考えることの重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いいたします。
今回のテーマは、最近考えるということをずっと言っていて、それが仕事づくりにどう繋がるのかと言いますと、多分なんですけど、直接的には繋がらないんですよね。
直接的に繋がらないイコール繋がらないではなく、多分間接的に繋がると。そういう確信を込めて話をしていたりします。
何かをやってみるとか、学んでみる、うまくいかんかったなと思って、繰り返すこと自体がまず学びであり考えることなんですよね。
考える行為が1ミリもなければ成長もやりたいこともできないような気分と言いますか、そんな感覚がまさにあります。
デカルトっていう哲学者じゃないですけど、考えるって何かわからないんだけど、考えているという自分はいるよねみたいな。まさに今が考えていると。
哲学をしようというそんなやるぞみたいな感じじゃなくて、今回テーマはそれで自分の意見って何ですかって考えは何ですか。
でですよ、AI時代も含め、これは何度も冗談としてもそうだっけし、笑えない話ということでやややゆするようなね。
悪い意味で言ってますね。自分のやりたいことがわからないから、もしくは自分がこれをやったらいいかがわからないので、自分で考えるのではなくAIに聞いて自分は何をしたらいいですかと。
AIに聞くっていうのはヒューっていうことなんですけど、要は人に聞くわけですよ。自分は何をやったらいいですかと。
ただこのやり方が絶対お勧めしないというわけではなく、要は人によっては自分がこれやりたいっていうのがうまくいかなくてはまらなくて、人に言われた通りになったらうまくいったみたいな。
自己流の筋が悪いみたいなことも大いにあり得るわけですよ。
ちなみにこれ僕にもブーメランになると思ってくるんで、僕のやり方がいいとも全く思ってなくて、全然違うやり方をしてるかもしれないと。数字が悪いとかね。
だけど自分が納得して何回やったりしない限り、やっぱりわかんなくないですか。
そうなんですよ。
じゃないと、僕が一度目友人と起業した話を何度かしてるんですが、初めての方向けに言えば、20代の27歳くらいかな、ときに合同会社を作って友人と何かやるぞって言ったんですよ。
何かやるぞだからフワッとしてて、だけどここすごい大事なんですけど、やる気がすごいというか、何でもいいからやろうみたいな感じなんですよ。
だから本来はレースに考えたら何でもやろうってよくないんですけど、でも本当に心からマジでこれやったらいいかがわからなかったんですよね。
これをやったらいいかがわからないんだけど、ここまさにヒューリスティックじゃない心理学とかも言われますけど、直感的な判断思考みたいなのがあったかなと思いますが、
それをいいとして、直感的にこれはたぶんやっといたほうがいいなと、たぶんうまくいかないこともあるんでしょうし、たぶんうまくいかないなと思いながらも、わからなかったんですよ。
だからやったということがものすごく大事だなと思いました。
これ美化していると思う人もいるかもしれないですけど、自分の体験は美化しがちだから、それはもうさっぴーで捉えていいんですけど、
それってなんでやれたんですかって話なんですよね。
その時に、よくわかんないけど直感的にこれだって、自分はこういうふうに思っている、考えている、だからやるんだっていうのがなければやらないですよ。
わかります?
論理的にうまくいかないよって言われて、そんなやめときなおみたいな人がいないでもないわけじゃなかったですね。
全部無視ですよね、そんなんね。
基本的に無視です。
話してもトラブルになるんじゃないですか。
いざこざとかね。
あと止められないですよね。
反社会的なこととかって別ですけど、何かやってみたいことがあるんだったら、バンドとかでもいいしね。
それと一緒じゃないですか。
やった方がいいですね。
っていう話をしたいわけではなく、そんなんだったんです。
その時もそうなんですけど、結論というか問いかけからいくと、
意見とか考えてどう生まれるんですかっていう話なんです。
意見ってどこから生まれてくると思いますか、自分の意見って。
意見交換の機会
リスナーのあなたもぜひ考えていただきたいんですけど、
いきなりね、これが自分の意見です、みたいなのないじゃないですか。
実践してやってみたり言われたり、違いませんかと言ってみたり、
もしくは一旦受け入れてやってみたけど違うからとか言ったり、
自分がこういうふうにあるんだよって教えたり、
っていうところから生まれてくるような気がしますがどうでしょうか。
なので、1日に何回もやっていいし、何回もあると。
単純に、環境説っていうのもいろいろ唱えましたけど、
日常生活ですよ。リスナーのあなたもそうですし、僕もそうですけど、
中で自分の意見を言う機会がある。
もしくは誰かに意見を求められることがある。
もしくは意見を聞く機会がある。
意見って言った方がいいでしょうね。会話って言うと挨拶みたいになっちゃうんで、
意見って言っちゃいますね。意見っていうのは結局アイデアなんですね、僕の中では。
学校とかで全体、何十人もいると、
Aさん〜どうですかって言ったら〜だと思いますって言ったら、
Bさんが同じだと思いますって言うような感じで、
確かにそんなに味方ないよなみたいなとか、そんなに無理ではねって時に
同じになっちゃうってこともあると思うんで、
違うことを言わなきゃいけないなとか、それはないんですよ。
だけど、多分そういう状況でも思うのは、
自分が考えた言葉とか自分の言いたいこと、
もしくは同じ言い回しでも全然いいんですけど、
その人の言葉でやっぱり言うのが大事なんじゃないかなと思います。
同じ同じって言ってると、同じですとしか言えなくて、
自分で組み立てられない感じってわかります?
なんて言うんだろうな。
それは空気を読んで、違う意見じゃないのに言うなよみたいなのがあったら、
また違うと思うんですけど、本当にそうなのかなみたいなぐらいで、
一旦整えておきますけど、
だから同じですってあまり言わない方がいいです。
それを同じ内容で言ったほうがいいです。
じゃないとニュアンスですよね。
本当はちょっと違いませんっていうね。
ありません。同じです。
じゃあどういうことって自分で言ってみて言ったら違ってたんでね。
そういうのが大事です。
というふうに1日に1回、2回、3回、何回でもいいんですけど、
自分の意見を聞く、人の意見を聞く、
そういった話す、意見を言うことってあります?っていう問いかけです。
ないならダメとかじゃないんですけど、
ないってことはその意見を考えたり意見を言うってことはなくなるから、
考える機会がなくなることになると思うんですよ。
または自分の意見っていうのが育たないって言ったほうがいいんですか。
種とか水とか苗とかを持ってない、もしくはそれに水をやってないみたいな感じですかね。
多分意見っていうのはあるんですよ、誰もね。
誰しもあるんだけど、言っていいとか言っちゃダメとか、
あと言ったらなんかこじれるとかね。
コミュニケーションにおいてはそのまま言わないみたいなのがあったりするわけですよ。
それが本音と建前とかじゃなくて、
初対面の人になんかお前嫌いとかね。
そういうの言わないじゃないですか。って思うんだけど、
それぐらいの最初にどう振る舞うかの振る舞いを見ている感じですよね。
もちろん本当に嫌な奴だったらもうそこで終わりなんですけど、
あんまりそういうのはないんだと思います。
日常生活での実践
というかないようにしていく、もしくはないっていうことを保証じゃないんだけど、
みんな企画じゃないですけどね、通信の企画じゃないんだけど、
USBとかでもいいですけど、その企画ですね。
ルールというか。
そのやり方をいきなりそうはしないよね。
いきなりそんないきなり攻撃しないよねとかね。
いきなり聞いてこないよねとかね。
いきなりって、いきなり聞いたらダメではないんだけど、
相手もそうね、相手を知らなすすぎると怖いですよとかなるじゃないですか。
そういうのもあると思いますが、
っていうところを踏まえて、いきなり誰かに意見を聞くっていうのは難しいと思うんですが、
ある程度関係性ができたり知ってる人だったら意見を聞いたりね、
もしくは言ったりしてもいいんじゃないかなと思います。
だからそれを絶対やらなきゃいけないわけじゃないんだけど、
単純にここでは意見を言う、もしくは意見を伝える、もしくは意見を聞く、
その意見交換みたいなものとか、
自分が何か芽生えた、それこそ最近は違和感って言ってますけど、
感じたことを記録したりメモしたり、何か出してるからですね。
伝えなくてもいいと思うんですよね。
伝えなくても、最初のステップはまず書いたり、
自分の中で言ったり、独り言でもいいから言うと。
でもそれなんか面白くないから誰かに言ってみて、
話せる友達とか関係性があればとか、
そういう師匠、メンターでもいいし、
それは別に年上の人に限らず、年下の人でもいいですけど、
そういう人がいないとつまんないですよねっていうのが僕の世界観、認識世界です。
っていうのを共有できる人とか分かる人はそういうのを求めてくるのかなと。
分かんない人は伝わらない人はちょっと厳しいみたいなね。
だからダメって言うわけじゃないですよ。
でも自分がやれるところはまずそこら辺からだから、
そこをちょっと外してるなとか思っても、
ちょっと粘って踏みとどまってやってみましょうねっていう感じで、
今活動というか取り組みの意識をしてたりします。
で、すいません長くなりましたけど、
テーマとしてはそういう意味で毎日1回でも自分の意見を出してるか、
出してるのは誰かに言うって言うとちょっとハードル高いかもしれないんで、
メモしたりとかね。
例えば僕がこうやって話してるけど、
そんな意見のことなんて考えたことないよって思ったりしたら、
そういうのをメモするとか置くのが大事なんじゃないかなって話ですね。
全部話をメモしろってことじゃないですよ。
気になったことは自分の感情が動いたことなんで、
それは大事にされた方がいいんじゃないかと思います。
その良い悪いとかじゃなくて、
意見に対して肯定的じゃなくてもネガティブな否定的でもいいし、
批判的でもいいし、
そんな風に捉えてなかったなって考えの相違でもいいし、
価値観の相違でもいいし、
その視点が面白いなっていう、
自分にはないけどそれいいなと思ったとか、
いろいろないですか、その話からね。
そういうのが大事かなと思います。
それがたまたま僕の話ですけど、
そうじゃなくて、
ご自身が生活してる中で、
仕事でも家庭でもなんでもいいんですけど、
その生活してる中で、
なんでもいいんですよね。
クリスマスになったけど、
クリスマス気分じゃないとかでもいいですし、
クリスマスそんな好きじゃないとかでもいいですし、
クリスマス大好きでもいいですけど、
その違いはなんで起きるのかとか、
その気分はなんなんだろうねっていうね。
研究しろっていうよりも、
その疑問に思ったこととか、
感じたことを大事にしようっていう話なんですよ。
ということを多分やっている人は、
僕も多分やっている人になるんですけど、
やっている人は毎日自体が全然違うように見えるわけです。
今日12月25日ですが、
明日26日も全然違うとなるし、
意見を伝える重要性
同じ日はないはずなんですよね。
全く同じことを多分喋ってないはずで、
毎回もちろんネタがかぶったり、
同じようなこと言ってんなっていうのはもちろんあると思うんですけど、
まあまあまあまあまあまあ、
まあまあやれてるんじゃないかなっていうのを思ってまして、
そんな話でした。
というわけで、今回補足としてですね、
結局考えとか意見っていうのは、
それで毎日、もしくは何度も回数ですね、
量をこなして、
言う、書く、メモする、話すっていうことを通じてしか、
構成され得ないな、生まれ得ないなっていう話です。
元も子もない方かもしれないですけど、
考えもそうです。一緒ですね。意見もそうです。
だから意見を怖いかもしれないけど言ってみたり、
こういうふうに考えてるんですけど、
っていうのを伝えないと始まらないですよね。
っていうことです。
で、それを子供とかですね、
大人でもできてる人がいるかどうかわかりませんが、
一旦思いといて、子供だったら余計わからないから、
親とか周りで、
あなたはどう考えるんですかっていうことを
求められないと周りの人がやってるようにしましょう
みたいなふうになりすぎてるわけですよね。
たぶんね、義務教育で。
そうするとですね、
僕の義務教育の受けた体験っていうのを思い出すので、
しっくりこねえなってことになる。
今回はそんな話はしないんですけど、
なってくるんで、
言う機会、やる機会っていうのを、
ご自身で作っていけばいいんですよ。
社会がどうって言ってもしょうがない部分もあるんで、
半分ですよね。
自分の部分は自分で5割くらいやっちゃうと。
残り5割は社会がどうって言ってもいいけど、
やれるとかやりましょうよっていうね。
これが今年最後の、最後じゃないけど、
考え方の主流には僕になってますけど、
そんな補足をちょっとしていければいいかなと思います。
意見を言う考えるを、
鍛えるっていうかね。
考えるってことをしていくにはどうすればいいか。
そんな話にご興味ある方は日続き聞いてみてください。
後編補足みたいな感じでしゃべっていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオ大橋です。
よろしくお願いいたします。
今回テーマはですね、考えることについて話してますけど、
自分の意見っていうのはどういうふうに言われるんでしょうか。
リスナーの中では意見を話してますか、伝えてますか、
書いてますか、メモしてますか、
そういったトレーニングじゃないけど、
日常生活意識されていますでしょうか。
それでですね、考える前半はですね、
そういったやってますかみたいな話と、
こんな感じでやるといいんじゃないかみたいなことを言ってましたけど、
後半っていうところでは、
考えたら意見を言うっていうのを多分、
結構繰り返さないと身につかないと思うんですよ。
でですよ、友人とそんな話してたんですが、
やっぱりですね、親の影響が大きくて、
特に私か、僕の前母親がですね、
自分はどうなんだみたいなことを多分よく言ってました。
だからつまり母親からすると、
僕の意見はどうなんだっていうことですね。
それは別に小学生とかでもあったような気がします。
そこら辺でですね、小学校、
僕の、すいませんちょっと過去の話になっちゃいますけど、
小学校の5、6年生のお世話になった、
先生がいらっしゃるんですが、
その方、5、6年じゃないかな?
4、5、6くらいかな?
方いらっしゃるんですけど、
学級日誌みたいなやつがあって、
分かんないです、今小学校どうか分かんないんだけど、
そのね、小学校もいろいろやり方違ってたりすると思うので、
毎日、
法願書は何ページなんですかね、今。
漢字ノートじゃないけど、
なんかなんでもいいんですけど、
その1ページ、1日、
考えた、考えたというか、
日記ですよね。
漢字のことを考えたことを書くみたいな。
で、いまだに覚えてるんですけど、僕これ。
なんかガードレールってあるじゃないですか。
あ、ごめんなさい、ガードレールじゃない。
ガードミラーですね。
いわゆる小学校の通学路って、
車が来て危ない、
縁字っていうか、縁字じゃないか。
児童ですよね。
縁って小さくて車から見えなかったりするから、
もしくは車を見えるように、
交差点とかですよね。
特にT字路とかじゃないですか。
特に信号がない場所もあったんで、
車が来るのが危ないですよねってことで、
ガードミラーという形で、鏡があるわけですよね。
道路にね。
駐車場とかから出るときにミラーが置いてあるとか、
そういうのでもいいですし、
そんなものがあったというときに、
鏡の哲学じゃないんだけど、
多分客色入ってると思いますが、
少なくとも、
よく考えたなと思うんですけど、
5年生とか6年生で、
鏡を見るって言ってるんだけど、
こっちから相手を見てるんだけど、
相手からもこっちから見えますよねって、
当たり前ですけど、
鏡ってそういう理屈ですよね。
光が入るというか、
視線が入ったら見える。
だけど、当たり前なんですけど、
こっちから見たからといって、
相手も鏡を見ないと見えないから、
鏡を見てないとわからないだろうし、
みたいなことを多分書いた。
あと、
当時、ニュースとして、
別に大きなニュースじゃないかもしれないですけど、
かわい犬が、
逃げてしまったのか、
犬だったと思うんですけどね。
かわい犬が逃げてしまって、
線路内に入ってしまったみたいな。
ときに困ったみたいな話で、
どうなったかわからないです。
すみません、覚えてない。
だけど、
こっちに来てって言うけど、
犬の性質上を追っかけたいから、
飼い主が逃げれば追っかけてくるんじゃないか、
みたいな。
っていうことを書いたり、
そういうことを思って、
クラスって中で、
別に言ってもいいんだけど、
ちょっとめんどくさいのはじゃないけど、
言わずに書いた。
それを褒められたり、
そういうのを言った方がいいんじゃないか、
みたいな感じだったんです、
その前世は。
多分そこらへんから、
僕の意識ってだいぶ変わってて、
考えて書いて出すっていうのは、
ありなんだな、みたいなことを
結構思いましたね。
これは多分結構大きいんじゃないかなと思います。
やっぱり過去から。
ちょっと長くなりましたけど。
逐次ですね、
自分の考え方はどうだっていう風に
詰められたみたいなのはないんですけど、
例えば考えずに、
なんとなくとか、
周りがこうだからなんていうことを、
良しとする人じゃなかったような気がします。
逆に言うと。
それをもしかしたら厳しいと思う人がいると思うんですよ。
リスナーのあなたはどう思います?
そういうことに関して。
ご自身が親でね、
コミュニケーションの実践
お子さんにて教育してる人もいらっしゃると思いますし、
そうじゃない方もいらっしゃいますけど、
もし自分がそういう教育する立場だったらね、
学校の先生とかでもいいですけど、
どう思いますかね?
その時に、
もちろん学校の先生がどう言えるかは、
親ではないから立場が違いますけど、
そういう時に別に僕は嫌だとか思ったことはない。
一回もないし、
逆に言うと、
どういう意見でも、
それは違うわっていうこともありますよ。
だから喧嘩っていうよりも、
意見の相諒みたいなのは割とあるというか、
そんな好きなんだとか、
別に馬鹿にするわけじゃなくて、
自分は別にそこまではないわっていうのでも、
好きなら別にいいんじゃないっていう、
対話みたいなのがあったような気がします。
まだ、すいません、
亡くなってないですね、
現在ですけど、
しゃべりも変わんないですね、そんなにね。
おかげさまなのか分かりませんが、
という意味で、
よくも悪くも、
なんでそう思うのか、
なんでそうなんだみたいなことを、
常に言われた気がします。
別にそれを、
親の疑問とか、
親が言ったこともしくは、
親が見てきたことに対してどうこう、
いう別に分析感ではもちろんないし、
そういう軍師ではもちろんない、
軍って分かってはないですけど、
ないんですけど、
ずっとそれ言ってた気がします。
本当に脚色なく。
なんでこんな風なんだろうね、
ってことを言うわけです。
親がね。
もしくは、
どう思うかって聞いてくるわけです。
なんでこんな感じなんじゃないのとかね。
それはどっちかというと、
考えもそうだし、
人の心理もそうだし、
ここがすごく大事だと思うんですが、
伝わっていると嬉しいんですけど、
僕がそういう人だからそう思う、
僕がそういう人だからそう思うわけじゃなくて、
分かります?
例えば僕って、
ちょっと思考の話なんで、
辛いもの好きだったらごめんなさい、
って感じなんですけど、
カレーですごい辛いのとか、
別にそんなに食べれないし、
好きでもないんですよ。
当たり前ですけど、
だから辛いものを食べる人がダメとかはないんですよ、
もちろん。
好きだからいいですよね。
これ分かります?
ただ、
生活上、
辛いものが好きな人は、
やっぱり辛いものが好きな人同士で
ご飯に行きやすいじゃないですか。
例えば、もっと違う言い方をすると、
アレルギーがめちゃくちゃあって、
なかなかいろんなものを外で食べられない人は、
やっぱり機会が減るじゃないですか。
だからそれが悪いとかいいとかじゃないんだけど、
そういう時に、
カレーの話で辛いものを食べる人がいて、
リスナーの方もそうかもしれませんけど、
今マラタン流行ってるんですけど、
流行りは置いておいて、
じゃあマラタン行こうよって言われた時に、
食べれるなら行くんですけど、
辛すぎて食べれないなら、
もうちょっと1回付き合って、
ちょっとすみませんって感じになりますよね。
そういう時に、
マラタンを食べる人っていうのが、
言い方はちょっとよくないんですけど、
人じゃないと。
なんて思ってないですよ。
でももちろん食べにはいかないですよ。
だけど、
違って、
でももちろん食べにはいかないですよ。
だけど、
違う考え方や意見ということで、
違う思考があるよねっていうことは、
受け入れるわけです。
ゆえに、
何が言いたいかっていうと、
話戻すと、
僕は辛いものがあんまり好きじゃないんだけど、
辛いものが好きな人は、
意見を持つ重要性
こういう風に考えるんじゃないか。
別に辛いって、
自覚で甘いものが好きだったら、
甘いものを好きにどんどん食べに行くっていうのって、
理解できませんかっていう。
自分ではない人のことを想像して、
その人はどうなんだろうねっていうのは、
割と普通に考えるわけですよ。
ここ伝わりますか。
別に自慢してるとかそういうことじゃなくて、
そういう環境であったという理解でいいですか。
だから別に、
いろんな人がうちに訪ねてきたとか、
そういうわけじゃないんですけど、
少なくとも僕は興味があったっていう感じですか。
なんでこういう人がいるんだろうみたいなことばっかり考えて、
たかもしれないです。
もしかしたら。
だから僕自身は高校の頃は手術学とか、
そういう領域あるんだみたいな感じで、
心理学とかあるんだってことで、
大学は心理学勉強しましたけど、
結局勉強しようが学ぼうが、
別に心理学学んでないから、
人間の理解が浅いなんてことは全くなく、
別に学んでなくても、
毎回考えて、
こういうこと言ってくる人って、
こういうのあるよねっていうパターン化したり、
仮説されたり、
なんでかってことをやっぱり、
深息をとことん考えていくと、
やっぱり性格だけで説明ができなかったりすることもあるし、
個人のね。
僕はどちらかというと社会、環境側ですよね。
人の、
周りがみんなこうやってるからっていう風にして、
影響を受けやすいんじゃないかって方に、
やっぱり興味があるんですよね。
未だに。
だから、語話理説ってことで、
個人の努力で何とかなるっていうのも、
なんか8割とかね、
9割で見積もる方いらっしゃると思うんですけど、
それって多分ね、
違うんじゃないかなと思ってて、
周りに、
だから今言ってる考えるとか意見の話も、
周りに誰か1人でも話してる人がいたら、
もうめちゃくちゃバフっていうんですよ。
強化されると思うんですよ。
でもそれがいないと、
めちゃくちゃそのしんどいというか、
大変になるというか、
社会環境の影響
なんかそれをうまくSNSとか、
このポッドキャストもそうですけど、
うまく使えばいいんですよ。
道具としてね。
じゃないと、
ハマっちゃって、
ダラダラなんかレコメントされたやつを見るって。
それでね、
このポッドキャストが上がってきて見られたら、
それは嬉しい部分はあるんですけど、
まあまあまあ、
そこまでガッツリしなくてもいいんじゃないかなとは、
思ったりします。
すみません、ちょっと自分語りが長くなりましたけど、
そういう意味で、
毎日じゃないけど、
これはなんだとか、
感情が出てくる。
もしくは、それが出てこない人は、
都会でいろんな音が聞こえるから耳を塞ぐじゃないけど、
全部音をカットする。
聞こえてるんだけど聞こえてないみたいになっちゃってて、
大変なんだと思います。
それでそのように、
自分の意見とか感情も塞いでしまうと、
多分出てこないです。
そんなの意味ないよねみたいな。
やっても意味ないよねとか、
そういうことって別に、
気づかなくていいよねって。
それは、
少なくとも、
どういう仕事をやるとか、
どういう風に生きるかとかによるから、
別に僕から何かこうしろああしろってないんですけど、
少なくとも、
クリエイターみたいな人で、
自分で何か作る人は、
そこにやっぱり鈍感である人は、
ちょっと厳しいかなって思います。
気づかないっていう。
まず人の感情じゃなくて、
自分の話ですよ。
それを気づいて、
こうなんだ、ああなんだって言えなければ、
何も出てこないと思うんですよ。
本当に。
クリエイターにならなかったから、
別に何も気づかなくていいよねって言うと、
どうなんだろうなっていうのもあるんで、
気づけばいいってわけじゃないんだけど、
気づかないのもどうかなっていう話になってくると。
それを敏感鈍感って言うと、
敏感な人はちょっと気にしすぎだよって言われるし、
鈍感な人はちょっと気になさすぎでしょってなってきて、
それも相対的なものだから、
個人コミュニケーションする、
関係する、
職場だったり関わる人とのやりとりでなるから、
絶対的に敏感である、
絶対的に鈍感であるっていうことは、
あんまりないんですけどね。
そういったことを断った上で、
自分が気にしたこと、
気になったことっていうのは、
書き出したりしてメモしたり、
メモするってことは自分でもできるじゃないですか。
気づいてたら書けますよね、
気づいたことって。
メモする習慣も必要ですよね。
そこはカジュアルに頑張ってやるしかないっていう、
本当にそうです。
気づいたことを誰かに言うことができれば、
SNSしかり、
ブログしかり、
ノートでもいいですし、
こういうポッドキャストでもいいですけど、
話していくことがいいと。
クリエイティビティの発展
当然ですけど、
書いたり話したり、
なんか聞いて、
リアクションフィードバックとかを受けて、
言っていくときに、
例えば僕が個人と社会環境の努力ですよね、
自分で何とかしようとしても、
多分5対5じゃないかと。
個人がどれだけやっても、
その人の才能が優れてるから、
ゆえに認められるか、
うまくいくかって言ったら、
社会側が認めないと、
誰かが認めないとダメじゃないですか。
だから5対5なんですよね、
僕の中ではね。
どれだけ良くないですか?
僕があんま好きじゃないやつで、
アイデアがあってもやらなかったら意味がないっていう。
分かるんですけど、
分かるんですけど、
でもそれって、
やるじゃないですか。
やったら認められるのかって話でいくと、
アイデアを考えてやっても、
別にそれがハマらなかったら、
要は、そんなのあったの?とか、
別にそれ今違うよってなったら、
もう終わるじゃないですか。
一旦ね。
一旦終わるじゃないですか。
そういうときに、
じゃあうまくいったよって言ったときに、
それも誰かが認めてくれるからじゃないですか。
個人が、自分が、
例えばこのポッドキャスト、
すげえいいなって思ってても、
リスナーの方とか聞いてくれる方が、
いいなと、
心の琴線ですね。
琴線じゃなくて琴線。
たまに間違える方いらっしゃると思いますけど、
その琴線ですね。
本当に琴ですね。
琴線じゃないけど、
触れることで奏でられる、
何か心のメロディみたいなのが鳴ると、
本当に、
琴がなければ、
聴いてくださらないわけです。
何か攻撃されたとかね。
何かこの話聞いてると、
すっげえ攻撃してくるとかね。
攻撃したことはないんで、
振ってることはあるけど、
それであんまり気乗りしないテーマだったら、
もう閉じていただいて、
何かちょっと面白そうだなと思ったら、
ちょっと聞いてみるかっていう。
本当にそんなんです。
本当にそんなんに賭けてやってるわけですね。
それが広がっていったら、
支持されたみたいな感じだし、
広がらなかったら、
そこまでだったって別にね、
1千万、3千万、
10億の人が聴いてくれるとかいうことは、
多分厳しいでしょう。
それはわかってます。
だけど、とはいえ、
1000人とか、
1万人とか、
それって絶対無理かって言ったら、
やり方じゃないですか。
その数を達成したから、
全部いいってこともないじゃないですか、
別に。
全然、
ポコポコに批判される、
怖い人たちがいるって、
また嫌じゃないですかね。
そんなん望んでないし、
また、
そのウサ晴らしに来てもらっても困るんで。
それは選びたいですよね。
お互い様ですよね。
リスナーの方も選んでるし、
僕もリスナーの人を選びたい。
だけど、順序があって、
パーソナリティ側が発信する、
コンテンツ作る側、
クリエイター側が出して、
初めてそれでやる。
出す前に、
信頼を得てとかっていうのは、
どうです?
なかなか難しいですよね。
それが一定に溜まったら、
何かあるかもしれないけど、
まだまだ、
そんな世界ではないかなと思ってます。
そういう繰り返しをしていくことで、
意見を言うと。
意見を言っていって、
量を重ねていくと。
例えば今日、1日だったら、
意見言う機会ありました?
もしくは、意見が出てきたときありました?
求められることありました?
それを聞くんだったら、
この人はこういう考え方なんだっていうのが、
インプットされるじゃないですか。
別にそれはニュースとか本とか記事でも、
何でもいいんですけど、
たまたま見てたやつでも、
たまたま街を歩いて気づいたことでも、
何でもよくて、
あと感情はどういうものが起こりましたか?
それを記録したり、
日記でいいんですよね。
自分が書くこと。
何があってどう思ったかっていう。
あったことだけ書いたら、
多分朝起きて、
スマホを見たっていう、
何も情緒もないんで、
感情を入れてくださいね。
感情を入れてください。
情緒です。
小説のようにきれいに書く必要はなくて、
何を感じたんですか?
何を見たんですか?
何を思ったんですか?
それがめちゃくちゃ大事です。
っていうことを僕は、
違和感とかってことで言っているだけなんですね。
言ってるだけです。
それに気づいて書いてる人は、
書いてるし、
何か面白いんじゃない?って言って、
予測立てて推測させてやると。
その精度が上がってくるから、
面白いものになりつつあったりする。
だけど、
これはめちゃくちゃ失礼な言い方なので、
怒られるんですけど、
特定の人はあげないですけど、
漫画家さんとかで、
漫画家の人のヒットしたやつ見るじゃないですか。
売れたやつ。
面白いなと思って、
今までの作品を見ると、
結構似てたりするじゃないですか。
作品の作風とか、
作品のキャラクターが、
売れた作品のサブレでできたりとか。
じゃないと、
いきなり書けなくないですか。
つまり、
音楽とかも似てるじゃないですか。
別に似てても好きっていうのはあるからわかるんですけど、
同じようなメロディー、
メロディーラインもしくは、
雰囲気とかリズムとか歌詞とか、
わかりませんが、
出てくるじゃないですか。
意見を持つ重要性
嫌いというわけじゃなくて、
好きだったら大体全部好きになっちゃうわけですけど、
バンドとかアーティストで、
今まであった積み重ねがあって、
そういうのを出してるのが、
普通にあるから、
それを出したら上手くいったというか。
だからそれが、
売れるまでっていうとちょっとメジャーとか、
そういう風に言いがちですけど、
その人に認められるラインっていうのは、
何にするかですよね。
周りの人に認められてるっていう風になったら、
認められるわけですよ。
多くの人はね。
それに欲を持ってもっとやりたいっていう人は、
もっとやるし、
いや、これでいいやって、
で、
僕もそのすごい欲をね、
グリード、
音楽みたいな感じにしてね、
剥き出してやるってことはほとんどないんですけど、
考えることとか、
学ぶとか、
意見を言うとか、
それは全部アイディアと言ってもいいんですけど、
なんかもうちょっとやれんじゃないかなっていうのを、
前ですね、
対極感とかですね、
ある方に知った激励を受けたって話をしたんです。
対極感で検索してもらったら、
多分出てくるんですけど、
そうだなーみたいな思ったときに、
もっとやっていこうよっていう、
そうそうそう。
だから違和感発想とか、
今は違和感お城トレーニングみたいなこと言ってますけど、
何でもいいんですよ。
それ何でやってるかって言ったら、
シンプルで、
今回の話と一緒で、
もっと考えませんかって。
もっと考えませんかってちょっとウザいじゃないですか。
言われてね。僕も言われたらウザい。
だから、それは直接言わずに、
考えるって楽しいんじゃないっていうことなんですよ。
楽しくないですか。
で、それが、
自己発見、自己探索、
自分探しブームはもうないと思いますけど、
就活生とか転職活動する、
進路を決める人だけの、
ただの取り組み活動ではなく、
全然自分が常に、
毎日考えなくてもいいんだけど、
何なんだろうね、
こういう感じで思われてるけど、
ちょっと違うなーみたいなのって、
しょっちゅう思うわけですよ。
もしくは常に思ったりする、感じたりする。
そのときに、
何か言ったり、
何かやっとけば分かりやすいし、
そもそも考えていれば、
そこで対応ができたり、
もしくは、
いや、それは今そういうふうに言うんだけど、
今じゃないんだよね、
っていうようなことが言えたりする。
これ、今じゃないっていうのがすごく大事なんです。
ってことは、後に聞いてくるんじゃないか。
もしくは、今のすぐ結果が出るために
やってないんだよとかね。
そういうことが立ち回りができるんですよね。
これが、考える上の多分最大の、
メリットって言ったらおかしいんですけど、
強さなんじゃないかなと思います。
その反射で対応せずに、
目の前のことじゃなくて、
中長期で構えられるから、
余裕ができたり、
その、何だろう、
追われないって感じですよね。
分かります?
もしくは自分が追う立場になるというか、
もしくは自分のペースで決めれるという。
それはものすごく、
僕からすると自由な感じです。
自分で選択肢があり、
それを自分で決める。
でも、この選択肢があるっていうのも、
選択肢を作っているならそれでいいんだけど、
実はその選択肢は用意されていて、
選ばざるを得ない。
選ばざるを得ないものを選んだら、
相手に対応されて、社会に対応されている。
もしくは、それはすでにあるから、
慣れない人の課題
別にもういいよと言われているってね。
だから選択肢を作るってことは、
アイデアを出すってことでもあるし、
自分の意見を出す、作るってことなんですよね。
その時に、なぜか慣れていない人、
当たり前ですが慣れていない人っていうのは、
考えたり意見を言ったりすることを、
していない人になるんですが、
一発ですごい良い意見とか、
もしくはすごい狙われたものを
言わなきゃいけないとか、
変なこと言っちゃいけないとかね、
の人が多いんです。
なぜなら慣れていないからです。
それはもう、
芸とかスポーツとか、
格闘技じゃない、ごめんなさい、
運動とかね、
何でも一緒です。
漢字でもいいし、言語でもいいし、
習うのと一緒です。
だから最初にペラペラして、
喋れる人いないじゃないですか。
最初からバッティング上手い人なんかいないですよね。
すぐ上手くなる人とかもちろんいると思いますけど、
その差は置いといて、
別にプロになれなんて話じゃないですから、
なんかもっと楽しめるよね、と。
考えとか意見とか。
そこはですね、
もうね、
聞いてる方にすらも方で、
なんで僕がそんなことをずっと言っているか、
言っていないかっていうのが、
一番、
僕がそんなことをずっと言い続けていたいかは、
もちろん分からないというか、
リスナーのあなたからすると、
いや、そこまでないかなっていうのは分かるんですよ。
僕も別にそれを求めているわけじゃない。
だけど、
一部でいいというか、
一つでいいので、
うまくこういう考えとか、
あるものを使ってもらえればいいかなっていう風な感覚です。
だから、
これも別に期待していないというよりも、
別に僕と同じように考えるなんてことは全然思っていなくて、
もう本当に心から。
だけど、
全部じゃなくていいから、
10分の1とか100分の1でもいいから、
自分の意見をメモするとか、
そんなんでいいんです。
そんなのでも十分というか、
することで変わってくるんですよね。
っていうところは、
言いたいっていうね。
間違えるというか、
パターンのところでは、
自己啓発みたいになっちゃう部分もありますが、
自己啓発はダメでもないと思うんで、
自分がどうしていきたいかってところと、
何かやっていかなきゃいけないなってときに、
やっぱり意見、考え、
アイディアみたいなところですけど、
量ですよね。
一個でもいいからとりあえず出す。
最初はね、
出していって、
それを考える癖をつける。
意見を言う癖をつける。
意見をメモする癖をつける。
そこからかなと思ったりしました。
で、そういうことを、
多分振り返って、
僕は手前無双な部分は持っていない。
もちろんありますが、
していたんで、
考えがある人よりある程度、
人よりある程度ですよ。
誰かと比べて、
IQがどうとか、
そんなの分かんないし、
置いておいて、
なんでこれっておかしいと思わないの?
みたいなときに、
おかしいと思っても、
おかしいかな?ぐらいで、
止まったり、
口に出すスピードが遅かったり、
本当に0コンバなんで、
15フレー遅かったら、
もう次の展開が変わってますよ、
みたいな話で、
それが遅いと反応できなかったりするし、
だから別にそこで声を大きく
言わなきゃいけないってことではないんですけど、
出てこないってやつですよね。
慣れてないから。
寮をこなしてないから、
本当に出てこないとか。
それを、
あわよくばでも、
ごめんなさい、
人の人、僕よりも個人の、
才能ってことで、
先天的なものっていうふうに、
もしかしたら思われる人もいてもいいんですけど、
うーん、そうでもないかな、
みたいな、
考えて何かやってきたっていうところがあるんで、
そこはもう知らないなって思います。
それを人がどう見るかは分からないけど、
僕はそういうふうに、
考えて、意見して、
何かやっていこうがいいかなっていうところなんですよ。
だから、学校教育の集団教育っていうのは、
基本的には、
僕は不登校するとかっていうのは、
なかったですけど、
処理が合わないですよね。
ご察しがいい方は分かると思いますけど、
無理ですよね、そうなんで。
で、そういうときに、
社会に適応できないんじゃないですか、
みたいなことを、
どういう人が聞くかによるんですけど、
20代で社会に出ていない人とか、
若者ですよね、
20前半のね、
じゃなくてもいいですけど、
これから社会に出る人が、
年齢関係なく思うのはいいんだけど、
それもあるんだけど、
その小集団とか、
そこの中で適応していくのは、
全然できると、
全然できます。
っていうのをやったことない人がやってたら、
会社員を一応、
プログラマーでありますが、
やってましたんで、
そういう人ができて、
日常からの実践
後から考えると、
個人事業率に近いというか、
職業プログラマーというね、
やゆるですよね。
そういう人が多いと思うんで、
全部プログラマー的に回してるかもしれませんが、
まあまあいいでしょう、
過去そうだったんで。
なんていうんだろう、
職人みたいなのがあって、
大工さんとかって感じですか、
だからフリーランスの人もいるし、
フリーランスじゃない人は、
所属はしてるけど、
そういう立場だよねぐらいで、
割とそこまで、
やることがやっぱり技術だし、
プログラミングとシステム作るし、
そこに向かっていく感じっていうのは、
未だに全然僕は嫌いじゃないんだと思います。
やりたいというわけじゃなくて、
その感じ、プロジェクトあってやっていくっていうのは、
良かったなと思います。
そういうチーム作れるなら、
ありですけど、
結構ですね、フリーランスとか、
もしくは、
そういうチームをいい感じで作れるのって、
聞いたことないですね。
本当に出版とか、
フリーランスが入ってるところで、
でもね、下請けだとか、
立場弱い人をいじめるみたいなのも、
あったりするし、
なかったらいいんですけどね。
あるからねっていう。
あと、そういうIT業界とかね、
割と若い、新しい業界的に、
IT業界って、
そういうところのほうが、
今っぽいですよね。
電動作業がダメってわけじゃないけど、
そういうところであれば、
そういうプロジェクトができたりするっていうのは、
確率的には、
多分、合ってると思います。
そんな感じでした。
簡単にまとめますと、
毎日、一日、何回でもいいんで、
ない日もあってもいいんですけど、
気づいたらメモを取るとか、
感じたことを誰かに言ってみるとか、
意見をぶつけてみると。
意見を表現する大切さ
意見というとね、
政治家とかね、
私たちは、
私たちは何かやらなきゃいけないんだとか、
主張し始める人はいるんですけど、
それも一つなんだけど、
別にね、
もっと緩くていいというか、
わかりますよね。
だから、そこがですね、
伝わらないんですよね。
量というか、いろいろやってないと。
例えば、ポッドキャストって、
ラジオ的なやつですけど、
流行ってるというか、
市場的にはどんどん広がってるんですよ。
地味にね。
何だろうねとか、
それは何でだと思うとか、
そんな感じです。
答えないですよ。
だけど、振られて、何でだろうなって。
別に、YouTubeあるし、
TikTokとかあるしね、
今は若者BDRですか、
わかりませんが、
そういう流行ってたり、
ネット見てとか、
グラデもね、
ネットフリックスとかね、
あんまりやめましょうね。
位置、姿勢の人ですよね。
社会に生きる一人の人、
僕だけじゃなくて、
いろんなポッドキャストやってる人いると思いますが、
登録してって、話をしてって、
するのか、それを聞いてるのか、
不思議だと思いますが、
面白いとか、いいよねっていうのも、
僕もわかるんで、
聞いてる人もいますから、
いいよねって。
そういう出会いというか、
ご縁みたいなのを大事にしていけたらね、
いいかなと思います。
というところが、
そういうポッドキャストがあるのかなと思っています。
僕は、
何か言いましたけど、
触れましたけど、
人の意見とか人の考えを聞くのが好きですね。
それをわからんなっていうのももちろん含めてですけど、
それが自分にとって心地よいから聞くっていうのは、
わかんないです。
攻撃されなければ別に、
あんな変な気持ちにならなかったら、
別にいいかなとは思いますけど、
そんな感じで、
ぜひですね、
このポッドキャスト聞いてる方は、
すごくやられてたりする人も多いかもしれませんが、
改めてですね、
初めて聞いたりとかっていう人で、
自分の意見があんまりないなとか、
自信がないなっていう人が多分いたりすると思うんですよ。
意見に自信があるとか考えに自信があるというのは、
ちょっと変なんですけど、
自信なんて別にあるって言えばあるだけなんで、
本当に理屈では。
自信を持つための練習
その時に、
自信を持つというか、
多分それって練習量だと思うんですよ、
シンプルに。
練習というのは、
普段から気づいたことを話す、
書く、メモする、
それをやっていくうちに、
どんどん言ったり聞いたりっていうのが、
別にそこまで苦痛でもないというか、
それを披露すると言うと変なんですけど、
でもそういう友達が一人でもいるとか、
ネットでもいいと思いますけど、
どんな関係でもいいので、
うまく場があったりしていくのがいいんじゃないかなと思います。
そういう意味では、
私国立スペースって、
自分どこでもやってますし、
それはたまたま仕事に結びつけていくってことがいいと思いますが、
別に無理してね、
取り組みだから、
自分なりのやり方でいいんで、
かつ間接的なんで、
いろんな人が関われるような風にしていくということを、
今年も来年も言い続けていくし、
それいつまで言い続けるかちょっと分からないんですけど、
やっていこうと改めて思いました。
ぜひ、そんな感じで気づいたことを書くとか、
最近やってないなと思った方がいらっしゃいましたら、
書いてみてください。
でもやられている方はどんどん、
それでもう充足されたらそれでいいし、
もっとやっていきたいんだったら、
もっとやられたらいいっていうね、
当たり前なんですけど、
やられたらいいんじゃないかなと。
僕もやっていきたいと思うので、
どんどんやっていきましょうというわけで、
今回は以上となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。