失敗の重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組です。よろしくお願いします。
今回のテーマはですね、ちゃんと失敗する、ですね。ちゃんとやるっていうことがよく言われますが、言われていませんか?
ちゃんとやるってことは、ちゃんと失敗するってことだと思いますね。 ちゃんとって言葉が適切かどうかわかりませんが、やるってことに対して失敗するはほぼ同義なわけです。
なぜなら、やったものって大体うまくいかないからですね。 なんで、やるイコール9割は失敗する。失敗しようと言っているようなものですよ。
でも、失敗しようと言うと、ちょっとカッコ悪いとか嫌だからやらない。 その1割のうまくいく方を見て成功しようと言ってしまう。
もちろんそれはですね、見ている距離というかね、視座と言いますか、短期で見るのが言い方によると思います。人によって伝えるメッセージによると思いますが、
基本的にちゃんとやるってことは、ちゃんと失敗することになるので、間違っていなければ9割失敗しているはずなんですね。
で、ちゃんとやっているところは失敗しているので、その1割の恩恵も得られると。
すごくシンプルなロジックですが、それをやれるかどうかということを考えると、また別だよねと。
そんな話を、今回は軽めでしていきたいと思います。よかったら引き続き聞いてみてください。
はい、しごくりラジオ大橋です。今回テーマはですね、ちゃんと失敗するです。
ちゃんとやるということの道義として、道義、同じ意味ですね。として、ちゃんと失敗するということを掲げていました。
あるセミナーのタイトルにそんなものを見かけたので、そこからインスピレーションを受けて失敗しようと言っています。
失敗するために、わざと意図的に恋にうまくいかないようにする。
それは失敗しようとしていますよね。失敗しようというのは、失敗したくなくてもニュアンスとしてですよ。
失敗をしたくないんだ、成功させたいんだ、だけど失敗の割合というか数は9割と考えるなら、10回やらなきゃいけないですね。
だから10回やらなきゃいけないです。精神論になってくるんですけど、気合になってくるんですけど、10回やって初めて成功が見える、1回ね。
なので10回やるまでは、10回やって1回成功するまでは行動量の不足ということになりませんか。
なっちゃいますよね。何も言い訳できないですよね。
だから体力勝負みたいな部分はもちろんあると思いますが、もちろんその体力勝負で自分が動けるだけやらなきゃいけないとか、その体力勝負に持っていかなくてもいいやり方もあるかもしれないので。
ただ、理屈としては10回やると。1回成功するので9回は失敗しますよと。
その時にちゃんとやろうと言っても、ちゃんとやるというのはその10回をきっちりやると。
そうすると1回ぐらいは成功するよねっていうことですよねって僕は思ってます。
だからそれをメッセージとして違うふうにすると、9回は失敗するから、ちゃんとその9回失敗をやって学んで精度を上げていきましょうということにはなっていくかなと思います。
この精度を上げるということは結構厄介で、何もやったことがない人が、経験や知識がない人が、うまくやろうと言ってもできなくないですか。
例えば、授業じゃないですけどボーリングとか身体能力を使いますが、ボールをね、僕も全然ボーリングうまくないですけど、真っ直ぐ投げることができない。
僕もですね、多分うまくない。真っ直ぐ投げられないです。斜めにいっちゃう。
それはですね、肘が曲がってたり、真っ直ぐ投げてるつもりだけど斜めになったり、腕を、言い方が難しいですけどね、
転がすときの動作って、垂直というか、壁に垂直で平行に上げますよね。その上げる動作が違うんじゃないかと。
いろいろ理屈は言えるわけですよ。で、それをいきなりやらずに、やったことない人が、教科書的にこうすればいいですよっていう風に、画像とか動画でいくらやっても身につかないじゃないですか。
そんな程度というか、そんなことを言ってますね。
AIでいくらシミュレーションしようが、AIのシミュレーションがいいのか、結局その後にやるから。やる前提であれば全然やるときに入りやすいから、学習とか習得もしやすい気がしますよね。
不合理な、非合理なやり方、ただ現場で回して背中を見て学べみたいなのは、否定しないですけど、それでいいのかっていうね。
見つけることが本質であれば、それをずっとやり続けられるとか、OSみたいな根っこの部分だったら必要かもしれないですけど、
本当にそこまではいるのかみたいな部分は正直あるという気はします。
一方で、人が学ぶスピードって早まっているのかっていったらどう思います?
これもいろんな人に聞いてきたんですけど、早まっていると思えないというか、むしろ知ったかぶり側の人が増えて、わからないんじゃないかなっていう。
言ったことがわかります?
SNSの運用の仕方を知ってますと言っても、AIでタタンと叩いて、こうやってやればいいんですよねっていう。
それでもし通ってしまうものがあったとする方が問題というかね。
運用なんて人がやるんじゃないですよ、AIがやるんですよって言ったら話が終わりそうですけど、AIにやらせたものを人間が見るみたいな。
でもね、細かい経験とか知識っていうのがないと難しいかなって。
これはどこでも言われていると思いますけど、それを置いといて、AIがどうかを置いといて、人間が成長できるか、教育されてスピードを上げていって学べるかというと、わからないですよね。
僕はわからなくて、学びたい人はいると思うんですけど、そこまで学びたくない人もいっぱいいるじゃないですか。
その人を変えるなんて、結構おこがましいんだと僕は思っています。
だけど、変わりたいんで、やりていきたいんだよっていう人がいたら、その人は変われるし学べるんでしょうね。
その辺りの差事加減次第かなと思います。
そこに教育というよりも、AIが入ってきてて家族することはある。
だから結局その格差と言いますか、やる気がある人はどんどんやれるんだけど、そこまでやる気ないかなっていう人も多分いらっしゃると思うんですよ。
別に否定していなくて、そこまでやりたくないですっていう。
別に天の邪悪でもなく、前向きにいきたくないですみたいな。
ないですか、そういうのね。わからないですか。
例えば、中学校ぐらいから、高校とかもあるかもしれないですけど、
文化祭とかチーム、学級でやるもの用紙になんか乗れねえなみたいなのないですか。
僕どっちかというと乗れないタイプなんで、
なんかね、みんなで一緒にやるっていうのが多分あんまり好きじゃないのかなってことなんで、
個別で関わっていくことはできても、みんなでやろうぜっていうのは、
今話しててちょっと自己理解が深まった気がするんですけど、無理かもしれないなっていうのはちょっと思いましたね。
そういう意味で集団でスポーツでやるっていうのは有効で、
その集団の中でやるっていうチームのためにみたいになるんですけど、
会社員やってた時に別に俺が俺がみたいなことは別に思ってないので、
別にダメじゃないかなと思いますけどね。
楽っちゃ楽じゃないですか。そのチームってことを考えていけばいいから、
駒みたいな、昔ある人と歯車みたいなことを扱った時に、歯車ってなんか良くないですかみたいな話で、
重要なみんな動いてるから回るから、別に歯車だから駒だから捨てられるというか、
歯車を取っ替えられるとかそういうネガティブな意味じゃない風に使ってた人はいたんですよ。
そういう歯車もあるんだ。
とんがりすぎてその歯車がなくなったらダメ、いなくなったらダメとかないと思いますけど、
歯車であるということはそこの会社なりチームなり組織に貢献しているってことでもありますから、
確かにみたいな。そうなんですよ。だから捉え方次第ですよ。
話戻しますと、ちゃんとやるっていうのは、ここは丁寧に行きたいんですけど、
まず10回ぐらいやるとですね、同じことに何度も挑戦していって10回ぐらいやって、
その上で1回ぐらい成功させて、そこまで行くのはまず難しいかもしれません。
それでちゃんと失敗したなと、ちゃんと成功したなと。
だからやれるっていうところの部分が、いきなり授業を成功させるところじゃなくて、
今自分、リスナーのあなたもそうだと思うんですけど、僕だったら僕で、
僕なりの今の10個やれることやって、1個うまくいくみたいなことをやるしかないんですよね。
9回失敗するから、それはちゃんと失敗したなと思ってみて、
まあ気にしないのもいいですし、これまた繰り返すなって思うようなものなら、
また重点的に対策をして再度やっていくと。
教育と成長
なんかそんな話ですよね。その繰り返しだから、向き不向きやっぱあるなって思うんですよね。
それ聞いてて楽しいと思う人って、リスナーの方ってどれくらいいるんですかね。
なんかつまんないんじゃないかなっていうね、その繰り返し。
だからその繰り返しがですね、どういうものでもあってもいいかなと僕は思ってるんですけど、
それこそ陶芸みたいにね、作るみたいなのを繰り返してもいいし、
それって人によって全然違う気がします。
だから僕はたまたまそういう新しいことやるってことで楽しいなと、
ビジネスとか仕事でやるのが面白いなと思ってるんですけど、
みんながみんな面白いと思わないんだろうなみたいなことを改めて感じました。
で、ちゃんと失敗するとかちゃんとやるっていうのは、
別に授業だけじゃなくて何でも新しいことやることにおいては言えるんで、
そういうことを話してみました。
もう一個だけ言うならば、失敗をネガティブに捉えずに、
失敗するのは当たり前なので、むしろ失敗をしているってことは行動をしているってことですよね。
ってことはだいぶ前の、だいぶ前じゃないか、
前回のところでどっかで言ったと思いますけど、
やれてる手法としたほうがベンチマークというかね、
ペースメーカーというかね、にしたほうがいい気がしますね、失敗は。
で、上手くなっていったりしていくと。
ここで一番悪手だと思う、悪い手ってことですが、
その失敗をそれぞれがあまりにやらないってことですね。
やらないと進まないですね。
で、やらないのもそうですし、
あと、やろうとしてうまくやろうとするっていう。
わかります?
うまくやろうとするんで、
なんて言うんだろう。
保険をかけすぎてて、
自分の判断ができずに、
確認ばっかりして進まないとかね。
確認は時で大事ですけどね、
相手が欲しているものをやるってことで確認は大事なんですけど、
そのあたりで保険をかけすぎて、
失敗の重要性
判断を入れないゆえに失敗をしないという状況に持っていくのって、
あんまり僕は好きじゃないですね、個人的に。
その判断を入れないことで、
これは自分が判断したのだと。
ゆえに自分が判断して失敗したのだということが、
永遠に経験できないっていう。
わかります?
サッカー行ったらボールを右に出す、左に出すっていう時に、
これ絶対左でしょって言った時に左に出したんだけど、
それが相手に取られてしまった。
今のは右だったよみたいな。
そんな分かりやすいケースがあるかどうか置いておいて、
自分が判断して左にやらずに、
今は右だって言われて右って言ったら、
もうその人判断できなくないですか。
ずっとそれやってたら。
そればっかりですよ。
誰かのアドバイスを受けたり、
誰かに聞くっていうのはいいことなんですけど、
聞いてばかりで、
おかしくなってくるんですよ。
自分は何?って。
ビジネス書を読みすぎたり、
成功事例で追いかけすぎるって、
それを見るなとは言いませんよ。
追いかけすぎると、
自分がやりたいことはなんだっけ?って。
じゃあその成功と言われていることを真似して、
人に言われていることをやればいいのかと。
になりません?
それが、
ご自身の、
アリスターのあなたご自身ってことですが、
また僕自身が、
面白いと言うなら全然やってください。
それが面白い人もいるかもしれない。
ちょっと分かんないですけど、
それが面白いんだなっていう感じになるんで。
ちょっと僕は分かんないですけど、
自分の人間というか、
その人の意志っていうか、
決意とかいらないんですけど、
意志でこうしようってもないと、
初動が踏めないって感じですよね。
だから誰かに誘われたからやるっていうのも、
全然があると思うんですけど、
きっかけじゃないですか。
きっかけでこうしたいなみたいなところの、
ギアが変わるというか、
要はローとか1とかで走ってただけで、
グッと入れる、
ギアチェンジをする瞬間があってもいいとは思うんですけど、
それがオートモみたいな感じだと、
ギアがないかもしれないですね。
勝手にエンジンかかっていくみたいな。
それは分かんないですけど、
それも含めて人次第にはなるんで、
知りたいですよね。
そのあたりはね。
一番良くないのは、
自分では何かやってるんだけど、
全然やってると思われないとかね。
ありそう。
僕もあるような気がします。
なんか外してるというかね。
空回りする時とかってありますよね。
だけどそれは仮に言語化できて、
メタレンチしても、
防ぎようがないこともないですから。
もうしょうがないというか、
ギアないんだからしょうがないでしょとか。
ギアないなりにどうしていくかっていう話になってくると思うんで、
そのあたりはね。
うまくやるしかないかなって。
精神炎になっちゃうんですけど。
うまくやっていくためにも、
結局知識と経験みたいなものは、
二大要素でなくせないですね。
それをやっていくしかないかなっていう話になります。
その経験とか知識っていうのを得ていくためにも、
最後申し上げた通りで、
自分で判断して間違えて失敗したってことを、
大事にしたほうがいいですよね。
うまくいったことを大事にしがちですけど、
失敗のはずの方が絶対多いはずなんで、
行動することの意義
その失敗自体をやっていることを、
美化しなくていいですけど、
行動の進捗の指標とする。
やってるよってことをするのと、
それを失敗しようとせずに、
うまくやろうとするっていうことでもなく、
やらないってことでもなく、
それを判断して自分でやっているんだっていうのが、
僕はある種の迫力かなと思います。
それがまさに自分の話なんで、
人とその話してて、
自分の話が聞けないってつまんないじゃないですか。
人がこう言ってましたよじゃなくて、
あなたがどう思うんですかっていうのを聞きたいっていうね。
このショークルラジオでゲストに来てもらう人には、
あなたがどう思うか、
あなたの考え方はどうかってことなんで、
それが僕と対立するような考えであっても、
そういう考え方があるんだなと、
受け入れる番組になっているはずなんで、
ゲスト会など気になったらまた聞いてみてください。
今回は以上となります。
ちゃんと失敗するということで、
失敗しますかと、どんどん失敗しましょうと。
ただ失敗をすればいいよねっていうのは、
失敗は目的としてはダメですよ。
成功したいとかうまくやりたいんだけど、
失敗するよねっていうところを、
ちゃんとやるっていうことですよね。
ちゃんと失敗してないってことは、
やれてない、行動してないってことになるんで、
それは行動しましょうってことになりますし、
行動したら失敗するんで、
失敗したら今度はそれをどうすればうまくいくかを
考えるってことになります。
それを行動量というふうにすると、
10回やると。
その1回がどういう単位かも任せですよね。
その人によって変わるんで。
その10回やって1回うまく成功するところまで、
なんとか食らいついていくしかないと。
ここが精神論ですね。
ただ全部精神論ではなく、
このロジックがあると考えたら、
整理すると行動が足りてないというか、
やれてない人はやってくださいと。
それは10回ぐらいが目安ですと。
明確じゃないですか。
やれてなかったらやってください。
1回目やりました、2回目やりましたってやってて、
成功するには9割失敗するんで、
1割の成功のために粘ってくださいっていうのが
論理ですね。
それは理屈なんで、
それを本当にやれるかどうかって、
自分がやりたいことだったり、
お金が稼げるでもいいし、
自分が学びになるでもなんでもいいし、
人のためになるとか、
たまたま言われたからでもいいんですけど、
きっかけなんでもいいんで、
それをやってみることが大事ですよね。
やると不安な方もいると思うんですけど、
何か見えてくるんですね、
新しいことをやると。
それをまた次の燃料にしていくと。
それをそうやって行動サイクルを回している方が、
企業家なり経営者の人とかっていうのが
多いんじゃないかなと僕は思ったりします。
参考になれば幸いです。
今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。