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2025-02-20 26:05

理屈で考えた実践率は低めで考えた方が良さそう

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サマリー

確率論に基づく成功の考察が行われています。特にカレー作りを例に取り、成功する確率や経験の重要性について論じられています。料理においてカレーの作り方を通じて、理論やレシピだけでは実際に成功することが難しいと考えられています。料理の経験や感覚が不足していると成功の確率が低くなること、さらにレシピの限界についても指摘されています。このエピソードでは、実践と理論のバランスの重要性について考えられています。また、初心者と上級者の違いや計画と行動の関連性についても語られています。

確率論の基本
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマとしては、何か物事をやる確率論みたいな話ですね。
この確率論というのは、成功する人が成功するみたいだね。
そういうことじゃなくて、何かやれば絶対上手くいくということじゃなくて、
上手くいくこともあれば上手くいかないこともあるみたいな捉え方と言えばいいですかね。
まさに10回やって1回上手くいくみたいなことは、わりと何度も言っているかと思うんですが、
それぞれ少しだけ、数式と言いますか、方程式みたいなね、これはいわゆる数学的なものではないんですが、
遊びで少し考えてみました。それについて少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回は物事を達成する、やるところでの確率論ということで少し話していきたいと思います。
仮説もありますので、いろいろいじっている部分もあるので、正しいとかではないですが、話半分に聞いてください。
半分じゃなくてもいいですね。話10分の1ぐらいでお願いします。
カレー作りのプロセス
仕事づくりでもいいですが、企業でもいいですし、ビジネスでもいいですが、不思議なことがあります。
不思議というと、良くないかもしれませんが、成功する方法を教えてください。お金を稼げる儲け方を教えてください。
ビジネス企業とか、自分でお金を稼ぐことをやったことがない人が言いそうですし、逆に少しやっててそういう言葉を発していると、
僕はあまり好きじゃない言葉です。好きじゃないというか、それは何を表しているかということが読み取りづらいという意味です。
性格じゃないというのと適切じゃないというね。言葉を選ばずに言うと、ちゃんと考えているの?と思っちゃうということですね。
ですから、おせっかいになるのですが、「稼ぎたいです」とか、「稼ぐ方法を教えてください」というのは、冗談ではいいと思うのですが、
ほぼほぼ、そんなのないよね。あればやっておけばいいということを思うのが、割と全く正当なのではないかと思います。
そういうふうに考えている人がみんないい人とか、そういうことでもないと思いますが、僕はそういう感覚があります。
そういう方法、これは稼ぎ方じゃないです。学び方でもいいし、それこそアイデアの出し方でもいい。
何でもいいのですが、何かを学んだり何かを実行していくときに、確率で言えることはあるのではないかと思ったのです。
これはわざわざマーメイド規法というか、聞き慣れないマーメイド図法かな。
マーメイドって多分アプリなのか分かりませんが、いわゆるフローチャートみたいなやつとか図を書く技術のやり方があります。
GPTとかAIで使っていって、それで書ける、出せる。
GPT自体は多分、GPT図とか入れないとダメなような気がしますが、ちょっと入れずにね。
とりあえずマーメイド規法みたいな出力させて、図を他のアプリで書かせるみたいなことをやったらできたのですが、フローチャートみたいなのを作りました。
例えば、何を言っているかというと、皆さんはカレーを作ったことがありますか?
カレー作り。ない方もいらっしゃるかもしれませんが、小学生じゃないですけど、材料を切って煮てカレールーを入れて食べるとカレーというのがあります。
調理レベルとしてはそんなにめちゃくちゃ高くないはずです。優しいとはいえ、例えばカレーを焦がすとか、火が強すぎるとか煮込みをすごく煮込んじゃったりとか。
確かに火が強いと煮込みってできないですよね。火が強すぎると焦げますよね。
たくさん作る、キャンプ場で作るとか結構難しいものもありますが、火の調整とかね。
そういういろいろ細かい話は置いておいて、カレー作りってわりと通じるんじゃないかなと思ったりしています。
では、カレーを作りますというときに、まずプロセスがあるんじゃないかということですね。
要はカレーが作りたいです、カレーが出ますという論理があるとして、作りたかったらそれができるかというと、そんなことないじゃないですか。
要はカレーを作るということは、例えば人参じゃがいも、玉ねぎ、豚肉とか牛肉でもいいですけど、そういったものがある。
いろんなカレーでいろいろ入れてもいいと思うので、他にも別にとんかつ入れるとか、いろいろそれは置いておいて、
そういったベーシックかもしれないよう、とりあえず今ここではスタンダードと言っておきますが、そうじゃないかもしれないし、
わかりませんが、野菜と肉を入れるカレーというのを作ります。
ということはその材料が要りますね。材料をちょっと掴まず要るよね。材料がないのにカレーってできないはずじゃないですか。
インスタントレトルトとかも今ありますが、それもレトルト商品を買わなきゃいけないですよね。
買ってそのまま食べられるのはさすがに今はないはずで、冷たいですよね。
だから温める。電子レンジでもいいし、湯で温める。
米がついているのもあるかもしれませんが、さすがにカレーが入っているのがないから、お米は別に用意しなきゃいけない。
パックご飯でもいいですよね。パックご飯でもいいのでそれを買ってくる。
お米も用意しなきゃいけない。すなわち材料を用意しなきゃいけない。要は材料を買ってこなきゃいけない。
それを準備しなきゃいけない。というだけでもまず材料がいるということが明確ですよね。
さらに、もう少しだけお付き合いください。
さらに材料をレトルトじゃなかったら自分で切らなきゃいけないし、買ってきて調理しなきゃいけないし、
鍋が必要ですし、ガスとか電気とかコンロが必要で、火で炒める。
フライパンなどで鍋が必要で、時間もかかる。
当然材料を調達するのに一般的にお金が要りますよね。一般的に言っても変ですけど。
という感じで、要はその工程がいっぱいあるわけですよね。
この時に僕がふと思ったのが、段階プロセスみたいなのがあって、
一段階、すなわちカレーを作るというだけの人がいるとするじゃないですか。
この時、一段階で考えている人というのは、ここは注意していただきたいんですけど、
カレーを作ると言った時に、僕のカレーを作るという手順のイメージと
リスナーのあなたのカレーの作り手順のイメージって完全に一致することは多分ないと思うんですよ。
完全に一致しないしかつ、工数が違うし、工程もバラバラで、
さらにもっと言えば、カレーって言った時に100種類のカレーを思いつく人もいれば、
僕思いついてないですよ。2、3種類の人もいれば、多分僕2、3種類しか思いつかない。
作り方がいろいろあるというのもあると。
すなわちそれを解像度と一旦呼びたい。
単純に種類を出せるレパートリーが多いという人が解像度が高いということですね。
これはもうちょっとメタ的に言うと、料理における解像度であって、
他の解像度の話は全くしていないので、いろんな解像度があるから、
そこは興味によって変わるというのももちろん考慮していただきつつ、例えとしてですね。
カレーが100通り作れる人が解像度が高いとして、
その人がカレーを作るというふうに言った時のカレーは多分作れるわけですよね。
こういうのだよね。アレンジもしちゃったりしてね。余裕でできる。
経験と成功率
でも2、3通りしかできない人が、例えば僕がちょっと変わったカレーを作ろうとすると、
もしかしたらできないかもしれない。できるかもしれない。
つまり確実性が低くなる。成功率が低くなるわけですね。
これがギャップかなと思ってまして、つまり理屈である、
計画されたカレーを作るという記号というとちょっと分かりやすいですが、
計画みたいなやりたいことを掲げる。自己実現でもいいし、
趣味でもいいし、仕事でもいいですが、それがさっきのお金を稼ぎたいでもいいし、
ビジネスで成功したいでもいいし、夢になりたいとか、何でもいいんですけど、
そういうのがもしあったとしたら、店を作りたいとか夢でもいいですよね。
それを否定しているわけではなくて、それを1つ言っても何も始まらないわけですよね。
始まっていない。だから言うなとかじゃないですよ。
それを言ったときにもしくは想像したときに、考えたときに、
言葉にしたときに、書いたときに、100通り考えられる人とか、
100通りできたということがある人は多分それができるんですよ。
なぜならというのは当たり前で、もう100回作っているし、
そのパターンが頭の中にあるし、できるわけ。
2、3通りしかない人だと、できることもあればできないこともあるわけですね。
つまり確実性が低い、成功率が低いわけです。
で、もう1回戻すと、じゃあそのカレーを作りたい、カレーを作りますというのが、
言ったときにどれだけ理屈の上でも細かく言えるかどうかということになるかなと思ったりします。
話としてはそれだけです、要点として。
だからもっとまとめてしまえば、経験があったり知識があったり、
やれる人が言っているカレーを作ると、そうじゃない人がカレーを作るというのは、
全く意味が異なりますよねというところがポイントなんです。伝わりますかね。
仮説の部分もあります。
だから、理屈の計画とそれを実践できるかどうかって別ってことは、
多くの人が理解しているはずなんですが、ここに矛盾が生じるわけですね。
つまり、経験がない浅い人が何かやりたい、
言ったときに計画を作っても1段階でカレーを作りたい、もしくはカレーを作りたいだとダメだから、
例えばこんな条件を入れるわけですよね。
カレー作りの難しさ
今、手元にある冷蔵庫にあるものだけで驚くようなうまいカレーを作りたいというわけです。
何を言ってもいいんです。どんな形容詞を付けようが、福祉、とてもとかね、わかりませんが、
そういうのをいろいろ付けて条件を入れたとしても、理屈でしかないじゃないですか。
手元にあるもので美味しいと思う。初心者でも簡単にできるみたいなことを言うと。
さらに、工程を付けてください。まず準備材料を集めます。それを調理します。
味付けします。味付けというより煮込む。3段階くらいのフローになると思うんですよ。
もっと5段階。わかりません。ただ、それを提示されても、経験がない人であれば、
すなわち一つ一つのタスクというか工程をこなす確率、実践できるもしくは成功できる確率が低いわけですよね。
著しくプロより低いというよりも、例えば煮込むということにおいても、
例えば鍋の大きさが違うとか、火力が違うとか、時間が違うとか、
あとは僕のような個人とプロもしくは違いって、まず業務用だとたくさんの人、
人数多めのものが作れるというわけですよね。
要は1人2人分だったらじゃなくて、4人前、10人前みたいになっていくと、
仕組み化されていないと多少のズレが、すごい大きなズレになるわけですね。
例えば塩辛いカレーができるとか、甘いカレーができるとか、多分そういうことだと思うんですよ。
味の調整が難しいという意味はいいんですが、一言で言えば。なぜなら量が多いから。
量が多いからというと、何でそんなことかと思うかもしれませんが、
単位ですね。1人分という1単位で正確にやっていない人が、2倍3倍4倍5倍、
10人分とか10人前とか作ったら10倍ずれるわけですよね。
それ怖くないですか。
だからその倍量でやったらうまくいくとかいうのも怪しい世界があって、
なんでかというと、鍋の火が入るものが均等じゃなかったりするから、
混ぜ続けなきゃいけないとか、ちょっと考えるだけでしんどくなってくるんですけど、
思ったより複雑というのが僕の考えている料理の世界です。思ったより複雑です。
つまりそんなに簡単じゃないってことです。
実践の確率
別にその料理のことを語る資格は僕にないんですが、
そういうところで行くと、話を戻しますと、
そうやってカレーを作る、いろいろな条件をつけて、
もしくは計画でこういう手順でやればいいよね、
レシピを持ってきてカレーを作れると思うかもしれないし、
できると思うかもしれないじゃないですか。
当然ここまでいったらリスナーのあなたはそうだよねと思われるかもしれないし、
ちょっとよくわかんなくなっているかもしれないんですけど、
ついてきている方はありがとうございます。
ここで言えるのは、じゃあカレー作れますか、
こういう自分が作りたいカレー作れますかというときに、
そのレシピだけでは当然作れないわけですね。
だけどそういう人に限って計画というのを結構、
遵守というかがあればできると思ったりする。
でもここも言葉を選ばずに言ってしまえば、
そんな一つ一つのタスクができなかったりする、
もしくは確率が一時的に低すぎるなら、
それは実践できないし、いわゆる絵に描いた餅になるんですよね。
ということを知っていてやるならまだいいですよね。
道具としてのレシピ
絵に描いた餅を作りたくないわけじゃないんだけど、
絵に描いた餅を作ってしまう。
これが一生起きるとは思いませんが、
これどうしたらいいの?
お菓子さんどうしたらいいんですかって言われないですよ。
言われないんですけど、勝手に答えておくと、
シンプルでそれなりに実行してそこそこできてというような、
成功率を上げるというのがいわゆる型だったものですね。
タイプですね。タイプ?フォームか。
学びの型みたいなものです。
アイデア出しみたいな話をしてしまえば、
ちゃんとインプットして、ちゃんと試行して、
ちゃんと出すみたいなことで材料を持ってきてやって、
それをアイデア出しが得意じゃない人とか苦手な人とか、
もしくはあまりやってきてない人がこれを聞いても多分できないんですよ。
それはもう十々承知で、なぜなら型ができてない。
型っていうのはさっきの話で、
インプットして試行してアウトプットするというようなものが型だと思うんですが、
それを言われてできたら型はあるので、アイデアは多分出せてるんですよ。
出せてない状況がある中だと型ができてないんですね。
型っていうのはさっきカレーの話で言ったら、
レシピみたいなのがあったときに、
その簡単なレシピがカレーの作り方みたいなのが書かれてたときに、
それができる、もしくはやったことがあって、
想像できて作れるっていうのが、
カレーを作るっていったときに、
ものすごく頑張って頭の中で出したり、
ものすごく調べてやるっていうことがなく、
自然にできてしまうようなことが型があると言えるんですね。
これは別にカレーの話じゃなくて、
料理というものをカレーというものをもうちょっと抽象化すると、
材料を切って炒めるか煮込む。
おかずというかご飯をコメントして食べる。
日本だとそういうカレーらしくなりますが、
そういうものがあるかどうかなんですよね。
料理したことがない人がもっと言ってしまえば、
カレーを作るって結構難しいわけですよ。
伝わりますかね。
アイデア出しもそういう試行したり、学んだり、
何か組み合わせて何かやったことがある人は、
企画したりでもいい、何でもいいんですけど、
それは上達が早いし、
もしかしたら型ができているかもしれませんよね。
変な型ということで、型がないことほとんどでしょうね。
型があっても違う型というか、
すごい適当によく分からないけど、
別にこのやり方が悪いわけじゃないですけど、
一冊の本を持ってきて、そこから単語を抜き出して、
それで考えるっていうね。
それも全然いいと思います。
ただ、それってどういうふうにやってるんですか。
再現性の話になっていくだけなので、
それを頑張って、
それを頑張ってやってたら、
ちょっと違うというか、
辛いような気がするので、
もうちょっと違うやり方を考えた方がいいかもしれないなとは思いますけど、
本の1ページから単語を抜き出して、
それで考える。
いいけど、型よらないかとか、
どういうものをできるかというのもやり方次第です。
それってカレーを作るときに、
手元にある材料で作るって言うといいんだけど、
手元にある材料がすごく限られてて、
野菜しかないというか、
野菜もほうれん草しか常になかったら、
ほうれん草カレーしかできないじゃないですか。
っていうことに気づけるかどうかっていう話だけなんで、
それっていろんなカレーを作るってことではないですよね。
ほうれん草カレーしかできてないのに、
いろんなカレーを作れるっていう認識であれば、
それはおかしくないかなっていうちょっとツッコミですね。
ちょっと長くなりましたが、まとめますと、
経験が浅かったり実践するっていうことの感覚、
解像度っていうのが低いと、
当然実践、実行してできる確率っていうのが低くなるわけですね。
低くなるんだけど、低くなります。
もう1個は解像度高い人ですね。
上級者と言われる人。
そういう人はイメージができるからできる。
上級者は今回どうでもよくて、
初級者とか経験が浅い人が、
ハマりがちというか罠としては、
そういうできるレシピとかがあれば、
自分もできると。
優れたレシピさえあれば、
私はカレーが作れるんだと思うんですよ。
気持ちはわかるんですけどね。
気持ちはわかるんだけど、
それって例えば受験勉強、
受験生が来てるかわかりませんが、
みんながやっている、
これで、例えば東大とかね、わかりませんが、
有名校とかね。
みんなが羨むような、
難しいと言われているような大学とか、
学校に入れると。
確かにそれは、
東大生とかが使ってたんだけど、
それは東大生になる前のその人が、
賢くやってたり、
その人がもしくはそれをやり切ったから得たものであって、
その参考書とか、
学んでいるものがいいわけではないわけです。
いいわけじゃないと言ったら怒られるな。
あくまでもその人ができるかどうかは別問題。
その参考書が理解できない可能性もあるじゃないですか。
参考書自体は道具ということですね。
だからレシピも道具であり、
手段であるということでしかないんだけど、
そのレシピをやってね、
やってその成果について話せばいいんですが、
なぜかそのレシピについて話をし始める。
わかります?
感覚があります。
これがよくハマる。
テニスとかで言ったらいいっていうね。
綺麗なラケットとか、
打ちやすいラケットを手に入れたら、
理論と実践の関係
テニスが上手くなる。
一理あるかもしれませんが、
多分それ以前に打ち方だとか、
自分が意図したものを飛ばせるかとか、
体の使い方みたいなのが大事な気がしません?
伝わりますかね。
それこそ文章を書くときに、
小説家の○○さんが使っている万年筆を使う。
その憧れとかね、
真似してって気分が上がる精神的なことを
否定するわけでは全然ないですよ。
僕もそういうのがあれば使うかもしれない。
だけど、
そのボールペンがあって、
そのいいボールペンを使ったら、
小説を書いているボールペンを使ったら
小説を書けるとかって、
おかしくないですよね。
って思うはずなんですけど、
そのものとかそういうものだったら分かりやすくて、
そんなことないよって思っているかもしれないけど、
それが知識とか、
知恵のようなものとか、
知恵なのかなって、
レシピって知恵でもありますけど、
それをそのまま再現できるレベルのレシピって、
意外にないというか、
難しいんですよ。
なぜなら、
これはもう気づいている方いると思いますが、
料理の初心者の人にとっては、
その材料がなかったり、
それこそよく、
軽量カップだとか、
小さじ何とか、
失敗おかしいな、
小さじ1とか、
量がまず測れない、
鍋がない、
やかんがない、
様々なガラスの器なんかないよとかね、
いろいろ出てきて、
環境が全く違うんですよね。
プロはその環境が違っていても、
いろんな知識と経験があるので、
再現性を高くできることが、
多分それがプロだるゆえんだと思います。
つまり、すなわち100%、
100としたら再現能が、
限りなく100に近づけていくのが、
多分プロなんじゃないかなと思います。
行動の重要性
多分ね、っていうところです。
この辺りですね、
数字というか確率で整理したところ、
結構いいものができていたので、
これは自分でまた、
紙砕いて書いていって、
いこうかなと思います。
当たり前っちゃ当たり前なんですよね。
やったことないから、
うまくいくというふうに見積もる。
これはすごく分かります。
じゃないとやらないっていうのも、
心理としてある。
だからしかしということで、
だけどそんなふうにうまくいかないですよね、
っていうのが実際ですよね。
そこが上級者もしくは、
初心者、初級者、
初学者の人との違い、
なんだよなっていうのを意識しながら、
じゃあ僕が全部できるわけでもないし、
いろんなものに対しても、
初心者というか分からないこともありますから、
これは別にアイディア出しとか、
特定の分野については、
ある程度言えるかもしれないけど、
そういう分野については、
別にね、初心者だし、
別に同僚できるというふうに思っていませんから、
そういった話で例えてみました。
なんでですね、
特に、
なんだろう、
初学者とか初級者とか、
自分がそれできないなって思っている人、
文字通りできていない、
できていないというか、
やっていないっていう人ですよね、
性格にはね、
できるできないという主観で怪しくなってくるから、
できるできないっていうのをね、
なんだろうな、
あまり使うのがいいかもしれませんが、
実際に行動した事実ベースのものがあるかどうか、
ということですけど、
その行動していない、やっていない人に関しては、
やはりですね、
その理屈っぽくなってくるんで、
理屈とか計画ってことは、
重視しがちなんですよね、
たぶん理屈っぽいからこそ。
でもその理屈っぽさって、
なんだろうなっていう時に、
あまりですね、
その実践においては評価されないというか、
僕はあまり見ない感じがします。
何々すればできますよね、
っていうわけですけど、
何々すればをやりますっていう時に、
やれないなら、
あんまり意味はないってことです。
行動ベースの話をすると。
アイディアで行ったら、
そういった何々すればっていうのは、
妄想であるし面白いから、
どんどんやったほうがいいんですけど、
これやっぱ分けたほうが良くて、
どちらもやったほうがいいんです。
アイディアも出すし、行動もすればいいってことなんで、
だけどどちらかだけ偏るってことが、
よろしくないのかなっていう感じで、
とどめたいかなと思います。
少し長くなりましたが、
以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきまして、ありがとうございました。
以上失礼いたします。
26:05

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