけど主題はそこじゃないよね。いや、うるせえ。ブラッドピットがかっこいい映画、それでいいじゃねえか!


とはならないので、いろいろ思いを発露してみましたよ。と。


それでも語り足りない感じがしてしまうのがこの映画の怖いところです。




#ファイトクラブ

#エドワード・ノートン

#ブラッド・ピット

#インクレディブル・ハルク

#真実の行方

#リチャード・ギア

#乖離性人格障害

#多重人格

#オルターエゴ

#ミートローフ


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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


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これからも番組をよろしくお願いします。


“Self-improvement is masturbation. Now self-destruction...”

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Movies truly come alive when you talk about them — or so I always say.
I’m Mako, your usual film-rambling host.
For Episode 2, I’m joined by Oma once again. We’re pretty in sync, so the conversation flows fast… though I still tend to hog the mic a bit. Hopefully, we’ll find a better rhythm as we go.

Anyway — this episode is all about Fight Club.
A film that lets you bask in Brad Pitt’s raw, gritty masculinity down to the marrow.

…But that’s not really the point, is it?
Then again — shut up, maybe that is enough. Brad Pitt’s cool as hell, and that’s reason enough to love the movie!

Okay, okay — I didn’t stop there.
I had a lot more thoughts to spill, and that’s what we tried to do in this episode.

Still… still feels like there’s more to say. That’s the scary magic of Fight Club.

#FightClub
#EdwardNorton
#BradPitt
#IncredibleHulk
#PrimalFear
#RichardGere
#DissociativeIdentityDisorder
#MultiplePersonalities
#AlterEgo
#MeatLoaf

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I’m Mako (@_macobana), host of the main podcast “Swamp in Your Pocket” (#ポケ沼).
This new spin-off was born from all the movie talk I just couldn’t fit into #YomoyamakoBanashi (#まこばな).
I’ll never run out of films to talk about.

Episodes drop weekly or every other week.

Got thoughts? Hit us with #リルパル / #ReelPal on social — we might feature your post in the show!

Got a film you want us to tackle?
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Thanks for tuning in — and keep questioning everything. Or don’t. Up to you.

00:04
レールフレンズイントーキョーバックナンバー、過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということでね、本当はもう少しね、ちょっとダイソーの紙製品について語りたくなってしまったんですけど、それはまた別記録で撮っておきましてね、本日のテーマは、「ファイトクラブで男が滾るのは罪なのか?」ということでね。
そんなテーマだったっけ? というわけで、次の映画、ファイトクラブについて語りたいと思います。よろしくお願いいたします。
まあ、やっぱりせっかくなのでテーマもちょっとね、ちょっと語りかけるようなものにしました。
「ファイトクラブで男が滾るのは罪なのか?」
どうですか、ファイトクラブ。とりあえずファイトクラブについて簡単な説明ができますか?
僕、そういうあらすじとか語れるのは死ぬほど苦手なので、得意な方がやるといいと思うんです。
わかりました。僕、得意ではないですけどね。サクッといきましょう。ファイトクラブっていうと結構コアのファンが多い映画で、20世紀フォックスによって作られた1999年のアメリカ映画になります。
出演しているメンバーというかね、キャスティングがなかなかですね、ブラッドピット、エドワード・ノートン、ヘルナ・ボナム・カーターと、この3人が中心人物として展開される話です。
エドワード・ノートンが一応主人公になるんですけれども、彼が基本的にはモノローグでナレーションをしていくけれども、一人称が名前が出ないんですよね。
彼は実際、エンドロールでもナレーターみたいな肩書きなんですよ。だから、本当に設定上も名前が存在していない中で、このナレーターである僕っていう人の視点で話がどんどん進行していく。
僕はですね、どんな人物なのか。エドワード・ノートンを演じるところの僕は大手の自動車会社に勤務していて、いろんなアメリカの各地で起きる事故の原因を調査して、リコールの対象になるかどうかっていうのを調査するっていうようなそんな仕事をしています。
実際だから、お給料はいいんでしょうね。非常に高級な北欧家具を集めるというような、そんな趣味もしていて。ところがですね、彼は何か渇きというか、人生に満足感を得られないまま不眠症に陥っているというような、まずは一番始めスタートラインとして設定で始まっていきます。
そんな渇きを癒すために彼はひょんなことから、大きな病気を患っている人たちの集団セラピーみたいなのがありますよね。なんていうんですか、あれの。 セラピーですよ。
セラピーでいいんですね。 グループセラピーだったりとか、セッションセラピーとか、なんかいろいろ言いますけど。
よくこれ、アメリカの映画とかドラマだと結構よく出てくるんですよね。そうね。
向こうだと一般的なの?
03:00
割と一般的だし、日本でも割とあるはあるんですよ。ただ、自己開示っていうのが日本人かなり下手くそだから、あんまり進んでないっていう。
なるほどね。確かにそこら辺ちょっと精神的な文化の違いみたいなところで引っかかるところがあるかもしれない。
そんなわけで、そういったセラピーに行くんですよね。彼自身は全然病気でもなんでもない。まだ一応不眠症ではあるんだけれども、そんな大病を持ってないにも関わらずそこに行くことで、
なんかこう、ちょっと自分の心が現れるじゃないですけれども、一緒に泣くことができて、そういった時だけちょっと心の解放を得られるみたいな。
そんなちょっとなんていうのかな、趣味じゃないですけれども、そんな変なことをし始めるんですね。
ところが彼はそこで一人の女性に、彼女も全く病は持っていないにも関わらず、そういったセラピーに入ってきて、それを傍観するというような行為をしている女性でした。
彼は、僕はそんな彼女、マーラっていう女性なんですけれども、マーラに非常に敵害心みたいなものを抱きながらも連絡先を交換します。
そんな中ですね、僕はその飛行機の中で一人の人物に会う、これがタイラー・ダーデンという人間で、ブラッドピットが演じています。
このタイラーとの出会いをきっかけにですね、二人は殴り合いをしたことがきっかけで、殴り合うことでちょっと生きる喜び感じられるかもみたいな感じになるんですね。
しかもこのタイラーっていうのが結構筋肉質で非常に自由人、物を持たないみたいな、そんな結構破天荒な人物で、彼になんとなくちょっと気を惹かれるというか、そんな彼のカリスマに当てられて行動を共にすることが多くなる僕。
時を同じくしてですね、僕は家が爆発しちゃって、住む場所がなくなり、タイラーと不思議な廃屋での同居生活を送ることになるみたいな感じですね。
二人がそういった殴り合いとかをしている間に、だんだんそういった彼らの異常行動に惹かれた、何かしらのフラストレーションを持っている男たちが集うようになって、
いつしか地下で裸で殴り合うというファイトクラブという秘密組織みたいなものを構築するに至ります。
しばらくは僕もそれに満足感を得ていたんですが、いつの間にか組織がだんだん膨らみ、コントロールが効かなくなり、
彼らがやっていた活動もだんだんと社会の秩序を乱すような、謎のテロリスト集団みたいな形になってしまい、
僕はそこに違和感を感じつつも、結局コントロールができないまま、組織が一人歩きしてしまっているような状況に陥ります。
マーラとの関係というものも展開していくんですが、それはちょっと後で撮っておくことにして、最終的に僕は組織をコントロールできなくなり、
06:04
しかもタイラーと決別してしまったこともあって、去っていったタイラーを追いかけて全米各地を飛び回るんですが、そこでとある事実が発覚します。
それは自分こそがタイラーであり、タイラーは自分が作り上げたイマジナリーフレンド、実際には存在しないもう一人の自分の人格だったということです。
ずっと一番初めに伏線という形で、僕が不眠症に陥っているみたいな話があったんですけれども、
実際のところ、彼が自分で寝ていると思っていた時間はほとんどタイラーとして活動している時間だった。
あるいはタイラーが何か行動しているときに、それを傍観していた自分というのは、自分を客観視しているもう一人の自分だったということが分かってきます。
最終的にタイラー主導で計画されたクレジットカード会社を一気に爆破する作戦というものを何とかして止めなければと言って僕は奔走するんですが、
最終的にタイラーと一騎打ちになり、タイラーとの欠別を図るため、自分自身に銃口を当て、自分の口の中を撃ち抜いてタイラーの存在を消し去ることに成功します。
そして最後、結局爆破は止められず、とある高層ビルの窓から崩れゆくビル群を眺めつつ、
隣にはそこに駆けつけたというか連れてこられたマーラーがいて、マーラーとなんとなくちょっと明日はきっといい日になるぜみたいなことを言いながら、
爆破するビルを見守る2人が長く映された後、巨大な断製機が画面に映って終わるというわけのわからないエンディングの映画でございます。
どうしてもちょっと長い説明になっちゃいましたが、こういうことですよね。
まあそうですね。いやあ、なんかあらすじ聞くと意味わかんないね。
まあ意味わかんないんだよね。スペイリーに物事が展開していく映画で、次から次へと状況が変化していくから、言葉で起こすとこれ本当に結構長いことになっちゃうね。
だいぶ色がしとったから、あれなんですけれども。そんなわけで、今回のこのファイトクラブで男が滝るのは罪なのかについてはですね、
ぜひファイトクラブ視聴後に聞いていただけると、より一緒に考えることができるんじゃないかなというふうに思いますので、もちろんこのまま聞いていただいても結構なんですが、リスナーの皆さん、ぜひファイトクラブ一度ご覧になって聞いていただきたいなと思います。
そうですね。あとでも見るときに必ず2回見てください。
まあその程度の映画ではあるよね。
そう、シックスセンスと一緒なのよね。
結局最後のどんでん返しがあって、改めて見てみると、なるほどねってなるみたいな構図かなっていうふうに思う。
ただ俺ちょっと思ったのは、これネタバレされてなくてもある程度気づくような描き方してませんか?
09:09
だってサブリミナルで結構最初からタイラー映ってるじゃない。
し、例えば最初の電気がオープニングシーンの電気がビリビリって言ってるのって、今回改めて見直したらあれってシナプスのことなのかなとか。
あれはもうがっつりシナプスですよね。
ですよね。
で、するとそこからもう気づいて気づいてで囁いてるような作品ですよね。
まあそれは本当にそうだと思うね。
まあなんだろうな、僕はでもねこれちょっとトピック一つ挙げておきたいんですけど、
これはねでもその当時の感覚から言うとそこまで当てはまらないかもしれないんだけど、
エドワード・ノートンとヘレナ・ボナム・カーターの時点でぶっ壊れキャラ確定なの?なんとかならないの?っていう。
これキャスティングとして、この二人使う時点でこれもう絶対何かしら人格が破綻してるというか、
人格っていうものが一つ話題に上がってくる作品なんだろうなってなんとなくわかっちゃう。
特にね一番の問題というか、もうエドワード・ノートンが結局その真実の行方っていう映画があるんですけど、
ご覧になりました?真実の行方って知ってます?
全然聞いたことあるけど。
じゃあねぜひ見てほしいんだけど、リチャード・ギアと一緒に出てるんですよ。
ダブル主演的な感じかな。
リチャード・ギアが神父を殺してしまった教会にいた男の子、青年を弁護する弁護人、瓶湾弁護士の役をやってるんですね。
事件を追っていく間に、ぶっちゃけちゃうとエドワード・ノートンが結局それでも二重人格キャラなんですよ。
でも最後にドン電返しがあるんですよ。
これがファイトクラブとちょっと対になってるとは言わないですけれども、構図が逆だったりして結構面白いんですよね。
同じく人格破綻してるんだけど、真実の行方は、でも俺なんか真っ小鼻で話したような気がするな。話した気がするから言っちゃうか。
真実の行方、すいません、気になった人はもうここで一回止めて真実の行方見てほしいんですけど、
エドワード・ノートンがすごくひどく怯えた様子の青年なんですよ。
捕まったときね。絶対にシンプル殺したのはこの青年なんだけれども、その青年は決して殺せそうにないような、ひどく怯えた背の細い青年なんですよ。
12:01
リチャード・ギアが彼を結局弁護士になったから、何としても罪を軽くしたいと考えるわけだ。
調べを進めていく間に、シンプルな性的な暴力だとかいろんな事実が発覚していって、しかもその青年のもう一面みたいなものがだんだん見え隠れし始める。
ついに彼が実は二重人格のもう一人、非常にそやで暴力的な人格を持ってるってことが分かり、
リチャード・ギアは法廷の場で彼のもう一人の人格を無理やり刺激して引き出すことによって、責任能力がない、心身猛弱の状態だったっていうことを証明することで、彼を一点無罪にすることに成功したわけですよ。
いやー、敏腕弁護士の作戦勝ちみたいなので気持ちよく終わるかと思いきや、最後彼のところに行くと、実は彼は二重人格演じただけなんですよ。
なるほど。
もともとがむしろその、そやで乱雑で、要するに自分に暴力を働いた親父をいじでも殺してやる、でもそれで自分は罪はかぶりたくないっていうのはそんな男だった。
むしろそこになんかもう、そもそも自分が今まで愛に対していたその線が細くて、とても殺しはできそうにないみたいな人格こそが作り物だったみたいなことがそこで判明して、あまりの事実にリチャード・ギアはゼックし、話は終わっていくんです。
正義とは一体何なのかみたいなことが見事に完全に崩れ去って終わっていくっていうような、そんなお話で。
やっぱりこの演技でやっぱりエドワード・ノートンってものすごくこの演技派俳優としての名を欲しいままにするに至ったところがあるんですけど、にしてもですね、だからエドワード・ノートンそこらへん擦られすぎというか、マーベル映画でもインクレディブル・ハルクやらせてもらってるわけですよ。
そういえばそうだね。
そうそうそう。で、あとはね、バードマンもあったじゃないですか。
そっかバードマンもそうだ。
バードマンに出てきた時はすごく名声を持ってる演技派の演者というか、俳優として出てきたけど、もう本当に舞台上に上がるともう完全にもう全く切り替わって人格変わるというか、もういろいろやらかしちゃうような人みたいな感じで出てきたりとか、
やっぱりガラリと違う演技をスパッと変えられるような人っていうのはわかるけど、ちょっとそっちで擦られすぎて、もうなんかファイトクラブ見始めるときにエドワード・ノートンはいはいはいみたいな感はあったかなっていう気がする。
あとまあヘレナ・ボナム・カーターもね、まあ変わり種の役が多いですから。
まあそうね、ハリーポッターしかり。
15:00
ハリーポッターしかり、結局そのティム・バートンの内縁の妻じゃないですか。
ああそっかそっかそっか。
結構影響もあるのかなと思いますけど、ちょっと変わった役柄をやりがちなので。
大体ちょっとサイケデリックな感じ。
そうねなんかね、その辺りを考えると、まあ揃ったらそういうことなんでしょうねっていうことがなんとなくバレてしまう。でもバレてても面白いよね。
いやバレてても面白い。だってシュアちゃんとドウェイン・ジョンソン同時に出てきたらさ、筋肉振興のマッチョマッチョの映画だなっていうのはバレてても、もうこの二人出てきたら面白いじゃん。
そうだよね。それはそう、だからそういうことなんだ。なんならジャッキー・チェーン出てきたら、カンフーやるよねっていうのと同じだよね。
そうそうそう。
分かってるけど結局面白いからねっていう。多分そういうことなんだろうね。ネタバレにそんなにこう、なんていうのかな、あんまり敏感にならなくていいというか。
そうだね。逆に知ってるからこそ、これってそういうことねっていう気づきが、2回目の方が面白いっていうか。
シックスセンスは逆にこう、分かっちゃうとちょっとつまんないところもあるけど。
まあね、シックスセンスは正直もうそれが全てみたいなところはあるかもしれないしね。
そうね。
なんならね。ある意味でそれだけじゃない映画になってるからこそ、2回見ようがネタバレしようが、もう一回楽しめるっていうところはあるのかなという気はするかな。
そうですね。
どうですか?そもそもファイトクラブやりたいって言ったのは大間なんですけど、大間的には何がそんなに語りたいというか。
語りたい内容。単純にこの映画かなり好きで、一番初め見た時はね、男同士が殴り合うぞと。バチバチに殴り合うぞって。
これは見なきゃいけねえなっていう、そういう中二病感と擦れた心の中で見たんですけど、
いやこれバチバチだけじゃねえっていうところがあって、2回3回と見ていって。
当時気づかなかったところで、今回ね、もう一回見たら色々なんかこれってどうなのかなって思うシーンだったりとか、
なんか考え方みたいなのがちょこちょこ出てきて、いやこれはちょっとアコと一回競技しないといけないっていう。
競技ね。しますか。
しましょう。
何気になりましたか?
ちょっと聞いてみたいんだけど、タイラーと僕じゃないですか。基本アコで描かれるけど。果たして本当に2人?
18:03
人格は2人なのかどうかっていうところ。
なるほど。僕は基本的にはその2つで語られていくんだけど、マーラもすごく象徴的な人物として出てくるんですよ。
僕は当初本当にその2人だけの構図で、要するにその2人っていうのは僕とタイラーですね。タイラー・ダーデンの2つで物を見てたんですけど、今回オウマと改めて話をするってなったから、僕も見返したんですけど。
マーラもものすごい象徴的で、マーラに対する扱いっていうのが当初は非常に忌避する形だったんですけど、要するに自分の行動に制限を加えてしまうような、関わることにヘキヘキとするような女みたいなことを言っていたんだけど、最終的には愛を告白して、
共に生きようと言わんばかりに手を繋いで終わっていくっていうところから、これひょっとしてと、これマーラも下手したら僕の人格なんじゃないかとすれば僕は思い始めたんですよ。
要するにタイラー・ダーデンっていうのが、いわゆるマッスルなやつじゃないですか。いわゆるアメリカンの求める男性像というか、何者にも縛られないマッチョイズムの化身みたいな感じで出てくる一方で、マーラは本当に対照的で、僕の悪いところを煮詰めた感じじゃないですか。
そういう捉え方。 僕としてはそう思ったんだよ。人に構われたい。自分に注目を引き付けようとする人物。タイラーなんかはもう人にどう思われようが関係ない。すべてのものから束縛されたくない。
一方で、むしろマーラは人と関わりたいと考えながら、一方でそれを真っ直ぐは伝えることができない。そういうなよなよ部分っていうものを煮詰めたような存在として出てきて、そんなところに多分自分を重ねたからこそ僕はマーラを起死してたのかなって思うんだけど、最終的にはマーラを受け入れていくっていうところから何か吹っ切れたのかなみたいな。
これひょっとしたらマーラも別人格の一人だったのかなって思って、3回目もっかい見てみたんですけど、一番初めに抗がんのガンのセラピーにマーラが入っていた瞬間に、全員がマーラを見てるんで、これは完全に一個人として描いてるのかなと思い直して、そこで僕の推量は消えたんですけど。
だから、僕の中ではタイラーと僕っていうのが2人いて、これらが一つに最終的に収束したっていうイメージでいたんですけど、何か他にある?
21:07
そう、なんかね、僕もね、今回やるにあたって2回見たんですよ。で、1回目見たとき、あれマーラって?って同じような意見を持って、で、同じところでこれちげーやって、やっぱなったんですよ。で、なんでこれマーラがあって思ったかっていうと、北欧核を本当に冒頭のシーンでどんどんどんどん買っていくっていうシーンがありましたね。
一個だけすっごい浮いてる家具があって、何かっていうとダイニングテーブルの、中国の陰陽門に入ったテーブル、あれだけ北欧核の中でめちゃめちゃ浮くんですよ。だからこれなんかのメタパーなんだろうなって、ここまではっきりしてるからなんかのメタパーなんだろうなと思って、見てるとやっぱりタイラーと、なんだっけあの女の子
マーラ。
二回目見て思いながら見てると、最後の最後の方のシーンで、おや?っていう一言がちょこちょこあって、タイラーと僕を管理してるもう一人いるんちゃう?って。
ほう。
何かっていうと、一つ目は、僕が慌ててお家に帰った時に地下室に行って爆弾を作ってるところを見るんですよ。
これは爆弾だみたいなことを言うんですけども、そのシーンでね、今まで僕は爆弾作りに関わってないわけ。一切。作中で。
そうだね。
そう、作中で一切関わってないから、僕は爆破主人、主人公は爆破の事件に巻き込まれた人なんだ、あくまでね。だけども、おやこいつは爆弾だ、まずいぞみたいな一言がポロッと出てくるわけ。
で、そこであれ?お前爆弾?俺?って思ったのと、あとタイラーがその後ビルで対決するちょっと前に階段に座りながら、「俺だってもっとちゃんとうまくやっとけばよかったんだよ。」みたいなすごい愚痴をこぼすんですよ、僕に対して。
えっ、お前もなんか上位存在あんの?ってちょっとそこを思って。で、最後のシーン。で、その撃ち抜いた後のキャラ激変するじゃないですか。
24:07
おだしょー まあそうですね。
なんかもう、銃で撃った時に、いっそ僕も死んで、タイラーも死んで、その上位存在として存在してた奴が、今顔を出してさあ始めようか、みたいな。そういうことなのかなっていうのもなんかちょっと考え始めたらなんかよくわかんなくなってきて。
おだしょー なるほどね。
それをちょっとマコに聞いてみたいな。
おだしょー どうなんかな。僕の中で一つ、まず爆弾のシーンから行こう。ひたすら飛び回って、全米を飛び回って、自分自身がタイラーであるということに気づき、そこからマーラが邪魔だっていうふうにタイラーが言い出したところから、マーラの身を案じて彼は一路を急げて家に帰るんですよね。
おだしょー 家に帰ると、メイヘム計画っていう、全米を騒乱に押し落とし込むような事件はもうすでに動き始めているようで、家の中にたくさん滞在していたファイトクラブの後生員、スペースモンキーズたちは一人もいないんですよね。
おだしょー 地下に行くとバスタブがいくつもあって、そのバスタブで何か薬品を使った跡があって、そこでもう爆弾を確信するんですよね。
おだしょー 僕はそのシーンはそこまで違和感なく見ていて、それ以前のシーンでタイラーが自家製の爆弾についての話をめっちゃしてるんですよ。
おだしょー 油となんちゃらで。
おだしょー そうそうそう。家にあるもので何でも作れる。それも一つずつ薬品の名前も言ってるし。
おだしょー なおかつ彼らがですね、スペースモンキーズたちが日常的にこの石鹸作りっていうものをひたすらしていて、その薬品、使われている薬品のことも一応知っているっていうのが、その時点で分かってるっていうのがまず2つ目。
おだしょー もう一つが爆弾の解除のシーンですよね。タイラーが邪魔してくる中で、僕は爆弾の解除に成功するんですよ。
おだしょー そのシーンで彼が言ったのは、結局頭は一つだから、お前が知ってることは俺も知ってるんだっていうふうに言って、互いに脳みその主導権を取り合うような謎のやり合いがあって、その中で結局解除には成功しているので。
27:06
おだしょー さすがに不眠症だと思っていたのが人格の切り替わりなんだけれども、記憶の一部は非常にシームレスに無段階的に若干混ざり合ってる部分もあるんじゃないのかなっていうふうに思ったわけね、そこから。
おだしょー だからどちらかの脳の記憶っていうものにアクセスできないと、そもそも僕はタイラーを客観視することができないんですよ。実際タイラーが何かやってるのを、僕が盲観者として眺めているシーンっていうのは作中のほとんどがそうだし、その中でも会話もしていたりするっていうところを考えると。
おだしょー 僕の上位存在っていうのがいたら面白いけど、必ずしもそういうふうに描いてるわけじゃないんじゃないのかなっていうふうに僕は思った。
おだしょー あと最後のシーンはもう最後のシーンで別に語りたいぐらいのところだよね、まさにあそこはね。
おだしょー まずはっきりさせないといけないのが、僕って生きてんの?
おだしょー どの時点で?
おだしょー これさ、まず頭撃ち抜くじゃないですか。口に加えて。口に加えて拳銃をぶち抜いた瞬間に、まず僕は衝撃でぶっ倒れるわけですよね。
おだしょー そのちょっと後にタイラーが口から硝煙を吐き出す。要するに同一人物なわけだから、これ状況をちょっと整理すると、僕はこの前の段階でタイラーを殺そうとして、拳銃をタイラーに撃つんだけど、当然撃てないんですよ。
おだしょー 変な話、撃ってるけど当たったところで死なないんですよね。そもそもイマジナリーフレンドであり、そこには存在してないから。
おだしょー 単純に僕にとっては見えているだけだから、拳銃じゃ殺せないことを悟るんですよ。最終的に彼が取った選択というのが自分を撃ち抜くこと。
おだしょー 自分を撃ち抜けば、当然今目の前に見えているタイラー自身も自分なわけだから、結局いなくなるはずだと考えて、拳銃で自分の口の中をバキュンと撃つんですけど。
おだしょー 撃った瞬間僕は倒れて、その後タイラーが口から煙を吐いてぶっ倒れるんですが、このぶっ倒れる瞬間にタイラーの後頭部映るんですけど、もう薔薇のように咲いてるんですよね。
おだしょー 綺麗に脳章全部ぶっ飛んだんだろうなっていう感じで、綺麗にかっぴらいた後頭部が映りながらぶっ倒れるんですよ。
30:09
おだしょー でもその直後に、そのしばらく経った後、僕は立ち上がるんですよ。僕は左の顎の後ろぐらいを抑えながら立ち上がってるんですけど、お互い繋がってて同じところに多分怪我をするはずなのにも関わらず。
おだしょー なぜかしら、タイラーは後頭部がかっぴらくほどの強烈な一撃で描かれて、僕の方はというと、なぜかあんな傷なのに生きてるとはすげえ男だみたいなのを声援が言いながらエレベーターで降りてくるんだけど、ありえないじゃないですか普通に考えて。
おだしょー だからここをどう読み解くのかって人に言うと分かれると思うんですよ。2つ多分見方があると僕は思ってて、1つは僕は生きている。タイラーがあんな大怪我で死んだのは、タイラーを殺すための一撃だったから、その意識がタイラーの後頭部がもう吹っ飛ぶほどのイメージに繋がって、結果としてタイラーは倒れ。
おだしょー 僕自身は実際の銃操、要するに実際の銃操はおそらく真っ直ぐ後頭部に抜けたんじゃなくて、左顎の後ろあたりを抜けて、軽度脈多分傷ついて死ぬと思うんですけど普通だったら。
おだしょー でもたまたま抜けどころが良くて、僕は生き、一方でその強いイメージによってタイラーは死んだ、消えたっていうふうな解釈が1つ。もう1つは純粋にもうタイラーあの時点で死んでる。
おだしょー タイラーも死んで、僕も死んでる。あのシーン銃で撃った瞬間から後はもうその後の彼のイメージの世界に突入しているんじゃないかっていうような見方が多分2つあると思うんですけど。
おだしょー いや僕ねこれ立場をちょっと絞り切れなくて、ただ初見の時僕は思ったのは絶対にこんなの死ぬに決まってるから、生きるとは考えにくいよねっていうイメージ。
おだしょー かつ死んだとしたら、ある種その死によって彼が初めて自分の中の男性性と合わせてそのマーラとの会話から女性性っていうものを初めて自分の中で噛み砕いて1つに融合することができた。
おだしょー これからもっと良くなると自信を持って言えた。心の救済を得た。死によってっていうのはそんな読み方になるのかなっていうふうに思ったんですよ。
おだしょー ただだとしたら、なんて言えばいいんだろうな、それでいいのかなっていう。この映画でずっと描いてきたものっていうのって、死による救済で終わっていいのかみたいな。
33:12
おだしょー 何もアンチテージにもならない。
おだしょー そこの感じがうーんって思ったりしたので、じゃあ生きてるって考えた方がいいのかなみたいな感じで今揺れてる感じではあるんですよね。
そうね、考え方としては僕も同じで、あの時点で死んだかどうかっていうところは非常に賛否両論あるかなと思うけれども、
おだしょー これで死でしか救済がないというのであれば、監督がおそらく枝がきたかったであろうなと考えられる資本主義からで、今どうなってるんとか、物質社会ってどうなのっていうような投げかけて、結局お前ら死ななきゃ治んねえぞっていう。
まあそれはそれでなんかこうかなりファンキーでクレイジーな商品の終わり方ではあるんだけど、でも浅くないっていうのもちょっとあるんだよね。
だとすると生きてた方が、もしかしたら深読みマニアたちにとっては面白いし、監督がもしかしたら考えてた深い意味っていうところが生まれてくるんじゃないかなとは思うよね。
あとはその主人公がブチ抜いたっていうのは、結局イマジナリーフレンドなわけじゃない?どこまで経っても平ら中存在は。だから本人の想像を超えてないわけさ。その想像を超えられないっていうのは何でか、どこから象徴されてるかっていうと、僕は最初のカバンのシーンだと思ってるんだよ。
同じカバンを持ってた、一緒だねっていう、某アナと雪の女王みたいな感じで始まったんですけど。 そうですね、隣に座っている彼が。
そう、僕と同じじゃないか。 ではないですけどね、そんなテンションではないけど。同じ方だぐらいのそんなナレーションでしたけど。
だから持ち物はこいつ、イメージ増築できないんだなっていうところが少しあったんよ。
だとすると、自分のイメージ世界と現実世界を捉えた時に、ブチ抜きましたっていう頭の中のイメージはあった。でも現実が違った時には、よくわかんなくなっちゃったっていう最大の食糧法を行ったのかなっていう。
すると、頭を撃ち抜きましたっていう事実なんだよね、彼にとっては。でも現実としては何も撃ち抜いてなくて、花山香織りになっただけだったっていう。
36:11
そうだね。ある種、痛みみたいなものも結構象徴的に描かれてるじゃないですか。
そうだよね。
痛みから逃げるな、これはタイラーが僕の手の甲を火星ソーダかなんかで焼くシーンがあるんですけど。
ね。
みたいなものがファイトクラブの中では繰り返し出てくると思うんですよ。実際ファイトクラブが始まったきっかけも、タイラー・ダーデンが僕に対して、家には泊めてやると、しかし俺を一発殴れみたいなことを言ってくるんですね。だから殴らせろじゃないという、昭和おじじゃないんですよ。
娘やる。ただ、お前を一発殴らせろ。
みたいなのではない。止めてやる。ただ、俺を一発殴れなんですよね。なおかつ、この後も事象行為じゃないですけど、自分を痛めつけるような行動ってすごいいっぱい出てきて、例えば今言った手を焼くシーンしかり、上司と喧嘩するシーンというか、
上司と交渉して、喧嘩を吹っかけて負けろみたいなミッションがあったときに、僕は自分の会社の上司に無理な要求を吹っかけて、相手をぶん殴るかと思いきや、自分が殴られているふりをして、めちゃくちゃに体を傷つけまくるんですよね。
さらには、ファイトクラブの黎明期にあたる時期にですね、ある程度人が集まり始めたときに、使っていたバーの地下ですね。そこにそのバーの持ち主、オーナーが噂を聞きつけてやってきて、ここは俺の建物なんだからお前ら出ていけって言ったときに、タイラーは舐めた態度をとって、あえて殴らせるんですよ。
確かにね、ずっと殴らせて、意味聞こえねえな、聞こえねえな、忘れちまったよ。
ひたすら殴られ続けて、最終的には陽気を飲ませるっていうような行為をする。徹底して暴力を加えることよりも、その暴力を受けるシーンっていうのが非常に印象的に出てくるんですよね。一方でめちゃくちゃな暴力を振るシーンも1回だけ出てきて、スペースモンキーの中の若手のイケメンがいるんですよ。
39:15
名前は、エンジェルフェイスというふうに訳、クレジットで出てくるんですけど。
あいつ名前あったんですね。
ただ、後世にの名前はないっていうふうにね、みんな言ってますからね。
ボブなんとかしか名前ないってことですね。
ロバートポールスよね。
His name is Robert Paulson.
Robert Paulson.
His name is Robert Paulson.
ではなく、とにかくイケメンがタイラーに認められ始めるんですよ。
その頃に僕はファイトクラブの方向性に疑問を感じ始めていて、自分が阻害されているって感じるんですよね。
あの時期か。だからフルボッコにしたみたいな感じに描かれてるところだよね。
そうなんです。実際どうなのっていうと、実際はタイラーが行動していて、僕はそれを傍観している立場にいるんだけれども、
実際はそもそもエンジェルフェイスのことを認めていたのはタイラーである以上僕だし、
一方でタイラーでない自分、タイラーとは別の人格である僕がそれに対して阻害されたと感じているっていう非常に気持ちが悪い状況の中で、
エンジェルフェイスはある日のファイトクラブの活動の中で僕にボッコボコに殴られるんですよ。
しかも誰も、その時はあれだけど、タイラーは僕だから誰も止められないんですよね。
そういうことなんだよね。そもそもファイトクラブの代表者だから。
代表者がこの間まで認めてた若手筆頭みたいな感じになってたやつをボッコボコに殴り始めて、
ついには誰も歓声も上げないどころか、みんな心配そうに見守る。こいつ大丈夫かみたいな感じになって。
そんな中で僕は全く充足感を得てないんですよ。ただボコボコに殴ってんだけど表情は全く浮かないし、
誰も何も言わない血まみれのエンジェルフェイスを後にして歩いていくときに、タイラーから僕に向かって一言言葉がかけられるんですけど、
最高野郎みたいなこと言われてるんですよね。
そうだね。ツッキリしたか最高野郎みたいな。
そうそうそう。これ要するにタイラーは暴力を加えることに、あんまり肯定的ではないって言うとなんか変な感じになるけど、
暴力を加えることよりも、その暴力を受けることにこそ意味を見出している節があるんじゃないかっていう気がするんですよ。
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でもそれはあるかもね。だって殴りたい奴誰だって言ったときに、上がってきたのがガンジーだからね。
そうね。だからそのあたりで、暴力を受けるっていうことで、それによって生命を感じる、自分自身を感じる、自分を感じるみたいな、そういうものが結構一貫して描かれていく中で、最後に究極の自分を痛めつける行為として、自分を討つっていう行為を僕がした瞬間に、タイラーが消えたっていうところは何か意図を感じるかなという気がする。
タイラーが生きてるっていう方向で考えるんだったら、たぶんこのあたりのメッセージからして、自分を打ち抜くことに意味があったから、その痛みを受け入れることに意味があったから、タイラーっていう存在が必要なくなった、あるいはタイラーっていう存在をコントロール下に置くことができるようになったっていうふうに読み解くこともできるのかなみたいなふうにはちょっと思いました。
おだしょー 痛みっていうのってすごい強調されてますからね。
タイラーが受ける痛みっていうのも、ちょっと別で描かれてない? 暴力性の中で、タイラーって必ず自分で求めて痛みを受けてるわけよ。
殴ってくれとか、殴れよっていうのを強要するんだけれども、僕はあくまでその受動的に痛みを受けてるのね。自分で自分を痛めつけるっていうシーンはいくつかあるんだけれども、結果としてとりあえずタイラー絡みな話であって、あくまで受動的なんよね。
おだしょー なるほどね。僕自身の決意、決断、選択ではないと。
最後の最後の銃を撃ち抜いたシーンだけ、自分の選択で自分を撃ち抜いてる。タイラーを倒す目的って言われちゃったらそこまでではあるんだけれども。
そういう意味でも、その能動的にその痛みを感じたいっていうタイラーと受動的に痛みを感じている僕っていうところが逆転する瞬間っていうのがトリガーとして、まさにトリガーになってしまったんだけど、その銃で撃つっていうところではあったのかもしれないね。
あのシーンは単純にかっこよかったけどね。
めちゃめちゃかっこいいよ。
いやでもね、僕がこの映画によって突きつけられたものっていうのが一つあって、結局暴力シーンも多ければ、無責任な行動、非生産的な行動、アナーキーな行動、いろんなものが描かれていく中で、なんかちょっと興奮してしまう自分っていうもの。
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それがちょっと今回のテーマにもつながってくるんですけど、ファイトクラブ見て、そのたぎってしまう自分っていうものを客観視して、ものすごく虚しくなった自分がいるんですよね。
何なのかっていうと、言うなればですよ、そのタイラーっていう存在は僕にとっての理想が詰め込まれたイマジナリーフレンド、オルタエゴなんですけど。
彼の特徴っていうのは、とにかくイケメンですよね。
そうね。
イケメンで、マッチョで、絶倫で。
どんなダサいタンクトックも着こなすと。
なおかつ非常にカリスマがあって、人を惹きつける力を持ち、そして何者にも一切縛られない、もう自由そのものの存在。
何かそういうものにものすごい憧れを持ってしまうんだけれども、結局じゃあそれできるかって言われたら絶対にできない自分っていうのもそこにいるんですよ。
彼みたいに今持っているありとあらゆる繋がりっていうものすべて捨て去って、そこにはもう何の物質的な繋がりさえも持たないみたいな。
そういう生き方に憧れたことがないって言ったら嘘になってしまうし、実際それを目の前に見える形でバーンて出された時に何かちょっときらめくものを感じてしまう自分がいるんだけど、
実際じゃあ自分にそれができるか、自分に今のこの社会の中で何ができるかって考えた時に一切何もできない自分に出会うんですよ。
それってまさに映画が始まった時の僕そのものなんですよね。
だからこそじゃない?
たぶん今の現代社会で生きる人が誰しもがタイラーにはなれないんだと思うんですよ。
だからこそこう、戦亡であったりとか羨ましいなっていうその単純な気持ちっていうのが生まれるし、
あともう今の社会において人を殴るとか、テロリズム的なことを行う。しかも最初のテロリズムはもうさ、かなり大遊びなんですよ。
そうだね。
なんかよくわかんないニコちゃんマークをビルに描いてみようぜ放課でとか。
高級会社の店舗の上に餌ばらまいて鳩の糞まみれにしようぜだからね。
あれは食たんねーし。
あとボール状のオブジェみたいなのをツンって爆破して転がしてってコーヒー店ぶっ潰そうぜっていう非常に稚拙なもので、
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やろうと思えばたぶん僕らでも手が届かなくはないぐらいかなっていうかなり障壁はあるけどね。
でもまぁやらんよねっていうところじゃないですか。
でもそこを遠慮なくやってしまう平っていう部分にその憧れだったりとかかっけーやってみてーって思うのって、それは男女とかそういうことでもなく当たり前なのかなっていう気はする。
なんだろうねこの、なんだろうな、いたずら心みたいなものって蓋をしてくるじゃない。
はいはいはい。
年を重ねるごとに。
そうね。
いつしかそんなくだらねえみたいなふうに思うようにもなるじゃない。
うん。
そんなくだらないことやるわけねえじゃんみたいなバカじゃねえのとか思うんだけど、
いざああいう形で絵にされると楽しそうだなって思っちゃう自分っていうものを発見してしまうんですよ、この映画を見ると。
絶対楽しいと思うよ。
でもね、その瞬間が多分俺はもう多分監督の狙いはそこだろうなというふうにすら思っていて、
人間っていうもののさ、この内面的なこの自分勝手さみたいなものっていうのって、やっぱ確かに存在してるよねっていうことだったりだとか、
だからある意味そのブラッドピットを起用したっていうのも、彼自身が結構その演技の幅を広げ始めてた時期でもあるし、
セブンで認められたみたいなところもあって、タイミングとして良かったのかもしれないけど、何が何でもタイラーに憧れさせたかったからこその起用だったのかなって気がするんですよ。観客たちに。
なるほどね。
タイラーに引きつけられてくれないとこの映画成立しないから、引きつけられることで僕と観客たちが一体化するんですよ。
僕らは僕のつもり、エドワード・ノートンのつもりで映画を見始めてしまう、いつの間にか。タイラーに惹かれていくうちに。
自分もタイラーみたいになりたい、でもやっぱりそこまではできない、突き抜けられないっていうところから疎外観を感じ始める。その中で最終的に、タイラーお前だよって言われる。確かに俺の中にもその衝動あるっていうことに気づかされるっていう。
完全に僕っていう一番投影しやすいような存在をまず投影させておいて、その後タイラーの存在が自分の中にもあるんだってことに気づかせるみたいな。そういう構図なんじゃないのかなっていうふうにちょっと思って。
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あーなるほどね。
だから結局僕らってファイトクラブでちょっとたぎっちゃうんですよ。
たぎっちゃうね。
僕らの中にもタイラーがいるから。
でも実際どうなんだろうね。僕らの中にもタイラーはいるけれども、そのタイラーの度合いって人それぞれそこそこあると思うんですよ。
特に多分監督が揶揄したかったのか、警鐘を鳴らしたかったのかわかんないけども、そういう僕の像っていうのはおそらくこうちゃんだったり僕だったりして、社会的背景もなんかいろいろあって、
それなりの社会的地位、生活できてる程度の仕事があって、物欲もそこそこ満たせていて、性欲もそこそこ満たせていて、不満は多少なりともあれど生きてますよっていうところの僕像だけども、逆にガチンコファイトクラブみたいな連中に、
ガチンコファイトクラブってわかります?
時を駆けつけた、わかりやすい演出の。この後とんでもないことで!みたいな。
あの巷の不良たちを捕まえて、マジのボクサーを作ろうっていうような番組が昔あったんだけども、あの人たちが見たらどう感じるんだろうなって今聞いてて思った。あの人、タイラーじゃない?
あの人たちは逆にタイラーじゃないよ。 違うかい?
逆にタイラーじゃないよ。見ても何も感じないよ。なんなら。って思うよ。あの人たちっていう、この時点であの人たちの表現が一番ちょうどいいですね。あえて細かく設定しない方がいいので。
あの人たちが、だってタイラーっていうのは結局さ、僕らが、あくまで僕の中の理想像だから。
ああはいはいはい。 楊 そうそうそう。言うなればこの物質的で非常に大量消費の世界の中で、何とか自分自身の形作るものっていうのを、物を通して見つけようとしている自分たちが、そこから解放されている何か美しい存在として見ているマッチョイズムだから。
ああ。 楊 そこはやっぱ違うんだよね、本質的に。いわゆる本物のただの暴力、ただの筋肉ではないんだよね、多分。あそこに投影されているものは。
そうか、精神性としてって考えたら。 楊 そうそうそう。精神的なマッチョだから。タイラーは。
そうね。そしたらあの人たちはガチガチに逆に縛られちゃってるね。 楊 そうだね。そこなのかもしれない。だから。
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楊 なんだろう、タイラーの存在っていうのはやっぱり僕がいるから成り立つんだよね。だから僕を失ったタイラーはもう何者でもないんだろうね。
だとすると僕を失ったタイラーは何者でもないとするよ。ラストシーンでタイラーを失った僕はどうなるんだろうね。
楊 だからね、僕はそこはね、融合だと思ってるんだよ。 融合か。
楊 結局さ、タイラーは死にましたよね。 一応ね。死んで消えたんだけども、死体が消えたんですよだから完全に。
そうそうそう。だからあれはタイラーの死なのか、あるいはタイラーを西洋化に置いた何しろタイラーという存在を自分の中に組み込んだっていうところなのかもしれないと思うんですよ。
はいはいはい。 楊 変な話ね。変な話ね。マーラのことは受け入れたじゃないですか最終的に。
そうだね。 楊 そう、あれだけもうオープニングではもうガンみたいなね、腫瘍みたいなもんだっていう風に言ってて。
楊 口の中の出来物にも近いみたいな。もういると非常に目障りで仕方がないし、自分自身彼女がいることによって僕はもう泣けなくなってしまったセラピーでみたいな。
楊 非常に彼女の存在を忌避していて、実際タイラーとして彼女を抱いている時も僕はあくまで彼女の存在を認めようとしなかった。
楊 なんでお前ここにいるんだみたいな。俺の家から出てけみたいなね。
楊 マーラからしてみたら、昨晩あれだけ燃え上がったのに朝起きたら、お前なんでここにいるんだ、家から出てけって言われるっていう最悪な展開なんですけど。
それは起こるよ。 楊 それは起こるよっていう話なんですけど、最終的にマーラという存在を完全に受け入れて、一緒に生きていこうとするようなことも言うわけじゃないですか。
楊 マーラのことを受け入れるっていうことは、物語が始まった時点で僕が忌避していた一つの姿、人の気を引きたいとか。
楊 あるいはなんて言えばいいのかな。あくまで女性性ですね。この男女っていうところを最近はあんまりプッキリ分けて話すと厄介な感じになりましたけど、いわゆる女性性としての女性を受け入れたっていうふうに考えた時に、そこだけ受け入れたんじゃ多分健康的なエンディングじゃないよねっていう気もするんですよ。
そうね、最初の出てきたモチーフとしての引用にはならないわけですよね。 楊 そうそうそう。だからそこら辺を考えると、やっぱりタイラーの存在っていうものも僕は最終的には克服をして、自分自身っていうものを多分自分の形を掴んだっていうところなのかなって思ってるんですよ。
ほうほうほう。 楊 だって実際ずっとタイラーが一貫して言ってたことは、とにかく物質主義からの脱却みたいなね。お前らは物欲を刺激されて欲しくもないものを捕まされてみたいな。結局その資本主義の奴隷みたいな話を結構高らかに言ったりするわけですよね。
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だからこそ彼は生命、生きるとは一体何なのかっていうものをタイラーはそれを痛みによって証明しようとしていたのかなっていうふうに思うんだけれども、実際僕も物語が始まった時点で自分像が多分確立できてないんですよね。だからこそ結局始めからずっと自分が掴めない。
自分が掴めないから物を買う。物を買って場所を作るんですよ。家具をいっぱい買って自分がいる場所を作ることで、なんとかそのスペースから自分像っていうものを外側から固めようとしていってるのかなっていうふうに僕は思ったんですよ。
そんな彼がそれでもやっぱりただの場所だけでは自分の形を掴めないから、どこに助けを求めたかってなった時にこのセラピーがあるわけじゃないですか。これオープニング始まっておおよそ5分ぐらいで彼はそのおっぱいを持ってる男の人に抱きしめられて泣くんですよ。
あのシーンも象徴的だなというふうに思っていて、やっぱり抱きしめられるっていう行為って、ある種非常に触覚的に自分の輪郭を確かめることができるんですよ。
普段私たち生きている時に自分の輪郭って掴めないんだけれども、精神と肉体の関係で自分の体っていうもののこの体の周りのこの感じ、自分の体の表面を触られていることによって自分の輪郭を初めて掴めるわけじゃないですか。
あの巨体の、なおかつ女性の胸を持ったボブっていう人が出てくるんですよね。
神の胸を持った。 楊 そうです。で、彼に抱きしめられて初めて不眠症に悩んでいた僕は嗚咽して泣くんですけど。
で、そこでまさにそれなのかなっていう。だからあくまでその一時的なというか、仮初めのものであるけれども自分の輪郭っていうものをそこで確かめることができて、初めて少し救いを得たんですよ。
ところがそこにマーラがやってきたことによって輪郭が掴めなくなってしまった。なぜならマーラに自分が認めたくない自分がすべて詰まっているから。
そこがかなり象徴的なシーンで、多分ボブに抱きしめられるシーンっていうところはマコちゃんの言った通りだと思うんだけれども、そこで考えてほしいのが、なんでボブが女性じゃないのか。
だからボブは男性じゃなきゃ僕にとっては良くなかったんだよね。
だから男性性としての自分を認められない以上、逆の転換で言う女性性っていうところが受け入れられないわけ。
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だからアコは、例えばね、アコは抗がんセラピーじゃなくても良かったわけじゃん。禁酒セラピーでも良くて、そこでお母さんみたいな人、あるいは女性性に思われるようなおばちゃんだろうと美人だろうとなんだろうもいいし、
あとそのマッキーガンのセラピーにいた、私を抱いてって言ってたあのマッキーガンの方。
ああ、いましたね。黒いね。
黒い黒い。あの人を抱きしめてもいいわけよ。だけれども僕が癒されるのは男性だけれども、神の胸を持つボブじゃないとダメだったのね。
だから、ある意味このフタナリみたいなところのフェチズムとかなりすごくよく似ていて、そこから僕がね、これは職業病みたいな深読みなんだけれども、基本的に乖離性人格障害だったりとか、
今回の診断みたいなのを入れると、3、4つ上がってしまうので、単純にね、離陣症であったりとか、というところで、多重人格って言ったらわかりやすいかな。
そうですね。
多重人格っていうところで考えていくと、多重人格って大人からは発症し得ないんですよ、ほとんど。
必ず小児期のトラウマになるような出来事だったりとかイベントだったりとか状況っていうのが元になってて、自分を保護していかなきゃいけないんだけれども。
だから、あっこでボブで抱きしめられて泣けたっていうのは、かなりお母さんとの関わり方っていうところに彼に非常にトラブルがあって。
で、自分の中のお母さん像っていうところが確立しえないからこそ、男のボブに、自分の近しい存在、近しい性であるボブに抱きしめられないと癒されなかった。
だから女の人じゃダメだったんだなっていう。で、女性のマーラが来たから、お前女性との関わりどうなんっていう事実を突きつけられたときに、
ボブも何もかもが嫌になっちゃった。現実を見させられた。あーつまんねってなっちゃったっていう感じだと思うんだよね。
実際、タイラーと一緒にお風呂で父親のこととか幼少期の家庭の恵まれなさみたいなことについて結構語ってましたよね。
お互いシングルマザーだよねみたいな。当然同じ人物だから、幼少期の経験は全く一緒なんだけれども。
僕はそこで父親にまともに育ててもらっていないっていうところが、父親、男性っていうものに対するコンプレックス。
男性として強くあらねばならないっていうような脅迫観念みたいなところから、男性に認められたいっていう。
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そういう欲求がものすごく高まって、タイラーが生まれたのかなっていうところがすごい感じていて。
そういう意味で言うと、ボブの存在っていうのは男に認められたんだっていうふうな、ボブに抱きしめられることで一応そこで簡易的に安らぎを得られたっていうのは、
男によって輪郭をはっきりしてもらったっていうところの安心があったんだろうけど、でもボブはおっぱいを持ってるんですよ。
やっぱりそこまで突き抜けきれてない彼っていうのが、あの時点ではあるのかなっていう。
しかも抗がんがんによって、男性のモチーフがないわけさ。
そのあたりから、僕っていう存在の不安定さみたいなものをすごい感じるよね。
象徴的に描いてる感はすごく感じました、僕も。
今話してて思い出して、ちょっとどういうことかなって思ったことあるんですけど。
ちなみにもうね、多分1時間超えてるんですが。
マジっすか?
まだ全然語りたいってないんですけど、ちょっと今思い出しちゃったんで。
ボブに抱きついて泣いた後、ボブのTシャツにニコちゃんマークついてましたよね。
ついてたね。
ビルの放火を初めて成し得た時、あれもニコちゃんマークなんですよ。
絶対何か象徴してますよねって思ったんですけど。
なんだろうね。
あれがニコちゃんマークというべきか、アメリカ名で言うスマイリーっていうものが、
いろんなところで象徴的に使われるじゃない?
例えばバットマンでもスマイリーって、
逆にスマイルだけれども、嫌なモチーフとしてもかなり使われたりもしてたし。
なんだっけあの人、唇が赤くて髪が緑の。
ジョーカーなんですね。
ジョーカーですね。
ジョーカーもよくスマイリーがどうのこうのみたいなことをたびたび喋るけど、
あれも別に笑顔が素敵とかピーセフルなスマイルのことを指してるわけじゃないから、
そのことなのかなと思いつつ、でもそれ以上の知識と見解が僕の中にはなかった。
なんかこう、おそらく何かしら描こうとしてるのかなっていうのをちょっと感じましたけどね、僕の中で今。
単純にその校舎だけ、要するにビルの放課だけだったら、
完全にこう、要するに非常に社会の秩序を嘲笑するようなね、
そういうモチーフとしてシンボルとしてのスマイリーを作ったのかなぐらいで終わるのかもしれないんだけれども、
物語が開始した序盤のあの段階でのボブに抱きしめられて泣いた涙の跡っていうところは、
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あんまりそこ関係ないじゃないですか。
確かに。
だからちょっと何か、あれを重ねることで意義を見出してるのかなとかちょっと思ったんで、
ここはちょっと他の人にも聞きたいですよね。
そうね。しかもあのシーンで数少ないタイラーが出てくるサブリミラル効果の一つがあのシーンの直後だもんね。
あれだっけ、お医者さんの。
そうそう、後ろにピョンって出てきたりとか、コピーのシーンでポンって出てきたりとか、
マーラ抱いた瞬間に出てくる本人の顔とさ。
結構本作はサブリミラル効果っていう要するに、本当に一コマ一瞬だけ特定の人物がちょっと擦り込みのようにね、
映るっていうような効果がいくつか練られているんですけれども、
それは結構重要なその前後関係であるいは伏線になったりするような場面に入ってくるので、
何かしら意味合いがあってもおかしくはないかなという気がしますが、ちょっと今回はなかなかそこまで迫りきれないですね。
そんなわけでちょっといろいろと話していきましたが、時間ももちもちいいところなので、
何か語り足りないというか、これだけは言っておきたいっていうのがあればね、そこを言って終わっていきたいと思いますが、いかがですかね。
最後の最後に持ってくるのわかんないですけど、
暴力シーン以上にマーラ抱いてるシーン興奮するよね。
はい、じゃあ一旦CMでーす。
趣味について語る知事がポキャッと寝る魔王。
このポッドキャットでは、メインパーソナリティと呼べれば、歩いる趣味にはまってしまう。
生まれ見ることスワンプ魔王。月下にメディアなスポットからマイナーな職員に至るまでゆっくり語り尽くします。
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