はい、特殊カルチャープログラム、NOIZ NOIZ NOIZ FM、パーソナリティの暗黒編集者、大久保淳です。
本日は、先月第1回を放送しました、CINEMA3x3の第2回になります。
本日もミュージシャンのニイマリコさん、それから映画評論家でDVD・インディーレーベルオーナーの
ヒロシニコフさんをお迎えしてお送りしていきたいと思います。
今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
前回と形式としては同じと言いますか、
最初にそれぞれの、先月、4月に見て面白かった映画というのを紹介。
それから今月の課題作についてのトーク。
それから最後にその課題作と絡めて、合わせてみたい作品の紹介という流れでいきたいと思います。
はい。
そしたらまたちょっと、今月の4月で面白かった映画の話から早速いきたいと思うんですけども、
そしたらまたちょっと私から言っちゃおうと思いますがですね。
はい。
最初に上映始まったのは多分去年の秋頃とかだったと思うんですけど、
10月だか11月だか。
ベット・ゴードンっていうですね、ニューヨークインディー出身の女性監督の、
これまでずっと日本では紹介されてなかったんですけども、
昨年のその秋くらいに初めて特集上映みたいな形で、
3本、短編1本、中編1本、長編1本という形で紹介される上映が始まりまして、
いろんなところを点々と上映されてたんですけども、
4月に早稲田省地区に来たので、ちょっとようやく見に行きまして、見てきました。
本当に上映開始の時からも結構、その筋のというとどの筋だよって感じではあるんですけど、
その筋の人からは皆さんも結構大騒ぎしてる感じではあったので、
ご存知の方も多いかもしれないと思うんですけど、
ニューヨークのいわゆるオストパンクというかノーウェーブシーンみたいなところから出てきた方で、
ちょうどですね、ちょっと前に写真家のナン・ゴールディンのドキュメンタリー映画というのがあって、
美と殺戮のすべてというのがあって、
あれはやっぱりナン・ゴールディンの反省をたどりつつ、
それと同時に彼女が今携わっている政治活動についても密着して撮っていくというような映画だったんですけど、
そのナン・ゴールディンもやっぱりそういうニューヨークアンダーグラウンドシーンで結構、
ミュージシャンの写真撮ったりみたいなこともしてた方なんですけど、
ちょうどこのペット・ゴードンの映画にもそのナン・ゴールディンもしっかり出てきてたりしてですね、
もともとはどっちかというと、最初の3本紹介された中で、
その短編と中編は結構実験映画というか、ストーリーとかもあんまりないような感じのもので、
一応あるっちゃあるんですけど、ちょっとはっきりとしたストーリーはたどりにくいような感じのものなんですけど、
そんな中でも80年代頭のニューヨークのストリップ小屋みたいなところでロケをしていたり、
あと、X-RAYスペックスがかかるシーンがあったりとかしてですね、
パンクとか好きな人には大変盛り上がるところがあるものなんですけど、
それともう1本、バラエティーっていうのが1本長編がありまして、
これは結構比較的わかりやすいというか、ストーリーもはっきりあるような作品なんですけども、
これっていうのが、女性がポルノ映画館の模擬にの仕事に就くんですね。
そこで常連のお客さんに声をかけられているんですけども、
その人は実は反社会勢力の人だったりみたいなこともあったり、
あと、模擬の仕事をしつつ、自分もポルノ映画上映しているところを覗きに行ったりとか、
そういった中で、そもそもその仕事をあっせんしてくれるのがナン・ゴールディンだったりするんですけど、
ナン・ゴールディンがやっている酒場のシーンだと常連客として、
ジョン・ウォーターズの映画でおなじみのクッキーミューラーとかが出てきてたりとか、
音楽をジョン・ルーリーがやってたりとかですね。
客本をキャッシー・アッカーっていう女性パンク作家、オンナ・バローズとか言われている人ですけども、
キャッシー・アッカーが客本を書いていたりとか、
そういう結構ニューヨークのパンクとかアンダーグラウンドシーンみたいなものに興味がある人にとっては、
ゼラゼラ上げてきたこういう名刺だけでももうちょっと見る気になる感じのラインナップなんじゃないかと思うんですよね。
内容的にはこのベッド・ゴードンという人は、
フェミニズムの理論的なことっていうのもかなりしっかり勉強した上で映画を作っているみたいなところがある人で、
ポロの映画館で働く女性みたいなのも、男ばかりの場にどんどん女性が入っていく。
セックスショップみたいなところにもガンガン入ってて、すごいいやそうな顔されるシーンとかもあったりするんですけど、
みたいなところもあり、
理論もしっかり学びつつ、
パンクらしいところというか、肉弾戦みたいなところもあるっていう、フィジカルのところもあるっていう感じが、
僕はやっぱり、両方あってのパンクだと思っているところがあるので、すごくいい意味でパンクな映画だなというふうに思いました。
あとパンクっていうことで言うと、
字幕翻訳をやっているのが西山敦子さんっていう方で、
パンフレットで書いたりもしてるんですけど、
ヒロインズっていう本を翻訳していたり、
発掘できなかったんですけど、キャシー人っていうすごいかっこいい人を作ってたりしていた方で、
今、静岡で人ライブラリー兼オルタナティブスペースみたいなのを、
クラインパブリックっていうのを運営されたりもしている方なんですけど、西山さんが字幕翻訳を全部やってたりとか、
そういう一本です。
西山さん、
西山さん、確か私の中高の先輩なんですよ。
確か、一度だけお会いしたことがあって、
その時にペケペケ女子校でしょっていう話で、
全然かぶってはないんですけど、
すごい誇らしき気持ちになりましたね。
そうだったのか、見たいなと思ってたやつなんです。
今回のベッドゴードンの特集の配給で、確かプンクテさんですよね。
そうですね、はい。
プンクテさんって多分この前にウルリケイッティンガーとかの特集やってましたよね。
フリークス・オルランドがあったりとか、アルティー・ウォンナの肖像とか。
本当にニュージャーマンシネマの最後の方。
ウルリケイッティンガーっていうのが。
やっぱりウルリケイッティンガー以降ってなったら、
だいぶジャーマン前衛映画ってトラッシュムービーと繋がっていくから、
ちょうどその間ぐらいにいたのがウルリケイッティンガーっていう人で。
今回のベッドゴードンっていう人の扱いも、先ほど大久保さんおっしゃったように、
ニューヨークのノーウェイブシーンっていうパンクのムーブメントがあって、
それと同時進行で行われてた映像文化があるんですよ。
それが今はザラとかのTシャツとかに写真が釣られてるような、
だいぶセルアウトした人ですけど、リチャード・カーンっていう人がいるんですよね。
リチャード・カーンとか、これはリチャード・カーンになれなかったリチャード・カーンみたいな人で、
ニック・ゼッドっていう人がいて、あとはその辺とすごく進行が深かったリディア・ランチっていう女性の方がいるわけで、
そのあたりが根前一体となった映像シーンのシネマ・オブ・トランスグレッションっていうシーンがあるんですよね。
結構その時のこのニューヨークカルチャーっていうところと絶妙に繋がって、
その後、ノーウェーブのシネマ・オブ・トランスグレッションのうちの人々はウィリアム・バローズと繋がったりもするんですよ。
で、そうなると今回そこにオンナ・バローズって言われたキャッシー・アッカーが入ってるっていうのが、
異様にシーンの接続を見せてくれるということで、僕は本当に思うとめちゃくちゃエキサイティングだなって思うんですよ。
だからすごいプンクテさんがこれまで配給されているものっていうのを流れが1個確実にあって、
プンクテさんの配給策を注目してるんですよね。
勉強になる。
プンクテさんってどういう字を書くんですか?
カタカナでプンクテ。
プンクボーイのプンクにカタカナのテって。
そうです、そうです。
プンクテさんっていうのか。
実際は見ながらリチャード・カーンのことを思い出したりはしていて、
お見せできるかなと思って探したんですが、リチャード・カーンのVHSを僕2本ほど持っていてですね。
僕も持ってます。上下感というか。
柳下喜一郎さんの解説が、2本組なんですけどうち1つにしか入ってないっていう、すげー不親切な。
僕のは輸入版なんでそもそも解説はつかないんですが、
リディア・ランチとジム・フィータスが出てたりするやつですね。
ジム・フィータスとか聞いてもワクワクしちゃいますね。
このプログラムも結構、本人のインタビューとかも載ってたりするんですけど、
誰が書いてたんだっけ。僕はやっぱりリチャード・カーンを連想していたんですが、
このプログラムの中でちょっとどなたかが、リチャード・カーンとはわけが違うんだみたいなことを書いていた。
セルアウトしちゃったから。
リチャード・カーンってそういう扱いですよね、結局。僕もセルアウトとか言いたくなっちゃうし。
今となってはって感じですけどね。
緊張になるなぁ。ありがとうございます。
私たちはそんなところですね。
次はどうしましょうか。
広瀬にこふさんかな。
広瀬にこふさんいきましょうか。
僕は爆速で2本紹介します。
1本がですね、ちょっと僕の心の1本がブルーリーになりまして。
これが、ボーン・シックネスっていうですね、アメリカのブライアン・ポーリン監督っていう、
もう完全にずっとインディペンデント。インディペンデントって言ったら聞こえはいいんですけど、
要はもう裏庭映画というか、自分がもうビデオカメラ持って知り合い集めて撮ったような映画なんですね。
これゾンビ映画で、骨の病気に犯されてしまった人がずっと苦しみ続けて、
それと同時にゾンビ騒ぎが起き始めるっていう。
そういう映画なんですけど、基本はもうね、筋なんてあってないような人で。
かわいい。
何がいいって、本当にこのブライアン・ポーリン監督っていう人が
クリエイトするスプラッター表現っていうのが本当にすごいんです。
腕とかがポーンとちぎれるとか、首がポンと取れるとか、そんなレベル感じゃなくて、
なんか顎から舌を剥いで、目を出して頭蓋骨を割ってから首取るみたいな。
極めてホスピタリティが高いスプラッター表現が満ち溢れてるんですよね。
本当この監督はすごい好きで、これって国内でも日本のDVD出たりしてたんですけど、
今回はですね、この監督が2004年の作品なんですけど、
2004年に発表したデモバージョンっていうのが入ってる。
必死で僕はそれをですね、見比べる作業をしてたんですけど。
デモバージョンが映画にも存在するとかあるんですか?
そうなんですよ。
知らなかった。
このデモっていう感覚は、このブライアン・ポーリンっていう人のインスピレーションのもとって、
デスメタルとかブラックメタルっていう部分があって、
この人自分でもサイオスっていうバンドやってて、カセット作ったりしてるんですよね。
デモカセットとかのノリ。
映画にもやっぱりデモバージョンっていう部分ですよね。
必死に見比べてたんですけど、サビとで大した違いはなくて。
そもそもが裏庭映画ですもんね。
そうなんですよ。
でも本当このBorn Sicknessっていう映画が素晴らしい。
でもこんな映画素晴らしいなんて言ってるのはこの世で僕ぐらいだってずっと思ってたんですけど、
こういう形でね、海外でスリップケース付きでブルーレイ出たし。
何がびっくりって、初回版はこのスリップケースが付いてるんですよ。
1000個限定でスリップケース版があって、残りは通常版。
ザラーすげえなと思いましたね。
なるほど。やっぱすごい人も広瀬にこさんと同じような思考を持っているということですね。
いやそうなんです。本当にザラー。
嬉しくて上がりますね。
上がりますね。本当にザラーについてくると思いましたね。
飲み行こうぜみたいな気持ち。
本当にね、飲みに行きたいです。トリキとかおごる。
トリキとかおごる。
トリキとかおごるわーって思いました。
いいですね。
クレイグ・ザラーはあれですね。
昔、広瀬にこさんにもたくさん書いていただいた新世代ホラー。
中原雅也さんが紹介してくれてるやつですね。
そうですね。中原さんもザラーを好きで。
撮る映画、撮る映画のタイトルが全部悪役プロレスラーみたいな名前してるとか言ってて。
ボーン・トマホークとかデンジャラス・プリズンとかブルータリー。
なるほど、なるほど、なるほど、ポイントだ。
ぜひぜひザラーの映画も面白いし、ブライアン・ポーリーもおすすめということと。
あともう1本がですね、これも今度リバイバル上映されます。ハイテンション。
なんだっけハイテンションって。
これが2003年の映画なんですけど、フランス映画なんですよ。
で、フランスでホラーとかスプラッターっていうのがすごい下に見られてて、
そういう文化っていうのはぶっちゃけないお国なんですね。
小説インディペンデントでもそんな作られてないレベルだったんですけど、
そんな中でフランスからすげースプラッターが出てきたぞって当時話題になったのが、このハイテンション。
で、これの監督がアレクサンドル・アジアっていう人ですね。
やっぱ見たことありますこれ。
懐かしい。
このアレクサンドル・アジアが出世作ですね。長編2本目。
この後にアレクサンドル・アジアはアメリカにハリウッド、アメリカに行って
サランドラ、ウェスクレイブン監督のサランドラのリメイクのヒルズ・ハブ・アイズ。
あとグレムリンとかのジョー・ダンテ監督が撮ったピラニアのリメイク、ピラニア3Dとか。
ハニー・ポッターのダニエル・ラドクリフ主演のホーンズ・ツノワ・カタルとか。
本当にホーンズ・ツノワ・カタルだったかちょっと忘れましたけど、ホーンズですね。
あとキーファ・サファランドのミラーズとか。
ミラーズだ、そうそう。
あとワニが街に解き放たれちゃうクロールっていう映画とかですね。
結果としてはハリウッドの人になった人の超出演がこれで。
これどんな映画かって言ったら、田舎に大学生ぐらいの女の子2人が
田舎の実家で勉強しよう、勉強合唱しようって言って田舎の自分の実家に行く。
そしたら夜にこの傭務員みたいな格好したおっさんがいきなり家にピンポーンとか来て。
お父さんとかがね、「誰!」とか言ったらこの人がいきなり全員殺すんですよ。
で、主人公はこの女性、この短髪のマリンっていう女性で。
一緒に勉強してるアレックスちゃんっていう女の子ですね。
友達なんだけど実はほんのり好きなんですよ。
実はそういうですね、同性愛のところが、ドラマが流れてて。
で、そのマリンが好きなアレックスちゃんがこの男に誘拐される。
で、もう助けに行かなきゃいけない。
そういう殺人犯との追いかけっこですね。
を描いた映画なんです、このハイテンション。
これが今度6月かな、日本でもリバイバル上映されると。
言ったところで、これも先ほど初めに言った通り、
フランスってそういうホラースプラッターブーカーがなかったに関わらず、
ボーンとこんなものが出てきたと。
それでみんなうおーってなった。
個人的にも、これが日本に入ってきたら2006年とかなので、
ホラー映画とかに興味を持って見始めてた時期と、要はドンピシャなんですよ。
自分のビデオとかのホラースプラッターブーブーみたいなところには僕はいなかったので、
生まれてなかったので。
リア体の体験としてのホラースプラッターっていうムーブメントでは、
フランスからすげースプラッターが出てきたって、その後にいろいろ続くんですよね。
屋敷を買ったりとか、フロンティアとか。
それの今流れにある最新の映画がサブスタンスです。
コラリー・ファルジャー監督。
というわけで、実はこういう近年のフレンキス・プラッターのまさに孔子なんです。
かつ、個人的にもリアルタイムのプラッターに、
押し抜かれた瞬間の、だから自分の死にくいなった映画なんですよね。
それをちょっと見直してみたんです、冷静に。
そしたら意外と荒い映画で、当時結構うわーとか思ってたんですけど、あれ?ちょっと意外と荒いなとか思ったんですけど、
やっぱり最後の方には目が釘付けになってて、
すごく個人的に抗えない何かっていうのも感じましたし、
当時、これは何か他の映画と違うって思ったことの断片とかも改めてつかめたので、
ちょっとどっちかって言ったら、
スプラッタームーヴとかブーブメントの80年代後半にリアタイやってた人よりは、
遅れてきた、間に合わなかったビデオ世代じゃない、
DVD世代がたぶん衝撃を受けた時代の作品なので、
是非リバイバルとかで改めて自分と向き合うという意味でもですね、
見るのもちょっと同世代の人、この放送というか、
は、やっぱハイテンション改めて。
なるほど。
ちょっとやっぱ自分を見てるようなね、最後の方。
なるほど。
いい話だな。
はい、っていうところでございました。
はいはい。アジャ監督なんかハマって一時期見てました。
ヒルズハブアイズもだし、ハイテンションもだし、ミラーズもだし、
あと最後に地獄に落ちるみたいなスペル?
あれはね、サムライ監督なんです。
でも時期としては近く出てきてたものですね。
そうですか。そういうのよく見てたんでしょうね、たぶん。
そうですよね。
2010年前ぐらいかな。
おっしゃる通りです。ほぼそれぐらいの時期ですね。
なんかいっぱい出てましたよね。
一瞬余談になっちゃって申し訳ないんですけど、
それぐらいの時期っていうのが80年代中盤にスプラッターブームとかあって、
それがもう終わっちゃったんですよね。
そしたらもう羊たちの沈黙とかみたいな最高級なスリラーの時代だったわけです。
そういう見方をするのか。
でもそしたらスリラーの時代にスリラーとかつまんねーよ、スプラッターやりてーよって言ってた人々が
ゼロ年代の中盤ぐらいにかけて。
なるほど。
その中にイーライ・ロスだったりとか、
あとミュージシャンのロブゾンビとか、
映画監督としてのロブゾンビとかがいたわけです。
はいはいはい。びっくりしたもんな。
だからやっぱりそのぐらいの時期の映画っていうのが、
僕としてはスプラッター・ムービーのリア体なので、
ちょっと抗えない条件反射的なものっていうのがありますね。
なるほどな。
はい、すいません。
いろいろ質問してすいません。
ちょっと待ってて、次はワシですがちょっと待っててくださいね。
はい。
ちなみに近年のフレンチホラーの潮流みたいなことで言うと、
チタンの監督とかもそういう流れだったりするんですかね。
もうちょっとアーティなのかなって気もするんですけど。
ジュリアン・デュクルノですね。
デュクルノはやっぱり出てきた時に、
本当にあの流れにあるんじゃないかって言われてたんですよね。
これちょっとだけ補足すると、
フレンチスプラッターっていうのがアジャがハイテンションで出てきて、
他の人々が2007年ぐらいに出てきて、
2010年に一回終わっちゃうんですよ。
そっからちょっと間開けて、チタンのジュリアン・デュクルノがロー・少女の目覚めっていうのが出てきて。
もしかしてこいつが次世代のフレンチスプラッターの担い手じゃないかって言ったら、
もうちょっとアーティな方向に行って、
ロー・少女の目覚めと同時に出てきたのがサブスタンスの監督のコラリーファルジャーがリベンジって映画で出てきた。
この2人が牽引すると思ったら、
2人とも、1人はデュクルノはチタンでアーティな方向に行って、
コラリーファルジャーは映画を撮らなくなった。
だけど今回サブスタンスで、
ちょっとまた新たに、また10年ずつぐらい空いてますけど、フレンチ・チミドロ映画の流れが来る。
断続的なね、そういう。
やっぱ、ホラーがすごい低いジャンルムービーが作りづらいって言われてる国なので、どうしても断続になっちゃうっていう。
やっぱりあれなんでしょうね。
ある時期にすごい盛り上がるんだけど、
割と短期間で終わって、その代わりまた、
それを見て育った人が作る側になった時に、もう一回盛り上がるとか、そういう感じなんでしょうね。
本当にそれはおっしゃる通りだと思います。
なるほどなぁ、なるほどなぁ。
面白いですね。
このアジアだったりとかは、
影響を受けたものはフランスじゃなくて、もっとアメリカとか。
逆にこのアジアだったりとか、それこそ大久保さん言ったようなデュクルノだったりとか、
サブスタンスのコラリーファルジャーっていうのに影響を受けてきたフランスの、
本当に純粋バイオのホラーの人っていうのが、もしかしたら今後出てくるかもなのです。
そうなると、一個の本当にブラッドラインができるっていう可能性は、僕はあると信じてて、それが見たいですね。
それはまた10年くらいかかるかもしれないぐらい。
かかるかもしれませんね。
そういう感じですね。
元気で生きていきましょう。
ありがとうございます。
じゃあ、次は兄さんお願いします。
私、今月お兄忙しくて、全然映画が見れなかったんですけど、
今ちょうどちょっとホットかなと思ったので、
映画そのものではないんですけど、
サウンドウォークコレクティブ&パピー・スミス・エキシビション
今ホットですね、本当に。
コレスポンデンスっていう、こちらで公開前に見ることができて、
もうやってるんですけどね。
前日にちょっとそういう、先に見れますよおみっこ招待みたいなのがあって行かせていただいたんですけど、
これ要するにゴダールの、全然知らなかったんですけど、
ゴダールのアーカイブや写真家の、まさにナン・ゴールディンの方とかと一緒に
何かサウンドアートみたいなのをやってる方々なんですね。
このサウンドウォークコレクティブって。
そうそうと、そのパピー・スミスさんが一緒に詩の朗読と映像みたいなのをやってて、
美術館、東京都現代美術館でやってるんですけど、
すごいこれ面白くって、普通こういう現代アートで映像があってみたいな感じのって、
だいたい3,4分とか5,6分とかそういうぐらいのサイズが何回もぐるぐる、
2,30分の間にぐるぐる回ってるみたいな感じじゃないですか。
でもこれ全部完璧に見ると、2時間以上多分あって、
ほぼ映画サイズっていうか、に本当にパピー・スミスのごっつい詩の朗読と、
あといろんなサンプリング映画のサンプリング映像みたいなのがたくさん出てくるんですよ。
私、知らなかったと思って、もしお二人ご存知だったらちょっと聞きたいと思ってこれ出してみたんですけど、
アベル・フェラーラがパゾリーニっていう映画撮ってます。
ウィリアム・デフォー。
そうです、2014年って書いてたんですけど、日本で公開してましたか?
いや、してないはず。
そうなのか、見れたりしないんですかね。
特集上レベルだったらわからないですけど、ただ僕がちょっと知る限りはやってないですね。
アベル・フェラーラ、私ウィリアム・デフォーが一番好きな俳優なんですよ。
本当はびっくりしちゃって、いきなり大写しでデフォーが出てきたから、パゾリーニのシーンが出てくるんですよ。
パゾリーニをテーマにした詩をアナーキーの王子っていうタイトルだったかなっていうのをパッティ・スミスが書いてて、
アベル・フェラーラの何かを手伝ってたのかな、このアート、サウンドウォークコレクティブの人たちが。
その関係で出てくるんですけど、突然。
パゾリーニ役をやってるデフォーみたいなのが出てくるんですけど、びっくりしちゃって。
キャーと思って、これやってるのかなと思って、ここで聞けばいいやと思って。
絶対知ってそうと思って。
お話ついて。
アベル・フェラーラのデフォーが出てる映画で、4時44分っていうやつ。
地球最後の日ってやつ。
あれは映画館で見たんですよ。
でもお客が私しかいなくて、その時。
悲しいなー。
びっくりして、アベル・フェラーラって結構有名じゃんとか思ったりしたんですけど。
それが結構10年ぐらい前だったと思うんですよね。
それから、新しいの日本で多分来てないんじゃないかなと思って。
確かにあんま聞かないかも。
そうですよね。でも調べたら結構撮ってるんですよね。
おっしゃる通りで、多分最後に日本に来たフェラーラの作品が4時44分。
そうっすよね。
それ撮れてないはずで。
あれもデフォーだと思うんですけど。
そうなんです、そうなんですよ。
本当にデフォーとアベル・フェラーラ監督、家族ぐるみで付き合いやってて。
家族ぐるみなんだ。やたら出てるのは、なるほど。
モノのインタビューを読んだら、ちょっと下品な話ですが、スワップとかもやったみたいな。
らしいんですよね。ちょっと冗談かもしれない。
パンパンパン。なるほど。
冗談でも本当でもどっちでもいいですね。
そんなのが冗談だと思われる、冗談にできる感じっていうのは、その2人だったらありそうですもんね。
我々みんな山椒みたいな話ですけど。
本当にそうです。
ごめんなさい、もしかしたら4時44分の後もあったかも。
ハニートラップっていう成人の映画があって、それがその前だったか後だったか。
まあでも本当それぐらいからやってないんですよね。
そうですよね。ああいうのってどこで決まるんですか、来る来ないとかそういうのって。
やっぱりその買い付ける人たちがっていう。
そうですね。結局やっぱりフェラーラ名はある監督なので、おそらく権利金額もそこそこお高いと思う。
なるほどね。
ただそれに対して、じゃあ先ほどおっしゃったように1人だったわけですよ。
だめだこれ。だめだこれってなっちゃったのにね。
円溜めでもないし、その金額も。
そうですね。
あの辺の人最近特に厳しそうっていう感じはありますよね。
スワップしてる場合じゃないよ。
そういうプンクテさんみたいなやっぱり希望のあるようなところとか特殊上映とかでもガツッとやってくれたらいいなと思うし。
天使の復讐っていうフェラーラの初期の作品も最近ようやく日本でねブルーレイが出た。
なんかちょっとフェラーラ再評価みたいな。
グッジさんとかね、やってくれてもいいかなとか勝手に思ってるんですけど。
これをご覧になってるアベルフェラーラ、いけるんちゃうか、もう一回焼けるアベルフェラーラブーボーみたいな風に思ってる方いたらぜひ頑張ってください。
頑張ってください。楽しみだな。
怒るといいな。パズリーに見たい。
特殊上映とかうまくやれば、行けなくはない人だとは思うので。
打ち出し方さえうまくやれば、ありなんじゃないかっていう気はしますけども。
それこそね、4時44分が一人だった。
天使の復讐のリバイバル上映をグッチーズさんがやってたんですけど、
あの時なんて、下高井戸シネマで後ろにパイプ椅子置いて、それぐらいの間席だったんですよ。
へー、なるほど。
フェラーラ授業ってあるとは思うんですけどね。
でも、だがしかしって、一人だった4時44分があれだったのかな。
やっぱバットルーテナントとか、めっちゃなんかね、ちっちゃい頃を見てめちゃくちゃいいと思ったんですけど、
気持ち悪いし怖いし、かっこいいしみたいな感じで、
ぜひぜひ、アベル・フェラーラ頑張れって感じでした。
ちなみにこのコレスポンディングっていうのは、いつまでやってるのかな。
6月、なんか書いてねーや。
でも確か6月、1ヶ月ぐらいは確かやってると思うので、
すごい面白いです。
しかもなんか私今、Xでパティ・スミスの広島で喋ったことみたいなやつの記事紹介したら、
それが薄くバズってるんですよね。
そんなバズってる場合じゃない、こういうのを見ましょうぜひっていう感じで、
本当のパティの作品を見ようねって言ってることとかじゃなくてね、
作品を見ましょうということが私は言いたい。
何回言ってるのは、そのうち行こうと思ってて忘れがちなので、ちょっと気をつけたいなと思います。
そうです。でも本当面白かったです。
力の入った作品でした。
やっぱりね、嫌な言い方ですけど、やっぱりお金をかけてやってる側がいて、
人が来ないとやっぱこういうの続かないんですよね。
本当に今、映画工業のお手伝いやってても、本当に入らなければ続かんし、
でもやっぱ僕もいろいろ感覚、大久保さんがおっしゃったのと一緒なんですよ。
あ、気付いたら終わってた。笑みたいな。
そういうのが出てきて悪くないんだけど、やってる側からしたら、さあみたいなね。
来いよー!みたいな気持ちでね。
そうなんですよ。胸ぐら掴んで。
いやでも本当そうですよね。どこもそうライブとかだってね。
いや来てよ、気になってるんだよねとか言って、いや気になってんなら来てよみたいな感じになったりしますからね。
しかもこれめっちゃおしゃれな人いっぱい来てて、初めてこういうの言ったんですよ。
公開前に見られますよ、みたいな。
本当モデルさんみたいな、てかモデルさんなんだろうね、みたいな感じの人がわんさわんさといて、
おしゃれっちゃおしゃれなんですよ、展示の仕方とかも。
だからこういうのって、一緒にいた友達と一緒にパティ・スミスのコンサートに、
4朝とかに行ってくるんですけど、その子と一緒に、
本当こういうのって、おしゃれ以外に宣伝する方法ないのかな、みたいなことを。
身も蓋もねえこと言ってたんですけど。
こういうアートみたいなのって、全部おしゃれでなんとかしないと、
人ねえ、なんか来ないよね、みたいな、なんだかな、みたいなことを言いながら帰ったんですけど。
本当身も蓋もないんですけどね。
おしゃれでした、すごい。おしゃれな人いっぱいいておしゃれだった。
でもすごい、時間以上あるのは結構びっくりしましたね。
面白かったです。面白かったら皆さんチェックしてくださいね。
興味があったので、あれですね。
奥野とニューヨークつながりみたいなところが出てきましたけども。
ナンゴールディン出てきました。
やっぱナンゴールディンのキーパーソンブリっていうのもなかなかある感じがするんですけど。
はい、じゃあそういったところで、4月の面白かった映画のコーナーを終わりまして、
じゃあここから、今月の課題作に行きたいと思うんですけども。
今回と話しするのは、エミリア・ペレスですね。
ジャック・オディアール監督で、今回のアカデミー賞であれでして、なんか最多ノミネートみたいなことで、
皆さんはちなみにどうでしたかね、この映画。
私がこれ押したのに、これ見ましょうとかって私言ったのに、
本当皆さん、もしなら申し訳ねえってちょっと思ったんですけど、
私もともとすごい好きで、このジャック・オディ・アール監督が好きで、
ただ一番好きな映画がこの方のデビュー作の天使が隣で眠る夜っていう、
これまたサブスクリもないですし、レンタルでDVDとかにギリあればみたいな感じで、
そんなに見やすくないので、気軽に進められなくていつもはがゆい気持ちでいるのですが、
これが94年ですね、94年のこの天使が隣で眠る夜から、
本当好きで、結構自分の中ではすごい好きなテーマを扱っている、
何かっていうと端的に言ってしまうと父と子みたいな、
父性とか父性、父の性とか、佐賀と書いて父性とか、
その正義とはとか、あとそのフィルムのワール的な、それこそなんて言うんですかね、
それなんて言うんですかね、サスペンスみたいな、
ああいうので、なんですけどなんか変っていう、
なんか変っていうのがいつもあるところが好きで、
それで毎回楽しみにしてるんですけど、
という感じで、楽しみにしている変なところっていうのと、
私の個人的に思い入れのある監督の作品だなっていう意味では、
また今回もこういうのやってるんだっていうふうに思って、
もうちょっと萌えみたいな、フェチみたいなものなんで、
そういう意味では、ジャコー・ディアールの映画見たっていう意味での満足感はあるんですけど、
今言われたような要素はまあ確かに基本的には入ってるんですよね。
そうなんです、そうなんです。それで、そうなんですが、
テーマがやっぱちょっと扱うにはちょっと不勉強すぎるというところが、
そういう正義とか何とかみたいなことをやってる割には、
そこはお前はちゃんと勉強しないのかよみたいな、
気持ちがなんかもやもやしちゃって、
がっかり度はかなりありましたね、正直。
こういうのはありました。
こういうのがまあとりあえずの雑感です。
はい。
広瀬理子さんの感想が気になります。
あのー、ちょっとね、
そうなんです、すごいでっかいスクリーンで見れてね、
いやーこれほんとなんだこれって、
なんだこれって見終わった後にごそっと言って、
それから映画館に出て、ピカデリーの向かいのファミリーマートで、
ピカデリーの映画館に出て、
ピカデリーの映画館に出て、
ピカデリーの映画館に出て、
それから映画館に出て、
ピカデリーの向かいのファミリーマートで、
ファミチキ買って、ファミチキ食べながら、
いやなんだこれって。
なんかあのー、ほんとになんだこれって。
なんだこれですね。
一日昔からもうちょっとそれぞれの輪郭を結ぶかと思いきや、
あらゆる要素が徹底的にばらけてて、
一歩の輪郭を結ばない感じ。
じゃあ面白くないのかと。
じゃあこれ面白くないのかと言われたら、
いや面白いかもってないみたいな。
なんかほんとに今なによく飲み込めてないと。
まず本当にテーマはいくつもあって、
生物性障害を魔薬王だったらっていう、
すごい極端なシミュレーションから始まって、
いやそれはあなたのわざわざ体を変えなくても、
心が変わればそれでいいんじゃないですかって医者に言われて、
それを増育されたのに、いやそれは違う。
なぜなら体が変わらないと社会が変わらないからだと。
なるほどねと。
でも増育されたのは果たしてあなたはどういうポジションでそれを。
もちろん彼女も有職技術者だし、
女性で男性社会の中でちょっと不遇な扱いを受けてたっていうのはあるけど、
ちょっとでもこれとこれ、別の問題じゃないですかね。
これをじっぱ人からげにする。
でも結構万事が全部その調子で揺れてるんですよね。
あたりの問題が腐らされてるように見えて、
実は徹底的にならせてるっていう。
そうなんですよ。
不思議な体験なんだけど、
ただ映画自体の妙な行為っていうのもあるわけで。
そうなんですよね。
そうなると上手く騙されちゃった気もする。
でも後からよくよく考えてみれば違うくね。
それに今のところつき。
はいはい。
そうですよね。
面白いっちゃ面白いだけに立ちが悪いみたいな。
そうなんですよ。やっぱり映画としては上手いんですよね。
なるほど。
見てからいろいろ調べたところ、
いろいろ問題になったことがある映画ではあるようで。
一番大きいのはエミリー・アペルス役のカムラ・ソフィア・ガスコンさんっていうのが、
それこそアカデミー賞でもトランス女性として初の演女優賞候補になってたわけなんですけど、
過去の差別発言みたいな大炎上みたいなことが。
あれは実質そのアカデミー賞の事態みたいな。
そうですね。みたいですね。
みたいなことがあり、
あとはメキシコの描写がゼロタイプに過ぎるみたいな違反もあったようで。
ただそこはね、確かにその通りっちゃその通りだけど、
日本を舞台にヤクザ映画を撮るみたいな話ではあるので、
そこはそんなに目くじらを立てなくてもいいんじゃないかなって個人的には思うところではあるんですけど、
あとこれもスペイン語のセリフが多いんだけど、
このスペイン語がガチャガチャだみたいな。
そう、それも見ました。
反応あったようで、
分かる人が見ると、
まず全くメキシコ系のスペイン語ではないっていう感じらしいんですよね。
だからこの話を聞いてて思い出したのが、
昔、前に兄さんが言ってた仁義なき戦いが、
スペイン語がガチャガチャで、
そうそうそうそう。
まあそういう感じなのかな。
それものなんだと思います、多分。
そうなんですよね。
ちっちゃい頃に見た、
仁義なき戦いが本当名作って言われて、
広島が舞台って言われてみたら、
実際に広島の街は映ってるけど、
広島弁がひどいっていう、
何弁なのか分かんない不自然さみたいなのは、
それで映画に集中できないって感じだったぐらいのレベルだったので、
期待して、
それこそメキシコの人とか、
スペインとかそういうルーツがある人が、
アカデミー賞とか取ったんだ、わーい!と思って見に行ったら、
なんだこりゃ!ってなる、
そういうガッカリ感みたいなのは、
やっぱりめっちゃ分かるので、
うーんっていう感じではあったんですけど。
これもだからね、
なんでジャック・オディアルがこんな映画を撮ってるんだろう、
っていう疑問の一つでもあるんですけど、
ジャック・オディアルってスペイン語全く分かんないらしいんですよね。
だからその辺は全部スタッフに任せていたみたいなことらしく。
そういう雑さがいろんなところに出ているような感じは、
一時が万事じゃないですけどね。
ある種、本当に現地っぽい言葉じゃないということとか含めて、
パラケプリとかをすごくよく言うなら、
風話ですよね。
現実を描いているように見ると全くそうじゃない。
リアルを描いていて偶和化するっていう、
ファンタジーを描いて現実社会の批判、風刺をするという手法ってよくありますけど、
これがどこまで機能的か分かんないですけど、
現実を描いているっぽい、実は偶和ですみたいな。
なんか作家性とかによってはそこに着地するっていうのもあるでしょうけど、
これはでも今回はちょっと別物だと思う。
ただ漫画の印象とかを一言で言ったら、
すごい偶和的だなっていう。
最後のオチっていうかも、
要するにみんなが最後にマリア様みたいな感じの形になって、
成人みたいな感じでみんながこうやって、
ありがとう、ありがとう、みたいなことを言ってるけど、
そもそもの現況はこいつなんだぞっていうので、
皮肉だねっていうオチだと私は取ったんですよ。
それはジャック・オリアルっていう監督のことが好きだから、
この人はいつでもそういうオチをする人だからみたいな。
そんな良いオチにはしない人っていうか、
それを皮肉とか意地悪なオチにするっていう監督だっていうような意識があるので、
そういう意味ではあれは皮肉っていうオチにすって捉えたんですけど、
でも多分多くの人はこれはA話と思ってると思うんですよ。
食材の話みたいな。
食材完了みたいな風に取る人がもしかしたらほとんどなのかなとか思って、
それもなんかどっちなのかよくわからないし、
これがアカデミー候補、たくさん候補になったっていうのも、
これってどうなのって、そんなに、
トランスジェンダーの扱い方って今非常にデリケートなものですし、
やっぱり家族と暮らしたいっていう風に言ってから、
それが奥さんが逃げたら評変するじゃないですか、エミリア・フェレスが。
その時にちょっと演出として、
魔薬王だった頃のすごく男性的な凶暴さみたいなものが、
もう1回復活してきちゃったみたいな感じの演出になってるような気がして、
要は何を変えても人の本性なんか変わらないですよ的な、
なんかそういう風な感じに、私はちょっとこれは取れないと思って、
その時に、この人勉強してないなと思ったんですよ。
こんなにデリケートな問題、しかも今大問題になってるようなものを、
いかにも社会派ですみたいなキャラになってしまった監督が、
こういうことをやったら何かある一定の説得力を持ってしまうじゃないかと思って、
そこですごい思い出して悲しい気持ちになったのが、リューチェルさんの事件で、
リューチェルさんも女性になって、いいお父さんみたいな感じで、
新しい家族の形みたいな感じで頑張ったけど、
何とは言う前に亡くなられてしまったので、
トランスジェンダーだということも言えなかったというか、
それ本人が言ってないので、そうとは限らないと思うんですけど、
やっぱり女性になりたかったっていうようなことで、
だけど結局お父さんが離婚して好きなようにして、
お母さんが一人で母子家庭やってて、お父さんは自由みたいな、
いつもの男のやり口じゃねえかみたいな批判がすごいあったんですよね、
リューチェルさんにもそういうバッシングが。
それで結構、ペコちゃんという奥さんが何言っても、
世間のそういった批判は退けることができなくて、
結果最悪の落ちるになってしまったという、
リューチェルさんの件をすごい思い出しちゃって、
デリケートな問題なのに、
これは使いはないんじゃないって思ったし、