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2026-09-21 31:15

EP228 状況に埋め込まれた学習 PART1

## とりあげた本


Jean Lave, Etienne Wenger『状況に埋め込まれた学習: 正統的周辺参加』1993 産業図書


## mixi2


https://mixi.social/communities/513e0bc9-582b-4962-a9c1-c5c076175e08/about


## ShowNote

https://gennei.notion.site/EP228-PART1-3e2c645d4911801eb429d45c9de4b84a

感想

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00:07
スピーカー 1
こんにちは、readline.fmです。 readline.fmは、つんどくが趣味の2人が、何かの本を読んだ感想を雑談するポッドキャストです。
ハッシュタグは、ハッシュリードラインFMです。 Mixi2にもコミュニティがありますので、そちらでも感想やワイワイお待ちしております。
ホスト役は、げんえいさんときんじょうです。 それではげんえいさん、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
これ、Mixi2にコミュニティがありますだけで、Mixi2のコミュニティに何かたどり着けるんですかね?
スピーカー 2
一応、概要欄にリンクを貼ってますね。
スピーカー 1
確かに。なので、ショーノートとか概要欄とか見ていただいて。
スピーカー 2
しかもね、直々入ってくれてる人がいるんですけど。
スピーカー 1
そう、2、3ヶ月に1回ぐらいいらっしゃいますね。
スピーカー 2
で、我々一切Mixi2に何も投稿してないっていうことをね。
人が参加するたびに、あ、何も書いてねえや、そういえばって思いながら、そのまままた忘れてるんで、よくないなって思ってますね。
スピーカー 1
なのでね、感想やワイワイお待ちしておりますとは、そういうことなので。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
リードラインFMでMixi2上をコミュニティの検索しても出てこないので、リードライン.FMで検索していただいて。
そうだったんだ。なるほど。ドットが必要なんだな。
スピーカー 1
はい。ユーザーはね、出てくるんですけどね。
スピーカー 2
じゃあみなさんドットを忘れずに。2の1文字をという意味ではないです。
スピーカー 1
正規表現だ。
じゃあ本の話をしますか。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
今日の本はとてもコンパクトで薄い本ですけど、何という本でしょうか。
はい。今回は状況に埋め込まれた学習、正当的周辺参加です。
シチュエーテッド・ラーニング・レジティメイト・読めないパリフェル・パーティシペーションですか?
かな?
スピーカー 1
この本を読んだきっかけというか動機というか、原作読みましょうよってたぶらかしたのは僕だと思うんですけど最初。
スピーカー 2
そうですね。でもたぶん近所さんにこの本を教えてもらって、読みたいなと思いながら、でも買ってなかったし、
あと他でも結構あっちこっちで本のタイトルの名前だけは聞くなと思っていて、読みたいなと思いながら、でも難しそうだなって思ってずっと先延ばししてて、
スピーカー 2
そういえばあれなんか読んでないですよねってなって、じゃあ読みますかって言って今回はこれになったって感じですね。
近所さんそもそもこの本どこで知ったんですか?
スピーカー 1
これ最初に知ったきっかけが本当にわかんなくて、スクラム系のコミュニティのカンファレンスの発表で見たか、コミュニティの人のブログで見たか、
もしくは別の場所で大学の社会人講座に何年か顔を出して参加してたことがあったんで、1日とか2日でやる単発の講座に。
03:13
でそれが結構その教育とか心理学系の組織開発とかやってる大学のセンターの講座だったので、そこの講義、講座の中でもしかしたらちらっと単行文献として触れられてたりしたのかな。
スピーカー 1
でもいや読んでみたらなんかそっちの系統ではなさそうなんだよな、なんで君はうちにいるんだいっていう感じでした。
スピーカー 2
なんでこの本うちにあるんだっけみたいなのってよくありますからね。
スピーカー 1
そういますよね、気づいたらずっと居ついてる本が、何冊も何冊もある。
スピーカー 2
そう、1冊や2冊じゃないんだよな、しかもそれが。
スピーカー 1
で、ただなんかちらほらと勉強会とかカンファレンスとかでこの本の名前挙げてたりとか、この本に出てくるような概念を紹介してる人はいますね、ちょいちょい。なんか年に2、3回ぐらい聞く気がする。
スピーカー 2
そうですよね、こないだの大吉庄司PMでもおそらくこの本といくつか他にも参照ありましたけど、この政党的周辺参加の話をしているっていう発表もあったりとかしたんで、やっぱあちこちで聞きますよね、なんか。
スピーカー 1
うん、もてはや、でも全然悪い意味じゃなくてもてはやされてるというか、よく参照されてる概念だなみたいなイメージがありますね。
スピーカー 2
ということは、いっぱい参照されてるってことはきっとこれは大事な本なんでしょうっていうようなことなので、やっぱ読むしかないねって気持ちはめっちゃありました。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
ありましたかね。
どっかで読んだ方がいいんだろうなーっていうのを紹介しようぜって言って始めてるポッドキャストなんで、偉大な組織の最小抵抗経路とかもそうでしたけど、なんかちゃんと使えてますね、この仕組みも。
スピーカー 2
そう、いや本当に、今回この本って自分は手元になかったんで、本屋に買いに行ってパッて手に取って、あるのか思ったり。
スピーカー 1
そうだから矛盾してるんですよね、つんどくを消化するポッドキャストじゃないのかっていう。
スピーカー 2
確かに、つんどくという概念はもう拡張され、読んでない順番待ちの本ですみたいになると、もう書店に、うちにあるか書店にあるかみたいな違いでしかないみたいな世界になってるかもしれない。
スピーカー 1
確かにな、うちにあるはずなのに見つからないって言って伝承版を買ったりしてるから、同じようなもんですね。
スピーカー 2
そう、なんかクラウドの向こうにあるのか、手元にダウンロードまで終わってるかの違いですみたいな、世界の世界になってて。
06:07
スピーカー 1
ユーザーに意識させたら負けですね、ブラウザでレンダリングしてるかサーバーサイドでやってるかみたいな。
スピーカー 2
そうそうそうそう、なってるんで、なんか自分今回買ってきて思ったより薄いなとか思ったし、なんか中身を全く1ページも読まずによしこの本にやるぞってなったんで、
なんか読み始めたら、あれなんか思ってるこれ難しいかもって思ったりとかしてて、めっちゃ焦りました。
スピーカー 1
これでもそうそう、あれなんですよね、ページ数が本自体が200弱、あ嘘だ204ページだ、200超ですね、あって。
でそっか200ページかーって思ってたんですけど、なんか芸術家さんがいや100ページぐらいらしいって言ってて、あれ100ページなの?って思って目上を見てみたら本編が100ページぐらいですね。
本編は第1章から第5章まであるんですけど、第5章が終わるのが110ページぐらい。
で、もちろん第1章の前に写事とか、違うんだよ写事でページ数リセットしてるのか、本編が100ちょいですね、扉とかもあるんで。
でその後に役者中が10ページあって、参考文献が数ページあって、解説が60ページあると。
スピーカー 2
おかしいなぁ。
スピーカー 1
で役者と書きが20ページぐらいあると。なので本編は本当に100ページぐらいなんですよね。
スピーカー 2
面白いですからね、解説の解説文の参考文献一覧が載ってますからね、この本。
スピーカー 1
解説の中で15ページぐらいある。解説がめちゃくちゃハイカロリーだったんですよね。
そうそうそう、なのでもうすでにここだけで1個の大きい賞じゃないかみたいな感じになってるんで。
スピーカー 1
だって本編が5章なのに解説が6章ありますからね。ページ数が違うといえど。
スピーカー 2
すごい不思議な本だなと思いながら、100ページだし楽勝じゃねえかと思って、読み始めたら1時間で10ページ進んで、
なんかよくわかんねえなこの本みたいな気持ちになりながら、序文長えとか思いながら、すごい大変な思いをしながら読んでましたね。
スピーカー 1
でも序文違う人が書いてるんですよね。この人誰ですかって聞いた気がするんだよな。
09:12
スピーカー 1
これ書いた人が何の人かとかっていう話も一応しときます。調べてないな。
スピーカー 2
確かに調べてない。今回調べてない。
スピーカー 1
何畑の人ですか?社会学系?心理学系か。
スピーカー 2
心理学系の人で、今までの研究の仕方とちょっと違うことをやってるんだよみたいな感じのことだけは把握はしてるんですけど。
スピーカー 1
なんかもうタイトルに学習って入ってる通り、学ぶとはとか学習っていうのがどうやって起こるのかみたいな畑の人。認知科学系だと思ってたんだよな。どうなんだろう。
今ねこういう時やっぱりグーグルっていうのがあってすごい便利なんでサッと調べられますからね。図書館まで駆け込まなくていいので、すごいいい時代ですよ。
歩く辞書みたいな人に聞かなくてもいいしね。
やっぱり歩く辞書みたいな人、やっぱりねカレンダー埋まってて話しかけづらかったりするかもしれないんで。
スピーカー 1
ジーン・レイブさんはアメリカの社会人類学者教育理論家ですね。社会人類学者か。
スピーカー 2
社会人類学者とは何なのかってことはこうまた。
あんまりそこらへんはあんまりこう読むとねちょっと怖い。
スピーカー 2
なんかわからないものを引いたらまたわからないものが出てきてさらにまたわからないものへみたいな感じにいきそうだなみたいな。
なんか文化人類学者とは一体じゃあ何が違うんだろうかとかってなっちゃいそうな。
頂上なんですよね。もう一人がエティエンヌ・ウェンガーさんとジーン・レイブさん。
スピーカー 1
ウェンガーさんの方は教育学者、研修者。
研修者ではあるだろうな。
スピーカー 2
そうですね。両方とも学者ではありますね。
スピーカー 1
だからそうか。アカデミックの人ですよね。
どんどん紹介が薄くなっている気がする。
スピーカー 2
なのでこれって論文とまではいかないけども結構そのビジネス本で学習について
じゃあ若者の指導とかってどうやったらいいのかなとか学校の先生がアカデミックなバックグラウンドがない。
学校の先生だったり塾の先生とかがじゃあ教育ってどうやったらいいんだろうかなと思って
12:00
スピーカー 2
なんか学習ってついてるしって言って買ってくると多分なんか思ったのと違うかもみたいな。
なんか別にハウトゥーないしみたいな感じになっちゃって
期待値とずれるかもみたいな感じの本ではありますね。
スピーカー 1
本編の中でもそういう感じ。
うちらがやりたいというか提唱しているこの概念が目指しているところってそこじゃなくてっていうのは言われてましたね。
スピーカー 2
そうですね、たびたび自分たちがやろうと思っているのは別に良い教育方法とかそういうことではないよっていう話をたびたびやって帰った気がしますね。
スピーカー 1
実際その学習っていうところの概念を塗り替えるところじゃないからではないんですけど
塗り替えようって言って始めたっていう感じじゃなくていろんな経緯を経て
実は言われている一般的な使われている学習とか教育と非教育者がいてみたいな構図だけじゃ語り得ないものがあるよねっていう感じで
このコアとなる概念が出てきましたみたいなのが一生の序盤の方でやられてますね。
スピーカー 2
そうですね、そうですね。
スピーカー 1
まあそんな感じ、だからちょっとは本編というか入ってきますか本の話。
スピーカー 2
そうですね、そうしましょう。
スピーカー 1
で、たぶんこれ順番に読んで感想を言い合っていくっていう割といつものスタイルっていうよりかは
なんか押さえとかなきゃいけない概念がめちゃくちゃ大事そうなのがあるので
そこを最初にさらっておかないとなんかすごいザップが生まれそうという気がしていて
なのでその主要な概念みたいな話で言うと
タイトルの通りなんだよな状況に生まれ埋め込まれた学習と正当的周辺参加っていうのが大事な概念ですね。
スピーカー 2
そうですね、だからこのタイトルはすごいちゃんとしてますね。
スピーカー 1
これ以上のタイトルない気がする。
じゃあその状況とか状況に埋め込まれたって何なんですかとか
その就職後がかかっている学習って何なんですかとか
正当的周辺参加っていう言葉自体も正当的っていうのをどう捉えてて
スピーカー 2
正当的周辺っていうのは何でそこに参加するとはみたいな話ですからね
そうですね
スピーカー 1
どっから行きますか、学習から最初は
スピーカー 2
そうですね、学習の話をしますか。一旦何を批判してるというか
今までって捉えてきたよねっていう話をしますか
15:04
そうですね、今までって言ってるのが
スピーカー 1
この本でいうとあれですね、徒弟制度でいいのか
マスタリーというか師匠みたいな人がいて弟子みたいな人がいてとか
教室があって先生がいて生徒がいてみたいな
教える、できるようになるみたいなやつですよね
そのスキルを身につける知識を身につけるみたいな学び、学習っていうのが
割と批判されてるとまでは言わないですけど
まあ従来型のとか今までのとかっていうと
そういうのを指してるっていうニュアンスになりそう
スピーカー 2
まあでも素朴にモデルを考えたらそうなりますよね
世の中を見てる時に
スピーカー 1
そうですね、ティーチャーとコースっていうクラスを作って
スチューデントっていうクラスを作りますもんね最初
スピーカー 2
そうですね、そうですね
私、まあやっぱ仕事で人が入ってきて
新入社員が入ってきてとか新卒が入ってきてとかだったら
なんかメンターがいて、その新卒がいて
じゃああなたはこの人を面倒見てねとか教えてねみたいな
関係性にやっぱどうしてもなるので
悪いかって言われたらでもそうじゃないって思っちゃいますよね
スピーカー 2
それ自体が悪いっていうよりは
そうやって素朴に捉えた結果
こぼれ落ちてるものがたくさんあるよね
より良いもうちょっとこう説明だったりとか
もうちょっとこういうふうに記述することによって
拾い上げられるものがあるんじゃないかとか
捉え直すことによってより良いものの見方ができるんじゃないか
っていうような感じですよね
なんかこの本のスタンスとしては
スピーカー 1
元々ねこの人たち自身も教育学者って
まあグーグルに書かれてたってなんだったらしいですけど
グーグル先生がそう紹介してたし
その良い教育とか効果の高い教育みたいなところを
他も研究してるんですよね最初の最初
そこで歴史上いろんなサンプルもあるし
現代でもすごい典型的なモデルとして
都定性っていうのがなんか言い悪いとか
どういう形態様式があるのかっていうのを
最初研究してて
単純に教える教わる以上のものがありそうだし
それ以外に重要な何かが起きてそうだよなっていうところに気づいて
スピーカー 1
大書大説とかね
都定性から上等的学習へっていう説があったりするので
そういう風に変遷していってるって感じですかね
スピーカー 2
そうですねそうですよねそうですよね
18:02
スピーカー 1
そうだよな本を抜き出して説明すると難しいわそうか
都定性を通した学習が正当的周辺参加の問題だという考え方に
考えに至ったのは最初にリベリアのワイ族やゴラ族の舌手屋の
マニュファクチュア都定性についての研究においてであったっていう風に書かれてて
なるほどねそこにそんなヒントを得て
そうなったんですかっていうのは一発ではワクワクしづらいというか
もうちょい教えてってなりますよね
スピーカー 2
そうそうですね
スピーカー 1
だからその都定性からじゃあ何になったんですかっていうので出てくる
上等的学習っていうのがあるよと
上等的学習っていう言葉の要素に学習っていうのが入ってますけど
学習っていうのがすごい特殊な概念っぽい感じがするのよ
特殊というかこの本独特の捉え方の感じはするので
それより前に上等的学習ですかね
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
上等的学習あるいはもっと一般的に言えば
上等に埋め込まれた活動の意味をめぐる既存の混乱は
この概念の異なる解釈から生まれたものである
上等っていうのがすごいざっくり言うと
同じマニュアルとか同じカリキュラムを使って
これができるようにしてくださいねっていう形式とかを与えても
同じ学習効果とか教育効果って得られなくて
そうじゃなくてどういう環境とかどういう人間同士の関係性の中で
どういうタイミングでとか諸々含めたメタというか
それを取り囲むような本当にシチュエーションによって
何か起こることが変わるよね的なことを指して
上等に埋め込まれたって言ってるなという僕なりの感覚でした
スピーカー 2
自分も教える教わるの構図もそうだし
結局教育って再現性というか同じことが同じように
みんなに教わってほしいよね
だからつまり数学の授業をやりますカリキュラムはあります
この半年間で例えば二次方程式が解けるように見せるようなことを教える
ってなった時に全員それがインストールされてほしいというか
この本だと内科って内なるに化けるっていう字がありましたけど
ってなってほしいよねってなってるけど
実際そうなってないじゃんとかっていうのもあったりするし
21:04
スピーカー 2
じゃあそれって何でそうなるんだっけとか
いうことを多分一個一個紐解いていくとか緊急していくってなると
ここの例えば学校は荒れていてとか
こっちは何か分かんない人に分かる人が教えてあげてるようなシチュエーションがあるよねとか
そういう状況とか文脈みたいなものが全然違うみたいな
そこまで含めないと多分分かんないよねみたいなところが多分出てきて
この本に載ってる例ってよりは何か例えばこういうようなものがあった時にっていうことですけど
っていうようなことがあるから何かもうちょっとこう何ですかね
広く捉えないと難しいかもねっていうのがありそうだなっていうのが
スピーカー 2
なんていうか多分その状況っていうことだったりするんだろうなって思ったりしました
スピーカー 1
そうで今出てきたその学習っていうのが単に知識を内化させる行為ではないよね
っていうのが一個何か概念の修正というか
この本読む上ですごい勘違いしてると非常に辛くなる話でしたよね
スピーカー 2
そうですねそうですね
スピーカー 1
学習とはっていう説明は多分ドンピシャで引用可能なんですけど
そこを読んでもすげーよくわからなそう
この本を読み終わった後だとすごい素敵な説明だなーってなるんですけど
説明できますか学習って何ですか
スピーカー 2
難しいななんかこの本全体的にそうなんですけど
抜き出してこうって言おうとするとなんか一文が難しいなって思って
全体的になんていうかこれここが大事な気がするけど
そうじゃなくて全体的に言いたいことこうじゃねーのってやりがちになっちゃうんだよな
スピーカー 1
なんかでも同じことを繰り返し言い換えてる系ですよねこういう
社会学系の方そういうの多い気がするんだよな
スピーカー 2
結局なんか論文に近いんじゃないかって勝手に思ってたりするんだよな
だからすごいアカデミシャンが書いた文章なんだろうなってことを思いながら
読んでましたね
スピーカー 1
逆にピンとこないところは徹底的に読み流して良いみたいな感じもするんで
なんかネガティブケーパビリティを試されてるなーって思いながら
僕は読みがちなんですけど
スピーカー 2
なのでそこでなんか全然の乗れないと
なんか全部何言ってるかよくわかんねえなって思いながら
とりあえずなんかわかるところが来るまで読み飛ばすかみたいな感じで
こうタッタッタって一回全部読んじゃうみたいなことをやってましたね
スピーカー 1
そうなんすよねー
で学習は
スピーカー 1
学習の前にコミュニティが先にあった方がいいのかな
24:04
スピーカー 1
これはえっとチャットGPT
今回めちゃくちゃ生成AIさんに壁打ちをしながら読んでたんで
すごいいろんな資料を出してもらいやすくなってるんですけど
スピーカー 1
チャットGPTそのまま読むか
普通学習は外にある知識を個人が内科し
後で別の場に持ち運んで使うことだと考えられます
知識は頭の中社会や仕事は外側
教育とはその外側の知識を内側へ渡す仕事になります
レイブとウェンガーが問うのはこの内外の図式ですと
人道具談話役割制度歴史労働他社との関係を切り離した後に
個人の学習だけが残るのだろうか
彼らにとって学習とは個人の中に起こる出来事である前に
社会的実践への関わり方とその人がそこで何者になっていくかの変化です
分かりやすい僕らにとっては多分分かりやすいんですけど
スピーカー 2
そうそうそうってなるんだけど
スピーカー 1
知識を外側にある自分の外にある知識を自分の中に取り込んで
理解したとかこれができるようになったレベルが上がったねみたいな感じっていうよりかは
それを取り入れて何かできることが増えましたで実践しましょうしました
っていうのでまた外に繋がりを持つとか
自分自身がアイデンティティーと言葉がこのよく出てきてますけど
アイデンティティーが変化するとか
その関係性とか自分自身の変化みたいなところが学ぶということなんだっていうニュアンスで
扱われてますよねあんまり正確な説明ではないかもしれないですけど
なんかそんなトーンな気がする
スピーカー 2
そうですねそうですね
多分なんか本を読んで座学するぐらいなイメージの学習ってよりも
もうちょっとなんていうか社会的な活動というか
なんか職場で仕事を始めて何かができるようになっていくとか
その転職して最初はちょっといろんなものを教えてもらいながら
だんだんやれることが増えていくとか
増えていった結果そこでこの人って頼りがいのある人になっていったよねとか
そういうところまで含めて学習って言ってますよね
スピーカー 1
なんか単にできるようになるっていうよりか
本当にコミュニティの中で居場所を見つけるとか
スピーカー 1
新しい役割に参画できるとかっていう子かな気がします
アウトカムっていうと違うかもしれないですけど
27:01
スピーカー 1
学習したことによって
従来なら学習しましただからこういうことができて
こういう役割を与えられましたみたいな話なんですけど
○○ができるようになってそれを行使したりとか
その過程で気づいたら○○によってこう変わりましたっていうのまで
学習っていうことの意味の射程に含ませてるなーっていう
そうした方がいろんなものを研究したり整理するときに便利だからそうしてるっていうだけではあると思うんですけど
少なくともこの本において学習っていうのは
そのぐらい肌触りの違う言葉に用語になってるなーっていう気がしますね
なんならできなくてももしかしたらいいかもしれないぐらい
スピーカー 2
勉強したんだけどできなかった
学習っていった時に知識が増えた方ができるようになるとかってイメージあるけど
なんならできなくてもこういうふうに関わりが増えていったんだぐらいでももしかしたらいいかもしれない
知識が増えてなくてもそこに関係性ができるとか
アイデンティティが変わっていくっていうことですらもはやこの中で学習っていうものとして扱ってるかもしれないですね
っていうぐらい多分ここの学習ってものがどれぐらいピンとくるかっていうか
こう言われて何言ってんだみたいな感じになると
多分この本はなかなか載れないなーってなっちゃうっていう感じですよね
スピーカー 1
一応序文で書かれてる文章を引用すると
つまり学習はいわば参加という枠組みで生じる過程であり
個人の頭の中でではないのである
このことはとりも直さず相同参加者の間での異なった見え方の違いによって学習が媒介されるということである
この定義では鍵カッコ学ぶ鍵カッコ閉じのは相同体である
あるいは少なくとも学習の流れに参加している人たちと言えよう
学習はいわば相同参加者間に分かち持たれているのであり
一人の人間の行為ではないっていう
スピーカー 2
そう言われてそうそうそうってなるんだけど多分これはならないんだよ
初見で読んだらって思いながら
スピーカー 1
そうなんすよねー
スピーカー 2
もうさあの何ていうか時代が過ぎちゃったらさ
そんな長々と言われてもわかんないから一言で言ってよみたいな気持ちになっちゃうんだよな
スピーカー 1
でもそうあれですね今チラッと出てきたあの
学ぶのは個人じゃなくて相同体の方でもあるよっていうのはすごい
次の話に繋がりそう
30:06
スピーカー 1
学びを取り巻く環境とか相同体とかっていうのが出てきてるわけですよね
相同体は相同体は割と言葉そのまま一般的な語彙そのままかな
スピーカー 1
厳密に定義された参加者名簿があってそこにサインした人みたいな
形式的な厳密なコミュニティじゃなくて普通に社会みたいな
人が集まっててそこの中で関わり合いがあってみたいな
っていう感じですけど全然日常的な用語法でない
言葉通りの相同体という意味がありますね
スピーカー 2
そうですね
スピーカー 1
正当的周辺参加の話する材料揃ったんじゃないですか
31:15

コメント

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