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2026-10-26 14:48

EP238 バラバラな世界で共に生きる PART3

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## とりあげた本


朱喜哲『バラバラな世界で共に生きる リチャード・ローティの哲学』2026 NHK出版


## mixi2


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## ShowNote

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感想

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00:07
スピーカー 1
そうしてると、結局我々はどうやって連帯していくんですかね、みたいな話になっていくわけですよね。
スピーカー 2
連帯っていうのが同じ言葉を使ってるとか、同じ〇〇であると目指している状態でいいんだっけって話にもなるだろうし、
その定義を考え直すとしたら、じゃあ連帯してる、してないによって生まれることの違いってなんだっけとかにもなっていくわけですよね。
スピーカー 1
そうですね、そうです。
スピーカー 2
この本の中での説明だと、ローティ的には連帯はどうしてるんですかね、この章だけ話してるの?
スピーカー 1
そうですね、4章がそういう感じになってますね。
で、多分この連帯っていうのを人間に共通する本質みたいなものを発見して、
だから我々は同じ種なのだ、我々というものなんだっていうふうな考え方ではなくて、
我々と呼べる範囲を広げていきましょうねっていうようなことをこの本では言ってるかなと思っていて、
じゃあその我々をどうやって広げていきますかって言った時に感情の話をしてますね、共感とか感情教育とか。
スピーカー 2
これがあれですね、冒頭でチャットGPTが言ってた、
哲学だけでなく小説や物語が私たちの想像力を広げる力を重視した人ですって言ってるやつですね。
スピーカー 1
そうですね、この本の中だとアンクルトムの小屋とかレイミゼラブルとかロリータとか1984とか色々挙げたりはしてるんですけど、
結局他の人のことを想像するって理解するとか、残酷さみたいなものって理解するってなかなか難しいんですよね。
目の前の人のことすらよくわからないってなるのに、そういう人が何を考えてるかとかもわからないし、
ってなった時にどういうものを手がかりにするかって言ったらフィクションってものを手がかりにしましょうっていうようなことを言ってますね。
スピーカー 2
それでいいんだっけみたいな気持ちになりませんでした?ここら辺。なんか急に実践的すぎるというか、何だろうな、アドバイスみたいだなと思って。
本当に必要なことっていうよりかは、これだったら実践できますよねみたいなアングルで急に語られてないっていうちょっと違和感を覚えたんですよね。
スピーカー 2
いやだって小説とかフィクションを書いてるのも言葉を使ってる人間だしなとか、いろいろ思いに。
03:00
スピーカー 1
そうですね。なんかでも自分は逆にその、なんていうか、やっぱ全然わからない人のことを理解しよう、わからない人のことを理解するんだっていう、
直接その小説の中に出てくる人を理解するっていうよりも、その小説の中にこういう人が出てくるんだということは現実にもこういうような人がいるんじゃないかとか、
こうではないかもしれないけどこれに類する人がいるんだとか、こうじゃなかった世界線があるかもしれないとか、
スピーカー 1
そういうことによるそのフィクションというものの構造によって、世の中をもう一回見直した時に見方が変わって、
もしかしたらこう、いろんな人と連帯する我々、もしかしたらこの人は今までずっと敵だと思ってたけど、
違う構造を持った同じようなものに苦しめられている仲間だったかもしれないっていうふうに見て取れるようになるんじゃないかなっていうふうに読みましたね。
スピーカー 2
すごい、アラインドで聞いた話だ。
自分以外の語り手によって描写されている何かに触れれば一旦それで良いのか。
スピーカー 1
なんかもしかしたら、この本の中とかでも126ページなんですけど、手元のページだと小説やレポルタージュを読んだりすることによって変わり得るものですっていう、
これはたぶんローティーじゃなくて、じゅうさんの方が言ってる可能性はありますけど。
ここは終わりにのところですね、126ページ。
スピーカー 1
そうですね。
なので、だから結局、自分の見てる眼鏡以外のものを目を必要とするような状態になれば、
他人の視点というものを手に入れることができて、それによってうまくいくんじゃないかっていうようなアイデアなのかなって思って、
自分も結構ノンフィクション、ルポみたいなものを、しかも全然自分が普段接しない世界みたいなものをある時期すごく極力読もうと思ってて、
それはやっぱり全然自分が見てる世界って狭いんだなっていうふうに思ったから、読もうって思ったっていうのもあり、
ここはすごく共感するっていうか、そうだよねみたいな気持ちになりながら自分は読んでましたね。
スピーカー 2
そうか、フィクションに書いてある世界から美しいものとか正しいものっていうのを探そうとかっていうスタンスでは全くないですもんね。
教養を身につけることが重要だみたいなことを言う人は、それによって世界の真実に近づくんやみたいな、両派の人たまにいるじゃないですか。
06:00
スピーカー 1
いますね、いますね。
スピーカー 2
そうじゃなくて、あくまで自分が見てるものの見方、この世界観とか、どういうふうに何かを捉えて説明してるかっていうのを、
なんか刺激を与えると揺さぶったりとか相対化できれば、一旦それでOKみたいな感じか。
だからさっきのアイロニスト的な立場を実践しようぜって話になってきますね、たぶん。
スピーカー 1
そうですね、そうですね。ある種残虐なことを書いてる小説とかフィクションみたいなものがあったときに、
それはじゃあダメとかいうことはたぶん絶対なくて、そこに残虐さがあるんだっていうことから、
じゃあ我々はその残虐性に抗うためにはどうしたらいいんだろうかとか、こういう条件を置かれてる人がいるんじゃないかとか、
もしかしたら自分って今そういう状況にいるんじゃないかとか、っていうようなことから得られればOKっていうふうなことかなと思いましたね。
スピーカー 2
確かに、昔、強悪殺人犯なのかな、ドキュメンタリーとかノンフィクションノベルを学生時代に読んで衝撃を受けたというか、
犯行現場だけ見せられたら、そういうキャラクターがいて動いてるようにしか見えなかったのが、犯行の前後とか確かいろいろ書いてあって、
そういうのを見て、あれこいつも人間なのか、人間ってこういう可能性もあるのかみたいな思ったりとか、弱だったかもしれないってやつですよね。
スピーカー 1
そうですね、本当にそれは描写の仕方一個で、それやっぱり全然人間に訴えられるメッセージって変わるし、
映画とかもどういう順番で映すかによって、見てる人にどういう気持ちにさせるかって全然変わってくるみたいなことがあって、
なんかこれは昔歌マラのラジオで逆音科の人が言ってたのが、松岡修造がすごい大きいカニですねって言って、
カニを持ち上げて映してると、すごいこのカニおいしそうだなって見えるけど、そのショットの前にカニの親子を映して、
お母さんお母さんとかって言って、今日はどこに行くのとかってシーンを描いて、その後にそのカニが引き上げられるようなシーンを描いた後に、
スピーカー 2
そのさっきの松岡修造のシーンを持ってくると、なんでこいつは残酷な奴なんだみたいな風に見えるっていうようなことがあって、
スピーカー 1
これってやっぱりちょっと見え方を変えるだけで、こんなにも変わるんだっていう風になるんで、
09:00
スピーカー 1
同じことで描いて、同じショットなんだけども全然意味が変わってくるっていうのがあって、
だからそれってやっぱり、何ていうか、ただそれを、現実の何かを見ていればいいのかっていうと、
どういう風にこの作者が見せたいと思ってるかとか、どういう風な視点を入れてるかっていうところまで考えていくと、
自分たちが思ってる常識って全然常識じゃないんだなっていう風なことに気づけるんだろうなっていうのを思いますね。
スピーカー 2
そうですね。いやー、そうだよな。いろんなものに触れていって感性を鈍らせないのが大事なんだろうな。
逆に人間に本質があるとか絶対的な真理みたいなものがあるっていう立場だったら多分そんなことを言わないですもんね。
漫画なんて役に立たないんだから読んでないで、伝学に励みなさい的な。
人間とはこうあるべきなのでこうしなさいみたいな話をずっとして、そのあるべき姿にみんなを整えて、
スピーカー 1
君たちはこういう本質的なものなんだから絶対繋がれるはずって言って縛り付けようとするんだけど、
何かやってもうまくいかないねっていう風になっちゃうんだろうねって思いますね。
スピーカー 2
なんかこの章でハイライトつけたところあったんだよな。どこだっけな。
あーこれか。連帯は人間らしさという本質を基礎として成り立つのではなく、
人間性の塊として私たちがたまたま持つようになった執着の語彙によって感じられるということですって書いてあって。
これがいろんな物語に触れる、物語っていうか創作物かな。
自分で語彙を選んで描写されたものに触れる必要があると思うんで。
創作物に触れましょうって言ってる。創作って言っても別にフィクションじゃなくて映像作品とかの編集されたものであればいいと思うんですけど。
作意が固まってるものならいいと思うんですけど。
偶然性によってではありつつですけど、その人というか他人が獲得した執着の語彙っていうのがあるはずだから。
そこに垣間見えるものによってこの連帯っていうのが生まれる。連帯が生まれるっていうか共感できるとか連帯感が得られるみたいな話かなという気はしつつ。
だから素敵なこの人の生き様好きだなとかこの人の文章好きだなみたいなことを感じると連帯に繋がるみたいな話やなって思って。
12:02
スピーカー 1
そうですね。自分もそこを付箋張ってて。やっぱそうですよね連帯はっていうところから。
自分はその後後ろの方もいいなって思っているのがローティのカッコつきの連帯っていうのは現代社会を覆う文壇や文曲家を克服するものではありません。
スピーカー 1
何の本質も共有しないバラバラな私たちがバラバラなままにまま共に生きていくための精一杯のノウハウなのですっていう風に言ってて。
精一杯のって言ってるのいいなって思って。
スピーカー 1
そうそうそう。だから今まで我々そのまあいろんな視点を獲得することは大事なんやとかその作品があることによってっていうような話をしてきたけども、
じゃあそれをやってたらこう連帯がうまくいってなんかみんな仲良しハッピーな世界がやってくるんやって言ったら別にそうではないよっていうところもあって。
でもバラバラなまま生きていかないといけないけどその酷い方向にはいかないようにはしたい。
極力良い方向に行ってほしいけどもまあ良いとは何かっていうものがやっぱゲグよあっちゃうし、
でも非人間的なことはあってほしくないしみたいなところをどうにか保とうと思ったときにできる精一杯のことはこれなんだっていう風なことを言ってるのは、
すごいなんていうかやっぱクラグマティストすぎる。
なんかこうこれぐらいだったらできるんじゃないかなみたいなところに置いてるっていうのがなんかいいなって思いますね。
スピーカー 2
ここの文曲化を克服するものではないとかバラバラなまま共に生きていくっていう感じは日本人というか和製英語、カタカナのアイロニーみたいな感覚に近いですよね。
遠征的というか悟り世代じゃないですか。
スピーカー 1
そうですね。
なんかね従来的な哲学者の態度っていうのが正解見つけましょうというかベストを見つけましょうみたいなところに力を抑えているのに対して、
いやベストなんてありえないんだから少しでもいいからベタに近づけようぜっていう感じもこの文章からして、
スピーカー 2
あーなるほどねーってなってましたね。
スピーカー 1
そうですね。
でも連帯の話そんなとこなんだな。
じゃあ3部に行きます?
スピーカー 2
そうですね4章が終わったら3部か。バラバラなまま共に生きるですね。
14:48

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