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みなさんこんにちは、Rayです。
Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
最近ですね、Twitterで見たんですけれども、
人事評価を行う中で、結構雰囲気悪くなるみたいな話をした投稿を見ました。
確かにね、これあるあるですよね。
イメミでもですね、昔ありましたよ、そういうこと。
なんかね、この人事評価とか、この査定の時期に近づくにあたって、
なんとなくピリピリというか、そうした雰囲気になるんですよね。
いや、ここのタイミングでね、俺の成果ちゃんと評価してくれへんと、
どうなるか分かってるやろな、みたいな、そんなことは言わないですけども、
ちゃんと評価してくれるよな、みたいな、そういうですね、期待ってあるじゃないですか。
ただですね、これ、マネージャーの人とかもですね、
今やプレイングマネージャーとしてですね、実際の実務もやりながら、
そしてですね、この人事評価っていうのもやる。
しかもそれがですね、ちゃんとした評価って、
いや、なかなか全員分の状況って、つぶさに見れないじゃないですか。
そういう状況ってね、やっぱりこう、あると思うんで、
なんかマネージャーの人も、ヒヤヒヤする部分も一般的にはあるんじゃないかなと思うんですよね。
イメミはですね、こう、
比較的、これは以前から、もう8年ぐらい前から、
自己評価制度っていう形で、
いわゆるSABCといった、この自己評価を、
自分で最後決めることができるよってしたんですよね。
つまり、一般的には1次上長とか、1次、2次っていう感じで、
こう、上司の評価っていうのがあって、最後なんか確定して、
こう、上司の評価っていうのがあって、最後なんか確定して、
こう、上司の評価っていうのがあって、最後なんか確定して、
確定すると思うんですけど、それ確定しないんですよね。
上司が、いや、Aちゃうか、お前、みたいな。
自己評価Sって言ってるけど、Aちゃうかって言って、
いや、Aやわーって決まっても、いやいやちゃうから。
俺Sやから、みたいな感じで、
本人が最後、自己評価を上書きできるっていう風にしたんですよね。
これ、ある意味、画期的なんですけども、
これ8年ぐらい前からやっておりまして、そんなこんなでですね、
そんなである意味マネージャーの人も
まあまあ俺の評価ってどうせフィードバックみたいなもんやから
上書きされるしみたいなある意味気楽になったんですよ
ただこれ5年ぐらい続ける中で
いよいよフィードバックやし評価の意味あるんかみたいな
評価制度わざわざしっかり半期に1回目標の達成基準とか作って
原理的にね厳密にやっていくのってこれ意味あんのみたいな感じで
どうせ最後Sにしたらおしまいやんみたいな
その達成基準とかってねきっちり作って
その達成基準としてはこれAちゃうかお前って上司が言っても
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いやちゃうねんみたいな感じで
途中でいろいろあって難易度はわったからこれSですよみたいな感じでね
本人がSって言うとSになるから
これもうあんまりきちっとね
記者の段階で目標の達成基準とか作るのに意味あるみたいな話になって
最後じゃあもうこれ意味ないよねって
評価つまり査定に紐づくような評価っていうのはあんまり意味ないから
目標は目標で別途立て
給与はエイヤーで決めるっていう形の今の給与自己決定制度になったんですけども
まあねこう悩ましい
一般的な会社はですね本人が評価を書き換えるなんてことはありえないので
上司がですね最後責任を持ってエイヤーで決めるわけなんですけども
そのね評価がね本人に納得いかないと
もうやめたるわみたいな話になったりするみたいなこともしばしば聞いたりします
本題なんですけれども
イメミの組織はですねだいぶ
このアジャイル組織宣言ですね
2018年の10月1日のアジャイル組織宣言から
およそですね2年半ほど経ちですね
かなりですねいろいろ変わってきたんですけれども
特徴としてはですねいろいろ変わった中でも
ですね一つを挙げますと
その会社と経営者とかあるいは取締役がですね
分離されてきましたと
これはあまりアジャイル組織宣言というよりですね
ちょっとティール組織の文脈に近いんですけれども
あくまで経営者とか取締役という役割の一つですと
でですね会社っていうものは経営者とは違いますけど
会社というものは法人法の元の人っていう形で
別の人格でありですね
おぎゃーと言うと
会社が生まれてから
子供は子供の人生を歩むようにですね
もう経営者とか創業者の手を離れてですね
もう人生を歩み出すという文脈で語られることが多いですね
とはいえ今会社のね人命短いから
それどうなんだって話はあるんですけれども
要するにそういう人生を歩み出すわけなんですよね
手離れしていくと
もちろん一人しかいない会社だと
もう社長イコール会社だと言われるんですけれども
社長イコール会社だと言われるんですけれども
イメミもですね
二百数十名という形でですね
それなりの規模になってきて
さらに今後拡大していくとなると
もうこれ確実に創業者とか経営者の手を離れているんですよね
創業も21年目になりますし
そんなこんなでですね
経営者と会社を分離して考えるようになってきていまして
実際社内ではですね
イメミのことをですね
イメミさん会社っていう風になるべく言わずに
イメミさんって呼び
イメミさんってどうなりたいのかな
イメミさんって社会から何を期待されてるのかなとか
そういうことを想像しながら
おそらくこういうことを期待されてるから
イメミさんとしても
組織としては体が大きくなる
もっともっと体が大きくなって
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周りから期待されている
そういう姿になっていくんだなってので
だとすればイメミさんを構成する
我々は採用であれば採用も人数を多くして
人を増やしていこうみたいな形で
別人格であるイメミさんがどうなりたいのか
どうなるべきかって想像しながら
そこにこうなんていうんですかね
歩調を合わせてですね
役割を担っていくという形でですね
あくまでですね
経営者とか取締役とかも
その役割の一つでしかない
っていう風に捉えているんですよね
一方でですね
イメミはですね
その
個々のイメミさんを構成する
一人一人の人格も
もちろん大切ですよねと
それぞれのやりたいこと
willっていうのがあるわけじゃないですか
それがイメミさんがやりたいことと
おおむね一致する
少なくとも全然反対するものでないとすると
それはそれでええんちゃうのと
個人がやりたいこと
grow with イメミっていうコンセプトがあるので
自分としてはこういう観点で
成長するっていうので
なんかこういう技術がやりたいとか
社内向けにこういうチーム作って
こういう活動したいっていうのもですね
やってええんちゃうのみたいな
そういう懐が深いイメミさんなので
個人がですね
成長するっていう観点で
いろいろとですね
やれるんですけども
そのですね
個人がやりたいこと
やるべきこととかっていうものをですね
やるっていうものはですね
これまたですね
あの
組織における役割とは
ちょっとまた違う文脈ではあるんですよね
でまあ
役割となるんですね
採用とか
人事とか経理とか
組織の業務改善とか
開発とか企画とか管理とか
そういう役割っていうのは
どちらかというと
マストな部分もあると思うんですけども
そういう役割が定義されてなくて
俺これやりたいみたいな
それはおおむね
そのさすがに全くイメミさんとか
関係がない方向性が関係なくはないと
いずれ関係ある
なんかこう点と点が
線で結びつくよみたいな
そういう方向性があるのであれば
ちょっと早いかもしらんけど
まあちょっとかじるぐらいなら
やってええんちゃうみたいな
そういう感じでですね
自分の思いをですね
まあこう
盛り込みながらやっていくっていうのは
あるなと思っていて
社内でもですね
例えばコーチングチームとか
対話委員会とか
アジャイルのスクラムの支援みたいなね
そういうチームであったりとか
教育とかもそうですし
いろんなイベントとか
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そういうのって
どんどんどんどん立ち上がってきてるんですよね
研究開発のプロジェクトであったりとか
そういうですね
ものっていうのは
ある意味ですね
そういう子としてのですね
衝動とか思いとか
やりたいとか
やりたいっていうもの
ウィルとか
そういうものからですね
発せられるものであり
まあそれはそれでありだと思うんですよね
でですね
それは社員の人がですね
そういう
どんどん自分の思いでやっていくっていうのはですね
ありなんですけども
これこと経営者の人がですね
あのやる場合は
ちょっとこう
子としての経営者が
これやりたいからやっていこうっていうのとですね
経営者としての役割として
これは
いめみさんとして
絶対やりたいと思ってるから
そのいめみさんの声を一番よく
近くで聞く練習をして
それに長けている
そういう人だからこそ
おそらくこういうことを
いめみさんやりたいと思うから
みんなここ目指しましょう
みたいなビジョンとか目標とか方針とか
そういうものを立てる
とか
いめみさんこういうこと絶対やりたいと思うから
みんなやろうぜみたいな
そういうですね
役割としての
こうウィルとか方向性を示すのと
経営者も一個人ってあるじゃないですか
一個人として
そのいめみさんっていう妻の中で
これやりたいみたいなものを示すっていうのは
ちょっとやっぱ分離して
やらないといけないんじゃないかな
っていうふうに思っていて
なぜかっていうと
その経営者の人がやっぱり発するものって
どう
あがいてもみんなからすると
それは経営者の役割として
こういう方向性を示してるんだっていうふうに
見えてしまうので
だからそれをですね
分離することによって
これは代表としてやっている
取締役としてこういうことをやるべきだ
やろうっていうふうに言ってるんだなーっていうのと
一個人として言ってるんだなって
切り分けてやることで
だからですね
その一個人としてですね
こうやりたいっていうふうに言うって言うと
言ってしまうと
経営者の人がそれ言うと
なんかちょっとわがままっぽく見えるんですよね
いやいやお前本来の役割は
ちゃんといみみさんのこと
声を聞いてやるべきことを
方針として提示するべき役割やみたいな
その個人としてやりたいことを
なんかその権限を利用してやるってどうな
みたいな話に見えてしまうんですよね
だから取締役としては
こういう方向性であるべきだと思う
ただ個人としてはこれめっちゃやりたいね
みたいな感じで
切り分けてやることで
あ、なるほどねと
会社を構成する一人一人も
一個人としてやりたいことを提示していいんだね
っていうお手本として
逆に示すことができるんですよね
これをですね
そのお手本として
子としてやりたいことを示していいっていう
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そういう器としてのいみみさんとして
手本として振る舞っているのに
それがいやいや取締役なのに
そんな個人的なことやりたいって言っていいんか
みたいな
その権限利用してやっていいんか
みたいな感じで見えちゃうと
それよくないんですよね
いみみもですね
そういった部分がですね
ちょっと切り分けてですね
やっていくことで
なんかその個人として
あ、そうだそっか
やってええんやみたいなですね
そういう雰囲気を作り出して
なんかこうですね
思いもしないような
実験活動の結果から
新しいビジネスが生まれたりとか
新しい組織のですね
可能性が生まれたりっていうのをですね
期待してですね
ちょっとそういう
技術的というか
テクニカルな部分はありますけれどもですね
その見え方っていうのは
ちょっと切り分けてやっていこうかな
っていうふうにちょっと
感じた次第です
本日はですね
まあ組織における役割と
個人としてのですね
動き方についてのお話でした
また次回