1. Ray Wow FM
  2. #310 小田急線女性刺傷事件と..
小田急線の電車内での、女子大学生への無差別刺傷事件から考える、フェミサイドとマイノリティについて
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皆さんこんにちは、Rayです。Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
今日はですね、昨日起きた事件の話になるんですけれども、小田急線で無差別殺傷事件が起きたと思うんですけれども、
20代の女性などが10人ぐらいですね、重軽傷を負ったと。36歳の男がですね、殺人未遂の容疑で逮捕された。
その理由がですね、幸せそうな女であれば誰でもよかったと。
自分の不幸は周りのせいであり、勝ち組の典型的に見えた、
20代の女子体制を必要にさせたということなんですけれども、
非常にですね、恐ろしい事件でありですね、幸せそうに見えるのであれば、
そういったですね、殺人、女性というだけで殺されてしまうとなるとですね、
日常的にですね、平穏に安心して過ごせないということでですね、
女性の多くもですね、
不安に感じたんじゃないかなというふうに思いますし、
電車の中なのでね、逃げることもできないですし、
まさかね、そういうことが起きるなんていうふうには思わない。
そういう、ある意味、そういう平和な世の中としての日本という部分のですね、
信じられるものが揺らいでしまうと、なかなかですね、
生きづらいことになってしまうんですけれども、
この問題というのはですね、
一般化することはないんですけれども、
個別のおそらく事情っていうのはあると思うんですね。
その加害者自体にいろんな事情があると思いますし、
何が理由だったか、
事情、聴取の中ではですね、
6年ぐらい前から、
そういう幸せそうな人を見ると殺したかったと、
自分の不幸は周りのせいだと考えるようになったと。
で、
背景には、
学生時代ですかね、
サークルの活動の中で、
女子学生にバカにされたりとか、
あるいはですね、
出会い系、サイトで出会った女性にデートを途中で断られたりとか、
ほぼですね、
被害者意識が強いなあというのは思うんですけれども、
だからといってですね、
女性であれば誰でもいいっていう形で、
まあ、
殺害するという発想に至るっていうのは、
非常におかしなことではあるんですけれども、
一般的にですね、
こういった女性であれば、
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誰でもいいという形で殺害するっていうのは、
フェミサイドと呼ばれるんですけれども、
今回のですね、
容疑者のようなですね、
ことが起きる原因というか、
直接的な原因に紐づけるつもりはないんですけども、
やはりその、別の、
問題ですね、
つまり社会の構造的な問題っていうところにちょっと着目したいなというふうに思っています。
それはですね、
いわゆるこういったですね、
フェミサイドが起きる背景もそうですし、
フェミサイドに限らずですね、
いわゆるマイノリティの人が社会に進出する中で起きるときの一つの問題なのかなというふうに思いました。
例えばですね、
女性が今活躍するという中で、
女性が社会に進出していくという中で非常に社会でもですね、
活躍する女性が増えてきたときに、
それをですね、
羨むマジョリティである男性っていうのが起きる可能性があります。
またですね、
例えば最近NASDAQが上場企業の取締役に女性と、
あとはマイノリティですね、
人種であったりとか含めたマイノリティを必ず含めて2名、
取締役として選任することっていうのですね、
上場企業としての制約ではないんですけども、
ガイドライン的に定めたっていうのがありますけれども、
例えばその中で、
女性だからという理由で例えば出世したということに対して、
嫉妬するですとか、
あるいは有職人種だからという理由で取締役に選任されるんだという形で、
そこに対してですね、
権を依頼したり、嫉妬するという形で、
嫉妬するっていうのがそうではない、
例えば白人男性が起きたりとか、
そういうですね、
ある意味社会の構造的な問題っていうのが起きる局面っていうのは、
きっとあるなというふうに思っていて、
まあ程度の差はいろいろあると思うんですけども、
もちろんそれがですね犯罪ですね、
犯罪レベルになってしまうと、
それはもう議論の余地はないんですけども、
犯罪に至らなかったとしてもですね、
そこの過程で圧力とかやっぱり問題というのが起きるんだな、
というふうに思っています。
会社であればですね、
そういうガイドライン、
例えばNASDAQもそうですし、
会社の中でもそういったガイドラインを定めることによって、
大きな歪みとか問題が起きないように、
マイノリティがですね、
これまでですね、
例えば差別であったりとか、
マイノリティっていうところがなかなか、
平等不平等な状況を強いられていたっていうのをですね、
解消していくのはもちろん必要ではあるんですけれども、
その仕組み的な問題に加えて、
やっぱりこういうマイノリティの人をですね、
どういうふうに捉えるのかというか、
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そこも非常に大事なんじゃないかな、
というふうに思っています。
その時にですね、
例えばこのマイノリティの人が、
社会の構造的な理由によって差別されていたり、
抑圧されていた状況っていうのがあるときに、
例えばリアルタイムで、
今現在そういった状況に置かれて、
人がですね、
その悲痛な苦しみとか声っていうのを、
割となかなか理解されないですね、
周りからは理解されない中で、
割と感情的にというか、
怒りを持ってですね、
表現するときに、
その言い方は何かおかしいんじゃないかとか、
例えばヒストリックじゃないかとか、
言い過ぎじゃないかとか、
その表現の仕方に対して物言いをつけて、
本来あるですね、
社会的、
構造的な差別とか歪みですね、
そういうものからですね、
論点をずらす、
そういうトーンポリシングと呼ばれるんですけども、
そういうトーンポリシングっていうところも、
起きがちだと思うんですよね。
例えば今回の問題、
フェミサイド。
そのフェミサイドの問題っていうものには、
例えば女性蔑視とか、
女性嫌悪、
みそじにと呼ばれる問題があるんじゃないかっていうのを、
例えば、
怒りとか強い口調を持って言うときに、
いやそれはですね、
声荒げすぎじゃないのとか、
そんなことは極論じゃないかとか、
いう形で本質をですね、
論点をずらしながら、
非難するというか、
そういう部分っていうところもですね、
一旦、
そういったことは行わずにですね、
こういう問題に着目してみる、
注目してみるっていうことはですね、
必要な状況なんではないかなっていう風に、
個人的には思ってます。
実際、日本の場合、
ある統計によると、
殺人とかっていうのはですね、
おそらく少ない国、
安全な国だとは思うんですけども、
日本の場合は。
一方で殺人における被加害者ですね。
被加害者の割合としては、
女性が世界でもトップレベルに高いということですね。
女性が女性という理由で殺害されるというですね、
環境があるっていうのは、
やっぱり日本の一つ問題なんで、
ないんじゃないかなっていうふうには思っています。
なのでですね、
改めて日本における問題っていうものをですね、
捉える中で、
女性だけに限る必要はないんですけども、
マイノリティの人がですね、
どういう社会的な構造的な抑圧とか、
差別を受けてるのかっていうものをですね、
改めてトーンポリシングを行わずにですね、
向き合うことが必要なんじゃないかなっていうふうには思いました。
その中でですね、
やはりこう、
声を大きく荒げた怒りをですね、
持ってですね、主張しなくても、
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いい環境とか状況を作るってやはり重要なんじゃないかなと。
どうしてもマジョリティの中で、
マイノリティの人がマジョリティに対して、
無意識の偏見っていうのがある中で、
こういう苦しみがあるんだよっていうのを伝えるには、
そのやっぱり、
ある一定の感情的な部分を持ってして、
伝えないと伝わらないっていうのがあると思うんですよね。
ただ、そこは先ほど言ったように、トーンポリシング、
コンポリシングが行われてしまったりとか、
それはなんかその、
一部の人の問題ないんじゃないかっていう形で、
歪症化されてしまう可能性があるので、
私個人としては、私としてはですね、
やはり前回、イメミでも行ったんですけども、
つらみ会っていう形でですね、
同じようなつらさ、つらみっていうのを抱える人たちっていうのが集まって、
特定の場を作って、
そこにおいては、そのマイノリティの人がある意味マジョリティとなってですね、
いろんなつらみですね、
これまでいろいろ言えなかった、
言えなかった理由っていうのは、
構造的に、社会構造的に言っても仕方ないよ、
言っても理解されないっていうような、
そういうですね、体験が積み重なって言えない状況っていうのは続き、
一方でその言えない状況の中でも、
自分なりのつらさっていうのを克服してきた中で、
改めて過去のつらさっていうのをですね、
共感をもってしてですね、
周りの人が聞くというようなですね、
場をやっぱり作っていくのが、
一つですね、トーンポリシングも行わずに、
むしろですね、しっかりとした共感を見ながら、
そのつらかった体験っていうのを、
共体験するような形の場っていうのをですね、
やることによって、
ある意味理解するんですね。
相手のつらさっていうのを理解する。
自分も同じようなつらみっていうのは、
何かしら接合できる部分っていうのがあると思うんですよね。
育児のつらさとか、ジェンダーによるつらさとか、
国籍とか、
人種とか、LGBTとか、障害、
そういうものに対するものだけでなく、
いろんなそれぞれのですね、
家族であったり、会社における問題であったり、
いろいろ抱えているつらさっていうのは、
必ず一人一人あるはずなので、
そこをですね、うまく接合していくっていうのが、
つらみ解のいいところなんじゃないかなっていうふうに思っていて、
その場作りっていうのは、
とても大事だなっていうふうに思っています。
今度ですね、人種とか国籍ですね、
秘密の場合、外国人の、
人のですね、国籍が日本国籍でない人もですね、
10%ぐらい近くいるので、
そういった人たちの声っていうのをですね、
ある意味マジョリティとして、
住みづらい日本だよねとか、
こういう部分で差別的な行為っていうのを受けてつらかったとか、
そういうつらみっていうものをですね、
共有する中で、
自分もですね、例えば日本国籍であったとしても、
例えば学校でこういうですね、
転校生として、こういう差別的な、
抑圧的な、
こう行動を受けたとか、
なんかそういう形で自分の体験ともですね、
こう接合するような共通軸っていうのを、
つらみっていうキーワードでですね、
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共感していくようなですね、
場作りをしていくことで、
改めていろんなですね、
マイノリティの人とのですね、
同じ共体験ですね、
を作り上げていくっていうのを、
やっていきたいなというふうに思っています。
本日はですね、
社会構造的な、
問題として引き起こってる話なんですけども、
フェミサイドという観点から、
マイノリティについて話をしてみました。
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