リサーチのやり方と仮説の立て方
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオのお橋です。
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回ですね、少しですね、資料作りをしまして、
その中でですね、リサーチのやり方ですね、
そんなことをちょっとまとめていたときに、
仮説を立てようみたいなことを書きまして、
それは当たり前なんですけど、
じゃあ本当に仮説を立てなきゃいけないのかというところについて
少し考えてみたので、共有できればいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオのお橋です。
今回ですね、リサーチにおける仮説の立て方ですね。
リサーチじゃなくてもいいと思ってるんですけど、
仮説を立てなきゃいけませんみたいなことを、
直感的に感じているんですけど、
聞いている方はどうでしょうかと。
その仮説を立てないと何がダメかと。
仮説がないといけないというよりも、
まず仮説がないと何がダメそうかということなんですけど、
例えばですが、考えることと悩むことみたいなのがあるかなと思います。
考えることと悩むことってどう違うか。
これ結構ポイントなんですけど、
考えることというのは、実際にリサーチである市場を調べたりとか、
あるビジネスアイデアを固めていくためにデータを用意したりとか、
そういうような状況はあるかなと思うんですけど、
そういうときに進捗する、進むみたいなのが考えるということかなと思ったりします。
つまり、ある手順があったり、
次にこういうことをやるというタスクが決まっていたり、
実際にそれをやって、どうして検証するみたいなことが考えることかなと思います。
考えるというと、どうしても頭の中で思いを巡らすみたいなことを
イメージする方もいると思うんですが、
それと悩むとの違いが明確じゃないかなと思います。
悩むというのは、例えばその判断に迷う。
2、3選択肢がある中でどれにしたらいいか迷う。
進路決定とかだとそうかもしれませんが、重要なことに対して
どっちを用意したらいいか分からないというような、その態度、状況を示すかなと思います。
その場合、適切かなと思うんですが、頭の中でぐるぐる回る。
そのぐるぐる回っているものは、特に流度といいますか、状況というか回想というか、
状態は変わらないはずなんですね。
なんで悩む。なぜなら、それは考えているというよりも、
考えている選択肢とか、自分の行動とか、そういうものが何もないので、
最初の悩みみたいなものが、時間が経ったところで何も変わっていないという状態が
考えることと悩むことの違い
ぐるぐる悩んでいることかなって思ったりします。
例えばさっきの話を戻すと、考えると悩むというのがあるように、
仮説ですね。最初にこういうふうに、
例えばこういう人は、こういうものを欲しているみたいな、
喉の調子が悪い人は、喉飴とかが欲しているとか、給料を欲しているとか、
そういう仮説でもいいですし、疑問でもいいですよね。
喉飴を欲している人はどういう人だろうかと。
それは疲れている人とか、そういう人であるというような仮説ですね。
僕は仮説と呼んでいますが、疑問と言ってもいいし、
気になったことと言っても、この場合はいいかなと思います。
ただ、その仮説というところで明確になっているべきことは、
リサーチとの兼ね合いでいくと、どういうものを調べるかというのがある程度わかることということなんですよね。
なので今の話では、喉の調子が悪いとか、風邪でもいいし、病気とか、
そういう人にとって喉飴というのは必須なものかどうかわからないんですが、
ラジオもそうですし、ラジオでもそうなんですけど、
仮説の重要性とリサーチの具体的な調査方法
歌手とか歌い手という人では、喉というのは武器というか道具というか、
必須のお手入れ対象であるので、必須じゃないかなということですよね。
そういう人の方が喉飴がいいかを置いておいて、
喉飴的な喉の調子を良くするとか、そういった加減策がより求められているかなと考えるとわかるかなと思います。
そうじゃないという意見はもちろんあると思うんですが、おそらくそうであろうというのが仮説であれば、
歌手とか人はどれくらいいるのかとか、実際に喉のメンテナンスとか普段やっている健康管理と言った方がいいですよね。
何があるかみたいなふうに調べていくことが明確になっていくかなと思います。
これが仮説を立てて調べていくやり方かなと僕は思っているんですが、
これがないと何を調べていいのかというときに最初に調べることが出てこないんですよね。
何を言っているかというと、喉飴というのがありますと。
その喉飴というのがあるので、喉飴によって改善されている人というのはどういう人がいるかなと。
ここら辺からどんどん思考になっていくと思うんですけど、そこで考えを巡らしたり問いかけをするというのは、
何度も言っているんですが、アイデア雑誌においてのインプット、思考、アウトプットという流れがあるとするときに、
この思考パートの部分がまさにリサーチの部分かなと考えています。
ここで思考として調べること、リサーチをするときに何を調べるかが明確じゃなければ調べられないというわけですよね。
リサーチをしなきゃというふうに言っておいて、何を調べたらいいかよくわからない方もいらっしゃるかなと思っていて、
当たり前なんですけど、何を調べていいかわからないから調べているんだけどよくわからないみたいなね。
例えばアドバイスを受けるみたいな状況があったときに、何を調べていいかわからないから調べることを教えてくださいみたいな話になってしまうわけですよね。
でもそれは本場先頭であって、何を調べるかという主体は調べる人が温度と言いますか、先頭だってですね。
先頭だって言ってもおかしいですけど、チーム引き入れば先頭だってやっていかなければ明確になることはないかなと。
少なくともその人がよくわからない状況でリサーチしますと言って、リサーチしたところで曖昧なものが出てくると。
さっきの話で言えばそのドラマというところのふわっとした話になってきて、自分が知りたかったことが知らせることができずに全然違うもの、結果が出てくると。
それは全然違うというのは良い意味ではなく、期待したものが集まらなかったという悪い意味になっているかなというところです。
この仮説を立てて調べなきゃいけないというのは、別にルールでも物理法則とか絶対的な法則ではないと思っているんですけど、
僕が考えるところでは、まずこういうことをやりましょうということを明記したり、少なくとも頭の中でイメージとして明確になるという、
当然書いたほうがいいですし書くんですけど、それがないときに良いリサーチとかリサーチに限らずアウトプットができるかどうかなんですけど、
まずできないよなというところで、最初の方向性といいますか、スタート、ダッシュではないんですけど、こういうところを調べたいなというふうに、
ぼんやりとでももちろん良くて、ぼんやりとやって目隠しすることも多分できるんですけど、最初にぼんやりとしたものを、
そのままぼんやりとしたままやっていくと、ぼんやりとしたものができるということなので、仮説の追い込み方とか作り方次第では、
もう最初でそこで決まってしまうんだろうなということも逆に言えるかなと思った次第です。
今回はリサーチでの仮説が大事かもしれないという話を少ししてみました。
今回は以上となります。四国レジオの大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。今回は以上で失礼いたします。