挑戦の心構え
シゴクリラジオ
こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回はですね、自分の思い通りにいくことですね。
というのが、一割、一部、極一部ですか?
一割って極一部なのかな?分かりませんが。
限られた人、限られた回数、限られた割合。
そんなですね、要は何かを試そうとする時の心構え、マインドセットに近いですが。
そんな話をですね、少ししていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、自分の思い通りにいくことは一割ぐらい、一割くらいかもということで。
何かですね、リスナーのあなたにも考えていただきたいんですが、何かをやろうとする、
特にやりたく…ん?やりたくないことじゃないな。やりたいことの方ですね。
自分がやってみたいこととか、面白そうとかね。新しいことって言った方がいいですかね。
新年になるとそんな感じで、何か新しいことやる人増えませんか?
その時の心構えみたいな話ですね。マインドセット的かなと思います。
それはですね、要は最初にやった時のイメージで上手くいくと思いたいじゃないですか。
というか上手くいくからやってるけど上手くいかないんですよね。
その上手くいくの定義とかちょっと置いておくんですけど、少なくともご自身で自分がですね、
僕もあなたもですが、例えばなんだろうな。音楽始めると。
ギター始めるみたいなのはどうですか。僕は演奏できないです。
ギター始めるんだけど、こんな感じで弾けるようなっていうイメージありませんか。
例えばね、弾けないっていう人もね。何ですか。指をはじいたら音が出る。わかります?
多分ね、弦を押さえてやると思うんですが、僕は詳しくないですよ。
その時のやってみる作業というか行為。弾く。指を置いてみる。音が出る。
音が出ない楽器も最初はあるみたいなんで、それを体験ですが、ギターはたぶん弾けば出るはずですが、
それが間違ってなければこのまま行くんですが、その弾いた音が上手くメロディーを奏でられるのかという話じゃないですか。
という話なんですね。ここで言いたいのは。
上手く奏でられる、上手く演奏できるか。
演奏するなんでもいいんですけど、自分がやりたい歌とか歌詞とかがあって、自分で弾いてもいいですよね。
弾いてね、歌ってもいいと思います。
その時にですね、最初の一歩とかでいいんですけど、まずギターを買うのかどうかとかね。
まずそういう色々出てくるわけですけど、そこでやってみて自分のイメージがあると。
次の成功というのは自分がやりたいイメージがある時に、その叶えられる割合が1割ぐらいじゃないの?という話なんですね。
これは高いとも思わないし、極端に低いとも僕も思っていなくて1割って。
わかりやすく言えば、1つ演奏したい楽譜があった時に、その1割でもできたらパチパチパチというか、本当に素晴らしいよという話なんですよね。
もしくは自分がやりたいことが10個あったとして、この場合は指の動かし方をスムーズにしようとか。
小指が届かないけど、小指を工夫してみようとか。
なんかポイントがあると思うんですね。
10個も最初なくていいと思います。1個とか2個でいいと思うんですけど。
でも1個だったら意識したものは1個あります。
それを多分10回やってやっと1回ぐらいできるみたいな話でもいいし、
1回の映像で10個を意識することがあった時に、1個でも意識をしてうまくできればいいという感じで。
9個できなくてもいいし、10回中9回やってもうまくいかなくてもいい。
という感じで僕は捉えているんですよね。
これがいいとか悪いとかを置いておいて、そうすると10回ぐらいはやるわけですよ。最初。
成功と失敗の割合
もしくは1回やってうまくいかなくても、1個できたらいいかなというふうになるわけです。
これは意識値とか言ったりしますが、それを低めに設定しておく方がいいという話なんですよね。
特に最初はめちゃくちゃ低くしておいて、ギターに対して興味を持ったぐらいでもすごいという。
実際にギター演奏をしている人が、もしくはギターの教師の先生とかは、
それはお客さんの見込みになるというのもあるんですけど、そういう人が増えるだけでも嬉しいんじゃないかなと思います。
まともな人で言ったら怒られますが、そういう感覚の人なんじゃないかなと思います。
本当に広げたいとか、本当にやりたいという人。
それをもうやるなみたいな、いわゆるスパルタといいますか、そんな甘いものじゃないみたいな考え方がダメではないと思いますが、
それって何を求めているんだろうという話になっていくので、
これもアドバイスとか言うのが非常に難しくなっていくんですけど、
基本的に今の話はプロを目指すとかということでもなく、
ただプロを目指すとか、これで食べたいという人でも、楽しめなかったら全然面白くないよなという、
何のためにやっているんだろうみたいな話になるので、
楽しさってすごいいらないとか思う人がいるかもしれませんが、
僕は嫌だなと思うだけなので、楽しくやりたいですね。
それは僕の心情ですね。
特にここをちょっと考えていったんですよね。
最初はゼロイチという意味では、入りの入り口は楽しいワーイみたいな感じでいいんですよ。
そうじゃないとやらないと思いません?楽しくないなとか、これ大変だなっていう。
大変だなでも、これが面白いなと思えばいいんですけど、面白い部分がありますよ。
大変だな、大変だな、大変だなとやらないんですよ。
僕もやらないんで、こういう部分が面白いかもな、こういうところがあるんだなと。
確かに面白いけど、こういう部分は大変なんだな。
セットで、特に楽しい部分を強調しつつ、少しでもできたら自分を褒める、もしくは褒められるという環境がいいかなと思いますし、
僕もそうありたいし、そうやっていきたいし、それがどこまで有効になるかを、
僕自身もそこまで人を育てるとか、そういうことしていない感覚があるので、
わかんないですねというところはあります、正直。
ただ、自分にとっては位置を低くすることで、まずやれるし、続けられるし、楽しもうとする。
楽しむためのアプローチ
だから、楽しむポイントはどこにあるかということを、やりながら考えるという話ですよね。
今度、少しずつやって、10回に1回とか、1回の中で10個のうち1個でできればいいとか、
ちょっと複雑でわかりづらくなっているかもしれませんが、
とりあえず1割ぐらい楽しむみたいなことを楽しめたらOKみたいな、すごいよというふうにしていくんだけど、
今度はですね、リスナーの聞いている話とかですね、
それって満足レベルというか、要はレベルが低いってことですかみたいな話に
言う方もいらっしゃるかなと思ったんですよ。
僕もそれを思いました。
要は、それ偉い偉いっていう、子供騙しっていうとね、子供に怒られると思いますが、
要はその、ままごとと言いますか、馬鹿にしているのかと、そのままできてね。
偉い偉いみたいな。
その意図は全然ないんですけど、そう思われる方もいるかなと。
でもそれは、最初のステップとして、最初はアイディアもそうですが、
機能みたいなもので、大切にしなきゃいけないわけですよね、最初のところ。
入りとか、助走して、自走までは行かないんだけど、自分で何かやるところの部分は、やっぱり丁寧に固めていくと。
だから生き地低くモチベーションを保つには、生き地が低いっていいことなんですね。
すごく楽しめるから。
低い期待値からのスタート
これやると、こんな風になると、こんな風になると、面白い面白いってなっていって、
そこに慣れていくと、だんだん生き地が高くなってくる。
要は、ちょっとできるだけじゃ満足できなくなるはずなんですよ。
だから満足してるっていうことを最初はしつつ、それで次のやりたいこと、次のものっていう風に高めていって、
少しずつ生き地が上がっていくと。
そうなると、多分技量とか技能っていうのは勝手に上がっているはずなんです。
下がるってことはまだない。
これはですね、結局学習サイクルみたいな話ですよね。
要は満足感とか達成感っていうものがありつつも、それは自分が設定したもののほうがやっぱり面白いわけです。
誰かがこれやってくださいって言ってやるよりも、その中で自分がこれで今までできなかったことができるようになった、
みたいなことを成長と僕は思うんですが、できなかったことができるようになるとか、
もしくはできなかった考え方が見えたり視点が得られたりして、
次の学習サイクルというか学びに入っていくって感じがしています。
なので、じゃあもうすごく極めて少しのことでも何とも思わんみたいな状態もわかるんですよ。
その場合はもう違う分野とか視点とか、自分がそれこそ位置から位置が低くしないと楽しめない。
僕でしたらギターとかやったことないんで、じゃあギターやってみようかってなると、
多分全然位置が低いと面白いわけですね。
もちろんここには理屈で言ってますけど、自分が面白いと思うとか、やってみたら全然想定と違うとか、
音楽とか興味ないんだけど叩くのが好きだから打楽器やるとか、
自分なりの入り方をすごく大事にされているというか、
されている方は多分この生地の話は結構刺さるんじゃないかなと思います。
自分が楽しむやり方を他の学習、他の学び方、他の仕事でもプロジェクトでも何でもいいんですけど、ボランティアでもね、
そこに生かすことができるわけですよ。
僕はそう生かしているっていう話でもあります。
自分を楽しむ、自分が楽しむという状態を作るには、最初の入りは期待値を下げつつ、
期待値を下げすぎて何もここにやると無駄だとか、やりすぎですけど、
あと満足してしまってそれでもういいんだと思うのもまた違っているんですよね。
ここが難しいところで、やってて楽しいんだけどまだまだ開拓の余地があるようになって、
開拓の余地っていうんですかね、開拓しろっていうんですか、
のびしろというか、面白がりしろ、楽しみがりしろ、余白とのりしろみたいな部分があることがいいと。
それがもうわかんないですよ最初はね。
わかんないけどそれが見えるかどうかとありそうかどうかっていう幻想ってこともあるかもしれませんし、
やってて、ここの部分が面白いかもなっていうのが僕の中です。
僕のすごい感覚主観全開でいくと、これやっててまだ面白いよな、こういう部分まだあるよなとか、
開拓したいなとか、こういうアプローチはどうだろう、視点変えてね。
っていう風にやっている状態がまさにコンサマドリーといいますか、
自己重則的で自分が楽しめているという状態なんですよね。
もしくは、それが手段目的かというのはあまり好まれないんですけど、
それがうまく循環していると、やっていることが楽しいし楽しいからやるし、みたいなことになっていくと。
それを他で外部で活かせないから意味がないとかっていう人も、もしかしたらいるかもしれませんが、
自分が楽しいって思うとか、遊びで何か得ているなとか、いいなと思っていること自体が価値なんですよね。
そこは価値として認めてあげてほしいというか。
そうすると何が起きるかというと、僕であればこういう体験楽しいなと思うので、
それを誰かに伝えたくなるし、仕事の中でこういう感覚でやりたいなと思うとか、
もしくは誰かにそういうことを伝えるので、悪いふうになっていかないんじゃないかなと思ったりしています。
むしろ自分がいい影響を受けるということは、自分が関わるあらゆるものにいい影響を与えると、
そんな感覚でいたりします。
リツラーの方はどうでしょうか。
新しいことをやろうとした時に、入り方ですよね。
入り方どう入っていって、それが続けられるかどうかもありますし、
自分が楽しみ続けられるかというところをどういうふうに設定していますでしょうか。
ぜひ考えていただいて、何か今回の話がヒントになれば幸いです。
今回は以上となります。四国にラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。