2025-10-15 1:07:52

【Replay】#ラブロマンス 『#ゴースト』令和の日本人は反面教師にせよ。 Replay】#RomanceFilm “#Ghost” — A Cautionary Tale for Reiwa-Era Japan

I hungered for your touch

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映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は  #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

名作ラブロマンス映画の『ゴースト』をみてみました。

まあ何度目かの視聴にはなるわけですけども。

やっぱりラブロマンスはいいね。

甘い。すごく甘い。

甘すぎてね、こき下ろしたくなるのよね。

でもどんな表現にも始祖がいるわけで、こういうコテコテなものもこうした名作があるから後のテンプレと化していくわけですよね。

あの有名なろくろシーンに込められたメタファーとは。

人が死ぬってどういうこと。

90年代アメリカの抱える不安ってなあに?

僕たちは人の死をどう乗り越えていきていくのかな。

刻一刻と変化していく社会の中で、死者との対話のあり方も変わっていく。

令和を生きる皆さんと共に考えてみたいものです。

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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。


公式noteもやってます。

https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5


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直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


“I hungered for your touch”
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Hey, it’s Mako, your movie-talk podcast host.
This time I sat down with Orma from #ポケ沼 to revisit one of the all-time classic romance films: Ghost.

Yeah, I’ve seen it a couple times before. But man, romance films really hit different, don’t they? Sweet—almost toosweet. So sweet it makes you wanna roast it a little.

Still, every cliché has its origin, and Ghost is one of those cornerstones that turned syrupy tropes into a template for everything that followed.

What’s really going on in that famous pottery-wheel scene?
What does it mean for someone to die?
And what kind of anxieties were Americans carrying in the 1990s?

Most of all: how do we, the living, move forward after losing someone?
As society changes, so does the way we talk to the dead.

So let’s think about it together—from the perspective of those of us living in Reiwa-era Japan.

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Podcast host Mako (@_macobana) brings you Yomoyama Kobanishi (#まこばな), a spin-off from the main channel Pocket ni Numa wo (#ポケ沼).
So many movies to talk about, never enough time!
New episodes drop weekly or bi-weekly.

Got thoughts? Tweet them with #リルパル #ReelPal—your tweets might get featured in the show!

Official note: https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5
Topic submission form: https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7
Or email directly: yomoyamakobanashi@gmail.com

Thanks for tuning in—and stick around, there’s always more to come.

00:04
Reel Friends in TOKYO 〜Back Number 過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということで本日のテーマは、映画「ゴースト」、「令和の日本人は反面教師にせよ」でございます。
ちょっと待って、令和の?
日本人は反面教師にせよ。
令和の?
どういうこと?全然わかんない。
一点わからないことが進んでいく中で、徐々に霧が晴れて見えてくる。これが理想でございます。
もう、初めから見えてるようなのはちょっと良くないかなというふうに反省をいたしまして、キャッチーかつちょっとわからないぐらいのところでちょっと抑えてみました。
ちょっとだったらいいのに、全然わかんないだろ。
しかもこれ怖いのはね、俺が説明したところで結局わからない可能性もありますんで。
それで僕にコメントを求めるんでしょ?
やめてくれよ。
そんなわけで、いつも通り2分間でプレゼンしていきたいと思います。
はい、じゃあ行きますよ。
皆さんはもしも大切な人の命が目の前で亡くなってしまったらどうするでしょうか。
ということで今回ご紹介するのはゴースト。
日本では副題としてニューヨークの幻というものがついております。
1990年の作品を見ました。
映画の主人公は銀行員のサム、そして芸術家のモリです。
ニューヨークで新生活を送り始めた2人。
ところがひょんなことからサムは陰謀に巻き込まれ、強盗に襲われて命を落としてしまいます。
はじめは不幸な事故的な事件なのかと思われるんですが、
直後サムはゴーストになり、周りからは見えないけれども全てを自分の視点で見ることができるような存在となります。
その後の恋人の周囲を見ていくと、自分の死は偶然ではなく、
なんと友人であるカールの企みであったことがわかり始めます。
ところが彼の声も姿も決して人に届きません。
その中サムはインチキ霊媒師のオダ・メイという黒人女性に手を借りて、
少しずつ恋人にメッセージを届けようと色々頑張る。
その頑張りを見るのが頑張れってなるような感じのプリキュア映画的な楽しみ方もあるんじゃないかと思います。
03:00
愛する人を守りたいとか伝えたい、そして最後にもう一度触れたいみたいな、
そんな誰もが共感できるような思いが詰まった映画という風になっております。
またですね、主題歌としてオールディーズのアンチェインドメロディーを扱ったというところも特徴の一つではないでしょうか。
ぜひですね、皆さんもちょっとご覧になって、ピュアな甘い恋の味を思い出していただければと思います。
なんか今日、わりと苦しめじゃなかった?
あのね、だからね、甘い映画って話すことないのよ。
はっきり言わせてもらう。
残り30秒結構頑張って繋いだから。
あのね、これもう本当に言っとくけど、ラブロマンスっていうのは、男は辛いよみたいなもんだから。
みんな同じものを見ようとしてきてんだから。
語ることないのよ正直。
男女が出てきます。恋に落ちます。愛を深めます。キュンキュンします。以上です。
そういうテンプレを求めてみんな見るわけだから。
今回ゴーストも結局そこじゃないですか。言ってしまえばね。
他にもいろんな要素が乗っかってきてはいるんだけれども、みたいなところがあるんで。
ちょっとねっていうのは、ちょっとラブロマンスAがどうかなっていう。
そういうスタンスでちょっと今回語らせてもらいます。
じゃあそこをちょっと頑張って分からせたいなと思う2個。
2個分からせたいことがあるの?
2個分からせたいことがあって。
分からせてください。
それはちょっととりあえず後でね。
まずジャブ的なところからいきましょうかね。
ジャブ的なところ?なんかあります?
ちょっとね概要的な話なんですけれども、監督のジェリー・ザッカーっていう人がですね、パロディ映画で有名な人らしくてですね。
ネイキッドガンですね。裸の銃を持つ男っていう映画が一番有名な作品になるかと思うんですけど。
それを理解した上で作品を改めて見てみると、おーなるほどなというところはあって。
この作品ってまあラブロマンスが一応主題ですけど。
一方でコメディ要素、ファンタジー要素、そしてホラー要素みたいなのがいろいろちゃんこりしてる。
だいぶごったりになってる感じの作品じゃないですか。
そういう視点で見てみるとオープニングの入りとかもね、コテコテのゴーストもの、コテコテのホラーものの導入をするじゃないですか。
はいはいはい。
廃墟の中で、ホラー映画にありがちな効果音および不協和音ベースのBGMみたいなのを入れて、カメラがどんどんパンしていくみたいな構成。
06:16
そこをドカーンってぶっ壊して、3人が爽やかに登場するっていう裏切りみたいな。
そういう撮り方っていうのは、ジャンル映画っていうものの枠組みを利用したちょっとしたボケだよね。
そういうところを考えると、パロディ映画で培ったものがそこに生きてるんじゃないのかなみたいなことは感じたりはしました。
あとは、デミムはもはや触れるまでもないというか。
皆さんご存知のっていうところにはなってくるのかなと思いますけど。
あの人よね。
あの人ですね。彼女のキャリア範囲がゴーストかなという気はして。
これでものすごい有名になったけど、結局その後、いまいちね、だんだん仕事減ってってグーッと落ち込んでいった中で、
G.I. Janeっていう映画。リドリー・スコットの97年の作品ですけど、G.I.ジョーをパロってるタイトルなんですけど。
要するにムキムキの戦う女っていう。
頭も丸刈りにしてやって、自分のこれまでのキャリアをがらりと覆すような作品に出て、またちょっと改めて注目を集めたみたいな。
あれチャーリーズ・エンジェルに出てたんだっけ?
出てました。
2作目、フルスロットルの方ですね。
伝説のエンジェルかな?忘れましたけど。
まあでもそんな感じですね。
なんか俺なんかあんまり共感してもらえないというか、誰にも言ったことない心に秘めたことがあるんだけどさ、デミムはちょっとアンミカに似てない?
それ今でしょ。
今?
昔は全然似てない。
今のデミムアと今のアンミカ。
ちょっと輪郭伸びてからのデミムはね。
ゴーストの時は全然似てないですけど。
ゴーストの時は似てない。セクシーな女性ですよ。
ゴーストの時の顔つきは非常にちょっと幼い感じで、どことなくシザーハンズに出てた頃のミノナライダーを彷彿とさせるような感じ。
透明感とちょっとボーイッシュな髪型みたいなところがちょっと僕は重なったりはしますけどね。
非常に愛らしい方でございますし。
09:00
何より忘れちゃいけないのはやっぱりオースティン・パワーズのプロデューサーでもあるという。
そこで来てますから。
そこでここに来てるんで。
忘れちゃいけない。
何をしてるの?
何をしてるんだという。
ちょっと訳がわからない。
ただ面白いのはつながりがもう一個できたとおりですね。
オースティン・パワーズもパロディ映画ですから。
というふうに考えるとですね。
監督もパロディ映画出身の方ということで、いろんなつながりがある作品になってくるわけなんですけれども。
やはりですね、副題をつけるという。
当時の日本の。
当時の時、今でもありますけど。
ただやっぱりゴーストっていうふうに対応ってあるのも、
これはだから、ジャンルシフトものの走りとも言えるんじゃないのかっていう気はしますけどね。
ジャンルシフトものっていうのは、てっきりこのジャンルの映画だと思って見てたら違ったっていう裏切りを持った作品群のこと。
ジャンルシフト映画って言います。
キャスパーとか。
キャスパーはジャンルシフトじゃないです。
あれはもともとコメディじゃないですか。
有名なのはキャビンとかね。
これもいわゆる、正直ジャンルシフトものって下手者というか、変化球でね、強めの変化球なんで。
これをメジャーな作品群でやるのはやっぱり望ましくないんですよ。
メジャーな作品群見に行って、ジャンルがガラッと変わったらちょっとハーってなるやん。
だからジャンルシフトっていうのが流行ったのも、ここ数年のいわゆるホラー映画、B級扱いされがちなジャンルですね。
ホラーだと思って見てたら途中からコメディにシフトしていく。あるいはホラーかと思って見てたら途中でSFになっていくっていう。
キャビンっていう作品が有名で、コテコテなホラーのテンプレで始まっていくんですよ。
ちょっと頭空っぽな学生たちが、やめとけって言われてるのに山奥のキャビンに泊まりに行って、殺害されていくみたいなホラーかと思わせておいて、途中で急にSFになるんですよ。
ものすごい、俺は爆笑してしまったんですけど。
キャビンはぜひ見ていただきたい。ここで言ってもいいんだけど、俺何だったらこれ次キャビン見たいなって思い始めてきちゃった。
ジャンルシフトとはみたいなところで、ジャンルシフトはありなのかみたいなざっくりしたテーマで語ってもいいぐらい、俺が爆笑した映画なんで。
とにかくジャンルシフトの走り感はあります。そういう点で言っても、見てる人たちの楽しませるための枠組みがいくつか用意されてるような感じがして良かったですね。
12:14
俳優さんで言うとね、僕これ以外では全然見たことないんだけど、これほど橋役で印象に残る俳優さん見たことないっていうのが一人だけいて、
ヴィンセント・スキャベリ様ですね。
ヴィンセント?スキャ?
スキャベリ。
地下鉄の男ですね。
僕この映画以外で見たことない気がするんだけど、でもこの顔ってなんか覚えてるし、なんかこの人ねみたいな感じになるよねっていう。
ほんと俳優さんが早く多いっすね。
でも結構有名作品出てます。アマデウスにも出てるし、サリエリの住所とか。
アマデウス俺見たけど覚えてない。
あとはバットマン・リターンズのオルガン氏。
オルガン氏?
名前がないですね。
007、トゥモローネバーダイにも出てますね。
ドクター・カブフンも。
スノーホワイトに出てた?
これテレビ映画ですから。
あ、テレビ映画か。
マウン・ザ・ムーン出てた?覚えてない。
バットマンス?全然覚えてない。
という感じです。確かに存在感すごかったですね。
カレーナのギャツビーにも出てる。
でも痩せた男でクレジットなしっていう。
これはもう分かるわけねえわ。
でもなかなかの存在感でしたね、確かに。
こんなに早くでしかないんだけど、申し訳ないぐらいに。
けどなんでこの人こんな出てこなかったんだろうっていうぐらい存在感をちゃんと放った役で。
しかも演技ですごく良かったなと思うんだよね。
そうね、確かに。
なかなか存在感は本当にあった。
で、なんかもう本当に、役作りの上でだと思いますけど、
どう見ても悪霊でしたね。
どう見ても。
どう見ても小汚い悪霊なのに。
そうなんです。すごいなと思いまして、なかなか。
でも確かに、脇を固めてる人っていうのの存在感って大事ですよね、映画って。
それはちょっと思いますわ。
僕はあそこちょっとコテコテすぎてうるさかったけどね。
正直。
15:02
あんなもんだってさ、教室開くなよっていう。
念力教室急に始まるからさ。
ジャンプでいう修行会だからさ。
もういらんなーと思って、あれはもうなんだろうな。
あそこの彼の登場シーンは良かった。
もう徹底的にサムが何やっても物質には一切干渉できないっていう描写をあれだけをコテコテにひたすらやり続けた上で、
あいつに絡まれて、あいつが平然と電車の窓を割るっていうシーン。
あそこは観客に親って思わせるためのもう本当に見事な流れだったので、非常に気持ちが良かったんだけど、
うーん、教室開かなくていいなって。
もう何だったら別にそういうのいらんから、
あいつにもう散々絡まれて、結局またボコボコにされるんだけど、その流れの中で必死に反撃していく中でコツを掴んでいくぐらいでいいと思う。
そこはもう無理やり。そっちの方がむしろ自然なぐらいだと思う。
急に教室開く。
あっこのシーン長いなと思ったから、もうちょっと縮めて逆に途中で性格がバーンって変わったっていうか、
ドラッグ中毒みたいな感じで、お前はどれだ!みたいなことを言い始めるシーンがあった。
あっちの下りのことでゴーストの特性みたいなのをちゃんと描いた方がちょっと面白かったんじゃないかなって思った。
そうね、その辺はちょっとなぁという気はしますが、極めて共感的にですね、あのゴーストに触れるとすると、
どんなゴーストにも背景がありますよねっていうところを描きたかったのが一つと、
あともう一個はやっぱり社会的な背景っていうものをもうちょっとね、作品に載せたかったんだろうなという感はあるんですよ。
ここでジャブからの本題に少しシフトさせていただくんですけど、この作品で僕がすごく感心したというか、
むしろなるほどねって思わせていただいたのは、このゴーストが作られたのが1900何年だった?
90年ですね、90年。このぐらいのアメリカってどんな時期だったのかなっていうのをそこがしこに感じることができたというのが一つですね。
やっぱり象徴的なのはやっぱりサムが一番初めに結構気分を重く対応するのが日本人っていう。
まずここですね。
ヤマザキだっけ?
ヤマザキだったかな、忘れましたけど、日本語を必死にこうちょっと相手のご機嫌を取るために日本語の挨拶をなんか練習したりして、
18:04
いざ行ったらもう相手は来てるみたいな、どんだけ早く来てるねみたいなその日本人の機質みたいなものも描きながら、
そういう日本人が大口で結局対応しなきゃいけない銀行にとって非常に重要な客になっているというところ。
このあたりは非常にですね、当時の日本の勢いみたいなものを感じさせてくれたところですね。
ジャパンアースナンバーワンみたいな。
それを見ると同時に我々は今の日本の低下落にちょっと悲しい思いになるわけなんですけれども、
当時は本当にもうグイグイの時代ですから、ビルとか買い漁ってるわけですね、日本が。
三菱事情とかが。
それをこう見事に乗っけてるのに、なんであそこでそれをやる必要があるのかということなんですよ。
なぜですか?
思うに、僕はこの作品において非常に重要になってくるのはやっぱり、
みんなが抱えてる不安の感情を煽りたかったんだろうねっていう。
やっぱりアメリカは一番じゃなきゃダメなの。
そこなのよ。別に2番3番。2番で何が悪いんですかみたいなこと言ってる場合じゃないよっていう。
アメリカ一番じゃなきゃいけないのに、戦後復興に力は貸したものの、日本がここまで勢いづいてくるとは到底思っていなかったわけですよね。
アメリカの中心地ニューヨークで、その象徴的なロックフェラーセンターとか、
そういうビルが買い漁られていく、しかもそれが日本にっていうところは、当時のアメリカ人にとってめちゃくちゃ不安な出来事だったと思うんですよ。
アメリカの未来ってどうなっちゃうのかしらみたいな。そういうところが多いね。
あったんじゃないのかなという気がするんですよね。
実はこのぐらいの時期ってめちゃくちゃ世界っていろんなことが起きていて、
翌年にはソ連崩壊するし、ベルリンの壁崩壊もその1年前ですね、89年に東西冷戦が終わっていく。
じゃあこれからその東西っていう対立がなくなったらどんどん、対立してる方がむしろ区分がはっきりしてる分、みんなかえって安心してる部分はあったと思うんですよね。
もちろん旧和危機とかいろいろありますけど、
どっちが敵かははっきりするからね。
そこが結局どんどん流入してくるようなそういう関係性になってたりで、どうなっちゃうのかな国際秩序はっていうところが読めない。
そういう恐怖みたいなものもおそらくはその辺ふわふわあったんじゃないのかなとか。
21:05
あるいはこの辺なんかエイズの問題とかもいろいろとあったと思いますし、
あとはまあそうだな、ニューヨークの映像って作品の発表年によってものすごく違うんですけど、
今回の90年のニューヨークっていうのをかなりですね、両側面から描いていたっていうところも非常に重要なところかなと思うんですね。
サムが拠点にしているような本当に金融の中心地としてのニューヨーク。
その一方でサムを殺した男ですね、名前なんだっけあいつ。
カールじゃなくて、カールはカールなんだけど、
ウィリーですね、ウィリーが拠点にしているいわゆるスラム街みたいなところですね。
タウンタウン的な。
あの辺りとか、その辺の治安のものすごい変化、違い、あれってまさに格差ですよね。
それこそですね、アメリカも別に日本は成長してるけど、アメリカだって成長してるわけで、
経済成長がグイッとしていく中で、アメリカのそういう貧富の差みたいな、そういう社会的なねじれっていうものも大いに加速した時代でもある。
そういうところから考えると、サムの当たり前のように生活していて、急に死が訪れる、急に命を奪われるっていうことが決して想像の世界だけではなくて、
本当に現実的に起こりうることであるっていうところも、まさに観客たちが自分ごととしてその不安を感じられるような、
そういう舞台装置として大いに機能してたんじゃないのかという気がするんですよ。
だからこの作品の導入っていうのは、皆さん不安ですよね、心配ですよねっていうのを、これでもかと畳みかけてくるんですよ。
だからサムがモリーに幸せすぎるのが怖いんだぜみたいな、リア充爆発しろと言いたくなるセリフナンバーワンを言うじゃないですか。
幸せすぎて失うのが怖いんだみたいな。やがましいねお前みたいなこと言い寄るんですけど、
あれも結局そういうことだと思うんです。当時のアメリカ人が感じている感覚、今までのアメリカ、いわゆるオールドグッドアメリカっていうものが失われていく感覚、
それがいつ来るかわからない、今自分たちが立ってる足場がいつ崩れてもおかしくないんだぞっていうところが、
本当にいろんな方向からチクチクと来たのがこの90年代アメリカのスタートだったと思うんですよね。
っていう風に考えると、丁寧な導入だったなという気がして、そこは非常に良かったっていう風に考えると、
じゃああいつですよ戻ってきますが、トレインゴーストね、あいつの背景みたいなものもそこにすごく近いものがありますよね、
24:08
ある日急に押されて死んだと、一体何が自分に起きたのかも理解ができない、誰が何の目的でやったかも分かってない、
別に何か自分がしたからとかそういう背景も一切ないまま急に命を落としてしまうっていうのが、
当たり前にここニューヨークでは起きるんだっていう恐怖みたいな、
そういうところでさらに彼自身も多分ろくな生活をしていなかったであろうし、
そういう誰しもが幸せになれるわけじゃないし、今幸せかどうかに関係なく死が急に訪れてもおかしくないという恐怖、
そういうところを非常にいろんな側面から描くためにですね、あいつのダイナミック退場があったのかなという気がするんですね、
という風に考えると、やりたいことははっきり伝わってくるんだけれども、念力教室はうるせえなと思いましたという話です。
そうね、あともうその話でいうとさ、ここに関してはちょっとコミカルに描いているけどさ、
オダメイの2回目に行ったときにもう幽霊かワンスかがいてさ、奥さんと旦那が幽霊で初めて憑依するシーンよ。
会いましたね。
なんだお前その髪型はって言って、今ニューヨークで流行ってる髪型なんだよって言ったら、
偉い、頭おかしいのかみたいな感じの反応をすると思うんだけど、
オールドアメリカから見るとなんか不思議に見えてしまうけれども、そこのニューヨークでは今流行ってることみたいな感じで、
この時代の移り変わりの、なんか変なとこ行っちゃった。
なんか指して繋いで。
時代が変わっていく、変化していく社会みたいなところに対する社会不安の一側面を見ることができるんじゃないのかみたいなことを言いたいのかなというふうに思いますけど。
そうです。
あとはあれもそうじゃんだって、全然そこら辺の目的がなかったら必要ないものといえば飛行機事故とかのニュース。
ああそうだね。
あれもまあそう。
飛行機事故っていうのも、今はもう本当に高度にコンピューターで完全に管理されてるから非常に少なくはなってきているけど、それでもゼロじゃないっていうところが怖いところですけど。
大きな航空機事故っていうのはやっぱりあのぐらいの時期にはたくさん起きているんで、そういう大規模な人的な災害みたいなところで人が亡くなっていくっていうところも不安を煽るための一つのアプローチだったなというふうに思いますね。
だからまあやっぱりそれ丁寧ですよ、前振りは。
そうだね。前振りは丁寧そうだね。まあでも中身の方も僕は割と丁寧に描いてたんじゃないかなっていうか。
27:08
丁寧だよ。丁寧なんだけど、これ僕は初めて見たのが小学校6年生か中学校1年生ぐらいの頃だと思うんですよ。わかんないですけどね。
金曜ロードショーかなんかでやってたのかわかんないですけど、あの名作画みたいな感じで。成り物入りで放送されるわけですよ。
まあさすがにTSUTAYAで借りたわけじゃないですよ。本当にこうテレビ放送で見たんですけど。
まあやっぱそれだけ煽られて見るわけですから、ものすごいなんか色々と期待をするんですけれども、見た感想として思ったのは、こんなコテコテな設定のものをアメリカの映画ってやるんだって思ったんですよ。
これはね、多分だから見たタイミングにもよるんだよね。やっぱりそれって要するにもう公開されてから10年以上経ってから僕は見てるっていうふうに考えると、おそらくゴーストが走りなんじゃないの?っていうのが一つあるんですよね。だから当時は新鮮だったのかもしれないなと。
ただやっぱりこうなんかこう、傍観に襲われて死んだ後追っかけてって戻ってきたら、自分の体があれ、俺死んでるみたいなのって。
それはなんか、テレビの怪談スペシャルとかで作られるちょっとした1時間に満たない映像作品のアプローチなんじゃないのかなって正直思っちゃうわけよ。
これで2時間やんの?みたいな感覚はやっぱりどうしてもあって。でもこれが本当に思想なのであれば別にそのツッコミは値しないと思うし、これがあるからその後のそういう表現っていうのが出てくるんだよっていうふうになるんだったら全然問題ないのかなっていうふうに思うけど、今あえて改めてこれを見るとやっぱりどうしてもその感は否めないかなっていう気はしますね。
こんなコテコテな死後の描き方あるみたいなのとかもあるし、もう空からパーンみたいな光が射して、「ああ、お迎えが来たわー!」もうさ、それ漫画のギャグでしかやらねえよみたいな。で、悪い奴が死にました。
「No! No! Help!」みたいなのとかも、もうね、見すぎたみたいなところがやっぱりあるから、あるからどうしてもそこは引っかかる。
今日カッコイチ臭すな。 いやいや、名作ですよ。僕は名作だと思ってます。楽しいんです。楽しんだ上で言ってる。楽しんだ上で。あのろくろのシーンとかね、すごくエッチじゃん。
あのね、ろくろでこうちょっとウェーンって回してさ、こうちょっと手絡めてさ、ニッチャーみたいな感じですよ。もう音はないよ。音はもうアンチェインのメロディーが流れてるから、「うおおおおお前!」って聞こえないんだけど、もう絶対あれニッチャミチって言ってんじゃん。
30:09
サムの手がね、森の手の上に泥まみれてこう重なってるシーンとかさ。もうね、わかんないんだけど、あれはもうね、僕勝手に意識が遮断してたんだよな、あのシーン。
どういうこと?今見てってこと? いや見終わって、初めばーって見てたんだけど、見てたんだけど、ろくろのシーン覚えてたんだよ俺は。ろくろのシーン覚えてたから、ろくろのシーンあるよなーと思って見てたんだけど、見終わってあれろくろねーってなった。
嘘でしょ。あれ?って思って。めっちゃ重要なシーンだよね。 え、え、どういうこと?みたいな。もう何だったらラストさ、ようやくサムが見えるようになって、ここからろくろ回すんかなーとか思って。
なわけねーだろ。 そしたら迎えきってバイバイになっちゃったから、あれおかしいなーと思って戻したら、結構序盤にろくろ回してんのね。
あ、え、なんで俺一回見たのに、完全に見損ねてるんだろうみたいな。たぶんちょっとエッチすぎて、あの、もう意識が遮断してたのかなっていう。
あれでも、ちょっといいっすかあそこ。僕めちゃめちゃそこ語りたいんですよ。 ああ、じゃあお願いします。
いや、これねめちゃめちゃいいシーンというか、あの映画の全体を支えるシーンでもあってさ。
あれは、あのー、実質的な精神的肉体的セックスを表現したシーンなんですよね。
そう。で、まあ肉体がこうやってこう触れ合っていくっていうところもそうだし、まあ欧米では言い方としてこうメイクラブっていうような言い方もするじゃない。
言いますね。 だから何かを作り出すっていうような行動っていうふうにも捉えられていて、まあそれが陶芸っていうような。
うんうん。 で、陶芸でろくろを申すから、ろくろを申す時って必ず手で触れなきゃいけないわけよ。
だから、この触れるという行為がこう、しかもお互い手を重ねて一つのものを作るよっていう行為の、その愛し合ってたそのサム、サムだっけ。
サム。 サムと。 モーリー。 モーリーだ。メイじゃないね。
サムとモリーがそのお互いに愛し合ってたっていうところをこう、ラブシーンじゃなく表現したっていう、あそこめちゃめちゃいいシーンなんですよ。
なるほどね。 そう。だからこそ触れられないっていうこと自体がすごく絶望的に映るわけだよ。
サムにとって。あれだけこう、触れ合ってきたとか、そのお互いの触れ合いみたいなのを大事にしてきたけれども、何も触れないとか。
33:06
あとまた触れるようになった。でも触るといっても攻撃的にしか触れないから、モリーには触れられないっていうので、最後モリーに触れられたっていう。
もうこの流れを支えるための、もうなくてはならない大事なシーンをお前はなぜ見逃したときに。
エッチすぎるからあれ。ニッチャーって感じで座ってるからさ、うわーエッチ。ちょっとダメだーっていう。
多分初めて見たときも、僕はあれを導入ぐらいを見て、クッションに顔をうずめてた可能性があります。エッチすぎそうじゃん。
でもあれは狙ってると思うよ。実際多分愛部的な意味を陶芸の泥とかなんとかっていうところで崩すじゃない。
そう、崩すところの多分写生の意味だったと思うんだけどさ、いろんなそういう乗っけ方をして、エッチなシーンとして見せてはいるし野村だしね。
いろんなところでこうやって多分性的なところを見せてはいるんだけれども、あそこで大事なのは精神性だから。
なるほど。そっちを見ろって。
そう、触れるということがこの二人にとってどれだけ大事なことだったのかっていう。そこよ。
だから僕はVRに何の期待もしてないんですよ。僕は本当にそこを重視してるから。何の期待もしてないですね。VRがどうのとか言っても何の期待もしてないです。
フルダイブできるんだったら話は別ですよ。
そういう時代が来たらあり得るなって思うけど、今の技術レベルのVRはどこまでもこの路線で進んでったら一切何の期待もしてないですね。触れられないから。触れてる気になるとか言うけど、触れてない。
まあね。
それ寒状態になります僕。完全に寒状態になるんで。トレインゴーストに出会わない限り僕はもうVRに何の期待もできないですね。教室開いてくれない。
本編の話になるけどさ、これからのうちされる、今日1話目がのうちされたんだけど、そのVRチャットにズブズブにはまってる人の話をちょっと聞いてきたんだけど。
あんね、おそらく僕らの認識、VRチャットやってる人の認識って違うわ。あれはね、別の国。だからこっちの国の文化を持ち込んだらダメっていうことがよく分かった。
そう、だから無理なの。僕は。僕は渡航できないんで。それがもう分かってるんです。
なるほどね。
そう、これまで散々いろいろ聞いた上で、これは無理だなと。僕は入国禁止だと思ってるんですよ。
36:06
でも旅行に行くんだったら面白いなと思った。
可能性はあるね。可能性はある。
演習は多分僕もちょっとできないなと思ったんだけど。
可能性はあるけど、あくまで僕はサムなんで。
触りたいと。
触りたいの。触りたいし触られたいの。分かる?一緒にろくろ回したいんだよ。
じゃあ今度三軒院行こう。
行こうか。泥いじりしようね。
三軒院に陶芸教室あるから。
お前とやりたいわけじゃないんだよ。モリーとやりたいんだよ。そこ勘違いしないでくれ。絵面がやばくなるからそれ。
ほんとに。
ちょっとiPhoneで流すから。
そう。ダメです。でぐちゃぐちゃにすんでしょ。意味ない。やめてくれよほんとに。
でもね、確かに大事なシーンな気がしますね。
ここ良かったんすよ。
マコちゃんが一個さ、言ってくれたから、僕の見方がちょっと違ったんだなっていう感も若干あるんだけど、
この映画で面白いなと思ったのが、メタ思考にメタ思考を重ねてる映画なんだなっていう。視点が何層にもなってる映画なんだなと思って。
冒頭にマコちゃんがさ、トランスミッションじゃなくて、
ジャンルシフト。
ジャンルシフトって言ってくれたけど、この映画、モリーとカールの目線と、あとチャーリーだっけ?
誰?ウィリー?
ウィリーだ。ウィリーと織田名医からすると、完全にホラー映画になるじゃない?
そうね。モリーはホラー映画なの?モリーはサスペンスでしょ?
そっか、モリーはサスペンスか。モリーはサスペンス、その周りの人からするとホラー映画、サムからするとラブロマンスで、
観客から見ればどこの目線で見ればいいかわかんないみたいな、どこにも乗っけられるみたいな、この四層構造になってて。
織田名医はサスペンスコメディーだけどね。
まあそうだね。あの人にホラーやらせちゃダメだな。真面目な役できないから。
あれはもうコメディーでしかないからね。だってね、急に幽霊の声聞こえると思ったらね、ヘンリー発声をひたすら歌われるっていう。
あれはコメディーでしょうって気はしますね。まあ確かにね、視点によってジャンルが切り替わる感は確かにありますね。
これはなんかそういう、どこに目線合わせるかなっていうところで、見方が変わるっていうのの作り方っていうのは、僕は割とこれ新鮮だなと思って見てたから面白いなと思った。
39:15
逆にそういう見方の映画って他あるってなーっていうのが思い出せなくて。
そうね、難しいですね。探しはあるかもしれないから、キャビン見ようか。
キャビンか。
他にもジャンルシフトで調べればいくらでも出てくるかもしれないけど、
ジャンルシフトは基本的には観客目線でジャンルが切り替わるっていうところが大事っていう気がするので、視点によって違うよっていうところとはまたちょっと意味合いが変わってくるかもしれないけどね。
でも確かにね、カール視点で言ったらあれですね。僕はカールを見ていて思ったのは、ホラーの根本的な欠陥ってここだよなって思ったんですよ。
っていうこと?
サムは悪霊を演じるじゃないですか。パソコンにマーダラーとかさ。サムサムサムって。別じゃん。
めっちゃタイピング早いね。
幽霊がやることって、なんでいつもああなのっていう。
だって別に恨みがある霊がいたとして、もっと直接伝えるよね。だってあなた誰かに恨みがあって、それを相手にどうしても伝えたいと思ったら、とうとうと言うよね。ちゃんと伝えるよね。
お前なんで殺したんだよ。俺親友だと思ってたのにさ、なんであんな生き残り裏切ってさ、しかも人まで使って殺してんだよ。俺すっげえがっかりしちゃったよ。マジお前許さねえかんなって。
そうそうそう。なんだけど、でも悪霊たちはそれをしないじゃん。ちょっとずつ怖がらせて。怖がらせるためにテンプレな言葉とかを使ったりして、煽ってからようやく手出しとかし始めるけど。
それって、今回サムがやったみたいに、わざといわゆる悪霊のフリを霊が自らしない限りそんなことにはならないよなっていうふうに思って。
あの辺の描写は、ちょっとホラー映画を臭す笑いなんじゃないかという気はするんですよね。鏡にブーンとか書いたりさ。ああいうのも完全にそうじゃん。
舞台裏をわざと見せることによって。
そうそうそう。霊が見えないっていう前提だからそれが怖いけど、観客からするとサムは見えてるわけだから、それをサムがやってるんだっていうふうに考えるとめちゃくちゃコミカルだよねっていう。
42:02
それってまさに、いわゆるホラー映画がやってることって、結構そういう笑えることやってないですかっていうふうなところもちょっと感じられて、そこがまたいいところだなっていうふうに思いましたよ。
そうね。あれだよね。ジョジョ第三部でいうポルナレフのシーンだよね。
ああポルナレフのね。ありのまま今起こったことを話すぜってやつね。
話すぜって。わざわざ考えて。
ディオが時間を止めてわざわざポルナレフを抱えて、三段下に下げてまた同じ立ち位置に戻ってきて、そしらぬフリをするっていうことをしないといけない。
そうそうそう。
ポルナレフから見たらホラーなんだけれども、外から見るとすごくシュールっていうね。でもそういうことなんだよってことなんでね。
もう、亡霊がやってることってコミカルですよっていう。そういう笑いなのかなって。
確かに亡霊だったり悪霊だったりしたときにさ、なんであんな知能指数下がるんだろうね。めっちゃ頭いい幽霊っていないよね。
頭いい幽霊がいるんだとしたら、早々に相手殺して終わるからね。ニアミスみたいなのやらないでしょみたいな。あるいは最終的に殺したりもしないんじゃない。ひたすら嫌がらせだけ繰り返すんじゃない。
確かに。
本当に苦しんでる姿が見たいならね、その方が絶対にいいでしょうって話になるしね。やっぱそういうところですね。
その視点ではね、僕かなりこの映画を指したいところがあって、この映画のベースはまたキリスト教の話しちゃってごめんね。
キリスト教完全に乗っかってきてるから言わざるを得ないんだけど、キリスト教の魂の救済と、煉獄への行くっていうような、天国と地獄っていう話になってくるじゃない。
だから多分、善行した人はその魂の救済が得られていいとこ行けますよ。悪いことした人は地獄みたいなところに行きますよみたいな話を、
キリスト教とかあるいはその天国、地獄っていう言葉を使わずに、悪い悪霊がとか、悪い良い精霊がどうのこうのっていう言葉を使ってたけどさ、
とするとよ、サムって二人殺してるんよね。
そうね。
しかも割と直接的に手掛けて殺してるのに、お前それで魂の救済はねえだろってちょっと思っちゃってるよね。
でもまあ、そういうもんなんじゃない。
なんというご都合主義みたいなさ。
だからそこがちょっと引っかからないように、ちょっと二人とも自滅っぽい死に方にしておいたんじゃないの。
カールとかもさ、自分で投げたクレーンのあれが戻ってきて、ガラスが割れて落ちてくるとか。
ウィリーも自分で飛び出して死ぬみたいな。
ちょっと突き飛ばしたんだよ。
完全に突き飛ばしたんだって。
45:01
完全に突き飛ばして、車に轢かれそうになって轢かれなかった。
ああ良かったけど立ち上がったらブーンって。
だから我々は、ウィリーは完全に多分サムの手だよ。
まあだから悪い奴は殺していいんじゃないですかね。
敵は殺していいんだ。
そういう視点なんじゃない。
織田明が大金を寄付したら天国行けるみたいなね。
あの辺も発言的に免罪婦ですよね、中世の。
金で天国を買うという。
ちょっとね、そのこらへんはやっぱりライトな感覚で描かれてますね。
いやー。
ちょっとね、諸々言ってますけども、僕ちょっと踏み込みますがそろそろ。
お願いします。
令和の日本人は反面教師にせよと。
どういうこと?
これね、思ったんですよね。
令和の日本、人の存在残りすぎてないかという気がして。
令和に限った話じゃないの?これはキャッチーだから令和のってつけただけで、全然令和に限る話じゃないんだけど。
デジタルな文化っていうものが増えてきて、人の死を痛みやすくなりすぎたっていう感があるんですよ。
これが一体何なのかっていうと、いろんな側面であるんですよ。
例えばですね、亡くなられた著名人のブログがずっと生きてて、そこに毎月のようにコメントを残し続けるファンとか。
あの、某ヤンキーの、そういう感じですね。出せないけど。
出さないですけど、要するにいわゆるデジタルゴーストみたいな感じになっていて、結局僕ら自身もアカウントとかを作るわけじゃないですか。
それって結局さ、運営サイドがずっとアクティブじゃない限り消しますよみたいなスタンスを取ってない限り残り続けるんだよね。
有言とかにも残さない限りは。そうなってくると、やっぱりそういう廃墟とかしたものがいくらでも残ってて、
それを見るとあたかもその人まだ生きてるかのように感じられるみたいな、そういう現象は大いにあるんですよ。
それが例えば僕らみたいな名もない、しかも誰も興味がない人間だったら別にどうってことはないんですけれども、
影響力を持ってる人間とかのそういうアカウントが残ってたりするとさ、これでいつまでも立ちきれないでしょっていう。
ネットに限らず、その供養の形も変わりつつあるみたいな。
48:08
オンラインになるのは便利なことだと思うんですよ、オンライン会議とか。生で会うには正直満たないけど、
手軽に人とコミュニケーションが取れるというのは大きな進歩であり、それはもう本当に僕は全然反対する気はないんだけど、
個人と関わるという上で、墓参りってたぶんちょうどいい距離感なんじゃないのかなって思ってて、
手軽に死者と対話ができるというか、死者とのつながりを持てるような環境っていうのを整備することは果たして本当に健康的なのかみたいなことを僕はちょっと考えちゃうタイプなんですよ。
あーでも確かにちょっとわかるかも。なんか前にニュースでさ、個人のAIによって人格形成をされた映像と喋ることができる墓参りみたいなのがあって、
まあぶっちゃけ僕自身は墓参りだったりとか、墓参りだったりそういうお葬式だったりとかっていうのは、
生きてる人の極論言っちゃえば自己満足的なところが一番大きいと思ってるから、それで本人が自己満足が一番いい形なんだって言ったらそこまでではあるんだけど、
依存症と何が違うのかなっていうぐらいのところまでちょっと思っちゃったりもするんだよね。
そこはね、非常にデリケートな話だから僕らもそこは突っ込んでいくのに勇気は必要になってくるんだろうけれども、
やっぱりちょっと感じざるを得ない部分があって、できるからやるっていうスタンスだと色々と問題が出てくる時代になってきている。
色んなことができるようになっちゃってるから、それってやっぱり研究と倫理の関係性ともすごく近いものがあると思うんだけれども、
それこそね、死んでしまった人の成功なフィギュアを作ることができるわけですよ。
けどそれを作って何をするかっていうと、やっぱりそこには執着や依存っていうものがどうしてもつきまとうんじゃないのかという気はどうしてもしてしまうんだよね。
元より我々が死者の世界みたいなものを仮にあると思ったとしてだけど、それはやっぱり死者の世界っていうだけあって、
こちら側とは確実した存在であるべきだと昔の人たちはもう思っていたからそういう風な思想が生まれていると思うんですよ。
依存の受け皿としてその形に残してだったり、あるいは仮想空間上でいつでもその人に私はアクセスできるんだって思ってしまうと、
51:07
本来的なというか健康的な距離感を保ってなくなるんじゃないのかなっていう気がしていて、
それは何も個人を全て忘れて生きていくのが健康的だって言いたいわけでは全然なくて、
僕はもう本当に散々ヒーバーちゃんの死をポッドキャストで擦り続けてる男なんですけれども、それだけ自分にとってものすごく大きな衝撃だったっていうのもあるし、
僕がヒーバーちゃんのことを忘れたかっていうとそんなわけはないよねっていう。
ヒーバーちゃんとの思い出っていうものは確かに残っているし、ヒーバーちゃんを今でも尊敬してる部分がいっぱいあるし、
どっかで僕の中で正直親族で幸いにしてって言うとあれですけれども、
本当に直接的に関わりを持った親族がほとんど僕はまだ亡くなってないんですよ、びっくりするほどに。
ヒーバーちゃんぐらいなんですよね正直ね、直接本当に密に関わったことがある親族の中で多解したのが。
そうするとヒーバーちゃんはきっとどこかで見てるだろうなぐらいのふわっとした感覚は持ってるんだよ。
別にそれを本気で信じてるわけでもないっていう。でもそこにつながりを感じてるみたいな。
だからこう、絶対死後の世界あるからとかいうスタンスとも全然違う。
なんたら僕は根源的な部分ではそういう意識は一切ないしむしろ否定する立場の人間なんだけれども、
でもなんかヒーバーちゃんとのつながりはやっぱり確かに感じている。
なぜなら僕がしっかり覚えているからみたいな感覚なんですよ。それで十分僕は前を向いて歩いていけるし、
別にヒーバーちゃんに引っ張られて自分はもう今の生活を生きていけないなんてことも一切ないし、
むしろそういう健康な状態の方がきっとヒーバーちゃんも喜ぶだろうなというふうな感覚はするわけですよ。
いないけど。いないんだけどね。
多分だけど、これが一番健康なんじゃないかと僕は個人的な感覚で思ってしまっているから、
やっぱりゴーストを見て思うのは森、健康じゃないよねっていう。
すごい健康じゃないよね。この後健康になるんだろうなって気がするんですけど、
どうなんだろう、逆に死ねんじゃねえかとも思うんだけどね、あそこまで最後チューとかしちゃったりしてさ、
霊とチューしてファーみたいな。
そういうところを考えると、僕ももう最愛の人が死んだみたいな感覚はないので、
ヒーバーちゃんとの僕との間の愛情っていうものは全然それとは違いますから、
そういうことが起きて初めてわかるのかもしれないんですけれども、
なんかこうね、死者を痛みやすくなっている今の時代っていうものが、
果たして迎え入れるべき進化なのかというと、
54:00
僕は少しだけそこに違和感を感じておるよという話を今日はしたかったんですね。
なるほどね。でも確かにその痛むっていう言葉自体にはさ、
なんて言ったらいいんだろうな、その悲しみだけじゃない感情っていうのが乗っかってくると思うんだよね。
そのどっちかっていうとその死者、
亡くなったことを悲しむだけだったら悲しむって言葉を使えばいいんだけれども、
痛むっていうのを使う場合、その個人へのその何ていうのが原因とか
っていうようなその尊敬の念みたいなところが尊敬の念とか配慮の念みたいなのが多分乗っかってくるんだと思うんだけれども、
なんかそういう、なんか今真子ちゃんが言ってくれたような場面において、
その尊敬配慮っていうところが乗っかってるかっていうと、僕は乗っかってないというか、
その聖者側の意思によってすごく言葉を選ばないでストレートに表現するんであれば、
モテ遊んでるような状況になってるんじゃないかなというところもあって、
多分それらをやっている人にはその感覚っていうのはおそらくなく、
自分のその死者へのその付き合い方っていうのがこういう付き合い方なんだっていうような感覚上ではない、
そういう感覚なんじゃないかなとは思うんだよね。
もちろん痛んでますよっていうところではあると思うんだけれども、
なんかその、例えばその墓参りっていうのって結局は自分との対話をしに行っているわけだし、
その、じゃあそこにそのフィードバックが生じることによって、
その事故との対話じゃなくなっちゃうよねっていう。
だから結局その、個人に対して今こうこうなんだよとかっていうのを自分の心の中で喋ることによって、
自分で自分のことを振り返って、じゃあ次こういう風に生きてくね、また報告するねっていうような、
自分への約束を取り付けてまた去っていく、でまた適的にやっていくっていうこと自体が大事なんであって、
そこにフィードバックを求め始めると、じゃあお前の生き方って誰に決められてるの?
っていうようなところに帰結するんじゃないかなと思ってて、
そういう意味ではその死者からのフィードバックがあるよっていうのは僕は健全じゃないなと思うんだよね。
なんかね、それは確かにそう思いますね。
葬式しかり、ツヤしかりですね、いわゆる法要しかりですけれども、
あれは聖者による聖者の行為ですよねっていう。
死者を思い出して聖者たちが互いにその思いを語る会ですよねっていう。
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墓参りもそうな気はするんですよね。
お墓で亡くなった方を前にして、改めて親族が集まってくると。
一人で墓参りするにしてもやっぱり対話としてはあくまで自分との対話になっていく。
それってやっぱり戦役が明確な気がしますよね。
個人がまだ生きているかのように振る舞うっていうことが果たして本当に死者のための行為と言えるのかっていうと、
そんな気は全くしないっていうところがやっぱりどうしてもありますよね。
それでいうとやっぱり僕はね、この作品が発表された90年代っていうのは非常に、
特筆すべき年代で、いわゆるスピリチュアルブーム前世紀ですよね。
そうだね。
超能力、念力、そして死者との対話。
ね?っていう。
そこら辺ですよね。
僕は本当にそれには一応厳しい態度をとっていきたいガード人間で。
個人が何を信じようとそれは好きにしてくれていいんだけど、やっぱりそれを食い物にする連中がいるからさ、非常に危険だよねっていう。
エンタメとして楽しむ分には全然構わないんだけど、
それを餌にしてですね、人を騙して金を稼ぐような輩がいるということを考えるといわゆる霊感処方というやつですね。
非常に今そのあたりはちょっと気をつけていかないといけないんだけれども、この90年代というのは本当におおよそ一種の熱病のように、
社会全体がそういうものに対して非常に興味を強く持っていた時代なので、この手の題材の作品っていうのがこの後どんどん乱立していくんですよね。
蘇生乱造とも言うべき。
走りとしての作品でそれがラブロマンスの舞台装置として使われたっていうところは、清らかな気がするからいいでしょうと思いますけど。
僕が結構好きなのはやっぱりあれですね、神岡龍太郎が言ってたあれですね。
もしも亡霊なんていうものが存在してね、人に干渉できるんだとしたら、広島球場でアメリカ人がホームラン打てるわけがないっていう。
全くその通りだなというふうに思いますよ。
やっぱりそういうあたりの感覚として不安が生じるはずなんですけれども、やっぱりどうしても生きてる人たちが死者を思うとき、
どうしても自分本位でものを考えちゃうんだろうなっていう気がするんですよね。
きっと自分をこうであってほしいと思っているに違いないと、だからいろんなサインが全部自分に向いているように思えてくるみたいな。
やっぱり死者との距離感っていうものはある程度持っておかないといけないし、
その一番自分にとって健康的な距離感が何なのかっていうものを自分の尺度で測っていくには、
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今この世の中デジタルが発展しすぎてですね、そういうことを考える前段階であたかも死者が生きてるかのように感じることができてしまうような環境があり続けているということに
僕は非常に恐れを抱いておりますというお話でございました。
なるほどね。
そんな感じです。
出し切った俺は。
まあそうだね。
でもなんかそういう感覚になるってさ、日本だけなのかしらね。
いやまあ僕はね、死に対する考え方ってあんまり国全体でも変わらない気はしてるんだよね。
解釈というか背景にあるいわゆる宗教観みたいなものがそこに乗っかってくるから細かな違いが出てくると思うんだけれども、
やっぱり誰しも同じ生き物だから死に対する恐怖と漠然とした不安っていうのはみんな持ってるから、それをどうやって和らげようっていうところでいろんなバックボーンとしてお話を組み立ててるだけで、
死んだ後の人との関わり方みたいな部分では全然国またいでも同じような感覚みたいなのを持ってるところはいくらでもあるとは思う。
実際日本もいわゆる地面としめやかにおごそかに死者を痛む行為が行われているかのように見せているんだけれども、実際お葬式っていろいろ終わったら笑顔が戻ってくるじゃない。
みんなで個人のことを思い出して、にこやかに笑いながらあんなこともあったよねみたいな話をして、やんややんやとしてね、で笑顔でまたねみたいな感じで終わっていくような葬式なんていくらでもあるし、
生きてる人たちは生きてる人たちで、その個人への思いを大切にしながら笑って生きていけばいいんじゃないかみたいな、そこらへんの開き直りって言ったらあれだけれども、そこのけの明るさみたいなものってスペインから来てるメキシコの死者の日みたいな、
メキシコだけの、そんな感じの風合いも感じますしね。
だから多分それぐらいで僕はいいんだと思うんだよね。だからメキシコの死者の日はすごく、ある意味自分が楽しくなるために、亡くなった人がいるよっていう日、日常感を楽しむスパイスとして使ってるっていうところはあるんだけども、
逆にインドネシアのナントカ族とかいう人がやってる、毎年墓を掘り起こして、個人のミイラと一日過ごすっていうお祭りがある、風習があるんですよ。
1:03:10
トラジャ族?
マネネという祭り。トラジャ族のマネネ。
トラジャ族。個人が、なんだっけな、それ見た時にタバコが好きだったらタバコ吸わせてとか、ナントコが好きだったらナントコを持たせてみたいな感じで、
食事させたり着替えさせたりとか、体洗ったりっていうお祭りあるんですけど、そこまですると僕はちょっと、違うんじゃないっていうような気がしてきちゃうんだよね。
これは国の文化風習だから、一個人が何も言う話ではないんだけれども、それの僕が違和感にすごく近いものが、そのAI墓参りみたいなのがすごく感じちゃうんだよね。
トラジャ族の方はフィードバックがないからね。なんかね、方向性はちょっと変じゃないかなっていう気がする。AIがどうのこうのとか、ブロックがどうのこうのとか。
でもトラジャ族のこの儀式は面白いですね。興味深いという意味で。
確かに死者を蘇らせるみたいな考え方で言えばそうかもしれないけどさ、見るからにというか、これは写真も出てくるんですけれども、もう遺体そのものなんですよね。
逆にその人が亡くなったんだってことを本当に肌で感じられるような祭りではあるんだよね。
ある意味見方によっては死者にまだ執着しているかのように見えるかもしれないけれども、その人が確かに亡くなったんだということを改めて実感するための日のような捉え方もできるなっていうのを、写真見て思った。
確かに。
ある意味それがスクリーフになってるのかな?
いやすごいですね。世界が広いでございますよ。
とりあえずいい映画でしたよ。本当に楽しかったです。
僕大好き。
ウーピィ楽しいし、いい感じです。
本当にね、人情味の強い、うさんくさい人をやらせたら、ウーピィゴールドパークの右に出る人はマジでいいね。
そうね。見事ですね。
見事です。
でもなんだろうな、すごく面白かったなと思いつつ、やっぱり円溜め感が強いので、これが限界ですね。
1:06:04
なんだろうな、この感じね。語る…なんだろうな、難しいですよ。
映画っていう作品の、いわゆる芸術表現というか、円溜め表現、なんでもそうですけれども、純粋にただただ楽しめた作品って語りにくいよねっていうのがあるよね。
だからやっぱりそういう節がどうしてもあるかなという。
それはある。
ありますね。
というわけで、もういいですか。
でも結構言いたいこと言えたんで、僕は。
僕も十分十分。
じゃあもう何も言い残したことないですか。
そうね。最後の詞ですよね。
なんか今回の映画でね、やっぱり歌の力ってすごいなって思ったんですよ。
やっぱりそのロクロマウスシーンとラストシーンで出てくるアンチェインドメロディだっけ?
っていうのもすごく象徴的に使われてた音楽っていうか、歌の力っていうところもそうだったんだけど、
その1個だけね、すごいエネルギーを持ってるんだなっていう歌があったんだよ。
それがね、こんな曲なんですよね。
I'm Henry J. Simon. Henry J. Simon. I am.
趣味について語る1時間ポケットにいる魔王。
このポッドキャストでは、メインパーソナリティーは小倉があらゆる趣味にハマってしまう。
生まれ見ることスワンプ魔王ゲスタにメジャーなスポーツからマイナーな食品に似ているまでゆっくり語り続けます。
01:07:52

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