2025-10-08 59:05

【Replay】#コメディ映画 『#オースティンパワーズ』令和のおじさんはどう生きるべきか? 【Replay】#ComedyFilm “#AustinPowers” — How Should Middle-Aged Men Live in the Reiwa Era?

Oh, behave!

ーーーーー

映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は  #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

世界的おばか映画の『オースティンパワーズ』をガチで真面目に語ってみたらこうなりました。

いや、でもね。これ意外と楽しめちゃったのよ。悔しいけど。

前回は見てもいないのにこき下ろしてたからね。反省します。

確かに今見るときっついノリはあるかもしれないけれど意外にも今の時代だからこそ響く描写もあったりして・・・・・・。

だから映画は面白いし、だから古典は面白いのよ。

オースティンパワーズを古典呼ばわりしたらいろんなところから石が飛んでくると思うけど、時代を越える人の感性ってのはやっぱりあるんだよ。

つまりは雨月物語面白いから読めってこと。

ーーーーー

podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。


公式noteもやってます。

https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5


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⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


“Oh, behave!”

Hey folks, it’s Mako, your movie-talking podcast host.
This time I’ve got Orma from #ポケ沼 back in the studio, and we’re tackling none other than the global king of dumb comediesAustin Powers.

Here’s the twist—we actually tried to talk about it seriously.
And, you know what? Against my better judgment… I kinda enjoyed it. Painful to admit, but true.

Last time, I trashed it without even watching. Yeah, my bad.
Sure, the gags can feel pretty dated today, but weirdly enough, there are moments that hit harder because of the times we’re in now.

That’s why movies are fun. And that’s why “classics” stay fun.
Yeah, I know—calling Austin Powers a “classic” will probably get rocks thrown at me. But hey, certain sensibilities really do cross generations.

Basically what I’m saying is… read Ugetsu Monogatari, people.

🎙️ Hosted by podcaster Mako (@_macobana).
On my main channel ポケットに沼を (#ポケ沼), I never quite say it all, so this solo spin-off show #よもやまこばなし(#まこばな) is where the extra movie talk lives.

Episodes drop weekly or biweekly—because movies never run out.

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📩 Or email me directly: yomoyamakobanashi@gmail.com

Stay tuned, and yeah baby, yeah!


00:05
- Reel Friends in TOKYO バックナンバー- 過去のエピソードをプレイバック!
- はい、ということで本日のテーマは、映画 オースティンパワーズ 令和のおじさんはどう生きるべきか、です。
- あ、そう… あぁ…
- まぁでも、ちょっとね、僕今回の話題、ニアピンクショーかもしれない。
- でしょ?でしょ?多分オーマもそっちだろうなっていう気がしてたんで、 これはドンピシャかもしれないと思いながらつけました。
- ということで今回ね、一応状況というか流れを説明しておくと、オースティンパワーズを ズーランダー見たんで、
- ちょっと往年のというか、おバカ映画の金字塔といえばこれだろうと、 特におじさん世代から言わせればみたいな、そんな作品をピックアップした上で
- 真面目に語ろうという。
- そうですね。
- これ今回ちょっと非常に重要なんで、これもう一回確認しておきますけど、笑いなしで真面目に語って終わるという。
- はい。
- 笑わないじゃないから、笑い我慢する必要はない。我慢する必要はないんだけど、笑い的な振りはしないでいいですよってことですね。
- そうだね。だから今回ジャブがいらないってことだよね。
- 別にジャブっていいよ、ジャブっても。ジャブっていいけど、あそこ最高だったよねはいらない。そこをちゃんと真面目に語るならよしということです。
- 真面目に語った結果、我々が笑ってしまったら全然セーフです。というようなところで、オースティンパワーズを語っていくというのが今回のコンセプトになりますんで、
- 一応そちらを確認した上で、早速あらすじの紹介まいりましょう。
- よーい、どん。
- はい、ということで今回見たのは映画オースティンパワーズです。
- 物語は1960年のイギリスを舞台にして、真摯スパイというどこかで見たようなフレームにかたどられたオースティンパワーズという一人のエージェントの活躍から始まっていきます。
- 彼はですね、ドクターイーブルというコテコテな名前の世界政府を企む悪の組織の親玉と戦うんですけれども、
- ある日ドクターイーブルが自らを冷凍保存して宇宙空間に飛ばすという時空を超えた統合を図り、そんなドクターイーブルがいずれ戻ってくることを想定してオースティンは政府に功利付けにされます。
- 30年後の1990年代、ドクターイーブルが地球に戻ってきました。それに合わせてオースティンも解凍されます。
- かつてはブイブイ言わせていたオースティンなんですが、当然のことなら30年の時が流れて世の中はすっかり様変わりしています。
- そんなちょっとずれたオースティンとそのオースティンのバーディーとして組まされた女性エージェント、この2人のデコボココンビが改めてドクターイーブルを率いるところの悪の組織に立ち向かっていきます。
03:10
- 物語としては正直そんなもんで、完全懲悪の物語を、フレームを持ってはいるんですけれども、基本的にはドタバタコメディで、最終的には相手をやっつけて終わるっていうふうな話にはなるんですけれども。
- 特徴としては、1960年代に活躍したという設定であるオースティンの奇抜なスタイル、そして彼の生き様も1960年代にイギリスでムーブメントを起こしたスインガーと呼ばれるような若者たちの文化を造形に使っております。
- そんな時代とのギャップ、ジェネレーションギャップ、そういったところをメインのコメディ要素として扱った作品となっております。
- 今見ても面白いかもね。
- いいんじゃん。
- 一応言っとくと、俺の感覚ではちょっと余ってるのよ。ラグってるから。だから俺がピンときてない時だけお前は褒めるのよ。俺がドンピシャだとお前はくさすのよ。このギャップに俺毎回悩まされてるから。
- リスナーは俺の方で収録してるんで、俺の方で収録したやつを聞いてますから、ちょっと大間ずれてるなっていう、多分そういう感想になりますから一応覚悟してくださいね。
- ということなんですけれども、最終的に一応ドクターイーブルを倒したというか、結局また逃げられて終わったってことですよね。
- まあそうだね。
- また戻ってくるぜーって感じで終わりましたけど。とりあえず毎度のことですけれども、単純な感想としていかがでしたか?
- 死ぬほどつまんなかったです。
- いやー、なんだろうね。僕はね、思いのほか楽しめました。
- 本当?
- 多分感覚的には、今の感覚でドリフの大爆笑を見るようなイメージ。
- まあでもそういうことだよね。
- そうだから、ドリフ見てる時もドリフのコント見てる時も、観客の笑い声と同じ熱量で笑うことは一切ないんですけど、
- あ、このノリってこの辺から来てんだとか、
- あ、このネタってひょっとしたらこの人たちのこれが出どころなんかなーみたいな、
- そういう楽しみ方で楽しめた感がありますね。
- そうなんだよ、なんかファニーじゃないんだよね。
- なんかもうキュリアスなんだよ。
- まあそうだね。ホーンっていうところに多分感じるものがあるっていうのはありましたけどね。
06:03
- 裸一貫の主人公が後ろで動いている時に、
- カメラの前方にいる登場人物が持っているもので、奇跡的に極部が隠されるっていうそのノリね。
- それのしかも女性版もあるからね。
- あれもびっくりしました。ミルクね。
- 笑ってんじゃん、今言いながら。お前ちょっと楽しんでんじゃねーかよ。
- 僕ね、あのシーンね、一番何が気になったかって、オースティンの方なんですよ。ちょいちょいはみ出てんの。
- はみ出てんの?でも一瞬怪しかったところあったわ。
- 一瞬どころか4瞬ぐらいね、ちょい漏れしてんだよ。
- そうなの?そこまでちゃんと見てるの?
- ちょい漏れしてるし、なんなら虫眼鏡をクルクルしてるシーンあるじゃん。
- あれ普通に見えとるやん。
- あれちょっと見えてたよね。でもなんか、これってもうこの時代のノリなんだっていうことに結構関心をして。
- だから何だっけ、アキラ100%見ても俺何にも面白くないんだなっていう。
- でもそれはね。
- もうなんか手垢のつきまくったギャグっていう印象しかやっぱりないんですよね。
- 逆に新しいみたいなこと言ってる人聞いても、いや古い以外の何者でもないだろうっていうふうに思ってたんだけど。
- だからやっぱり僕らが子供の頃にね、バラエティとかで使い尽くされた手法だったと思うんで。
- これがだからこの90年代の向こうの映画で使われてたんだなっていうふうに思うと、考え深い。
- これが映像を用いた娯楽の主戦場がまだ映画でもあった時代なのかなって気はして。
- 僕らの時代ってまだ映画ってやっぱり立ち位置がもうちょっと高かったような気がするんですよ。
- 特別なものだったからね。
- テレビはテレビで大衆娯楽にとしては強く広く受け入れられていたけど、映画は映画でちゃんと別の枠組みの中にいてくれてて。
- そこに行けば楽しい思いができるよっていうなんかスペシャル感というかプレシャス感を持ってる映像娯楽だったなっていうふうに思うんだけど。
- だからなんかこう、やっぱりこういうのも映画という土俵でやってきてたんだなっていう。
- なんかそういうのを感じて、おおって慣れたんですよね。
- すごい下品なんだけど、ソーセージかじるところとか、ティーカップにミルクをなぜか両手で同時に注ぐところとか、
09:07
- 本当に下品なんだけど、いやーなんか、考え深くなっちゃって。
- やばそうなんだ、みたいな感じの気持ちに慣れたという点においては、楽しいじゃんっていう。
- あとは、めちゃくちゃ遅い10期に惹かれて亡くなる人の、
- あー、パンクローリー?
- そうそうそう。
- ナーオ!どけーどけー!ナーオ!
- で、引きになった瞬間に実はめちゃくちゃ距離空いてるっていう。いくらでも逃げるんだ。
- あのカットのそのカメラ割によって明かされる、映像だから緊迫感があるんだけれども、
- 引きで全体像が見えてくると、あまりにもスケールが小さくて驚かされるというような、そこに笑うみたいなのって、マーベル映画でも結構やってるんですよ。
- アントマンとかで、プラレールの機関車トーマスに引かれそうで、うわーってなってガシャーンとかなってるんだけど、引きで撮ると普通にプラレールが途中で脱線してカシャカシャ言ってるだけみたいな。
- はいはいはい。あったね、楽しみね。
- カメラの位置が変わることによって見え方全然変わってくるよねっていうような、映画っていう枠組みというか、映画っていう表現技法の特色をコメディに落とし込むっていうアプローチだと思うんですよ。
- こういうのも駆使してんねんなと思うと、これちょっと軽く見すぎてたかなっていう気がして、前回ものすごいボロクソ言ったじゃないですか。全然見たくねーよとか、大丈夫1時間持たねーよとか言ってたんですけど、割と語れる切り口あるなーみたいなふうに思って、結構感心しちゃったところはありますね。
- 確かにね。同じ手法トイストーリーでもよくやってたもんね。
- あーやってるねやってるね。
- 人間視点にパッて移り変わった時に、おもちゃがどう動くかみたいなところって、確かにね、そういう映像手法で考えるとあれは歴史的な価値になっちゃうんだろう。
- 僕も見てた視点が、いかにこの映画が楽しませてくれるかっていう、そこの目線オンリーで見てたから、もう寒くてしょうがないし、いたたまれなくて恥ずかしくなっちゃうぐらいになったんだけど、
12:00
- それをメタ思考じゃないけどさ、見てみるとこの映画は確かに興味深い映画になるのかもしれないね。
- そうね。あとはジャブ的なところで言わせてもらうと、衣装へのこだわりは相当なものがあるなっていう気がしましたね。
- 本当に。作品のオープニングが1960年代のVV言わせてた頃のオースティンとイギリスみたいな、そんなシーンから始まるんですね。
- その時点でだいぶ寒いんですけど、ダンスとかね。でもあそこは逆に寒さを演出してるんじゃないのかと思えば全然見れるんですよ。
- はいはいはい。
- 60年代のイギリスのムーブメントって今見るとこんなに滑稽なんだぜみたいな、多分そういうスタンスもあるだろうし、それで言うと全然許せるカットだったかなっていうふうに思うんだけど、
- 何よりその時に出てくる衣装たちの素晴らしさにはちょっと感動しまして、今いろんな造形とか成形技術っていうものが非常に高まっている中、
- やっぱり小道具類は差がすごい感じられてしまうんだけれども、衣装に関してはこの時代から相当作り込めてたんだなっていう気はして、いいねって思いました。本当に。
- 僕あれ見た時に、作り込んでたのか、作り込んだように見えたのかを判断することができなかった。
- ちょっと今回の主戦場の話になっちゃうから、いい?
- いいよいいよ。
- 今回ちょっと僕が言いたい大きな流れとしては、現代にオースティンが復活したら普通に溶け込めるのではないか説を唱えたくて。
- この映画を普通に古き良きとか、大根の名作って言ってる人がどういう風に見てるかっていうと、魅力の一つとしては、この時代遅れっていうものそのものに対する承認願望的なところが結構あるんじゃないかなと思ってて。
- ノスタルジーみたいなところを、今の状況でもそのまんま受け入れてもらいたいなみたいな心理っていうのも一定程度あるんではないかなというところが、この映画が好きな人。
- 若い人っていうよりかは、やっぱり僕らよりも上の世代の人たちで、このオースティンって面白いんだよって言ってるイメージが結構強いからさ。
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- なんかそういう、俺たちの時代はこうだったっていう主張っていうのが、良かったよね。でも今の時代でもその良かったよねを受け入れてほしいみたいな感じなんだけど。
- これをなんだけど、かつてダサいと言われているものだったりとかって、時代を経るごとにそのダサいの内容が変わっていくじゃない。
- かつてダサいっていうのが意外と今はカッコいいになることっていうのは往々にしてあるじゃない。
- 僕は本当にマジで詳しくないからわからないけど、ファッションだとさ、昔ラッパパンツみたいなのがカッコいいとされてたけど、今はちょっと違う風がいいとか、
1,2年前ぐらいスキニーパンツみたいなのが流行ったけど、今はもうちょっとダサいに入り始めてるんだよね。
- だからむしろBKシカリアのリラックスフィットがすごく今主流になってますからね。
- あとは音楽のシーンでも、ちょっと昔の歌謡曲っぽい音楽みたいなのがさ、逆に新鮮みたいな感じに受け入れられたりとか。
今まさにムーブメントとしてはそうなってますね。洋楽を中心に。
日本はやっぱり音楽シーンが微妙にずれてるので、何とも言えないんだけど、でももう欧米の音楽シーンはもう完全にそっちですね。
その低ビットレートな音だったりだとか、そのあたりは非常に効果的に使われてる楽曲がめちゃくちゃヒットした後に組み込まれてるというか。
そういううまい、いわゆる時代の流れの中での繰り返しですよね。
揺り戻しとも言えるのかもしれないです。そういうのはありますね。
- だからなんかこう、ダサいものっていうのがその再評価されることもあるんじゃないかなっていうところがあって、
まさにそのオースティン・パワーズのオースティンが生きてた1960年代の生活感っていうのが、
意外と現代のライフスタイルにマッチする部分も非常にあるんじゃないかなっていうのが思ったんですよ。
- 例えば?
例えば、オースティン・パワーズがよくフリーラブっていう言葉を使うじゃない。
だけど、今で言うとさ、当時のように公の場でナンパだったりとか、
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あなた可愛いね、セックスしようぜみたいなことっていうのはあまりしないけれども、
結局これってインターネット上のマッチングアプリって同じことじゃないのかなとかさ、
その時代に合わせてやり方はちょっと変わってきてるけれども、
今はわりと一昔前のフリーラブみたいなぐらいの範囲と、
60年代の範囲と考えると、60年代の方がもっとヒッピーが流行ってたりとか、
本当に誰でも彼でもっていう時代ももちろんあって、それがちょっと縮小化して、
今マッチングアプリとかそういうのにしてまた拡大化してっていうような時代に来てるから、
このフリーラブみたいなのも、現代では形を変えて生き残ってたりするんじゃないかなとかっていうのがあるし、
あとはよく俺は最高にイケてるみたいなムーブをオースティンは結構かますっていうか、
多分それがスイングみたいな文化だったんだろうけども、
今そのSNSのバエとかいいねみたいな文化っていうのは、これにすごく非常に似てるような、
あんたかっこいいじゃんってお互いに言い合うことで承認欲求を満たしていくスタイルみたいなところとか、
あとオースティンの自信満々な状況っていうのが、今自己肯定感を高めるためのマインドフルネスメソッドみたいな、
すごい流行ってるじゃんとか、あとは何だろうな、写真家でありスパイでもあるみたいな独自の路線を貫いているっていうのがさ、
それこそクリエイターさんだったりインフルエンサーだったりっていう、個人の個性っていうのを武器にするみたいな、
その手の内容っていうのが、意外と現代でもオースティンの1960年代って、意外とマッチするんじゃないかなって。
分からなくもない。分からなくもないというのは、歴史は繰り返していくわけじゃないですか。
面白いことに、今特に中高生あたりに改めてブームとして来ているのがY2Kファッションですね。Y2Kです。
Y2KAB?
Y2Kです。YKKABです。Y2Kはイヤー2000、2000年代のファッション道です。
渋谷マルキューとかがブイブイ言わせた時代の服をあえて着るみたいな。
確かにへそ出しファッション、アムラの見えみたいなの流行ってるもんね。
21:02
で、パツパツのTシャツに、あえて下はベルボトムを履くみたいなのとか、あとちょっと厚底を履いてみるみたいな。
そこら辺が結構来てたりするんですよね。
今現在2026年とY2K、大体何年ぐらい離れてるわけですかって話なんですよ。
25年。
そもそもオースティンは1960年代に冷凍保存されて、そして1967年に眠って97年に目が覚めてるわけですよ。
うんうん、30年。
97年から30年って言ったら2027年なんですよ。
だからおおむねですね、オースティン周期にちょうど近いところで僕ら話してるってことなんですね。
なるほどね。
そう。っていう風に考えると、オースティンの間隔っていうのが1997年、30年後にはピンとこなかったけど、
この30年経つと意外と重なるところが多くなってくるみたいなのは、ある種周期でそういうタイミングが来るっていうのは全然あり得るなと。
っていうのはすごい思ったりするんですよ。
ただね、フリーセックスについてはちょっと微妙だなっていうふうに思うんだよね。
あくまで部分的にってことだと思うんだけど。
今やっぱりね、世の中がクリーンであるフリをする方向にものすごく動いてるから、実際にクリーンじゃないんだけど。
まあそうだね。
そこなのよ。だからさ、もう俺はどんなことでも寝るぜみたいなところに価値観を持っていて、
それこそがやっぱりスインガーとしての境地だったりするぜみたいなオースティンのスタンスだったり言動っていうのは到底受け入れられないよねっていう。
そこはやっぱりちょっと立ちふさがってくるかなっていうふうに思うし、僕はむしろそこが今回の僕の中での争点というか、そこになってくるのかなっていうふうに思っていて。
これって何なのかっていう話なんですけど。
結局今回僕が感じたのは、令和の世の中で生きづらさを感じてるおじさんみんなオースティンパワーズになればいいんじゃないかっていう。
こういう暴論、極論をちょっと持ってきたんですけど、みんなオースティンになっていいんじゃないかなと思って。
ものすごく今回オースティンパワーズ見てみて、重なるというか、特に最近対立構図を描くっていうのがものすごくいろんなところで流行っていて、
X見ててもすぐ男女の対立を煽ったりだとか、あとは性的マイノリティ対ストレートみたいな、そういう対立構図を煽って話してる。
24:07
若年層・高齢層とかもそうだしね。
まさにそこなのよ。その流れの中でやっぱそこだよね。若年層と高齢層の、要するにジェネレーションによる対立を煽る。で、餌にされるおじさんたちみたいな。
まあそうだね。
そういうような構図がやっぱり敷かれてるんだけれども、そういう世の中に生きてる僕らがオースティンパワーズ見たときに、すごい親近感を得るというか。
今まさに僕らはオースティンパワーズの扱いされてるなっていうのを感じるわけですよ。
やっぱりおじさんたちはわかんないけど、今こうなんだよみたいな。
あんたの時代ではそれがかっこよかったのかもしれないけど、今は違えんだよとか。
そこら辺を容赦なく突きつけてこられるわけなんだよね。
オースティンも作品の中では、え、マジかみたいな。今回このオースティンパワーズっていう作品は本当にそのネタが非常に繰り返されて、ドクターイーブルも目が覚めて100万ドルを要求するみたいなこと言ってみんなに笑われるみたいな。
レートが違いすぎるわみたいな。
ハシタガネですね。
ハシタガネですね。企業がもう余裕でそれ以上稼いでますけどみたいな。
そういうお話もたくさん擦られるわけで、あなたたちの中の常識が今の世の中の常識だと思うなよみたいなところを突きつけられていくっていう。
それに対してオースティンも月面着陸とか見て、自分がいなかった時代こんなことが起きてたんだなっていうのをちょっと考え深く見つめるシーンも挟まれたりしたんだけど。
じゃあオースティン変わったかっていうと変わってないんだよね。
ここにちょっと感心しちゃって。逆に。
徹夜でビデオ見て今の世の中の状況を知るシーンの後、ひょっとしてこれはそっちの方向にオースティンが目覚めるみたいな。
いかに時代に自分を合わせていくのかとか、この時代での生き様を俺は見つけたぜみたいな話になるのかと思いきや、何も変わらないまま普通に進んでいくわけね。
その辺の潔さというか、ある意味では別にそれは事実としてあるんだけれども、だから何っていう強さをすごい感じてしまって。
そこが結構、この終始ふざけ続ける作品の中でも一番強いメッセージになってるんじゃないのかとすら思ったのよ。
そういう視点でこの作品を改めて位置づけてみると、スパイ映画のパロディ映画なわけじゃないですか。
007とか。
そういうフレームを見てみたときに、特にしかもオースティンはイギリス出身だしね。そこら辺もイギリスのスパイであるジェームス・ボンドをすごい意識してるのかもわからないですけれども。
27:10
そういう紅花というか、伝統的にずっとエンタメを牽引してきたスパイ映画っていうフレームを用いているにもかかわらず、それをコテコテにコメディ映画として作り上げていくっていうのも、ある意味ではひとつカウンターナラティブ的なものを感じるわけ。
あえて違う側面として作品を描いていくっていう風なアプローチも結構大胆というか、挑戦的なものを感じるのよね。
既存の枠組みに立ち向かうスタンス、スパイ映画各あるべしみたいなものはみんなのイメージの中にあるんだけれども、それを完全に壊してるんだよね。
これって、その時代の流れに対して全く自分を負けないオースティンと、すげえ重なるなと思ったんですよ。
合わせないよっていう。自由がいいでしょっていう。その自由さにこそ価値があるんじゃないのかっていう風な、
枠組みに対するレジスタンス的なスタンスをすごい感じたわけなんです。
特に面白かったのは、ドクターイーブルの組織も結構象徴的な気がしていて。
誰一人イーブルに突きしたがってないよねっていう。
部下すぐ殺すんですよ。
その辺もそれまでに繰り返されてきた悪の組織あるある的な感じで茶化してるんですけれども、
それだけやってても全然誰も彼を尊敬してないし、全然言うこと聞かないっていう風な組織で描かれていて。
終始徹底して何か組織に盲目的に従うみたいな姿勢の人がマジでいないっていう。
こういうスタンスの人たちばかりが出てくる作品を見てると、
コンプライアンスに両手首縛られて身動きが取れていない今の社会的な活動している人々が哀れに見えてくるんだよね。
本当に。
いかに自由さっていうものが創造性に溢れているのかっていうものをものすごく突きつけられてしまう1時間半だったなっていう気がして。
それらを統合してみたときに、オースティン・パワーズっていう作品が僕らに提示してくるのは、
迎合しなくていいじゃんっていう。
30:04
従属しなくてもいいよねっていう強いメッセージなのかもしれないなっていうところに僕は落ち着いたんですよ。
なるほどね。でも確かに今ちょっと言われて思い出したのが、それこそドクター・イーブルなんだけど、
オースティンは自分を曲げないことでその時代に生きる術を手に入れたんだけれども、
ドクター・イーブル対象的にその時代に迎合しようといろんな努力をするわけさ。
その企業型のなんちゃらかんちゃらをやってみたりとか、
その時代のレートに合わせて身の治療金を変えてみたりとか、
作戦をその時代に合わせてどうのこうのにしてみたりとか、
っていうのをいろいろ合わせたりとか、自分もその中で生きづらさを感じながらもうちょっとカウンセリングを受けてみたりとかっていう、
いろんなことをやってみるけれども、結局認められない自分とある意味迎合しなきゃいけない自分っていうのがどんどん葛藤していって、
最終的には全てを失っているっていうところを考えると、すごく対象的に描かれているし、
ドクターイブル、無理に迎合しようとしてうまくいく人、例えばそのドクターイブルナンバー2なんかはその時代に合わせて進んでいった結果、
うまくいくパターンっていうのももちろんあるんだけれども、
まだその時代に合わせることがどこかでゼーと思えてない人たちっていうのはどこかで崩壊していくんじゃないのっていうところにもつながってたのかなって。
何よりね、そのドクターイブルとオースティン・パワーズが同じ演者が演じてるっていうところも象徴的だなという。
両方ともマイク・マイヤーズがやってるんだけれども、結局2人とも30年の時を経て蘇ってるんですよ。
その上でそれぞれが異なる立場で異なるアクションを起こした結果、最終的な結果につながっていくというストーリーラインなので、
ある意味では時代と自分との距離をどうやって埋めていくのかっていうところの試みを同じ時間軸で2通り見てるような感覚にはなるよねっていう。
だから、ある種本当にオースティンの生き方というか、選択っていうものの力強さをすごく感じさせてもらえるというか、
なんかそのあたりすごいよね。これから言うことは別に特に意味は持たないんですけれども、
女性と恋中になることがものすごい価値を持ってるとは僕は別に思ってないので何とも言えませんけれども、
33:05
オースティンがヒロインと恋中になるときに取った手法なんかも、
たぶん別に90年代の活かしたアプローチではないですよねっていう。
あくまで60年代のノリで落としてますよねっていう。
そこも何も変わってないんだけれども、何も変わってないんだけれども、結局真がある行動っていうものは何か心を打つんじゃないのかっていう話にもなるのかなと思うんですよ。
ただ僕のこの発言は断じてですね、いろんな商売をやってる女性に対するガチ恋おじさんを応援してるわけじゃないので、
勘違いしないでください、本当に。
リスナーの中にガチ恋勢がいたら本当にちょっと申し訳ないんですけれども、全然応援してないんで僕。
そういう話ではないですよっていうことは一応言っておきますけれども、
やっぱり真を持って自分はこうあるべきだと感じているんだよっていうのをメッセージとして持ってる人のアプローチっていうのは、
何かしら根っこに響くものがあるんじゃないのかなっていう気はするんですよね。
だって別にあんなに時代に合ってない奴が自分の好きなように行動してる映画ですから、
別に制作側のスタンスがそっち側になかったら別にそれでオースティン・パワーズがひたすら痛い目を見てそういう笑いにしちゃったっていいわけじゃん。
そっちの方が描きやすいよねっていう。
まあ楽だよね。
そうそうそう。ジェネレーションギャップに苦しまされてドタバタ失敗ばかりっていうところでそのままひたすら続けて終わっていけばいいんだけれども、
なんかそういう方向に行かないというか、結果的にはそれが良い方向に結びついていくっていうのはメッセージを感じるところかなと思うんですよね。
そうね。やっぱり結局、僕はこれをね、今回ちょっと古いはダサいけどすごく古いと格好良く見える現象というものを格好悪さの谷と名付けたいんですけど。
いいんじゃないですか。不気味の谷的なね。ある一定のところを超えると。
なんかもう格好悪いんじゃなくて逆に格好良くない?みたいな。
っていうのも結局そのシーンを通されるとそれがシーンじゃなくて誠の方のシーンになっていくっていうところもそうだし、
あとなんかちょっと変だなダサいなと思って、ふと遠くから見てみると意外と振り返ったらあれってすごく良かったよねって思えるタイミングがやっぱ来るっていうこと。
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あとはずっとやり続けていくこととかずっと残り続けていくものって結局定番化したりとかして、クラシック的な良さとかお馴染みだからやっぱりいいよねっていうところに入っていくから、そういう良さもあるって思いたいよね。
でも実はあるから今こういう風になってんだろうなって気はしますよ本当に。
カセットテーププレイヤーがウォークマンですよね要は。がまたちょっと再ブームになってるだとか。
僕もレコードを持ってますけど、レコードに針を落とす気持ちよさだとか、あるいはフィルムカメラもそうですよね。僕は好きでいじりますけど。
やっぱりこうデジタルカメラがある程度使えるレベルになったときにすごいやっぱそっちにロマンを感じたのよ。
デジタルカメラも例明記は全然使い物にならないぐらい画質悪くて。
そうだね、中学校くらいの時はもう全然しょうもなかった。
お話にならない。やっぱりフィルムの方がよっぽど美しかったし。
ただそれがこう段々とね技術レベルとして追いついてきたときにはもうデジタルカメラの方がいいでしょうと。
もうその場でね、もう写りを確認できて何度だって撮り直せるよ。
もうこれって一つのブレイクスルーだよねっていうところへのロマンをものすごい感じて。
実際でもそれはプロの現場ではそっちの方が絶対にいいから。
やっぱりプロの現場では本当にデジタルカメラの一興になっているわけですけれども。
ただじゃあ価値ってそこで決まるかっていうとそういうわけではなくて、
プロの世界じゃなければ個人の世界であればやっぱり魅力に感じる部分っていうのは他にあっていいんだよね。
そうなってきたときにやっぱり今改めてフィルムカメラを触ったときにその機械をいじってるっていう気持ちよさだったりだとか、
その極めてですね、こちら側からアプローチしなければ何も動かないっていう、
この自分に全てが委ねられている感覚だとか、そういういろんな側面に価値を感じて、
やっぱりかっこいいなこれっていうふうに思えるっていうのは、やっぱりどんなものにでもあるんだなっていうのはすごい感じますね。
時代がちょっとずれたりとかさ、価値観がちょっとずれてるからこそ、
もともとの期待値が僕らおじさんたちは低いじゃない。
ってすると、逆にこのゲイン効果を狙いやすくなるっていうのもあるかもしれない。
だから僕らがちょっと活躍したりとか、ちょっといい感じになると、
39:03
やるやんってちょっと見えてくるじゃん。
雨の日に捨て猫に傘を差す不良少年現象ね。
そうそうそうそう。
トゥンクってなるやつね。
だから僕らがこれがいいんだっていうことを言い続けることで、
いつかどっかで逆転現象が起きたときに、そのトゥンクが大きくなる可能性っていうのは非常にあって。
ありますね。
もう僕がよく見てるYouTubeのね、眼鏡のね、眼鏡最近かけてないか。
ジブリとかアニメのね、トンデモロンをよく喋るおじさんが言ってたんですけど。
年老やないか。年老やないかい、それ。
100万人見せて90万人に嫌われても、
10万人の頭おかしい奴に好かれるんだったら僕はそれでいいみたいなこと言ってて。
それでもね、いろんな人がそれもうちょっと違う表現で言ってると思うよ。
俺だって、親に言われたもん。
それと同じようなこと。
あなたがやってる仕事っていうのは、10人のうち1人でもありがとうって思えて、
思ってもらえたらそれでいいって思わなきゃいけない仕事だからねとか。
まあ要するにね、
一方通行でもいいから自分の思いをしっかり伝えていくっていうのって仕事では確かに大事だよなと。
ただやっぱりプロなら10人中10人に思われなきゃダメだよなとも僕は思ってますけど。
でもまあ気持ちの面ではね、そういうところはあるなって気はしますね。
なんかね、今回令和のおじさんどう生きるべきか的なところでね、
言うと、言語をする必要はないと。
今回僕は声を大にして言いたい。
オースティンのように。
ただ、言語をする必要はないと。
言語をする必要はないと。
言語をする必要はないと。
言語をする必要はないと。
今回僕は声を大にして言いたい。
オースティンのように。
ただ、理解はしたいよねっていうことなのかなっていうふうにも思ってるんですよ。
で、それが多分時代とずれてしまった我々に求められるバランス感覚なんじゃないのかと。
そうだね、それこそさ、ジャンゴのキャンディーになってるんじゃないかっていうことなんだと思うんだよね。
無知性と無理解っていうのが、旗から見たときに非常に滑稽に見えるよっていう状況。
だからその、若者がとか、昔は良かったみたいなところだけの世界で生きていると、
いやいや、今の方が全然進化してるところがあるよねとか、
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今の方が優れてる点があるじゃないっていうところを見落としてしまったがゆえに、
余計この時代から取り残されるし、
さらには時代からも受け入れがたくなる存在になってしまうっていうものがあるとすると、
やっぱりあの映画で学んだ教養と、
教養って言ってもなんだろうな、
素人すること自体っていうのがやっぱり一番大事なんだろうね。
まあでもね、僕らキャンディーみたいには逆になろうと思ってもなれないのよ。
それは何でかっていうと、僕らはやっぱりオースティンだから。
なるほど。
農園を持ってないのよ。
オースティンは嫌でも、変わってしまった世の中の波に飲まれざるを得ないから、
時間の問題ですよ、誰に指摘されなくても、いつの間にかあれちょっと俺がずれてるっていうところは気づくはずなんですよ、別に。
魅力的な女の子に言われなくても。
キャンディーは気づけないよね。
だって自分の農園から出ないんだから。
まあそうね。
自分の王国があってね。
最近どっかで見た構図なんですよ。
これ富士テレビですね。
なるほど、確かにキャンディーランドだね。
そうあれキャンディーランドなんですよ、言ってしまえば。
結局時代に、まあ今言いましたよ、言語をする必要はないけど理解はしたよね。
でも理解するためには触れなきゃいけないんですよ、ということだと思うんですよ。
その時代に言語をしてないままですね、その時代と触れ合うことをしなかったら、
そこに理解は生まれないからずっとずれ続けるし、そのずれがですね、時に人を傷つけるわけですよ。
そこだと思うんですよね。
まあその言語をしなくていいとは言いました。
ただやっぱり、時代に合わせられない自分っていうものをどこかで見ないといけない。
そこはやっぱりずっと持っておきたいところですね。
多分時代と自分が合っていないということに気づいてないままずれ続けることはおそらく違うんじゃないのかっていう。
だからまあそこにもやっぱり理解っていうものが欠けてるからなのかなっていう気がするんですよ。
昔ながらの笑い合って当然会っていいと思ってるんです、僕は。
要はそれをですね、互いに押し付け合うことがなければいいんじゃないのかということなんですよ。
というのも僕らだってかつては若者だったわけじゃないですかと。
僕らを笑ってる人たちはいずれね、笑われる側に立つんですよ。
ここがやっぱり年齢っていう対立の非常に残念なところですね。
攻撃した分だけですね、自分に返ってきてしまうということになるわけじゃないですか。
大事なのは世代が違うから分かり合えないんじゃなくて、単にそこは切り離して考えてるから分かり合えないんですよね。
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別にちゃんと時系列としてはつながってるわけだから、自分たちの世代に理解できないものっていうものが、
いずれは今度は下の世代から見たら理解できないものっていうふうにどんどん変わっていくわけで、
そのあたりはちゃんと理解しておかないといけないし、そこが理解できたら別に全然住み分けもできれば両立もできるんじゃないのっていう。
気はするんですよね。
そうだね。あと同時に慢心をしないっていうのも大事かなと思った今。
俺分かってるからおじさんにもなっちゃいけないなって思った。
理解があるふりをして自己妄想の世界に入っちゃうと、
リアリティのない自分の時代の合わせ方になって、それはそれでずれが生じるよねって。
本当にそれはそうだと思うね。
例えば一人二人の若者と話をして、若者文化を知った気になるのもすげー怖くねっていう気がするんですよ。
特に今みたいにいろんな方向に人々の興味関心が伸びている時代に、一人二人の現地を取ったからといって、それが社会的なムーブメントだと思うのは非常に怖いよねっていう。
僕すごいそれを感じるんですよね。
若者たちの文化って確かにね、僕らの時代とは大きく変わったと思うし、
派用化してるのは確かなんだけれども、実際の根っこのところはやっぱり若者には若者らしさっていうものがやっぱりまだ生きていて、
僕らの時代に見られた嫌なところっていうのはやっぱりね、少なからず絶対に残ってると思うんだよね。
今の子たちはこうだからこういう僕らの悩みは分かってもらえないというか、むしろ分からなくていいし清らかになったねみたいなふうに思う人いるかもしれないけど、
それって多分ただやっぱり理解してない、見てないだけだとは思うんだよ。
そのあたりも結構よく考えていかないといけないよねっていうのをすげえ感じてて。
そうなんだよね。結局フィールドが広がった分隠し場所が増えちゃったっていう結果でもあるから、
例えば僕らの時代ってメールがちょうど始まったぐらい。
携帯が個人が携帯を所持するっていうのがちょうど始まったぐらいだから、
仲間外れに仕方っていうのが変わった時代なんだよね。
いつも普通に学校で話していても、メールで別のフィールドがあるとか、
あるいはそのミクシーのグループをあいつ抜きで作ってるっていうのがちょうど始まって、
それまでは学校という見えるフィールドで仲間外れがあったんだけれども、
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それがインターネット上で仲間外れっていうのがスタートして、
今もっと僕らはそういうイメージだけれども、もっと別の場所に今隠されてるかもしれないし。
攻撃の仕方が増えたっていう。
だから僕らよりも前の世代なんかは結局、ちょっと嫌だなって思う人に、
何かしら攻撃したいと思っても、消しゴムのカード使ったくらいで怒るなよみたいなことを言うぐらいしか方法がなかったわけじゃないですか。
お前の天井、お前んちの天井低いなみたいな。
そういうのでちょっと攻撃をするみたいなぐらいしか嫌なことをできなかったんだけれども、
今は例えば、本垢ではフォローしてるけどサブ垢ではフォローしないということによって相手にダメージを与えるみたいな。
全然フカワリオンのネタにもならないような、
どっか威力を要する攻撃とかもできるようになっちゃってるわけで。
これってだから表に見えてないだけで、全然僕らの時代と本質的なところ何も変わってないよねっていう。
そうなんだよね。あるいは僕らが攻撃をしていると認識できてないっていう。
だから別にサブ垢は面倒くさかったら登録してないんじゃない?ぐらいにしか僕は思わないけれども、
多分本人たちからするとフォローしてる、フォローされてるっていうのの重要度が全然変わってくるんだよね。
意味があるね、そこね。
そうそうそうそう。だから全然変わってきちゃうから。
逆にこれ今ちょっと因出な面でも言ったけれども、これプラスの面でも多分同じだったと思うんだよね。
例えばYouTubeがどうのとか推しがどうのとかっていうきらびやかな面とかプラスの行動の面っていうところでも、
多分ちょっと一昔前っていうのと今っていうのも楽しみ方の変遷っていうところもあるから、
俺らにとってはなんだよこんな陰気なことやっててってちょっと見えちゃうものっていうのも、
今の時代からするといやそれがいい楽しみ方だよねとかっていうのも全然見えてきたりもするだろうから、
やっぱりその価値観の押し付け合いだったりとか、無理解じゃないな、
理解しようとしないで自分の価値基準にだけ当てはめるっていうことが一番危険なんだろうね。
上手な生き方って何かって言ったら、やっぱり価値観をうまく使い分けることなのかなって気がして、
例えばだから若い世代が楽しいと思えないことをおじさん世代が楽しむ方法を知ってたりだとか、逆もまたあるわけじゃない。
っていうふうに考えると、自分では気づけなかったことっていうのがその世代差によって気づけるっていうふうなケースは、
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別に仕事を教える教わるとかじゃないレベルでいくらでもあるわけじゃない。
例えば多分、ザリガニ釣りの面白さを知らないまま大人になってるやついっぱいいると思うんですよ。
わかんないけどね、インタビューしてないから。でもそれって僕らは知ってることだよねっていう。
逆にだからSNSでバズる快感っていうものを、多分僕らはあんまり知らないというか。
多分意味が違ってると思うんだよね。
10件ぐらいしかいいねついたことないもん。
だから別にそれででっとしか思わないけど、それに対してものすごい落ち込む人たちもやっぱりいるはずだしっていう。
そこらへんのマインドの持ち方って、もっと気楽になっていいんだよっていう。
こういうふうにこんなスタンスでいれば全然気楽だよみたいなのも提示できたら嬉しくなれるかもしれないっていう。
だから自分が気持ちよく生きるためには、いろんな価値観を自分の中に持っておいてもいいのかもねっていうところもあるのかなという気はしますね。
ちょっと話戻していきますけれども、実は1時間超えてるんでね。
マジで?
そうなんですよ。
とりあえず僕はやっぱり今回まとめるとですね、コンプラとの付き合い方ですね。
お前ら前に習いしすぎてないかっていう。
コンプラコンプラで芸能人叩きとかもすごい加速してる気がしていて。
下手したらオリンピックの結果に対して選手を罵倒するみたいな人たちも中にいるみたいで。
それも結局表だったところで人を攻撃できなくなったから、
元来持ってるその人の鬱屈した攻撃性っていうものがネットを介して他の人に向いてるってだけで、
時代は変わっても人間って変わってねえなっていうのを僕は日々感じてるんですよね。
だからなんかすごいいびつなものにすごく見えるし。
なおかつ物を作っていく時とか、物を表現していく人たちっていうのが、
そういうところでどんどん失われていくっていうのは非常に残念だなというふうに思ったりはするんですよね。
法を犯してたらそれ裁かれて叱るべきだと思いますけれども。
でも裁かれた後は当然社会復帰してくれないと困るわけですし。
逆に当事者間の争いである民事裁判で何癖つけんのも変だしとか、
いろいろ感じちゃったりするんですけど。
いろんな笑いがあっていいし、いろんな価値観があっていい。
ただそれを楽しめない人たちがそれを享受しなければいいじゃないという。
そこはきれいに墨分けをしてあげれば余計な圧力も生まないでしょうし。
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いろんな枠組みがあるからこそ、その枠組みを破壊する笑いが生まれるんじゃないのかっていう気もするんですよね。
だから全てを一つの枠組みへと変形させていくんじゃなくて、
いろんな価値観という枠組みがある中でその一つ一つをお互いにくさしたりして、
ぶっ壊して笑えたらそれが楽しいなという気がします。
だから合わせる必要はない。ただ理解はしちゃおうと。
理解した上でくさして笑うんだったらそれって気持ちいいじゃないっていう。
多分それができてる作品がオースティン・パワーズだったんじゃないのかという気がしてます。
なるほどね。
僕は何だろうな、価値基準自体は己になくてもいいんだけれども、
価値基準のエビデンスを外部に求めちゃいけないのかなって思った。
これがいいよね、あれがいいよねっていうところを、いろんな人の意見を聞くっていうのは素晴らしい。
結局マクジャンの言ってることと一緒なのかもしれないけれども、
いろんな価値基準に触れるっていうこと自体に抵抗しちゃいけないし、
触れていくこと自体が学びになるっていうことはあるんだろうけども、
そこに最終的な決定を下す自分なりの根拠となる部分っていう、
この判断の部分、価値の判断の最終決定権っていうところは
己の基準っていうものと合わせて考えていくっていうのが大事になってくるのかな。
だから、やっぱりどっか核を持っていないとフラフラするだけでもいけないよねっていう、
そこのどこにマイルストーンを置くのかなっていう、そこがあって
いろんな価値に触れるっていうことが大事になってくるかなと思った。
最終的な判断は自分でっていうのは、ある意味では行動すべての責任を自分が持つということにもなりますから、
そこはやっぱり手綱を渡したくないよねっていう気はしますね。
今の時代はこうだから自分の価値観をもっと変えていかないとねみたいな。
言いますけど、僕も一応スタンスで言うことはあるけど全く思ってないけどね。
正直。ポジション的に言いますけど、価値観をアップデートしていかなきゃねみたいな。
言うけどそんな気さらさらないよ正直。
求められる場面においては相手に合わせるけど、時代に自分を合わせるってのはちょっとどうなんだとか、ちょっと思っちゃいますね。
もちろん根本的なところでは人に迷惑をかけない。ここだけはしっかり趣旨をしてあげれば、
根っこのところでは自分は自分を生きるっていうところを別に変える必要はないなっていう気がしてます。
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あと一個ね、おじさんであるっていうことを言い訳としてポジティブに使えるようになりたいなって思った。
これ結構ネガティブな意味で使っちゃうじゃん。
これをおじさんだからさっていうのをもっとポジティブに使っていければ、
結局このおじさんだからさっていう言い方そのものが、あなたの文化受け入れられないですっていうポジションの表面にしかなってないから、
おじさんだから難しいんだけれども、あなたの文化ちょっと聞いてみたいよとか、あなたの価値観聞いてみたいよってそういうポジティブな、
だからおじさんにもわかるように伝えてほしいし、おじさんもわかるように迎え入れるからさっていう、
おじさんだからさをポジティブに今後使っていきたいね。
おだしょー これおじさんだからめっちゃ楽しいとかでもいいんだよね。
おだしょー そうそうそう。おじさんこれいいと思うわみたいな。
おだしょー おじさんゆえにっていうね。
おだしょー おじさんだからハマっちゃうね。
おだしょー ポジティブな発言の後には必ずおじさんゆえにって言うよ自分それから。
いやでもなんか結構目標達成じゃないですか。
おだしょー そうね。
おだしょー 割と真面目に話せましたね、オースティン・パーツ。
おだしょー オースティン・パーツの話だったかどこだかわかんないけど。
おだしょー いやーなかなか頑張った方かなというふうに思います。
じゃあこれはひょっとして次はオースティン・パーツの第2作目かな。
おだしょー 俺おじさんだからそれ無理だわ。
おだしょー いやー今のでエンディングに入りたかったな。
入りたかったんだけどね。ごめんなさいポンダシアクティブじゃないんで。
とりあえず形式的にちょっと音を入れます。
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