## とりあげた本
Jean Lave, Etienne Wenger『状況に埋め込まれた学習: 正統的周辺参加』1993 産業図書
## mixi2
https://mixi.social/communities/513e0bc9-582b-4962-a9c1-c5c076175e08/about
## ShowNote
https://gennei.notion.site/EP229-PART2-3e2c645d491180428283dfc6539a6f92
感想
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サマリー
この回では、LaveとWengerの『状況に埋め込まれた学習』をもとに、「正統的周辺参加」の三語を分解して検討する。正統性は、コミュニティで役割を持ち、会話や情報・道具にアクセスできるメンバーとして認められることを指し、周辺性は劣った外側ではなく、中心へ向かう単線的な序列を前提にしない。参加も仕事をこなすことに限らず、観察、質問、会話、道具の利用などを含み、新参者の参加によってコミュニティ自体が学習し変化する相互的な関係として捉えられる。
正統的周辺参加の三つの意味
正統的周辺参加の話する材料は揃ったんじゃないですか、これで。 そうですね。
正統的周辺参加が一番難しい気はするけど。 うん。そうなんですよね。なんか、正統的周辺参加ってこう、3つの単語とかに分けられそうだなと思うんですけど、正統的って言われても、正統的、周辺、周辺ってことはなんかこう、周りにいるんでしょみたいな。
で、参加って、まあ参加は参加かみたいなことを思いながら、じゃあ正統的周辺参加ってくっつけられると、ああ?みたいな気持ちになるんですよね。こうバッと最初読むと。
で、なんだっけな。正統的、正しいに伝統の等ですね。正統の反対はなんだっけな。正統とか周辺の反対があるわけではないんだよみたいなことをどっかで言ってたんだよな。まあ、いっか。
正統的であるっていうのは割と、これをそこにいてもいいという感覚みたいな。認められてそこにいることみたいな話があって。
だからそのコミュニティの中で、役割とか仕事っていうのがあり得る状態とか、コミュニティのメンバー、成員っていう言葉が出てきてたりしますけど、なんかそのメンバー同士との会話に参加できたりとか
そこの中で必要なリソース、情報でも道具でもそうですけど、そういうところにアクセスできるっていうのが正統的って言ってますね。
だから何だろう、単純な工場見学とか部活見学みたいな、ただそこにいるだけっていう感じっていうよりかは、
一メンバーとして認められてる、期待されてるって言うとちょっとニュアンスずれるかもしれないんですけど、見なされてるみたいな感じかな。
そうですね、そうですね。
中心のない実践共同体
周辺が一番厄介なんじゃねえかって思うんですけど。
そうですね。
これ諸説あるなーって思ってみて、よく調べたらこれ書いてる人が後で言ってること書いてる感すらある。
そうですね、本の中でも周辺っていうのは劣った場所とか外側っていう意味ではなくて、浅瀬でジャブジャブできるというか、
要は外から人が入ってきた時に多様な位置が、絶対ここしかないみたいなこととか、絶対的な何かがあるとか、そういうことではなくて周辺にいられるというか、
いきなりなんていうか、ここじゃないとダメ、ここ以外はありえませんみたいな、そういうようなことでもないんだよっていうような、だから多分周辺みたいな言葉を使ってると思うんですけど。
11ページ見ると実践聴動体では周辺だと指し示せるようなところはないって書いてあって、周辺っていう言葉を使ったり、書きかっこつきとはいえ周辺なんて言えるものはないんだって。
そうなんですよね。だから周辺って言葉を使うと、じゃあ中心があるのねみたいな、中心があってその周りに周辺ってものがあるはずだよねって思っちゃうんだけど、この本ではそうではないんだよっていうことをすごく言ってますよね。
言ってますね。なんか周辺って言葉は普通に使ってるんですけど、中心って言葉はめちゃくちゃ気をつけて使ってるというか、なるべく使うのを避けてるようなぐらいの気持ちには僕は読んでてなってましたね。
そうですね、なんかここの周辺中心の概念以外のとこでもやっぱ脱中心みたいな言葉も出てきたりしてたし、なんかあんまりなんかこう絶対的な何かのこの場所みたいな、真って言ってりんごの真とかの真ん中って言葉をすごく使わないように気をつけてるなっていうのは、あの本読んでるとすごい感じましたね。
そうだから周辺、周辺はある程度ニュアンス通りでいいというか、なんだOJT中にめちゃくちゃ重い重大な責任を持つ仕事をやらせないよねぐらいのっていうのを指して周辺っていうイメージそれでいいと思うんですけど、
ただこの構図として周辺と中心とかっていうのを作っちゃうと、コミュニティっていうのは中心の人のためのものというか、一つの山の頂点を目指してみんなでそこに向かうみたいなイメージになっちゃうはずで、
それで結局、なんか我々がちょっと違うんじゃないか、もっと大事なものが本当は眠ってるんじゃないかっていう学ばしを向けてた都定制度、師匠とかベテランと同じようにやれるようにしようっていう一方通行的なモデルにまた弱戻りしちゃうんじゃないかっていう危機感があって、
中心っていうのはないんだよっていうのを、中心っていうのがないというか、唯一のここが中心ですって絶対的に言えるようなもの、誰からどう見てもいつどこから見てもあそこが中心だよねって言えるような一義の中心っていうのはその実践調動隊の中には存在しないんだよっていうことを言わんとしているような雰囲気はめちゃくちゃ受けますね
そうですね、でも確かに最初はなんかそのイメージつかめなかったんだけど、一番広い共同体って何かって考えた時に社会みたいなものを考えると、社会の中心って何かって言われたら確かにないしなみたいな、で人間は全て周辺参加でありみたいな、ある種ここに参加しても良いみたいな正当的もあって、でなんか社会に参加するって言った時に働く以外にもいろんなアプローチはあるよねとか
誰かと関わりを持つことが大事かもしれないしとかっていろいろ考えていくと、なんかこういうことが言いたいのかなーみたいな、なんとなくちょっとわかるかもみたいなことは思いましたね
みんなが同じ仕事をやってるわけじゃないんですからね
そうそう、もちろんなんか切り取り方によってあるコミュニティみたいなものをパッと見た時に、ある点でこうパッと切り取ったら中心があってその辺に周辺がいるとかっていうことはあるかもしれないけど、でもそれってこう時間とともにまた中心ってものが変わっていく、そのコミュニティ自体も変わっていくだろうしとかって考えると、なんかそれぐらいな感じで捉えるといいのかなってイメージしてますね
あとなんかある場面ではその中心、ポッドクラストでカギカッコを表現するどうすればいいかわかんないですけど
ある場面ではその中心的な役割とか人物であっても、他の場面ではその人はまた中心じゃないわけじゃないですか
っていうなんかすごい流動的なんですよね、多分その中心とか周辺っていう関係性が、みんな違ってみんないい的な世界観っていうほど、なんか生優しい主張をしてる本ではないんですけど、生優しいとか言うと怒られるな
流動的で一個の点を打ってここを中心にして目指そうっていうと多分あれなんですよ、多様性が失われることをすごい危惧してる感じがして、共同体こそが学びの主体であるみたいな話をした時にみんなでここを目指しましょうってなっちゃうと本当に多様性が排除されるし
それだったら本当になんか一対多で少子と生徒っていう関係でよかったじゃんってなっちゃいそうだから、そういうことじゃねえんだろうなーって言って周辺って言ってるはず
そうですね、そうですね、そうですね
ニューカマーがコミュニティを変える
でこれで正当的周辺参加、参加ってなんだ、参加もなんか注釈入れるのか
参加って言うとそこに来て何か仕事をしている役割を全うしているみたいなイメージだけど、それだけじゃなくて観察とか会話とか道具の利用とか、作業してなくてもコミュニケーションするだけでもしかしたらそこは参加かもしれないしぐらいな感じですかね
そこにフラッとくるみたいなぐらいのイメージでいいのかなーみたいな
あとは付け加えるっていうか世界観をイメージをつかむために補足しておけると良さそうかなーって思ったのは
最初古参新参っていうニューカマーとベテランみたいな言葉はこの本の中でも使われるんですけど
ニューカマーとして来て、しかも周辺的な参加ですって言った時に
やっぱり教授を受ける、教わる人的な役割が大きいかもしれない
ギブアンドテイクというかテイクっぽい感じがするんですよね最初のニューカマーは
なんですけどこの本で言ってる参加ってニューカマーが来たことによってコミュニティもまた影響を受ける
要するに学習して変化していくものだよねっていう世界観なので
教わることが参加っていう話ではないよっていうのは一個言ってるかな
ニューカマーが参加するコミュニティ、実践コミュニティ、実践労働隊にいて
教わったり質問をしたりすること自体にもすごい価値がある
ギブアンドテイクでいうところテイクだけじゃなくてそれによってコミュニティにギブしているものもあるんだ
っていう風な感じでなんかこの参加っていうのをすごい児童的なものじゃなくて
なんかすごい総合的インタラクティブなお互いに影響を与えるようなものとして使ってる気がするな
そうですねだからまあちょっと2章の話っぽくなっちゃうけど
なんかあんまりその個人みたいなもので捉えるってよりはその周辺の環境を含め
なんていうかまるっと捉えるぞぐらいな勢いでなんかこの本はその射程に入れてるなって感じがすごいするんですよね
なのでそのニューカマーなのかベテランなのかってよりもニューカマーとかベテランとかいることによってそこどうなったみたいな
そこを見たいんだよねみたいな感じはなんかちょっと読んでて見受けられるなと思いましたね
なんかあれですよね会社ビジネスでいうと新入社員が来た時にオンボーリング資料がめっちゃ整うみたいな
それが整っていく中で見つかるあらとかもあるし
あれちょっとここなんか気になってきた気持ち悪いわってなって組織自体が変化していくとか
で何か仕組みが整ったり通常が出てくるとちょっと役割変わったりするじゃないですか
ジェンキースおじさん今までありがとうございましたみたいな話になって
あなたは明日からギターワークションズおじさんですみたいなねなったりするかもしれないし
結局そういうメンテするんかいみたいな
やっぱり経験は大事ですからね
そうですね
だいたいどう雑誌を思たせるかね全部変わるんで
だからなんか僕らはこの本丸々一冊結構一生懸命一生懸命って言っても一日ぐらいで読んでますけど
一生懸命読んだんで結構もともとなんかふんわり抱いてたこの正当的周辺参加っていう言葉に持ってるイメージ
結構変わった気はしますね
変わりましたね変わりましたねってか思ってたのと全然違うじゃんみたいな
やっぱりいいですね原点にあたると心理的安全性とかもそうだけど
言いたかったのそっちねみたいなのが知れるといいよね
でも確かにここまで読んでくるとこの本は確かにエポックメイキングな本なのかもしれないなとか
研究の文脈を全然知らないからこれがどれだけ重宝されてるかとか
それ以降の研究が変わったかとまではわかんないけども
コミュニティのライフサイクルと研究の距離
確かにこんなに丸っと捉え方を変えてものを見ましょうって言われたら
確かにこの本ってかなり重要な文脈の中で重要な本とされているんだろうなって勝手に思ってますね
だから正当的周辺参加って新人に優しくしようぜとかオンボーリングするにあたって
こういう気持ちで迎え入れて自信持ってもらいましょうみたいな
温かく受け入れましょうみたいな話なのかなって思ってたんですけど
なんかこの本ってどっちかっていうともちろん最初教える教わるっていう関係
その仕組みってどんなんやねんみたいなところから入ってるんですけど
なんかコミュニティのライフサイクルとかっていう話になっていってるんですよね
たぶんこの本書かれた時点ではそっちにあんまり重きを置いてどっぷり研究しきってなかったんだろうなっていう感じではあるんですけど
なんか要するにニューカマーが入ってきてで正当的周辺参加っていう関わり方をしていって
当然だんだんその人自身はベテランになってくるじゃないですか
ある意味旧ベテランの人たちはもうわしの居場所ないかもしれんみたいな話になるし
新しく入ってきていけてる若者はどんどん頑張っていくしっていう
なんかコミュニティってそのコンフリクトもあるよねっていった時に
そのコミュニティ自体が学習とか変化成長とかってどうしていくんだっけみたいなところで
結構眼差しを当てかけているそのコンフリクトっていうのが
学習したいっていう話
コミュニティが学習を促すような力学とそれに抗うような力もあって
コミュニティ自身共同体の中でコンフリクトが起こるんですよねっていう話までは言われてるんですけど
なんかそこから先にじゃあどうするかとかコミュニティのあり方どうあるべきかみたいな話まではちょっと
この時点ではあんまりたぶんまだまだ研究そこまで進んでないのかなっていう気がしつつ
まあまあでもスコープには入ってましたねこの本
そうですねそうですね
まだ研究だからもちろんその今のそこまでスコープに入ってないってもあるんだろうし
あとなんか研究だからあんまり価値判断してないなっていう感じがすごいあって
価値判断しませんって言うの結構態度として徹底してますしね
そうそうそうだからニューカマーが入ってきてそのコミュニティが新人大使が起きることがいいんだよとかは絶対言わないんですよね
言わないだってそれやるとねなんかこっちが師匠になっちゃうから
そうそうそうとかこう新しい人を心よく迎え入れましょうとかその周辺で参加できることが大事なんだって
その大事なんだっていうところはまではすごく言わないんだよなとか思いながら
でも原理そういうものってあるでしょだからそれを分析するための道具立てとしてこういうような考え方で物事を見てくださいねっていうところまでしかすごくやんないよなと思って
すごいなんか研究者だなと思いながらなんか普段多分我々読んでる本ってむしろグッドプラクティスというかベータなものは何なんでしょうかとか
そういうものの本とかっていっぱい読んでるからそこはすごい価値判断が入ってるものをたくさん読んでるから
それとすごい距離があるようなこの本はって思いながら読んでましたね
プラクティスの提供を目的としている研究というかこの本としてプラクティスの提供を目的としてるんじゃなくて
コミュニティとか集団組織における学習とは何かって観察するレンズを与えてますみたいなニュアンスの表現がありましたよね
ありましたありました
いい悪いの話はしないよって言ってるからすごいすごいすごいなと思いながら
このバランス感覚むず
そうですねざっくり言うと結局何が言いたいんだっけっていうのはあるかもしれない
さらーっと読み流そうとすると
そうそう人によってはだからじゃあこのいい感じにコミュニティがやっていくにはどうしたらいいんですかみたいなのを聞きたくなっちゃうかもしれないなって思っちゃうけど
いやちょっとうちそういうのやってないんでみたいな感じで断られそうって思います
そうだから問いを与えてる本なんだよな結局
そうそうそうこれそうでも新山子さんの話で言うと結構4章の締め105ページの終わりの文章よくて
言い換えると全ての人が変化しつつある共同体の将来に対してある程度を新山者とみなすことができるって書いてあって
ちょっとエモいですよねこれ
いやもうなんかある人にとってはねこんな読んだらつまり何言ってるのになっちゃうかもしれないけどいきなりこの結論だけ飛びつくとそうなりそうだけど
まあでもそうなんだよみたいなそうなんだよみたいな
そうなんだよな別にアンダーニングをしましょうっていう感じの本でもちろんないし
まあだから中心っていうのがないが故の中心が変化し続けるぐらいの感じでもいいかもしれないですけど
まあまあ中心がないという風に言ってるんで
そうなんだよな言ってるんでね
言われてるんだけど仕方ない
中心がないってことをイメージしろってあれでもいや世の中に中心があるものしか見てきてないからわかんないよってなっちゃうんだよな
コラクラCとかは中心ないじゃないですか
ああ確かにな
あれでうまくいってる会社が絶望的にないっていうだけで
でもその方式をパッと蓋を開けたら中心はやっぱ特に偏りがあって中心があるように見えるのではみたいな気持ちになっちゃったよ
実際これ実践協同体って言ってもその時々における中心はあるんでしょう
なんか話してと聞き手にその本当に局所的とか瞬間的であっても役割が偏るとまで言わなくて分配されるタイミングは絶対あると思うんで
カンファレンのタイムテーブル組んでるときに中心的に旗振りある人とかアドバイスを求められる人っていうのは絶対いるだろうし
そうそうそうだから全員がまた均一であるということでもないですからね
中心がないってなるとなんかこっちが80でこっちが20ですみたいななんか重みづけみたいになるから
じゃあ中心がないってことは全員平等なんすかみたいな感じもなんかパッと逆を行こうと思ったらあるけど
でも全員が同じ割合で同じことしてるとかそういうことでもないですからね
親さんと子さん経験を積んだ人っていう関係性というか期待される役割の違いみたいなのはもちろんありますからね
そうそう
なんかそれを取り払ってみんな平等にやりましょうよって言われたらなんかそのお前の言ってる表情的な平等は何か価値があるのかみたいなすごい別の哲学になってきそうなんで
そう
っていうような話かなあと語彙として抑えておきたいもの親さん子さんやったし生徒的周辺参加もやったし
学習もやったし実践共同体実践って言葉はそんなにあれですよね難しくないんですよね何かをやってる共同体
そうそうそうその共同体の中に参加してるぐらいな感じですよね
アイデンティティと学習
あとは何かありましたこここの単語面白かったんだよなみたいな作品を見ると肉屋とかね作品にちゃんと載っててすごいなってなったんですけど
肉屋あるんだ
肉屋あります肉屋は44ページ57ページ87ページって書いてある
これはすごいですね
で自分が面白かったっていうかまあアイデンティティとかはこの本の中ではその実践をしてる人
実践をしながらこう自分が自分をどう思ってるかとか自分はこういう人だっていう話ってよりは何かこういうことをやっている
そのコミュニティにおいてこういう役割をやってるんだっていうのが固定化されるわけでもなくその時間とかそのコミュニティの中においてどんな風に関わっていくかってことによって変わっていくっていうことが
そのアイデンティティの変化っていうものもこの中で射程に入れておかないと研究としては足りないんじゃないっていうようなことでこのアイデンティティっていうものを大事にしてるっていうのはありましたね
あれなんですよね従来的なその知識のないかとか教え込みとかっていう単語がこの本の中で出てきてましたけど
なんかの習熟するとか何かのスキル形式値を自分の中に取り入れるみたいな要するに熟達していくとか発展していく発達していくっていうのを
そういう学習ってそういうことじゃないよねって言ってしまうとじゃあ学習って何のためにあるんだみたいな
だじゃれっぽくなりますけど学習のアイデンティティクライシスみたいになるなと思ってて
学習ってじゃあ何のためにあるんですかみたいなっていう時にそのアイデンティティを再構築したりとか変化させていくものっていうのが学習を通じて得られるものだよ
それ自体を得たいのかっていうとちょっと違くて結果としてアイデンティティの再形成再構築っていうのが出てくるんだねって話すかもしれないですけど
そういう補助線の引き方というか視点の切り替え方を感じてました
そのアイデンティティっていう言葉がこの文脈で出てくることに対して
個人に目を向けないのかなみたいな気持ちになるとさっきの学習のアイデンティティクライシスじゃないけども
おぎざりにされそうだなと思ったらこの本の中ではそこまで射程に入れるんだみたいな気持ちになりますよね
取り組む価値は欲しいですもんね
そうですねなんかそれやないと何で私はここにいるんでしょうか本当に正当なんでしょうかみたいな気持ちになりかねないなって思ったりとか
そこら辺の話21ページの後半ぐらいから多分どんぴしゃで語られてるんですけど
いやー全部読むのはだるいし多分口頭で言っても分かりづらい
でも30ページのニパラはいい感じか
私たちはアイデンティティというものを人間と実践共同体における場所及びそれへの参加との長期に分かる生きた関係であると考える
隠してアイデンティティを知るということ及び社会的誠意性は他がに他を規定するものになる
まあ切っても切り離せないみたいな感じですよね
うんそうですね
知るということも面白かったんだよ
あるものを分析しようと思った時にアイデンティティみたいなものを消して分析してしまうと
結局そこにいる人たちの営みみたいなものとかその実践共同体みたいなものを記述しようと思った時に
やっぱちょっと不便ですよね分かりにくくなっちゃいますよね
ある種そこにニューカマーとベテランがいるのにそれを無視しましょうみたいなことになると
なんかここに人がいますね何かしら活動を行われてますね
なんかやってますねぐらいにしかなくなっちゃうかもしれないっていうか
で本当はそこに違いがあるとかがあるからその社会的構成には他がいに他を規定するものになる
だから本当はそこにそのアイデンティティがあることによって互いにこう影響し合ってるというか相互に影響し合ってるものがあることによって
役割だったりとか参加の仕方だったりとかってものは規定されてるよねっていうことが言えるようになってくるっていうところがあるんだろうなっていう気がしますね
毎朝血圧を測ることによってその人のパフォーマンスが予測できるみたいな話の逆っぽさを感じますね
マルクス主義とかソビエト心理学みたいな話が出てきたりはしつつ
交換可能とか一般化みたいな話っていうよりかは外界社会とかコミュニティからの影響を受けて個々人まで切り裂いていっても影響を受けて成り立ってるんだよねみたいな話が出てて
そっちに繋がるんだ面白いなーって思いながら
そうですねそうですね
重要な概念みたいなのは
だいたい揃ったか?
だいたい揃ったか?
十全的参加と周辺性
重前的参加がないじゃないですか
重前的参加そうですね完全参加ではなく重前的参加なんですよね
重前っていう言葉をあんまり見かけたことがなかったんですけど
全然耳にしないですよね
重前的参加さっき言ってた中心とか部分がないみたいな下りで同じように出てきていてこれはでも多分原文そのまま読めばいけるはずなんだよな
12ページだっけ
ちょっと前から読むと
実践体では鍵括弧周辺鍵括弧当時だと指し示せるようなところはないし
もっと強調して言うならば単一の角とか中心があるわけではない
中心的参加と言ってしまうと
その代に個人の居場所に関しての中心が一つあることになってしまう
完全参加がコンプリートパーティシペーションって言ってるんですけど
完全参加と言ってしまうと何か知識や集約的実践の閉じた領域があって
新参者の習得についての測定可能なレベルがある可能になってしまう
テストを受けさせて合格とかランクみたいな感じになる世界観
要するに上達を目指すみたいな競争になっちゃうよねっていう話をしていて
そこで私たちは周辺的参加が向かっていくところを
重点的参加フルパーティシペーションと呼ぶことにした
重点的参加というのは共同体の性因性
性因性も知らんたもんなんだよな
まあいいや性因性の多様に異なる形態に含まれる
多様な関係を正当に扱おうと意図したものである
です
十全は関数字の十に全部の全ですね
そうですね英語だとフルっていうことですね
これコンプリートとフルの違いがあんまりわからないですもんね日本語はさ
他がそうなんですよね
ただ日本語ね自分あんまり十全っていうことを日常的に使ってないから
そっかーってなったけど
コンプリートはなんか一つのあれですかねその欠点もないみたいな
完全って書いてるけど完璧みたいな相当そっち側なのかな
なんか百点満点みたいなイメージでした
そうですよねで十全の方は十分やってるじゃんみたいな言い方するときの十分の
的なイメージなのかなみたいな
あれもこれもできなくていえいえ十分やってるよみたいな
それぐらいのニュアンスかな
でその十全的参加っていうのは部分的参加とは異なるってことですね
そうなんですよね
じゃあどこに境目があるんですかみたいな
そこら辺がわからなかったんですよね
あとあれかそこの下りというかそこの流れで出てくるのが
おそらくめちゃくちゃ語弊がありそうなところに対して補足されていて
ちょっと読み上げると私たちの用語では周辺性は接続的な言葉でもあり
これに対する最も明確な概念上の範囲語は進行中の活動への無関係性あるいは非寛容性である
だから周辺の本体は中心じゃないですよね
周辺だからコミットが浅いとかそういう話ではない
むしろ周辺性は接続的な言葉だし
無関係とか非寛容っていうのとは全く違うよっていう話
全く違うというかむしろ魔族だよっていうのを言ってますね
そうですねそうですね
だから参加しないっていうぐらいの勢いがないと
参加しないっていうぐらいじゃないと
この無関係性非寛容性っていうふうには捉えられないのかな
積極的なニューカマーの役割
なんかあれじゃないですかね
本当に最近入りましたみたいな息のいい新人
だけどめちゃくちゃ接続的に色々やってるっていう人を
でもあいつはニューカマーだしこのコミュニティにとって
あんまりそんなに重い価値を持ってないとか
無視しても問題ないというと別の問題がありそうですけど
軽んじていい相手ではなくて
それはそういうたまたま今経験が足りてないだけで
十分な参加してる存在感はあるとか影響を与えてるとか
そういう構造はちょっとイメージできるかなとか思いながら
ここら辺読んでました
そうですねそうですね
確かに周辺性っていった時に周辺にいるだけじゃんみたいな
周りで乗ってるだけみたいな
っていうことだけをイメージすると
あんま積極的じゃなさそうだなってイメージするけど
そういうことではないってことですもんね
なんかモブキャラではないみたいな
顔が描かれてないシルエットだけの人みたいなね
何がその周辺じゃないかっていった時は
コミュニティにいない人とか
私は知りませんそこについてはみたいな態度を取ってるような人たちのことを
周辺じゃないと言うってことですね
周辺じゃないというか従前的参加ではない?
従前かうんうん
なんかイメージ全てが周辺ぐらいのイメージを持ってるんだよな
分かる分かるそれめっちゃ分かる
何かしら積極的に関与したいなって気持ちがあってそこに来たら
もうそれは周辺的参加では?って
なんかね経験とか知識がなくてできる仕事とか任せられる役割っていうのはちっちゃいけど
でもめちゃくちゃ説得的に質問してくれるとかっていうと
ある意味そのニューカマーとしての役割をしっかり担ってるし
責任を果たしてる
それによってコミュニティが受け取って学び取って変化していくものも
必ずあるはずなので
なんか正当的周辺参加ってそういう感じの概念なのかなみたいな気がしてますね
うっすらといるだけでもいいんだよー
ハードルを下げる気持ちは一切ない気がするこの人たち
確かにな
そこになんかこう
そうね積極性みたいなものはやっぱ必要なのかな
説得性は必要なんじゃないですかね
周辺性は説得的な言葉でもありって言ってるぐらいだから
なんか説得っていう言葉とは相性が良さそうだし
逆になんかその子産者ベテランでも説得性を失うことあると思うんですよね
フェードアウトみたいな話とか
そうだよなー
なんとなくこうイメージがあるものをじゃあこれはどうなんだろうかと
これはどうなんだろうかみたいなこうギリギリの境界線が知りたくなってくるなと思いながら
でも多分これモデルなんで
それはやっぱりビジネスショーを呼んでる
そうそうそう
でも属性が怪我されてますよ
そうなんかこれはどうなんだあれはどうなんだってやってもあまりこれ意味がないんだよな
いやこれで全部概念が出そろったか
これで全部概念出そろったんじゃないですかね
でじゃああとこの本には何が書いてあるんですかって言われると
そうですね
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